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レヴィストロース


 太陽が照らす時間が日を追うごとに長くなり、それにつれて世界は暖かさを取り戻していった。


 コート、マフラー、手袋、セーター、ブーツ。虫が成長するたびに古い皮を脱ぎ捨てていくように、一枚一枚、リックも冬の間冷たい空気を防いでくれていた服を脱いでは日に日にその身を軽くしていった。


「冬の間は家でじっとしっぱなしだったからね。体が凝り固まってしょうがないよ、ほんと」


 雪に埋もれて畑仕事の出来なかったエーダは鈍った体に息を入れるように全身を使って畑に鍬を入れる。手狭な厩舎から解放されたヤギや羊たちもおっとりと過ごしていた秋とは変わって久しぶりの野原を駆け回り、芽生えたばかりの新鮮な草を休むことなしに食んでいる。冬を厩舎で過ごし縮こまった体をいっぱいに伸ばしては、首を左右に振り回している。耳についた鈴の音が重なり、止むことなく町に響いた。


 年が明けてからランプの注文が入るとリックはヤンの側に立ち、出来ることを手伝いながらその工程をひとつひとつ学んでいった。


 注文がなくても休みの日や空いている時間があると、ヤンはリックに硝子を染める手順や鉱石の扱い方、縁取りの仕方を細かに教え、余った材料があればリックに自由に作らせた。

 

 ランプの傘作りは硝子に色を着けるところからはじまる。

 何十種とある中から鉱石を選び、調合すると一緒に火にかけて溶かしていく。鉱石の質や量、組み合わせ、火にあてる時間の長短によってその色合いはわずかに変化し、硝子の透明度や濃淡に影響する繊細な作業だ。

 

 溶けた硝子は縁に流し込まれ、熱がとれて固まると色の着いた一枚の硝子が出来上がる。一色の硝子板はこの工程を一度行えば完成する。しかし硝子細工の多くは複数の色を持ち、色の数だけこの工程を繰り返す必要がある。編み込んだ縁や複雑な絵柄を持つものとなると十色二十色使うことも珍しくはなく、鉱石の選択も調合もその数だけ繰り返し行わなければならない。


 しかし、それだけ手をかけられた硝子細工はいくつもの色を織り重ねて光りを放ち、絵画のような荘厳な表情を映し出す。


 縁に硝子を注ぐことが出来るのは一度きり。どのような姿になるのかどんな色合いに染まっているのか、冷えて固まるまで分からない。

 

 リックが最初に作ったものも四辺を囲っただけの単純な一枚硝子だった。

 硝子は量が多かったために均一に広がらず、中心にいくほど厚みを増した。


 水色にしたかった硝子の色は鉱石の調合のせいか火にあてすぎたのか藍色に近くなり、その色の濃さはランプの明かりを鈍らせた。硝子の中には気泡が混じり、明かりを灯すと壁に大きな輪を映した。ランプの傘としては決して合格とは言えなかったが、部屋を暗くしてランプに明かりを点けると、揺らぐ青い光りが湖の底に横たわり水面を見上げているような、そんな光景を見せた。

 

 ヤンが作る硝子板はリックの作るものと比べるまでもなく、硝子は薄く均等に、何色もの硝子が複雑に絡み合う縁の中に収められていた。


 多くの色を使いながらも互いに干渉することなく、一色一色が自分の居場所を見つけて静かに収まり、ひとつとなって美しい構成を見せていた。それでもランプに明かりを灯すと自らの美しさを主張することなく、何よりも灯の明るさと暖かさを広げていた。


 それほど美しいヤンの硝子細工でもあの日、町場の広間で見た色絵硝子にはどうしても及ばないようにリックには思えた。記憶の中の色絵硝子は遮ることなく光りを真っ直ぐに輝かせていたが、ヤンのガラスには微かにも影や濁りが忍び込み、光りを歪めてしまっているように思えた。ランプと自然光の違いでそう見えるのかもしれない。そう思い、陽の光りにかざしてもみたけれど、陽の光りはランプの灯りよりも圧倒的に強く傘の存在は眩さの中に埋もれてしまった。


「傘の硝子って色絵硝子のものとは違うんですか。その、作り方とか材料とか」


 鉱石を砕いている時にリックは訊ねた。


「そうだね。今日はそこのところを話そうか」

 

