坂道
小屋へ向かう前の日の夜、天秤座のカサノから借りたバッグに荷物を詰めた。
着替えと、この二日間で作った中で一番の出来と思えるグラスをふたつ、割れてしまわないよう持っていく服の間に挟んで入れた。
荷物はそれだけで十分だったが丘の上は冷えるかもしれないと思い、厚手の上着も中に入れた。上着を詰め込むと大きめのバッグは一杯になった。
朝、頼んでいたパンをチノから受け取る。
「土産はなにがいいかな」
チーズ、ミルク、野菜と色々と考えた結果、ふたりは天秤座のパンを持っていくことに決めた。丘の上では毎日焼きたてのパンを食べることは出来ない。だからこの土産は何よりもコルテオが喜んでくれるだろうとふたりは思った。
西の入り口に向けて歩いていると、洗濯物を干しているエーダに会った。真っ白な布を広げては投げるように紐にかけていく。ふたりが丘の上の小屋に行くと言うと、
「今は紅葉が綺麗だから、何枚か持ち帰って押して栞にするといいよ」と教えてくれた。
「それじゃあ、エーダさんの分も持って帰りますよ」
コーザは手を振り答えた。
「楽しみに待ってるよ」
思い返すとこの町に最初に来た日、二本の木の間を通って町に入り、最初に出会ったのがエーダだった。あれからまだ幾年も経っていない。夏を過ぎ、秋になったばかりというのに、リックはあの日がすでに遠くに感じられた。
言うまでもなく、丘の小屋に行くには坂道を登っていかなければならない。
丘から町へと下った時は小屋が見る見るうちに小さくなっていったのに、今日はどれだけ歩いても小屋は遠く見上げても小さな点のまま、なかなか大きく見えてこなかった。
反対に町はふたりが背を向けている間に一緒に登っているんじゃないかと疑いたくなるほど、何度振り返ってもその姿はすぐ近くに見えた。
斜面に生えるすすきが花穂を実らせ、その先端を白くしている。
強い風が吹くと綿毛を飛ばし、遠くへ運んでいった。
「面白いものってなんだろうな」
歩き疲れてふたりの口数が少なくなった頃、コーザが言った。
「なんだろう。秘密だって言ってたけど」
「俺は食べ物だと思うんだよな。なにかとびきり美味いもの」
どんなものを想像しているのか話をしているだけなのに、コーザは口元を拭っている。
「けど、コルテオは見えるって言ってたよ。食べ物だとしたら見るだけで、少なくとも今日は食べられないってことになるよ」
「いくら美味くても見るだけならしょうがないよな」
そう言うと拭うのを止めて、コーザはまた考え込んだ。
「休みが三日後かって確認してたから、なにかそこにヒントがあるんじゃないかな」
コルテオとの会話を思い出してリックが言う。
「今日しか見られないものか。紅葉は今日じゃなくても秋なら見られるし」
ふたりで何だろうと話し合っていると時間は早く流れ、気がつくと丘の中腹を越えたあたりまで登っていた。道沿いに丸みをおびた岩があり、そこに腰を下ろして水筒に入れてきた水を飲んだ。
一息つき、小さくなった町を見下ろす。収穫は全て終わり、裸になった土色の畑が町を円く囲んでいる。 今日は風が強く、雲と煙突から立ち上る煙が南から北へと流れている。
その雲の流れにあわせて太陽も顔をのぞかせては、すぐにまた雲の後ろに隠れてしまう。工房や製鉄場が雲の下に入ったかと思うと家や天秤座の空が晴れわたり、ひとつの町の中でも陽のあたる場所と影になる場所が生まれていた。
高いところから眺めているとそんな光と影の移ろいが、どこか人の顔を思わせた。円形の町の上に目や鼻や口を描いているわけではなく、ただ光りの照らしている所と雲が遮っている所が生まれては消え、消えては生まれているだけだったが、その様子を眺めているとリックは人の表情を見ているような不思議な気がした。
町も生きているのかな。リックはふと、そう思った。
町も生きているんだ。町を出て、外から眺めてはじめて気がついた。町が笑い、泣き、時に眠たげな顔をしている。 刻々と町が表情が変えていく。町も表情を変えていく。それはただの気のせいや思い込みに過ぎないのかもしれない。けれど、次第に移り変わっていく町の表情を眺めていると、リックは胸のあたりが少し軽くなった気がした。
「もしかしたらノーマが来るんじゃないかな」
どうしてだろう。理由もなく、リックにはそんな気がした。
「ノーマ? ノーマって来る時が分かるもんなのか」
「僕が森から出た時、コルテオがそろそろ来る頃だと思っていたって言っていたから。もしかしたら分かるのかもしれない」
「ノーマか。それなら遅れるわけにはいかないな」
コーザは水筒を逆さまにして残りの水を一息に飲むと、腰を上げて荷物を担ぎ、坂道を駆け出した。リックも荷物を持つと中腹まで登って来た疲れを忘れてコーザの後を追いかけた。その後ろでは太陽が町に陽だまりを雲は影を落とし、休むことなく、その表情を移ろわせていた。




