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どこかで


 太鼓の音が聞こえる。

 

 まだ遠くかすかに聞こえるだけだったが、その音が近づいてくるにつれて雪の樹を囲っていた話し声や笑い声も小さくなり、雪巡りの姿が見えると集まっていた人たちは誰もが口を閉じた。初夏の陽気は薄まり、静粛な雰囲気がその場を包んだ。


 リックとコーザも話すのを止め、ゆっくりと歩いて来る列に目を向ける。

 列を導くように先頭を町役のローレンスが行き、その後ろを太鼓を抱えたレクタが口上を述べながら続いた。


 その後ろを巫子が歩き、ふたりに付き従うように竹傘をさした三人が続く。あでやか衣装を身に纏い、櫛を通した髪が流れている。列はその歩みをゆっくりとゆっくりと進める。日射しも雪巡りの雰囲気に飲まれたように厳かな光りを投げかけている。

 

 しかし列が進むにつれ、樹を囲っていた観衆の中に小さな響めきが生まれた。

 列を目にして人々は、小声で近くの人と言葉を交わしあっている。列はまだ遠く、リックには何を話しているのか見当もつかなかったが、響めきは列に並ぶように一緒に近づいて来ていた。列は一歩ずつ歩みを進め、その歩みとともに響めきも一歩ずつ近づいてくる。近づくにつれて、リックの胸の内の鼓動も速くなっていった。

 

 太鼓の音とともに列が目の前に来た。その光景を前にしてリックは言葉を失った。一瞬、自分の眼が何を見ているのか分からなかった。巫子の両手には無数の線が刻まれ絡みあい、模様を浮かび上がらせた器が輝いていた。器は陽の光りを受けるとその光りを儚げな虹色に染めて表面に優しく映し出していた。


 リックはその器を知っていた。たった一度、それも絵本の中の挿絵でしか見たことがなかったが、それでもその器がガレフの器だということがリックにもはっきりと分かった。割れたはずの器を目にして、誰もが安堵と困惑と驚きの交じった声を漏らしていた。


 列がリックの前にさしかかる。昨日泣きはらしたのか、リリナの目は赤く腫れ、大役に気を張っている。それでもリリナの目は笑みで満たされ、その目を見ているとリックも嬉しくなった。

 

 しかし胸を張って大役を務めているリリナが通り過ぎると、リックは器を目にした時よりも遥かに驚いた。心臓が高くとび跳ね、着地した音が体の隅々まで鳴り響いた。


 竹傘をさし、付き従うように巫子の後ろを進む人。顔は傘で隠れ、流れるような頬の線から下しかリックの場所からは見えない。リックの正面を通る時、傘を少し傾けるとその下から彼女は顔をのぞかせた。髪を結い頬に白をあて唇に紅をさしてはいるが、傘の下から現れたのは柔らかな瞳だった。ナツの瞳だった。


 何も知らなかった、想像すらしていなかったリックは傘の下から見えたナツの姿に驚いた。けれど驚いたのも一瞬のことで、リックはすぐに別のことが気になった。言葉はなくとも、傘下から見えたナツの瞳が何かを語っているように思えた。リックはとび跳ねる心臓を無理やり押さえつけると、先を行く列を眺めた。


 先頭をローレンスが歩き、その後ろを太鼓を抱えたレクタ、巫子のふたりが続く。リリナの小さな手のひらに収まった小さな器。その表面には髪よりも細い線が刻み込まれ、交差しては模様を描いている。触れた光りは濁ることなくその線の中で反射し、器を淡い七色に彩っている。


 一歩ずつ遠ざかる器を見ていると、リックはその器を目にしたことがあるように思えた。絵本の挿絵ではなく、硝子で作られた器をどこかで。


 どこでだろう。リックは器を見つめながら記憶を辿る。

 細い線が刻まれた透明な器。


 眺めれば眺めるほど、『どこかで』という感覚が強くなる。

 昨日までガレフのことも知らず、今日初めて目にしたはずなのに、あの器を見ていると何処からか懐かしいという気持ちが湧いて来る。また懐かしく思う一方で確かに、手に馴染んだ仕事道具のような不思議な親しみも感じる。


 その親しみが指先に触れると、ふと、器の先に毎日工房で回している筒が浮かんで見えた。その筒が伸びて先を描き、蝉の声が耳元で響き始めた。筒を回す手が現れては、その先に良く知った顔が見えた。橙色の玉に惹かれるように初めて工房を訪れた夏の日、リリナの抱えている器は窓越しに見た、ジンが作っていた硝子細工にそっくりだった。


 あの時の硝子に模様は入っておらず、どうやって線を引いたのかリックには想像もつかなかったが、それでも器を眺めるほどに強く思った。


「あの器、ジンが作ったんだ」


 確信するほど強くそう思えた時、列はその歩みを止めた。リックが目を向けると、列はすでに雪の樹の前に来ていた。雪拾いの始まりだ。

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