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暗黒物質製造機令嬢は今日も婚約者に炭を食わせる。

作者: 伊月ともや

 

 

 挿絵(By みてみん)


 僕の婚約者はとても料理が下手だ。どれくらい下手かと言うと、材料を手に取った瞬間に炎魔法でも使って炭にしてしまったのではと思える程に下手だ。


「カルディ様、今日もご指導の程、宜しくお願い致します」


「うん。宜しくね、ミーリャ」


 もう一度、言おう。僕の婚約者であるミーリャ・ストグレフは料理が下手だ。


 普通、貴族令嬢ならば料理を自ら行おうとする者の方が少ないだろう。せいぜい、お菓子作りが趣味だと言う令嬢ならいるかもしれない。

 そして、ミーリャだって、れっきとした伯爵令嬢だ。


 しかし、彼女の趣味は「料理」である。そう、料理である。

 もう一度、言おう。彼女の趣味は料理だ。


 けれど、とてつもなく料理が下手なのである。むしろ、彼女に料理を教えるために、料理を勉強した僕の方が得意になってしまった。

 どのくらい下手なのかと言うと、正直に言えば気が遠くなりそうになる。


 それでも、僕が喜ぶ顔が見たいからと言って、一生懸命に料理の仕方を覚えようとする彼女はとても可愛い。


 贔屓目無しでとても可愛いのだ。

 婚約者馬鹿と言われても構わない。ミーリャは可愛い。


 たとえ、トマトを右手で潰しても、卵を粉砕させても、まな板を包丁で割っても、鍋の中身を爆散させても、パスタを茹でて白い沼を作っても──出来上がりが何故か全て木炭か、もしくはこの世のものとは思えない物体になっているとしても。


 大丈夫、心の底から僕は彼女を愛している。

 全て、好き。大丈夫。問題ない。


 ……それでもたまに不思議な力でも宿っているのかなと思う時がある。彼女は炎系の魔法は苦手だと言っていたはずだけれどなぁ。いやぁ、不思議なもんだ、はっはっは。


 おっと、つい現実から目を逸らしてしまいそうになった。


 大丈夫。僕は魔物が蔓延る過酷な辺境の地を守る辺境伯の次男だ。今まで、どんな魔物とも戦ってきたし、怖いものなんて何もない。

 ……やっぱり、何も、なくは、ない、かなぁ……?


「ミーリャ。それじゃあ、手を洗ってから早速、材料を混ぜ合わせていこうか」


「はい、カルディ様」


 今日、作るものはパウンドケーキだ。午後のお茶の時間に間に合うように作りたいとのことだが、僕はそのお茶の時間が近づいてくることを少しだけ恐れていた。


 ……大丈夫、胃薬は用意してある。僕の胃はミーリャの料理を食べ続けて、鉄の胃となりつつある。


 何なら、獣臭いと言われている魔物の生肉を食用として綺麗に処理したものだって食える自信がある。いや、やはり生肉は止めておこう。身体に悪いし、焼いた肉が一番美味い。


 それにしても、エプロン姿のミーリャは本当に可愛いな。

 絹のような金色の髪を一つにまとめ上げているから、うなじが良く見える。うん、とても良い眺めだ。舐めた……おっと、失礼。


 よし、この素晴らしい想い出を糧に午後のお茶の時間を生き抜こう。ミーリャのエプロン姿を脳裏に収めた僕は強いぞ。


「まずは、このケーキの型にバターを塗っておこうか。はい、スプーンだよ」


「分かりました」


 ミーリャは僕からスプーンを受け取ると、少し苦戦しながらもバターをケーキの型へとまんべんなく塗っていく。


 うんうん、君がそうやって楽しそうに料理をしている姿を見るのも好きだよ。一つずつ、作業を楽しんでいるって凄く伝わって来るからね。


「ふぅ……。カルディ様、塗り終わりました」


「ありがとう。……それじゃあ、さっそく材料を混ぜ合わせていこうか」


「はい」


 材料をボウルに入れて、混ぜ合わせるだけだ。大丈夫、不思議な力が突然出て来るような出番などないのだから。


「えっと、砂糖と薄力粉と……それと……」


 ミーリャは僕の指示通りに、あらかじめ分量を量っていた材料をボウルの中へと入れて行く。


 この厨房にはパウンドケーキを作るのに必要な材料しか用意していない。つまり、不必要なものをミーリャの目に入れないようにしているため、予定にない味が完成することはないのだ。


