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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第一章 コノヨニウマレ
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第三話 No going back ①



「どうも戻って来るのが遅いと思ったんだけど……何があったの?」


 白髪紅眼となった俺を前にしてレメディアが継いだ二の句は、そんな問いだった。

 辺りには自分と彼女以外誰も居らず、ただ川の流れる音がしている中で、俺もまた静かに答えていた。


「……急に激痛に襲われて、気付いたらこうなってたんだ。何なのかは、はっきり分からない」


「そっか……はっきり、ね」


「ああ、ある程度想像が付かなくもないけどな」


 後頭部を掻きながら努めて平静を装っているが、その実この心臓は今にも破裂しそうなほど激しく拍動し続けている。

 鼓動が彼女に聞こえてしまうのではないかと思いかけるほどだが、それを誤魔化すように続けて口を開く。


「レメディアは、どう思う?」


「どう思うって……分からないよ。ラウ君だって分からないのに、私にどう思えって言うの?」


 問い掛ける言葉は微かに、それでいて明らかに震えていたが、果たして彼女はそれに構う様子はなく答えてくれた。


「それでラウ君、どうするの?」


「どうするってのは?」


「今後の事だよ。このままだとラウ君の身に何が起きたのか正確に分からないし、それじゃ何をすれば良いかも分からないんだから」


 そう言ってこちらを正面から見つめるレメディアの視線を受け止めて、俺は腕を組みながら考えを巡らす。

 己の置かれた状況がはっきりと分からない以上、どの様な行動を選択する事が吉なのか見当が付かず、そこを指摘されたところでどうする事も出来やしない。


「取り敢えず、状況を整理しよう。出来事はたった一つだけなんだ、俺の髪と肌が白くなって、眼が紅くなったっていう。この状況でどうするのが正解だと思う?」


「一先ず家に戻ろう。そこで作戦を立てるのが一番無難でしょ。村長とか司祭に知られた面倒な事になるのは分かり切ってるよ」


 曰く、家なら皆で匿えるし、様子見も出来るから。

 しかし、今は家に客人としてミヌキウスらがいる以上は完全に匿える保証はなく、寧ろ見つかって余計不審がられてしまうかもしれない。

 それらの点もレメディアに告げるのだが、彼女は「それでも」とその主張を曲げる気配は無い。


「ミヌキウスさん達はとても良い人だし、それはラウ君だって知ってる筈でしょ?」


「だからって全面的に信用は出来ない。まだ会ってから四日と経ってないんだぞ?」


「そうは言ってもこれまでずっと礼儀正しいし、信用しても良いと思うんだけど」


 確かに、彼女の言っている事も正しい。

 ミヌキウス達は礼儀正しいし、子供達の面倒も暇があれば見てくれる事もある。

 けど、ここは日本やそれに準ずる現代国家じゃない。

 良心的な人間なんてそう相違ないし、俺達に彼らが優しいのは宿を提供する側とされる側だからであり、尚且つ向こうがこちらを対等な「人間」だと認識しているからだ。

 これがもし、「人間」と見做されない、「敵」と認識されれば立場はまた違ってくると言えよう。

 とどのつまり絶対的な人間、と言うのはこの世界に居る確率はとても低いとしか言いようがないのだ。

 五年前、今世の家族を失った時に誰も助けられなかった、助けてくれなかったように。


「……そう言う事くらい、レメディアだって分かってるだろ?」


「そうだけど、さ。でもそれ以外はちょっとどうかと思うよ。危険だし、もしも勘違いとかだったら赤っ恥だし……」


 彼女は俺を見つめながら、窺うようにそう言った。


 道理の通ったその言い分に自然と首を縦に振ってしまい、それを読み取ったレメディアは更に畳みかけて来る。


「私としては、ラウ君を病人として人前に出させないのが最善手だと思う。それで様子を見て対応していけば、色々なことが楽になるでしょ?」


 話している中で段々とそちらの方向へと決意が固まりつつあり、再度頷いていた、が。




 そこへ割って入る声が、一つ。




「レメディア、そこに居る白いのは何だよ、なぁ?」


「「――ッ!?」」


 川の流れに削られ、自然と出来た低い崖の上から注がれた若い男の声。

 その声がした方向へ、俺達はハッとして目を向けて居た。

 果たして、そこに居たのは軽薄そうな笑みを浮かべた、灰髪灰眼の青年だった。

 その名は、ルキウス・クラウディウス。

 よりにもよって現村長のドラ息子であり、問題行動の多い彼だったのだ。


「そこの白いの、ラウレウスだろ? 随分と色が変わって、魔法でも発現したか? おめでとさん、俺だって発現してねぇのに。けど、白髪紅眼に白い肌って……もしかして“白魔法(アルバ・マギア)”が発現したとか言うんじゃねだろうなぁ?」


