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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第四章 フシンヌグエズ
77/239

第四話 The Other Side③

◆◇◆



 昨日、ビュザンティオンで白儿(エトルスキ)が捕縛された。


 大昔にラティウム半島で暴れ回ったと言う伝説が真実であるのならば、天神教が主流を占める西界(オクキデンス)では捕らえる事は当然であろう。


 そして公開処刑するなりして、その限られている素材を解体して有効利用する。


 今朝から貴族間でもその話で持ち切りとなっており、誰しも皆が白儿(エトルスキ)と言う存在を人として見ていないことは明白であった。


 庸儿(フマナ)は疎か、靈儿(アルヴ)剛儿(ドウェルグ)化儿(アニマリア)よりも更に下位。


 全ての敵であり、単独での生存存在を許されない()であり、早急に支配下へ置かれるべき()


 彼は、あの大広間で転がされた少年は人では無いと、その場に居た誰もに見下されていた。


「……全く、昨日に引き続いて胸糞の悪い事だ」


「は?」


 男は木製椅子の背凭(せもた)れに寄り掛かり、溜息交じりの呟きが零す。耳聡くもそれを聞き取ったらしい側近が反応するが、「気にするな」と手を振って誤魔化した。


 しかし、どうにも昨日見たあの光景が忘れられない。


 元より男は差別と言うものが好きではない。


 皇太子殿下やその側近などは例え同じ人種であったとしても、階層が異なれば相手を下位に据える人間であり、それこそ他人種となれば尚更である。


 そうならない様に、例えば半年近く前に行方不明となった姫殿下の如き人物になるよう期待し、お目付け役として努めて来たが……結果は芳しくない。


 元々、ある程度の人格形成が進んでしまい、幾らお目付け役としてもどうにも出来なかったのである。


 まだ十五にもならない“少年”を足蹴にし、周囲の貴族と共に見下す。


 もしかすると彼らは、少年とすら認識していないのかもしれない。


 性別も年齢も関係ないのかもしれない。白儿(エトルスキ)であれば扱いは全て固定されているのだろう。


 ここ五十年以上も存在が確認されず、やっと確認された者もこうして扱われている様では、白儿(エトルスキ)が滅亡してしまうのも納得であった。


 それにしても、と思う。


 あの時のプブリコラとパピリウスの話だと、あの少年はある日突然魔法に目覚めていたらしい。


 魔法を扱える多くの人が、成長期に魔法が発現した様に、である。


 それはつまり先祖に白儿(エトルスキ)の血が混ざって居れば、ある日何の前触れもなく、身近な誰かの魔法属性が白魔法(アルバ・マギア)となる可能性を無視できないと言う事と同義であった。


 なのに、それなのに貴族も市民も、平然とあの少年――ラウレウスだったかを、罵倒していた。


 いざ自分がそうなってしまったらと言う事を考えられないものかと思って、しかしそれらが為されない理由に思い至る。


 皆、自分は大丈夫だと思っているのだ。絶対を保証してくれるものなど何処にもないと言うのに、根拠もなく勝手に自信を持っている。


 確かに、そもそも貴族以外が魔法を発現する可能性は低い上、偶々発現したとして、その魔法が白魔法(アルバ・マギア)――つまり白儿(エトルスキ)である可能性など一体どれほどだろう。


 それこそ針の穴に空から糸を通そうとするくらいには低確率なものと言えるかもしれない。


 しかし、全くあり得ない訳ではなかった。現に今、この宮殿の地下牢には白儿(エトルスキ)の少年が投獄されている。


 市民などに余り教養が無いのは仕方ないのかもしれないが、魔法についてそれなりに詳しい筈の貴族まで平然と差別出来る理由が全く分からない。


 あの少年も、魔法が発現さえしなければ今もグラヌム村とやらで農民をし、貧しいながらも平穏な暮らしを送れていたのではないだろうか。


 それが、魔法が発現してしまった結果、あの歳で市中引き回しの上に投獄だ。不幸など幾らでも転がっている世の中だが、本人が何かした訳でも無いのに、本人にはどうしようもない理由で虐げられているのを見るのは気持ちの良いものでは無かった。


