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ナツ


  来た時と同じ通路を戻り、広間の前に出る。コルテオの待つ広間に目を向けるとリックは息を呑んだ。目の前に広がる光景に圧倒された。

 

 昼間、外の光りを取り込んでいた窓硝子が、かすかに夕色に染まりはじめた太陽の傾きをうけて輝き、吹きぬけの広間を光と色の海で飲み込んでいた。

 

 硝子はそれ自体が光を発しているかのように眩く、陽の光を少しも遮ることも滞らせることなく真っ直ぐに通すと、無表情だった石畳の床を色鮮やかに染めていた。光りのなかを漂う塵や粒までが眩く、そこにある空気までが色づいていた。瞬きごとに光景が瞼に焼きついていく。胸を焦がしていく。それはどんな画家も描けない、本当に神秘的な光景だった。


「リック?」

 

 ふたつの影が立ち上がったことにも気がつかないほど、そんな幻のような情景に見とれていた。その影の主のコルテオと先ほどの少女が目の先まで来てはじめて気がつくと、言葉にならない思いを抱えたままま光りと色の海に心を染められたまま、リックは彼らとともに入り口へと向かった。


 薄暗かった建物から外に出る。一瞬、明るさに視界が真っ白に眩んだが、澄んだ外の空気を吸っていると少しずつその眩しさにも慣れていった。


「宿場までは、こちらのナツが案内します。コルテオ氏も本日はおつかれ様でした」

 ナツと呼ばれた先ほどの女性は、リックに向かって丁寧に頭を下げた。


「宿場まで案内させていただきます、ナツといいます」

 

 リックも合わせるように慌てて頭をさげた。その勢いを借りるようにしてナツが歩き始める前の最後の瞬間、リックはローレンスのとなりにちょこんと立つコルテオの方を向いた。


「あの、お世話になりました、いろいろと」


「なに、わしはなにもしとらんよ」


「また小屋に行ってもいいですか」


「サンと待っておるよ。マリ茶を用意しての」

 

 深い皺に埋もれてしまうほど目を細めて、コルテオは笑みを浮かべた。リックは込み上げて来るものを抑えると、コルテオとローレンスにもう一度頭を下げた。


「それでは参りましょう」


 町場を出ると、ふたりは丘や小屋を左手に見る方角、町の北側へと向かった。

 少し年上の女性と肩を並べて歩き、何か話さないとと思うが何を話せばいいのか分からずリックは何も言えないまま、ナツについて歩いた。

 

 目の端で気づかれないようナツの姿を捉える。一枚布の服の上からでも華奢なからだつきが見てとれ、紺色のスカートの裾がひらひらと揺れている。肩からこぼれた細い毛先は外側に向けてはね、横顔にかかる髪の隙間からは透き通った白い頬がのぞいて見える。その無垢な白さと柔らかさにリックは顔を赤らめて視線を外すけれど、気がつくとすぐにまた目の端でその姿を追っていた。


「宿場には」


「は、はい」

 

 ナツに見とれていたリックは突然話しかけられて、声を上ずらせながら答えた。

 クスッとナツの口元にこぼれる笑みを見ると話せないことへの気づまりのような緊張は和らいでいったけれど、それとはまた違う緊張が生まれてリックはさらに顔を赤くした。


「リックさんが当分の間暮らす宿場にはもうひとり男の子が暮らしています。正確な年齢は分かりませんが、リックさんとあまり変わらないのではと思うので良い友達になれると思いますよ」


「そうですか」

 

 ここで終わってはまた同じ沈黙に埋もれてしまうと思い、リックは急いで言葉をつないだ。


「宿場で暮らしているということは最近この町に来た人なんですか、その、僕みたいに」


「そうですね。その方が森を出たのは二つ前の季節、雪が静かに降りはじめた頃のことでした。この町ではあなたの次に新しい住人です」

 

 話しの内容よりも楽しそうに話しを続けるナツを見てリックはほっとした。その白く澄んだ頬に茜色がほんのりと射している。


「ちなみにその前が私です。七つ前の季節に。私が目覚めたのは葉が紅潮し、森が火のように紅く染まっていて、暖かな毛布か絨毯のように一面に降り積もった落ち葉の上でした」

 

