第三話 Day To Remember①
状況を整理しよう。
山で赤竜と遭遇し、飛び乗って討伐した結果として空から落下。
暴発した炎で服に引火した為、慌てて川に飛び込んだら、そこには全裸の緑髪緑眼の少女が居た。
しかも彼女は見ず知らずという訳では無くて、それどころか――。
「探した……一杯探したんだからね!?」
「――いっ!?」
目尻に涙を湛え、一糸纏わぬ姿のまま少女は俺へと抱き付いて来る。
咄嗟に反応する事も出来ず、押し付けられた柔らかな二つの感触で幸せな気持ちに……は、なれなかった。
それどころでは無かったのである。
主に、抱き付いて来る彼女が背中へと回して来た両腕のせいで。
「あんな……あんな急に私達の前から居なくなるなんて……酷いよ!」
「ちょっ!? ちょっと待って! 今触んないで! 痛い! 火傷が! 背中ぁ!?」
「そう言って放したらまた何処かへ行くつもりでしょ!? 騙されないからね!」
「違う! 待てって……痛い痛い!? 頼むから背中触らないで!」
押し付けられる、少女の柔らかい肢体。
平時であれば心の中は一瞬で煩悩にでも塗れてしまいそうだが、今は身体の状態がそれを許さなかった。
とにかく背中が痛い。ヒリヒリ痛むのに、その上更に少女の両腕が背中に回されて、ガッチリ抱え込んで放さない。放してくれない。
少し触られたくらいでも痛いのに、息苦しくなるほど強く圧迫されれば尚更だった。
「レ、レメディア、とにかく落ち着いて……!」
「無理。もう暫くこうさせて。折角見つけたのに、ラウ君は冷たいね」
少し背の高い彼女の、拗ねた様な声が耳元で聞こえる。ただでさえ全裸の少女が抱き付いて来るという状況であるというのに、今更ながら頭に熱が集まって行くのを知覚する。
けれどまだこの少女、レメディアは彼女自身の恰好を忘却しているらしい。
尚も続く背中の激しい痛みとその他雑多な感情で百面相をしながら、どうにか言葉を絞り出す。
「喜ぶとかは後でも出来るんだから、頼むから一旦冷静になれって」
「私は今でも十分冷静だよ。寧ろラウ君が冷淡過ぎるんだっ」
「いや、だってさぁ……今のお前、服着てないじゃん?」
「…………」
途端に沈黙が、訪れた。
あれだけ文句を言って騒いでいたレメディアが嘘のように黙り込み、辺りには川の流れる音と、風に揺れる枝葉の音だけ。
燦々と降り注ぐ太陽光が心地良く、水に濡れた肌を温めていた。
少し視線を上げれば先程まで居た筈の山が見え、自然の雄大さを何よりも物語っている様な景色が広がっている。
自分から指摘してしまった、指摘せざるを得なかった事が何とも気恥ずかしくて、ついつい遠くを眺めて居ると、不意に体に抱き付いていた筈の腕が離れた。
間髪入れず人一人が水の中へと屈み込む音がしたかと思えば、そこには川面から肩より上を出しているレメディアの姿があったのだった。
こちらを見上げて来るその顔は先程よりも一層紅潮し、耳まで染まっていた。さっきまで泣いていたとしても、それ以外に別な感情も加わっているのだろう。
だからこそ今までの湿っぽかった声は、早口なものへと豹変していた。
「……み、見たの?」
「何の事だか」
「何処まで見たの?」
「いや何処も見て無いけど」
「しらばっくれないで」
「俺、目が悪くてさ」
「嘘吐かないで。私よりも遠く見えるでしょ」
その詰問は、当初こそ恥ずかしさの滲んだものであったが、段々と平坦さ及び冷たさが勝って来る。
まるでこちらが悪い事をして怒られている様な気分にさせるものだった。
「言え、吐け、とっとと早急に」
「何で俺がそこまで問い詰められなくちゃいけないんだよ!? お前のせいだろうが!」
「そう言うって事は見たんだね。最低」