 同様の理由で帝国全体、いや西界(オクキデンス)そのものが己は余り好きではない。


 庸儿(フマナ)靈儿(アルヴ)剛儿(ドウェルグ)化儿(アニマリア)


 王侯貴族、市民、農民、物乞い。


 これらは親によって左右される要素であって、生まれて来る者は選ぶ事が出来ないものだ。


 それなのにその地位から動く事は許されず、変える事も出来ない。


 それだけの事で生き死にすらも左右され、階層のせいで潰されていく人材がいる。


「か、閣下? 閣下、どうされました? 閣下?」


 今この場に居る側近や警備の者達も、その多くは身分が上の者に虐げられた過去を持っている場合が多い。


 同僚、上司からの苛烈な嫌がらせや、種族が違うからと言ったそれだけの理由。それだけで手柄の横取り、或いは身の危険を感じさせられたという。


 本人にどうしようもない事を持ち出して、それを人物評価として固定してしまう事がどれほどの損失に繋がるのか、分かっていない者が多過ぎる。


「閣下~? 返事して下さいませんか~? この書類の裁可終わってませんよ? サインだけだってこんなにあるんですからね?」


「閣下、先程から手が止まってますよ。何考えているのか知りませんが、仕事を止めないで下さい。部下の仕事も止まってしまいます」


「…………」


 人種や生まれだけではその人が優秀か否か、益か害かは全く分からないと言っても過言ではない。


 実際に会って話し、共に働いてみたら仕事をする上で良い影響を与えてくれる者かどうかを考えなくてはいけない。


 特に国政中枢に関わる事であれば、機密を抱える事も多く余り多くの者を関わらせる訳にはいかず、正真正銘の少数精鋭が求められる環境である。


 身元が確かでないと機密の漏洩が怖いと言う貴族は、縁故採用の口実として盛んにそれを騒ぎ立てるが、裏切りよりも味方が無能である方が尚怖い。


 優秀な組織であれば、一人二人裏切りが出たとて取り戻せない事もないのだが、無能がいては手に負えなくなってしまう。


「閣下~?」


「駄目だ、完全に思考が沈んでる」


「どうせいつもの様に、考えたって仕方ない事でも考えて悩んでんだろ、この人らしい。おいアリストス、閣下の頭を思い切り引っ叩け」


「嫌ですよ!? 何やらせようとしてるんですか!?」


「............」


 それに、裏切りが出ない様に人材登用については面談などが設けられている訳であり、また実績が求められる訳である。


 一部貴族が、現状の実力主義的採用状況に文句をつけて来る事もあるものの、ならば子弟に有能さを身につけさせて欲しいものである。


 貴族で平民よりは金があるのだから教育の機会は多い筈なのに、何故に平民より出来ない事が多いのかと人事担当の部下が嘆いていたのは記憶に新しい。


「失礼します、アポロドロスです。閣下、これの裁可をお願い……って何事!? 書類止まってるじゃねーか!」


「閣下が思索に耽った」


「木偶の棒になった」


「ハリボテになった」


「無能になりました」


「無能は止めて差し上げろ……」


 ハッキリ言って無能は採用できない。


 もしそんな人材を採用してしまったら、それこそ無能が来てしまったら泣くのは現場である。


 そして比喩抜きに死ぬのも現場である。


 国政であれ軍事であれ、それらを全般的に統括する身としては人事も疎かにする訳にはいかなかった。


 その結果として、皇太子殿下のお目付け役と言う任務が疎かになった事は否定出来ない事実であるが……両立と言うものは存外難しい。


 そもそも、男はこの帝国第二の都市ビュザンティオンの総督(エクサルコス)である。現在は殿下が皇帝(アウトクラトル)になる為に総督職務を二分しているが、だからと言って楽な訳では無く。


