冬
「今年の冬は例年よりも厳しくなりそうですね」
町の北西にある農場へ窓硝子を届けた帰り道、リックは広場で落ち葉を掃いているローレンスに会った。東の空を見上げながら彼は言う。
「見てください。まだ葉が枯れ落ちてしまう前なのに、東の空にはもう雲がかかり始めている。そんな年の冬は厚い雲が空を覆って大地が温まることも少なく、雪が深々と降り積もるんです」
その時、東の空にかかっていた雲はまだ厚みもなく、遥か遠くうっすらと見えただけだったが、その姿が大きくなるにつれて日中の気温は日に日に下がり、ある日を境に今まで南から流れていた風が北から吹くようになった。
風向きが変わり冷たい空気が町を通るようになると、紅く色づいていた葉は次第にその色を失い、散り落ちていった。風に飛ばされた枯れ葉が街路に乾いた音を立てている。
木々を丸裸にしてしまうと、空は冷たい雪を落とし始めた。
降り始めてからの数日は空から降る雪もまだ重みもなく、ただゆらゆらと舞い、地面に着くとほんの少しだけ濡らしてはすぐに消えてしまう程度だったが、そんな天気が一週間ほど続いたある日の朝、いつもよりも寒いなと肌で感じながらリックがカーテンを開けると、町は雪化粧にその装いを大きく変えていた。
その雪はまだ屋根や道沿いや芝生の上に薄くかかっているだけで、陽の光りを浴びるとその多くは昼を迎えることなく溶けていったけれど、その後も雪は夜が訪れる度に少しずつ嵩を増やし、十日もすると町はあたり一面の白銀に覆われた。
季節が深まるにつれて太陽が顔を出す時間も短くなり、雪は溶けて消えることもなく、その層を日毎に厚くしていった。
朝、リックとコーザが目を覚ますと外はまだ夜が続いているかのように暗く、朝食を終えて出かける頃にやっと薄明るい光りが射しはじめた。
青空が雲の間から見えることも少なく、太陽の光りと暖かさは鉛色をした厚い雲に遮られていた。天気や気温が大きく変わり、リックは外に出る時、橙色のコートと羊革のブーツを履くようになった。
このコートはまだ冬がやってくる前、紅葉を押して作った栞のお礼にと、エーダから貰ったものだ。
「息子のお下がりで悪いけどね、捨ててしまうのもなんだし良かったら使っておくれよ」
エーダの息子はすでに家を出て結婚し、北にある農場で葡萄酒を作っている。
週に一度、家族三人でエーダのもとを訪れ、一緒に食事をとることが今のエーダの楽しみだ。
お下がりのコートはリックにはいくらか大きかったが、その長い袖と耳元近くまで覆ってくれる高い襟は冬の厳しい寒さからかけがえのない温もりを守ってくれた。
橙色のコートを着ることに最初は気恥ずかしさもあったけれど、炉の火を思わせる明るいその色をリックはすぐに好きになった。
外の寒さとは反対に工房は炉の熱がこもり、中に入ると氷のようにかじかんだ指先もその暖かさにじんわりと溶けていく。しかし、その何ものにも代え難い暖かさも作業をしているとすぐに暑さへと変わり、夏だった時と同じ一枚着まで脱ぐことになる。そこまで薄着にしても作業中は玉をつくるほど汗が流れ、帰る前にはその汗が冷えて風邪をひいてしまわないよう、しっかりと拭き取らなければならないほどだ。
リックの硝子作りもまだまだ一人前にはほど遠いとはいえ、形も厚みも少しずつ安定をみせ、毎日作ったグラスの中からいくつかは、カエルに並べられるまでになった。
飽きることなく降り続く雪にも慣れた頃、リックは仕事を終えるといつものように天秤座の前を通って部屋に戻った。部屋に入ると一番に煖炉に火を熾し、冷えきった暗い部屋を温める。
しばらくして部屋に暖かさが戻ると、リックは煖炉の前を離れてコートを脱いだ。ちょうどそのコートを階段を上ったところにある出っ張りに掛けた時、階段下の扉を叩く音とそれに続いて声がした。
「リック、ちょっと開けてくれないか」
リックが階段を下りて扉を開けると天秤座のカサノが立っていた。
コートを着ているとはいえ今まで暖かい部屋にいたのだろう。カサノは両手を深くコートに入れたまま、体を滑り込ませるようにさっと中に入ってきた。
「直ぐに済むんだが、ちょっと上がってもいいか?」
リックはカサノを部屋に上げ、温かいマリ茶を入れようとしたが、カサノはすぐに終わるからと断った。カサノはコートを羽織ったまま、椅子に腰掛けると話しはじめた。
「いや、なに、話しというのは麦粉のことなんだ」
「麦粉」
麦粉と自分にどういう関係があるのか見当もつかず、リックはそのまま訊き返した。
「ああ。うちはパン屋だから麦粉が欠かせないんだがこの雪でな、倉庫の屋根が破損してそこから水が入って麦粉がいくつか駄目になってしまったんだ。まだ残っているものがあるから今日明日にどうこうと言うわけじゃないんだが、近いうちに水車小屋まで行って麦粉を補充しなければならない。
ひとりで行ければ良いんだがこの雪だし、チノに頼もうにも今の身重の身じゃそうさせるわけにもいかなくてな。こんな大雪の時に申し訳ないんだが、次の休みの日に手を貸してくれないか」
この町の多くの人がリックと同じようにある日、森の中で目覚め町で暮らすようになった人たちだ。最初はひとりで町に来たノーマも誰かと繋がりをつくり家族を持つ。誰かと一緒になっても子を授かることは少なく、多くの夫婦が子の年頃で森から出て来たノーマを自分たちの子として育てることがほとんどだ。
しかしごく稀にふたりの子を授かることもあるらしい。そのことをリックが知ったのはロッソ夫妻の間に新しい命が宿ったと初めて聞いた、つい先日のことだった。
「いいですよ。僕でよければ」
リックは二つ返事で引き受けた。
「明日が休みなんですけど、明日はどうですか」
「そういうことなら明日頼むよ。俺は朝の仕事があるから、それが終わったら声をかける。その時間に出れば多少雪で時間がかかっても、まだ明るいうちに戻って来られるはずだ。だから仕事が終わり次第出かけられるよう準備しておいてくれ。助かる」