「俺の言葉も聞かずに抱き付いて来たのはそっちだよな!? おい!?」
見上げながら睨んで来る彼女に、思わず抗議をする。当たり前だ、そんな扱いを受けて納得出来る訳が無い。
思い切り問い詰めてやりたいのも山々だが、相手は今全裸である。取り敢えず服を着て貰った方が、目の毒とならない為に必要な事だった。
旅をしていたのか、日焼けをしているのは腕や顔などと言った露出の多い箇所が多く、反面肩などは白い。
この川で水浴びをして汚れも落としていたのだろう。薄っすらとした日焼けと色白さの対比が、目を引く理由の一つにもなっていたのだろう。
「お前、服は?」
「そこの石の上。誰かさんがいきなり川に飛び込んで来るなんて思わなかったから」
「俺だってお前がここに居るなんて思わないっての。こちとら服が燃えてそれどころじゃなかったし」
お陰で背中は火傷してしまったと、何もして居なくとも感じる鈍痛に顔を顰める。
怪我の具合は分からないが、少し高温なものを触れば水膨れが出来てしまう事を考えると、もう少し酷い度合いになって居そうだ。
それは俺が川に飛び込む様子を見ていたレメディアも同様に考えたらしく、血相を変えて立ち上がっていた。
そして、両手でガシッと俺の顔を固定して言う。
「ラウ君、背中っ! 背中見せて!」
「わっ!? 分かった、分かったからお前一旦しゃがめ! また全部見えてるから!?」
顔を背けようにも出来ず、視線を逸らしても視界の隅にはどうしても映ってしまう。瞼を下ろすのは何となく勿体無い気がして、そこまで判断が及ばない振りをしていた。
一方、レメディアも再度自分を省みたのか、一瞬で川へと屈み込んで戻って行った。
「……全部見たでしょ?」
「お前が見せたんだよ……」
いよいよ目を合わせるのすら気まずくて、視線どころか顔ごと背けてあらぬ方向を見る。しかしそれでも、絶対零度の肌に刺さる視線が犇々と全身に照射されているのが分かった。
「そのまま目を閉じて、後ろを向いて。私も服を着るから、絶対に振り返らないでね?」
「はいはい、分かったよ。とっととしてくれ」
どうやら火傷を診るのは後回しにするらしい。賢い判断だと思いながら返事をし、背を向ける。
だが、その背中を一目見たらしいレメディアは、服を取りに川岸へ行かず、寧ろ駆け寄って来ていた。
それを水音で察して何事かと振り返りかけたが、「動かないで」と先制されて停止する。
「酷い火傷……どうしてこんな事に?」
「そんなに酷い? まぁ、滅茶苦茶熱かったけど」
「酷いなんてものじゃないよ、これ。ちゃんと手当てしないとその内死んでもおかしくないくらい」
時折レメディアの指が火傷を負った背中に触れ、むず痒さと痛みの混じった感覚に表情が歪む。
しかし背を向けているのでそれが彼女の目に付く事は無く、真剣な声音で告げられた。
「これ、先に火傷の手当てをした方が良いかも」
「いや服着ろよ。風邪引くぞ」
「そんな事より今はラウ君の怪我の方が重大だよ。取り敢えず、上の服は脱いでくれる?」
「……あいよ」
先程までの気恥しそうな態度や、冷たい詰問するような口調は一体何だったのかと思う程、背後に居る少女は真剣な雰囲気を纏っているらしかった。
下手に冗談を飛ばすのも憚られて、彼女の言う通り焼け残っていた服を脱ぐ。その際に、焼け残っていた背中側の繊維が擦れて痛かったが、手に取って確認してみるともう殆どが焼けてしまっていた。
もはや背中部分は皮膚が露出していると言ってよく、黒焦げになって焼け残っている端部を見れば自分の火傷が軽傷で済みそうにないと納得も行く。
「で、どうやったらこんな火傷になるの? ここ、森と山しか無いけど?」
「赤竜にやられた」
「……え?」
