硝子工房
それからの一週間、リックは毎日製鉄場に通い、ふいごを踏んだ。
ふいごに足をかける前に水と塩を十分に取り、自分の体重を上手く使うことで効率よく風を送れることを掴んだ。
熱さと疲労で初日は二回しか踏めず、昼食は水しか喉を通らなかったが、この一週間でもう一度多くこなせるまでには慣れてきていた。
製鉄という仕事こそ自分のするべきことなんじゃないか。
ここでの仕事を通してリックはそう思い始めていた。汗が枯れるほど、塩が肌に浮かぶほど体力的には厳しい仕事だったが、さらさらと流れる砂でしかなかったものが熱を加えられることで形を持ち、打たれることで硬さと鋭さを身につけていく。
存在も記憶も不確かなこの世界であって、形あるものを生み出していく。そんな製鉄の仕事にリックは小さくない意義を感じはじめていた。
製錬は一度始めると火を落とすことも弱めることも出来ないため、昼夜を通して常に誰かが踏んでいる。そのため全員が一緒に休憩を取ることはなく、食事も各自で済ませることになっており、この日、リックは午前中にふいごを二回踏むと昼食をとった。
外の木陰で涼みながら、チーズとトマトと自分の塩の利いたサンドイッチを黙々と口に運ぶ。
夏の熱さと競うように、あぶら蝉が声を張り上げている。鳴き声を聴きながらぼんやりと食べていると、あの橙色の玉が向かいの建物の中に浮かんで見えた。その玉は先日と同じように揺れることも散らつく静かに宙に浮かぶと、突然落ちて窓下に消えていった。
何だろう。この日も気にはなっていたけれど、午後のためにしっかりと休んでいようと、リックは食事を終えても木陰に座ったまま、玉の浮かんでいた窓をぼんやりと眺めていた。
どうしてだろう。自分でも分からなかったがリックは立ち上がると、夏の夜、松明の明かりに虫が吸い寄せられるようにその窓へと近づいていった。
窓の縁に手をかける。中をのぞくと男が細い筒を両手で持ち、その筒を回しながら息を吹き込んでいるのが見えた。筒の先には橙色の玉が筒とともに回り、息が吹き込まれるにつれて少しずつ均等に膨らんでいった。
男はひと呼吸ごとに見極めながら、慎重に空気を送ると紙束の上で転がし木板で押さえ形を整えていった。紙束は水を含んでいるのか玉が転がる度に湯気を上げ、木板には焦げ跡が残った。
何度か繰り返していくうちに橙色は次第に薄らぎ、無色へと近づいていった。男は息と紙束でその玉を完璧な半円にすると、床に置いた車輪に先端を押しつけて波状に曲げ、木板で外側に広げた。
そこまでの作業が終わると男は玉に空気を送る時以外、呼吸を止めていたのではないかと思うほど深く息をついた。額の汗を拭い顔を上げると、窓の外から見ていたリックに気がついた。
男の顔は無精髭が目立っていたけれど、そんな無精髭が似合わない澄んだ目をしていた。突然目が合ったことにリックは慌てはしたけれど、その男の目を見ていると不思議と落ちついていった。部屋を見わたしながらリックは訊ねた。
「あの、ここは」
「見ての通りの工房だ、硝子のな」
「硝子」
今までこの男ひとりに気を取られていたが目を向けると、部屋の奥では他に二人の男が筒を手に同じように作業をしていた。部屋の真中には炉が置かれ、彼らは筒を中に入れると橙色の玉を絡めとり、息を吹き込んでは膨らませていった。色々な型や鉄棒や秤が部屋のあちこちに置かれていた。
「ところでお前、誰だ。見たことねえだろ」
「いえ、僕はそこの製鉄場で働いてて、外で休んでいたら何か光ってる物が見えて、なんだろうと思って」
「バルバドスのところか。あのおっさん煩いだろ、いろいろとよ。ヒゲは毎日剃れだとか食器は食い終わったらすぐ洗えとか」