「いえ、違います。ただ偶然でこうなっただけで。仮に俺を逸話に名高い“白儿(エトルスキ)”だと言うなら、実物を見た事があるんですか?」


「そりゃねぇよ。ある訳ねぇだろ、今となっちゃ滅多にいないらしいんだから。けどなぁ、流石にその見た目で“そう”じゃねぇって完全否定するのは無理があると思うぜ?」


「……」


 ここに来て俺を相手に優位に立てた事が嬉しいのか、ルキウスは得意げな顔を隠そうともせず喋り続ける。


「第一よぉ、俺はさっきの話全部聞いてたんだわ。分かる? つまり、今更隠したって無駄って事だぜ?」


 ニヤニヤと下劣な笑みを浮かべた彼はそのまま低い崖を飛び降り、こちらへと歩いて来る。

 そして、レメディアに視線を向けたと思えば彼女へと手を伸ばしてこう告げた。


「なぁ、望むならこの事を黙っといてやろうか? その代わり……分かるだろ、レメディア?」


「「……!」」


 気味の悪い笑みをそのまま声にした形の、要求。

 条件を提示されたレメディアは怯えるように己の肩を抱き、一方で軽蔑の目を向けていた。

 下劣が。卑劣が。下衆が。

 自然と、俺のこの目も険しくなって行くのが分かる。

 家族を盾にして、その身柄を求めて来るそのやり方に、怒りを覚えずには居られなかったのだ。


「おい、どうなんだよレメディア? 悪くない取引だと思うぜ? 嫌なら俺はこの足で村の連中に言い触らしてやるだけだしな。そうなったらラウレウスは果たしてどうなる事やら?」


