表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/51

プロローグ 《竜玉》 ~十~

「っう!」


 強烈な、そして複数の痛みを感じて九郎は目を覚ました。


 普通なら最初に視界に飛び込んでくるものは天井の類だろうが、九郎は違った。己の体を隅々まで覆いつくす包帯だ。白い包帯と、出血や体液が滲んで汚れのある包帯。左前腕には留置針による点滴のルートが繋がれていて、九郎は思わず引き抜いてしまった。針を失った刺入部から血液が逆流し、真っ白いシーツの上に落ちて染みを作る。


 零れた自分の血液を見て、九郎は初めて疑問を持った。


「……どこだ、ここ?」


 疑問が声になる。周囲に視線を送る、が視覚情報よりも先に全身を走る痛覚情報が、九郎の意識をよりはっきりさせた。鋭く強い痛みに耐えるため、九郎の両目は閉じられる。短く荒い息が立て続けに数度、九郎の口から漏れた。


 痛みに耐えながらうっすらと開いた視界には、見覚えのない床や天井、窓に椅子などが置かれている。見覚えがなくとも、九郎にはここがどこだかわかった。病院だ。両親を失った直後に入院していた病院と、内装や匂いがよく似ている。だがここが病院だとして、どうしてこんなところにいるのか。


 未だ意識にかかる濃い靄を、頭を振って追い出す。九郎の脳裏を掠めたのは、巨大な爪の男と、地面に倒れていた新堂美晴の姿だ。


「――――っ」


 飛び起きる。布団を撥ね飛ばし、ベッドから降り、足に力が入らずにそのまま転倒してしまう。


 九郎自身はそうは思わなかったが、第三者からすれば転倒による音はかなり大きかったようで、看護師が「どうしました!」と大慌てでドアを開けた。


 意識を取り戻したこと、点滴の自己抜針とそれに続く転倒だ。病室は一瞬で騒々しくなり、静かになるにはたっぷり十分ほどの時間を要した。立腹交じりに安静臥床を指示されたとあっては、九郎も頷く他ない。刺し直しになった点滴の滴下を眺めながら、思い浮かぶ疑問を数える。


 新堂美晴がどうなったのか、あの黒い男は誰だったのか、今日は何日なのか。誰かに事情なり状況なりを説明してほしかったが、どうやら九郎の願いは聞き届けられそうになかった。


 九郎には外傷があり、処置も施されている。意識も回復し、再出血もなく、疎通も問題なく図れているとあれば、病院側としても重要度が低下するのが当然だ。他の職員が部屋に入ってくることもなく、九郎は完全に時間を持て余すようになってしまった。


 携帯電話でもあれば式に連絡を取るところなのに、今の九郎の手元にある電子機器といえば備え付けのテレビのリモコンか、電動ベッドのリモコンぐらいだ。安静を申し付けられた影響か、中々鮮明になってこない記憶がもどかしい。


 ――――まだ意識を取り戻したばかりなんですよ。それに子供なのに。

 ――――そのあたりのことはよく承知しております。しかし事件解決のためには、一刻も早く話を聞く必要があるんです。


 病室の外から複数の男女の話し声が聞こえてきた。内容からして、女の声は医療従事者で男は捜査関係者といったところだろうか。少しだけだから、と男たちが女を押し切り、病室のドアがノックされた。


 礼儀知らずなのか、九郎の返事を待つことなくスライドドアが開かれる。立っていたのはスーツ姿の中年男性と青年男性。


「ああ、君が綾瀬九郎君だね? 私は丹藤、こっちは柳本。常城市警のものなんだが、今、少しいいかな?」


 見せられた警察手帳と口調からは、問いかけの形でありながら、拒否を許さないという強い意志を九郎は感じ取った。穏やかな笑みと確固たる意志を宿す瞳。九郎を子供ではなく、重要な情報を持っている対象として捉えている。


 丹藤と名乗った男はドアが閉まるのを確認してから、病室に備え付けの椅子に腰掛けた。柳本のほうは、丹藤の後ろで腕を組んで立ったままだ。九郎に圧力でもかけようとしているのだろうか。


