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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第四章 フシンヌグエズ
79/239

第五話 HASTA LA VISTA①



 暗く、肌寒い地下牢の中。


 一定の間隔で天井から染みだした水滴が水音を奏で、地下牢全体に響き渡っていた。


 だが、その高くもかぼそい(・・・・)音は、直後に低い男の声によって掻き消されていた。


「おいラウレウス! まだ話は終わってないぞ!? 訊きたい事が山ほどある!」


「うっせえな。根掘り葉掘り何でも訊けばいいってもんじゃねえんだよ。大体、話を理解する脳味噌はあるって自信満々に言ってたじゃんか」


「限度があるわ! 流石に異世界の事を見通せる程、手前は想像力が豊かな訳ではない!」


 何度もそう言っているだろう、と男――タグウィオス・センプロニオスは主張する。若干興奮しているらしく、声が張っているせいで煩い。


 ただでさえ音の籠り易い地下牢だ。それだけ大声で話されると音も反響して顔を顰めずには居られなかった。


「こうなるかもしれないって思ったから、色々ぼかしたりして説明したのに……何でそんなに掘り下げて来るんだよ」


「自分と異なる世界の話となれば、興味が湧くのは当然であろうよ。さあ、早く話せ。産業革命とは何だ? 蒸気機関とは? 何から何まで分からない事だらけなのだ」


「それ話し出したらもっと掘り下げないといけねえじゃねえか……」


 もうここ数日、いやどれだけの日にちが経ったのかは分からないけれど、既に相当長い間話をさせられている。


 一方的に説明をさせられているのだ。こちらとしてはいい加減辟易として来るのも当然の事であった。


 一体何処まで話せば良いのかも分からない。(きり)がない。


「何を黙っている。早く話せと言っているんだ。貴様も退屈凌ぎになって丁度良いだろ?」


「……あのなぁ、俺は退屈凌ぎをするなら会話がしたいんだよ。分かる? 一方的に喋り倒すのは苦手なんだ。説明も一々整理していかないといけないし、冗談も中々飛ばせない。話してからすれば気が滅入るっての」


「何を言っているんだ? 手前としては話を聞きたいのだから当然であろう? 面白い小話などを聞く前にそっちへ興味が向くのは自然ではないか」


「だからそれじゃ話すのも飽きて来るって言ってんの!」


 遠回しにお前の話は詰まらないと言われた気がして、語気を強めて反論する。


 こっちは一方的に喋り倒すだけでは面白みに欠けると思って冗談を飛ばしても、それをここまでバッサリ斬り捨てられれば起こりたくもなるというものだ。


 気遣いをここまで貶されるとは思わなかったし、ここまで喋り続ける事を求められるとは思わなかった。


「口答えする間があるなら早く話さんか!?」


「おいテメエ何様だよ!? 貴族だか何だか知らんが、この牢屋に居る以上立場もクソもねえだろが!」


「喧しい! 白儿(エトルスキ)の、しかも異世界の前世の記憶を持つ者となど早々会う機会も無いのだぞ! こんな三つの貴重な要素がある相手から、もっと話が聞きたいと思うのは当たり前の事であろう!?」


「じゃあ聞き出そうとする努力しろよ!? 配慮しろよ!? ただ喋らせようとするとか、お前馬鹿なんじゃねえの!? あとこれ絶対に他の奴に言うなよ! 今みたいに質問攻めされる未来が見えるから!」