「……私、は」


 家族の笑顔と、自分の身一つ。

 それを秤にかければ、レメディアならばどちらに傾きやすいかなど、百も承知だ。

 けれど、そんなものは一切望んじゃいない。

 俺は俺、レメディアはレメディアの人生がある。

 幾ら家族とは言え、片方に人生を引き摺られるような事はあってはならない筈だ。

 まして俺は、一度死んでまた生き返っている様な、ある意味では死にぞこないなのだから。


「どうなんだよ、あぁ!?」


「……」


 尚も気味の悪い笑みを浮かべて恫喝を続けるルキウスに、レメディアの肩がピクリと跳ねる。


「良いか!? ここで俺のモンになればそこのクソガキの身柄も保証してやるってんだよ! んなモン、答えは一つしかねぇよなぁ!?」


「私は……」


 震える声で、何かを言おうとするレメディア。

 俺はそんな彼女の肩に軽く手を乗せると、何か言おうとしているその口を制して前に出る。

 すると、ルキウスが不機嫌そうな気配を更に強く纏いだす。


「何だよ? お前に用はねぇ、引っ込んでな」


「うるせぇ、こっちにはあるんだよ」


「はぁ!? テメェ、何だその口の利き方は!? 俺はこの村の村長の息子……っ!?」


 ルキウスの口から、言葉が全て吐き出される事は無かった。

 その代わりに、彼の口から漏れたのは苦悶の声。

 それもその筈、頭二つ分高い彼の胸倉を掴んですぐ、その無防備な股間に躊躇なく膝を入れていたのだから。

 ルキウスは堪らずそこを押さえたまま体を曲げ、そして(うずくま)ろうとする。

 しかし、そうはさせない。


「うるさいんだよ」


「~~~~っ!?」


 今度は丁度良い高さにある彼の両側頭部を両手でしっかりと掴んで固定し、鼻へ思い切り膝を打ち込む。

 ボキリ、と何かが折れる音がして手を離せば、彼は鼻血を流しながら顔を両手で押さえ、仰向けに倒れ込む。


「ごっ、ごのヤロぉ……!」


「何だ、負け惜しみでもする? 悪いが俺はもうそれを聞いてる暇は無いんだ。アンタのせいで逃げなくちゃいけないんでね」


 そう言って踵を返そうとしたが、その足首をルキウスが掴んで来る。


「ま、待で……」


「邪魔」


「あがっ!?」


 彼の手を振り払い、右足でその腹に蹴りを入れると今度こそ踵を向け、呆然とした表情のレメディアと擦れ違う。

 けれども俺は終ぞ、そちらへ目を向ける事は無く、ただ立ち尽くしている彼女に向かって他に聞こえない小さな言葉を囁くのみ。


「じゃあな、レメディア。皆にもよろしく言っといてくれ。それと、これから噴出する問題は全部俺に擦り付けろ。それでどうにかなる筈だ、いいな?」


「そんな!? ラウ君、待ってよ!!」


「俺が暴れてボコボコにした時点でルキウスの持ちかけた取引はもう意味がない。お前達はお前達で、平和に生きろよ。あと、もしかすると連座の可能性もある、いつでも夜逃げ出来るようにもしとくんだぞ」


 止めていた足を再び動かし、それから一瞥もくれない俺に、背後からレメディアの声が何度もかかる。そこには彼女の必死さが滲んでおり、本心から引き留めようとして居る様だった。

