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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第五章 ココロトジテモ
89/239

第一話 Take My Hand④

◆◇◆



 辺りは、瓦礫の山と化していた。


 多くの兵士がそれらの片付けに追われ、焚かれた篝火がその被害の全容を明らかなものとしていく。


 大宮殿(メガ・パラティオン)の一部として、壮麗さと広大さの一部を構成していたその場所は、もはや原型など留めて居なかった。


 残っている壁は無く、全ては粉々に砕かれた瓦礫となり、廊下のあった場所には辛うじて床が見える事で元の位置を把握できる有様。


 手入れの為されていた筈の散在する小さな庭も、瓦礫と激しい戦闘によって無残を晒していたのだった。


「まさか、私とお前まで居ながらみすみす逃すとは……何と言う猛者だ。あのような者が在野に居ると言うのか?」


「ふん。テメエがもっと俺を上手く援護していれば、こうはならなかったんだぞ。ったく、お前みたいな半端の外様(とざま)が俺と並ぶ帝国最強の一角などと……反吐が出る!」


 カドモス・バルカ・アナスタシオスと、フラウィオス・ニケフォラス・ダウィド。


 それぞれの性格を象徴するような互いに発しながら、二人は都市の南の方向に目を向けていた。


 無論、その先に見えるのは夜の街並みと闇。その先へと消えた旅装の男が見える筈も無かった。


「結局、リュウと言う名前以外は分からずじまいだったな」


「気取った仮面なんざつけやがって……今度会った時は絶対に剥いでやる! 俺をコケにしやがって!」


「大した怪我では無いだろう? その程度、お前の魔法なら自己治癒も容易な筈だぞ」


「そう言う問題じゃねえ! あの野郎、俺達には傷一つ付けさせなかった癖に、あの訳わからねえ剣で俺を魔法ごと斬ったんだぞ!?」


 激高するダウィドだが、そんな彼には見る限り怪我の類は何処にも見当たらない。何故ならば、既にカドモスの言う通り自身の魔法で治癒させたからである。


 植物魔法の使い手である彼は、癒傷薬(メデオル)の元となる薬草を種から急激に成長させて、絞り出した成分を直に利用した。


 元々薄く腕を斬られた程度のものだった為、傷口は瞬く間に塞がり、今はそこが再生したばかりの皮膚のせいで白く見えるばかり。


 しかし、それでも怪我を負わされたと言う事実は変わらないと認識している様だ。


「あの男……必ずこの手で痛め付けてやる! 必ずだ! 殿下にも申し訳が立たん!」


「だがあれだけの腕を持つ者だとすれば、果たして早々上手く追い詰められるとは思えんがな」


「手配書を出せばいい! その辺の都市の太守にも厳命させるのだ! 数で囲って脚を止め、俺達で止めを刺す! これだけの事をやられて置いて、追跡しなければ俺達は未来永劫笑われ者だ!」


「皇太子殿下ならまず間違いなくそうするだろうな。……彼らは果たしてどうなる事やら」


 思い出されるのは、元第三皇女シグルティアと、白儿(エトルスキ)の二十歳にもならぬ少年らの事だ。自分達がここでリュウを相手にしている間、皇太子が追跡に向かった。事の次第にもよるが、あの皇太子がそう易々と彼らを逃がすとは思えなかった。


