第三話 リコリス①
例え都市内で何が起きようと、誰が殺されようと、時間の人の流れも、留まるところを知らない。
今まで通りに時は流れ、今まで通りに人は都市を出入りし、道を行き交う。
人でごった返すそんな大通りに、薄鈍色の外套を纏った一人の旅人は居た。
「何度見ても凄い所だね、ここは。これ以上の都市がある場所なんて、バラタや華胥の他には無いんじゃあないかな」
『だな。カルト・ハダシュトやトレトゥム、ルテティアなんかが小さく見えちまうぜ』
たった一人で居ると言うのに、その旅人は誰かと話をしていた。
至近距離で擦れ違う市民の何人かは、それを見て怪訝そうな顔を晒すものの、それだけだ。
すぐに興味を無くしたのか、市民らはあっという間に雑踏へ消えていく。
その旅人が、不自然な仮面を着けているにも関わらず、誰も彼へ注意を向ける事など無いのである。
それを良い事に、その旅人は都市の街並みをキョロキョロとして眺めて行く。
『おいリュウ、俺達は巡礼に来たんじゃないぞ。高層建築に見惚れてないで、とっととラティウム行の船を探せ』
「分かっているよ、せっかちだな。でも少しくらい眺めて居たって良いじゃあないか。何せ、東西交易の中心窓口なんだ、馴染みの深い物から見た事もない物まで、選り取り見取りだよ?」
『んなこと言って、この前来たみたいにどうせ数十分で飽きるだろうが。港に向かいながら眺めるだけで充分だろ。おい、寄り道すんな!』
何処からともなくと言うより、フードを被ったリュウの耳元から、怒鳴るような声がする。
しかしそんなものに彼は一切の耳を貸さず、ふらりと人通りの少ない裏道へ入って行く。
『おい聞いてんのか!? どこ行く気だリュウ!?』
「……うるさいなぁ。ちょっとした情報収集だよ。タルクイニ市へ行く前に、もう少し情報が欲しいでしょ?」
『だから港行ってからでも良いだろそれ!? 船が満席になったら今日の便は無くなっちまうんだぞ!? 早めに取っとけって……』
「后、ちょっと静かにして」
呆れた様な声音で、小言がもう少し続こうとしたところで、リュウはその先の言葉を遮った。
彼が仮面の下から覗く紅い瞳を向ける先には、屯している複数の市民の姿があった。
いずれも若く、またその身形はお世辞にも良いとは言い難いもの。体のあちこちに傷跡や生傷が見受けられ、如何にもチンピラと言った風体であった。
そんな彼らはリュウの視線と姿にも気付かず、雑談に興じている。
「なあ、聞いたか? 奴隷商のアンテミオスが殺されたらしい」
「おいおい、確かに周りから恨まれやすい事をしてたが……背後には公的権力も居たんだぞ? 誰がそんな事を?」
「噂じゃ“視殺”だとか」
「視殺? 最近聞くようになった殺し屋だよな? そうなると誰が依頼したんだ……?」
「けど、俺はその殺人の件で兵から追われてる奴を見たんだが……短槍持った紅い髪のガキだったぞ? 滅茶苦茶逃げ足も速かったけど、とても視殺には見えなかったぜ」
「馬鹿、人は見かけによらねえんだよ。如何にもな格好した殺し屋が居て堪るか!」
「けどよ、その槍持ったガキは変な魔法も使ってたぜ。なんつーか、白い塊みたいなのをいきなり作ったと思ったら、地面が爆発して……」
「あー、ちょっと失礼するよ。そこの君、僕にもその話を聞かせてくれないかな?」
その言葉を発した時、リュウはさっきから話している男の肩に、右手を乗せていた。
彼としては十分優しく、落ち着いて声を掛けたつもりだったのだが、実際の所そうは行かなかった。
彼らから見れば、いきなり仮面を着けた正体不明の者が現れたのだ。
それこそ音もなく、気配もなく、出し抜けに仲間の一人の肩へ手を乗せている。
『おわっ!!?』
彼らが一様に驚きの表情を浮かべる事は、何らおかしなことでは無かった。
その反応を見てリュウは仮面の下で失笑するような気配を見せながら、まずは謝罪から口にする。
「御免ね、驚かせちゃったかな? 僕はリュウ、しがない旅人でさ、今さっきこの都市に来たばかりなんだ。最近のビュザンティオン市がどうなっているかなんて知らないから、最初にその短槍を持った紅い髪の男の子について教えてくれると助かるんだけど」