 しかしもはやそれに頓着する事は無く、振り返らず無言で川を駆け、渡って行く。

 明け方の水はやはり冷たく、肌に染みたがもはやそんな事はどうでも良い。

 ただ、胸のすくような気持ちと、一抹の不安を胸に、俺は森の中へと走り去っていたのだった。





◆◇◆





 今の季節が春である事もあり辺りは緑に覆われ、俺の鼻腔をくすぐるのは心地の良い草木の匂い。

 人の手など碌に加わっていない森の中は薄暗く、日が高くなっても尚、少し薄暗い。

 しかし頭上で木々の枝が生い茂っている影響で雑草などは数が少なく、代わりに背の低い草が幾らかと、あちこちでコケが生していた。

 しかしそんな大自然の中を、俺は碌に見入っている暇など無く、張り詰めた呼吸と目で周囲を警戒していたのだった。


「っ!」


 鼓膜を揺らしてくるのは、不愉快で大きな羽音。

 その出所を探り、あちこちに顔を向けていたのだ。

 そんな状況にあって、苦々しい表情そのままに「クソ」と独り言ちる。

 元々気に食わなかったルキウスを一方的に殴り蹴り倒して、清々した気分であったがしかし、森に入って暫く後に地獄を見る事となっていた。

 入会地(いりあいち)の様な比較的浅い森であれば何度も立ち入った事があったので、森だって多少は大丈夫だろうと高を括っていた。

 だが、蓋を開けてみれば、特に奥地はそんなこと無かったのだ。


「うぉぉぉぉぉおっ!?」


 横っ飛びで回避した直後、さっきまで居た場所を何かが喧しい羽音と共に高速で通り過ぎていく。

 その大きさは俺の胴体ほど、今も喧しい音を響かせいるそれは、黒い蜂。

 もっとも、その大きさからして危険度は推して知るべし。

 名前は知らないが、その針の大きさも相当なもので、しかも日に照らされて湿っているのが分かる。

 疑う余地もなく毒針であろう。

 刺されたら……これもまた推して知るべし。でも多分、生存は絶望的。

 レメディアと別れて後、早朝に森へ入ってからと言うもの、遭遇するのはこんな感じのやつらばかりである。


「何なんだよマジで!?」


 それこそもう、地球上の古代昆虫もびっくりの大きさの蜂が居るくらいなのだから。

 依頼で来ていたというミヌキウス達は、本当にこんなヤバいやつらを相手にしていたのだろうか。

 ただし、彼らは武器を持っていた。

 しかしながら自分は何も持って居ない訳で。

 これでは反撃しようにも、何もかもが儘ならない。


「勘弁してくれよ……」


 その大蜂は巨大な複眼の付いた頭部を俺に向け、空中で待機しながらこちらの致命的な隙を窺っているらしい。

 こんなもの、気を抜けば確実に即死へ繋がる。

 何より、自然と言うものは待ってくれない。俺と言う餌を狙う存在が、同時に複数現れないとも限らないのだ。

 やはりこれは穏便に済ませて村に残るべきだったと後悔するものの、ルキウスに露見して取引を持ち掛ける彼に暴行を加えてしてしまった手前、そもそも無理な話であろう。

 かと言ってあの取引に乗るという事はレメディアを生贄にする事と同義だったし、早い内に提案を蹴っておかないと彼女自身がそれを容れてしまいそうに感じられたのだ。

 自分はあの家で最年長だからと、血の繋がらない「家族」を守ろうと、自身の身を犠牲にしかねないと思ったから、強引に破談の方向へと強引に持ち込んだ。

 その判断に、後悔など無い。


「……ってあぶねぇっ!?」


 ついうっかり他の事に思考を回した途端、例の蜂が再び襲い掛かって来る。

 それをまたも紙一重で躱し、油断なくその蜂を目で追うのだが。


「ん!?」


 唐突に木の影から伸びた一本の触手が、その蜂に巻き付いていた。

 蜂もまた必死になってもがいている様なのだが、そこから更にジェル状の触手は伸び続け、遂に草むらの中に引き摺り込まれていく。

 それから一拍置いて草むらの中から姿を出したのは、ドロドロとした何かの粘液らしきもの。

 そして、その全貌が明らかになった時、俺は自然と右手で口を押えていた。

 それと言うのも、先程引き摺り込まれた巨大蜂がそのまま全身丸ごと粘液の中に取り込まれていたのだから。

 おまけに溶けているのか、泡を立てて目に見えるほど小さくなって行くのが分かるし、それに伴って体液もジェルの中に溶け出て、極めつけはまだその蜂が生きている。


「粘菌? スライム? ……いやどっちにしろデカいしキモいっ!?」


 出来れば見たくないとかではなく、甚だ不快なその光景に思わず後退り、そして全力で逃げ出していた。

 幸いにもあのスライム? は、こっちを認識していなかったらしく追われる事は無かったものの、既に走り詰めで体力は限界を迎えていた。

 周囲にはそれ以外の姿が無いみたいで、駆け足を止めた俺は荒い息のまま森の中を歩く。


「修羅の世界だな」


 体は重いし、喉もカラカラに渇いて仕方ない。

 けど、着の身着のままだったので何も持っていないし、水分補給なんて手軽に出来たものでは無かった。

 汗だくになりながら水を求めて森の中を彷徨い、どれくらいだったか、耳が水音を聞きつける。

 その音に誘われて向かってみれば、そこには村のそばを流れる川よりも澄んで見える流れが存在していた。

 すぐさま川面を水で掬って飲んでみるが、やはり口当たりは例の川よりも良い。どちらも浄水処理など為されている訳ないが、そんなもの今の生活をしていれば気にしてなどいられない。

 一々拘っていては、死んでしまうのだから。

 何より、農民としてこの身体は十三年生きて来たのだ、この程度で腹を壊しやしない。

 がぶ飲みした結果、水っ腹気味だが、朝から何も食っていない身としてはそれでも十分だった。

 火照った体を冷やす為に着衣のまま水に浸かり、仰向けに浮かびながら嘆息する。


「どうなってんだ、この森はっ」


 充分に体が冷えたと感じたら河原にあった岩に倒れ込み、そのまま大きく背伸びをする。

 頭上には川の流れを覆うように緑の衣を纏った木々の枝が伸び、そこからの木漏れ日が寝そべっている俺を優しく照らしてくれていた。

 程良く冷えた体を温めてくれる陽の光と岩の表面に挟まれ、自然と全身から力が抜けていくと共に四肢の疲労を強く訴えて来る。

 そのせいで危うく熟睡しかけてしまたのだが、不意に聞こえてきた対岸からの派手な水音によって、俺はその意識を覚醒させた。


「……?」


 寝落ちして居たら危なかった、と目覚まし代わりの水音に感謝しつつそちらの方にゆっくりと目を向ける。

 するとそこには、巨大蜥蜴の様な四足歩行する生物がこちらに背を向けて、その大口に何かを咥えていた。


「は?」


 そんなまさかの光景に、俺はだらしのない姿勢のまま、絶句して身動きが取れない。

 その大口から飛び出しているのは、恐らく鹿の脚だろうか。

 俺とは少しばかり距離があるので大蜥蜴の正確な大きさは図れないが、鹿をパクリと言ってしまう頭の大きさだけで二M(メトレ)は確実に超えている筈だ。

 尻尾まで含めればその四倍以上あると言えるそれは、しかし蜥蜴に似ているとはいったものの頭部は扁平でその黄土色の斑模様の表面に鱗は無く、その表皮は柔らかそうに湿っていた。

