第一章 《死天使の像》 ~三~
オフィス、という言葉からはかけ離れている。少なくとも九郎はそう思うし、椿も同意してくれている。
秘蹟協議会常城支部は雑居ビルですらない、喫茶店に偽装していた。建物自体は築年数の割にはしっかりしているし、大正ロマンを感じさせる外観に惹かれて扉を開ける客も少なからずいる。
名目上の店長は支部長でもある丹藤で、だが飲酒量の多さから店主として働くことを期待するものはいない。一般的に喫茶ブルーの店主といえば、二十歳になったばかりの彼女、汀蒼子のことを指す。
街を歩けば頻繁にスカウトされる美貌の持ち主で、スラリとした体形は日本人女性の平均身長より十センチほど高く、足については更に長い。鼻梁は高く、活力のある切れ長の瞳に見つめられれば、彼女持ちの男であっても容易にぐらつく。プロポーションもモデル並みで、欠点らしきものと言えば、歌唱力が絶望的であることくらいか。
支部の中では若手に入る彼女は、まだ協議会に入ってから三年、常城支部に配属されてから半年しか経っていない。高校在学中に協議会の門を潜ると同時に常城支部に配属された。常城市出身ではないが、近隣の出身である点が考慮されての人事とのことだ。
椿のような戦闘要員ではなく、主に支援や調査を担当する。市内の大学に通う現役大学生でもあり、キャンパスライフを楽しむことも忘れない、傑物と表現してよい女性だ。
蒼子の配属当時、この喫茶店の名前はナオコ――丹藤支部長行きつけのバーのママの名前――だったが、いつの間にかブルーに変わっていた。丹藤が文句を言おうとして、蒼子の一睨みで、口をモゴモゴさせて店の奥に引っ込んでいった姿を、九郎と椿は今でも忘れられない。
九郎と椿が早朝の喫茶ブルーに着いたとき、蒼子はちょうど店の入り口に「本日臨時休業」の張り紙をしていた。
「おはよ、二人とも。こんな時間に悪いわね。さ、中に入って」
「おはようございます、蒼子さん。失礼します」九郎は礼儀正しく頭を下げ、
「おはよう、蒼子。支部長も中か?」椿は軽く手を上げて挨拶をする。
「ええ。珍しくアルコールが抜けて、さっきは禁断症状で手が震えてたわね」
協議会内部に依存症プログラムでもあれば別だが、なければ丹藤にはこの件が片付き次第、アルコール治療を専門とする病院にでも入院してもらおう。九郎はそう考えた。
秘蹟協議会常城支部は市内中心部から外れた位置にあり、幹線道路からも離れている。住宅エリアと商業エリアの中間、やや商業エリア側に看板を出し、基本的に二十四時間体制で稼働している。
喫茶店としての営業時間は早朝五時から夜二十時までだが、実質的には朝五時から七時まで、十一時から十五時まで二度のオープンであることが多い。蒼子に余裕があるときは夕方以降もオープンされ、その際の客入りはちょっとした名物になるほどだ。
喫茶店内は諜報機関の本部のような洗練されたオフィスではなく、民家を大胆に改装している。見た目は一般家屋と同じ、決定的に違うのは大きな地下スペースがあることだ。
地下の七割を訓練スペース、残りの三割――八畳ほどだが――は会議や、ときには丹藤の仮眠室として使われる。
戦闘要員である九郎と椿、後方要員である蒼子が入室したときには、既に会議室には他に三人の男がいた。支部長の丹藤と、蒼子と同じ後方要員の木山と矢野だ。木山は三十代の男で突き出た腹が特徴で、矢野は二十代前半の細身の優男だ。
全員が着席すると、木山が丹藤に情報を伝える。
「最新の状況がこれです。麻薬の密売人が新たに二人、死体で発見されました。体内から検出された薬物はこれまでと同じものです」
「状況も同じか?」
「はい。検出された量と薬物の種類からして、死亡するほどのものではありません。他の薬物などを複合的に摂取した可能性もあるかもしれませんが、少なくとも現在までのところは発見されていません。科学捜査で発見できないとなると、神秘がかかわっている可能性が非常に高い」
「木之元春人という人物が同じ死に方をしている件についてはどうだ?」
「同じです。致死量には程遠い量の薬物が検出されただけです。家族や会社の同僚からも、木之元氏が薬物摂取をしていたとは知らなかったと言っています。警察が木之元氏の周辺を探った結果も同じでした」