 彼らもまた、この宮殿を荒らし回った事は事実なのだから、大罪人として多くの者が今も追跡の任に当たっている事だろう。


 分かっているだけでもアラヌス・カエキリウス・プブリコラ、司祭のアッピウス・パピリウス、そしてその奴隷の少女、他にも駆け付けた兵士と貴族が撃破されている。


 たった五、六人程度で良くもここまで暴れ回った事だと、カドモスは内心で称賛にも似た気持ちだった。


 しかし立場上、そんなものを表に出したら忽ち処罰や粛清の対象とされかねない。


 当然本心はおくびにも出さず、周囲に向けていた視線をまた別の場所に固定する。

 そこに居たのは、白目を剥いたまま昏倒している狼人族(リュカンスロプス)の男。名はエクバソス、皇太子の周囲に最近侍る様になった素性不明の集団の一人だった。


 戦闘不能となった彼を気遣う様に、彼の仲間と思しき小柄な男と長身な男が手当てをしている。


「それにしても、アイツまでやられるとは想定外だったぜ。ま、得体の知れねえ奴にはお似合いの姿かもしれんが」


「ダウィド、殿下の側近同士だと言うのに随分と仲の悪い事だな。何か確執でもあったのか?」


「帝国最強と一括りにされた奴が、どいつも仲良しこよしって訳じゃねえのと一緒だろ」


「……それもそうだな」


 皇太子マルコスに、古くから彼と付き合いのあるダウィドは余り新参の側近を快くは思っていないらしい。


 宮殿で見る態度の端々からそれは感じ取っていたが、それを明確に裏付ける形となった。


 だがまだ訊きたい話は山程ある。寧ろ、この程度の情報で満足できる筈がないのだ。


 エクバソスを始めとしたあの連中は一体何者なのか。何が目的なのか。今まで部下も使って散々に探りを入れて見ても、(つい)ぞ尻尾を掴む事が出来ない。


 カドモスとしては、皇太子も居ないこの状況で聞けるだけの事を聞き出しておきたかったのである。


「あの連中、本当にここ数年で見る様になったが……殿下の身に何があった?」


「何だ、探りか? 生憎と俺はそれに答える事は出来ねえ。殿下がその気になるのを気長に待つんだな。来るとは思えねえけど」


「私は殿下のお目付け役だ。知る権利はあると思うが?」


 長身の筈であるカドモスをしても、見上げる程の身長を持つダウィドは、それに対して嘲る様に笑った。


「残念、目付け役は俺も一緒だ。そしてその俺が問題ないと判断した。それで充分だろ?」


「いや、不足だ。何かあった時に私だけ知らなければ、対応に遅れや乱れが生じるやもしれんのだぞ」


「何も起きねえし、仮に起きたとしてもお前の出番はねえよ。余計な詮索してねえでお前は都督(エクサルコス)としての仕事をやってりゃ良いんだ」


 もう話はそれで良いだろ、と言わんばかりにダウィドは手を払う。それはまるで蠅を払い除けている様なぞんざいな動きで、その態度にはカドモスも流石に顔を顰めた。


 すると、それに気付いたダウィドは、押し付ける様に顔を近付けて言う。


「何だ、余りしつこいと、どうなっても知らねえぞ? 殿下の不興を自分から買おうとするなんて、精々あの姫様程度のものだと思ってたんだがなぁ?」


「……貴様、ではやはりあの謀反は」


「ああ? お前、殿下の告発を疑うってのか? 証拠は? 根拠は? あるんなら提示してみろよ、ほら」


 額と額が激突しかねない距離の中で、尚もダウィドは続ける。


「何もねえのに不当に殿下を疑うと言うのなら、それは御目付け役としても、臣下としてもあるまじき態度だと思わねえか?」


「もっともな主張だとも。これは失礼した、先程の問いは取り消そう。……では最後に一つ、これとは全く関係ないのだが、何故この宮殿に司祭が居たのか理由は知っているか?」


 気絶したまま手当てをされている、アッピウス・パピリウス。彼はそもそも帝国貴族ではない。元々天神教でも教派の異なる普遍派(カトリクス)の人間であり、それから亡命してこちらに逃れて来た。


 そしてここで聖職者として活動している訳だが、だとしても宮殿に彼が居るのはおかしい。


 この地域出身でもないのに、この土地で亡命してすぐに司祭待遇で迎えられている時点でもおかしいのだ。


 おまけにその彼がまるで帝国貴族の様に、更に言えば皇太子の半ば側近の様な扱いまで受けている。普通であれば、夜の宮殿には特任以外の聖職者は居ない。


 聖職者には大聖堂(メガレ・エクレシア)から割り当てられた部屋があるからだ。大宮殿(メガ・パラティオン)はその辺は管轄外であり、故に特段理由のない神官はここに居ない筈なのである。もっと言えば、夜の宮殿を出歩くと言う事もない。


