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プロローグ 《竜玉》 ~二~

 五月の陽光は建物も地面も分け隔てなく照らす。夏ほどには強くなく、冬ほどには頼りなくもない。けれど少しずつ鋭さを増しつつある日差しは、校舎の真新しい塗料に跳ね返されて、己の無力さを噛みしめていた。


 生徒数の多いマンモス学校ということも、採用している制服がイタリアのブランドもので五万円以上することも、またはその制服がネットオークションに出品されるようなこともない、普通の小学校がここ、常城第一小学校だ。


 最近の常城市は周辺のみならず、遠くは東北や北海道からも移住者が集まっていて、人口が急激に増えている。人口流入速度と比べて他の設備は遅れ気味で、学校の数も不足していた。


 常城第一小学校も、教室が足りない悩みを抱えていて、一昔前には一クラス三十人ほどだったのに、現在では四十人を超えてしまっているほどだ。


「できた!」


 人口密度の高い第一小学校五年一組の教室で、元気よく声を上げたのは綾瀬九郎だ。手にはお世辞にも見栄えの良くない、手作り感満載の置時計があるが、これはカリキュラムの図工の時間で作った課題作品である。


 家に飾るか、もしくは誰かにプレゼントすることが前提だが、不幸なことに綾瀬九郎には家族がいない。元から一人っ子だったことに加えて、両親も失っている。遠方に祖母がいるが三つばかり県境を越える必要があって、渡すにはちょっと遠い。


 だから、九郎がこの時計を渡す相手は決まっていた。隣席に首ごと視線を回すと、思わず見惚れてしまうほどの美少女が、車椅子に座って作業を続けている。


 作業に集中しているせいで白磁の肌に汗が光り、肩まで届く漆黒の髪を耳にかける仕草が妙に色っぽく、九郎の心拍が三割ばかり上昇した。


 もっともこの反応は九郎だけのものではない。男女問わず、教室中の生徒の一致した反応だ。まったく、これで男だというのだから、神様とやらも色々と間違いを犯すものなのだと九郎は思う。


 その緋桜式は生来の器用さを遺憾なく発揮して、九郎たちと同じく時計を作っている。しかし出来栄えがまるで違う。まるで職人が作ったかのような懐中時計で、一人だけ明確に小学生レベルを超越してしまっている。できあがった懐中時計を手に取り満足気に微笑む式を見て、知らず、九郎の顔が熱くなった。


「どうした、九郎? できたのか?」

「ん? ああ、できたことはできたけどな」

「なら交換だ」

「お、おぅ」


 式が差し出してきた時計と、自分が作った時計との出来の落差があまりにも激しくて、事前に取り決めていたにもかかわらず、交換することに気後れしてしまう。だが気にしているのはどうやら九郎の側だけのようで、式は特に気にする様子もなく、九郎の時計を受け取ると、端正な顔をほころばせた。


「これは一生の宝物にするよ」

「それはオーバーだと思うが、俺もこれはずっと使うことにするよ」


 言いつつ、九郎も式の作った懐中時計を受け取り、互いに約束を交わす。


 これで何度目の約束だろうか。九郎が式に送ったものは、一年生のときは紙粘土で作った奇妙なデザインの一輪挿し、二年では色画用紙で作った犬の人形だったか。式からも作品を受け取り、その度に芸術的素養の差に打ちのめされたりもしたものだ。


 この図工が本日最後の授業であり、九郎と式は学校に残って遊ぶようなこともなく校門をくぐった。


 式の車椅子は電動での操作が可能だが、今は九郎が押している。たっぷりの幅を取った歩道を、ゆっくりとしたペースで進む。


 常城市は大きく十二の区に分けられていて、第一小学校の置かれている区では、大手チェーン店の類は出店が規制されている。いくつもの店は個人商店であったり、地元企業であったりする。


 自由な経済活動を妨げている、と大手企業からは評判が悪く、逆に資本力は乏しいものの意欲に溢れる若手経営者を強く惹き付けていた。先だってもテレビの経済番組で特集を組まれていて、何人かの二十代三十代経営者が取材に応じている。


 歩車分離式の信号で歩行者側が赤になったので、障碍者用の点字マットから一メートルほど離れた位置で九郎たちは止まった。


「寒くないか?」


 九郎の左手が、式の左肩に乗せられる。五月に入ったとはいえ、まだ肌寒い日は少なくない。この日も晴れてはいても気温の上昇は鈍く、風にも冷たさが混じっていた。体調を崩す人間もちらほらといて、九郎と式のクラスでも二人が風邪を引いて欠席している。


