カエル
翌日からリックは誰よりも早く工房に顔を出した。
しかし神献品である色絵硝子はもちろんのこと、ランプの傘も作ることはなかった。工房の製作は日々の生活に必要なグラスや食器類、窓硝子が中心で、ランプの傘のような手の込んだ工芸品を作ることは少なかった。
それでもリックはグラスや食器を作ることにもすぐに魅せられた。
今まで経験した多くの仕事と同じように、はじめのうちは形が歪になるどころか息を入れながら筒を回すことすら満足に出来なかった。
最初は種なしに筒を回し、息を吹き入れるところからはじめ、次に硝子種を毎回同じ量だけ取れるよう練習を重ねた。工程をひとつずつ身につけ、一歩ずつグラス作りに近づいていった。
製鉄場でもただの砂から鉄を製錬することに価値を見いだしてはいたけれど、工房では器や窓硝子や花瓶といった形があり、手に取って使えるものを作っていた。液状の熱い硝子が自分の手の中で息を吹き込まれ、形あるものへと新たに生まれ変わる。町の誰かがそれを使って水を飲み、花をさし、時に雨風を凌ぐ。
色絵硝子やランプの傘と比べると地味な仕事ではあったけれど、素朴な細工の中に見える滑らかな曲線や澄んだ表面や均等に膨らんだ硝子の厚みも同じように美しくて、工房の人たちのように立派なものを早く自分の手で作りたい、その気持ちを胸にリックは日々、練習に励んだ。
工房の人たちは気難しい職人気質とは反対にリックを温かく迎え入れ、リックが早く一人前の硝子職人になれるよう、色々と手解きをしてくれた。道具の扱い方から材質の違い、硝子の特徴と必要なことを一から細かに教えてくれた。
中でも一番気にかけてくれたのがジンと初めて工房を訪れた時、気の毒に、そう言いたげな顔で挨拶を返してくれたヤンだった。
ジンはコーザの言っていたように生活のこととなると大雑把で、いつも寝癖がはねたまま無精髭を散らかしたまま、太陽もずいぶんと高く昇ってから工房に現れた。しかし自分の割り当てを作り終えると毎日、
「暇だな」
そう言いながらも、リックの前で筒を回しては手本を見せてくれた。
リックの不出来を小馬鹿にするようなふりで取り繕ってはいたけれど、注意すべき点を説明し、直すべき癖を指摘してくれた。
ヤンは窓硝子のような平板なものを作ることが多かったが、自分の仕事がひと区切りつくとリックの様子を見に立ち寄ってくれた。昼休みには声をかけ、ヤンの奥さんが作った昼食を持ってきてくれた。グラスを作ることも面白かったが工房にいるだけで楽しくて、一日一日が瞬く間に過ぎていった。
工房から町の北側にある家への帰り道、行きの時には渡る橋をそのまま通り過ぎると、リックはひとつ先の横道に入る。その小道を真っ直ぐ突き当たりまで進むと一軒の小さな店に出る。注文を取り、工房で作ったグラスや食器、ランプの傘といった硝子細工を置いてくれるのがこの一軒の小さな店だ。
その店には特に名前はないらしいのだが、工房の人たちはその店を『カエル』と呼んでいる。
入り口に掲げられた丸い看板に、楽器を演奏しながら行進する三匹のカエルが描かれている。
リックは工房からの帰り道、少し遠回りしてカエルに立ち寄ると店の中をのぞいた。
リックが訪れる時刻にはすでに店は閉まっているのだが、灯された明かりが店内を明るく照らし、その橙色の淡い光りを硝子のなめらかな曲線がすべらせるように方々へ反射しているのが見える。売り物のランプも火こそ灯されていないけれど、店内の灯りを受けてその虹色の移ろいを壁に映し出している。
町場の広間を飾る色絵硝子のように、それは見る人の心を暖かに満たしてくれる光景だった。
そんな光景を目の前に、リックは想い浮かべる。
自分の手で作ったグラスがここに並べられ、こんな暖かな光景を一緒に描き出す日のことを。