背後で、息を呑む気配がする。長い付き合いだから予想もつくが、恐らくその表情も分かりやすく驚いている事だろう。
それが何となく懐かしくて、面白くて、ついつい漏れそうになってしまう笑いを堪えながら、もう一度説明した。
「だから、赤竜にやられた。山の中を進んでたら偶然出くわして、このザマだ」
「う、嘘じゃないの? 赤竜って、あの噂に名高い飛竜種でしょ!? そんなのと……まさか、さっきこの辺の空を飛び回ってたのって」
「正解。あれだ。あれにやられた」
「馬鹿じゃないの!? 何でそんな無茶したのさ!? だいたい、山で遭遇したって言うのにどうして川に飛び込んでる訳!? 意味分かんないし!」
その怒声が鼓膜を叩き、レメディアの手が火傷を負った背中を叩く。感情が昂った故の事だろうが、その痛みは尋常ではない。
そもそも普通の火傷に比べても、慢性的な痛みは強く、況して叩かれれば尚更。
背中から全身を駆け巡る激痛に百面相をしながら声も上げずに堪えていると、そこで追撃をするようにもう一度背中を叩かれる。
「~~~~~~~~っ!!?」
余りの痛さに、意志とは関係なく視界が潤む。姿勢も直立では居られず、その場でくねる様に悶える羽目になっていた。
「何でそんな危ない事をしたの!? そうまでして私やクィントゥス君、ガイウスさん達とは一緒に居たくなかったの!? 酷いよ、そんなのって!」
「待っ!? 違っ!? そうじゃなくて痛ッ!?」
二度ある事は三度ある。三度ある事は四度。
俺の背中と彼女の平手は、河原に乾いた心地の良い快音を響かせていた。しかし叩かれる方からすれば、こんなものは堪ったものではない。
背中から何度も全身を駆け巡る激痛を我慢しながら、彼女へ抗議する。
「おいレメディア! 俺の怪我を手当てするんじゃなかったのかよ!?」
「こっちを見るなぁっ!!」
「へぶっ!?」
思わず振り返っていたが、それに対して間髪入れずに彼女から返って来たのは平手打ち。
まさか顔面にまで攻撃が飛んで来るとは思っても見なかったので、綺麗に良い一撃を貰ってしまったのである。
身構えていた訳でも無いので呆気なく体勢を崩し、川に倒れ込んでいた。
水面に半ば叩きつけられるような形であった為、鼻にも水が入り、慌てて顔を出して咳き込む。ツンとする不快な感覚に苦い顔をせずには居られないが、それよりも優先すべきはレメディアへの抗議で。
「お前、幾ら何でもやり過ぎだぞ!?」
「だまらっしゃい! 怪我人は大人しくする!」
「そう思うなら丁重に扱えよ!?」
もう一度レメディアに目を向ければ、またも平手を食らってしまいそうな気がして、顔は背けたまま反論する。
というか、手当てをしてくれる筈のレメディアが怪我人を甚振るとはこれ如何に。
「こんなのって……こんなのって……!」
「ごめんな。いや、言い訳臭いけど俺が一緒に居ると皆に迷惑掛けそうって思ったら、出てくのが一番かなって考えたから」
「それが一番な訳ない! 私もクィントゥス君も、ガイウスさんも、マルクスさんも、プブリウスさんも、ラウ君が一人で出て行く事は望んではいなかった!」
不意に、背中を叩く手が止まった。
同時に、激情に染まっていた彼女の声も一気に失速し、辛さを吐き出すような口調へと変わって行く。
けれど、だからと言ってその主張に同意は出来なかった。
何故なら今でも思い出すのだ。彼女らと再会できた、タルクイニ市での出来事を。
「じゃあ訊くけど、グナエウス達もそうだって言える? アイツらはさ、俺がユルスの仇だって言ってたんだぜ。それなのに、今になってその主張を翻せるとは思えないんだよな」
「待って、それは……!」
「“待って”も“それは”も無いんだ。俺はあの時、かつて家族だった奴から明確な敵意を向けられて、素性と所在までも密告された。なぁ教えてくれレメディア、それでもあそこに戻るべきだって言えるか?」
