プロローグ
前章の終わりはややぶった切り気味でしたが、五章始まります。
ちゃんと続きから書いているので問題ないと思いますが。
希少な、硝子製の小さな窓からは暖かな日差しが差し込み、正午過ぎの長閑な雰囲気が窓から見える街を覆っていた。
当然それを眺めて居れば、眠気の一つもやって来ると言うもので、男は大きな欠伸を一つしようとして――。
「ティン、どうだ? この時代の生活には慣れて来たか?」
「……まぁ、ぼちぼち。言葉遣いはまだ慣れないが」
「封印されてたせいで千年近い断絶があるからな。新しい言い回しには慣れないのも無理はない」
背凭れのある椅子にゆったりと腰掛ける、金髪金眼の偉丈夫に対し、黝い髪をした青年は酒の入った木製のコップを差し出していた。
ぼーっと街並みを眺めて居る間に青年は入室して来たのだろう。しかし咎めるどころか、ティンと呼ばれた彼としては歓迎したい気持ちだった。
何故ならこの気が利く青年は酒を持ってきてくれたのだから。
有難くコップを受け取ると、一口飲んだ。
「……で、あの少年はどうしてる? この前、封印から解放されたばかりの俺をいきなり攻撃して来た、あの白儿だ」
「ああ、その事で知らせる事があったんで、俺もここに来た」
「一大事か?」
「割とな」
腕を組み、壁へと凭れ掛かりながら、青年は含みを持たせた目でティンを見遣っていた。
それに対し、昔を懐かしむ様に目を細めた彼は、頬杖を突きながら言う。
「勿体ぶるな。千年経っても変わらねえ態度取りやがって……サトゥレには感謝してもし切れねえぜ」
「それはサトゥレに直接言ってやれ。あと、オルクスにもな。あの二人は未だにラルスとメルを救えなかった事を、何処かで気にしてるみたいだけど」
青年の指摘にそれもそうだな、と頷いたティンは、それからもう一度酒に口を付けていた。
「さて、お前の持って来た白儿の話ってのは?」
「そうそう、一大ニュースだ。ビュザンティオンでその白儿、ラウレウスが捕まったらしい」
「……は!? 待てお前! 何でその情報聞いて平然としてられるんだよ!? とっとと救出に向かわねえと! ラルス達との約束でもあるんだぞ!?」
こうしてはいられないと言わんばかりに席を立つティンに対し、青年は片手でそれを制していた。
「落ち着いて。精霊でもある俺達が大々的に動けるわけがないだろ。天神教徒に目を付けられてしまえば、いずれまたお前みたいに封印されるか、もしくは無理矢理契約させられるか……そうはなりたくないだろ?」
「だが! 白儿が捕まればどうなるか、分からない訳じゃ無いだろ!?」
「確かにその通りだが、すぐに殺されて解体される危険は低い。特に東帝国などと言った国家であれば、それが今や非常に希少な存在である事を理解している筈だからな」
民族として、白儿は絶滅してから久しい。極々偶に先祖返りで発現する事もあるが、基本見られるものではない。
故に市井の者からすれば「伝説の存在」「架空の存在」とすら言われてしまう程なのだ。ただし、その形質は良く伝承されているので、似ているだけでも迫害の対象とされてしまう事も暫しある。
中には確証も無いのに悪魔として殺された事例も、ここ千年近くの世界を見た中であった。
余り気分の良くない話だが、メルクリウス商会の長として、青年は伊達に長い間人間社会を見て来た訳では無いのだ。
「トゥルムス、お前呑気過ぎないか? 商人として、機を見るに敏でならなければいけない、と千年前も言っていたよな!?」
「だから今はその機会じゃないんだって言ってるんだ。ティンは感情を優先し過ぎだとラルスにも言われてただろ? 動くにしても、少し落ち着いて俺の話を全部聞いてからにしてくれ」
「……すまん」
始終気分を害した様子もなく、懇切丁寧に宥めかしてくれる青年――トゥルムスに、ティンはハッとして俯いた。
かつても散々指摘された欠点を思い出して、自省したのだろう。酒の入ったコップからも手を放し、乱暴に頭を掻いていた。
その様子を確認したトゥルムスは、テーブルを挟んで対向の椅子に座る。
「落ち着いたところで話の続きに入ろう。ついさっき、この情報を持って来てくれたのはスヴェンだ。偶々そこの酒場で情報を得たらしい」
「ああ、あの靈儿の……奴は今どこに?」
「話を聞き出す際に会った少女達と一緒に、もうビュザンティオンに向かった。先行させたとも言えるな」
ビュザンティオンともなれば、天神教の総主教座の置かれる場所。精霊だけで乗り込むには少し不安があるのだ。
だから、彼を行かせた。本人の強い要望もあったからこそだが、トゥルムスとしては丁度適任だとも思ったのである。
「情報が集まり次第、俺とお前と、セトランスも連れてビュザンティオンに向かうつもりだ。今は色々準備中、例えば商会や工房を暫く留守にするからな。信頼できる部下に引継ぎをしなくちゃいけない」
「めんどくさい所帯を持ったな、お前」
「しょうがないだろ、俺の夢だったんだから。何ならまだ、俺は達成しきれてない。時々俺の十分の一も生きてない商人にだって出し抜かれる。これだけ生きてても先は長ぇよ」
「世界一の大富豪ってか? お前まだそんな事言ってたんだな」
「金だけで言えばそれなりに集まったけど、俺が思う富豪ってのは精神的にも余裕があってこそだと思うんだ。だからまだまだ続きそうだぜ」
話は一旦脇道に逸れ、一頻り笑い合ったところで、再び話が元の方向へと戻って行く。
その時のトゥルムスの表情には、もう先程までの笑みは無かった。
「それと、また別の方面からの情報なんだが……お前、“神饗”って知ってるか?」
「神饗? なんだそりゃ? 俺はずっと封印されてたんだぞ、知る訳ねだろ」
「まぁそうだろうとは思っていたがな。ここ数年の間、どうも西界で動き回ってる組織の事だ。お前が封印から復活したあの日、実はその一派と戦ってたんだぜ」
ティンが興味をそそられる様に誘導する為か、何か面白い事でもあるかのように含みを持たせた物言い。
当然だが、それにティンはつられたらしい。
テーブルに置いたコップにはもう手を付けず、やや前傾になりながらトゥルムスの言葉に耳を傾けていた。
「どうも連中、構成員の中に俺らと同じ精霊が居るらしい。目的は不明だが……あちこちの行商人に命じて今は情報を集めてる最中だ」
「随分気取った名前の付いた組織だな。しかも目的も分からない、か」
「ああ……だが白儿を狙うあたり、碌でも無い事でも考えて居るんだろう」
腕を組み、悩む素振りを見せるトゥルムス。
それに対し、ティンは更に質問を重ねていた。
「お前が神饗について知ってるのは、それだけか?」
「ああ、それだけだ。すまん、まだ復活したばかりのお前に言っても仕方ない事だったな。ただ、そう言う組織が居るって事を知っておいて欲しかった」
「なるほどな。俺が封印された場所から動けない間にそんな事がねえ……」
二度三度と頷いたティンは、頬杖をついた手で口元を隠していた。
そしてその誰にも見えない口元は、大きく吊り上がっていたのだった。