 この野郎、それが人にものを頼む態度だと言うのか。寧ろ、話してやろうと言う気も失せて来るくらいだ。


 今の今までは我慢して話してやったが、流石に限界だ。疲れたし、飽きた。


 ……そうだ、寝よう。


「寝るなぁぁぁぁあっ!?」


「喧しいわ!?」


 思考と行動を先読みしたようなその怒声に、藁の上に倒していた上体を起こして怒鳴り返す。


 この男は、一体どれだけの間を他人に喋らせようと言う考えだったのだろう。人に対する配慮と言う者が絶対的に足りていない様に思えて仕方無い。


 お宅の息子さんはどのような教育を受けて来たのですかと、彼の両親でも呼び出してやりたいくらいだ。


 もっとも、彼の年齢だと両親は既に他界していてもおかしくないくらいではある。地球に比べて医療水準の低いこの世界では平均寿命も短いのだから。


 正確にデータがある訳ではないけれど、実際にこの世界で十四年も過ごせば分かって来る事であった。


 尚もぎゃあぎゃあ喚き立てるタグウィオスの言葉に聞こえないふりをしながら、再度藁の上に寝転がる。


 ここまで煩いと寝付けはしないだろうが、ここ数時間は暫く同じ態勢だったので詰まっていた血液が(ようや)く全身に行き渡った様な、そんな感覚が脚や腰を駆けて行く。


 伴って大きな欠伸と伸びをして、薄暗い牢の天井を眺める。


 もうとうに見飽きた光景で、視線を床に向ければ鼠が駆け回っていた。何か細長いウネウネしたものを咥えているので、食事の最中なのだろう。


 前世の自分がそれ見たら即座に目を背けていただろうなと思いながら、それをぼうっと眺めていた、その時。


「おい小僧っ! 無視するな……ん?」


「……あ?」


 微かな振動を、石の床と密着していた右耳が拾った。


 タグウィオスも途中で言葉を切ると耳を澄ませているらしい。


 石の床に耳をくっつけていてようやく聞こえる程度だと言うのに、彼は立った状態、それも騒いでいる最中に気付いていた。


 伊達に東帝国で最強の将軍の一角を担った訳では無いのだろう。今は情けないくらいに情けないと思っているが。


 何にせよ、既に本人から聞いた話で只者ではないとは知っていたが、それが今やっと垣間見えたところだと言えよう。


「何の揺れだ?」


「知らん。こんな場所に居て分かる訳ねえだろ」


「騒がしい。魔法……いや、だとしてもこれは一体」


 また、遠くで大きな何かがあったらしい。地下牢の床を伝って、ほんの小さな音が聞こえる。


 多くの足音の駆けて行く音も聞こえ、いよいよ以ってただ事では無さそうだった。


 宮殿の中で駆けずり回っている者達の事を想像して、大変そうだなと他人事に思う。


 だが、そんな中で不意に向かいの牢から膝から崩れ落ちる様な音がした。


「何だおっさん、病気か? 高血圧? 頭に血が上ったの?」


「…………」


 彼は辛うじて鉄格子に寄り掛かり、倒れる事は回避したらしい。しかしながら鉄格子を掴む両手は震え、膝をついて俯いている姿は、先程までとは別人のようであった。


 その豹変ぶりに当惑せざるを得ない程には、一転して沈んだ雰囲気を纏っていたのである。


「おーい、生きてるなら返事くれよ?」


「……か、さか……んな……」


「え、ホントに大丈夫かよ。牢番呼んだほうが良い?」


 まるで絶望に打ちひしがれた様な、そんな感じだった。


 この限りだと身体的には問題なさそうだが、だとすると誰かの身を案じるなりしているのだろうか。


 その誰かが何なのかは皆目見当がつかないけれど、そう考えるのが自然かもしれない。とにかく、今の彼からしてみれば、取り乱すほど不味い事態が生じているのかもしれない。


 ただ、聞き出そうにもこの様子では難しそうで、俺に出来るのは向かいの牢の住人として見守ってやる事だけだった。


「姫……まさか、まさか、そんな……?」


「いや姫って誰……あ、もしかしてそれってこの前に言ってた奴?」


「ああ、手前が余生を賭けて尽くすと誓った御方だ。絶対に守って見せると決めた……」


 がん、と鉄格子を叩く鈍い音がした。ぶつかったのは恐らく拳だろう。


 地下牢全体に鈍い金属音の余響がする中、それも収まらぬ内にまた同じ音が鳴る。


 今度は先程よりも更に大きいもので、それもその筈、タグウィオスがそこへ頭突きを見舞っていたのだ。


「何たるザマだ! 手前はっ、手前は……! この懸念が本当なら、何と言って詫びればよいのだ!? 何として償えばいい!?」


「お、おいっ、いい加減その辺で止めとけって……頭割れるぞ!?」


 二度、三度と頭を乱暴に打ち付けて行く彼に、思わず制止の声を掛けるものの、その程度で止まる気配はなかった。


 常識的に考えて危険極まりないし、痛みとて相当なものであると言うのは想像に難くない。


 だと言うのにタグウィオスは止めなかった。


「行かなくては……参じなくては! 今すぐ、今すぐここを出て……姫にッ!」


「止めろ! 無理だ! そんな事やってたら姫とやらの所に行く前に死んじまうぞ!」


 この地下牢の鉄格子は通常のものとは異なり、殊更に硬い。一体どのような材料を使っているのかは知らないが、大して手入れされている訳でも無いだろうに錆一つ見当たらないくらいだ。


