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プロローグ 《竜玉》 ~二十四~

「まずは自己紹介からだね。私は丹藤。ここ、秘蹟協議会常城支部の支部長です。君もかかわった《鬼爪》に関する事件の、まあ、調査責任者みたいなもんです」

「調査……ですか?」

「神秘や幻想が起こした事件事故を調査するのが、協議会の仕事ですから」

「他にも神秘の研究や回収も行っているぞ」

「か、回収?」


 椿の言葉に、九郎は思わず体を固くする。自分の胸元にある石が回収と称して、抉り取られるのではないか。そんな不安に襲われる。


「いたずらに不安を煽るのはやめなさいよ、椿君。確かに協議会には研究セクションもあるけど、君を害するようなことはしないから」


 九郎の不安を和らげたのは、丹藤の穏やかな声だ。


「では九郎君。これは質問ではなく確認なのですが……ちゃんと覚えていますね?」

「む」


 不安ではなく緊張が九郎を包む。改めて振り返らずとも覚えている。路地裏でのことはともかく、廃工場でのことは。


 竜化した後のことになると靄がかかったような感覚だが、竜化するまでのことはしっかりと覚えていた。


 禍々しい巨大な爪を持った男を、全身を焦がす感情を、肉体が作り替わった感覚を覚えている。己の前に武器を持って現れた椿たちのことも、朧気ながら記憶に残っていた。


 自分で体験して尚、現実だとは受け止めきれないでいるが。


「覚えてはいても、完全に飲み込めているわけではない、といったところでしょうか。多くの人たちは夢だと思い込もうとするものなのですが、最初の認識としては上々ですね」


 ありえない。そう叫ぶつもりは九郎にはなかった。確かに、ありえないと考えればどんなにか楽だったろう。だが新堂美晴の仇を討つこともできなかっただろうことは想像に難くない。この身が化物に化したからこそ、風間を《鬼爪》諸共に屠ることができたのだ。


 竜に変じたからこその結果を九郎は受け止めていたし、目を逸らすつもりもなかった。


「覚悟も十分、ですか。ふむ……椿君」

「了解しました」


 促された椿の右手が九郎に向かって差し出される。その人差し指には銀色の指輪が輝いていた。プラチナだろうか。子供にはまだ似つかわしくない装飾品は、不思議と椿が着けていると違和感がなかった。


「難しいことじゃない。よく見ておいてくれ」

「あ、ああ」


 九郎が頷くのを見て椿は微かに笑み、目を閉じる。途端、銀色の指輪が銀色の輝きを発した。輝きはうねるように形を変え、瞬く間に椿の手には短刀が握られていた。


「持ってみるといい」

「え?」

「害はない。約束する」


 無造作に柄の部分が差し出されてきたので、九郎は受け取る。受け取ろうと触れた瞬間、銀の短刀は粒子となって消え失せ、再び椿の手に握られていた。


「え……っ!」


 九郎は思わず自分の手を見返す。確かに銀刀に触れたはずなのに、手の中には金属特有の冷たさや重さなど少しも残っていない。いつだったか、式と川に遊びに行ったとき、掬った川の水が手の隙間から零れ落ちていったが、あれよりも手応えというものが感じられなかった。


「これが」

「そうだ。これが神秘。これが幻想だ」


 小さく漏れた九郎の疑問に、椿はむしろ自慢げに答える。二人を眺めやり、丹藤もまた頷く。


「そして、この神秘の力は、君も持っているのですよ、綾瀬九郎君」

「じゃああれは……」

「事実です。君は、廃工場で竜に変わったのです」


 九郎の内に発した驚きは、九郎の心身に小さな衝撃を与えるに留まった。世界がひっくり返るほどの大きさにならなかったのは、竜化の感覚を覚えていたからだ。だが思わず唾を飲み込むほどには衝撃があった。


