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プロローグ 《竜玉》 ~十九~

 九郎は走る。さながら強弓から解き放たれた矢のように。小学生としてはかなり高い身体能力を持つ九郎だが、このときは自分でも予想できなかった力が出た。


 理由は単純だ。九郎の膝から下が変異していた。図鑑で見た、まるで恐竜のような強靭な足に。


 自分に起きた変化にも、変化以前にズボンが破れた音にも九郎は気付かなかった。


 ただひたすらに、一直線に、式から貰ったナイフを構えて突っ込む。昔のヤクザ映画に出てくる鉄砲玉のようだ。まるで後先考えず、相手を刺すことだけしか頭にない。


「っか!」


 九郎の刃は三山に届く。三山の右下腹部に、刀身どころか柄部分の一部までが突き刺さっている。腹から流れ出てくる赤黒い血は、一瞬でナイフを握る九郎の手を赤く染め、重力に掴まってコンクリートの床に落ちた。


「は、ひゅっ」


 早く浅い呼吸は、九郎と三山、両者に共通している。九郎は感情と行動に突き動かされた結果として。三山は痛みと流れ出る命によるものだ。


「ガキぃィっいいっ!」

「ぐぁっ」


 三山が感情任せの力任せに腕を振るう。体格に大きく劣る九郎はたまらず吹き飛んだ。床を転がる九郎。三山の力は《鬼爪》により強化されているのか、小学生とはいえ、九郎は三メートル近くをバウンドしながら転がることになった。


 打撃の威力、コンクリートの床に落ちたときの衝撃、激しく転がったによる打撲と平衡感覚の消失。九郎は立ち上がることができなかった。


 地に這ったままの九郎の目には、雑言と血を撒き散らしながら巨大な爪を振り回す三山の姿が映る。


 殺せなかった。


 九郎の頭の中にある感情は、無念だけだ。殺すつもりだった。殺すつもりで突っ込み、殺すつもりでナイフを突き入れた。手応えはあった。命にまで届いたと思った。


 九郎の考えは正しい。傷の深さを考えると、三山は即死はせずとも、すぐに動けなくなり、流れ出る血を眺めながら絶命するはずだった。


 考えを覆した要因は《鬼爪》だ。《鬼爪》は危険度の高い神秘で、血を求める意志さえあると噂されている。血を求めるあまり、所有者に高い回復力を与え、より効率的、長期に亘って安定的に活動できるような肉体に変異させるのだ。


 傷口を抑える三山の左手は血に染まり、だが徐々に、いや、目に見えて出血量が減っていく。反比例して三山の両目に凄まじい憎悪が煮えたぎる。毛細血管が破裂して赤くなった目、剥き出しになった歯茎はこみ上げてきた血に塗れて、ただでさえ乏しかった理性の一切は狂気に取って代わられていた。


 三山が九郎に向いて動く。いや、少し違う。《鬼爪》が先に九郎に向き、次いで三山の足が九郎に向いて動く。


 九郎は直感的に悟る。悟らざるを得なかった。三山秀介が《鬼爪》に乗っ取られていることを。


 迎え撃つ。《鬼爪》を叩き折ってやる。


 決意と共に握りしめた手には、なにも握られていなかった。ナイフは三山の腹に突き立ったまま。九郎は唯一の武器を失った。


 走り迫ってきた三山が、憤怒と憎悪の表情に固定された三山が巨大な爪を振り下ろす。


 ガキン。


 硬質な音が廃工場に響く。爪がコンクリートの床を叩いた音だ。あり得ない反射速度、ありえない跳躍力でもって、九郎は《鬼爪》の回避に成功していた。


 跳躍によって得た滞空時間は数秒。眼下に三山を見下ろしながら、九郎は頭の中を整理する。


 唯一の武器を失った? 本当か? 本当に唯一か? 他に武器はないか? 


