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 朝になり、真っ暗だった空が白みはじめる。


 窓から射し込む陽のひかりに起こされるようにリックは目を覚ました。

 まるで森の奥に沈んだ太陽が地中に潜って移動しているかのように、朝日は正面の地平線から顔を出した。太陽は町の先の地平線から昇り、森の奥へと沈んでいくようだ。


 リックが起きるとすでにベッドは空いていた。サンの姿も見当たらなかった。

 軽い音が聞こえて外に出ると、コルテオが井戸から水を汲み上げていた。


「おお。起こしてしまったか」


 申し訳なさそうに言うコルテオにリックは急いで首を振った。気を使ってくれることに気が咎めて、話題を変えようとリックは訊ねた。


「何をしているんですか」


「これか、朝食の準備じゃ」

 

 コルテオは汲み上げた水を桶に移すと、となりの畑へと向かった。リックもコルテオの後について行く。畑の端の一列は土がこんもりと山型に盛られ、その上を緑の葉が等間隔に並んでいた。


「やってみるかの」


 コルテオが訊ねる。突然のことにリックの口からは言葉が続かなかったが、それを察するようにコルテオは「なに、力一杯に引っこ抜けばいい」と言った。


 リックは土の山を跨ぐように立つと腰を屈めて葉を掴み、言われたように力をこめて引っ張った。力を入れすぎたのかそれとも土が柔らかかったのか、引っ張った瞬間に土の中から野菜は抜けて、その勢いのままリックは後ろに倒れた。


「ほっほっほ。その調子じゃよ」


 コルテオは高らかな笑い声とともにリックを褒め、リックも恥ずかしさと可笑しさで顔を綻ばせた。手を掲げるとその先には土がついたままの白い野菜が朝日に照らされて輝いていた。


 その野菜を先ほど井戸から汲み上げた水でさっと洗い細く切ると、パンに挟んで朝食にした。机の横ではサンが木皿に注がれたミルクをなめている。


「どうかの。わしの育てた野菜は」


「美味しいです。すごく甘くて」


「それに自分で引き抜いたんじゃ。格別じゃろうて」


 転んだことも言われているようでリックはこそばゆく感じたが、


「今日はこの後、町まで行かねばならん。君の住処や仕事の話をせんといかんのでな」


 それを聞くと気恥ずかしさは消え去り、今まで忘れていた不安と緊張が一斉に戻ってきた。

 リックの顔が強ばるのに気づいたらしく、コルテオはいつもの笑顔で言った。


「心配することはない。はじめは誰でもそうじゃったんじゃ」


 朝食を終えるとコルテオとリックは小屋を出て、麓にある町へと向かった。


 出発する直前、さよならとありがとうを言う代わりにリックがサンの喉元を撫でると、サンは甘えたように喉を鳴らし、リックの手のひらをそっと舐めた。


 

 町へと丘を下っていく。


 リックは後ろを振り返ると丘の上の小屋を探した。振り返るたびに小屋は遠ざかり、その姿が小さくなるにつれてリックの中で、不安と緊張が膨らんでいった。日射しは強く、下り坂とはいえ歩き続けていると汗が滲み、不安と緊張もあってリックは何度も水筒を開けた。


 道は大きく曲がりながら緩やかに麓へと続いていた。

 コルテオの歩く速さに合わせていたこともあるけれど、町は丘から眺めていた時よりもずっと遠くにあった。小屋を出た時にはまだ低かった太陽も時間とともにその位置を上げ、到着した時には頭上高くに昇っていた。


「ここが入り口じゃ」

 

 麓に着き平坦な道を真っ直ぐに行くと、やっと入り口らしい場所に着いた。


 ふたりはそこまで来ると足を止めた。

 入り口には町の名前を掲げた看板も侵入を阻む門もなかったが、先へと続く道の両端には二本の木が町と外との境目を示すように立っていた。その木は森のものと比べるとまだ若く、高さも半分ほどもなかったが、青々とした若葉が大きく茂り濃い影を真下に落としていた。


 入り口に立つ若木を見上げ、リックは深く息を吸った。それを合図とするようにコルテオは町の中へと進み始めた。リックも心を決めると足を踏み出し、町の中へと進んだ。


 真っ直ぐな道が町の先へ先へと続いている。道沿いには耕地が広がり、様々な農作物が拓けた大地に作られていた。まだ青く穂をつけていない麦が列をなし、蜜を求める蝶や蜂がかぼちゃ畑の中を忙しそうに飛び回っていた。


 田畑の景色をしばらく進むと、木造の平屋の建物が見えてきた。

 町の中は広々として入り口から続く道は広く、道沿いに立つ建物は大きさも間隔も十分にとられていた。建物の前には洗濯物が干され、白い生地が風に揺れている。ここに町の人たちが住んでいるんだ。建物や洗濯物を目にして、リックはあらためてそう思った。


「コルテオさん、その子かい、新しいノーマは」


 そんなことを考えながら歩いていると、右手から声をかけられた。振り向くと恰幅のよい女性がナイフを片手に軒先で手仕事をしていた。


「おお、そうじゃ。昨日来たばかりじゃ」


 初めて会った町の人。突然声をかけられて固まってしまったが、コルテオに軽く肩を叩かれるとリックは一歩前に踏み出した。


「リ、リックです。よろしくお願いします」


「エーダだよ。こちらこそよろしくね」

 

 リックのぎこちなさが可笑しかったのか、笑いをこらえるようにしてエーダは言った。


「最初は不安だろうけどね、心配することないよ、みんなそうだったんだから。困ったことがあったらなんでも私に言っておいで」


 エーダのもとを後にしてからも何人かに会い、そのたびにリックは同じように挨拶を重ねた。ぎこちなさは相変わらずだったが、それでも新しく出会い言葉を交わすごとにリックは落ち着いていった。


「あの」


「うん?」


 日射しの気持ち良さを感じながらコルテオは耳を傾ける。


「ノーマってなんですか。エーダさんが言っていた」


「ノーマか。ノーマというのは新しく森から出てきた人のことを言う。今のお主のことじゃな」


 そこで会話を終わらせることもできたけれど、リックは思い切ってコルテオに訊ねた。


「この町の名前はなんて言うのですか」


「町の名前?」


「はい。入り口に看板もなかったし、どこにも書かれていなかったから」


 コルテオは記憶を探るように、遠くに目を向けて答えた。


「無いの」


「無いのですか」


「うむ。他に町があるわけでもないのでな。必要がないから誰もがただ町と呼んでおる」


「そうですか」


 この町に名前が無いことよりも、他に町が存在しないことにリックは気を落とした。


 この世界が何であっても自分がどこから来たのか思い出せなくても、もし他に行く場所があるのならそれだけで新しい可能性が生まれる、そんな気がしていた。


 けれど、ここにしか町はないんだ。その言葉を聞くと広がりかけていた希望も一息に萎んでいくようだった。


 丘から臨んだ地平線は霞むほど遠くまで続いていたのに、自分がとても狭い場所に閉じ込められ、どこにも行けない、行き止まりにいるように感じられた。そんなリックとは反対にコルテオはひとり満足気な笑みを浮かべていた。


「町の名前か。面白いことに気がついたの」

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