「さて、ここからが本題なのですが、綾瀬九郎君、君を秘蹟協議会で保護したい」


 やはりか。九郎は持ち込まれてくるだろう言葉をある程度、予想していた。だから返答についても事前に決めている。


「……訓練」

「察しがいいですね。そうです。神秘や幻想というものは訓練もなしに扱えるような代物ではありません。君も見た《鬼爪》。あれのように持ち主の精神を著しく汚染して、正気を失わせる例も多い。特に強大な力をもたらす神秘になるほど、血みどろの起源を持つ神秘ほど、この傾向は強い。君を竜化させる神秘だが、起源はわからないが強大な力であることは、明白すぎるほどに明白です。活性化してしまった以上、完全な鎮静は望みにくい。正当な訓練を受けなければ、遠からず君の魂は飲み込まれてしまうでしょう」


 飲み込まれる。


 この表現が九郎の心臓を締め付けた。神秘とかかわったこと自体に後悔はない。敵討ちはこの力があったからこそ。だがこのままでは、いずれは九郎自身が災厄を撒き散らす存在になりかねない。


「我々、秘蹟協議会はずっと昔から神秘に関わってきました。現実に神秘や幻想は世界に存在し、時として世界と人々に甚大な被害をもたらしてきた。秘蹟協議会は神秘を一元管理することで、神秘による被害を防ぐことを目的としています。長く研究も続けてきたから、神秘や幻想に関する知識も豊富にある。つまり、君の神秘を制御するための用意が、こちらにはあるということです。そしてそれには」

「俺自身の協力がいる」

「そういうことです」


 丹藤は再び頷いた。


「君はあの廃工場で神秘を発動させた。神秘に飲み込まれ、己のコントロールを失ったため、我々で君を取り押さえ、ここに運び、今、こうして話をしているわけです。君の持つ神秘は極めて強力です。使いこなすかどうかは別として、しっかりと君自身を保つためには訓練が絶対に必要になります。我々と同じ神秘の世界で生きるにしろ、神秘から遠ざかって普通に生活するにしろ、です」





 間借り人がいなくなったベッドは既に冷たくなっていた。ベッド脇の椅子には丹藤が座り、丹藤の前には石塚が腕を組んで立っている。石塚の顔は苦虫を百匹ばかり噛み潰したようだ。


「あんなに簡単に決めるとは思わなかった」

「決めるというのではなく、決めていたのでしょう」

「そっちのほうがしっくりは来るな」

「でしょ?」


 綾瀬九郎が立ち去った後のベッドはまだ、新しいシーツに変えられていない。秘蹟協議会の内部には備品を補充・交換する部署があり、彼らが近いうちにこのシーツも交換するだろう。当然、九郎との――竜との――戦いで破損したベストや武器の補充もだ。吹き飛ばされた芝の代替人員までは補充されないだろうが。


「どうする気だ?」

「綾瀬君のことですか……彼の希望通りにしますよ。綾瀬君は秘蹟協議会に所属する。神秘をコントロールするための訓練を受ける。その後は、正式に衛士となる」


 協議会の武力となるのがこの衛士だ。神秘の巻き起こす事件事故の最前線に立ち、これを解決するために奔走する。戦闘行為に発展することも珍しくはない。


「竜化できるような奴が衛士になるっつーんなら、頼もしいことこの上ないがな」

「ええ。全身を作り変えてしまうような神秘ともなると、協議会でも片手の指に足りるほどの数しかありません。全身変化型の神秘はそのすべてが高い戦闘力を有していて、コントロール下に置けたのなら、協議会全体にとっても極めて有益です」

「コントロールできれば、の話だろうが」


 石塚が唸る。


「俺たちの目が届かないところで、あの強力な力を暴走させたらどうする。訓練をするのは構わんが、行動範囲は協議会の施設内に限るべきじゃないのか。社会で生活をさせながらなんてのは危険すぎる」