 ある。


 式から貰ったナイフよりも強力な、使えば間違いなく式に心配をかけることになる武器が、ある。


 今もこうして、九郎に常識外の跳躍をもたらしたのだ。


 胸元の石が赤く、凄烈に輝く。


「お、ぉ、ぉぉおお、おおおおおおおおおおっっ!」


 綾瀬九郎が吠える。


 咆哮は九郎の肉体を作り替える。


 四肢だけではない。頭部も体幹も含む全身を変異させる、数多存在する神秘でも数少ない全身獣化。


 燃え上がる炎のような赤い鬣と強靭な鱗と筋肉に包まれた二足歩行のドラゴン。


『ガアアアァァァァアアァァッ!』


 ドラゴンの眼光が三山を、《鬼爪》を貫いた。その鋭さと強さたるや、知性をもっていない《鬼爪》の動きを抑え込むほどのものだ。


 全身獣化を果たした九郎の口腔が赤く輝く。トカゲや恐竜などではありえない、伝承や伝説に描かれる、炎のブレスだ。


 爆炎が、火山の如き勢いで吹き上がり、大渦の如きうねりを持って、三山を一気に、情け容赦なく飲み込む。


 九郎の抱く明確な殺意を受けた炎の奔流は激しく荒れ狂う。炎の愛撫を受けた三山は断末魔の叫びごと灰となり、灰は衝撃を受けて消し飛ぶ。


 凄まじい爆発が巻き起こった。





 秘蹟協議会常城支部が所有するバンは、国内最大手自動車メーカーの製品だ。二台を所有しており、片方は新車で購入したが、もう片方は中古車である。突入のような荒事の際は、中古車を投入することになっていた。


 車内にいるのは運転手を除けば、武装した丹藤と石塚と芝、他の支部からの応援が二人、車内からのバックアップを担う支部員の五人である。


 病院で丹藤と行動を共にしていた柳本は、この作戦からは外していた。九郎を病院からむざむざと逃がしてしまう失点はあまりにも大きく、責任者の丹藤としては、柳本を重要な作戦に参加させる気にはならなかった。


「しっかし、その情報提供者ってのが誰なのかわかったのかい、丹藤?」


 石塚が手際悪く装着しているのは、幻想種との直接戦闘を想定した小手だ。魔法技術を応用して作った合金に、呪紋処理を施している。軽く頑丈で、拳銃程度の弾丸なら防ぎきる防御力と、打撃力を上昇させる効果を持つ。


 柔道をベースにした白打を戦闘術とする石塚には相性のいい武具だが、数か月前にバージョンアップした影響で器具が一部で変わっており、新しいことへの対応を苦手とする石塚は装着に手間取っているのだ。ようやく装着を終え、両拳を合わせると、金属のようなプラスチックのような音がした。


「少しもわからないままですよ。正体を隠すことに異常に長けている。電子的追跡もそうですが、霊的追跡すら妨害されました。確かなことは協議会の人間ではないってことぐらいですかね」


 石塚の対面に座る丹藤は日本刀を触っている。厳密には日本刀ではない。玉鋼を使用していない、強化ステンレス製の日本刀の形をしただけの刃物だ。もちろん呪紋処理が施され、神秘や幻想に対する攻撃力は高いが、丹藤は元々、呪詛を用いて遠距離からの攻撃支援を得意とするタイプだ。剣術の訓練は受けているが皆伝には至らず、近接戦経験の数も少ない。石塚と比べると数段劣ると自覚している。


「本当に信頼できる情報ならいいんですけどねえ」


 応じたのは芝だ。一同の中で最も若い芝にとって、戦闘を伴う対神秘作戦に戦力として投入されるのは初めてのことである。経験豊富な丹藤と石塚が視線を下に向けると、芝の足は震えていた。


 最初に常城市に入ったのがこの三人で、後部座席にいるもう一人は他支部からの応援要員である。


「情報提供者が真犯人という疑いはありますか?」


 その応援要員が質問をする。性別は女性。年齢が丹藤たちと比べて圧倒的に若く、小学生か中学生くらいだ。国際的に批判の声も強い少年兵じゃないのか、との主張が協議会内部にも存在する。特に欧米の支部においては顕著で、日本国内でも徐々にこの傾向は強まっていた。


 だからというべきか、彼女の参加は「あくまでも訓練」を建前としている。「人類や社会に危険な神秘への対応を最優先する」ことが協議会にとっての最優先事項だ。更に慢性的に人手不足の現場としては、彼女のように神秘への適応性の高い人材を、年齢を理由に現場から遠ざけられるほどの余裕もない。


 子供を危険の伴う現場に投入することへの葛藤はあるにせよ、秘蹟協議会に所属する以上、より大きな目的ないし理念のために働いてもらう。丹藤や石塚は己をそう納得させていた。芝はまだ若く、また実戦経験にも欠けるので、丹藤たちの境地には辿り着けていないのだ。