 寧ろ激務となった。


 蓋を開けてみれば殿下は何事かを画策し、知らぬ間に得体のしれない者を侍らせている始末。


 あのペイラスなどいう男は、一体何者なのか。彼がこの宮殿に姿を見せる様になってからと言うもの、監視として付けた優秀な配下でさえ殿下から簡単に撒かれてしまうようになった。


 報告では何かしらの魔法が使われた形跡があるらしいが、それが何かは分からない。


「今日の閣下は考えるのが長いな……」


「トイレに並んでる気分だぜ」


「閣下をド突け、アポロドロス!」


「じゃあお前がやれや!?」


「ソフォクレス、お前そうやって人にやらせようとするの良くないぞ」


 殿下達が一体何を企んでいるのか。結果として帝国に益となるものであれば良いのだが、長年の経験と勘が碌でもない結果を生むと告げて止まない。


 それに、現在進行形で帝国は統治に無茶が出始めている。


 今はまだ軽い方であるが、現状でこれ以上の版図拡大を図ろうとすれば戦費が重く圧し掛かり、下手をすれば財政が破綻しかねない。


 なのに皇帝陛下は在位中に何かしらの功績を残そうと躍起になっており、それに現実の見えない貴族らが賛同。


 隣接する周辺各国との関係は急速に冷え込んでおり、辺境警備の多くは苦労していると聞く。


「閣下……幾ら呼び掛けても反応してくれねえな。あ、ヘロン、その書類は?」


「ああ、エペソス太守からの報告だ。何でも、最近ハッティ王国の様子がおかしいらしい。どうもアルタクシアス王国との間で協定らしきものが結ばれたとか」


「あ、俺も似た様な書類だぜ。最近ムティギティとマウレタニアが両国の抗争をぱったり止めたんで、密偵が報告書片手に血相変えてすっ飛んで来やがった」


「最近、ラティウム半島とビュザンティオンで商船の往来が大きく増加してるってのも気になるな……」


「買い溜め……だとすれば、これ結構デカくなりそうですよ? 閣下、ぼさっとしてる場合じゃないんじゃないですかね……?」


「言うだけ無駄だ。俺達は閣下が思索の海から戻ってくるのを待つしかない」


 皇帝陛下は、歳を召されてから変わってしまった。


 数年前までは非常に慎重で聡明な皇帝だったが……今の状況では事が起きてからでは遅い。


 果たして効果があるか分からないが、再度陛下には諫めの書類を送る必要があるかもしれない。ついでに、殿下に関しても報告と新たなお目付け役の派遣を乞うべきか。


 あの有能な皇太子が何かをやろうとしているのは確実なのだ。しかし、その何かが全く掴めない。辛うじて大聖堂(メガレ・エクレシア)の人間が関わっている事は分かったが、やはり中身は不明。


 当初は殿下の聡明さに感心したものの、今となってはその能力が厄介極まりなかった。


 陛下直々に召還命令を出して査問して貰おうにも、証拠がなくては踏み切れない。無理すれば出来なくもないが、それでもしも査問を潜り抜けられてしまった場合、間違いなく報復が来る。