 当たり前だが、気合で何とかなる訳でも、頭突きで何とかなる訳でも無いのである。


「何としても……っ!」


「正気か、おっさん……」


 微かに、そして段々と漂ってくる血腥(ちなまぐさ)い匂い。


 少し距離が離れているとは言え、血の匂いがして来るのだ。まず間違いなく内出血で済んでいる訳がなかった。


 もっと言えば極少量の出血ではそこまでの匂いはしない。だが今は、血の匂いが益々濃くなるばかり。


 結構派手に頭部のどこかしらを切っている筈だ。


「くそ……本来なら、この程度の牢など簡単に破って見せるものを……おのれ、()る歳がっ!」


「落ち着け! 取り敢えず座れ! 仮に牢破りが出来ても、そのふらつきじゃ逃げ切れねえって!」


 薄暗い、この地下牢の中でも分かる程、タグウィオスの影はふらついていた。脳震盪もあるのだろう。


 これ以上頭を打ち付け続けたら気絶もあるかもしれない。下手をすれば死んでもおかしくないし、それくらい脳味噌のある頭部はデリケートなのだと前世の中で得た知識が警鐘を鳴らしている。


「ここで死んだら姫ってのに参じるどうのこうのどころじゃねえだろ! 一旦冷静になるんだよ!」


「手前は冷静である……十分にな。この冷え切った、冴え渡った思考が告げるのだ。一刻も早く姫の元へ駆けつけろと」


「寧ろ煮えくり返ってるじゃねえか!?」


 グツグツだ。誰がどう見てもその主張では冷静さを欠いている。後先が見えていない時点でそこに説得力などある訳がなかった。


「とにかく、脱走するにも何か他に手がないか探した方が良いだろ!?」


「無い! ここ数か月収監された手前は、既に色々試した後だ! こうなれば強行突破しか打つ手は残されていない!」


「そりゃアンタ一人で探した結果だろ!? 今度は俺も居る、もう一度探ろう!」


「貴様などあてに出来ん! 話も詰まらん奴に!」


「それは今関係ねえだろが!? ふざけんじゃねえぞテメエ!?」


 とは言え、実際タグウィオスの指摘通り脱出する上での有効な手立ては見つかる気がしない。


 特に自分自身は、両手に枷、片足には鉄球。仮に脱出出来たとしてもこの状態でどう逃げろと言うのか。


 特殊な拘束具の効果で、魔法も真面に使えやしない。牢破り云々以前に、ここを解決出来ないと話が進まないのである。


 そしてここがどうにも出来なければ、タグウィオスは再び頭を鉄格子に叩き付け続ける事だろう。ようやく一旦止める事は出来たが、それも俺が黙り込まされてしまえば再開されてしまう。


「とにかく、おっさんは頭突きを止めろ! せめて蹴りとかにしとけ! 危険だから!」


「食事が少なすぎて力が入らんのだ! 蹴っても威力が出る訳なかろう!」


「開き直んな! じゃあ体当たりでいいだろ! もっと頭使えよ脳筋が!」


 ふと、本当に字面通りの脳筋だなと場違いな事を考えたけれど、今はそんな下らない事に思考の余裕を使言える場合ではない。


 今はこの男を説得するのが先である。ただ正直な話、まだ会ってからそれ程時間も経っていないので、死んでもショックは受けないだろう。


 それでも、何度も言葉を交わした相手が死んでしまうと言うのは後味が悪いのだ。それに彼は、俺の正体が白儿(エトルスキ)であると知っても尚、態度を変えなかった稀有な人物でもある。


