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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第五章 ココロトジテモ
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第二話 Adventure⑤

◆◇◆



「居たぞ! そっちだ!」


「回り込め! ここで捕まえろ!」


「チンタラしてんじゃねえ! 行けッ!」


 まだまだ日の高い、正午過ぎ。


 穏やかな陽気を具現化するみたく青空には申し訳程度の雲が浮かび、撫でる様な風が吹く。


 自宅にでも居たら思わず昼寝でもしてしまいそうになる過ごしやすさを吹き飛ばす様に、そこは男達の大声が飛び交っていた。


 落ち葉や枯れ枝、地面を乱暴に踏みつける足音と、金属の擦れる音。その騒がしさに驚いてか、森に棲んでいる筈の野生生物の姿は何処にも見当たらなかった。


「……やられた! 何でいきなりこんな数が!?」


「アンタが取り敢えずこの方向に行こうって言ったからじゃね!? だから私は少し時間が掛かってでも話を纏めようって言ったのに!」


「そんな悠長な間は無かっただろ! 後から文句付けてくんな!」


 木々の隙間から見える、男達の影。その数は優に六十人を超え、やけに数が多かった。


 明らかに相当大規模な集団であり、彼らの反応を見るに最初から狙いも俺達であるらしい。


「すばしっこいぞ! 気を付けろ!」


「ここで足を止めるッ!」


「――邪魔だっ!!」


 厄介な事に魔法を扱う者まで居て、冗談抜きで鬱陶しさが尋常では無かった。


 横で木々を挟んで並走してくる男達に牽制の白弾(テルム)を撃ち込み、一気に距離を開けて行く。


 しかし、その間に今度は逆側から別の部隊が回り込んで来て……と、完全に捕捉されていた。


「これは……また随分と厄介な事になったねえ」


「リュウさん、見てないでそろそろ助けてくれませんかね!?」


「嫌だよ。最初に言ったでしょ? 僕は見ているだけだ。ほらほら、無駄口を叩いている余裕は無いんじゃあないかな?」


「貴方だって、俺が質問した時に賛成してくれたじゃねえか……!」


 思い出すのは、ほんの数時間前。


 いきなり襲撃を掛けて来た四人を撃破した際に、すぐにこの場を離れるべきか否かを彼にも訊ねていた。


 その際の彼の返答は、『まあ確かに、その通りだよね』と言うものだった。つまりそれは主張を認めてくれた事を示してくれたことに他ならず――。


「別に僕は賛成した訳じゃあないよ?」


「……え?」


 何が楽しいのか、愉快そうに梯子を外す発言をした彼は、笑っていた。それはもう憎たらしいくらいに口元は笑みを表していたのである。


「僕は基本何も口出ししないって言った通り、君達の主張に明確な立場は取らないんだ。勿論否定もしないけどね」


「でもあの良い方だと、俺の質問に賛成したようなものじゃ……?」


 あの口振り、他にどう受け取れば良いものか。


 記憶を探れば、あの時も彼はどこか面白そうに口端を緩めていた。そう、まるで今こうなる事を予見していたように、だ。


 まさかと思って彼を強く睨み付ければ、仮面の下から覗く紅い眼が笑っていた。


「だって、可及的速やかにあの場から離脱すべきなのは当然だからね。例えば今日の空は青いですねって言われて、僕が“分かりません”と答えなくちゃあいけない程、君達に対して次元の低い課題を出している訳じゃあ無いんだし」