 それは目の敵にされていたかつての姫殿下を見れば明らかで、タグウィオス・センプロニオスでさえ秘密裏に宮殿地下牢で監禁されているらしい事からも推察できる。


 やろうと思えば、あの皇太子殿下は絶対にやる。


 姫殿下は一応賊に襲われて行方不明という事になっているらしいが、もしかしたらもしかするかもしれない。


「閣下、いい加減にしてくれませんか?」


「……ん?」


 姫殿下のその想像に薄ら寒いものを覚えていたその時、不意に男の視界に広がる見慣れた顔達。


 皆、自分がその有能さを買って登用した、抜擢した人材である。出自に縛られない、優秀な彼らは一様に呆れた顔をしてこちらを見ているのだった。


「あれ、どうしたお前ら?」


「……やっと気付きましたか」


「思索は捗りました?」


「お仕事の時間ですよ、閣下」


「未裁可の書類はこれだけあります。全て終わるまで返しませんからね」


「ゲオルギオス、縄持って来い。椅子に縛り付ける」


「何で俺に命令を……はいはい、分かったよ」


「おい、待て! 俺はお前らの上司だぞ!? 仕事はやる! 呆けたのも謝るから! 頼むから縛らないでくれ!?」


「駄目ですー」


 カドモス・バルカ・アナスタシオス。


 聖都ビュザンティオンの総督(エクサルコス)である彼は、怖い顔をした部下に囲われながら今日も仕事に邁進する。


 一抹の不安を、抱えながら。





◆◇◆





「お前、この世界の魂(・・・・・・)じゃないだろ」


「…………」


 出し抜けに言われたその言葉に、二の句が継げなかった。


 何故、何故、何故、何故、何故それを知っている。


 この少年は、タナトスと呼ばれるこの人物は一体何者で、何を知っていると言うのか。


 どうやってそれを知った?


「もう一度訊く。ここの世界の魂じゃないよな?」


「な、何、を……?」


 何も無い表情で、何も感じられない漆黒の瞳はまるで洞穴の様だ。ぼうっとしていれば呑み込まれそうに感じる不気味な雰囲気を醸しながら、俺の顔を凝視し続けていた。


 それに対してようやく動いた口が捻り出せるのは、貧弱で短い呟き。余りにも小さい声のせいで、他人からすれば陸に上がった魚の様だった事だろう。


 そんな反応に対し、タナトスは溜息を吐く訳でも無ければ怒る訳でも無く、ただ淡々と再び口を開いていた。


「聞こえないか? お前の魂は何処から来たものだと訊いて居る」


「――っ、タナトス様、話に割って入る非礼をお許しください。ただ、少し説明をして頂けませんか?」


「……説明? 何の?」


「この白儿(エトルスキ)が……その魂がこの世界の物ではないという事についてです。それはつまり、どういう事ですか?」


 少し慌てた様子で、そして恐縮した様子で、ペイラスはそう訊ねていた。


 彼からしても想像の範疇を越えていたのだろう。その表情は珍しくも僅かに動揺が走っている様だった。


 一方、見た目にそぐわず無感動なタナトスは、やはり表情に一部の動きも見せぬまま淡々と語り出す。


「肉体はこの世界のものだ。間違いない。けど、中身が違う。色も、組み合わせも、違う。魂が尊いとかでも無くて、異質だ。明らかにこの世界に由来するものじゃない」


「そ、それはっ……」


「多分、あれと一緒だ。奴が向こうから引っ張って(・・・・・)来た(・・)のと同じ。連れて来られた魂(・・・・・・・・)だと思う」


「......なるほど、例の件でしたか。納得致しました」


 ……引っ張って来た、連れて来られた?


 一体それは何を意味していて、どういう事なのか。


 “奴”とは一体? この少年は何を知っている?


