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秋 


 町に、この世界に秋が訪れた。

 

 どこからともなく流れてきた雨雲が町の上空に居座り、しばらくの間、冷たい雨がしとしとと降り続いた。

 その雲が北の崖の向こうへと流れ去ってしまうと町から見てもはっきりと分かるほど、森は一息に夏の力強い緑から燃えるような紅色にその装いを変えた。


 季節が丘を下るように草木は森から麓へと順に秋づき、庭に朝露が降りるようになると街頭に並ぶ木々も冬支度を始めた。


「私、好きです。落ち葉を踏みしめる音が。踏みしめた時の乾いた音がどこか、心をぴんと張って澄んだ気持ちにしてくれるから」

 

 街路を歩いていると、ナツは秋空を見上げてそう語った。

 空も海を映したような夏の深い青さはとうに遠のき、いつしか突き抜けるような淡さをおびて、どこまでも高くなっていた。


 秋になり、穀物も実りの季節を迎えた。

 実った麦穂は深々と頭を垂らし、太陽の光りに眩いまでに輝いている。

 風が流れると動物の毛並みのように柔らかにそよいでいる。

 

 町の外側は周りを取り囲むようにして穀物が育てられている。

 この町では秋はじめの十日間、毎日パンを焼く天秤座のカサノやチノ、家畜の世話をする牧場の人々や医師といった日々の仕事を抜けることが出来ない人をのぞいて多くの人が日頃の仕事から離れ、町全体で穀物の刈り入れを行うことになっている。


 穀物は町の命を支え、冬から春へと繋げる何よりのものだ。

 冬が到来し寒さでやられてしまう前に収穫を終え、次の年も豊かな実りを迎えられるよう十分に土を肥やす。また動物の飼料や冬の寒さから身を守る藁を天日に干して乾燥させなければならず、町の人たちが総出となって刈り入れを行う。もちろんリックの働く硝子工房やコーザの製鉄場もその間は工場を閉めて、町の人たちとともに収穫に勤しむ。


 刈り入れ一日目の朝、リックはいつもと同じ時刻に目を覚ますと上着を羽織り窓を開けた。空気は冷たくも澄みわたり、深く吸い込むと微睡んでいた体が一息で目を覚ました。

 

 朝食を取り、コーザとともに町の東へと向かった。収穫を行う場所は仕事場ごとに割り当てられ、工房は製鉄場とともに町の東にある麦畑を刈り入れることになっていた。


 ふたりが着いた時にはすでに半数ほどの人が集まっており、最後に寝癖とあくびと眠気眼のままのジンが現れた。最初にこの麦畑に種を蒔き、今日まで栽培してくれたフィートから刈り入れの説明をうけて作業に入る。


 遠くから眺めても麦はあたり一面を敷き詰めて黄金色の絨毯のように見えたが、その姿を目の前にするとそれはまるで光り眩い海原だった。

 風がそよぐと、その行方を示すように風の通り道は穂の先に波を立て、磯の代わりに麦の匂いを飛ばした。風が巻き上げる麦の匂いは、春から秋にかけて陽の光りを一身に浴びた季節の香りがした。

 

 リックはフィートに教わったように鎌を右手に持ち、左手で麦の根元をしっかりと握った。鎌はずっしりと重かったがその分鋭く、踏まれて太く育った茎が一度刃を引くだけで簡単に切り取られた。


 何度か繰り返し手一杯になると、その麦の束を畑のわきに置き、一区画を終えるとその束を棚柵に運んで天日に干した。秋はじめとはいえこの日の空気は冷たく、降りそそぐ日射しをリックは心地よく感じていたが、刈り入れをはじめるとすぐに体は温まり、上着を脱いで腰に巻いた。


「お昼ごはんだよ」


 小高いところからフィートの奥さんが両手を口にあて、よく響く声をさらに大きくして呼ぶ。その声を合図に麦畑の間から顔がひょこひょこと飛び出し、ひとりまたひとりと引き上げてくる。腰を低く屈めて作業をしていたためか誰もが腰を後ろに反らしては、叩いてほぐしている。


 リックも丸めていた背を伸ばしつつ戻ると草の上に腰を下ろした。

 見上げると一羽の鷹が弧を描きながら悠々と飛んでいた。


 小さな手がリックの肩をたたく。振り返ると、男の子が昼食を差し出していた。リックは少し戸惑いながら、その昼食を受け取った。一言ありがとうを言おうと口を開いたが、男の子はわたしてしまうとすぐさま母親のもとへと走り、その小さな顔を母親の膝にうずめた。母親はその子の頭を笑顔で撫でると、顔を上げてリックに会釈した。


「今日は子供たちが手伝ってくれたからね。好き嫌いせずにしっかり食べるんだよ」


 昼食をよそりながら、フィートの奥さんが全員に聞こえるよう声を上げる。

 収穫の期間は学校も休みらしく、刈り入れを手伝えるほど年長の子供たちは収穫を手伝い、まだ幼く鎌を持たせられない子供たちは食事の準備や後片付けを母親たちと手伝うことになっている。


 ここの麦畑は工房と製鉄場の人たちとで収穫することになっているが、その家族も集まり全員が一緒にいるのを目にして、この町にこんなにも多くの人が、こんなにも色々な人がいることにリックはあらためて驚いた。


 男の子たちは食事が終わると古布と革で出来たボールを蹴って走り回り、女の子たちは貝殻ボタンや色とりどりの毛糸で編み込まれた人形を手にもっと小さな子をあやしている。


 工房や製鉄場の人たちもいつもは眉間に皺を寄せ汗を流して働いているが、子供たちの前では父親や母親の柔らかな顔を綻ばせている。そんな光景は普段、工房と天秤座の裏の家しか知らないリックには新鮮で、どこか不思議だった。


