第四話 The Other Side④
◆◇◆
「撒き餌は上手く作動したらしい。近々、貴殿らの方に差し出せる事だろう」
「おお、そうですか。素晴らしい事でございますな。これも殿下の御手腕の賜物」
「世辞はいい。それより、クラウディアの方は?」
「健康状態も上々に御座います。ご安心召されませ、約束が果たされれば、当然こちらから差し出しますとも」
閉め切られた薄暗い室内で、一本の蝋燭が煌々と室内を照らしていた。
しかし当たり前だが光量は足りておらず、全員の顔を照らすにも不十分であり、壁際に立つ者の顔立ちを視認する事は困難であった。
だが部屋の中央で椅子に腰掛け、テーブルを挟んで向かい合う者達は彼らに注意を向ける事は無かった。
互いにとって、護衛の者に注意を向ける意味など無いのだから。
そんな彼らの中で、最年少の青年――マルコス・アナスタシオス・ポルフュロゲネトスは薄い笑みを浮かべている。
「しかし長かったな、双方ともに。全く世の中とは思った通りにそのまま進まぬものだ。……忌々しい」
「まあそう仰いますな。殿下も神に祈り、御寄進為さっては如何です? きっと御加護がありますよ、ええ」
「信じても居ないくせによく言う。私がそんな事をする訳がないだろう?」
天色の瞳が、正面に座る老人を睨み付ける。
しかし、当人は変わらぬ柔和な笑みを浮かべるだけ。
特に顔色を変える訳でも無く、少しお道化た仕草を見せながら言っていた。
「おやおや、これは手厳しい。信徒に聞かれたら大事になるではありませんか。もしそうなったらどうしてくれるのです?」
「ふん、貴殿の事だ、どうせ目撃者は全て消すのだろう? 何の問題もあるまい。全く、聖職者が聞いて呆れる」
「世の中は信仰だけは食っていけません。贅沢も出来ません。特にそれは、人としての位が上がれば上がる程に顕著でございます。そうであれば、聖職者であろうと清貧を貫く訳にはいきますまい?」
「まあ、貴殿の言う事も一理ある。現にこうして、私も協力関係にある訳だからな」
頬杖を突きながら、青年はその事を認める。
為政者として、その表の顔としては到底容認できるものではないが、しかし今は表ではない。
市民らの与り知らぬ場所で、ごく近しい者以外は誰も目撃者も居ないのだ。
文句や糾弾をして来る者が居る訳無かった。
「……ですが、最近少し殿下の周囲が煩くありませんかな?」
「む、ああ、カドモスだな。父上からお目付け役としての任を与えられただけあって、有能だし中々に厄介な男だ。本人自身の腕も経つ上、身の回りも叩き上げの手練れ揃い。暗殺もする訳にはいかんのでな、排除が難しい」
下手に気を抜いてしまうと、そこから手探りにずるずるとこちらの深くまで探られてしまいそうだと思える程、油断ならない男。
カドモス・バルカ・アナスタシオス。
帝室の娘を自由恋愛の末に娶り、またその有能さと皇帝の信頼故に、皇帝家と同じ“アナスタシオス”の家族名を名乗る事を許されている。
元々、先祖はアフリ大陸南部の出身であり、ラウィニウム帝国の拡大過程で服属。それ以来、優秀な人材を輩出してきた家系の人物である。
そして彼も、極めて優秀。ビュザンティオンの総督として業務を行い、管轄区内での財政健全化など様々な功績を上げている。
その為、既得権益を持つ貴族や教会からすれば快く思われていない存在だ。
「左様に御座いますか。どうにか陥れる事は出来ない事でしょうか? 最近、私共の周囲でもちょろちょろと嗅ぎまわっている様で……」
「無理だな。精々尻尾を掴まれぬ様に注意しろ。奴の頭の切れは相当だ。貴殿らも、身を以て体験しているのだろう?」
「…………」
そこまで言われると老人も反論しようがないのか、それは何も言わずに口を噤む。
しかし、代わって老人の右手に座っていた壮年の男は堪え切れなくなった様に口を開くのであった。
「殿下、そうは言われましても僕の腹の虫が収まりませぬ。あの男……以前にこの僕を愚弄したのですぞ?」
「堪えてくれとしか言いようがない。幾ら教皇の息子とは言え、相手が悪い。だが、貴殿は良くあのカドモスに喧嘩を売ったものだな」
無事でこうしてこの場に居る事すら奇跡だ、とマルコスは左斜め向かいに目を向けた。
そこに居るのは、脂汗で顔をてからせた男。歳の頃は三十代くらい。
