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プロローグ 《竜玉》 ~十八~

 九郎愛用の自転車は、実は式から借りているものだ。叔父家族は叔父と妻と娘二人とあって、九郎に合う自転車がなかった。購入を提案された九郎は、世話になりっぱなしになるのが心苦しいので断ったのだ。


 となると、必然的に式の力を借りることになるのだが、この点については後ろめたさや心苦しさを感じることはなかった。


 借りている自転車に乗った九郎が到着したのは、常城市内に本社を登記していた建築会社が所有していた倉庫だ。この建築会社は最近になって倒産している。元々、公共事業への依存度が高く、不景気で公共事業が減る中で起死回生をかけて進出した別事業が盛大にこけて、十億を超える負債を出して倒産したらしい。


 豊かな財源を持つ常城市は、日本の自治体としては非常に珍しく、昭和の時代からコスト意識が異常に強いことで知られていた。


 俗にいうバブルの遺産というものにも縁がなく、昭和が終わって以後にはアドバイザーとしてコストカッターの異名をとる外国人企業経営者を迎えたこともあって、公共事業の削減と集中と選択と競争と監視を徹底したほどだ。工事業の下請け、孫請けで生き延びていたような企業は軒並み淘汰され、この倉庫の持ち主のように倒産した建築関係の会社は多い。


 式に頼んで周辺の建物の詳細を送ってもらった九郎だが、情報の中には余計なものも多く入っていた。情報の取捨選択は自分でしろということだろうか。


 この倉庫を所有していた会社は生き延びるためにリストラを断行し、リストラを担当させられた人事担当者は最後には自らも退職。それでも業績は回復せず、経営者は慣れない観光事業などに乗り出すも、こちらも失敗、遂には倒産したとのことだ。


 負債総額は十億を超え、経営者家族の消息は不明らしいが、このあたりの情報は九郎には関係がない。必要なのは倉庫に入るために注意しなければならないこと、つまりは監視体制だ。


 この倉庫、どうやらまだ中が整理されていないらしい。人の出入りはなく、監視カメラはあるが旧式で死角も多い。犯人の三山が偶然見つけたのかどうかは知らないが、隠れ家としてはそれなりに優秀な部類と言える。


 九郎はスマホに視線を落とす。画面には式から送られてきた倉庫の見取り図がある。カメラの位置、窓やドアの確認。自分の足で、実際のカメラの状況なども把握した。資金がないのか、注意力が足りていないのか、新しく設置されているカメラやセンサーの類はない。


 ゴクリ。


 ふぅ。


 九郎は緊張と共に唾を飲み込み、知らず息を吐き出す。いつの間にか、右手には刀身がうっすらと金色に輝くナイフが握られていた。


 侵入自体は難しいものではない。警備員がいるはずもなく、式と付き合っているうちに、監視カメラの死角を見つけるのはやたらと上手くなっていたことも関係していた。


 雑多に置かれたままになっている工具や箱に隠れて徐々に接近する。ものの数分で、九郎は三山を見つけ出した。


「っっ」


 遠目にもわかるにやけた顔に、血液が沸騰しかける。激情を、ナイフを握りしめる力に変換し続けることで、辛うじて飛び出すことを自制した。九郎自身は気付いていない。胸元の石が赤く輝いていたことを。もう少しだけ近付く。あと一歩だけ近付く。せめてもう数ミリでいいから。


 ジャリ。


「!」


 足元から予期せぬ音が響く。三山の首が、にやけた表情のまま、グルリと動いた。





「っ~~~ぁあ……ふぅ」


 三山秀介の精神はかつてない満足に包まれている。たとえ、自分の嫌いな肉体作業に従事していようと、あの一瞬――この鋭い爪を他人の頭目掛けて振り下ろし、飛び散る血や脳漿を確認した瞬間――を思い出すと、射精をも凌ぐ恍惚に包まれるのだ。


 命を奪う瞬間だけではない。奪うまでの過程も極めて重要だ。


 腕力で自分をイジメていた奴を、それ以上の力で殴り倒し連れ去る。今までやられてきた――と信じている――こととまったく同じことをやり返す。相手が泣き喚こうが命乞いをしようが構わずにいたぶり続け、助命を条件に友人や仲間を売るように仕向ける。微かな希望に縋りついて友人たちを売り渡した相手が、安堵の表情を浮かべると同時に殴りつけて心を砕く。


