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町巡り

 翌朝、リックとコーザは日の出とともに目を覚ました。

 

 昨晩の食事の時、コーザは仕事に行くために朝早くに起きるけど朝飯は夕食の残りで済ますからゆっくり寝ていればいいと言ってくれたが、窓の隙間を縫うように入ってくるパンの良い匂いに眠っていられなくて、リックはベッドから出た。

 

 まだ開ききれていない眠気眼のまま、急階段を踏み外しそうになりながらもなんとか下りて外に出る。朝日の眩しさにリックは目を細めつつ、裏口からパン工房天秤座に入る。

 

 奥をのぞくと夫のカサノが白い粉が舞う中、生地を石台に叩きつけては引き伸ばし、引き延ばしては千切り、次から次へとパンの形に丸めていた。奥さんのチノは小さな体に不釣り合いな大きな木扇を手に、かまどから焼き上がったばかりのパンを取り出していた。


「おはよ。ちょうど焼き上がったところだよ」


 リックの立つ入り口からでもパンから白い湯気が立ち上っているのが見えたが、チノはそんな焼きたてのパンを弾くように素早くかごに放り込むとリックにわたした。柔らかな湯気がかごから立ち上り、その湯気を吸い込むだけで空っぽの腹が唸りを上げる。

 

 カサノとチノに礼を言い口に入れる瞬間を楽しみにリックが部屋に戻ると、コーザはすでに仕事着に着替え、温めたスープを皿によそっていた。パンは二種類。小麦の白いパンにはトウモロコシが、ライ麦でつくった歯ごたえのありそうな方には木の実が練り込まれていた。パンをふたつにちぎると目の前で湯気と小麦の匂いがぱっと広がった。気をつけないと火傷してしまいそうな熱くふんわりと膨らんだパンを口の中で転がし頬張る。匂い以上の甘さと香ばしさが口の中で膨らみ、鼻を通り抜けていく。トウモロコシや木の実が白い生地の間で宝石のように輝き、口に入れると小麦とはまた違った甘さが口いっぱいに広がった。


「じゃあ、俺はもう行くから」


 コーザはパンをひとつ食べ、スープ皿を両手にもって一息に飲み干すと、もうひとつを片手に足早に仕事場へと出かけた。ひとり部屋に残ったリックは朝食を終えてふたり分の洗濯をしてしまうと他にすることもなく、手持ちぶたさに窓辺に腰掛けた。机にこぼれたパン屑を集めて待っていたが昨日ついばみに来た小鳥たちはまだその姿を見せなかった。


「おはようございます」


 窓の下から声がしてリックは顔を向けた。

 藤棚から一歩出たところ、ナツは左手でひさしをつくり窓を見上げていた。


「今行きます」

 

 ナツの言葉を待たずに返事をすると、リックは一段飛ばしで階段を下り、走るように藤棚に回った。


「おはようございます。昨日は良く休めましたか」


 ナツは昨日と同じ、紺色の一枚布の服に身を包んでいた。額に髪留めはなく前髪は真っ直ぐに下ろされ、後ろは結ってひとつに束ねられている。袖がふた折りほど折られ、手には蔦を編み込んだ籠を下げている。


「こんなに早い時間に伺って申し訳ありません。ですが案内するにあたって今日はかなりの距離を歩くことになりますし、昼間は暑くなりそうなので早めに出発した方がいいと思いまして」


 リックも右手でひさしをつくり空を見上げる。太陽はまだ水平線から顔を出したばかりでこれから高く昇ろうと助走をつけている段階だったが、すでに焼ける音が聞こえてきそうな強い日射しを放っていた。


「いえ、もう起きてましたから大丈夫です」


「それを聞いて良かったです。それでは朝早いですが、早速出かけましょう」


 リックとナツは天秤座をあとにすると、北から西へ南から東へと町を巡り歩いた。

 それは町の案内というよりも挨拶回りと言った方が正しいかもしれない。日中、町の多くの人たちは家におらず外に働きに出ているため、町を案内されると町中の職場で働いている人たちと会うことになるからだ。