 少なくとも、それを許可した覚えはカドモスには無かった。だとすれば、それは総督(エクサルコス)の仕事を形式上は折半している皇太子が一枚噛んでいるに違いない。


「思えば、あの白儿(エトルスキ)を捕らえた際も彼は居たな」


「それは手柄だからだろ。殿下直々にお褒めの言葉を貰ったに過ぎない」


「あの謁見の後、殿下は総主教殿に白儿(エトルスキ)を見せる事もせず、牢へ押し込んだな。まるで自分だけで独占しようと言わんばかりに」


「脱走される可能性を考えての事だったんだろ。総主教に謁見させた時に、あの白儿(エトルスキ)が逃げ出したりでもしたら大事だ」


 実際、今こうして情けなくも白儿(エトルスキ)などの逃亡を許している。この状況ではダウィドの主張も(あなが)ち間違いではないと言えるだろう。


 だが。


「分からない事はまだある。あのプブリコラと言う貴族もそうだ。新参者だと言うのに用いているのが目に付く。こう言った事は、あの連中が侍る様になってから頻繁に見られるようになった気がするぞ」


「その辺は知らん。俺は殿下じゃねえんだ、答えられるものにも限界があるんだよ」


「その程度しか知らないと言う事か。お前もそこまで信頼されていないのだな。古参の側近だと言うのに」


「――ッ!」


 その言葉で、ダウィドの額に青筋が浮いた。


 乱暴に伸ばされた手がカドモスの胸倉を掴み上げ、持ち上げていたのである。


「……お前、調子に乗るのも大概にしろよ? カルト・ハダシュトの末裔だか何だか知らねえが、先祖に異民族の血が混じってるくせして俺を嘲笑うってのか? 俺はニケフォラス氏族の人間だぞ? 由緒正しきグラエキア人の血を引く名氏族と、余所モンのお前なんぞとは比べ物になる訳がねえんだ」


「なら、その名氏族の人間だって言うなら、殿下に重宝されていない訳では無いのだろう? 何を知っている? 信用されていると言うのなら証拠を出せ。出せないのならば、私がお前に下す評価は変わらんぞ」