「はい、こっちは事前に常温に戻しておいたバターと卵だよ」


「ありがとうございます」


 僕からバターが入った器を受け取り、ミーリャはボウルの中へと入れて行った。

 よし、ここまでは大丈夫だ。さて最初の難関がやって来たぞ。


 ミーリャは僕の心配をよそに卵を手に取った。今まで、ずっと卵を割る練習をしていたからな。今日こそ、練習の成果を見せる時だ。


 十個中一個は綺麗に割れるようになったと言っていた。もちろん、砕け散った九個はオムレツにして僕が食べたけれど。あれはカルシウムが豊富に感じたなぁ。


「……」


 ミーリャは一つ息をしてから、卵を──両手で手を合わせるように叩き潰した。


 ──グッシャァアッァ。


 目の前で散っていくのは白と黄色。あっれー……? 

 僕は思わず、彼女の方に視線を向けてしまう。


「……よし、完璧に割れました。これで殻は粉末状になったので、大丈夫でしょう」


 うん、完璧には割っていなかったよね。思いっ切りに卵の殻も入っていたけれど、それを一瞬で粉末状にしたって、どんな掌を持っているのかな、君は。


 確かに薄力粉と混ざって、どれが卵の殻だったか分からなくなっているけれどね。問題はね、そういうことじゃないと思うんだけれどね。


 でも、あまりにも満足気な顔をしていたから僕は「割り方が違うよ」なんて言えなかったんだ。

 笑顔が可愛かったから。この笑顔を曇らせたくはなかったんだ。


 手を濡れ布巾で拭いてから、ミーリャはボウルの中へと収まった材料を木べらで混ぜ始める。


 うん、卵の件は置いておこう。

 大丈夫、カルシウムは大事だからね。


 ほら、見てごらんよ。ミーリャがとても楽しそうだ。彼女が楽しいならば、僕はそれでいい。


 たまに重なる休日を僕と一緒に料理して、お茶をしたいと恥ずかしそうに訴えて来た可愛い婚約者のためならば、僕は何だって出来る。


 そう、たとえ現時点の過程が上手くいっているのにこの後、全てひっくり返ることになろうとも。


「混ぜ終わりました!」


 ぱぁっと花が咲いたような笑顔で報告してきたので、思わず彼女の姿に見とれてしまっていた僕は現実へと思考を戻した。


 そして、ボウルの中身を確認する。

 うん、材料はちゃんと混ざって……んん?


「……ミーリャ」


「はい、何でしょうか」


「ボウルの中に、材料以外のものを追加で入れたりした?」


「え? いいえ、そのようなことは。ちゃんとカルディ様の指示通りに材料を入れて、混ぜました」


「そう……」


 僕は一瞬だけ、眼科に行った方がいいのかと思った。


 だって、僕が用意した材料は全て普通の材料だ。

 作り方だって、おかしなところは無かった。


 それなのに、ボウルから一瞬だけ目を逸らした瞬間に、作っているケーキの生地が全て真っ黒になっているなんて、誰が思うだろうか。


「……あの、何かおかしいところがあったでしょうか」


「んんっ……」


 ミーリャはどこか不安そうな瞳で僕を見上げてくる。

 そう、彼女は気付いていないのだ。料理を作る過程で、彼女自身も自覚していない「不思議な力」が発動していることを。


 もちろん、魔法を使ったような形跡は見当たらない。だからこそ、不思議なのだ。


「何っっにも、問題ないよ! 大丈夫! さぁ、このまま材料を型へと流して、オーブンで焼こうか!」


「はいっ」


 僕から、問題はないという言葉を受けたミーリャは嬉しそうな顔で頷き直す。


 いいんだ、いいんだ……!

 彼女の笑顔を見ることが出来るならば……!