 

 ふたりが訪れるとどの職場でもいったん仕事の手を休め、わざわざ集まっては温かく歓迎してくれた。牧場ではその朝とれた一番のミルクを、農場では井戸に吊るし冷やしていた野菜を振る舞ってくれた。なかには星の動きを観測し研究している人もいて、屋上に置かれた望遠鏡が空に向けられていた。


「日中は太陽の光があるから望遠鏡で見ることは出来ないんだ。目が焼けてしまうからね。また夜に訪ねてくるといい。今の時期だと流星雲がはっきりと見られる」

 

 昨日は丘上の小屋から町場に寄り、その後、町の北側にある宿場へと向かった。丘から町までに距離があったからか緊張して気をまわす余裕がなかったからか、町自体にそれほどの広さを感じなかった。しかし今日は町の端から端までを歩き回り、入り組んだ路地を巡ったため、その広さを脚で感じることになった。朝一番に出かけたものの南西にある茶畑に着いた時には陽はすでに空高く、気温も太陽につられて上昇していた。


「疲れていませんか」


「いえ、大丈夫です」


 額に浮かぶ汗を拭いながらリックは答えた。


「午後も同じぐらいの距離を歩くことになります。しばらく休んでいきましょう」


 葉を大きく広げた樹の下で、ふたりは休憩をとった。

 腰を下ろすと、ナツは手に下げていた藁の籠を開けた。中には丸いパンがふたつにチーズとハム、それと下茹でしてある菜の花。ナツはナイフでさっとパンに切れ目を入れるとそれらを丁寧にはさみ、簡単な昼食を作ってくれた。

 

 ひとつをリックに渡すとナツは汗で纏わりつく髪を邪魔にならないよう、片方に流した。日射しが強い分木陰の風は心地よく、風は吹くたびに頭上の葉を揺らした。肌に触れる風とともに揺れる木々の音を聴いていると、火照った体が落ち着いていった。

 

 昼食を終えるとナツは立ち上がり、手慣れた様子で木になっていた橙色の実を切り取った。その実をふたつリックに渡すと、自分は小ぶりなものをひとつ口にした。皮を剥き口をつけると、酸味の強い果汁が流れ込んできた。

 

 心のどこかでナツのことをもっと深く知りたいという気持ちを、会話を続けなければいけないという都合の良い言い訳でごまかしてリックは訊ねた。


「ナツさんは町場で働いているんですか」


「はい。町役の手伝いが中心になります。今日のように新しく来た方に町を案内したり、色々な道具の数や状態を確認して製作を発注したりといったことが主な役割です。ですが、私自身の仕事は古書を読むことなんです」


「コショ?」


 コショという聞き慣れない言葉に音と意味ががつながらず、音だけをなぞってリックは訊ねた。


「はい。古書、古い本のことですね。昨日はお見せ出来ませんでしたが町場の地下は巨大な倉庫になっていて、そこには大量の古書が並べられているんです。まるで図書館のように。

 しかし、誰が何の目的であれだけの本を集めたのか、一体何が書かれているのか、今のところほとんど何も分かっていません。この町が、この世界がいつから存在しているのか明らかになっていないように、古書も気づいた時にはすでに町場の地下に収められていた、そう伝えられているだけです。

 その本の多くが町の誰もが読むことも見たこともない文字で書かれています。けれどどういうわけか、私にはその文字を読むことが出来るんです。どうして私だけに古書を読むことができるのか、どうして他の人たちにはできないのか、今のところ分かってはいませんが町の人たちが楽しめるよう訳すとともに、何かこの世界のことや町のことが分からないかと本を調べ、後のために文字と意味を記録しておく。それが私の役目なんです」

 

 そこまで話すとナツは立ち上がり、両手で後ろを三度払った。


「さあ、今日はまだまだ歩かなければなりません。暑いですが、そろそろ出発しましょう」

 

 

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