「何だテメエ、いきなり出て来たと思ったら……」
「そんなに怒らないでくれよ。僕としては訊きたい事が聞ければそれで満足なんだ。話の腰を折っちゃったし、それだけ聞いたら立ち去るからさ」
そう言いながら、リュウは中銅貨を一枚放り投げていた。
しかし、それを受け取った男たちは一様に顔を見合わせた後、暗い笑みを湛える。
「……あんちゃん、生憎これっぽっちじゃあ足りねえな。もっと寄越してくれねえと」
「そう? じゃあこれくらいなら」
値段交渉とでも言うのだろうか。
男達は半ば恫喝にも似た空気を漂わせながら薄ら笑いを浮かべており、一方でリュウは特に怖気づいた様子もなく小銀貨を投げ渡していた。
「どうかな? それくらいあれば、皆一人ずつは食べ物とか買えると思うけど」
「はぁ? こんなので足りる訳ねえだろうが! 舐めてんのかテメエ!!」
「いや足りるでしょ? そんな嘘で僕が騙される訳ないじゃあないか。この辺の物価は大して変わってない筈だよ」
「うるせえ! 俺らが足りねえって言ったら足りねえんだよ! とっと有り金全部寄越しやがれ!!」
彼らの中でもリーダー格らしい男がそう言うや否や、他の者はすぐさまリュウを取り囲む。
数にして八対一。
その有利がどちらにあるのかは、誰が見ても明らかであった。
「ほら、早く有り金出しな。そうすりゃ見逃してやるからよぉ」
「今払ったお金で……千百Tで君達がボクの質問に答えてくれないの?」
「答える訳ねえだろ! 馬鹿が、俺らに近付いたのが運の尽きって奴だ! さあ、痛い目見る前に身包み全部置いて行って貰おうか!」
「……山賊かな?」
仮面の下で、リュウは微かな呟きと共に失笑した。
そんな態度が気に食わなかったのだろう。
男達は各々剣や短剣を引き抜きながら、彼を睨み付けていた。
「おいリュウとやら、もう一度だけ言うぞ。身包み全部置いて行け!」
「嫌だね。何で僕がそこまでしなくちゃあいけないんだ?」
「ああ、そうかよっ!」
にべにも無い、脅迫すらどこ吹く風とやり過ごすリュウの態度に、男達の怒りはすぐに沸点へ到達した。
一人が動き出すと共に、他の者も一斉に動き出し、哀れな旅人目掛けて襲い掛かる。
ただ、流石に殺しはしない。精々刃物で恐怖を味わわせ、多少痛い目を見て貰う程度。
そうすれば大人しく身包み剥いで差し出してくる筈だ――。
今までの経験からいつもの様に答えを弾き出した彼らは、しかし。
「普通に話を聞かせてくれるだけで良かったのに」
「……え?」
気付けば一人の男を残して、男達は七人が沈黙していた。
建物の陰のせいで薄暗く、少し湿った地面に倒れる彼らの中心には、変わらずリュウが立っている。
その光景を、男は信じられない物を見る目で、呆然と立ちすくんでいた。
「何だよ……お前は!?」
「リュウだよ、僕は」
倒れている男達はどうやって戦闘不能になったのかも分からないが、皆昏倒していて動き出す気配がない。
リュウは怯えている男へと紅い眼を向けながら、一歩を踏み出す。
他方、男はそれに呼応するように一歩後退る。
「さて、もう一度訊こう。君がさっき話していた、短槍を持った紅髪の男の子の話を、聞かせてくれないかな?」
「は、はい……」
己だけが気絶させられず、こうして無事でいる理由を、男はこの時になって察した。
実力でも何でもない。ただ単に、運が良かったけなのだ。偶々、本当に偶々、知っていた事があったから、己だけ今も無事でいる。
相手に機嫌次第では、下手をすれば簡単に殺されてもおかしくは無い。
喧嘩を売る相手を、カツアゲをする相手を、見事に間違えてしまった事を、彼は心の底から後悔したのだった。
震える声で応じ、何度も何度も小さく頷きながら話始めようとして、ふと気づいた事が一つ。
何故この旅人は、リュウは、“紅髪の男の子”であると分かったのだろうか。自分は仲間と話して居た際、“ガキ”としか言っていないのにも関わらず、どうして性別を知っている?
