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鉄所

 翌日からリックは町を巡り、様々な仕事を手伝って回った。

 

 鍬を振り上げ土を耕し、木々に登って実った果物をもいだ。干し草を運び寝藁を替え、牛の下に潜りこんでは乳を搾った。羊の毛を紡いで糸にし、その糸を花や果実の皮から作った染料で染めあげた。


 エーダのところでは野菜や果物を天日に干し、塩や甘酢で漬け込んで冬期のための保存食とした。 冬が来ると多くの野菜が収穫出来なくなってしまうらしい。寒さにやられてしまうものもあるし、雪に埋もれて掘り出せなくなってしまうものもあるとエーダは話す。


「今は信じられないだろうけどね、ここにも冬はくるんだよ。あたり一面真っ白に雪が積もって。壮観てのはあのことだね」


 はじめからある程度上手くできる仕事もあれば、そこにいるだけで邪魔にしかならなかった仕事もあった。仕事を通して多くの人と知り合い、交わす言葉が増えるにつれて町の暮らしにも慣れていった。重労働でも体を動かして働くことは気持ちよく、その後の食事はいっそう美味しく思えた。


「 自分が何をしたいのか町のために何ができるのか、じっくり考えてみるといいと思います」

 

 そうローレンスは話していた。けれど自分に何が出来るのか何をするべきなのか、リックには見当もつかなかった。


「俺の場合はこれだって思ったんだよ。最初に見た時に」

 

 夕食を頬張りながらコーザは言う。トマトを煮詰めたソースが口の回りについている。

 

「俺も最初は何をやっていいのか分からなくてさ、だから色々やってみたよ。力には自信があったから屋根に上って雨漏りを直したり、建物や道の舗装に使う石を四角に切って運んだりな。

 しばらくそういった仕事を手伝っていたんだけど、ある日、鍋を直してもらいに鉄所てつしょに行ってみたらちょうど親方が刀を打っている最中でさ、見た瞬間にこれだって思って、そのまま頼み込んで働かせてもらえることになったんだ」

 

 この町の南東には大きな製鉄場がある。

 

 この町で唯一の炉元ろもとであるその製鉄場は町に必要な鉄の製錬を一手に担い、鍬や鋤などの農耕具をはじめ、鍋や釘といった生活に欠かせないほとんど全ての鉄製品を製造しているとのことだ。


 コーザはそこで鉄を打ち鍛えて刃物にする鍛冶として働いている。


「試しに鉄所にも顔を出してみたらどうだ、親方には俺から言っておくからさ。案外似合うと思うぜ」


 一週間後、リックはコーザとともに製鉄場に向かった。製鉄場は広場から南東へ、煉瓦れんが屋を越えてその先の道が石畳から土のものへと変わるその手前にあった。

 町で使う全ての鉄の製錬をここで行っているだけあって、町のどの建物よりも広かった。

 

 火を絶やすことなく常に焚いているため釜のように熱く、放熱と換気のために入り口は大きく開けられていた。建物に入る前からその熱気が伝わってくる。数日前から鳴きはじめた蝉の声が耳にまとわりついて、建物から滲み出る熱をいっそう熱く苛立たしく思わせた。

 

 コーザは鍛冶として働いているがここに来てまだ半年、当然まだ見習いの身だ。だから実際に鉄を打つのではなく刀へと加工する前、砂鉄を製錬することが主な役割となる。

 

 場内に入ると、地面に備え付けられた煙突のような筒の頭から炎が燃え盛っていた。

 その両脇には汗でぐっしょりと濡れた男が二人ずつ。彼らは梁に吊るされた縄を両手で掴み、片足をふいごにかけて立つと交互に板を踏み込んでは筒の中に空気を送っていた。筒の中の炎は空気が送られるたびに勢いを増し、火山が噴火するかのごとく天井近くまで吹き上げていた。


 火にかけられた砂鉄は高温に熱せられて赤を超えて白く輝き、液状となって少しずつ流れ出てくる。黒く四角い型を手にコーザが説明する。


「筒の中で熱せられた砂と石が溶けて、この型の中で冷やされるんだ。刀なんかはもう一度火を入れて鉄の純度を高めるんだけどここまではどれも一緒で、このあと道具ごとに手を入れられて鍋や鍬や釘になるんだ」