横に座る老人に比べて表情を隠すのが苦手なのか、不機嫌さが滲んでいた。
「考えてみて下さい。あの男は、この僕に恥をかかせたのですよ?」
「仕方なかろう。貴殿が熱心に動き過ぎたのだ。もう少し早く私に相談してくれれば、そうはならなかったかもしれないものを」
「そうは仰いますが……僕としては一刻も早く欲しかったのです! 彼女も、僕と共にある事を望んでいる筈なのに……どうして素直になってくれないんだ!?」
感情の昂りが抑えられないのか、マルコスが微かに顔を顰めたのにも気づかず、男は机を乱暴に叩く。
それを咎めたのは、彼の横に座る老人であった。
「プトレマイオス、止めよ。殿下の御前であるぞ」
「しかし父上!」
「黙れと言っている。数年前のことを話し出してこの私に恥をかかせるな」
「はっ……」
笑みを消し、威圧感と威厳のある声で短く告げられ、プトレマイオスと呼ばれた男は委縮した様に黙り込んだ。
それを確認した老人は正面を向き直り、マルコスに詫びる。
「失礼を致しました、殿下。ただ、息子も姫殿下への愛が強すぎる故のこと、平にご容赦下さいませ」
「構わん。流石帝室の血を引くと言うべきか、奴も見てくれだけは良いからな。他の貴族の中にも、是非息子の嫁にと言う者は多かった」
「奴呼びなどと……姫殿下はマルコス殿下の血の繋がった妹様に御座いましょう?」
「だからどうした。奴は私の目的の為には邪魔でしかないのだ。消えて貰えた方が良い。だからもし私が捕らえて貴殿らに差し出してからは、絶対に余人の目に触れさせるな。既にもう、父上を含めた周囲には謀反の未遂で逃亡したと伝えてあるのだ。捕まえたとしても表向きは早々に処刑した事になるだろう」
第三皇女は数か月前、ビュザンティオンで皇太子を狙った謀反を起こそうとして、しかし何故か盗賊に襲われるなどして事前に阻止された。
謀反計画の理由は皇帝位の相続権であるとされている。たがそれでもギリギリのところで食い止められ、失敗を悟った彼女は僅かな側近と共に逃亡した。
現皇帝を始めとして、東帝国全土には既にその様に報告がなされ、市民達にも周知されている。
一部の愚かな市民は姫殿下がそんな事をする筈がないと騒いでいるが、その主張の程度が酷ければ弾圧も視野に入れねばならない。
何はともあれ、まずは彼女が捕まらなくては始まらないのであるが。
しかしその第三皇女は、つまりマルコスの妹は今も生きている上、正確な居場所は把握出来ていないのだ。
故に撒き餌をして誘き寄せたが、果たして罠にかかるのはいつになる事か。
一日千秋の心持で待ち続けているが、最近は大宮殿周辺でそれらしい影が見えるとの報告が上がっており、そう遠くない内に来てくれる事だろう。
「奴は、無駄に義理の厚い人間だ。例え罠だと分かって居ようとも、まず間違いなく乗り込んで来る。その際には総主教、貴殿らの力もアテにしているぞ」
「はい、必ずや」
これで話は終わったと言わんばかりに席を立つマルコス。それに続いて彼の横に座っていた大柄な男も立ち上がり、後に続く。
老人と男らも席を立ち、彼らを無言で見送ろうとしたその時。
「――?」
乾いた音が、微かにだが聞こえた。
それも、一度だけではない。
二度、三度、四度。
遂には大きな音がしたかと思うと、瓦礫が派手に崩れる音がする。
明らかにただ事では無かった。
退室しようとしていた足を止め、マルコスは背後に居る男に声を掛ける。
「何だ? ……分かるか、フラウィオス?」
「いえ、生憎見当もつきませんぜ。聞いた事の無い音です」
「ふむ……魔法? だとすれば一体何の類だと言うのだ?」
その間にも乾いた音は連続し、何かの破裂音も聞こえて来る。
悲鳴や怒声は段々大きくなり、距離はある筈だと言うのに無数の足音も聞こえて来る。
「総主教、何かしたか?」
「滅相もない。私共も全く与り知らないものでございます」
「……そうか、信じよう」
数秒老人を凝視した後、彼はそう言って視線を部屋のドアへ向ける。
一先ず部屋から出て、建物からも出て、様子を確認しようと言うのだろう。
険しい表情をしながら警戒しているらしい大男――フラウィオスを先頭に再度部屋を出ようとしたところで、こちらに近付いて来る足音が一つ。
非常に焦っているのか、その荒い息遣いすら聞こえて来るほどである。