意味が分からず、試しに聞いてみようかと思ってリュウの仮面に覆われた顔を見遣るが、すぐに質問する気など霧散してしまった。
瞬きの内に仲間達が倒れているという恐怖に圧され、余計な事を口にする余裕が霧散してしまったのだ。
「こ、事の発端は昨日の事からなんだが……」
疑問すら跡形もなく四散し、恐怖の余り真っ白になった脳内で、男は一生懸命リュウに訊かれた事だけを話し出すのであった。
◆◇◆
「首尾はどうだ?」
「上々だ。この調子で行けば十二分の成果を上げられる筈だぜー?」
「そうか」
「ルクス様たちが手駒を増やしてくれたおかげだな。色々とやりやすいしー」
薄暗い、岩壁が剥き出しとなった場所で、二人の男が報告を兼ねた雑談を交わしていた。
片や長身で長い耳を持ち、片や短身痩躯。
そんな彼らを薄暗く照らすのは、幾つもある支柱の様なものに一つずつ埋め込まれた、それぞれ色の異なる大きな結晶である。
それらは実際の所支柱では無いのだろう。
嵌め込まれた結晶を上下から固定しているに過ぎず、その結晶の中には何か物体が浮かんでいた。
果たして結晶の総数が幾つあるのかは分からない。
洞穴のような場所が、明かりも用いず色とりどりの結晶による薄暗い光で照らされた様子は、いっそ幻想的ですらあった。
その薄暗い幻想的な輝きとは裏腹に、その結晶の中にある物体は極めて気味の悪いものである。
そう思う感性が、雑談をする二人の内一方には会ったのだろう。
視界に入るそれらを見ては、時折不快そうに眉を顰めていた。
「おや、どうしたクリアソス?」
「……何でもない、気にするな。寧ろお前はどうして平気なんだ?」
「そりゃだって、俺が好きな事だからな! 大好きな事をやってんだ、どうしてこの場所を嫌いになれるんだよ?」
大仰に語りながら、男が恍惚の表情を浮かべていると、クリアソスと呼ばれた方は苦笑を浮かべた。
「……ああ、そうだったな。お前はそう言う奴だった。忘れてくれ」
「何だお前、変な奴だなー?」
「エピダウロス、お前にだけは言われたくないぞ」
細く、小柄な男を見下ろしながら、クリアソスは彼を睨み付ける。
しかし、エピダウロスと呼ばれた男は特にそれを気にする様子もなく、相変わらず気怠そうな表情を浮かべながら話題を変えていた。
「総主教の方はどう?」
「順調だ。連中の権威は絶大的だからな。既に結構いい素材も一つ手に入ってるし、更にもう一つ、釣れそうだ」
「そりゃ何より。エクバソスに預けた力作の二十六番とかは天に召されちまったからなぁ。そろそろ会心の出来と言えるものを作りたいんだー」
期待に胸を膨らませたエピダウロスの言葉なのだが、それの意味するところを知るクリアソスは、僅かばかり引き攣った笑みを浮かべていた。
彼としては、その時期には余りここへ来ないで置こうと心に決めたのである。
「それじゃあ、俺はこの辺で失礼させて貰う。主人様の為にも、死力を尽くして励めよ?」
「へーへー、分かってるよー。主人様の為にねー」
程々の言葉を交わした後、適当なところでクリアソスはその場を後にする。
背後からは如何にも気持ちの籠っていない返事が返って来るが、今更それを咎めても意味がない事は、とうに知っている。
放っておいても、忠誠など無くとも、隙にやらせておけばこちらの為になるのだ。
腕が確かで、目先の利益さえ保証できれば裏切らない者であれば、それはそれで使いやすい者は無い。
「一応、ペイラスにも声をかけて見るか……」
確かあの男も研究者気質だ。
加えて上司に対する忠誠もあるとすれば、上手くエピダウロスの手綱を握ってくれる事だろう。
奴の手が空いていれば良いが、と思いながらクリア層は薄暗い道を行くのだった。