「……は、謀ったなッ!?」


「さて、何の事でしょうかね? 僕は分かっていて当然の事を肯定したに過ぎない。責められる筋合いはない筈だよ?」


「ふざけんな! アンタ覚えてろよ!?」


 もはや師事している云々などと言う上下関係もクソも無い。いずれ何らかの形で仕返しさせて貰う。絶対にだ。許さん。


 木々の茂る森の中を走りながら、器用にも肩を竦める大仰な仕草をするリュウだった。俺達が慌てふためいているのがそれ程にまで面白かったらしい。真に最低である。


 並走しているシグもまた、苦々しいと言った感情を隠しもしない顔をしていた。


「まんまと失敗の選択肢を選ばされた訳か。私にも責任が無いとは言わないけど、ラウも拙速すぎたって事だな」


「……すまん」


 やや同情する様な色も感じられたが、それが申し訳なさと恥ずかしさに拍車をかける。


 見事なまでに嵌められたと言っても過言ではない。他人の前で失態を晒し、穴があれば小一時間程は入って隠れていたかったくらいである。


「因みに、後で纏めて指摘してあげるから聞き流してくれても良いけど、そもそも襲撃者を倒した際に情報を吐き出させるべきだったね。例えば他に仲間がいるのか、みたいな」


「それ先に言ってくれません? 第一、アイツら全員戦闘不能にしたからすぐに話せそうになかったし」


「そうだね。つまり最低一人は無傷の捕虜を手に入れるべきだった。要するに君達は、襲撃者に対する対応が最初から全部間違っていたって訳だよ」


「だから先に言えよぉぉぉおっ!?」


 こんなの、あんまりだ。酷すぎる。悲し過ぎて腹の底から怒りが湧き上がっていた。だからだろうか、リュウの事を考えると眠れなくなりそうな、この止めどない感情の渦。


それは、多分殺意だ。俺が驚く程どす黒い感情を胸に抱えているのを知ってか知らずか、彼はまだ愉快そうに語っていた。


「あと、馬鹿正直に逃げる方向を倒した敵の前で言っていたのも減点だね。この人達が何の脈絡もなく僕らを発見できたのは、恐らくそれが原因だ。気絶した振りをして意識があった人が居たんじゃあないかな」


「何でもう状況が出来上がってから変えようもない事項を指摘してくるんです!? 拷問ですか、これは!?」


 現状、失態が何であれむさ苦しい六十人以上の男達に追われている事実は変わらない。今ここでフィードバックした所で意味は無かった。多分、俺の傷口を抉るだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。


