ガレフの器
雪雛おくりの前日ともなると、町の中心部は祭りの装いで一色となった。
建物にはどれも鮮やかな飾り付けがされ、屋上に立てられた旗は風に強くはためいていた。
長机と椅子が広場に収まりきれず大通りにまで並べられ、調理のための薪が高く積まれていた。子供たちは誰もが風車の形をしたおもちゃを片手に走りまわり、高い声を町中に響かせていた。
町中の活気づく様子を目にしながら、リックは工房に向かった。
祭りの準備にかり出されて来ていない人もいたけれど、リックが工房に着いた時にはすでにヤンが作業をはじめ、ルーベントの部屋には明かりがついていた。
筒を持ち、炉から硝子を絡めとる。息を入れて膨らまし、冷えて固まる前に炉に戻す。これを何度か繰り返し筒と手首を十分に慣らすと、リックはグラスづくりに取りかかった。潰した膨らみに筒があたり、そのたびに鈍い痛みをリックに思い出させた。滲んだ汗が玉となって流れ落ちる。二つ目のグラスを徐冷炉に入れた時、ジンが眠たげな目を引っさげて工房に顔を出した。
「遅いですよ」
そう釘を刺すもいつものことに諦めながら、日々の挨拶のようにリックは言う。
「わるい。寝過ごした」
毎日のようにジンも謝るけれどその言葉も挨拶と同じで、その意味の通りに守られたことはリックの知るかぎり一度としてなかった。
「今日はいくつだ」
大きく伸びをすると、筒を手にジンが訊いた。
「今日はいつもより多くて十四、二つ出来てますからあと十二です」
いくつでも変わりはないと言うようにジンは気の抜けた返事を返すと、筒を二本の指でくるりと回し、リックが見とれている間にグラスをひとつ作り上げた。
いくら遅れてきてもリックより多くのグラスをこれ以上なく綺麗に作り上げる。そんなジンの腕に憧れつつもどこかやり切れない思いのまま、リックも手にしていた筒に息を吹き込んだ。
出来上がったグラスが十を超えた頃、なにやら外が慌ただしくなった。ひとつふたつと足音が通りを駆けていった。
なんだろう。そう思いつつジンとともに作業を続けていると、祭りの準備に行っていたバーデがぼさぼざに伸びた髪を掻きながら工房に戻ってきた。
「何かあったのか」
グエンが訊ねる。バーデは考えを巡らせるようにもう一度頭を掻くと、言いにくそうに答えた。
「いや、ガレフの器なんだけど、なんて言うかさ、どうも割れたらしくて」
それを聞いた工房の全員が一斉に部屋から顔を出した。どういうことか訊ねようと誰もが作業の手を止めてバーデの周りに集まった。
「明日のために箱から出して、机に置いたら突然、器にひびが入って半分に割れたらしくて。どうにか修繕しようにも、運の悪いことに割れた半分がそのまま転がり落ちて粉々になってしまったらしいんです。別に誰が悪いってこともなくて、もう時間もないから明日は代わりのものでなんとかしようって言っているんですけど、巫子を務める子、今年は薬師のヨリの娘なんですけど、その子がひどく動揺してしまっているらしくて。みんなもこんなことは初めてだから、どうしたらいいか分からなくて」
バーデもこれ以上どう伝えたらいいか分からず、消えるように言葉を切った。
リックはひとり何のことか分からずにいたが、何か重大なことが起こったということはその場の空気から十分に感じられて、何も訊けずに黙っていた。工房の人たちは分かっているだけに深く黙り、となりの部屋で作業を続けているルーベントの音だけが大きく聞こえていた。
誰も言葉を交わすことなく、どうしようもなく、ひとりふたりとそれぞれの仕事に戻っていった。器のことは後でジンに訊こうとリックも部屋に戻ったが、筒を手に振り返ると、
「ちょっと出かけてくる。あと頼むな」
と、言い残してジンは工房から出て行ってしまった。
いつものことながらその奔放さに呆れつつ、それが許されるグラス作りの腕前と器のことを訊けない苛立ちを抱えて、リックはひとり残りのグラス作りに取りかかった。