 もしかして、このタナトスなる人物は――。


 少年の言葉が発されて暫くしてから、硬直していた思考は一瞬で沸騰した。


 腹に力が籠る。血圧が増して、全身の体温が上がる。伴って気が(たかぶ)り、四肢にも力が籠った。





「――どういう事だ(・・・・・・)ッ!?」





 体に鉄鎖が付けられていようと関係ない。その程度の重さなど、今は気にして居られない。


 とにかく今は、この少年から聞き出さねば気が済まない。聞き逃す訳にはいかないのだ。


 がしゃん、と脚に付けられた鎖が甲高い耳障りな音を立てるけれど、そんなものもお構いなしに拘束された両手で鉄格子を掴む。


 乱暴に掴まれた鉄格子は、牢全体に響き渡る様な鈍い音を立て、エクバソスは不快そうに顔を顰めていた。


「お前、俺の何を知ってる!? 言え! 黙ってないでとっとと喋りやがれ!」


「……焦るな。折角だ、ちゃんと黙ってればお前にも教えてやる」


「っ……!」


 こちらの剣幕に対して身を捩る事すらもせず、鉄格子越しの至近距離でタナトスは話し続ける。


「お前、ペイラスの話だと神饗(デウス)の事も知ってるらしいな?」


「知ってると何だってんだ?」


「前提条件だ。これを知って居るならある程度自由に話せる。何より、お前が白儿(エトルスキ)である事に免じて少し多めに語ってやる」


「タナトス様! 迂闊にその様な事を話すのは……」


「構うな。小僧一人が知った所でどうにも出来ない。それに、知られた所で困る様な話もする訳ないだろ」


 少し慌てた様子のペイラスに対し、一度瞑目したタナトスはそう言って制した。


 その力関係は絶対なのだろう。エクバソスもペイラスも何かを言う事は無く、それ以降は黙ってタナトスの話を聞いていた。


「こちらの目的の為に、必須なものがあったのだ。お前、それが何だか分かるか?」


「……それが“魂”だって?」


 俄かには信じられないけれど、これまでの会話の流れから推察は容易だった。


 会話が途切れない様、込み上げて来る怒りを抑えながら、努めて冷静に答える。


 そんなこちらの内心を知ってか知らずか、タナトスは尚も淡々と語り続けた。


「正解だ。ここの世界だけでずっと調達するのも骨が折れる。余り取り過ぎると目立つ上に様々な均衡も崩れかねない。だから出てみたのだ、外に」


「…………」


 外。それはつまり、地球と言う事だろうか。


 それとも違うどこかか。どちらにせよ、この魔法がある世界は地球文明とは全く違う世界である。


 自分がこうして訳の分からない体を得て、この世界でかつての記憶を持ったまま生きている以上、違う世界は存在し、行き来する術もあるのだろう。


 もっとも、この前世の記憶が幻想であればその限りではないけれど……まず、偽りではない筈だ。


「結果は上々だった。ここの世界の理とは違う場所から結構な数が収獲(・・)できたらしい。こことは比べ物にならない程、人が沢山居たと聞いたな」


「収獲って……収獲って何だよ!? 人を、あれだけ沢山の人を惨たらしく殺す事が収獲だってのか!?」


 脳裏に過るのは、綺麗な白い床の上に倒れ伏す無数の血濡れた骸。そして壁に飛び散った鮮血。


 場違いな店内BGMがショッピングモール内のあちこちから聞こえ、しかしそれ以外には基本物音がしない。


 時折誰かの逃げ回る足音がして、やがて悲鳴が聞こえる。


 老若男女は問わない。


 孫らしき男の子を守る様に倒れた老人。


 大きなおもちゃを大事そうに抱えたまま、寝転がる男の子。


 抱き合ったまま倒れた若い男女。


 首のない女子高生。


 夥しい数の死体から夥しい量の血が流れ、幾つもの血だまりを作り出していた。


 血生臭い匂いが全ての空気を侵し、吐き気を催すような世界があの時、あの場所で生まれていた。