 そう思いつつ、僕はオーブンの目の前で焼き上がりを楽しみに待っている婚約者の姿を魂に刻んでおこうと眺めることしか出来なかった。



 ・・・・・・・・・・



 数十分程が経ち、パウンドケーキは無事に完成した。──綺麗な木炭として。


「あら、最初と色は少し違うようですが、綺麗な焼き上がりですわ。これもカルディ様のご指導のおかげですわね」


「そんなことないよ……」


 ああ、今回も不思議な力が発動して、全て炭になってしまったようだ。いいんだ、毎回のことだから。


 そして、料理の成功を喜ぶミーリャが可愛いから、それだけでいい。

 本当、笑顔だけで、お腹いっぱいになりたい。


 ミーリャは「ガギギッ、バキッ……!」とケーキらしからぬ音を立てるパウンドケーキを綺麗に切り分けていく。

 その細い腕のどこに、この木炭を綺麗に切り分ける力が宿っているというんだ。


 紅茶用の砂糖を用意しているけれど、きっと砂糖十個を紅茶に投入しても、パウンドケーキの炭の味は打ち消されないと思う。


 大丈夫、好き。僕はミーリャが好き。炭ケーキを作っても、僕はミーリャが好き。

 でも、炭はどう足掻いても炭だと思うの。


 おかしいな、僕もちゃんとオーブンの前で見張っていたはずだけれど。

 時間だって、きちんと計っていたのに、どうして最後の最後で炭になっちゃったんだい、パウンドケーキ。


「準備が整いましたわ」


「……うん、ありがとう」


 ミーリャはにこにこと楽しそうに僕の前へと座る。

 本当ならば、庭でお茶をしたいところだけれど、厨房でそのままお茶をしているのには理由があった。


 それは以前、今日と同じように僕に教わりつつミーリャがクッキーを作ったのだが、そのクッキーをお供に庭先でお茶をしていたところ、ミーリャにとって意地悪な従兄弟が乱入してきて、クッキーを奪い去るようにつまみ食いしたのである。


 だが、その従兄弟はミーリャのクッキーを食べた次の瞬間、気絶していまい、更に痙攣さえも起こしていた。


 その後、大人たちが集まって来て、ついでに医者も呼んで、危うく惨事になりかけたが、従兄弟は何とか命を取り留めたという。

 そして、彼の容態を心配していたミーリャに一言、こう言ったのだ。


『この暗黒物質製造機め……! 劇物で俺を殺す気か!?』


 従兄弟はただ、年下の従姉妹であるミーリャが婚約者と一緒にいるところをからかってやろうと思ったのかもしれない。

 彼女が作ったクッキーを食べて、不味いと言って笑うつもりだったのだろう。


 しかし、予想と味は見事に外れて、彼は死の淵を彷徨うこととなってしまったのだ。


 ミーリャも従兄弟のこの言葉に衝撃を受けて、自室に籠って塞ぐようになった。


 けれど、僕がこれから先もずっと味見をするから、一緒に料理をして、少しずつ上達していけばいいんだよと誘ったことで彼女はもう一度、頑張ろうとやる気を出したようだ。


 ……もちろん、そのやる気に実力が追いついているかと訊ねられたら、はっきりとは頷けないけれど。


 だからこそ、こうやって厨房を借りて、二人だけで料理の練習をするようになったのである。

 食べる場所が厨房なのは、他の者が邪魔をして、これ以上の被害が出ないようにするためだ。


 厨房を仕事場としている料理人達にはこの時間だけは休んでもらっているため、実質的には厨房に二人きりである。

 でも、甘い雰囲気なんて全くないけれどね! あるのは苦いお菓子だよ!


