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第一章 《死天使の像》 ~二~

 何気なく見上げると、水分を多分に含んでいるであろう灰色の雲が遠慮なく視界に飛び込んできた。近所のホームセンターで七九八〇円の値札がついており、そこから七五〇〇円にまで値切って購入した自転車のペダルに力を入れる。


 乗り方が荒いのか、あるいは値切られたことへの不満の表明なのか、この自転車はよくパンクする。ほぼ二ヶ月に一度のペースというのは、さすがに多いのではなかろうかと思う今日この頃。


 今日に限ってはパンクしないでくれよ、と立ち漕ぎをしつつ真剣に願ったのは、この春に高校生になったばかりの綾瀬九郎だ。


 少しずつ黒さと範囲を広げていく雲の下には、明度によって反応する街灯が等間隔で並んでいる。時刻によるものと、雲の厚さによるもの。どちらによって点灯するだろうかと下らない考えが浮かび上がるものの、秒に満たぬ間に流されていく。


 実のところ、九郎の思考はまったく別の場所に置かれたままになっていた。すなわち、秘蹟協議会常城支部のオフィスである。


 支部長である丹藤にもたらされた情報を何度も何度も脳内で繰り返す九郎は、それ故に電気店の店先に置かれたテレビから流れるニュースを意識していなかった。赤信号に引っ掛からなければ、それこそ自宅に帰りつくまで気付かなかったかもしれない。


 テレビの音声を聞き取れない九郎は字幕を見ることで、番組の内容が自分の脳内と一致していることを悟る。青信号も無視して、九郎はテレビに釘付けになっていた。


『次は原因不明の連続不審死についてです。本日午前十一時ごろ、常城市内在住の会社員、木之元春人さん、五十五歳が自宅で死んでいるのを、仕事から帰ってきた妻が発見しました。

 警察の発表によりますと、死体には争った形跡はなく、また自宅が荒らされた様子もないことから、怨恨や物盗りの線を否定。

 家族によりますと木之元さんには健康上の問題はなく、目立った仕事上の問題も抱えていなかったとのことです。

 これは最近、常城市内で起きている連続不審死と同じ状況で、先月から数えて三件目となります。いずれも現場には荒らされた形跡などはなく、被害者にも自殺するような状況は一切見つからないのが共通点で、番組が独自に入手した解剖の結果からも、死因は特定できていないことが分かっています。

 この件については専門家のご意見も伺いたいと思います。元警視庁刑事部の刑事として長年、犯罪捜査の最前線におられ、今は東アジア綜合警備保障の顧問を勤めておられます築地信義さんにお越しいただきました。

 築地さん、本日はよろしくお願いします。さっそくですが、築地さんからご覧になられて、今回の連続不審死についてはどう思われますか? 一部週刊誌などでは毒を使った無差別テロとの見方もあるようですが』

『まったくの論外ですな。被害者の状態を考えますと、彼らは即死か、それに近い状況で死亡していることが分かります。なぜならこれらの死体には苦しんだ痕跡が見当たらないからです。たとえば、喉を掻き毟るなどの行動ですね。

 週刊誌がどのような情報源を持っているかは分かりませんが、それほど強力な毒物・薬物を、日本の科学捜査のレベルで検出できないなどありえないことです。

 よって先ほどおっしゃられた今回の一連の連続不審死を毒物による無差別テロなどと主張する一部週刊誌の報道は、いたずらに世間の不安を煽るだけの極めてナンセンスなものとしか言いようがありません。

 これらは偶々、身体精神共に健康で、思い当たる原因のない人たちが急死した、というのが私の見解です。

 そもそも日本で毎日何人の人間が亡くなっているかご存知ですか? 十人や二十人ではありません。そして亡くなった人たちの中には、今回の彼らのように健康でありながら急死したケースは少なからずあるのです。

 健康な人間が原因不明で亡くなられたことはご遺族にとってはお辛いことでしょうが、それでも無差別連続テロなどという主張は、些か以上に荒唐無稽な話です。

 ネット上では自称、犯行声明が確認されておりますが、いくつかは警察に逮捕され、彼らのいずれもが騒ぎに便乗しただけの愚か者たちです』

『なるほど……この連続不審死は遺族の方に、亡くなる理由の心当たりがないことが共通点とされ、だからこそネットを中心に騒がれたということでしょうか。周囲が連続事件だのテロだのと騒ぐことで、遺族の方たちに二重三重の苦しみを与えてしまっているのかもしれません。築地さん、本日はありがとうございました。さて、次の話題ですが』