思っていた以上に冷たい言葉が、冷め切った口調で放たれていた。それを真正面から受け取ったレメディアが、視界の外で息を呑む。
「お前は、村で一緒に過ごした仲間だから俺と一緒に居たいとか戻るべきだとか言うけど、他の奴には俺を敵視しているのが居るんだ。今更戻ったところで、四方八方手を尽くしたところで、元には戻れない。俺に関わるだけ無駄だぞ」
「む、無駄じゃない! やって見なきゃそんな事は分からないし……!」
「無駄だ。無理だと言った方が良いかもな。仮に俺を無理矢理戻したとしても、不和の種を周囲にばら撒くだけだ。余計に事態がややこしくなる」
レメディアやクィントゥスは、もしかしたら色々と配慮してくれるかもしれない。だが、それだけ。
ガイウス・ミヌキウスや、その母のロサは俺が原因で家を荒らされているのだ。それが一度ならず二度三度となれば、或いはその危険性を知っていれば、もう匿おうと思ってくれる訳もない。
ともすればその内愛想を尽かして、裏切るかもしれない。だってその方が楽だから。心配事は無くなり、しかも莫大な金だって手に入る筈だ。
金の関係や利害の関係ではない、義理や善意を以て繋がる関係と言うのは見えにくいだけに、俺からすれば極めて不安定で不透明である。
そしてそれは、そのままレメディアやクィントゥスにも当て嵌まる訳で。
「今はお前も俺を受け入れてくれるかもな。けど、その内俺を庇い切れなくなったらどうする? 庇う事に疲れたらどうする? 或いは、俺と関わったせいで更に周りの大切な人を失ったら?」
「…………」
「身近で大切な存在を俺のせいで沢山失った時、お前は俺を恨まないって言える? 憎らしいって思えないのか? お前さえ居なければってさ」
あの時、グナエウス達が密通した際もそう言った事を投げ付けられた。見えない鈍器で、同じく実体のない心を殴られた様な感覚だった。
肉体的な痛みは何も無い。けれど心を殴られたせいで罅が入って、何かが欠落してしまった。その自覚が俺にはある。
「レメディア、お前分かるか? 以前はあれだけ楽しく過ごしていた家族一部から、殺意と敵意を向けられた時の気持ちが」
「ラウ、君……」
「お前に分かるか? やがて、残りの家族からも同じ様に嫌われ、敵意と殺意を向けられるかもしれないと考えた時の気持ちが」
「…………」
「分かるか?」
視線は流れて行く川面に向けたまま。表情も確認しないでレメディアの返事を待つが、何も言っては来なかった。
その事がどうしようもない苛立ちとなって心に募り、そして。
「人の気持ちを考えもしないで、一丁前の事を言ってんじゃねえ。だから信用出来ないんだよ、人間そのものが」
「嘘……でしょ?」
ぽちゃん、と川面に水滴が落ちる。それは波紋を作り出す前に流れて消えた。
雨かと思って空に目線を向けるけれど、そこには相変わらず青空とほんの少しの雲、そして太陽が浮かんでいるだけだった。
そんな事を考えていると再度、水滴の落ちる音がする。
「ラウ君、どうしてそんな……酷い、よ」
「酷いのは俺以外の人間ほぼ全てだろ。勝手に敵視して、勝手に騒いで、勝手に殺しに来る。抵抗すればそれで勝手に怨んで、勝手に追い掛けて来るんだぜ? これじゃどっちが悪魔だか分かんねえな」
攻撃してくれば反撃するのは当たり前だろうに、タリアと言い、東帝国皇太子マルコスと言い、余りにも自分勝手だ。身勝手だ。
なのに人はそのマルコスに従う。金や権力に従って、こちらの事情なんて考えもしてくれない。
こんな状況に置かれて誰かを信頼する事なんて出来やしない。一体誰を信じて頼れと言うのだ。