 むざむざここで、指を咥えて見ている訳にもいかなかった。


 出来ればその内諦めてくれれば一番良いのだが、彼の場合、諦める頃には死んでいてもおかしくない。


 どうやって諦めさせるか、或いは安全に脱出するか。


 どちらを達成するにしても、この極めて自由が制限された状況下では難問中の難問であった。


 余りにも面倒臭くて、放って不貞寝でも決め込んでしまおうかと思ったくらいである。


 そんな中、ふと鼓膜を揺らす誰のものとも知れない声が一つ、すぐ横で聞こえた。


「なあ、おいラウレウス」


「…………」


 じろ、と声のした方へ視線を一瞬向けてやるけれど、それだけだ。すぐに視線をタグウィオスの方へ戻していた。


 だけど、それが声の主からしたら不満なのだろう。若干苛立ちを募らせた様子で声を掛けてくる。


「もしもーし?返事しろ ラウレウスー?」


「うるさい黙れ」


 聞こえてくる声に対して、今はそれどころではないとばかりに素っ気なく応じる。何せ今は、目の前で知らない仲では無い人が、滅茶苦茶危険な事をやろうとしているのだ。


 それを止める為に頭を全力で回転させなければいけない。ここで誰とも知れない余計な奴の言葉に耳を貸してやる余裕はなかった。


 するとそんな俺の態度から頑なさを見てとったらしい声の主は、溜息混じりに呟いていた。


「黙れって……それが俺に対する言葉かよ」


「こっちは見ての通り忙しいんだ。悪いが全部終わってからにしてくれ」


「全部って……どこからどこまでが全部だか知らねえけど、それ一体いつになるんだよ」


「知るか。あのタグウィオスっておっさん次第だな」


 どうすれば、どうすれば彼は納得してくれるのか。そう考える間にも、金属の檻が叩かれる音は止む事がない。


 今もタグウィオスは鉄格子に体当たりを連発している。その度に大きく鈍い音が地下牢全体に響きわたるくらいなのだから、その威力の大きさを物語っている様だった。


 しかし、やはり鉄格子は途方もなく硬く、ビクともする気配が無かった。少しずつでも(ひしゃ)げても良いだろうに、何の変化も起きないのである。


 このままでは埒が明かないと、また頭突きに逆戻りしないとも限らない。荒い呼吸と大きな音が断続的に響き渡る中、彼の影を眺めながら溜息を吐かざるを得なかった。


「どうなってんだよ、この鉄格子……」


「いや、これただの鉄格子じゃねえぞ。俺も鍛冶師じゃねえから詳しくはよく分かんねえけど、 硬さからいって堅玄鋼(アダマンティウム)とか」


 こんこん、といつのまにか鉄格子を挟んだ向かいに現れた彼は、格子の材質を確かめるに軽く叩いていた。


 男の言うアダマンティウムとやらが何かはよく知らんが、取り敢えず硬い金属なのだろう。


 「へえ」と適当に合槌を打ちながら思考を再開しようとして、ふと脳が止まった。


 伴って、頭を掻こうとしていた右手も止まった。


 呼吸も止まった。心臓は相変わらず動き続けたが。


「……え? え? はぁ!?」


「よう、やっとこっちを見たか。久し振りだな、ラウレウス?」


 ぎょっとして目を剥いた視線の先には、悪戯が成功した様に楽しそうな笑みを浮かべる青年の姿があった。


 鉄格子を挟んだ向こうで、彼は腰に瓢箪と矢筒、弓を提げ、後頭部には髪を纏めたらしい団子を布で包んでいる。さながら、古代中国人のコスプレをしている様な印象を与える人物が、そこには居たのだ。