リックは否定しようとしたけれど男は決まっているとばかりに、リックの返事を待つことなく話しを続けた。
「まあいいや。とにかく回ってこい」
意味が分からずにリックがそのまま立ち尽くしていると、男は急かすように付け加えた。
「一回表に回らないと入れないんだ、ここは」
「けど、そろそろ戻らないと」
「バルのところは十分に人がいるから一人くらいこっちに来ても問題ねえよ。ったく、なんであいつの所ばかり人が集まるんだ。おかげでこっちは毎日朝から晩まで回しぱなしだってのに」
男がひとり言のように呟く。いくら断っても聞きそうになく、リックは諦めて男が指差した方に足を向けた。
右手に回りくぐり戸をぬけ、建物に沿って歩くと表に出た。扉は製鉄場のように大きく開けており、外から中の様子が窺えた。
その部屋では先ほど窓から見えた二人の男が、筒に息を送り、橙色の玉を膨らませては形を整えていた。リックはその横を通りすぎながら邪魔にならないよう、小さく会釈をした。
ひとりが丁度ひとつ作り終えたらしく筒を窯に置くと、気の毒に、そう言っているような苦笑いをリックに返した。
「よく見てろよ」
男は三本の指で筒を一回転させると、炉から橙色の液体を絡めとり息を吹き込んだ。
ひと呼吸ごとに筒を縦に、目に近づけては膨らみ具合を確認する。筒の先の玉は静かに、それでも少しずつ空気に押されて広がっていく。
何度か繰り返し玉が十分に膨らんだことを確認すると、今度は床に置かれた黒い小壷に玉をさした。ゆっくりながらも一息で広げられた玉は、壷から引き抜かれると縦に長い円柱の形になっていた。壷の底に触れた部分が押し付けられたように平たくなっている。その平たい面に木板をあて形を整えると、まだかろうじて玉が色を残している内に窯に置いた。そこまでの作業を終えると、男はリックが外から見ていた時と同じように大きくひとつ息をついた。
「やってみろ」
男は壁に立て掛けてあった筒を手に取るとリックに渡した。戸惑うリックの気持ちを見透かすように男は言った。
「最初から上手く出来るなんて期待してねえから心配すんな。まあ、火傷には気をつけろよ。手に穴が開くくらい熱いから」
どうしたらいいのか分からず、それでも男の言葉に少しむっとしながら、リックは見よう見まねで炉に筒を入れた。熱せられて溶けた硝子は製鉄場の鉄ほどではないがとろりとゆるく、適量を取るのにさえ何度もやり直さなければならなかった。
なんとか多くも少なくもない量を絡めとっても、口に筒をつけるとその先で硝子種が蜜のように垂れ落ちそうになり、リックは慌てて筒を回しては硝子を絡めとった。口をつけては先で落ちそうになる筒を持ち直し、回し絡めては口をつける。
何度やっても上手くいかなくてそれを繰り返しているだけで、リックが息を吹き込むよりも先に種は冷えて固まってしまった。
「な、難しいだろ」
嬉々とした表情を浮かべて、男は色を失った硝子を炉に戻す。
「難しいんだよ、硝子作るのは。どろどろに溶けた硝子回して息吹いて、落としたらすぐに割れるのにこんなに薄く広げてな。刃物なんてはじめから硬い鉄を打ってさらに硬くしてるだけじゃねえか。それなのにあいつは硝子なんか軟弱だとか言って」
そんな愚痴をこぼしている間に、男はリックが冷やし固めてしまった硝子を再び火にあてて溶かすと息を吹き込み、すぐさま先ほどと同じ物を作り上げた。
リックがふと横を向くと、この部屋の向かいにまた別の部屋が見えた。扉は外されており、中では三人の男が別の作業に取り組んでいた。
透明な液体に浮かんだ四角い枠に、先ほどの硝子種よりも僅かに薄い色をしたものを流し入れている。それが冷えて出来上がったものだろう。同じ大きさの枠に固まった硝子が三枚、その横の網棚に置かれていた。四角い枠に収められた硝子を見ていると、リックは町場で目にした窓一面の硝子絵を思い出した。この町に初めて来た日、薄らと夕色をおびた陽の光を受けて町場の広間を満たしていたあの色絵硝子を。