 おまけに顎の付け根辺りには(エラ)の様なものも飛び出しており、両前足から伸びている指には水掻きらしきものまで確認できる。


「水棲の……蜥蜴? いや、山椒魚(サンショウウオ)? でっか!」


 果たしてどうなのだろうか。グラヌム村どころか日本の街で暮らして居た頃にも全く見た事の無いそれに目を奪われ、好奇心と警戒心もあって俺は寝そべった体勢を維持したまま今も尚動けない。

 鹿をパックリと言ってしまう様な存在だ。どう見たって危険な匂いしかしないのに、下手に物音を立てて注意を引く訳には行かない。


「……」


 こっちを見ないでくれ、と念じつつ尚も観察を続けていると、不意にそれが足を動かしてこちらへ頭を巡らせた。

 つまり、ばっちりとこちらを見てくれたのだ。

 瞬きも忘れ、固唾を飲んで見て居る俺の目に映ったのは、蜥蜴とは似ても似つかない、扁平な顔をした巨大山椒魚。

 その大きな口はモグモグと動いており、それにつられて飛び出した鹿の脚は力なくブラブラ揺れていた。

 だが、向こうは鹿の咀嚼に忙しいのかその場に留まり続けたあと、それを嚥下すると緩慢な動作で河原から川の中へと戻って行った。

 それを見届けた瞬間、俺は全身に籠っていた力を抜き、脱力する。


「嘘だろ……」


 ついさっき、何も考えないで川の水を飲んでいたが、下手をすればパックリいかれていたのは鹿ではなく俺だったかもしれない。

 自分がそうなった時の事を想像して背中を粟立たせつつ、やはりここは安心出る場所など何処にも無いのだと強く認識を改めていた。

 しかし、だとすれば一体何処で寝れば良いと言うのだろうか。今のを見る限りこんな所で寝たくはないし、残って居るとすれば精々木の上くらいなものか。

 疲れ切った目で高く、太い木を探して目星をつけた俺は、その根元まで歩いて行き、ねぐらとして適しているかを確認する。

 すると、そこには俺の腕ほどもある太さの傷が三本付けられており、位置的に考えても明らかに大きな熊が付けた爪の傷であろう事は明白だった。


「怖すぎだろ」


 縄張りの主張か、何かだろう。入会地でも熊が時折そう言った物をつけていくが、ここまで大きな傷は生まれてこの方見た事が無かった。

 誰がどう見ても危ない匂いしかしないと言う訳だ。

 ガックリと項垂れ、そこを寝床にする事を諦めた俺は再び元の川へ戻り、岩に腰掛ける。

 そして、どうしたものかと考えを巡らすのだが、結局あらゆる部分で立ち塞がる壁は「己の肉体的弱さ」にあった。

 このまま、やって来ているかもしれない追手から逃げる為にも、休息を取るにしても、それに立ち塞がるのは「強者」である妖魎(モンストラ)と「弱者」である俺の関係だ。

 せめてもう一人居れば、片方見張りで片方仮眠のような事も出来ただろうが、居る訳無いので出来る訳が無かった。

 村から派遣されるかもしれない追手の方は、妖魎(モンストラ)に追い回されながら距離を稼いだ筈なので一先ず安心。

 けれども、強ければ妖魎(モンストラ)相手に逃げ回る事も必要なかっただろうし、多少の警戒は必要であってももう少し自由に動けた筈だった。

 それに、妖魎(モンストラ)へ細心の注意を払っておけば早々不意遭遇戦に陥る様な事も無いのである。

 しかしながら、これからも全く遭遇しないと言う訳では無いだろうし、いつまでもこんな力関係では確実に捕食されてしまうであろう事は間違いなかった。

 その点から考えても、今後流浪の旅をするならば己自身が強くなると言うのは最低限必要な条件に入って来る。

 例えば、恐らく発現していると思われる自分の魔法を活用して。


「............」


 しかし、そう思ったのは良いものの、残念な事に勝手が分からない。

 レメディアみたいに魔法が発現して勝手に魔力が暴走、みたいな事も無かったので体外へ魔力を流す感覚が分からないのだ。

 もっと言えば“白魔法(アルバ・マギア)”は勿論、発現した魔法と言うものが結局どんなものなのかが具体的に分からない。