「いやあ、数か月ぶりだな。俺のこと、覚えてるか?」


「その声は......こ、(コウ)、だっけ……?」


 姿を見たのは初めてだった。以前会った際は終始木札のままであったから。


 それでも分かったのは、口調と態度だろうか。覚えのある限りからして、記憶と一致するのは彼くらいしか居なかった。


 しかし、いざ人型になった彼は、憎たらしいくらいに顔立ちが整っている。中肉中背だが、体の部位と顔のパーツが良いのだ。


 精霊であると自称していたが、もしかして好みの容姿にでも設定が出来るのだろうか。羨しいと言ったらありはしない。爆発しないかな。


 だがそんな俺の心境など知る由もない青年は、嬉しそうに笑っていた。


「お、正解。正確には后羿(コウゲイ)だけどな。それにしてもまさか、ラウレウスがあの濁流に流されてホントに生きてるとは思いもしなかったぜ」


「……どうも」


 運のいい奴だなと、彼は馴れ馴れしい手つきで肩を軽く叩いて来る。


 そんな彼を見ていて思い出されるのは、ボニシアカ市近郊での出来事だ。


 エクバソスと彼が引き連れた合成獣(キマイラ)の様な毛の少ない化け物に襲撃され、彼とリュウに救われ。


 そして、自分のミスもあって崖の崩落を引き起こし、巻き込まれて雨が止んだ後の濁流に流された。


 今思えば我ながら良く生きて居たものだと、改めてゾッとせずには居られない。


 だが、今はそれよりも重要な事がある。


 タグウィオスの件もそうだが、他にも新たに発生したのだから、手早く片付けなくてはいけない。


「ってか、何で(コウ)がこんな所に居るんだよ!? どうしたんだ!?」


「そんなのお前を救いに来たに決まってるだろ。リュウと一緒に乗り込んでんだよ、ここに」


「……な!? おいおい、正気か!? ここは大宮殿(メガ・パラティオン)の地下牢だぞ!? 一体どれだけの兵が控えてるか……」


「大丈夫だ。リュウはその程度でどうにかなりやしねえよ。結構な修羅場を何回も(くぐ)ってるからな」


 大層な自信だが、蓋を開けて見たらそうでも無かったらどうするのだろう。言い切ったくせに外したら恥ずかしいだろうなと思ったものの、確かにあの怪しい風体をした旅人が敗けるところは想像出来ない。


 何故なら彼は、俺が何度戦っても勝てなかったエクバソスを圧倒する実力を持っているのだから。


 しっかりと根拠のある自信である以上は、こちらとしても信ずるに足るものであった。


「じゃ、じゃあアンタも戦いながらここに来た訳?」


「ああ、見ての通り弓でな。便利だったぞ~、安全な所に隠れて射るだけの簡単なお仕事だからさ。楽って言ったらありやしない」


「……簡単?」


 一度でも下手をして見つかってしまえば、その途端に兵士が殺到して囲われる筈である。


 だと言うのに、彼は何と言う事もないように平然と話していた。普通の人であれば、ここに来られただけでも奇跡だし、仮に来られたら文句や自慢の一つでもしそうなものだが。


 ……一体どうなっているんだ、この男も。


 多くを語らずとも実力の程を窺わせる彼に、思わず引き攣った笑みを浮かべるだけで精一杯であった。


「俺の運が良かったのか、ここの連中は雑兵ばっかりだし、俺もいざとなったら木札になってコソコソすれば良いしな。ただ、この宮殿はただでさえ広い上に地下牢が多過ぎる。そこだけは手間だったぞ」


「ご、ごめんなさい……?」


「駄目だ。もっとちゃんと謝れ」


「すみませんでした」


「うむ宜しい」


 何故謝罪を要求されたのか理解に苦しむが、取り敢えず彼は納得したらしい。


 俺が釈然としない気持ちを抱え続けて居れば問題無いのだ。態々助けに来てくれたらしい彼に文句を言える訳もなかった。


「さて、んじゃそろそろ出るぞ。お前だって死にたい訳じゃ無いんだろ? その内雑兵が来ないとも限らねえ」


「あ、ああ……でも、ここの鍵は?」


「ご安心召されよってな。ちゃんと確保済みだ。しっかし、ご丁寧に拘束具まで着けられやがって。連中はお前をよっぽど逃がしたくないらしいな?」


白儿(エトルスキ)の扱いなんてそんなモンじゃねえかな。まあ、まだ捕まったのは三回目だしよく知らんが」


「……それだけ捕まってお前よく今まで無事だったな?」


 そろそろ分かって来てもおかしくないだろうに、と呆れと称賛交じりの言葉を受け取っている間に、牢の鍵が開かれる。


 更に続けて手枷足枷も外され、いつの日か振りに四肢が完全な自由を手に入れられたのであった。


「どうよ、一週間ぶりの自由は?」


「一週間? ちょっと待て、俺はそんなにここへ閉じ込められてたのかよ?」


「日数ぐらい覚えとけ……っても地下牢(ここ)じゃ正確な日付の感覚も無くなるか。お前が捕まってからは俺らも大変だったんだぞ」


 曰く、流石に即座にここへ乗り込む訳にもいかず、情報収集に結構な時間を費やしたのだそうだ。


 捕まったのは本当に白儿(エトルスキ)だったのか、どんな人物だったか、何処に連れて行かれたか、宮殿の中はどうなっているのか。


 調べる事の多さに痺れを切らし、最終的には他の襲撃者に便乗する形で今日決行したらしい。


 そんな適当で良いのかと思わなくもないが、そこで新たにまた訊ねたい事が一つ。


「他の襲撃者って、手でも組んだわけ?」


「いいや、俺らとは関係ねえな。本当に便乗しただけだ。連中、途中で二手に分かれて一方は大聖堂(メガレ・エクレシア)へ、もう一方は大宮殿(ここ)だった。今頃は時にコソコソ、時に派手にやり合ってんだろうな」