そしてそれはドアの向こうで止まると、こう告げた。
「殿下! 殿下! 重要な知らせに御座います!」
「……どうします? 扉も開けますか?」
「ああ、開けてやれ。扉越しでは伝わるものも伝わらん」
そう指示を受けたフラウィオスが身構えながら扉を開ければ、そこには息を切らした兵士が一人。
マルコスの近衛兵であり、優秀故に重宝している側近でもあった。
「どうした、何があった? 特に先程からの騒がしい音は何だ?」
「はっ、襲撃にございます! 恐らく、遂に罠にかかったものかと!!」
「……そうか、分かった。報告、御苦労であった」
跪いて要件を伝える兵に対し、そう労いの言葉を掛けると、マルコスは徐に振り向く。
すると当然そこには轟音に驚いている老人や男、その側近が居る訳で。
そんな彼らに対して、マルコスは得意げな笑みを浮かべながら言うのだ。
「総主教、朗報だ。獲物が罠にかかったらしいぞ」
尚も大きな破裂音が一つ、少し離れた場所からは上がっていた。
だが、彼はその笑みをより深めるばかり。
獲物はまだ、飛び込んで来たばかりで――。
◆◇◆
夜。
それは多くの者が寝静まり、迂闊な外出をするのも億劫になる程の暗闇が支配する時間。
頼りになる光源は、月と後は松明などの人工的な照明だけ。
当然ながら夜の闇を払うには到底足りないもので、都市の至る所には光の届かない影が存在する。
そんな、他に人の気配も感じられない闇の中で、三人の姿が蠢いていた。
「ラドルス、準備はいい? アンタも」
「順路の把握も完璧ですぜ」
「……こちらも問題ない。いつでも行ける」
この日の為に彼ら三人は何度も何度も作戦を練り、偵察を重ね、綿密な打ち合わせも行った。
やれるだけの準備はしたのだ。あとはもう、実行するだけ。
少女――シグが向かい合う二人に目を向ければ、二つの影が頷く気配を見せる。
彼らの表情は闇の中に居るせいで確認も出来ないが、声色から推測するに真剣な表情をしている事だろう。
「じゃあ、二手に分かれて各々行動しよう。シャリクシュ、そっちの作戦も成功する事を祈ってる」
「お前らこそ、精々全力で作戦を遂行してくれ。生き永らえてくれればくれる程、俺の方が楽になる」
「お嬢と俺は囮じゃねえっての……このガキ、アイツと同じくらい減らず口を叩きやがって」
「アイツが誰を指すのかは知らんが、別に失敗して欲しいと思ってる訳じゃ無い。互いの目的の為に、出来るだけの事はするつもりだ。じゃあな、運が良ければどこかで再会出来るだろ」
それを最後に、少年――シャリクシュはこの場を歩き去って行く。
その背中を、正確には足音を見送った二人もまた、遅れて歩き出す。
片や大聖堂へ、片や大宮殿へ。
どちらも昼間は天からの陽光に照らされ、その壮麗さや広大さを以って、強烈な存在感を齎す建物だ。
だが三日月の浮かぶ今宵はその全容など全く見えず、微かにその場にある事が分かる程度。それに、夜空には雲が浮かんでいる事からも只でさえ少ない月光はより減衰している。
目印となるのは、城壁などに焚かれている篝火のみ。
非常に視界の悪い状況下ではあるが、しかしそれは暗躍する側からすれば好都合でもある。
見つかり難い時間帯に動き回れると言う事がどれだけ有利と言う事か。殊に圧倒的少数で不利な状況下にあっては奇襲くらいしか取り得る手が無い。
それが特に最大限発揮されるであろう状況を狙って、そして実行した。
「新月に実行できれば良かったけど……」
「仕方ないでしょう。それじゃ俺達からしても手探り状態。何歩行ったら目的の場所に辿り着けるかなんて分からないんです。それに、あの人が何処にいるかだって正確には分からないんですから、真っ暗闇じゃ行動できませんよ」
今くらいが丁度良いんです、ラドルス・アグリッパはチラリと月を見上げた。
満月に比べて遥かに光量は少なく、おまけに雲まで出ている。狙っていた訳ではないが、これは幸運という外に無い。
「それよりお嬢、いよいよ乗り込みますよ。準備してください」
「分かってる」
乗り込む手筈も何度確認した事か。
当然、城門から直接乗り込む訳ではなく、氷造成魔法で足場を造って一気に超える。
シグは短い返事をしながら体内の魔力を巡らせ――そこで不意に、乾いた音が静まり切った夜空に響き渡った。