 直後、カドモスを掴み上げていた力が緩む。


 彼は特に動揺する事もなく平然と着地し、佇まいを正すとダウィドを見上げた。


 対する彼は鼻息も荒く、明らかに興奮が収まり切っている様子はなかった。それでも力に訴え出ない辺り、最低限の理性は保たれているらしい。


「……そんなに聞きたいなら教えてやるよ。殿下はなぁ、この帝国をより強くし、自身こそがかつての大帝国を復活させることを目指して止まない」


「今の皇帝陛下と同じ思考だな。それで?」


「現皇帝のやり方は生温いと仰せだ。これでは大帝国の再建など夢のまた夢だとな」


 その主張には、カドモス自身も同意せざるを得ない。現皇帝は嘗て聡明であったにも関わらず、今は自身がさしたる対外的成功が無い事に焦っている。


 だから闇雲に戦線を広げ始め、周辺各国とも関係が悪化を始めていた。カドモスの見立てでは、帝国が滅びはしないが衰退は目前に迫っている気がしていた。


「この帝国を更に強くするために、殿下は組みたくない者とも、下賤の者とも手を組んでいるのだ」


「それは例えば、大聖堂(メガレ・エクレシア)の者か?」


「……どうかな。これ以上は答えてやる必要はない」


 はぐらかす様にダウィドが答えたが、もうカドモス自身は答えを導き出していた。


 実際にこうしてパピリウスが宮殿に居た時点で、その繋がりは思っていた以上に濃厚なのだろう。


 分かっていた事だが、思わず内心で溜息が漏れた。


 宗教との過度な接触は、過去の歴史から鑑みても悪影響を及ぼすと皇太子に説いていた筈だが、やはり立て板に水を掛けただけのようだ。


「帝国の為、とな」


 だから、あの得体の知れない者達の姿があり、宗教とも密接に手を結んだ。


 恐らくあの皇太子は利用しているつもりだろうが、手を組んだ時点で多少なりは利用されている訳である。


「話は終わりだ。俺は殿下の方へ向かう。お前は後始末でもやっておけ」


「ああ」


 互いの出自を取り上げて、相変わらず彼は尊大な態度を取る。しかしカドモスとしてはもう見慣れて聞き慣れたものであり、その扱いに一々腹を立てる事は無かった。


 ただ、夜空を見上げて溜息を吐くのみ。


「今、帝国について目を向けるべきは、功績でも強大さでもなく、民そのものではないのか……」


 戦争は金を食う。人の命も喰らう。国力そのものを著しく損なうものなのだ。


 今はまだ大規模衝突は発生していないものの、いずれそうなれば農村だけでなく市民すらも生活に窮する未来が簡単に見える。


「姫様……」


 あの皇女が謀反の罪を着せられて失脚したのは痛かったと、カドモスは乱暴に頭を掻きながら苦い顔をするのだった。





◆◇◆





「どうだエピダウロス、そいつの怪我は?」


「普通なら再起不能かなー? まぁ、このくらいならどうとでもなるけど」


 遠慮も何も無く、ぞんざいに触診しながら問い掛けられた小柄な男は答える。


 気絶している狼人族(リュカンスロプス)――エクバソスの怪我は酷いものだった。


 頬には拳の痕がつき、全身もあちこちが痣だらけ。吹き飛ばされた当初は狼人間と言った風で怪我の具合も分からなかったが、暫く待っていると転装(トランスフィグロ)が解かれ、人間の姿が露わになっていた。


 毛が無くなった事で全容が明らかとなったのである。


「頑丈なエクバソスがやられるなんて、リュウってのは一体何なんだ?」


「さぁな。神饗(われら)を事あるごとに邪魔してくる。主人(ドミヌス)様も、戦った事があるらしい」


「へぇー? 主人(ドミヌス)様って素顔とか見た事ないけど、あの御方って滅茶苦茶強いんじゃなかったっけ? それを相手に戦って今も生きてるって……ヤバくねー?」


「ヤバいなどと言うものではない。ルクス様も常々警戒しろと言っていただろ。聞いて居なかったのか?」


「言ってたっけー?」


「貴様と言うものは……」


 呆れる余り、ペイラスは言葉も出なかった。


 もっとも、エピダウロスは元々こういう人間である。興味の無い事にはとことん関心が無く、必要な事さえ知識として持っていない場合すらあるのだ。


「まぁ、その辺は今はどうでもいい。コイツの治療は出来るか?」


「出来るぜー。あ、あれ使う?」


「……止めて置け、筋肉の塊になるぞ。怪我をした死に掛けの老人に使ってもあの有様だったのだ、コイツに使ったらどうなるか分からん」


 ビュザンティオン総主教ザカリアス三世。どういう訳か高所から落ちて大怪我を負って居た彼に、エピダウロスは試薬を使った。


 結果、彼の理性は消失し、おまけに人に似た異形になってしまった。言うまでもなく、それは失敗作だった。


「折角作ったのになぁー?」


「見て分かるくらいには体の負荷が大きすぎる。あの様子だと、総主教はその内に体が限界を迎えて死んでると思うぞ」


 明らかに暴走しているのを見て取って、ペイラスたちはその場から素早く離脱した。なので顛末は全てを知っている訳ではないが、大体予想は付いている。


「俺の見立てでも、あの御爺ちゃんはそろそろ死んでるかなー。再生能力と増強能力が異常だったし。残ってた塵みたいな寿命も一瞬で燃え尽きたと思うぜー?」


「……頼むからそれを私達に使うなよ」


「どーしよかな?」


「もしもやったら相応の報いは受けて貰うぞ」


「冗談だってー。ペイラスは頭堅いなぁ」


 お前の言葉は冗談に聞こえないと抗議に抗議で返すが、特に反省した様子はない。エピダウロスとはそう言う男なのだ。


 諦めの溜息を吐きながら、ペイラスは話題を転換する。


「さっき確認したが、研究所の方はもう諦める他に無さそうだな。リュウめ……大宮殿(メガ・パラティオン)を荒らすついでと言わんばかりに破壊されていた。ここはもう使い物にならん、用が済んだら引き上げるぞ」


「えー? 何でだよぉー? ここの研究所気に入ってたのに。再建すれば良いだろー?」


「そうも行かん事情があるのだ。今回の件で、間違いなく皇太子の関係者以外の者にも、大宮殿(メガ・パラティオン)の補修時に地下研究所の存在が目に付く事だろう。徹底的に破壊されているから良いものの、これ以上ここで活動するのは危険だ。拠点ならスカーディナウィアにもある、問題無いだろう?」