 偶には俺もそうやってみたいものだ、と(コウ)は溜息交じりに呟いていた。ひょっとしなくても、破壊狂か戦闘狂なのかもしれない。もしそうだったら近寄りたくないランキングではまず間違いない無く上位に入るだろう。おめでとう。


 少し上がりかけた后羿(コウゲイ)の株が俺の中で一気に急降下を演じているその時、出し抜けに向かいの牢からタグウィオスが叫んだ。


「大宮殿の襲撃者は、誰だったか分かるかッ!!?」


「うお、びっくりした」


「分かるのかと聞いている! 答えろ、貴様!」


「それが人にものを頼む態度か……って言ってやりたいが、随分切羽詰まってるみたいだな」


 ワザとらしく仰け反って見せる后だったが、タグウィオスの雰囲気から茶化せる様なものではないと判断したらしい。


 鉄格子を挟んで見合いながら、彼はタグウィオスに問い掛けていた。


「そんなに知りたいのか? その様子だとアンタ、結構深い事情もありそうだな?」


「ああ、あるに決まっている! だから頼む、襲撃者とは誰だ! そして私をここから出してくれ! 私に出来る事であれば、礼なら幾らでもしよう!」


「……へえ、言ったな? 分かった、契約成立だ。事が全部終わったら返礼して貰うからな。踏み倒すなよ?」


「当たり前だ。手前はタグウィオス・センプロニオス。……この約束を違えないと今この場で誓おう!」


「よし、良いだろう。良い面してんな、お前」


 朗々とした、張りのあるタグウィオスの声が地下牢全体に残響している中で、后羿は持っていた幾つかの鍵を順々に差し込み、そして開錠する。


 そうして牢を出れば、がっしりとした彼の体格が露わになる。


 頭部からは未だに血が流れており、血生臭い匂いは変わらず鼻を満たす。


 身長は百八十CM(ケンチ)を越えているだろうか。恐らく元々は筋骨も隆々だったのだろう。出来てからかなりの時間を感じさせる傷跡は、彼が数々の歴戦を経て来た事を誇示している様であった。


 髭も髪もぼさぼさで、やはり相変わらず仙人に片足突っ込んだような顔立ちだが、その紫色の目付きは極めて鋭く、表情にも決意が滲んでいたのだった。


 そんな彼に応える様に、后羿もまた落ち着きのある声で訊かれていた事を答え始める。


「さて、今この大宮殿(メガ・パラティオン)を襲撃しているのは俺の連れの他にもう二人だ。一人は槍を持った奴。見ただけでも分かるが、結構な猛者だろうな。外套被ってたし、暗かったんでそれ以上は知らん。で、もう一人は小柄でよ……多分女だ。氷の足場作って綺麗に城壁を越えてったぜ」


「……以上か?」


「ああ。不足はあったか?」


「いや、充分だ。間違いない姫様だ。連れは……多分ラドルスだろうな。そうか、無事だったか、奴も」


 血が流れ続ける事にも構わず、彼は俯いて両の拳を握り締めていた。そこに垣間見えるのは、安堵か、はたまた別の何かか。


 どちらにせよ、余人である俺と后羿には与り知らぬ事であろう。


 だが、それよりも俺は彼の漏らした呟きに気を取られた。


「なあ、もしかしてラドルスって……ラドルス・アグリッパ? あのいけ好かねえ?」


 思い出すのは事あるごとに俺へ喧嘩であったりを吹っかけて来た若い男。正直、まだ見た的には十四歳の自分と同じ土俵に立つ辺り、子供っぽい一面があると思わなくもない人物だ。


 しかし実力は確かで、いざと言う時には非情な事であっても遂行できる胆力を持つ。

特に「お嬢」と呼んで敬っている少女――シグに関しては過敏と言っても過言ではない程で――。





「……小僧、貴様はラドルスと知り合いなのか?」





 向けられた紫眼が、驚きの形に見開かれた。


 まさか、そんな、こんな所で、何故?