 その上でとびっきり残酷に殺すのだ。自分を虐げてきた相手を、手も足も出ないような力で踏み躙ることの何と心地良いことか。成果を残しておきたくて録画しておいたが、録画を見直すたびに己の全能感に酔いしれる。


 俺はこんなに凄いことをしたんだぞ、圧倒的な力を持っているんだぞ、と他人にも知らしめたくて殺人動画を投稿する。と、コメント欄は肯定と称賛に溢れた。振り回す力に酔いしれるだけではなく、承認欲求までもが強烈に満たされ、三山の人生は初めて充実したのだ。


 初めて動画を上げたときのたどたどしい動きが遠い昔話のように、次の動画をネットに上げる準備も手慣れたもので、思わず飛び出た鼻歌に自分で驚く。


 しかし、と三山は考える。このままでは先がない。動画再生回数は大台こそ維持しているものの、頭打ちの感は否めなくなっている。高評価を得てはいるが、より過激でインパクトの強い次回作を求める声が強く、声に応えるために色々と試行錯誤する必要がある。


 返す返すも、路地裏で殺してしまった女子のことが残念でならない。見た目もきれいな未成年。制服を着せたまま、という条件を付けくわえたなら、更に上を狙えただろうに。あんなに簡単に、あっさり殺してしまっては数字など取れるはずがない。


 せっかく狙ってやったのに、無意味に死にやがって。


 だが過ぎたことを悔いても仕方がない。あの女子のことは教訓として捉えようじゃないか。次はもっと慎重に、注意深く獲物を狙うための勉強だったと思うことにしよう。そうしてより評価の高い動画を提供することができれば、あの女の死にも多少の価値が出る。


 さて、より多くの評価と称賛を得るため、次はどうしようか。


 ジャリ。


「!?」


 甘美な未来に思いを馳せていた三山の耳に音が飛び込んできた。ノラ猫かネズミの類だろうか。だったら問題はない。これまでにもあったことだし、捕まえた猫を殺して動画に上げたこともある。しかし今となっては、動物を殺す程度の動画では数字を採れない。


 一瞬で興味を失い、だが次の瞬間には危機管理意識に基づいて、一応、確認だけでもしておこうと判断した。


 警察ドラマの鑑識ほど徹底的にするつもりはなく、少しだけ外を確認する程度のつもりだったが、結果として、三山の行動はいい方向に繋がる。


 音をした場所に向けて首を動かす。スッと隠れる影があった。自分を探しにきたとは限らない。しかしこの場を目撃された以上、単なる通りすがりとして無視するわけにいかないことも明らかだ。やっていることがばれたとは思わなくとも、倒産して使われなくなった倉庫に出入りしていることのほうがばれたのかもしれない。


「クソ、最悪だ!」


 いたぶられて殺されることに比べて、この程度のことのなにが最悪なのか。子供がよく口にするように、それがなんであれ最悪だの最低だのと口にしているだけだろうが、だが三山にとってこれは、早急に対応しなければならない事態だった。


 持ち主や権利者、もしくは警察にでも通報されると今後の活動――詰みになるとは微塵も考えない――をし難くなる。


 影の正体はなんだ? なにがここに入ってきた? 動物だなんてつまらないオチは勘弁。叶うなら人間であってくれ。人間なら、新たな動画の素材に使うことができるから。


「おい、出てこい!」


 足元にあったバケツを乱暴に蹴り飛ばす。《鬼爪》を手に入れてから覚えた煙草の吸殻が飛び散る。


 影が移動した。小動物よりは大きく、しかし大人よりも小さい影が一つ。三山は素早く入り口と、次いで裏口の位置を確認した。体と首を合わせて三六〇度以上の回転を披露していた三山の口に、三日月形の笑みが張り付く。


「今の、子供か? はは、なんだよ、最高の素材じゃねえかよ」


 最悪? 冗談じゃない。最高だ。子供を拷問にかけた上での殺害動画ともなれば、数字が跳ね上がることは間違いない。


 右手五本の指にある巨大な爪をガチャガチャと鳴らす。次の得物の臓物はどんな色をしているのだろう。そんな夢想をしていると、突っ込んできた小さな影に反応するのが遅れた。


 三山の腹部に灼熱が生まれる。


 刺された。


 三山の甘美な夢は、鋭く激しい痛みと共に消え失せた。


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