 九郎は再び自転車を漕ぎ出した。なにか新しい情報でもあるまいかと集中し、期待は見事に裏切られた。ときに信じられないようなスクープを出すメディアも、この件に関しては大したことを知っているわけではないということだ。


 協議会側の情報操作が功を奏しているということか。あるいは証拠がなさ過ぎて、なにも出てこないだけなのか。


 自転車が揺れる。九郎にとって愛車とも言うべきこの自転車は、マメに手入れを行なっている。安い給料の中からやり繰りして整備を行ない、その甲斐あって、安物にもかかわらず前カゴに錆はない。


 前カゴでは支部長の丹藤に頼まれた酒ビンが窮屈そうにしており、引ったくり防止ネットがさらに窮屈さを演出している。


 未成年の九郎に酒を売った不心得な店は轟酒店という。店長は秘蹟協議会の協力者であり、同時に支部長と店主とが古くからの顔馴染みということで、不本意ながら、いまや九郎もすっかり馴染みになってしまった。


 九郎が務める常城支部を束ねる丹藤は、酒と博打を主食とする人物としての評判を確立している。パチンコ屋で見かけない日はないと近所でも有名だ。体の水分の全てはアルコールが取って代わっているとまで噂されている。


 九郎が近くの商店街に買い物に行くと、店の人たちが九郎の肩を叩いて、コロッケやパンをプレゼントしてくれるのは秘密の話である。


「お、今帰りか、九郎」


 制服姿の交差点に差しかかったところで、信号待ちをしていた少女に声をかけられる。九郎の相棒にして師匠の万城目椿だ。九郎は支部での訓練帰りであり、椿はランニングの帰りなのか途中なのか。


「ああ。今日の分の訓練は終わったよ。椿はどうなんだ?」

「わたしも終わったところだ」


 以前に九郎が訓練帰りの椿を見かけたときは、一仕事終えたかのような達成感を滲ませていたが、今はまるで逆。むしろ来るべき戦いに備えて気力と体力を充実させているように感じる。九郎同様に。


「ジムでの訓練だったのだろう? 筋トレ中心か?」

「いや、ランニングで走ってきただけだ。本格的なのは支部に行ってからにするつもりだ」

「支部でできるといいのだがな」

「うん? 酔っぱらった丹藤さんが訓練室で吐いたのか?」

「最近の支部長は酔っぱらっていないと思うが」


 キッチンドランカーという言葉もあるが、丹藤支部長ときたらデスクの引き出しにまでウィスキーを放り込んでいる。ロッカーには芋焼酎が入っているとの噂だ。


 だから酔っているかどうかは問題ではない。重要なのは、酩酊しているらしき頭を回転させているかどうかがだ。


 その意味では丹藤支部長の様子は、近年では稀に見る緊迫感があった。普段なら「現場の判断を優先する」「現場での判断力を養わせるため」とか適当なセリフを並べて、対応を椿や九郎に押し付けてくるのに、今回は冷水で顔を洗って酒精を追い出して仕事に取り組んでいる。


 丹藤が常城支部の支部長に就任してから、毎年のように増えていた酒量がぴたりと止まっていることは、事件の背景には危険度の高い神秘が絡んでいることを示していた。


「昼行燈と名高い支部長だが、腕利きは腕利きだ。やる気を出しさえすれば、成果も期待できるな」

「衛士のお前はともかく、候補生の俺にまでお呼びが来るかどうかはわからないけどな」

「師匠と呼べ」


 一言言ってから、椿は首を横に振る。


「わたしの予想では間違いなく来るぞ。候補生のお前だが、戦闘力は折り紙付きだ。候補生としてのカリキュラム消化も極めて優秀。そろそろ本格的に投入されてもおかしくない頃だからな。結果次第では正式に衛士になれるだろう」

「だといいんだがな」


 九郎は皮肉気に笑った。恐らくそうなるだろうと見越していた。次の日、より正確には次の日になる前の十二分前、九郎と椿の予想は完全な形で当たる。朝七時にオフィスに集合するようにとのメールが届いたのだ。

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