 交代の時間となり、リックはコーザとともにふいごに足をかけた。

 正面に立つふたりが板を踏むと、リックの足元の板がせり上がり、その動きにあわせて押し返すように板を踏んだ。踏み板の下には空気が入っているだけなのに閉じ込められた空気は形をもったように硬く、流れる水のように重かった。

 

 それでも向かいの番子と踏み込みを合わせ、足の力ではなく自分の体重をしっかりと板に乗せることで少しずつその動きにも慣れていった。

 

 けれど、もう何度踏み込んだだろう。

 

 片足で階段を上り続けるような動作の繰り返しはすぐにリックの足を重くしていった。

 炉の真横での作業は火を浴びているように熱く、汗が止めどなく流れた。汗の溜まった関節には塩の白い筋が浮かび、口の周りは舐めると海の味がした。


 あまりの熱さに頭が眩み、どれくらいの時間こうしているのかも分からなくなった頃、やっと交代の声がかかった。

 

 リックとコーザは外に出て日陰に腰を下ろすと、水と塩を口にして失ったものを補給した。そよぐ風は心地よかったがそれが汗を乾かし、塩が浮かんで肌がひりひりと痛んだ。手袋をはめていたのに手のひらには赤く縄を握りしめた跡が残っていた。


 炉は火を落とすことなく休みなく踏まれているが、刃物を打つのは週に一日、多くても二日しかないらしい。鉄を用いる道具は数多くあれ、刃物はナイフや斧ぐらいしか日々の生活では必要なく、たとえ切れ味が鈍ったとしても研ぎさえすれば事足りるからだ。


「折角来るんだから、その方がいいだろ」


 コーザは親方が刃物を打つ日に合わせて、リックを製鉄場に呼んでくれていた。


 鍛冶場は製鉄場の一角にあった。これから打たれる銑鉄せんてつが台の上に置かれている。

 数日前に製錬された銑鉄は型の中で冷えて固まり、炉から流れ出た熱い鉄と同じものとは思えなかった。そこには熱を加えられた時の暴力的な白さと眩さはすでになく、みぞれが降り出す前の晩秋の空のような冷たい色の塊が、まるで怒られた小動物のように型の中でしゅんと収まっていた。

 

 親方は型から銑鉄を取り出すと火に焼べた。火にあてられた銑鉄は次第に熱をおびはじめ、温度の上昇とともに色を取り戻していった。

 乾いた灰色が紅く変わっていく。形を整えつつ、その鉄を鎚で叩いていく。打たれた瞬間、緋色の鉄は鼓動のように白く輝き、欠片が火花のように飛び散った。不純な鉄を叩き落とし、内部の空隙を潰していく。純度を高め、鉄をより硬くより強くする。途中、土を塗り藁灰をかけて蒸発させることで精度をさらに上げていく。


「この鉄では刃物本来がもつ鋭さは生まれない」

 

 逸らすことなく鉄に目を向けたまま、親方が話す。


「この製鉄場で町で使う全ての鉄の製錬を行っている。この町の鍋も刃物も元をたどれば同じ砂だ。鍋はそれで事足りるのかも知れないが刃を打つには純度が低く、どれだけ打ち込んでも十分な硬度を持つまでには至らない。以前は三日三晩、木炭で熱を入れ鉄の純度を高めていたんだがそれでは町に必要な量に到底足りず、今では神事で使う刀を打つ時だけ、その方法を使う」

 

 話しながらも一定の間隔で繰り返し、煉瓦のようだった鉄の固まりは薄く強く一振りごとにその姿を刃物へと近づけていった。


 最後に水を張った桶に浸し、急激に冷やして形を固定する。

 一瞬で沸点に達した水が跳ねるように沸き返る。


 しばらくして煮立った湯が落ち着くと、燃えるような緋色は鋭くも重い墨の色に変わっていた。


「だが手に入る鉄で限りなく最高のものを打つ。それが刀鍛冶の気概だ」


 その日、リックは二回、コーザは六回たたらを踏み、親方は三本の刃物を打った。


 空が夕焼けに染まり、建物の影が実物よりも少し長く伸びた頃、この日の仕事はやっと終わりを迎えた。

 

 リックがコーザたちとともに製鉄場を出ると、正面の建物に橙色をおびた玉が浮かんで見えた。その玉は炎のようにゆらゆらと揺れることも散らつくこともなく、静かに宙に浮かんでいたが、


「なんだろう?」


 そう思った瞬間、窓枠の外へと落ちて見えなくなった。気にはなったがそれが何だったのか調べるには、その日のリックは疲れ過ぎていた。

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