 彼女は手を後ろで組み、リックの一歩先を歩く。懐かしむように空を見上げて。


 宿場までの道すがら、ナツはこの町のことを話してくれた。

 この町は町場のある広場を中心に円形に等しく広がり、十字の形に大通りが通っているそうだ。中心部は石造りの強固な建物が軒を連ね、その周りを住居が、さらにその外を農場や牧場が町を円く囲むように広がっている。

 

 だから丘を下り町場へ向かった時と同様、北にある宿場への道もはじめは細く入り組んだ小路に階を重ねた石造りの建物が並んでいたが、町を横切る川を越えたあたりから少しずつ広がりを見せはじめ、平屋の建物が多く見られるようになってきた。


 窓下や扉を鉢が色鮮やかに飾り、夕食の準備をしている家々が目についた。外側の建物が広く居住用として使われているのに対して、中心部にある強固な建物は工場や工房といった仕事場として使われていることが多く、前を通ると石を砕き鉄を打ち、木を削る音が休むことなく響いていた。

 

 ある建物の前を通りかかるとそこは木工場だったらしく、光沢を出すために上塗りを塗られた椅子が天井からつり下げられていた。おがくずと塗料の混じった匂いが路地に流れてくる。もしかしたら昔、コルテオはここで働いていたのかもしれないな。リックは工場の前を通りすぎながらそう思った。


「着きました。こちらです」

 

 ナツが足を止め、その建物をリックは見上げた。

 

 橋を渡り横道に入り、みかん畑を遠くに眺めながら緩やかな坂を上ると、煉瓦づくりの建物が立っていた。

 

 建物の右端には深緑色に塗られた格子戸があり、その扉の中央には天秤の絵が描かれた木札が鈴とともに下げられている。 屋根には四角い煙突が立ち、白い煙がゆっくりとそのまま雲になって流れていってしまうかのように静かに上っている。煙の後ろには離れのような木造の建物も見える。 どちらも二階建ての建物だったが煉瓦づくりの建物は四角く横に長く、後ろのものは縦長に尖った屋根をしている。大きさや材質の違いもあってそれぞれが全く異なる印象を与えていたけれど、少し離れたところから一緒に目にすると、二つの建物はまるで親子のように不思議と調和して見えた。


「こちらです」

 

 夕空にとけこんでいく白煙を見ていたリックはその声に視線を下ろした。

 ナツはその木札のかかった扉ではなく建物の左側へと回り、柵を開けて中へと入っていった。柵の向こう側はその建物の庭になっているようで、短く刈られた芝が青々としていた。ふたりはその横の石畳を歩いて奥へと向かった。

 

 石畳には椅子と机が置かれていた。上の藤棚には蔦が巻きつき、その先に紫色の莟をつけている。椅子の足下には白い小皿が置かれ、パン屑がいくつか残っている。煉瓦づくりの建物は裏にも戸があったが、


「この時間は皆さんまだ働いている時間ですから、挨拶はあとにしましょう」

 

 とナツは言い、ふたりはそのまま通り過ぎた。通り過ぎる時、かすかに香ばしい匂いがした。

 

 建物に沿って右へ回ると、後ろに見えた縦長の建物の前に出た。

 ナツは鍵を出すこともなく、そのまま手をかけると扉を開けた。ナツやコルテオが町の誰かと会うたびに言葉を交わしていたように、町の人たちは誰もが互いによく知っている間柄なのだろう。もしかしたらここには鍵なんて必要も存在もないのかもしれない

  

 扉の先は細く急な階段になっていた。躊躇なくナツが先に上りはじめたのでリックは上を見ないよう顔を下げ、少し間を空けてから自分の足下だけに目を向けて階段を上がった。


 二階は屋根の真下になっており、天井が屋根に沿って三角の形をしていた。

 屋根についた窓からは西日が差し込んでいる。部屋の奥にはベッドが二つ置かれ、窓側の方はきちんと整えられていたがもうひとつは今朝、慌てて飛び起きたのが一目でわかる有様だった。


 ベッドの間に置かれたタンスの上には黒猫の焼き物がちょこんとひとつ。 端に煖炉とつながったかまどがふたつ。棚の上には食料と食器が乱雑に置かれていた。ここで料理も出来るようだ。


「ここがあなたの部屋です」

 

 窓を開けて空気を入れかえ、起きたままのベッドを整えると振り返ってナツは言った。

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