表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/51

プロローグ 《竜玉》 ~二十二~

 緋桜和真の右手にあるグラスには、今にも表面張力が破れそうなくらいにウィスキーが注がれている。組織の人間でもごく一部しか知らない隠れ家でのひと時は、和真にとって最高の休日の過ごし方だ。


 つい先程まで、二十二歳のモデルとベッドの上で楽しんでいた。彼女を帰した今は、次に来る美女を待っている最中である。


 左手では海外製の色鮮やかな娯楽雑誌を広げていた。緋桜和真は電子媒体よりも紙媒体のほうを好む。じっくりと眺める凶暴な視線の先には、ビキニ姿の若い白人美女の姿が映っている。どこで写真を撮ったかなど知りようもないが、写真越しにでも眩し過ぎる陽光の降り注ぐビーチの上で、若い美女が魅力的な肌を露わにして歩いている。


 彼女はアメリカで人気のポップミュージックスターで、常にパパラッチに追われている身だ。SNSのフォロワー数は一千万人を超え、その影響力を駆使して売り出した化粧品も大ヒットしている。二十歳になったばかりでありながら資産総額は五億ドルを超え、数年中に十億ドルを突破することが確実視されているほどだ。


 この写真も恋人とバカンスに来ていたところを撮られたもので、トップレスの写真まで載っている。日本人ではありえないプロポーションを見て和真が思うことは一つ、どうしてこの女が自分の腕の中にいないのか、ということだ。


 女という生き物は、強くたくましく賢く財産のある男が独占するべきだと考えている。つまりは自分のような。


 常城市を地盤として、何人もの美女を抱いてきた。アイドルや女優、中学生や移民も関係なくだ。だがそれは緋桜和真の力が及ぶ範囲でのみ通用する行為だった。国内外問わず緋桜和真など及びもつかない強者がひしめいていて、今の自分ではこの白人美女をものにすることができない。


 このことが絶対的に不満だった。自分はもっと大きくなる。もっともっと大きな力を手に入れて、世界中の男たちが想像の中でしか抱けない女を、現実にものにしてやる。どす黒い決意と共に、ウィスキーを飲み干した。


 そこまでが緋桜和真が覚えていることだった。


「、っ」


 次に目が覚めたとき、和真は自分の身になにが起きているのか、まったくわからなかった。目隠しをされていて、場所すらもわからない。


「むっぅ! ぅぅ! うむぅっ!?」


 口も動かすことができない。ガムテープでも貼られているのか、などと冷静に考えることもできなかった。体を捩ると、四肢も固定されていてガタガタと物音が響いただけだ。喋れない口で喚き散らし、体を動かし続ける。


 なんだ? 一体なにが起きている? 誰がこんなことをしやがった? 絶対に犯人を見つけ出してぶち殺してやる!


 ――――しぃ。静かにしてもらえるかな。


 恐ろしく冷たい声が降りかかってきた。


 緋桜和真は、この幼い声の主を知っている。よく知っている。自分のしている商売の一部に噛ませてやり、そこそこの利益を上げているはずだ。おこぼれとして多少の金もくれてやっていた。もう少し成長すれば、組織の仕事の一部を任せてやってもいいとも考えていた相手、血を分けた実の子の声だ。


「づぅ!」


 乱暴に口が解放された。どうやら本当にガムテープの類だったらしい。これは何の真似だ。怒鳴りたてるよりも早く、次は目を解放される。こちらもガムテープで、乱暴に剥がされて皮膚に鋭い痛みが走った。少しして回復した視力で見たものは、


「やあ。こうして話ができてうれしい限りだよ、親愛なる父さん」


 電動車いすに座り、真っ白い手袋を着け、凍てついた視線と殺気を叩きつけてくる息子の姿だ。





 式の目の前で、実父は椅子に座らされ、椅子の手摺と足に四肢を括られていた。腹立たしい。式は心から思う。もっと早くこうしていればよかった、と。ほぼ同じ目線の高さになっている実父を見て、式は欠片の憐憫も愛情も湧かなかった。


「式様、これはやりすぎでは」

「構わないさ」


 宮川の言葉は、式には届かない。あるいは届いた上で拒否しているのかもしれないが、どっちにせよ、式がすることには何らの影響もないことだった。


「式! これはどういうつもりだ! 今すぐこれを外せ!」

「静かに、父さん。貴方に聞きたいことがあるんだ。答えてくれたらすぐにでも解放するよ」

「ふざけるな! これが親に対する態度か! さっさと外ぁああ˝!」


 喚き続ける緋桜和真の左大腿に銃弾が撃ち込まれた。悲鳴と鮮血が湧き、床に赤い水溜りが作られていく。


「落ち着いてくれ、父さん。繰り返すけど、聞きたいことがあるだけなんだ。速やかに答えてほしい」

「っ、……聞きた、ぃことだ……とっ?」

「誰から綾瀬九郎のことを聞いた? 竜化のことは知る人間はほとんどいない。知っている人間を片っ端から締め上げてもいいのだけど、これが一番手っ取り早いと思ってね。時間は有効に使わないと。で? 誰から聞いた?」


 和真は奥歯を噛みしめる。緋桜和真は暴力の世界で生きてきた。その自分が息子の、それも小学生でしかない子供からの暴力に屈するなど、プライドが受け入れることを全力で拒絶していた。同時に、ここまでのことをされても尚、式には自分を殺すことができないと判断してもいた。