「ふーーん?」


「……私はお前の為に説明してやったのだがな?」


 心底どうでも良さそうな返事に、ペイラスの表情は歪んだ。


 しかし、それも程々に彼は最も警戒すべき部外者へと視線を向ける。誰にも気づかれぬ様に、悟られぬ様に、目だけを向けるのだ。


「カルト・ハダシュトの……曲者の血筋とはこうも邪魔くさいのか」


 カドモス・バルカ・アナスタシオス。


 ビュザンティオンの総督(エクサルコス)としても、帝国最強の一角を成す将軍(ストラテゴス)としても、どの観点から見ても、あの男は厄介極まりない存在なのだった。





◆◇◆





 夜の街の中、喧騒とは真逆の方向を二つの影が走っていた。


 大きな騒ぎがあったせいで市民達は軒並み起きて、窓や玄関から顔を出すなどしているが、それだけ。


 何が起きているのかと騒めきが段々と大きくなる中では、夜の街を走る二人の少年少女に大きく注意が向けられることは無かったのである。


 事情を知りたがる市民の何人かが、大宮殿の方角を指さして訊ねて来たとしても、それらを無視して駆け抜ける。


 後ろで露骨な舌打ちが聞こえたが、そんなものはどうでも良かった。


「イッシュ、本当に無事で良かった……!」


「同じ事を何度も言わないでよ。安堵するのは後になってからでも出来るし」


 少年は右腕で棒状の物を担ぎ、左手でイッシュと呼ばれた少女の手を引いていた。


 チラリと背後を振り返れば、大聖堂(メガレ・エクレシア)はあちこちで火事が起きているらしい。


 彼が放ったものは大した火種では無かった筈だが、防火体制を碌に整えて居なかったのだろう。良い気味だった。


 聖職者も散々殺しておいた。これで下手に少女をまた取り戻そう、監禁しようなどと思い上がった事もしては来ないだろう。


「このあと、どうするの?」


「ほとぼりが冷めるまでここでひっそりやり過ごして、ハットゥシャに戻るだけだ。イッシュが居ればそれも簡単に出来る」


「そっか……うん、そうだね」


 灯りの乏しい夜の街の中、手を引かれる少女は嬉しそうに破顔していた。


 (ようや)く、漸く彼女はあの狭い場所から逃げ出せたのである。天神教の宗教的権威を笠に着て、自分を籠の中へと閉じ込めようとした連中から、解放された。


 少年が、リックが救ってくれた。


 これで再び、二人で過ごす事が出来る――。


 その幸せを思って少女は目を細めた、その時。


「リック、止まって!」


「……あ?」


 それが視えた彼女は、強く少年の手を引いた。


 まるでその先には、何が潜んでいるのかが判って居た様に、だ。


 彼女が制止をした意味を少年もまた分かっていたのか、即座に制動を掛けると担いでいた棒状の物を構える。


 それはどうやら、武器なのだろう。


 この世界では見た事の無い形状をしていて、一体どのように使うのかも、初見からすればとんと見当もつかない。


「……どこだ?」


「あの建物の陰! 来るよ!」


 囁くような声と共に指の差された方へとその先端を向け、少年は身構える。少女を背に庇い、息を殺す。


 そして何者かが現れるのを待っていると、間を置かずに人影が一つ、現れた。


「こりゃあ驚いた。そこの女の能力については半信半疑だったが、本当に俺の居場所に気付くとは」


「何者だ? そこから一歩でも動いたら殺す」


「おっと待ってくれ、怖い事言うなよ。実力も伴ってねえくせに」


「……試してみるか?」


 棒の先端の延長線を、ピタリと男の頭に付ける。自分の眼から見て、まず間違いなくこの距離なら殺せる。指一本、一瞬で動かせば終わりだ。


「だから、戦おうって訳じゃねえんだ。ちょっとそこの女に用があるだけでよぉ。なぁ、良いだろ?」


「絶対に断る。イッシュは渡さない」


 その言葉を最後にして、少年は突起に掛けていた人差し指に、力を込めていた。





◆◇◆





「……痴れ者が。貴様、どうやってあの宮殿から脱出した? まさかの二人を……!?」


「いやいや、流石にそれは出来なかったかなぁ。思っていたよりも強かったんだよね、あの二人。中々厄介な魔法を使うしさ」


 マルコスとリュウ。