 少女の名は万城目椿。大人びて見えて、右手人差し指にはめられた銀色のリングが似合っている。小学五年生として学業に勤しむ傍ら、協議会の衛士候補生として厳しい訓練を続けていた。


 既にいくつかの実戦任務に出ていて、その優れた才能は日本支局やアジア総局にまで知られている。今回の事件に対処するため、国内でもっともマンパワーに恵まれている東京から送り込まれてきたのだ。


 装備は東京都内の支部でのみ試験的に導入されている新型の防刃ベストを着用している他、呪紋処理の施されたナイフを腰に差しているが、万城目椿のメインとなる武器はナイフではない。槍だ。ヨーロッパで発見された神秘で、強力ではあるが使い手がいないという理由から、協議会で厳重封印されていた代物である。持っていないということは東京に置いてきたのだろうか、と芝は考えた。


 石塚が視線を演技的に鋭くする。


「疑いはあるが、ならどうする? 作戦を拒否して東京に逃げ帰るか?」

「冗談のセンスも涸れたんですか、先生。いえ、元からありませんでしたね。大変、失礼しました」

「ぬかせ」


 石塚と万城目は所属する支部こそ違うものの、石塚が教官として万城目を指導したことがあり、今でも不定期に訓練を受けている。気心の知れた仲で、特に万城目椿のほうは、石塚のことを父とも慕っていた。


 最近では七ヶ月前、関東のとある国際港に密輸された霊具を押収するための協力作戦に参加、共に軽傷ではあるが負傷もした。石塚は深い裂創の刻まれた右頬を撫でる。


「《鬼爪》で行われたらしい犯行は、はっきり判明しているだけで五人だ。《鬼爪》の回収、犯人の逮捕、証拠の押収は協議会のメンツにかけて必ず、する」


 石塚の顔の傷は、まだ新米だった頃の任務で負ったものだ。任務自体も失敗し、最終的に解決するまでの被害も大きかった。苦い記憶という奴だ。石塚の弟子にあたる万城目も、資料を読んでその事件のことを知っている。


「けど問題は」


 万城目椿は、まだ小さい己の手を握りしめる。強い緊張がうかがい知れた。路地裏に設置されていた防犯カメラの大半はダミーだったが、一つだけあった本物のカメラに数秒だけ、問題の映像が確認されたのである。


 映像の中で圧倒的な暴力を見せつけるそれは、


「ああ。まさか《竜》とはな」


 石塚の声のトーンも重い。丹藤がため息とともに頭を振った。


「この《竜》に姿を変えた少年の身元はまだわかりません。また恐ろしいことに、このカメラを設置していた店は放火されて映像データを焼失。押収した警察も映像データを『紛失』しています。我々は映像こそ確認できましたが、協議会がデータを回収する前に『紛失』した。何者かはわかりませんが、この《竜》、いや、少年を守ろうとしているものがいる、ということでしょう」


 現状、《竜》の姿を映像越しにでも確認したことがあるものは、丹藤と石塚と芝の三人だけだ。さすがにこれでは、他支部に応援要員を出しても説得力に著しく欠ける。竜の危険性は高く設定されてはいても、影も形も消えた上に証拠となる映像データすらないとあっては、最悪だと幻覚扱いされかねない。東京から万城目椿を引っ張ってこられたのは、石塚の個人的人脈のおかげだ。その石塚が返す。


「この情報提供者……データを消して回ってる奴と同一人物だと思うか、丹藤さんよ」

「恐らく。どうして自分の手で《鬼爪》を始末しないのかはわかりかねますが」


 データを消した主犯と情報提供者が緋桜式であることを、丹藤たちには知る由もない。訝しみながらも、今、しなければならないことをするしかないのだ。石塚がもう一度、両拳を当てて音を出す。


「この事件を終わらせる方が先だ。抜かるなよ」

「当然だね」


 丹藤が応じ、万城目も芝も頷く。バンが到着したのは、既に閉鎖されてから時間が経っていると、容易に知れる倉庫だった。全員が停止したバンの中で広げられた見取り図を見る。


 九郎が式から受け取ったものと同じだ。丹藤と石塚は頷き合い、まだ経験の浅い芝はごくりと唾をのみ、万城目は黙って瞑目した。


『『『!?』』』


 途端、国産バンを大気ごと揺るがす、凄まじい振動が生じる。振動の発生源は工場。なにが起きたかはわからず、尋常ならざる事態が起きたことだけは確か。協議会のメンバーは全員がバンから飛び降りた。


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