 植物魔法であれば、植物に魔力を流して異常に巨大化させたり、操ったりと言った事も可能なのだが、では白魔法(アルバ・マギア)と言うものは何が出来るのかと言われるとさっぱり分からない。

 自分の魔法について知ろうにも扱えないから自分の予想や懸念が当たっているのかも知り得なかった。

 結果、魔法による自分強化策は振り出しからして壁にぶち当たってしまう。

 こうなっては色々と試してみる他ないと、考え付く体勢を試してみたり、時に奇声を上げてみたりするのだが碌に効果はなかった。寧ろ後者に至っては、奇声を上げたせいで余計な妖魎(モンストラ)を呼び込んでしまうという効果があっただけだった。


 ……まさか、あんな大きな熊が俺の奇声に反応してくるとは。


 この森で迂闊な事は出来ないものである。

 そんな危機に陥ったりしつつ、それでもレメディアの魔力を感じた事がある以上、やり方はある筈だとめげずに取り組むこと一時間。

 逃げ回っていた事で疲労の溜まった体に鞭を打ち、何度となく練習を繰り返したのだが、しかしこの日、遂に何の糸口も掴めずにそこで打ち切ってしまう。

 それよりも、日が傾きつつあった今の時刻では寝床と飯の確保が最優先だったのだ。

 竿も糸も無いので魚は諦め、毒性が無いと知っている野草や果物を片端から搔き集めて、それを手に取った傍から腹に押し込む。

 鍋が無いので煮る事も出来ない為、そのまま食べる羽目なった訳だが、前日に鹿肉入りの塩スープを食べたせいで非常に物足りなく感じるし、質素且つ不味かった。

 それでも、食わなければ力は出ないのでそれらをすべて平らげると、今度は寝床の確保である。

 一時的に拠点としているここは、場所的に水辺に近く、尚且つ岩場の多いここは岩を背にして場所が取れるので、火さえ絶やさなければ一先ず何の問題も無いだろう。

 つまり夜通し寝たり起きたりを繰り返す訳だが、それが出来なければ死ぬだけである。

 本当なら木の上が良いが、確保できなかったので半ば投げ遣りではあるし、出来る事はやっておきたい俺は日の出ている内に薪を彼方此方から搔き集める。

 そうして、薪の投下さえ忘れなければ火の絶えない状態にするまでは良かったのだが、ここに来て今朝からの疲れが溜まったのか、一際大きな欠伸が漏れていた。


「……ちょっと、だけ」


 まだ日没には少し早いが、疲労回復の為にもここで眠って置くべきかと判断し、自分に言い聞かせつつ焚火を前に、岩を背にして横になっていたのだった。





◆◇◆





「――親父! 絶対アイツは捕まえるべきだぜ!」


「だが……それは本当なのか?」


「本当に決まってんだろ!? 俺がこの目で見たんだぜ、なぁレメディア!?」


 とある建物の中では、椅子から勢いよく立ち上がった青年が、テーブルを叩いて声に怒気を滲ませながら声高々に主張を繰り返していた。

 一方で唐突に話を振られた一人の少女――レメディアは、その肩を跳ねさせながら躊躇いがちに一度だけ頷く。

 それを見た青年ことルキウス・クラウディウスは、「そうだろう」と満足そうに何度も頷くと、目の前の男性に同じ主張を繰り返す。


「アイツ……ラウレウスは“白儿(エトルスキ)”だったんだよ! 本当に真っ白で、目だけは紅かったんだ! 親父だってアイツの元々の髪の色とか覚えてんだろ!?」


「ああ、覚えているとも。確か、死んだ母親と同じ水色だ」


 そう言って頷く男性の名は、トリクス・クラウディウス。ルキウスの父親であり、同時にこの村の村長でもある。

 歳のせいか頭部が薄くなっている彼は、その蓄えた顎髭を撫でながら自身と同世代の人物に視線を向ける。


「パピリウス司祭、貴方はこの状況をどう判断為さいますか? 仮に本当だと仮定して……追うべきでしょうか?」


「私ですか? まぁ、『神』の教義に従いますればその“悪魔”を追討するのが当然だと存じますが、そうであれば領主殿に要請なさった方が宜しいかと。それに、彼は元々不信心者でしたからね。そこから推察して神の敵である“白儿(エトルスキ)”であっても不思議は無いでしょう」