 そもそも、後で纏めて振り返るなら今言う必要も全く無い訳である。だと言うのに、彼は悪びれもせず話続けていた。


「実際に身を以て失敗を味わった方が為になるでしょ? これで失敗の辛さを実際に体験しなかったら、いざと言う時におざなりな方向へ流されかねないからね」


「分からんでも無いけどっ! 何でよりにもよってその課題を出すのが今なんですかね!?」


 あちこちから人に追われ、指名手配且つ賞金首になっているのが今の身分。完全にアウトロー扱いであり、もしも捕まったら笑えない。仮定の話であっても笑えない。


 後学のためにここで試練を与えられて、結果として身の破滅を招いている様では目も当てられない。それでは本末転倒も良いところだ。


「そんな心配しなくても大丈夫だって。どうにもならなくなったら、僕も最悪の状況一歩手前で救援に入るからさ」


「じゃあ助けろよ今すぐ!?」


 何度も言うが俺達は賞金首だ。東帝国中に手配書がばら撒かれ、あの皇太子を筆頭として血眼になって探している筈である。


 それが、このトラキアの森の中で発見されたとなれば、間違いなく追手の軍隊が大なり小なり編成されるのは確実だった。


 要するに、こうして誰かに見つかってしまった時点で最悪の展開なのである。一歩手前とかではなく、最悪の状況真っ只中。


 リュウと言う名前を持ったこの鬼畜はその意味を本当に理解しているのか、時間が許すならみっちりしっぽりお話がしたいものだ。


「……ッ!」


 一斉に飛来するのは、放たれた矢。


 森の中であるので木々に阻まれるものも存在するが、そうであっても隙間を抜けたそれらが向かって来る。


 それをいち早く気付いたらしいシグが氷の盾で受け止め、その上で反撃していた。


 今は敵の数も多いので、居る方向へと撃てば誰かしらには当たってくれる。しかし一方で、如何(いかん)せん数が多かった。


 舌打ちをしながら、シグも悪態を吐いていた。


「金の亡者のくせに……(きり)が無い! 一旦逃げるの止めて殲滅した方が良いと思うけど!?」


「足を止めたらそれこそ思うツボだぞ! あれだけの数が居るんだ、伝令なんてとっくに飛ばされてるだろ!」


 寧ろそうしていない方がおかしい。


 だから下手に足でも止めようものなら、その間に更なる増援なりは駆け付けて来て、殲滅も逃げる事も出来なくなってしまう恐れがあった。


「だけどこれじゃ、何処までも追い縋って来そうだし!」


「上手く撒ける場所を探すんだ! 入り組んでる地形とか……!」


「こんな状況で悠長に地図を見ている暇も、周りを見回す余裕もないのに!?」


「ここは森の中だし、何かしら手はある! それにこんな杜撰な地図に地形は載って無いけど、視界には映るだろ!」


 うだうだと文句を言い合っている暇はない。


 こうしている間にも賞金稼ぎであろう一団は追って来て、足止め目的の投擲武器や弓、魔法で攻撃を加えて来るのだから。


 おまけに、この辺りの地形に詳しいのか、慣れた様な足取りと身のこなし。対してこちらはそこまで地形に詳しくない以上、悠長に追われるまま逃げ回っていると不利な場所へ追い込まれてしまいそうだった。


「その辺の山とかどうだ!?」


「山になんて逃げ込んだから、麓を囲われて閉鎖されるでしょうが! 馬鹿なのか!?」


「けど山が連なってるんだ、そう簡単に包囲できるとは思えないし、地形を利用すれば逃げ切る事だって出来る筈だ!」


 幸いにも山との距離は近い。生い茂る木々も、岩肌も、(もや)など分からない程にはっきり見える。


 試しにリュウへと視線を向けてみるが、彼は口元が笑っているだけで肯定も否定もしてくれない。


「僕の意見が欲しいのかい?」


「いえ。ここで制止が入って来ないって事は、介入が必要なくらい悪い選択肢を選んだ訳じゃなさそうだなって」


「なるほどね、そう言う感じで僕の反応を利用してくるか。けど確かに、悪くないと思うよ。その後の判断を間違わなければね」


 相変わらず、何処か含みのある物言いだった。


 それでも一応保証も貰えたので、少し不安そうなシグと共に、山へと向かうのだった。







 身体強化術(フォルティオル)


 それは体内の魔力を比較的少量だけ使い、自分の筋力、骨、皮膚などを硬化或いは強化する技術である。


 本当に制御の上手い人ならば、血液が体内を絶えず循環する様に大して魔力を消費せず、局所の強化が可能であると言う。


 必要な時に、必要な部位へ、必要なだけ、瞬間的に身体能力を強化する。


 これが出来れば魔力の消費は少なく、体への負荷も非常に抑える事が出来ると、リュウは語っていた。けれどそれが出来るようになるには、自分達にはまだまだ鍛錬が足りなくて。


「シグ君、体に疲労が見えるね。必要になると一々全身に強化術を掛けるから、負荷が大きいんじゃあないかな」


「うるさい……この程度でっ! てか、何てラウは平気なんだ!?」


「そりゃ、お前が身体強化術(フォルティオル)を習得するよりも先に今まで何度も使ってるからな」


 信じられないと言った様子でこちらを見て来る(あま)色の髪をした少女は、驚きながらも疲労の色が隠せていなかった。


 ただ、それも仕方のない事だと言えばそうである。


 ここ最近になってリュウからの指導を受け、彼女の魔法系統的にも身体強化術(フォルティオル)そのものが使用しづらいのだから。


 リュウ自身も自衛できる程度で充分と言っていた為、彼女もここまで何度も強化術を使う羽目になるとは思わなかったのだろう。


「ラウ君も余裕ぶっているけれど、油断が禁物だよ? 君だって僕から見れば彼女と大した差も無いんだし」


「そりゃ貴女から見ればそうでしょうね。俺だってじわじわ怠さが来てる訳ですからね。逆にリュウさんは御変わりないと言ったご様子で」


「嫌味のつもりかい、それは? でも不思議と悪い気がしないね。だって僕を褒めてくれている訳だものね」


 彼には全く堪えた様子はない。相変わらずこちらを見て楽しんでいる様で、他人事みたいで、腹も立って来る。


 しかし、こうしてのんびりと苛立ちを覚えながら会話が出来ているのも、追手を撒けたからこそである。


 傾斜の急な山を駆け上り、崖も軽々と()じ登り、或いは跳び越え。


 案外あっさりと追手の追撃を断念させる事に成功したのである。


 もっとも、今も何処かで男達の大声が聞こえる辺り、諦めた訳では無さそうだ。皆、血眼になって俺達を探し回っている事だろう。


 だが彼らからすれば残念な事に、聞こえてくるそれらの声は、もう既に後方に置き去りだった。正確に何処から声がしているのかは先程も言った通り分からないが、結構な距離が開いている事だけは事実でる。