 城壁の外に広がるただっぴろい野原の中で両者は睨み合いながら、片や怒りすらも発露させ、片や泰然自若として。


「僕としてはこれ以上の戦闘は望まないのだけれど、どう? 大人しくお互いに引き上げようよ」


「馬鹿を言え、シグルティアが居る上に、これで白儿(エトルスキ)が二人も居るのだ。貴様を含め絶対に逃がさん。見せしめも考えて、全員生きて捕らえるに決まって居るだろう?」


「……それはまた、気合十分って感じだね」


 両者がその遣り取りをしている間、俺は周囲に目を配る。


 もしかすれば、行方不明となったラドルスとタグウィオスも見つかるかもしれない。そこまで必死になっている訳ではないが、シグの心情も分かってしまう身としては、何もしない訳にはいかなかった。


 しかし、やはり今は深夜。この時間帯では見つかるものも見つかりはしなかった。


 代わりに目に付いたのは、複数の兵士がこちらに駆け付ける姿。


 装いを見るに重装騎兵(カタフラクト)だった兵士が下馬したのだろう。幾人かは馬の監視として残り、大多数が増援の様にこちらへ向かっていた。


「リ、リュウさん……」


 このままでは囲まれてしまう。


 その予想が焦りを生み、思わず未だにマルコスと話し続ける彼の名を呼んでしまっていた。


 そんな彼は一瞬だけこちらに顔を向けた後、視線を戻して言っていた。


「君は僕達から手を引くつもりはないんだね?」


「何度も言わせるな。それと、私がここに居る以上は絶対にこの場から逃げられると思うなよ?」


「へえ、大きく出たね。けど、さっき戦った二人の方が圧力とかも強かったのだけれど……本当に君達で出来るの?」


「身分も弁えず好き勝手な事を……やれ、プトレマイオス主教!」


 その指示が飛んだ途端、俺達の周囲に何かが飛来し、そして。


 俺たち全員を囲い込む様に、結界が張られた。


 反応する間も無い一瞬の出来事に俺とシグが厳しい顔をすると、マルコスは横に居た男を見て労いの言葉を掛けていた。


「上出来だ、主教殿」


「いえいえ、この程度は当然に御座います。えっへっへっへっへ……」


 総主教ザカリアス三世の息子、プトレマイオス・ザカリアス。


 彼は直接戦闘では無くこう言った事が得意なのだろう。大宮殿での戦闘の際も、この結界でシグを閉じ込めていた。


 その時は撒かれた妖石を破壊する事で脱出させられたが、今回は全員が結界に閉じ込められてしまっているのだ。


 ばら撒かれた妖石を破壊してくれる人は誰も居らず、脱出は絶望的だった。


 だと言うのに、リュウと后羿は相変わらず慌てる素振りも見せず、結界の壁をペタペタと触っていた。


「リュウさん!? 何でボーっとしてるんですか! このままじゃ……!」


「大丈夫。この程度でどうにかなりはしないよ」


「そう言う事だ。アイツに任せとけ」


 すらっとリュウが引き抜いた剣は、以前も見た様に刀身が紅かった。


 反りが特徴的な、片刃の剣。


 僅かな月光を反射して怪しく煌めき、それだけで只の数打ち物では無い事を教えてくれる。


「この程度の結界なら、本当に簡単だ」


「強がりを……それは内からの攻撃で破れる程に(やわ)ではないのだ!」


 結界を仕掛けた本人としても相当に自信があるのだろう。プトレマイオスは一瞬その剣に気を取られはしたものの、強く言い切っていた。


 実際、この結界は固い。シグの魔法や自分の魔法では破る事はそう容易では無いだろう。


「……!?」


 そう思ったからこそ、結界の壁を刺し貫いた剣に度肝を抜かれた。


 まるでそこに何も無いかのように、呆気なくその剣の切っ先は結界を割いたのである。


 あり得ない、そう思って試しに手に持った槍で結界を突いてみるが、ビクともしない。貫ける気がしなかった。


 けれど、彼の持つ紅い刀は易々と結界を裂く。


「な……何がどうなっているのだ!? プトレマイオス主教、これはどういう事だ!? 手抜きか!?」


「め、滅相も無い! そんな事をこの僕がして何の得があると言うのです!?」


「――ええい! 掛かれ! 我らで何としてもこの者達を取り押さえろ! 大宮殿(メガ・パラティオン)を荒らし回ったと言う時点で、こやつ()はもう既に許されざる大罪人であるのだ!」