「そっ、そんな事ッ!!」


 にこやかな笑みを浮かべながら、平然とラウの捕縛と罪人としての扱いを薦める聖職者パピリウスに、レメディアは堪らず椅子から立ち上がり声を荒げていた。

 すると、その剣幕に驚いたのかトリクスやルキウスは目を丸くして彼女の方を見る。

 しかしパピリウスは泰然としたままテーブルに置かれた水を一口飲むと、その金色の瞳をレメディアに向けた。


「……何ですか、レメディアさん? 証人として出席までは求めましたが、私は今の貴女に発言を求めた覚えはありませんよ」


「ですがッ……!」


「随分と“悪魔”に肩入れ為さるのですね。ひょっとして、貴女を含め残された家の人達も“異端”なのでしょうか?」


 決してきつくはない口調。けれどもそこには有無を言わさぬ迫力があり、同時に現実性が伴っていた。

 この人なら確かに出来るだろう、この人ならばやりかねない、とレメディアは絶句しつつも瞬時にそれを察した。

 自分だけならまだしも、クィントゥスや他の子供達を巻き込むわけにも行かず、彼女は俯きながら「申し訳ありません」と告げて静かに着席する。


「よろしい」


 大人しく言葉に従ったレメディアを見て、満足そうに微笑んだパピリウスは村長であるトリクスを見返して続けて口を開く。


「村長自身はどうお考えです? ご自身の息子――ルキウスさんはラウレウスという悪魔によって重傷を負わされたのですよ? 私の癒術が無ければ恐らく一生残る傷となっていた事でしょう」


 そう言いながら彼が視線を向けた先には、とうに痛みの引いた鼻を摩っているルキウスの姿があった。

 実際、彼の怪我はとても酷く、鼻の骨は粉砕された上に前歯も上の二本まで折られてしまったのだ。

 骨折した鼻の方は連続で癒術を掛ける事によって回復に成功したものの、欠損してしまった前歯はどうする事も出来ず止血しただけに留まってしまった。

 レメディアから見ても随分と派手にやったものだと溜飲が下がる思いであったが、流石にそれを表に出す訳にも行かない。

 一方、息子の事でラウレウスへの恨みを煽られたトリクスの目には怒りが透けて見え、その手は小刻みに震えて握り締められていた。

 だがそれもその筈、パピリウスが言った言葉は明らかに物事を討伐へと運んで行こうというものなのだから。

 何故ならば、例の逸話からも分かる通り天神教は“白儿(エトルスキ)”をこの上ないほど敵視しているのだ。その上、“白儿(エトルスキ)”と言う存在は巨万の富を生む。それは、たった一人しか居なくとも、である。