 更に状況を重ねれば、ここは山が連なる地形であり、直線距離で見た以上に目的の場所へ駆けつける事には時間がかかる。身体強化術(フォルティオル)を使えない者からすれば、それは尚更であった。


 当初は幾人かの身体強化術を使える者が追い縋って来たものの、途中で脱落するか、追いついても魔力を消耗している上に少数なので相手にもならなかった。


 強化術を使えたとしても、彼らの実力そのものが、俺にも遠く及ばなかったのである。


「それにしても、まさかここまで綺麗に君達が逃げきれるとは思わなかったよ。お見事」


「……そりゃどうも」


「だけど僕の課題はまだ終わっていない。この森から……トラキアから抜け出して初めて課題はこなしたと見做すつもりだからね」


 纏めて反省点を上げるのもその時だ、と彼は笑っていた。


 まだまだこの課題は続き、どうやら少しでも助けてくれるつもりはないらしかった。


「これからどう行くつもりかな?」


「地形的に追手から逃げるには丁度良いと思うので、このまま連山に沿って進みます。方向も大体合ってますからね」


「なるほど、確かにその通りだ。じゃあスカーディナウィアの方へ向かうって事だね」


 具体的な逃げる方向については、リュウから何かを言って来る事は無かった。彼からしてみればゲルマニアかスカーディナウィアであれば、どちらでも良いのだろう。


「因みに、スカーディナウィアがどんなところか、ラウ君は知ってる?」


「碌に知らないですよ。ついこの前までは農奴だったくらいですし。靈儿(アルヴ)の原住地って事くらいですか?」


 農村に暮らしていた時は本当に稀に、行商人などから話を聞く程度だった。実在しているのかも分からないし、自分には縁のない事だと思っていた。


 しかしいざ旅に出る羽目になって見れば、この世界には多くの人種が存在していて、驚かされたものである。


 そう言えばスヴェンも、スカーディナウィアの出身だと言っていた。彼も靈儿であるので、それは当然であると言えば当然だが、人によっては違う地域に定住する人も居る様だ。


「じゃあシグ君は? 帝国のお姫様らしいし、結構話は聞かされているんじゃあ無いかな?」


「流石にある程度は聞かされてる。あの辺は南にある沿岸部で、気候は寒冷。厳しい自然もあって閉鎖的だって」


 多くの集落を支配し、上位に立っているのがシルフィング朝メーラル王国。立場としては族長に近く、高度な官僚制が取られている訳でも無ければ、中央集権的な機構を備えている訳でも無いらしい。


 基本的に上位貴族、各村落や邑の代表者の合議によって運営されている、そうだ。


「良く知っているね。僕もあの辺……と言ってもメーラル王国のスタツホルメンに行った事があるけれど、全体的に他人種を見下している感じだったね。特に東帝国の人間は特段低かったよ」


