雪雛おくり
雪の樹の前に列の七人が並び、太鼓が鳴ると一礼した。
それに合わせて周りに集まっていた人たちも深く頭を下げた。
列から巫子のふたりが前に進み、樹の手前で立ち止まる。もう一度礼をすると、巫子のザジは腰に下げた短刀をゆっくりと抜いた。
頭上の枝は子供のザジにはまだ届かず、白い種はすでに熟し、枝から離れ落ちている。それでもザジは真剣な眼差しで枝を掴むように左手を伸ばすと、息を止め、枝に実った種を削ぐようにゆっくりと刃を滑らせた。切先が線を引いていく。腕を真っ直ぐに伸ばし宙に綺麗な半円を描くと、ザジは大きく息をついた。
もう一度太鼓が鳴ると、それを合図に巫子のリリナはザジの元に歩み寄り、膝を折って地に落ちている白い種を丁寧に拾い集めた。とても簡素で慎ましやかな儀式だったが、ザジとリリナの直向きで締まった振る舞いがあたりを包み人々を巻き込み、儀式を神聖なものにした。
ふたりが三度この儀を繰り返すと、器は真っ白な種で一杯になった。
まるで空から舞い落ちた新雪がそのまま器に降り積もったかのように、光りを吸い込んでは透き通った白さを湛えていた。リックやコーザ、雪拾いに立ち会おうと集まった人たちは誰もがその美しさとふたりの凛々しい立ち姿に惹かれていた。
器が種で一杯になると雪巡りは折り返し、同じ道を通って町の中心、広場へと戻る。集まっていた人たちも列の後ろにつき、ともに広場へと向かう。広場に着くと祭りの準備で雪拾いに立ち会えなかった人たちもすでに支度を終え、広場を囲むように集まっていた。
列とともに雪の樹から戻った人たちも加わり、広場にはこの町で暮らす全ての人が集まっていた。
リックとコーザが首を伸ばし人垣の先に目を向けると、町の人たちが囲む広場の中心に五人の子供たちが風船を手に立っているのが見えた。子供たちはザジやリリナよりも幼く、誰もが緊張した表情を浮かべ、それ以上に力強い手で今にも空に上っていこうと揺れる風船を握りしめていた。
ザジとリリナが子供たちの正面に立つと太鼓が鳴り、その音を合図にふたりは前に進んだ。リリナは器に積った雪の種を手のひらに掬うと、風船に結ばれた袋にゆっくりと流し入れた。
左から右へ、ひとりずつ丁寧に入れていく。
五つ全ての袋に種を入れるとふたりは五人の横に並び、その時を待った。広場に集まった人たちも誰もが口を閉じた。世界すらも待つように鳥のさえずりも、川のせせらぎも、風になびく旗の音も、何も、聞こえなくなった。静寂の中、太鼓の音が今一度広場に響くと子供たちは一斉にその手を離した。
固く握られていた風船は最初こそ突然の自由に戸惑うようにふわふわと宙に留まっていたけれど、直ぐに大空を見つけると駆けるように上っていった。
赤、黄、青、緑、白。五色の風船は風に流されることなく、種の重みに揺らぐこともなく、一心に空へと昇っていく。
「この町を見守ってくれる神様はくじらの姿をしていると言われています」
町を巡った日、ナツが空に浮かぶ大きな入道雲を見上げて言った。
「この広い大空ですら狭く見えるほど、雄大に泳ぐそうです。私たちはその神様がお腹を空かせて迷ってしまわないよう、雪雛おくりでは天に向かって種を蒔き、五穀の豊穣と私たちをいつまでも見守ってくれますようにと、そうお願いするんです」
空へと近づくほどに、風船はその姿を小さくしていく。
いつしか麦粒よりも小さくなった風船はさらに高度をあげ、青い空に吸い込まれるように見えなくなった。
空の向こう側へと見えなくなると、耳を劈かんばかりの音楽と歓声が広場をおおっていた静けさをひらいた。町場の鐘が鳴り響く。楽器を手にした八人が広場に置かれた台に飛び乗ると、肺いっぱいの空気を込めて楽器を吹き鳴らした。誰もがこの瞬間を待ちわびていたように声を上げ、とび跳ね、全身でこの日を迎えられた喜びを表した。
「さあさ、たんとあるからね。食べておくれよ」
恰幅の良い母親たちが両手に鍋一杯、大皿一杯の料理を抱えて広場に入って来る。出来立ての料理はどれも熱い湯気をたて、その湯気に乗ってたまらない匂いが広場の隅々まで広がった。その匂いにあてられて広場のあちらこちらから、抑えきれない腹の虫が大きな鳴き声をあげた。太陽は一番高いところから真っ直ぐに町を照らしていた。
春の収穫に感謝し、秋の実りを願う雪雛おくり。
冬の間、畑は凍り雪に埋まり、新たな実りも刈り入れもなく、蓄えた秋の収穫をたよりに長い冬を乗りきる。春が訪れ雪が溶けても、新たに種を蒔き苗を植えるだけで、実をつけるまでは冬期と同じように蓄えた食料で多くを食いつなぐ。そんな日々が続く。
少しずつ暖かくなる春の日射しを浴びて成長し、新鮮な実をはじめて口にできるのが雪雛おくりのこの日だ。採れたての新鮮な野菜が机一杯に並べられ、笑い声を交わしながら久しぶりの自然の恵みに舌鼓をうつ。かけ声とともにグラスをかち鳴らす音が何度も広場に響く。
冬の乾いた食材や保存食に飽き飽きしていたリックも溢れんばかりに料理を取ると、口を大きく開けて頬張った。久しぶりの葉野菜はどれも瑞々しく、新鮮で太陽の味が強くした。
腹が満たされると大人も子供も上手な人もあまり慣れていない人たちも、誰もが広場の真中に飛び出て鳴り響く音楽に手を取って踊った。コーザも腹ごしらえが一息つくとその軽快な調子に居ても立ってもいられないらしく、グラスの残りを一息で飲み干し輪に加わった。
「行こうぜ」
席を立つ時にコーザが誘ったが、
「あとで行くよ」とリックは断った。
輪に加わるよりも今は遠くから、広場の様子を眺めていたかった。
演奏する八人もその周りで踊る人たちも互いに合わせるようなことはなく、思うまま体が動くまま、楽器を鳴らしてはとび跳ねていた。誰もが心の底から楽しんでいるように見えた。
この中の誰かが今晩旅立つんだ。
本当に楽しそうに笑う町の人たちを見ていると、そのことを考えずにはいられなくて、一緒に笑うなんてリックには出来そうになかった。その気持ちとともにそのひとりが自分じゃなくて良かった、そう思わずにもいられなくてリックは離れた場所にいるしかなかった。視界が滲むと誰かに気づかれる前に指先で目元を拭った。