 逃げる際に見た、あの開き切った瞳の数々を俺は忘れる事が出来ない。


 そこに安らかな死など在りはしなかった。


 恐怖が、悔しさが、悲しさが、刻まれたまま誰もが骸を晒していたのだから。


「俺は……俺は! あれをやった奴を絶対に許さない! 絶対に許せない! あの時の奴の顔……絶対に忘れねえ!!」


 一丁前に気取って付けていた仮面を、殴り飛ばして見えた顔は、今でもありありとこの目に焼き付いている。


 だから犯人が、あのティンとかユピテルとか言う精霊の仕業らしいある事も分かっている。何せ、あの時に見た顔は前世で最期に視界は映った顔と同じだから。


「アイツを出せ! 俺は、俺達はアイツに殺されたんだ! 今すぐ殺してやるッ!!」


「誰の事を言っている?」


「惚けるな! ユピテルって奴に決まってんだろ! 俺はあの顔を絶対に覚えて置くって決めたんだ!」


「……なるほど」


 短くその呟きを呟いたタナトスは、何処か面白そうで、そして意外そうな顔をしていた。


 それに一体何の意図があるのか、眉を顰めていると丁寧にも説明をしてくれた。


「あの時、お前らを殺して魂を奪ったのは神饗(デウス)の首魁。本名ではないが、主人(ドミヌス)と呼ばれている」


「だからそれがユピテルなんだろ!? ティンなんだろ!? 今更そんな説明要らねえんだよ!」


「一人だけしか行けないと言う事で、奴が直接行って、狩って来た。中々無い貴重な経験だっただろ?」


「……馬鹿にしてんのかっ!?」


 全く変化のない、抑揚のない声で告げられたその言葉に、怒鳴らずには居られなかった。


 あれだけの人を殺して、命を踏み躙って置きながら、出て来るのはその言葉だと言うのか。


 ふざけるな。


 経験などと言う言葉で片付けて良いものである筈が無いのだ。


 しかしこの憤懣(ふんまん)を、瞋恚(しんい)を、タナトスはまるで存在しないかのように受け流して話を続けていた。


「そうして集めた魂だったが、途中で邪魔者が入ってしまった。そのせいで必要数に届かない数しか集まらなかった挙句、その一部がこの世界で解き放たれた。それが、今から十五年ほど前の事だ」


「…………」


「そして時が経ち、各地に散った魂は順調に回収(・・)されている最中だった。まさかお前もそうだとは思わなかったがな」


「回収!? おい、それって、また……!?」


 彼の言葉に最悪の想像が頭を過り、言葉が口を衝いて出た。


 否定して欲しい。そう考えるけれど、今までの様子からその期待が叶うとも思えない。


 そして。


「この世界とは異なる魂を再び集める事はそうそう難しくなかった。歳の割に賢く、良く目立つ事をする者が多いからな。輪廻の輪に加われなかった命だからこそ、前世の精神が持ち越されたんだろう。探している内にその傾向に気付いてからは、非常に効率が上がった」


 神童、などと持て囃されている子供を優先的に探せば良いのだから、楽なものだったと彼は言う。


「回収する際には煩かったな。また殺されたくない、殺さないでくれ。何でまたこんな目に、止めてくれ。そんな風に見っとも無く(せい)に執着していた。救う者など誰も居やしないのに」


「お前ッ……この世界でも、殺したって言うのか!?」


「当たり前だ。落としたものを拾うのは当然だろ? 主人(ドミヌス)だけじゃない。俺やこいつらも手伝った」


 そう言って指差されたのは、ペイラスとエクバソス。


 いきなり振られた話題に面食らった表情をしていた二人だが、すぐにエクバソスが薄い笑みを浮かべた。


「あのガキども、無駄に小賢しくてな。ま、全員殺してやったさ。けど、お前もそうだとは思わなかったぜ。ただでさえ、白儿(エトルスキ)って事に注意が向きやすいからかもしれねえけど……歳の割にやけに知恵が回るとは思っていたよ」