「式、今ならまだ許してやる。これを、今すぐ、外せ!」

「ふむ。なら仕方がない」


 式は車椅子を操作し、和真に近付く。右手には先程、実父の大腿を撃ち抜いた拳銃が握られている。この世界に生きる人間からしてみれば見慣れた金属の塊。式は人を容易く殺傷させ得る凶器の狙いを定めた。


「ひ」


 銃口が股間に向いていると知り、和真の顔色が露骨に代わる。二度と女を抱けなくなる、とでも思ったのだろうか。


 だが式が狙っているのは股間などではなかった。式の手袋越しの手が銃口を引き絞る。発射された弾丸が砕いたのは、左足の股関節だ。股関節は骨も血管も太い上に、腕の骨などとは違って元通りに動くようになることは望みにくい。人工関節では本来の股関節ほどの自由な動きができなくなるし、人工関節は摩耗するから定期的に取り換える必要もある。


「っっづっ!?」


 声にならない悲鳴が肺から絞り出される。激痛と苦悶が緋桜和真の全身を駆け巡った。


「繰り返し説得をするというのは、あまり好きじゃないんだ。だから親愛なる父さん、質問に答えてもらえるか? 丁寧に、隠し事なく、私を納得させるだけの答えを寄こしてほしい。そうでなければ次は、そうだな、膝の皿なんてどうかな?」

「ぐうぅうぅぅっう」


 自分のことをタフだと信じている和真の精神は、残念なことにあっさりと信頼を裏切った。和真は乱れた息を必死に整えながら、頭を回転させる。酒と欲望に浸りきって機能低下も著しい脳みそでも、ここで答えなかった場合の結末は容易に想像できるからだ。血縁関係など無意味であると、暴力の世界で生き抜いてきた和真にすら悟らせるだけの鋭さと冷たさが、式の瞳にはあった。


「宮川だ。そこにいる、お前の側近だ」


 証言であり告発でもある言葉に、宮川は目を見開いた。一瞬で顔が白くなり、明らかに狼狽えている。


「ふむ」

「嘘だ! 式様、ボスは嘘をついています! 俺はあなたを裏切ったりはしない!」

「残念だったな、式。宮川は俺の部下だ。お前の部下じゃねえ。俺の利益のために動くのがこいつの役目なんだよ。お前はまだその程度だ。俺のようなタフネスが組織を率いるのには必要だ。お前にはそれがない。だからこいつはお前を選ばないんだ!」

「貴方の隠れ家を教えてくれたのもこの宮川だが?」


 静かな指摘は、冷水となって和真の精神を冷却する。


「もう三人、貴方の隠れ家を教えてくれた人たちがいた。貴方が支配したと思い込んでいる美女たちだ。謝礼金を渡して、反社会的人物との繋がりがどんな法律的な損害をもたらすかを説明したら、むしろ喜んで教えてくれたよ」

「待っ!?」


 式の指が引き金を引き絞る。二発の銃弾が緋桜和真の胸部に命中し、常城市最大の暴力組織の長だった人間は、血の花を咲かせながら覚めることのない暗黒の世界に転落していった。


 途切れることなく、続く銃弾が宮川の右足を貫く。宮川は短い悲鳴を上げて地面に蹲った。


「し、式様っ」


 加害者の手には別の銃が握られている。式が普段から使っているものではなく、緋桜和真が愛用している銃だ。式の小さな手には余るようで、実に扱いにくそうではある。式は実父の銃を乱暴に投げ捨て、本来の銃を向けた。


「私は別に言い訳を必要とはしていないが、君が言い訳の必要性を感じているのなら、早く口を動かしたほうがいい。この銃の引き金はかなり軽い上に銃弾もたっぷりと残っている」

「お、俺は式様、あなたのためにしたんです! あなたはこの組織の本当のボスになるに相応しい人だ。組織をもっともっと大きくできる。でもあの綾瀬ってガキがいると、あなたは判断を誤ってしまう! 今回だってそうだ。あのガキのために、どれだけのカードを切ったんですか」


 緋桜和真に黙って病院を手配したことも、神秘の作用を抑制する薬も、銃火器を用意したこともだ。これだけのことをやってのける手腕は別として、たかが個人のためにこれだけの人とモノを投入するなど、側近として式のすぐ近くにいる宮川にとっては、どうしようもない失敗だとしか思えなかったのだ。


「なるほど、私のことを心配してくれたわけだ。でもおかしいね。私は君にそんな役割を期待したことはないのだけれど」


 式の目も声も表情も、強い恐怖を宮川に与える。宮川が感じる恐怖は、少なくとも緋桜和真からは感じたことがないほどに強いものだ。


「ただまあ、心配してくれたことには素直に感謝しよう。心配させるということは、それだけ私が未熟であるという証拠だ。改めて気付かせてくれただけでも、とてもありがたく感じている。これは本当だよ」

「式様」


 式の言葉に宮川が喜色も露わに顔を上げる。許された。自分の意見を受け入れてくれた。そう思ったのだ。上げた宮川の顔のすぐ前には、銃口があった。


「っ、し、式、様……?」


 銃口は少しだけ位置を変え、宮川の、喉の柔らかい部分に押し当てられる。


「ひ」

「私が問題にしているのは、君が私を裏切った、ということだ。私のことを案じてくれたこととはなんの関係もない。九郎の情報を他に漏らしたことは、絶対に許せない」


 式は躊躇わなかった。一発撃つと、弾丸は正確に宮川の生命に命中する。宮川の体は後ろに弾かれ、重力に掴まって、地面に倒れた。発射された弾丸は宮川の脳を破壊し、頭蓋骨に跳ね返り、頭蓋内に留まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