「少し冷えるが、大丈夫だ。お前はどうだ? 少しは落ち着いたか?」


 式の右手が、左肩に乗せられている九郎の左手に添えられる。式は視線を前に向けたまま、後ろにいる九郎に話しかけた。


「少しは、な」


 答える九郎の声はひび割れ、式の肩に置いた手は微かに震えている。震えを誤魔化すために九郎は手を式の肩から外し、自分の胸元、正確には鎖骨接合部を触れた。服越しにもわかる、少しひんやりとした感触は、そこに埋まった石のものだ。


「九郎」


 式が車椅子を操作して、九郎と向き合う形になる。式の細い右手が伸び、胸元に置かれた九郎の手に重ねられた。


 白く細く、繊細そうで、少し冷たい指先と、細められた瞳。小学生なのに、男なのに、式から醸し出される色気に、九郎の心拍は急激に上昇した。


 胸部の石。


 サファイアなのかブルートルマリンなのか、あるいはブルーダイヤモンドなのか、詳細はわからないが九郎の胸部には球体の青い石が埋まっている。


 スリランカへの海外出張から帰ってきた父親が現地で購入してきたという、「古代の遺跡から発掘された国宝級のお宝」だ。なんでも仕事仲間と一緒に街中を歩いていたら、接触してきた露天商にそう囁かれてつい買ってしまったのだという。古代遺跡も国宝も、いや、お宝であるかも疑わしい代物である。


 ただ、鉱物であることには変わりなく、本来なら人体に埋没するようなものではない。


 理由があるのだ。


 九郎は二年前に家族を失っている。殺人と放火だ。新築の家に両親との三人暮らしで、三年生に上がったばかりの四月に起きた悲惨な事件として、全国的に大きく取り扱われたニュースである。


 警察の捜査によると事件が起きたのは二十三時前後。


 この日は休日ということもあって、九郎は家族ぐるみで車で半時間程度の距離にある大型ショッピングセンターに出かけていた。買い物と長い距離を歩いたことと人の多さ、これらに加えてはしゃぎ過ぎた影響もあったのか、九郎は帰宅するや否や、さっさと風呂に入って二十一時過ぎには就寝していた。


 九郎の家は三十年ほどのローンが残っている一軒家で、九郎は二階で、両親は一階で眠っていた。犯人は鍵を閉め忘れていた窓から侵入、物色していたところを、様子を見に来た父親と遭遇する。父親が声を上げようとしたのか、取り押さえようとしたのか、とにかく犯人と父親は争いになり、父親は爆殺された。


 刺殺でも撲殺でも絞殺でもなく、爆殺だ。


 夢の中にまで届く轟音と振動で、九郎は目を覚ます。なにが起きたのかさっぱりわからず、わからないなりに言いようのない不安を感じた九郎は、まず窓から外を見て、交通事故が起きた様子もないことに少しだけ胸を撫で下ろした。


 続く音と振動が家を揺るがす。慌てて階下に降りた九郎の目の前には、炎が溢れたリビングと、炎の中で哄笑を上げる男の姿があった。


 異常な光景と恐怖から九郎は思わず後退り、足に硬質な感触を感じる。父親が持ち帰ってきた青玉だった。


 次の瞬間、九郎は爆発に吹き飛ばされ、意識を失う。


 だから、九郎が覚えているのはここまでだ。気付くと病院のベッドの上で、そのときには青玉は九郎の胸部にあった。爆発の高温で体組織と癒着してしまったのだろうとのことで、摘出には更に別の手術が必要になるとのことだった。


 体に害はないと説明された九郎は、青玉を形見だと受け止め、現在まで肉体に埋め込まれたままにしているのだ。


 後の捜査で、犯人はまず父親を殺し、驚いて起きてきたであろう母親を次いで殺したことがわかっている。犯人も自分で立てた音のせいで警察が来るだろうと考えたのか、二階に上がってまで物色することはなく、家に火を放って逃走した。


 爆殺という特殊、というよりも異常な殺害方法から犯人はすぐに特定されると考えられていた。ワイドショーや週刊誌でも爆発物専門家の発言や、爆発物の材料とそれらを扱っている店がしつこく報道されたものだ。挙句には事件そのものより、爆弾の材料がネットで簡単に手に入る状況への苦言まで呈され、厳に取り締まる法律を作るべきだとの結論に落ち着いてしまうという有様。


 警察にマスコミ、市民たちやネットの大方の予想は裏切られ、七百日以上を経過しても犯人を捕まえられないでいる。何度か重要参考人や重大な手がかりを知る人間についてのニュースが流れはしたものの、結局は証拠不十分やら嫌疑が晴れたとかで、逮捕という情報が流れたことはなかった。


 幸い、というべきかどうか、九郎は同じ市内の、校区も同じの叔父夫婦に引き取られることになり、現在に至るのである。


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