「ともあれ、これで私達は増々貴様を逃す訳にはいかなくなった訳だ。それにしても意外な発見でございますな、タナトス様」


「ああ、今や滅多に見られなくなった白儿(エトルスキ)を一目見ようと思っていただけだったが……思わぬ事もあったものだ」


 表情には一切に違いが見受けられないものの、実際そう思っているのだろう。


 向けられた黒い瞳はこちらに釘付けにされたまま、離れる気配が無かった。


 己に集まる三つの双眸。


 不気味で、恐ろしくて、身の毛もよだちそうだけれど、それを押し殺して睨み返す。


「俺を殺すって訳か? 肉体も魂も、利用価値がある訳だもんな?」


「いいや、すぐに殺しはしない。ただ、色々と利用させて貰おうってだけだ。お前も、死にたくはないんだろ?」


「このっ……!」


 生きる事に対してやや馬鹿にした様な意図を感じた気がして、鉄格子から手を伸ばす。


 いけ好かない少年の胸倉を掴み上げてやろうかと思ったけれど、右手は空しく宙を切った。


「当たり前の事だが、神饗(われわれ)は目的を持って動いている。それを邪魔する事は何人たりとも許さない。こちらの思惑通りに動かない者も、だ。分かるか?」


「俺にだって俺の思惑がある。馬鹿言ってんじゃねえよ」


「……そうか。まあ、今のお前が俺達の邪魔を出来る事どころか、思い通りに動く事すら出来るとは思わないがな。精々足掻け」


 その言葉の後にタナトスは踵を返し、それにエクバソスとペイラスも続く。


 これでもう、話は終わりだとでも言うのだろう。


「まだ訊きたい事も山ほどあるんだが?」


「俺達は多忙なんだ。牢で暇を持て余す奴を相手する時間も限られてる。じゃあな」


「そう言う訳だ。精々元気でな、クソガキ?」


「ああ、自殺しようとしても無駄だぞ。お前の付けている手錠には魔力の流れの阻害と、治癒の術式が彫られている。怪我すれば、お前自身の魔力を変換して傷を治す。自殺しようとしても、一瞬で死ねないものだったら痛いだけだぞ」


 各々、最後にそれだけ言うとこの場を立ち去って行く。


 すぐに牢から見える視界より失せ、後には階段を上る足音が聞こえるだけ。


 会話は聞こえて来ず、地下牢の重苦しい空気が殊更強調されながら舞い戻って来るのだった。


 だがそんな空気の中で、今まで黙っていたタグウィオスが不意に口を開いた。


「……貴様、白儿(エトルスキ)だったのだな?」


「そうだけど、どうかした?」


「いや、ただ驚いただけだ。何故今まで黙っていた……と問い詰めてやりたいところだが、実際に明かりのある時に貴様を見なければ、信じなかったであろう」


 はー、と長い息が吐き出される音がする。


 ついさっきまで驚きなどで呆然としていた所から、(ようや)く復帰したと言うところだろうか。


 しかし、想像していた反応からはかけ離れたその様子に、気になって思わずこちらが訊ねていた。


「思ってたよりも、反応薄いんだな」


「何を言う、十分驚いているぞ。まさか貴様がそうだとは思わなかったからな」


「そうじゃなくて……てっきり罵詈雑言とかでも浴びせて来るものだと思ってたから」


 思わず言い出したら直後、笑い声が向かいから聞こえた。


 自分の考え方が見下されたような気がして、むっとして何か言い返してやろうとすれば、機先を制するようにタグウィオスの話が続く。


「馬鹿を言え。折角の話し相手を弾く奴が何処にいる。それに、手前は白儿(エトルスキ)に直接危害を加えられた訳ではない。敵視する理由が無いのだ」


「そうは言うけど、そもそも教会の教えは白儿の排斥を訴えて、迫害し続けて来た訳だろ? アンタだってそう教えられてきただろうに」


「何だ、貴様は馬鹿にされたいのか? 大層な趣味をお持ちだな、気持ち悪い」


「そこまでは言ってねえよ!?」


 がしゃん、と再び牢の鉄格子が音を立てる。何度聞いても耳障りな音だが、今は気にしてなど居られない。変態呼ばわりされたのだ。これを許しておくわけにはいかなかった。


 訂正すべく言葉を尽くそうとしていると、再びタグウィオスは大きな声で笑い出した。


「……何だよ、何がおかしいってんだ?」


「なに、大した事ではない。ただ、白儿(エトルスキ)がと騒ぎ立てる教会や人々が馬鹿馬鹿しく思えただけだ」


 一旦そこで言葉を切った彼は、呼吸を整える様に数秒の間を開けた後、言葉を続けた。


白儿(エトルスキ)は邪悪である、と伝承では言われているが、実際にあってみれば只の人間ではないか、もしくは只の子供ではないかと思ってな。実際、貴様は肌の色や髪の色以外に一体何の違いがあると思う?」