「帝国も他人種を見下し、おまけに他国の人間を多く奴隷として扱っているからな。かの国だけでなく、四方八方から恨まれてる」


「由緒ある大帝国の東側半分だし、実際に強国だから強気になるのも分かるよね。でも、それだけ好きにやったらツケを払う時は大変な事になりそうだ」


 事実、少しずつだが綻びが視えつつあるとリュウは語る。


 散々あちこちを旅して回った彼は、その辺りの兆候を見抜く事に自信を持っているらしい。シグもまた彼と同意見なのか、その言葉に耳を傾け、時には強く頷いたりもしていた。


 一方、それに取り残される形となった俺は、ほんの少し寂しい気持ちになりながら先頭を歩く。


 追手との距離が開いたとはいえ、ここで足を止めている訳には行かないのだから当然だ。時折後ろを振り返って二人が付いて来ているのかの確認をしながら、先へ進む。


「あれ、ラウ君も混ざりたいの? そんなチラチラ後ろを見て」


「ついて来ているか確かめてるだけです! 変な言いがかりをつけないで下さい!」


「確認って言う割には頻繁に後ろ見てない? 心配性だなぁ」


 彼からの言葉は止まる所を知らない。その遣り取りを見ているシグもまた面白そうに微笑んでいるだけで特に何も言わないが、それはそれでうざかった。


 後で、忘れかけた頃くらいになって引き合いに出してきそうな気がする。


 ストレスで怒鳴り散らしてやりたい気分だけれど、それをするだけ無駄なのは分かっている。何より、追手も後方に居る以上、居場所を伝えるような真似をする訳にはいかない。


 何か反論してやることは早々に諦めて、リュウからの煽るような言葉の数々には無視する事で抵抗するのだった。


 暫くすれば反応が無い事で詰まらないと感じたのか、リュウはシグと会話を再開する。自分だけが働かされているという疎外感と虚しさで、ほんの少し涙が出そうだった。


 別に気の置けない会話がしたいとかそう言う訳ではなく、ずっと自分だけ無言で居る事に気が滅入って来るのだ。


「全く、呑気なモンだ……」


 若干の腹いせと嫌がらせも込めて、少し険しい道を選ぶ。


 岩や崖を這い、跳び越え、道なき道を黙々と進んでいくのだ。後ろに目を向けて確認してみれば、腹立たしい事にリュウは相変わらず平然としている。


 疲労を覚えているのは俺とシグの二人だけだった。


「……ラウ、わざと厳しい進み方しただろ。途中からおかしいとは思ってたけど」


「何の事かな? 俺は先導してやったって言うのに、その文句はちょっと酷いんじゃないか?」


 縮尺も何もかもバラバラな地図を開いて、方向を逐一確認しながら進んでいたのを他所に、彼女とリュウは他愛のない話をしていた。


 そのせいで自分がどれだけ居た堪れなかった事か。


 混ぜろとは言わないが、もう少し位は手伝おうという姿勢を見せて欲しかった。


「ラウ君、臍でも曲げた?」


「曲げてません!」


 とは言いつつも、苛立ちは隠せない。


 一体いつまで俺はここで奴隷の様に先導を任せられなければいけないのだろう。途中で文句を十個でも二十個でも言っておけば良かったと思わずには居られないくらいだ。


「じゃあ、小休止を挟んだ後から私が先導する。交代交代なら文句も出ないでしょ?」


「まぁ、それなら。けどお前で大丈夫? 以前の度は殆どラドルスに任せてたんだろ? 箱入り娘みたいなもんだろうに」


「ばっ、馬鹿にするな! それくらい私にだって出来る! 地図もあるし、まだ未熟だが身体強化術(フォルティオル)だって少しは使えるんだ! この程度、どうにか出来ない訳が無い!」