「それは、封印派と同じ考えですよ、石塚さん」


 秘蹟協議会とて一枚岩ではない。神秘を管理するだけでなく、危険なものはすべて封印してしまおうという考えを持つ派閥もある。封印派とされる派閥で、協議会内部での影響力を比率にすると、全体の一割に満たない程度だろうか。


 最も過激な部類としては、「神秘がこの世に存在するから、神秘や幻想による事件事故がなくならない。だから神秘は世界に存在してはならない」と主張する派閥も存在ある。否定派と呼ばれるこの連中など、間違っても綾瀬九郎と接触させてはならない。


 最大派閥は丹藤と石塚も所属する穏健活用派だ。神秘を活用し、神秘のもたらす被害を抑えようとすることを第一とする一派である。無派閥を気取る連中も、大半は穏健活用派だ。


「装備型の神秘ならそれでもかまわないかもしれませんが、綾瀬君の神秘は融合型だ。封印するには抉り取るか、さもなくば綾瀬君ごと封印するしかない。それは、越えてはならない一線だと思っています」

「それはまあ、その通りだけどよ。だがリスクがあることには変わりないだろ。いや、並の奴よりもあいつはリスクが高いぞ。あのガキの目……気付いてないわけじゃないだろ?」

「ええ」


 石塚の危惧するところは、丹藤も同じ点だ。こちらの説明を淡々と受け入れる人間は珍しくない。話の流れや前後の状況から、ある程度の予想をつけるものも少なからず存在するからだ。


 だが綾瀬九郎には違う点があった。


 目だ。まだ幼い、愛らしささえ残っている少年の目には、昏い炎が灯っていた。落ち着いて話を聞き、飲み込もうとする意識の奥に、隠そうとしているだろう炎が揺らめいていたのだ。


 丹藤が説明を続ける中で、その炎は徐々に火勢を強め、遂には凄絶な輝きを放つまでに成長する。詳細はわからずとも、綾瀬九郎の内側に強い決意、それも殺意や怒りに基づく決意があることだけは容易に知れた。


「どうする気なんだ?」

「椿君をつけるつもりです。彼女は衛士候補生だし、訓練も受けている。年齢も同じなだけでなく、世間一般とは少し違う形ではありますが、社会の中で生活している。彼女といることで綾瀬君も学ぶことは多いでしょう」

「あの目が和らぐと思うか?」

「どうでしょう。ですが抑えつけることは絶対に逆効果です。ああいった感情は、時間の経過や経験を積む、あるいは他者や社会とのかかわりなどを通じて、己の中で昇華していくものです。周囲の発言はより硬化させてしまう恐れが高い」


 丹藤の静かな声に、石塚が鼻を鳴らす。


「訓練もいい。監視をつけるのもいい。だが警戒だけは怠るな。《鬼爪》の件が解決した以上、俺は引き揚げなきゃならん。芝の戦闘力はまだ低い。お前は後方支援型。まともに対抗できるのは椿だけだが、竜化したあのガキの戦闘力は、油断できるようなレベルじゃねえ。まあ、椿が後れを取るとは思わんが」

「いきなり弟子自慢をしないでください」

「悪いか? 自慢の弟子なんでな」


 石塚は本人のいない場所では弟子のことを褒める。聞かされる相手は少ないが、その少数を通じて椿にまで届いていることを、当の石塚だけが知らなかった。


「警戒を解くつもりはありません。ですが」


 彼綾瀬九郎の中にあるあの炎。昏いものではあっても炎が灯っているのなら、強い目的となっているのなら、暴走を防ぐカギになるかもしれない。経験則による考えだ。


 融合型の神秘の持ち主で、神秘に飲み込まれなかったものというのは例外なく、強い意志や目的意識を持っていた人間たちだからだ。


 力に呑まれるリスクは付きまとうが、それは椿だけで対応させるわけではない。


「まずは信じるところから始めてみようと思います」


 丹藤の出した結論に、石塚は先程よりも強く鼻を鳴らして応じた。最悪のときは自分が動く、とでも宣言するかのように。


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