 細かく割れた鉱石を天秤にかけながらヤンは言った。

 両端にかかげられた小皿が上下に揺れ、その動きが止まると針は目盛りの中央を指した。ヤンはそのことを十分に確認すると左の皿にのった鉱石を瓶に移し席を立った。棚から木箱を取り出し机に置く。仕切りで分けられた箱の中には黒光りする卵ほどの鉱石が四つ、特別な時に身につける装飾品のように大切に保管されていた。普段使用する鉱石はただ麻袋に重ねて詰められているだけだ。だからこれだけでもこの鉱石が他のものとは違う、貴重なものだとリックにも分かった。


「この鉱石はレヴィストロースと呼ばれ、色絵硝子を作る時だけ使われる」


 ヤンは四つの中から鉱石をひとつ取り出すとリックに渡した。

 注意して受け取ったつもりだったが、それでも指の先から落としてしまいそうになり、リックは慌てて両手で掴んだ。落としてしまいそうになったのはその鉱石がひんやりと冷たく、その大きさからは想像の出来ない重さをしていたからだ。


 両手で触ると艶々と滑らかで、ざらつきや角張ったところがなく、それは本当に石というよりも鋳造した鉛のような手触りをしていた。


「普段作っているグラスや窓硝子は一見透明に見えるけれど、その表面は薄い緑色をしていて間には不必要な空気や塵や滓が残ってしまっているんだ。そんな雑味は光りを歪め、歪んだ光りはぶつかり合って硝子を濁らせてしまう。しかしこのレヴィストロースを加えることで硝子を流し入れる時に混ざり込む、そんな不純物を押し出すことができる。 色絵硝子はそんな塵や空気を沈めて取り除いているから光りは屈折することなく真っ直ぐに硝子を通り抜け、硝子は硝子本来の澄んだ色を見せるんだ」

 

 リックからレヴィストロースを受け取るとヤンは丁寧に箱の中にしまった。


「しかし、この鉱石にも弱みがある」


 ヤンは答えを促すようにここで言葉を切った。


「貴重なこと」


 と、簡単に言ってしまいそうになった口をリックは慌てて閉じた。ヤンが訊ねるのはいつだって硝子の本質についてだと、リックはこれまで学んだことから知っていた。貴重なことは硝子作りの本質ではない。冬から春にかけてヤンは教える時もただ答えを教えるのではなく、最初にリックの考えを訊ねた。


「俺もそうやってジンやルーベントさんに教わってきた。最初は分からないことだらけで大変だったけど、その方が身になったからね」


 そうヤンは言う。リックは少しの間口を閉じ、レヴィストロースを手にした時のことを手がかりに考えを巡らせた。ひんやりとした手触りや指にかかる感触を繰り返し思い出していると、ひとつの考えに思いあたった。


「重いこと」


「そう。重いんだ。その重さが不純物を取り除いてくれるんだけど、同時に硝子自体の形を歪めてしまうことにもなる」


 箱を棚に戻し、その横にあった袋を手にする。普段使う鉱石がつめられた麻袋。小さめの縁をふたつ用意し、液体の上に並べた。


「本物を使うわけにはいかないからね」


 ヤンはそう前置きをすると、その袋から苔色をしたありふれた鉱石をひとつかみ、硝子とともに火にかけた。硝子一枚を色着けるのに、およそひとかけらの鉱石が必要だ。だから今火にかけた石の量は普段の五倍以上にもなる。鉱石の量が多いからか熱する炎も緑色を帯びている。


 しばらくして鉱石と硝子が完全に溶け合い、炎もいつもの橙色に落ち着くと、ヤンは溶けた硝子を取り出して縁に流し入れた。


 跳ねてしまわないよう、ゆっくりと注ぎ入れ、終わるとリックにも「やってごらん」と鉄鋏てつばさみをわたした。


 リックも鉄鋏を手に硝子を取り出すと、いつもの要領で熱く溶けた硝子を縁に流し入れた。縁の下には金属を含んだ液体が入れられている。本来この液体の方が密度が高く、流し入れても硝子が沈んでしまうことも液体と混ざりあうこともない。注がれた硝子は最初こそ平面を保っていたが少しずつ下の液体が耐えられなくなり、大量に入れられた鉱石の重みで沈みはじめた。


 そのまま手を加えることなく、硝子が冷えるのを待つ。冷えて固まった硝子を見てみると、表面は波をうっていた。


「確かにランプと色絵硝子では使う材料は違う。けれど一番重要なのはそれを扱う技術なんだ」


「技術」


「そう」


 ヤンは自分が流し込んだ硝子を手に取り、その表面をつぶさに確認している。

 リックの作った硝子のように波を打つほどではなかったが、わずかながらも中央にかけて弧を描いている。上から下へ、その弧を指でなぞるとヤンはため息をついた。


「そしてこの鉱石を使いこなせるのは、工房でもルーベントさんだけなんだ」


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