 それでも、僕は嬉しいんだ。僕のために料理を上達させようと、一生懸命に頑張っているミーリャが好きだからね。


「それではさっそく頂きましょう」


「うん」


 さぁ、来るぞ。僕はフォークで硬すぎるケーキを分断していく。

 「バキッ、ボキィッ!」とケーキとは思えない音が鳴り響くけれど、無視だ。


 一方でミーリャは本当に同じものを食べているのかと疑う程に優雅な手付きでケーキに切り込みを入れている。

 やっぱり、僕よりも腕力があるのでは、とは聞けない。


「いただきます」


 フォークでケーキをぶっ刺して、僕は口元へと黒い物体を運んで行く。


「……」


 口へ入れた瞬間、慣れた炭の味が広がっていく。おかしいなぁ、一体どこで間違えたんだろう。

 あ、でも炭の中に砂糖の甘さが……あるような、ないような……。


「あの……。お味はどうですか?」


 目の前に座っているミーリャが不安で仕方がないと言わんばかりの表情を浮かべつつ、僕へと訊ねてくる。

 同じものを食べていても、彼女はこの味が炭だとは思わないらしい。


 別に彼女の味覚がおかしいわけではない。美味しいものを食べた時は美味しいと言うし、舌だって肥えている。

 ただ、彼女が作ったものを食べる際の味覚が、少々変わっているだけだ。


 でも、「炭」としか言いようがないこのケーキを食べても平気な顔をしている彼女の胃はダイヤモンドで出来ているんじゃないかなと思う。


「……」


 カルディアス・アルタス、鬼になるんだ。

 心を鬼にしなければ、彼女の技術の向上には繋がらない。


 そう、今日のパウンドケーキは炭の味がするとはっきりと告げるんだ。


「……」


 口の中には炭一択。

 そして目の前には潤んだ瞳で僕を見続ける婚約者。


 もぐもぐ、もぐもぐ……。

 ……うん!!


「今日の……パウンドケーキはとても卵と砂糖の味が活かされていると思う。(炭の)風味が良くて、(炭の)歯ごたえも絶妙で、(炭の)味も上品に仕上がっていると思うよ」


「まぁ!」


 あぁぁっ……! ほら見ろ、またやってしまったぁぁぁ!

 ミーリャの笑顔が見たいがために、心を鬼にすることは出来なかったぁぁぁ!


 そして僕の胃が鉄へと近づいた気がする。


 だって、無理だよ! こんなにも嬉しそうに笑うんだよ! 


 普段はとても冷静で、他人に笑顔を振りまくような人じゃないから、彼女の笑顔は貴重なんだよ! 


 ミーリャの笑顔は僕のもの!

 だから、例え胃が壊れようとも、僕は彼女の笑顔を守り切る……!


「良かった……」


 ミーリャは心底安堵したといった表情を浮かべている。


 すまない、僕が君の笑顔を見たいがために酷評なんて出来なくてすまない。

 それに僕、相手は褒めて伸ばしたいタイプの人間だから。


「カルディ様、いつも私に料理を教えて下さり、ありがとうございます」


「いや、そんな……。色んな料理を覚えたいという向上心は大事だからね」


「……実はカルディ様が私の料理を美味しそうに食べて下さるのを見るのが好きなのです」


「……うん、僕もミーリャが作る料理を食べるのは好きだよ。だから、僕以外には絶対に、絶対に、ぜーったいに食べさせたりしたら駄目だからね。君が作った料理は一欠けらとして誰かに渡す気なんてないから」


「まぁっ」


 僕の言葉が嬉しかったのか、ミーリャは頬に手を当ててから、顔を真っ赤にしていく。うん、可愛い。


 でも、とてもじゃないけれど、僕以外の人間に炭を食べさせないためだなんて言えない。

 

 だって、照れている顔も可愛いもの。

 そう、これは惚れた弱み。僕は彼女の全てが好きなのだから。


「……カルディ様」


「ん?」


 やっと自分の分を食べ終わった僕は名前を呼ばれたので、ミーリャの方へと顔を向ける。

 するとミーリャはフォークに炭ケーキを刺して、差し出してきた。


「えっと、あの……。あーん、してください」


「……」


 可愛い。可愛いけれど、持っているものは、炭。


 でも、「あーん」なんて、たまにしかやってくれないから、僕は思考を巡らせる前に身体を動かしてしまっていた。


 ぱくっと、ミーリャから「あーん」されたケーキを頬張る。うん、同じく炭の味だ。

 けれど、目の前のミーリャが嬉しそうに笑うから、口の中が少しずつ甘くなってきた気がする。


 うーん、やっぱり、彼女が作る料理が炭ではなくなったとしても、一欠けらとして誰にも食べさせたくはないな。


 ケーキとは思えない激しい咀嚼音が口の中で広がっていくけれど、僕は「美味しい」と伝わるように大切で可愛くて、でも料理がちょっとだけ、ちょーっとだけ苦手な婚約者に笑みを返すのだった。


 

               (完)

    

  

 とても久しぶりに短編を書いてみましたが、いかがだったでしょうか。

 読んで下さり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] シュール系恋愛コメディーとしては地の文がちょっと説明的すぎるのと、そもそも全体として丁寧で穏やかな言葉選びのせいで逆に印象に残りにくいというか破壊力が足りない。 短編習作としては悪くな…
2020/07/12 21:24 刺身にわさび墨汁は避けたいぶーめらん
[一言] 互いの愛は伝わりました。十分過ぎるほどに。鋼の胃袋の正体は愛ですね。面白かったです。
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