 心臓付近にある白珠(マルガリタ)は勿論、魔力が濃厚に沈着した骨、場合によっては髪や皮膚・臓器・血液まで使い道があるのだ。

 いずれも非常に上等なものとして扱われ、どれか一つとっても平民が一生暮らせる程の金が手に入ると言われている。

 つまり、全身を手に入れれば手に入る富は計り知れないと言う訳だ。

 流石に領主へ協力を仰ごうと言っている以上は、彼とて全身を手に入れる気など無いのだろう。

 しかしレメディアから見れば、それでもパピリウスは明らかにここで“悪魔討伐”という手柄ついでに、一財産も稼ぐ腹積もりだとしか思えなかった。

 大方、今も頭の中で捕らぬ狸の皮算用を重ねている事だろうが、彼女としてはラウが今も無事で、なるべく遠くに逃げている事を祈るばかりである。


「……なぁ、悩んでいる所悪いが、少しいいか?」


 不意に、今まで無言を保っていた人影の内、一つがおずおずと手を挙げながら口を開いた。

 すると、それにパピリウスが「どうぞ」と手で示しながら発言を促す。

 それに対して軽く頭を下げた男性は青髪青眼であり、その体には一目で狩猟者(ウェナトル)と分かる無骨な皮鎧を身に着けていた。


「俺は見ての通り狩猟者(ウェナトル)をやってるガイウス・ミヌキウスってんだが……そこのアンタはラウレウスが森の中へ逃げたのを見たんだよな?」


「ああ……アイツにやられたせいで視界は滲んでいたが、白い影が川を渡って森に入ったのは間違いない。俺を疑っているのか?」


 ミヌキウスがパピリウスに自己紹介をして後、続けて彼に問われたルキウスが不機嫌な声を出す。


「いいや、まさか。ただ、そうだとすると仮にラウレウスを捕捉するのは相当困難だと思うぞ? 俺達も入った事はあるが、森は広い。しかも面倒な妖魎(モンストラ)も居るから、下手をすれば食われているかもしれん」


 無駄足に終わる可能性もある、と言外に伝えながらミヌキウスはパピリウスと村長のトリクスを交互に見遣る。


「確かにそうなるのも有り得ますね。ですが相手は“悪魔”です、生き延びている事だって十分考えられますよ? 寧ろ、そう考えて討伐隊を領主殿に出して貰うのは当然かと」


「そうか? 俺が見た限りだとラウレウスにそこまで戦う力は無かったように感じたけどな。最近この辺の森に依頼で入っているが、ありゃ素人が奥深くまで入って良いところじゃない。まず間違いなく死んでるぞ。それに、領主が討伐隊を出すにしたってタダじゃない。出兵のせいで農民たちは疲弊するんじゃないか?」


 机の上に頬杖をつきながらミヌキウスがそう言えば、先程まで俯いていたトリクスの顔が勢いよく持ち上がる。

 その挙動に肩を跳ねさせたミヌキウスだったが、次いで言い放たれたトリクスの言葉によって目を剥く事となった。


「負担など、そんな事は関係ない」


「っ、正気か!? 今の税負担から更に増えれば、レメディアの家なんかは確実に立ち行かなくなるぞ!?」


「それが何だ、悪魔討滅の為なんだぞ!? それに、そいつらの家にはラウレウスと言う悪魔が居たんだ、報いを受けるのは当然ではないか!」


「なっ、おいおい……!」


 村人を守る為に置かれた筈の村長がそれを言っては駄目だろう、とミヌキウスは苦々しい顔を隠そうともせず向ける。

 しかし、それでも尚ミヌキウスは抗弁しようとするのだが、それをパピリウスが手で制した。


「そこまでです、ミヌキウスさん。貴方の言う事にも一理ありますが、トリクスさんの言う通り悪魔は徹底的に掃討しなければなりません。それはお分かりでしょう?」


「悪魔って……ついちょっと前まで普通の村人だったんじゃねえのかよ!?」


「ええ、少し前までは。ですが悪魔と分かった以上は討伐するのが当然でしょう。それとも何か、貴方は悪魔を崇拝する異端者だとでも?」


「……!」


 今度は、レメディアの時と違って眼光は鋭く。その声音は堅く。

 笑顔の中にある目は細められているものの一切笑っておらず、その背後にある権力の大きさを前にしてミヌキウスは口を噤むと瞑目していた。


「……失礼した」


「ええ、発言には十分お気を付けて」


 尚も投げ掛けられる棘のある言葉に、ミヌキウスは無言でその顔を顰め、横に座っていた仲間――アウレリウスに窘められる。

 その様子を目にしてミヌキウスはやはり信頼に値する人物だとレメディアが改めて認識する中、そこで不意に取り纏めるようにしてトリクスが宣言した。


「パピリウス様、ご意見有り難うございます。私としては貴方の意見を採用させて頂き、領主様にラウレウスの捜索・捕捉・捕縛を依頼する事と致します」


「ええ、それが宜しいかと」


 笑顔で拍手するパピリウスにルキウスが続き、主だった村の重役もそれに追従していく。

 流石にこの流れに従わない訳には行かず、レメディアとミヌキウスは最も遅く、半ば投げ遣りに拍手をしていたのだった。







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