 そのような吃驚が、心内が、ありありと見て取れる表情を見るに、いよいよこれは偶然の一致では無いのだろう。


 何にせよ、これでラドルスやシグの行動、特に警戒行動についての辻褄があったのは事実なのだ。


「知り合いも何も、俺はアイツやシグと一緒の船でここへ来たんだよ。まぁ、お互い最低限の干渉しかしなかったけどな」


「シグ……もしやシグルティア皇女の事かっ!? ひ、姫様は、姫様は御変わりなかったのか!? おいっ、どうなんだ!? 答えろ!」


「……シグル、ティア、皇女? ……へ? 皇女? な、何か良く知らんけど船では飯もお替りしてたぞっ?」


 ガクガクと両肩を掴まれた上で揺さぶられ、思考が定まらない。ただ、理由は新情報が多い事もあるのだが。


 情報と情報が、点と点が、繋がる。


 どうしてあのような行動をとっていたのか、どうしてあのような発言をしていたのか。


 それもこれも――。


「小僧、姫様を呼び捨てにするなッ! あの御方は我が帝国の第三皇女!シグルティア・ユリオス・アナスタシオス・バシレイア様だ!」


「……まじ?」


 ラドルスは見かけ通り、シグを主人と仰いでいた。しかもそれは、裕福な家の令嬢と言う次元ではなく、兵士と貴族と言う関係で。


 おまけに只の貴族ではない。東ラウィニウム帝国の皇族の血筋。しかも第三皇女と言うのだから、現皇帝の娘である事は明らかだった。


 そうなればラドルスもあそこまで必死になって警戒する訳である。近付く者は皆斬ると言わんばかりの警戒振りで、戦い振りだった。特に海賊と交戦した際には鬼人の様だったと言える。


 彼らは常に何かに警戒し、そして何者かから襲撃を受けていた。


 初めて遭遇した際も訳の分からない騎馬兵に追撃を受けて、自分も巻き込まれて。


 そしてその次も。彼らと会うと碌な事が無い、と何度思った事か。彼らは一体誰から追われているのかと思っていたけれど、今この場でやっと納得がいった。


 タグウィオスは自分の主君が政争で皇太子に追い込まれ、失脚したと語っていた。


 そして、姫と呼ばれた少女がシグルティアで、俺が知り合ったシグと同一人物である。


 つまり彼女は、シグは、“皇女(バシレイア)”の添え名(アグノーメン)が示す通り、東ラウィニウム帝国の皇女だったのである。


「流石に予想外だったな……」


「何だお前、その皇女様とお知り合いだったのか?」


「まあ、ここに来るまでにいろいろと」


「いいねえ。良い感じの関係にはなれたか?」


「なる訳ねえだろ。冗談も大概にしろ」


 世間は狭いとでも言いたいのか、ニヤニヤと下世話な顔をした后羿が覗き込んで来るが、それを適当にあしらうと出口へと続く階段へ目を向ける。


 相変わらず上から聞こえて来るのは騒々しい雑音たちだ。しかも、その音は気付けばそれなりに大きなものとなっており、戦闘が激化しているのか、或いは近付いて来ているのか。


 それは外に出れば明らかになる事である。


「んじゃ冗談はこの辺にして……流石に長居し過ぎたな。よし、行くぜお前ら。俺に続け!」


「ああ」


「頼んだぞ」


 威勢のいい后羿の言葉に、タグウィオスと共に短く応答する。


 だが、その後にふと気になって自分が収監されていた牢の中を覗き込む。


 薄暗さを含め人が居住する空間とは到底思えないこの場所で自分は一週間、タグウィオスは数か月過ごしたのだ。


 心の底から、こんな経験はもう二度と御免だと思う。


 虫だけでなく、鼠まで出るここは環境が極めて劣悪だったと言っても過言ではない。


 ついさっきも、牢の中で鼠が虫を捕食しているのを目撃したくらいだ。


「…………」


「小僧、何をしておる。置いて行くぞ」


「ん、分かった。すぐ行く」


 返事だけして続かない俺が不審だったのだろう、親切にもタグウィオスが階段を上りながら声を掛けてくれる。


 それに引っ張られる様にして、牢から視線を放し階段へ足を向けて歩くのだった。


 その後には、血腥い匂いと染み出した地下水が床を叩く音が聞こえるだけ。


 当然だが、先程まで床に居た筈の鼠は食事を終えたらしい。いつもの様に食べ(かす)も何も残さず、その場から忽然と姿を消していたのだった。





◆◇◆




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