 純粋に、そして素直に心配だったので訊ねてやれば、それが心外だとでも言う様に猛烈な攻撃が飛んで来る。


 箱入り娘扱いが癇にでも触ったのだろう。事実だからしょうがないだろと言ってやりたかったが、それを指摘したら更に抗議が飛んできそうな気配がして、自粛した。


「はいはい、分かった分かった。じゃあ丁度良いしこの辺で一旦小休止にするぞ。リュウさんも良いですよね?」


「僕としてはどっちでも構わないよ。何度も言うけれど、基本不干渉だからね。全部君達が決めるべきだ」


 念のため確認を取ってみれば、彼からは予想通りの答えが返って来る。


 シグもいい加減疲労が蓄積してきているのを見て取った為、ここで休憩する事は特に問題も無い筈だ。


 追手の姿も見えず、周囲を見渡しても妖魎などが出現する気配もない。山を進んでいく内にいつの間にか見当たらなくなったが、静かなものだった。


 非常に穏やかで、休憩するにはもってこいの環境。


 山の上から見る景色もまた、綺麗なものだった。


 眼下は基本的に緑一色。何の遮蔽物も無い空を鳥たちが自由に飛び回っている。


 遠くに目を向ければ、少し開けたところに街道と思しきものが見え、切り拓かれた箇所には村落が幾つか散在していた。


 雲も少ない、晴れの日だからこそ見える光景だろう。


 シグもその場でへたり込みながら、呆けた顔で眼下の光景を見下ろしていたのだった。


「……凄い」


「高い所って良いよね。色々なものが見えて、景色そのものが綺麗だし面白い。僕的には見ていて飽きないな」


「その言い草だと老人みたいですね」


 仮面から露出している口元から察するには十代から二十代前半と思われるが、今まで煮え湯を飲まされた腹いせに嫌味を言ってやる。


 だが、それに対するリュウの反応は意外なものだった。


「実際僕も良い歳だからさ、それは(あなが)ち間違いでも無いんだ。こう見ても百年以上生きて来たからね」


「……は?」


 出し抜けに放たれたその言葉が、俄かには信じられなかった。だって、余りにも馬鹿げているのだから。


 シグもまた信じられない様な顔をして彼を見ていたが、その反応を見て何が楽しいのかリュウは相好を崩していた。


「嘘だよ。信じちゃった?」


「貴方が言うと嘘に聞こえなかったりするんですよ……」


 仮面のせいで年齢は不詳。性別すらも不明。中性的な声と言い回しのせいで分からないのだ。胸が出ていないので男ではないかとも思うのだが、そもそも着ている服がゆったりとしていて体型が出ないのでやはりはっきりしたことは何一つ言えず。


 遥か昔に滅んだ民族である白儿(エトルスキ)の血を俺と同じく引いていて、その特徴を持つ。白い頭髪と白い肌、仮面から覗く紅い眼を見ればそれは明らかだった。


 そして精霊を引き連れ、まるでに日本刀の様な片刃の紅剣を持っている。


 更に極めつけは他に比肩しない、圧倒的な実力。


 だというのに彼を知る者は殆ど居らず、彼自身も多くを語らない。


 正体不明とはまさに彼の様な事を指すのだと思う。


「まぁ、僕の身の上については知りたかったら追々嘘も交えて話してあげるから、安心して」


「何でそこでも嘘を交えるんですか。ちゃんと話してくださいよ」


「えー? どうしよっかなぁ」


 いつも通り、彼はお道化(どけ)た態度で答えている。


 もう幾ら真面目な話を彼から聞こうとしても、恐らくはぐらかすだけで話してはくれないだろう。


 まだ大して深く知っている仲ではないけれど、それくらいは分かる程度には会話をして来た。もう聞くだけ無駄と判断して、リュウへとそれ以上何かを訊ねる事を止めるのだった。


 しかしそれは、あくまでも“今は”である。


 あの時、自分が長寿であると告げた際に見せた、彼の表情。正確には彼の紅い眼が訳有り気に細められていたのを、見逃しはしなかった。


 そこに見えていた感情は、心境は、一体どのようなものだったのだろうと考えても、所詮は他人である俺には分からない。


「どうしたの、僕の方をじっと見て?」


「大した事じゃないです。ただ、気が向いたら聞かせて欲しいなって思ってただけですよ」


 何が、とまでは言わない。明確に示さずとも彼にはそれが何を指すのかは分かっている筈だから。


 それを裏付ける様にリュウの紅い眼は眇められ、その口端もまた微かに吊り上がっていたのだった。


「……そうだね。いつになるか分からないけれど、気が向いたら話すさ」


 彼は、時期について何一つ明示することはなかった。それはつまり終始話さない可能性も多分に含んでいる訳だが、追及はしない。


 さっきまでの遣り取りの時点でも、これ以上は問い詰めるだけ無駄な事は分かり切っていたから。


 彼はまず間違いなく、今の状況では何一つとして語ってくれる事は無いだろう。条件として必要なのは、彼からの信頼か、もしくはそれに準ずる何か。


 別に自分から必死になって信頼なりを勝ち取って聞きたいとも思わないが、運が良ければ聞かせてくれる筈だ。


 彼は一体何者で、一体どのような事をその心に抱えているのか。


 それが明らかになるのは、知る事が出来るのは、まだまだずっと先になってしまいそうだった。





◆◇◆





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