「始まりましたね。何やら塊を凄まじい勢いで飛ばすって話ですけど......奴の武器、一体どうなってんのやら」
「確か結構な遠距離から攻撃出来るんだっけ? 敵からしたら厄介なものだね」
既にその音を聞いた事のあるラドルスの言葉で、音の正体を察したシグは中断しかけた作業を続ける、が。
更に乾いた音が一定間隔で響き渡り、とうとう大きな爆発までもが発生していた。
それも、大宮殿の城壁付近で、である。
距離が離れているので危害も無いのだが、それだけ大きな音が連続すれば段々と城壁の向こうも騒がしくなってくる訳で。
「何事だ!?」
「向こうの……向こうの守衛がいきなり殺されてる! あの音がしたと思ったら、死んでるんだ!」
「どうなってんだ……急げ、増援を! この大宮殿に攻撃を仕掛けるなど、一体どんな酔狂モンだよ!?」
慌ただしい足音と会話が交わされ、真夜中だと言うのに大声も飛び交い始めていた。
しかもそれは、ラドルスとシグが今まさに潜入している最中の大宮殿だけ。
シャリクシュの向かった筈である大聖堂の方は相変わらず静かで、爆発も起こってなど居ないように見受けられる。
それはつまり。
「わざわざこっちにいる兵士を殺したって事は……あのガキ、やりやがったな!」
「まんまと囮にされたって訳?」
尚も新たな爆発が起こる中、ラドルスは忌々しいと言う気持ちを隠そうともせず大きな舌打ちをする。
これで多くの者の目は大宮殿の方に向く事だろう。
その間に、シャリクシュは悠々と大聖堂へと潜入する、そう言う腹積もりなのだと遅れて看破したシグも魔力を練りながら厳しい表情を浮かべていた。
しかし、そうしていたのも僅かな間だけ。次の瞬間には不敵に笑いながら言っていた。
「ラドルス、少し仕返ししたって奴も怒らないよね?」
「え……まあ、そりゃ良いんじゃないですかね。自分だけいい思いしようってのは気に食わねえですし」
それを確認した彼女は一度大きく頷くと、夜空に手を翳す。
すると見る見るうちに大きな氷の塊が形成され、そして。
大聖堂の方へと、放物線を描きながら撃ち出されるのであった。
少しの間を置いて凄まじい音と悲鳴が向こうの暗闇から聞こえ、あちらの方もそう時間が経たない内に人が集まり始める事だろう。
「お嬢……容赦ねえですな」
「これくらいはしても罰は当たらないんじゃない?」
若干ラドルスが引き攣った笑みを想像させる呟きを溢していたが、彼女は満足そうに笑うだけ。
更に素早く魔法で氷の足場を造り出し、城壁の上を見上げる。
余計な事をされたとは言え、城兵達は正体不明の攻撃に晒されて混乱状態。
多くの者が眠りから起きてしまっていて多少不利だろうが、一方では闇夜に紛れられるだけに有利とも言える状況なのだ。
「引き返さないんですか? 結構危険な状況だと思いますけど」
「ここで引き返したら、次からは余計に警備が厳しくなるかもしれない。もしかすると色々手遅れになってしまうかも知れない。そうなった時に後悔はしたくない」
「……左様ですか。じゃあ、行くとしましょう。お嬢は俺に続いて下さい!」
「うん、任せた!」
一人の青年と一人の少女は、その遣り取りを最後にして一気に氷の足場を駆け上って行く。
その音に、異変に、近くに居た兵士が気付きはしたものの、暗闇のせいでその正体は良く見えない。
結果として、不幸にも彼は胸を貫かれて絶命する。
続けざまに更に一人、二人。
槍に急所を貫かれ、城壁の上で死体を晒していた。
この状況下では残された時間が極めて少ない。
最速で、目的を達成しなくてはならないのである。
「…………」
「…………」
無言のまま、彼らは大宮殿の中へと潜入して行く――。
俄かに騒がしくなっていく大宮殿と大聖堂。
それを、建物の屋根に座り込んだ薄鈍色をした旅装の人物は、物見遊山の様に眺めて居た。
「これはまた随分なお祭りだね。何やら様々な思惑が沢山入り混じっているみたいだけれど」
「その中の一つに俺らも入ってるんだけどな」
「それは言わない約束でしょ?」
「いやどんな約束だよ」
いつの間にか旅人の背後には人影が一つ、立っていた。
しかし知らぬ関係ではないのか、旅人は特にそれに驚く事もしなければ、振り向きもしない。
ただ、少し咎める様な口調で話すのみ。