だから俺が信頼しているのは、自分自身と利害の一致している者だけ。
気まぐれで助けたシグも、一緒に行動しているリュウにも、信頼など掛けてはいない。
裏切る利益が無い、或いは動向を拒否する利益が無いと判断したから共に居るに過ぎないのだ。
信用ともいうが、利用と言い変えても差し支えない関係だと俺は思っている。
「今度こそ、平気かもしれない! ガイウスさん達だってラウ君の事は心配してるんだよ!?」
「そりゃ、もう俺が身近にいないからだ。今度戻ったらその内うんざりした顔するだろうさ。あの人達には、俺が居るだけで迷惑をかけるんだか」
熱と湿気の含んだ声が、耳朶を打つ。川面に落ちる水滴も僅かにその数を増し、鼻を啜る音まで聞こえてくる。
「そんな事ないっ! ガイウスさんだって、餞別に剣を渡してくれたでしょ!?」
「ああ、結構な業物らしくて使い道には困らないな。戻ってガイウスさんに伝えといてくれ。お陰様でそちらに戻って迷惑を掛けずに済みそうですってさ」
「そうじゃない! ガイウスさんだって、そんな意味で剣を渡した訳じゃ無い!」
強く言い切る、レメディア。どうしてもそこまで分かる根拠が理解出来なくて、思わず鼻で笑ってしまっていた。
言ったこの少女はどこまで楽観的で、脳内が御目出度いのかと、そう思ってしまったのだ。
背後で聞こえる嗚咽は先程より大きくなり、熱の籠った震える息の音がする。
「で、目に見える形での証拠はあるの? 例えばさ、どの辺の利害が一致してるのか、みたいな」
「ふざけないでッ!」
「――――ッ!?」
ばちん、と背中が乱暴に叩かれた。それは先度までから更に威力が増していて、藪から棒に全身を駆け巡る痛みのせいで上体が思わず仰け反った
だが、それでも攻撃は止まらない。
「そんな分かりやすいものだけで人が動く訳ないじゃん! どうしてそれが理解出来ないの!?
「理解も何も、俺は今まで散々そう言う奴を……」
「分かってない! 分かってないからそんな事が言えるんだよ! ラウ君の馬鹿! 阿呆! 頓馬! 分からずや! 魯鈍! 抜け作! 安本丹! すかたん! 低能! 遅鈍! 脳足りん! 頓痴気! おたんこなすっ!」
「~~~~~~~~ッ!!?」
一単語の罵倒毎に強烈な一撃が背中に見舞われていく。振り返って取り押さえてやりたいところだが、生憎と相手は全裸の少女。
迂闊に振り返ったらまた平手を貰ってしまいそうで、即座には動けない。何より痛みを堪え悶えるので精一杯だ。
よくここまで罵倒の言葉が出て来るものだと感心するだけの余裕は、もはや無い。
このままでは殺されてしまうかもしれないと、本能が告げるままに身を翻し、そして振り上げられていた彼女の腕を掴む。
「放してよっ! まだ気が済むまで叩き終わってない!」
「そこまでやられたら冗談抜きで俺が死ぬわ!」
尚も暴れようとするレメディアは、空いていた方の手で体を叩いて来るが、彼女の膂力自体はそこまで強くはない。俺とて伊達に鍛えて来た訳ではないのだから。
ただ、流石に傷口を攻撃されれば効かない訳が無いというだけで。
「良いか! 俺が何度裏切られて来たと思ってる!? 何度この身を狙われたと思ってる!? 碌に裏切られた事もないお前が、偉そうに説教垂れて他人を引っ叩いてんじゃねえよ!」
「……!」
振り向けば思っていた以上に間近にあったレメディアの顔を凝視し、息の掛かる程の距離で怒鳴り返す。
彼女の頬には今も涙が伝い、目も泣き腫らしていた。
けれど、そんなものは関係ない。
「馬鹿はお前だ! どうして俺の立場になって考えられない! 俺に関わったせいで、俺のせいで、お前らはグラヌム村からも追われたんだぞ!? 何でそれでも関わろうとする!?」
「だって、だって私達はっ! 家族だから……」
