表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/51

第一章 《死天使の像》 ~四~

 丹藤の言葉に気の遠くなる作業だと自覚しながら、九郎は日が暮れかけた路地にいた。


 人通りは多くもなく少なくもなく、それなりに掃除も行き届いている。個人経営のアンティークショップやアパレルショップが数多く軒を連ね、そのうちのいくつかはどことなく退廃的な雰囲気を醸し出していた。


 事実として、非合法活動を行っている店も並んでいるのだ。法外な値段を要求するバーもあれば、女子高校生や女子中学生に性的な接待をさせる店もある。あるいはそれらを複合させた店もあるし、違法薬物を販売している店もある。


 九郎が足を踏み入れたこの店舗は、配布された資料によると表向きは漢方を中心に販売する店であり、裏では違法薬物を販売しているらしいとのことだ。


 らしいどころか、実際に違法薬物を扱っているという事実を、九郎は知っていた。協議会もまだ把握していないような店を九郎が知っているのは、何度も足を運んだという事実があるからだ。


 誤解しないでほしいが、九郎に薬物使用の前歴はないし今後もない。ドラッグディーラーになるような未来を描いてもいない。緋桜式を通じて何人もの犯罪者を知っていて、ここの店主もその一人だということだ。


「うちで扱っている薬物はここである分で全部ですよ」


 開店前の店舗カウンターに、ずらりと所狭しと薬包が置かれている。個人が買いやすいようにと大きさを調整された、病院で使われているものと同じ薬包だ。中身の薬物は値段と顧客の希望に応じられるように容量ごとにわけているとのことで、総額で五千万円ほどになるらしい。


 ここの店主は大学生だったときに、先輩を通じて薬の売買に手を染めてしまったと言う。店主によると最初は小遣い稼ぎ目的で始めたのに、徐々に抜け出せなくなってしまったとのことだ。依存症患者が継続的な収入となり、この店を出すときにも、事業を続けるうえでも非常に重要な資金源となった。


 たとえ検挙されても手を切ることはできないだろうと吐露する様は、どこか苦しげですらあり、同時に諦めているようでもあった。手を切る素振りを見せるだけでも、命を失う理由になりうる。


 善良な市民としては通報の義務なり責任があるだろうが、九郎にはそんなつもりは欠片たりとてなかった。この店主は九郎にとって貴重な情報源だ。違法な品を扱っている以上、警察に捕まることは仕方ないにしても、それは警察の努力でなされるべきものであると考えている。


「緋桜が仕切ってる間はもっとやりやすかったんですがね」

「常城興産が潰れたのは何年も前の話だろ。新しいルートなんかもういくらでもあるだろうに」


 九郎の指摘に、店主は肩を竦めた。


「ルートはな。だがどこもかしこも縄張り争いだ。うちのを扱え、あそこのは扱うな、この値段で買え。他にも色々あってうんざりだよ。緋桜が健在だった頃は、他のどの組織も這い出てくる隙間がなかった。今は日本国内の組織だけじゃなく、アジアからも中東からも入ってきている」

「常城警察の上の連中は無能揃いだが、現場の人間には優秀なのが多いんじゃなかったか?」

「優秀だからこの程度で済んでるとも言える。緋桜が実権を握っていたときは、警察幹部まで買収されていたからな。末端の連中も鼻薬を嗅がされてたし、俺たちにしてみりゃ仕事がしやすくて仕方なかったよ」


 それは緋桜というよりも式の仕事だ。緋桜和真も警察の買収くらいはするが、買収の仕方が下手くそで、精々が現場の悪徳警官を数人、抱き込むのがやっとだった。


 式のやり方はもっとえげつない。幹部の弱みを見つけ、自尊心や保身への欲求をくすぐり、十分なリターンを本人と、本人が大事だと思う周囲の人間にまでそれとなく波及させることで、完全に取り込んでしまう。


 緋桜和真の突然の死は彼ら幹部たちの心胆をさぞかし潰したろうが、どういうわけか幹部たちが新聞やワイドショーを賑わせることはなかった。緋桜和真と警察幹部を結び付ける証拠が見つからなかったのが理由であり、証拠を隠したのは式だと九郎は踏んでいる。


 証拠の出てこなかった幹部たちは順調に出世の階段を上ったようで、今では警察庁の幹部になっているものまでいるという。いずれ式が戻ってきたときに、まとめて支配下に組み込まれるのだろう。


 非接触型の体温計みたいな機械からピッと音が鳴る。売人が用意した袋、その内の一つに近付けたときの反応だ。


「これは?」

「安物だ。質も知れてるし、特に色が酷かった。茶色だったんだぞ? 信じられるか? 今、白くなってるのは白く着色しているからだ。日本では真っ白な商品が好まれるからな」

「持ち込んできたのはどこの連中だ?」

「そこがちょっと厄介なところでな」


 店主は後頭部を掻く。正規の――という表現もおかしいが――売人はあまり扱っていない。では誰が扱っているのか。半グレのような既存の反社会勢力に属していない連中が独自の資金源として扱う例の他に、それこそ小遣い稼ぎや軽い気持ちの一般人が扱うことすらあると言う。


 これを供給してる奴は、市場原理はわかっている奴ではないかと売人は推測していた。


 まず、最初の入り口として安くてそこそこの効果のある品を流通させ、顧客がより刺激的な品を求めるようになったら、高額で質のいい、依存性の高い商品を渡す算段なのだろうか。


 ただ競争についてはわかってない。いや、もしかするとわかった上で、ここまで強引に仕掛けているのではないかと思われた。


 この世界での競争は暴力を伴う。不当に安い品の流通は他の業者の利益を大きく損なわせるものであり、損失を取り戻すためには競争相手の物理的な排除を選ぶことを躊躇しない世界だ。


「あんたのとこは扱っても大丈夫なのか? 業界を掻き回すのに噛んでいると思われるんじゃないのか?」

「倉庫に置いてるだけだ。売ってるわけじゃない。そもそもこいつの仕入れは、依頼されてのものだ。緋桜亡き後、この都市で鎬を削っている既存勢力からのな。連中はこの安物を持ち込んでくる奴から、供給元まで辿り着きたいんだよ。叩き潰すために」

「あんたの顔からすると、連中には無理だって思ってるみたいだが」

「望み薄だな。この業界にこんな形で殴り込んでくる奴は相当いかれてるから、最初から荒事を織り込んでる。それこそギャング全盛時代のニューヨークみたいな抗争が常城市で起きるかもしれないと気を揉んでいたんだが、君が出てきたとなると、下手するともっと恐ろしい事態になりそうだ」

「そうさせないために動いている」


 九郎が舌打ちをした。安物として市中に出回っている薬。そのすべてから神秘の反応が検出されたのだ。店主によると、これらを持ち込んできたのは五人。二人は既存勢力との争いの中で既に死亡、一人は警察に逮捕されていて、残りの二人が手掛かりだ。


 手掛かりが得られたことに、九郎は少し息を吐き出す。現場に出る際にはツーマンセルが原則なのに、九郎は単独行動を選んだ。相方の椿も反対したが、九郎が押し切ったのだ。


 九郎は自分の持つ情報源に、あまり他人を近付けさせたくはなかった。


 九郎はプライベート用の携帯電話を持っていない。協議会から支給されたスマホには、限られた人数の番号しか入っていない。九郎の指は椿の名前を選んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