「后、君は一体何処に行っていたんだ? 僕は街で色々と情報を集めていたって言うのに」
「酒を探してた。流石は西界において随一の交易都市だぜ。美味い酒がたんまりだ」
ちゃぷん、と掲げられた瓢箪からは恐らく葡萄酒などでも入っているのだろう。
例に漏れず盗んだ……もとい拝借と称して汲み取ったのだと考えるのは容易だった。
「あのさあ……僕達は酒を探す旅に出た訳じゃあ無いんだよ? 分かっているの?」
「どっちにしろ俺にやる事は無いんだろ? 大体はリュウが一人でやっちまうし」
「そう言う問題ではないんだよね……」
長い溜息と共に、旅人――リュウは額に手を当てる。恐らくその表情も困り果てたものを浮かべているのだろうが、生憎仮面で覆われていて見える事は無い。
「取り敢えず折角の機会だ。ここは利用させて貰おうか。僕も宮殿の方に用がある訳だし」
「けど大忙しだな、俺らは。東から戻って来たと思ったら……あのガキンチョの救出だろ?」
「まさか生きているとは思わなったし……って言うか、どうしてこんな所で捕まっているのかなぁ。白子ってやっぱりどこでも人気なんだねえ」
しみじみと言った様子でそう呟くリュウは、立ち上がって大宮殿の方へ足を向ける。
既に后と呼ばれた人物の姿は無く、彼の周囲に一枚の木札が浮かんでいるだけ。
「ほら、早く懐に入って。今の君は碌に戦えないんだから」
「うるせっ! 俺だってやられたくてやられた訳じゃねえんだよっ! 畜生……どうしてこうも力の回復が遅いんだ……」
「派手にやられていたもんねえ」
「だから黙れッ!?」
騒ぎが段々と大きくなっていく中、向かう先ではまた一つ大きな爆発が起こる。
そのせいか各所で火事が起こり始め、寝静まっていた市内もまた騒ぎが波及し始めていた。
だから、夜の暗さも相俟ってリュウと后の遣り取りが目立つ事は無くて。
「それにしても、僕が見ていない間に市中引き回しの上、牢に収監されているとは思いもしなかったなぁ。これはちょっとばかり骨が折れるかもしれないね」
「白儿が人気者とはよく言ったもんだ。しっかしアイツ元気かな? 最後に見たのは川に流される直前だったから……もう数か月も前だろ?」
「さあ? その辺は本人のみが知るってところじゃあないかな。どちらにせよ、僕はラウレウス君を救う。余計なお世話だって言われたら適当に何処かへ放り出せば良いし」
何という事もないようにそう言い切ると、リュウは浮遊していた木札を乱暴に掴んで懐にしまった。
中で抗議の声らしいものが上がっていたが、それに対して何か返事をする事もなく歩いて行く。
すると、后としては物足りなかったのか、今度は懐から寂しそうな声がする。
「何かしら反応してくれたって良いじゃねえか……」
「分かった。じゃあ黙っていて。煩いから」
「そう言う事じゃねえよ!?」
大体お前はなぁ、と文句をつらつら並べ始めた后に対し、リュウは生返事を繰り返していた。
だがその声音は何処か楽しそうで、弾んでいて、まるで遠足にでも行くかの様な気楽さで。
余りにも場違いな印象を受ける雰囲気のまま、彼らは大宮殿の方へと向かっていた。
「ここにラウレウス君がいる事を知って、しかも偶々僕もここに居る。理由が何であれ縁があったって事だ。なら、それが続く限りは世話を焼くのは悪くないよね?」
「ただ気分が向いただけだろ。俺らからすれば、助けようが助けまいがどうでもいい事だからな。ま、それがお前の言う縁って奴ならそうなんだろうけど」
乾いた音が、大聖堂から聞こえる。
大宮殿では何者かが突入したのか、それとも大立ち回りでも演じているのか、騒がしさは更に増していた。
しかしやはり、そこに注意を向ける気配は見受けられない。相変わらず泰然として彼らは会話を続けて行くのだ。
「否定はしないよ。ところで后、何かどうしても手が足りなくなったら、君にも手伝って貰うつもりだし、準備していてね?」
「……聞いてないんだが?」
「そりゃあ言っていないからね。今言った訳だし。でも暇だから良いでしょ?」
「お前なぁ……」
新暦671年 十月の十四日目。
東ラウィニウム帝国第二の都市、聖都ビュザンティオン。
段々と肌寒くなって来た季節と同じ様に、様々な思惑の絡み合った状況もまた、段々と変化を始めていたのだった――。




