プロローグ 《竜玉》 ~十七~
式から送られてきた情報は、質量共に九郎を驚かせた。警察よりも早いんじゃないのか、と。
相手が違法に活動していても、法執行機関が法を破って捜査するわけにはいかない。暴力で締め上げて得た証拠は証拠たりえず、公判を維持できないなどの理由があるからだ。式はその点が違う。法の裁きなど必要としておらず、必要なことに対しては、必要な分の資産を投入できる。合法非合法かかわらず。
秘蹟協議会は、程度の差こそあれ各国の警察組織と協力関係にあって、ここ常城市においても情報共有の体制が整備されてはいる。だが衛士候補生に過ぎない九郎はまだ、警察の組織力や実行力を知らない。だから九郎の持つ警察に関する知識は、ドラマや小説といったフィクションの世界のものが中心になる。
それでも、フィクションであっても、これほどまでに早い情報収集はないだろう。むしろコンピューターの天才たちが活躍するようなドラマにあるような演出ではないか。
式はアナログ人間ではないにしろ、魔法使いと称されるような凄腕ハッカーなどではない。にもかかわらず、緋桜式が送ってきた情報の質と量に、心底から頼もしさを覚えた。これが九郎以外の人間なら、頼もしさと同時に恐ろしさも感じたに違いない。
三山秀介。常城市内の高校に通う二年生。イジメに遭ったことから一年の二学期からほとんど登校しておらず、今年が二度目の二年生だ。このままだと遠からず退学の道を選ぶものと思われた。
MMORPGやアイドル動画にハマっていたが、ここ最近は凄惨な殺害事件を扱うサイトをよく閲覧している。生き物の解剖や、アングラで出回っている殺人動画へのアクセスも多い。
九郎は眉をしかめ、式から送られてきたアドレスにアクセスしてサイトを表示する。ネット社会との接点に乏しい九郎には、どんなサイトなのか想像もつかない。つかないなりに、いい予感はまったくしなかった。
「これは……」
式からの情報によると、最近の地下で少し評判になっているサイトとのことだ。
どうやって惨たらしく生き物を殺すのかを中継する胸糞悪いサイトで、当初は小動物が中心だったが、最近では殺人動画も投稿されているという。
無数の動画にはそれぞれ、気取ったというか趣向を凝らしたというか、あるいは単純なネーミングのタイトルがつけられて並んでいる。人気順や投稿順に並び替えることが可能になっていて、中にはシリーズものもあった。
うち一つが式から示された動画だ。ライブも行われているようだが、これは録画だ。
画面の中では日本人の学生と思しき男子が嬲り殺しにされている映像が流されている。涙と涎と鼻水、鼻や耳からの出血が男子の顔の半分以上を赤く汚し、最初は大声の、徐々に弱々しくなっていく悲鳴と命乞いをたっぷりと放送してから殺される場面へと繋がっていく。
こうしている今も動画再生回数は増え続け、しかも肯定的なコメントで溢れている。
九郎は反吐が出そうな気分になった。投稿した犯人にも、こんなものを視聴して評価している連中に対しても、凄まじい怒りを覚える。
対して式には驚きと感心、頼もしさと感謝を覚えた。式の情報網はリアルとネット、双方に広がっている。警察内部の人間も抱え込み、凄腕とされるプログラマーを多数抱えている他、市井の市民までを同意の上、あるいは、そうとは知られることなく、効率的に情報収集に参加させる。
得られる情報の質は合法非合法問わず非常に高く、且つ迅速。形式上は第一常城興産=緋桜和真が持つ情報網であり、実際は式が作り上げ運用している。まだまだ規模は小さいが、常城市内に限るなら、式から隠し通せる秘密はないだろうと九郎は考えていた。
しかも情報というものの価値をよく知っていて、得た情報を隠し持つことも、必要なときに必要な量を流すことも当然のように行う。本当に小学生のすることかと呆れる。
この動画で殺されているのは風間旭。市内の高校に通う二年生、学業成績はさほど優秀ではないが、所属しているサッカー部で最近になってレギュラーの座を射止めたようだ。好きな女子がいて、レギュラーになったことで近々告白も考えていたらしいとの情報が追加で入ってきた。
こんな動画を見せてどういうつもりなのか。九郎は微かに首を傾げる。殺人事件の捜査は警察の仕事だ。たしかに残忍な事件だと思うし、許せない類のものではある。けれど今の九郎にとって重要なのは、新堂美晴を殺した犯人を捕らえる、または殺すことであって、殺人動画の被害者の無念を晴らすことではない。
そんなことは式もよく知っているだろうから、と画像をよく見る。頭の中に浮かぶ式に促されて九郎が画面をのぞき込む。一度ではよくわからず、二度三度と繰り返し、風間旭殺害動画を観察する。
三度目の後半、風間旭の頭が潰される場面。画像が荒く判別しづらいが、影が画面の奥に映り込んでいた。濃淡などの画質を操作し、浮かび上がってきたのは巨大な爪の影だ。
「……これが《鬼爪》か」
応仁の乱の前後に作成されたもので、明治の文明開化の際に他の刀剣類と一緒に海外に流出。国内に戻ってきたルートについては不明のまま。
大事なのは、日本に舞い戻ってきた《鬼爪》を購入した人間と、この動画の投稿者が同一人物だということだ。
手元には三山の中学卒業時の写真データと、二週間前にコンビニを利用していた際の監視カメラの映像データがある。髪型は過去と現在でほぼ変化なし、体形は身長が高くなっている以外は大差ない。
特筆すべきは目だ。カメラ越しでもそうとわかるほど、目付きだけが陰惨になっている。
「こいつが、犯人、か」
動画を何度も繰り返し確認する。身長、体型、髪型、髪の色、爪の形、衣類の種類、靴の色の剥げ具合。細大漏らさず覚えて、必ず報いを受けさせてやる。
「うん?」
九郎の目が画像の一点で留まる。目を凝らしてもなんなのかよくわからず、画像処理を行って初めて鮮明化された。画像処理プログラムは最初からスマホに入っていた。
「これは、ソラリスタワーか!」
果たしてそこに映っていたのは、常城市のランドマークであるソラリスタワーだった。近年、世界一の高さ、という文言こそ譲りはしたものの、今も尚アジア圏でもっとも高い建築物であり、多数の観光客を引き寄せている。
九郎の指の動きは滑らかだ。画面上に映し出されたのは常城市の全域マップ。この角度でソラリスタワーが映る場所はどこか。
九郎の脳は高速で回転する。
どこだ。どこだ。どこだ。
手掛かりを見つけて沸騰した頭が冷える、なんてステップは踏まない。
殺人鬼相手に小学生になにができる。脳内で囀る理性的な主張を投げ捨てた。
冷静になって警察に連絡しろ。常識的で当たり前の判断などくそくらえ。
「……ここか」
自分単独で乗り込んで犯人を始末できる可能性が決して高くないことは理解している。返り討ちに遭う可能性も考えていないわけではない。取り逃がしてしまえば、更なる犠牲者が出るような最悪のことだってありうる。警察に通報することが正解だ。
いや、もっとも正しいのは秘蹟協議会への協力だろう。
深く理解して尚、九郎はポケットにしまい込んだままになっているナイフを握ることを選んだ。