「急ですまんが、こちらも仕事でね。意識が戻ったばかりだと聞いたのだけど、どうかね。いくつか、おじさんの質問に答えてくれんだろうか?」


 事件解決のために協力を、といったやつか。九郎としては、素直に信用する気にはなれないでいた。二年を経ても両親の事件を解決できない警察だ。信用以前の問題、ではあっても九郎の側も状況を知りたいという考えがある。


「俺にもわからないことだらけなんですけど」

「いやいや、それで結構ですよ。それでは、まず」


 丹藤の目が細められ、懐からピルケースが取り出された。


 ピルケースの蓋には小さな宝石が埋め込まれている。丹藤のような男には似つかわしくない、透き通った緑色の石だ。エメラルドなのか、単にベリル系統の石なのか、九郎には区別がつかない。式ならば、一目見ただけで石の種類や相場、産出国に、使用されている販売ルートすらも看破するだろうが。


「昨日のこと、覚えてる範囲で教えてもらえるかい」

「昨日の……?」

「ええ、君が昨日、路地裏で見たこと、起きたことを、です。覚えていますか?」


 路地裏。


 この単語が石となって九郎の記憶の池に投げ込まれ、池の底に到達した石が沈殿した記憶を浮き上がらせる。


 最初に耳に飛び込んできたのは、男たちの叫び声だった。普段なら近付かない。だが明らかに尋常でない声の質に、少しだけ確かめようと思ってしまったのだ。逃げやすくなるかも、と考えて自転車を押しながら路地裏の奥へ、声が聞こえてきた方向に歩く。


 視界に飛び込んできたのは、飛び散る血と肉片と内臓。恐怖と絶望に限界まで目と口を開きながら絶命している男たち。


 未成年の九郎にはあまりにも凄惨で、衝撃的だ。


 常識外れの惨劇に、九郎の神経という神経が仕事を放棄する。叫び声を上げることも、それ以上動くこともできず、瞬きすらできずに立ち竦むことしかできない。九郎の五体が動きを取り戻したのは、暗闇の中に見知った顔を見つけたときだ。


 新堂美晴。


 彼女の存在を見つけるとほぼ同時、九郎の肉体は思考というプロセスをすっ飛ばして動いていた。自転車に跨り、全力で漕ぎ出し、相手にぶつかる。自分がしたことを九郎が把握したのは、美晴が小さな声を漏らしたときだ。


 しかし次の瞬間には九郎の記憶は飛ぶ。強い衝撃に襲われてから先は、相手とのやり取りも含めてロクに覚えていない。辛うじて記憶にあるのは、暗闇の中でも薄く光を反射していた巨大な爪のことだけだ。


 そこから先の記憶は乏しく、あっても途切れ途切れになっている。なによりも、あまりにも非現実的だ。巨大な爪はもとより、動き出した死体たちも、更には竜に変じた自分自身も。だから、九郎が口にしたのは、巨大な爪の人物がいたことまでだった。


 九郎は、そこまでしか覚えていない、と口にした。自分の頭の中にある記憶が、本当のことであるとの確信がなかったからだ。


 暴力の加害者と被害者がいる。これだけならまだ、腹立たしくはあってもありふれた日常だ。しかし巻き起こされていた事態は、日常からは程遠い。ゾンビと竜の出現を除いても、あれだけの虐殺の現場である。第三者に「それは夢だ」と言われたなら、喜んで飛びつくだろう。


「でもあれは」

「夢、だとでも?」


 病衣に包まれた九郎を、丹藤の険しい瞳が射抜く。


 丹藤の眼光は、荒事に揉まれ続けてきた人間が持つ、攻撃性と冷徹さを高い次元で併せ持ったものだ。一般人はおろか、それなりに場数を潜ってきた人間でも震えを覚えずにはいられないだろう眼光を、九郎は目を逸らさずに受け止める。大した胆力だ、と後ろに立つ柳本が感心したほどだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