「神秘を使った連続殺人事件、か」
「恐らく」
丹藤はかすかに震える手で頭を掻いた。薬物の過剰摂取によると思われる死者数は、木之元春人氏を含めて三人目だと一般には信じられている。
だが協議会の情報だとこれで六件目だ。表立って数えられていない被害者たちの中に、先ほど木山が伝えた薬物関係者がいた。
一人目の被害者は薬物中毒者で、この中毒者が死んだときは単純に薬物の過剰摂取が原因だと考えられていて、警察も捜査らしき捜査はせずに早々に解決だと結論した。
二人目の犠牲者――公式には彼が最初の犠牲者――は薬物使用の経歴がなく、警察もまったくマークしていない人物だが、死亡状況があまりにも一人目と酷似しているため、少なくとも売人死亡のときよりも力の入った捜査が行われる。
だが有力な物証を上げることはできず、検出された薬物の量も微量であったことから、両者の間には繋がりはなく、被害者が初めて薬物を使用したショックかなにかで急死したに過ぎないと結論が出されて、こちらも捜査は打ち切られた。
被害者家族が「絶対にそんなことはあり得ない」と否定しても、警察が受け入れることはしなかった。
そして木之元春人だ。三人目の死者が出たことで市警はちょっとしたパニックに陥っていた。
もしかすると連続殺人かも。
いや単なる偶然だ。
周囲にバレずに薬物を使用していた人たちが全員、似たような症状で死亡しただけに過ぎない。少なくとも市警上層部は「偶然の事故」であると強調していた。
連続殺人なら碌な捜査をしなかった市警の失点は大きい。また同一薬物が絡んでいるとなると、「市内に出回る薬物のことも把握できていなかったのか」との非難と追及の声が上がるだろう。
末端のノンキャリアに責任を被せて済むのならともかく、キャリア組や幹部級が責任を問われるような事態になれば、幹部たちが属する派閥の力関係にもかかわりかねない。最悪、退官後の天下りや政治家への転身といった未来予想図が覆されてしまう。
偶然の事故でなければならないのだ。最初に売人の死者が出たときから協議会は秘密裏に調査を進めていたが、まだ犯人は見つけられずにいた。
「目撃情報はないのですか」
椿が眉根を寄せて問い、木山がまったく同じ表情で答える。
「市警内部からの協力者によると、被害者たちの死亡時刻前後に目撃された人物は何人かいるが、共通した人物はいない。アリバイを調べもしたが、全員が事件とは無関係らしい」
事件解決にはあまり役立たない情報だということである。他にもたらされた情報も似たり寄ったりだ。協議会も警察も常城市内を縄張りとする薬物を扱う個人やグループを当たるが、最近になって急に羽振りが良くなったような人物はいなかった。
代わりに急に姿を消した人間が何人もいることがわかるものの、この世界では急に人がいなくなるのは珍しいことではない。つまりは、いなくなったという以上の情報は手に入らなかった。
丹藤はアルコール検知器に引っかからない息を大きく吐き出しながら、掌に収まるサイズのコンパス上の機械を机上に置く。
「知っての通り、こいつは微量の神秘の残存気配でも検知できる検査機器だ。今回の事件に神秘が深くかかわっている判断した我々は、被害者全員にこちらの検査を実施した。結果は、いずれの被害者からも同じ反応が出た。つまり、同一の神秘による犯罪だということだ。繰り返すぞ。これは神秘を用いた事件だ。でありながら手掛かりが少ない。素人が神秘を手に入れてはしゃいで起こしたものとは考えにくい。異常に用心深い素人か、犯罪のプロか」
「神秘に精通した人間、ですね」
椿が繋げた言葉に丹藤が頷く。
「少なくとも神秘の扱いに長けた個人か集団、ないしは組織が背後にいることは間違いない。まだその尻尾もつかめていない以上、被害者の共通点から攻めていくしかない。まずは薬物の売人だ。木山君、リストを」
「リストは用意してありますが、支部長、売人が神秘に関わっているでしょうか」
「主体的に関わってはいないだろう。だが供給されている神秘を、安価で効果の高い商品として扱っていることは間違いない。売人が誰から薬を仕入れているか、そのルートがわかれば首謀者に辿り着けるだろう」