 その言葉に、兵士達は一気に駆け出した。周囲の地面が凍って居る為、転倒の危険を考えて近くまでは容易に近寄って来ないが、ぐるりと取り囲む様に動いているのだ。


 しかしその頃には、リュウによって結界の一部が人一人通り抜けられる程の穴が出来上がっていた。


 切り抜かれた結界の壁は本当の物質の様に凍り付いた地面へと音もなく倒れ、途中で砕ける。


 するともはや猶予はないと思ったらしい兵士の数人が、滑る事も厭わず凍った地面へと乗り込み、斬りかかって来る、が。


「流石に無茶だよ、それは」


 リュウの生成した拳ほどの小さな白弾(テルム)によって、皆昏倒させられるのだった。


 勢いそのままに凍った地面に倒れ込んだ彼らは、そのままあらぬ方向へと滑り去り、凍結していない地面へと投げ出されていた。


「駄目ならもう一度結界を……」


「させないよ」


 尚も妨害を決行しようとするプトレマイオスだったが、それは呆気なくリュウの白弾(テルム)が阻止。


 プトレマイオスが一瞬で昏倒するのを間近で見ていたマルコスは、もはや我慢できないと言うように声を荒げていた。


「シグルティアを捕らえる為に、折角罠を張ったのだぞ!? それをここで……ここで逃す訳には……もう構わん、弓構え!」


「残念、それはもう遅い」


「……何だと?」


 リュウの言葉に、不機嫌そうにっと御乗った顔を顰めたマルコスだったが、直後にその意味に気付き、目を見開いていた。


 何故ならリュウの頭上には、幾つもの魔力の塊が、つまりは白弾が、生成されていたから。


 しかもたった一瞬でそれが出来上がってしまったのだ。彼が感じたのは絶望以外の何物でも無いだろう。


 確実にこの白弾(テルム)の数ならば、普通の兵士達は避け切れないし耐え切れない。


 マルコス自身は魔法を使って危機を脱せたとしても、それでは捕縛など絶対不可能になってしまう訳で。





「……こんな手荒い別れの挨拶はしたくなかったのだけれど、仕方ないよね。さようなら」


「き、貴様ぁぁぁぁぁぁあっ!!」





 幾つもの白弾が、雨霰(あめあられ)の様に兵士達へ襲い掛かる。


 堪え切れぬ憤怒を発露させるマルコスの絶叫すらも、着弾の音に紛れて聞こえなくなってしまった。


「さ、行くよ!」


「……はい! ほら、シグも」


「え?」


 返事をしながら、少女の方へも手を伸ばす。


 しかし、彼女はまだ行方不明となった仲間を見捨てられないのか、迷う様な素振りを見せたまま、動き出さない。


 その様子がもどかしくて、俺は強引にその手を取った。


「ちょっ――!?」


「今は逃げろ。ここで捕まったり死んだりするのは、お前自身も望んでないんだろ? 少なくとも俺からすれば、あの二人がお前に“死ね”なんていうとは思えないね。違う?」


「……分かった。今はアンタの言葉に従っとく」


 決意も固く、強く見つめ返すシグの表情に、先程までの迷いはなかった。


 それと同時に、足元でゆっくり解けるだけだった地面を覆う氷が一瞬で霧散し、足場の摩擦が回復する。


 その地面を蹴って、一気に駆け出した。


 置き去りにされていく背後で、マルコスの喚く声が聞こえた気がしたけれど、尚も降り注ぐリュウの生成した幾つもの白弾(テルム)のせいで身動きが取れないらしい。


 ざまあ見ろと思いながら、俺は既に月が傾いた夜の中を駆け抜ける――。





◆◇◆





 ビュザンティオンで白儿(エトルスキ)が捕えられた。


 その噂は瞬く間に西界(オクキデンス)全土を駆け巡ったが、すぐに新たな情報によってそれは上書きされた。


 ビュザンティオンの地下牢獄から白儿(エトルスキ)が脱走し、大宮殿(メガ・パラティオン)を荒らして去って行った。