「工房の連中は仕事が早いから予定よりも1日早く終えられそうだなぁ」


 となりの畑にバルバドスがいるのを知った上でジンが声を上げた。


「もう刈り入れに慣れただろう。予定よりも二日早く終わらせるぞ」


 バルバドスはジンの言葉に気にも留めないふりを装いながら、麦穂の海から顔を出しジン以上の声を張り上げる。工房も製鉄場の人たちからも、両方から笑い声と冗談めかした不満が上がる。


「早く終わるのは良いんだけど、収穫するのは僕たちなんだよね」      

                    

 そう口にしながらもヤンの細い目は弛み、ふたりの子供じみたやり取りを楽しんでいるようだった。


 そんな楽しげな輪に入っていながらもリックはまだ、そこにいてそこにいないような、ひとり遠い場所にいるような思いを感じていた。


 この日も刈り入れが終わると、リックはカエル向かった。

 麦畑は町の東にあり、カエルに寄るのは少し遠回りになるけれど、それでもリックには一日でも早く自分の目で確かめておきたいことがあった。

 

 カエルに着くと毎日していることなのに、リックは強ばった表情で中をのぞいた。

 右手前の棚の最前列、リックの作った腹が凹み口は歪み、気泡が混じったみすぼらしいグラスはいつもと変わらずそこに座り、いつもと同じ平坦で広がりのない光りを隣りのグラスに映していた。

 ランプの灯りもいつもと変わらない、暖かな光りを店内に投げかけている。しかし変わらずに見える店の中で、リックのグラスの周りは右も左も後ろも、日々、新しいものに替わっていた。


 硝子細工は店に置かれるとどれも数日のうちに誰かが手に取り、席が開くとまた新しいものが並べられた。毎日のように入れ替わる硝子細工のなかで、リックのグラスだけが替わることなく、同じ席に座り続けていた。


 収穫も八日目。

 ジンとバルバドスの意地の張り合いもあって収穫はずいぶんと捗り、予定よりも二日早く、今日にも全ての麦を刈り終えてしまいそうだった。

 

 昼食を終え、リックはすでに刈り取られて裸になった麦畑と棚柵の上で天日に干されている麦の束を遠くから眺めていた。風にそよいでいた黄金色の大海原が刈り取られ、土肌が露になっている。その景色を眺めていると少し、寂しくなった。


「気持ちの良い眺めじゃの」


 リックが振り向くとコルテオがとなりに腰を下ろしていた。


「この町にもう永いこといるが、一年を通してこの時期が一番気持ちがよいの。陽の光りは柔らかく、町中が麦の匂いに包まれて香しい。森は紅く染まって美しく、なによりも食は自然の恵みに満ちて言うことなしじゃ」


「そうですね」


 冷たい返事だった。そう聞こえたことはリックにも分かっていた。自分が口にした言葉なのに耳にして、リックは自分でも嫌な気持ちになった。振り向けずに土肌の麦畑を見ていた。


「そう言えば工房で働いているそうじゃな。もう仕事には慣れたかの」


「先日、自分の作ったグラスをはじめて店に出しました」


 それは胸を張っていいことだった。けれど、誰にも手にしてもらえない、出来損ないのグラスだと言い出すことはできなかった。


 コルテオに隠し事をしてしまったようで嘘をついているようで、居たたまれない気持ちがこみ上げてきた。それでもコルテオはいつもの笑みを浮かべ、嬉しそうに頷いていた。


 話題を変えたくて、リックは思いつくままに口を開いた。


「今日はサンは一緒じゃないんですか」


「サンは小屋で留守番をしておるが、おお、忘れておったわい」


 被っていた帽子を手にとり、頭を掻きながらコルテオが話す。


「次の休みは三日後じゃろう? その日にちょいと遠いが小屋まで遊びに来てはどうかの。面白いものが見られる。サンも喜ぶはずじゃ」


「面白いもの?」リックが訊ねる。


「それは来てからのお楽しみじゃ。秘密にしておいた方が後々の楽しみも増えるからのう」

 

 面白いものが何かよりもリックはただ、町から離れ、遠くへ行きたかった。

 ここにいたくなかった。

 

 行きます。

 

 たった四字の言葉なのに隠し事をしている後ろめたさがつきまとって、リックは口を開けなかった。こみ上げて来る苦しさを飲み込むことで精一杯だった。コルテオは何も言わないリックを急かすことも訊ねることもなく、天日を浴びた麦穂の束を眺めていた。


「よし、仕事に戻るぞ。今日で刈り入れを終わらせてしまおう」


 ヤンやバルバドスの声が響き、皆が腰を上げた。

 

 伝えなければいけないのは分かっていた。けれど、その一言が言えなくて出てこなくて居たたまれなくて、早くその場から立ち去りたかった。


「僕も戻らないと」


 それだけを口にするとリックは立ち上がった。

 足早に麦畑の方に向かったが数歩先で踏み止まると、もう一度口を開いた。


「あの、僕の友達も一緒にいいですか」


 卑怯だとリックは思った。

 顔を真っ直ぐに見られず、コルテオが口を開くまで、左手の麦わら帽子を見ていた。


「もちろん。大歓迎じゃ」


 その言葉を耳にして、ゆっくりとリックは顔を上げた。

 コルテオの顔に浮かぶ笑みは、いつもと同じだったかもしれない。しかし、リックにはその笑みがいつものものよりも少し、嬉しそうに思えた。

 

 夕食時、リックはコーザに丘の上の小屋に遊びに行くけど一緒にどうかと訊ねた。コーザはふたつ返事で行くと言ってくれた。


「面白いものってなんだろうな」

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