「いや、特には無いと思う。あとは使う魔法の種類くらい?」


 精神的な年齢を考えると子供と言われるのは癪だが、見た目的な話になってしまえばそれも仕方ない事である。


 文句を言う訳にもいかず合槌を打っていた。


「そうだろう? 手前も全く同じ気持ちだ。だと言うのにこれだけ排斥されるとは、おかしな話であると思わずにはいられん」


 世の中は実際に見聞しなければ分からない事だらけ。この歳にしてその事をより強く実感し、学ぶことになろうとは、と彼は笑っていた。


 そこまで愉快な事である様には思えないけれど、一方でタグウィオスの言葉に俺は何度も驚かされていた。


 見ず知らずの白儿(エトルスキ)であろうと構わず差別もせず助けてくれた人が、今までの旅で一体どれ程いただろうか、と考えていたのだ。


 上級狩猟者(スペルス)のガイウス・ミヌキウスやその仲間二人、ボニシアカ市で会った孤児のサルティヌス、それに自称旅人であるリュウ。


 そして今、そこにタグウィオス・センプロニオスが加わった。


 俺の正体を知るや否や対応を変える人はごまんといたのに、彼らは何かを変える事は無かった。本人達が内心でどう思っているかは知らないけれど、彼らに心が救われたのは事実である。


「……アンタと知り合えて良かったよ。じゃあ、お言葉に甘えて暇潰しの会話に付き合って貰うぞ?」


「望むところだ。手前としてもそちらの方が喜ばしい」


 完全には信用出来る訳ではないが、少なくともこの状況下では大丈夫。まだ出会ってから碌に時間も経っていないけれど、タグウィオス・センプロニオスとはそう思わせてくれる人物であった。


「あのタナトスとか言う小僧は、貴様の魂をこの世界のものではないと評していたが……その事も含めて色々訊きたい事がある。どうだ、それを話せば暇も潰れて丁度良いであろう?」


「……余り面白い話でも無いけど、本当に聞きたい訳?」


 色々な人が殺されて、殺されまくる所から始まる話だ。


 それに、自分自身や、親友たちも殺される。あの時は本当に胸糞の悪い光景ばかりだった。


 自分から進んで話したいものでもないので、本当に良いのかと念を押せば、返って来るのは自信に満ちたものだった。


「暇を潰せるなら何でも良い。手前は以前生い立ちを話したのだ、貴様も話さねば不平等であると思わんか?」


「あー、はいはい分かったよ。多分、と言うか絶対分からない所があると思うけど、余り話を中断させるなよ」


 地球の文明とここの文明では色々と違いがある。


 この世界は魔法と言う驚異的な技術を持ってはいるものの、全般的な技術レベルで言えば地球に遠く及ばない。


 まず間違いなく付いていけないだろうが、一々説明してやっても理解出来るか分からないのである。


 一応出来る限り噛み砕いて説明してやるつもりだけれども、果たしてどこまで分かってくれるだろう。


 しかし、その懸念に対して彼は尚も自信満々と言った様子であった。


「舐めるな。手前はそれほど軟な頭脳などしては居ない。貴様が早口で話したとしても全て聞き取ってやると約束しよう」


「へえ、言ったな?」


「うむ、手前には二言など無い。撤回せぬから安心して話すがよい」


 そこまで言われたら仕方ない。


 いつまでも念を押すのはいい加減飽きて来るので、悪戯を仕掛けようとする子供の気持ちになりながら、俺は己の前世からの話を始めるのであった。





◆◇◆



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