 そんな馬鹿な、あり得ないと嘲笑していた者は実際に破壊された宮殿の壁を見た者によって、或いは配布された手配書によって、真実である事を知るのだった。


 手配書に記載されたのは、白儿(エトルスキ)のラウレウス、元第三皇女で謀反人のシグルティア、身元不明の旅人リュウ、シグルティアの側近であるタグウィオス・センプロニオスとラドルス・アグリッパ、それに名前の知られていない弓使いが一人。


 どれも似顔絵と特徴が記され、まずは帝国内の領主へ、そしてそこから多くの人が集う酒場などに配布された。


 しかし、それだけ広大な場所から情報を求めても尚、目撃証言すら上がって来ない。




「――くそ、一体どうなっている!?」




 その苛立ちを声と言う形で発散した皇太子マルコスは、しかしそれでもまだ足りないらしい。残っていた酒を一気に煽りながら窓の外を見た。


「総主教ザカリアス三世も死亡ッ、大宮殿(メガ・パラティオン)大聖堂(メガレ・エクレシア)は賊共の言いようにやられて半壊! 終いには捕らえていた筈のタグウィオスや白儿(エトルスキ)、クラウディアまで攫われただと!? ふざけるなッ!!」


「……殿下、酒は程々に為さった方が良いと思いますぜ?」


「これで落ち着いてなど居られるか! 貴様も、カドモスと共に一緒に居ながら何たるザマだ! あの下賤な仮面を着けた旅人一人捕らえられんとは!」


「…………」


 酒が足りないと言わんばかりにグラスへとワインを注ぎ、また一息に煽る。


 それを、フラウィオス・ニケフォラス・ダウィドは溜息と共に眺めて居た。


 もはや止めても聞かない事は分かり切っていたし、彼自身己を不甲斐ないと思っていたのだから。


神饗(デウス)の様などこの馬の骨とも知れん奴と手を組み、教会とも手を組み、私の計画は順調だった筈なのに……ここまで邪魔が入るとは!」


 憤懣やるかた無しと言った様子のその声は、皇太子の私室の外に居ても聞こえてくる程。その荒振り様に耳を傾けていたペイラスは、(そばだ)てるのを止めて歩き出す。


 あちこちに罅が見られるこの大宮殿の廊下も、多くの不届き者が暴れ回ったその余波と規模の大きさを表している様だった。


 補修をしなくてはならない職人などは大変であろう。彼らへの同情もそこそこに、ペイラスは一人廊下を進んでいく。


 少し歩いた先にある一室のドアを開け、そこに入れば彼にとって見知った顔が揃っていた。


 特にその内の一人は、大怪我を負っていた人物で。


「エクバソス、お前調子はもう良いのか?」


「問題ねえ。不本意だがエピダウロスのお陰だな」


「……そうか」


 エピダウロスがエクバソスに、危険な薬を投与しようとしていた事は黙っておいた方が良いかも知れない。


 彼そう決めながらドアを閉じながら入室し、彼は広い部屋の奥へと歩いて行くのだが、そこで足を止める。


 何故なら見知った者ばかりと思っていた部屋に、仲間では無い者が混じっていたから。


「クリアソス、これは何だ?」


「加入希望者という奴だ。どうやらこの前の一件で屈辱などを受けた者が、恨みを晴らす為にも同志になりたいのだと」


「……なるほど。理由は別に構いはしない」


 エピダウロスの様に、社会性や常識が欠如している者も居るくらいだ。主人(ドミヌス)に忠誠を誓ってはいないが、手足として動くのならば問題ないとするのが神饗(デウス)の立場である。


 故に、ペイラスとしても反対する理由は特になかった。だが、彼らに対して確認しておかねばならない事は幾つかあるのだ。


「加入は喜ばしい事だが……貴様ら、裏切ればどうなるか分かっているのだろうな?」


 複数の加入希望者を一人一人、順々に睨み付けながら、彼は面接にも似た質問を重ねていたのだった。





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