「立派だな! ああ立派な気持ちだよ、それは! けどな、これまで散々身勝手な人間を見て来た俺は、お前の主張がどれだけ不気味に見えると思う!? どれだけ不自然に見えると思う!?」
「不気味じゃ無いよ! それが家族で、それが信頼で!」
「誰かを頼る事なんてとうに辞めた! あるのは利用だけ! 信じて裏切られるより、割り切った方がよっぽど楽なんだよ!」
「そんな……そんな生活で、ラウ君は良いの!? それで楽しいの!?」
「煩い煩い煩い煩いッ! 黙れよ、お前! 楽しいとか、今の俺がどうやって実現できるって言うんだ!? ふざけるな! 俺に、白儿にそもそもそんな事が出来る余裕なんて最初からありはしない!」
「そんな訳ないッ! 髪も染めて、肌の色も誤魔化せば……!」
「もうそんな次元の話じゃねえんだよ! 変装したって、髪を染めたってビュザンティオンで見破られた! 俺の顔を知ってる奴が居れば、そうやっていずれ誰かにバレるんだ!」
「駄目ならもっと工夫すれば良いだけじゃないの!?」
「工夫!? これ以上何を工夫するって!? 顔でも焼けば良いのか!? それとも俺の顔を知ってる奴を全員殺せば良いのかよ!? 冗談じゃねえぞ!」
「別に私は、そこまでしろとは……」
「そこまで出来なけりゃお前の言う元通りには戻れないんだよ! 分かるか! お前がどれだけ非現実的で、無茶苦茶を俺に言ったのかが!」
「…………」
いつの間にか、俺を何度も叩いていたレメディアの腕は、動きを止めていた。
涙と鼻水に塗れた顔をこちらに向けて、何かを言いたそうにしているが、それ以上言葉が見つからないらしい。
話は終わったと判断して掴んでいた腕も放し、彼女の顔から体の向きごと視線を外す。そしてそのまま川面に視線を落として、溜息を吐いた時。
視界の隅に映る、人影が三つ。
そう、人が三人居た。
「……え?」
河原に立つ彼らはいつからそこに居たのだろう。
ハッとして視線を上げれば、その三人はいずれも見知った顔であった。
一人はリュウ。
もう一人はシグ。
そして最後の一人が、スヴェン。
靈儿のスヴェンだけはこちらを直視せずに視線を明後日の方へ外しているが、その理由は彼の放った言葉で直後に判明した。
「……ラウ。いや、慶司。裸の女の子とそこまでお熱い痴話喧嘩が出来るって、お前随分と大人になったな?」
「――なッ!? ま、待て! これは違う! 事故だ! 誤解だ! ってか何で三人がここに居る!?」
「~~~~ッ!?」
弾かれた様に動き出す俺と、レメディア。
大慌てで弁明に追われる俺を他所に、彼女は顔を真っ赤にして川の中へと屈んでいた。
その反応を見て、憎らしいほど楽しそうに口端を歪めたリュウは、愉快な感情を確信もせず嬉々として語り出す。
「ついさっき、僕とシグが偶々そこで所在なさげにしている彼を見つけてね。事情を聞いたら何やら面白そうな事になっているらしいじゃあないか。これは是非とも鑑賞しなくては、とね」
「とね、じゃねえよ! 待てよ一体何処から見てたんだアンタら!?」
「お、俺は川にお前が飛び込んだ辺りから……」
「一部始終じゃねえか!?」
おずおずと手を上げて答えてくれたのは、スヴェン。
彼と再会するのも久し振りだが、この状況下でと言うのはとんでもない事である。
「女の子の服も着させず説教垂れるなんて、アンタ最悪だな」
「だから事情があるんだってば!?」
いつも以上に冷たい視線を向け来るのは、シグ。
いよいよ収拾が付かなくなりそうな足音が忍び寄って来る気がする中、思わず大空へ向かって絶叫していたのだった。
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