「あの、ここでは絵になっている硝子は作っていないんですか、町場の窓に飾られているような」
「色絵硝子のことか」
となりの部屋の作業に釘付けになったまま、リックは深く頷いた。
「あれは神献品だからな。年に一度、夏の祭りの時にだけ作ることが許されているんだ」
男の位置からはリックの後ろ姿しか見えない。それでもリックの心がいくらか沈んでしまったことが男には十分に分かった。男はひとつ息をつくと、棚に置かれていた硝子細工を手に取った。
「ま、ランプの傘なら作るけどな」
男が手にした硝子細工には淡い赤色と緑の硝子が交互にはめられていた。
絵や複雑な模様が描かれていたわけではなかったが、色絵硝子の一区画を切り取ったようなその小さな傘は、小さくても間違いなく世界を色と光で彩る魔法の硝子だった。
「いくら神献品とはいえ、俺たちも年に一度作るだけじゃ上手くなりようがないからな。こういった硝子細工に色や模様を施すことで腕を磨いている。色絵硝子と全く同じってわけにはいかないが、 作り方に大きな違いがあるわけじゃないからな」
男はそれ以上言葉を続けなかった。リックがこの後どうするのか、傘を見つめるその目を見れば訊ねる必要はなかった。
リックは足早に家路につくと、夕食を囲みながら今日のことをコーザに話した。
「見つけたよ、多分」
「見つけたって何を?」
「仕事、かな」
「よかったじゃないか」
「コーザの言ってた通りだった。見た時に思ったんだ。これなんだって」
言い出しにくくてリックは夕食を口にしないまま、何度もスープをまぜている。
「それで製鉄場のことだけど」
「それなら心配すんな。鉄所は人手は足りているし親方には俺から伝えておくから。親方もリックが自分で選んだって聞いたら喜ぶはずさ」
「ありがとう」
安心してリックはまぜていた手を止めた。コーザが訊ねる。
「それで一体何をするんだ」
「製鉄場の近くにある硝子工房。町場の窓にあるような、あんな絵みたいに綺麗な硝子を作ってみたくてさ」
「硝子って、ジンさんのところか」
「どうかしたの?」
なにか問題があるのか、スープを口に運ぼうとしていたリックの手が急に止まる。スプーンの腹をつたい、ぽたぽたとスープが零れた。
「いや、別に大したことじゃないんだ。うちの親方とジンさんが犬猿っていうか、仲が良くないだけでさ」
リックも思い当たることがあるように、工房でのことを思い返す。
「そういえば工房でも色々言っていたけれど。何かあったの、あのふたり」
「昔の話だから俺も人から聞いただけなんだけど、うちの親方がこの町に来た後、次のノーマがジンさんだったらしくてさ、しばらくの間、一緒に暮らしていたらしんいんだ。今の俺とリックのようなもんだな。けどあの二人の性格って正反対だろ。親方は職人気質で何事にも真面目に取り組んで冗談が通じない人だけど、ジンさんは硝子作りは天才だけど生活のこととなるとぐうたらの塊という」
ぐうたら。そう聞いても筒を回し、硝子に空気を送るときのジンの表情からはそんな想像はできなかった。
「まあ、あのふたりの仲が良くないっていうだけで、鉄所と工房の人たちはよく一緒に酒飲んだりしてるからな。気にすることないさ」
どこか晴れない気持ちを抱えながら、リックはコーザの話しに頷いた。
ジンと親方の仲が良くないことは気にはなったが、明日から自分も色絵硝子のような誰かの心に響く硝子を作れるんだ。そう思うと期待が大きく膨らんで不安を押しのけていった。胸が高鳴り明日を待ち遠しく思いながら、リックは眠りについた。