◆◇◆
アラヌス・カエキリウス・プブリコラ。
グラヌム村とその周囲の小さな農村などを支配下に置いていた子爵であり、その豪奢な生活を維持する為に苛烈な政治を行っていた。
飢饉が起きても、疫病が蔓延しても大した手を打つ事はせず、事態が収束するまでは領域を封鎖した上で基本放置。
事態が勝手に収拾したら思い出したように統治を再開し、放置していた分の税まで取り立てる。
今思えばあの時も司祭であったパピリウスと組んでいたのだろう。
彼もまた、村民が助けを求める中で、建物から碌に姿も現さずに祈れとしか言わなかった。
当然だが、それだけ酷い統治をしていれば村の収入が減る訳で、しかしその原因を村民に転嫁する有様。
統治とも呼べないような、運営など全く考えている様には思えない収奪であった。
そんな彼はサリ王国の子爵であるのだから、封土に今も何食わぬ顔で居る筈だと思っていたのだが。
あの男は変わらぬ容姿で、相変わらず小綺麗な身形をしながらこちらを睥睨していた。
「久しいではないか、ラウレウス? 下賤な農奴で、忌々しい白儿の存在でありながらこの私が貴様の名を覚えている事、光栄に思うが良い」
「……いえ、すみませんがどなたでしょう? しがない旅人でしかない自分には、貴方様が誰であるか全く存じ上げません」
貴族様であるのは分かりますがと、咄嗟に惚けてみる。
最後に会ったのはもう一か月、二カ月前どころではきかないのだ。たった一人の、ほんの少ししか見ていない筈の領民の顔を正確に覚えてなど居られる筈もない。
そう考えて丁寧な姿勢で跪くのだが。
「初対面を決め込むのか、農奴風情が。貴様のその顔、この私が忘れる訳なかろう? 大事な大事な我が領の白儿なのだからなぁ!?」
「……仰ってる意味が、分かりません」
跪いて足元を見ていた視線が、急に持ち上げられる。
紅く染めているこの頭髪を、彼の手が乱暴に掴み上げたのだ。
髪の毛を通じて頭皮が引っ張られる痛みに、思わず顔を顰める。
「どうして貴様の事を忘れようか? あの日、貴様の事を知って動き出してから、私の今までの生活が崩れ出したのだからなぁ!」
「ですから、何の事ですか!? 俺が白儿な訳ないでしょう!? 見て下さい、髪だって紅いじゃないですか!」
今この時ほど髪や眉を紅く染めて置いて良かったと思った事は無いと、痛感する。
しかし、相手はこちらの言い分など聞いてはいなかった。
「あの日……貴様を狩猟者風情の妨害で逃してからは特にッ! 私にとって屈辱的だった!」
別段訊ねた訳でも無いのに、彼は勝手に自分を語り出した。
今まで、あの日から何があったのか。
何が起きたのか。
どうしていたのか。
正直興味の欠片も無かったのだけれど、相手は一目で貴族と分かるような身形をしている存在だ。
何事かと遠巻きに眺めて来る市民の目もあるので、大人しく聞き流していた。
「森で出くわした、訳の分からん流人のせいで私は他の貴族共から嘲笑され……馬鹿にされたのだぞ! 流人如きに配下共々倒された、不甲斐ない貴族としてなぁ!?」
「はあ……」
「それだけでは終わらん! 挙句の果てには連中め、私の封土を欲して姦計を弄しおった! 私の統治が杜撰などとありもしない嘘八百を並び立てて、武力もちらつかせて私をあの土地から追放したのだ! 王もすっかり連中の言葉を信じおって!」
「……」
自業自得では無かろうか。
嘘八百も何も、告発した貴族たちは多分本当の事しか言っていない。
彼ら貴族の本心が何であれ、あれだけの悪政を重ねれば誰かが攻撃して奪おうとするのも無理はないのだ。
寧ろ今まで良くあのような領地経営で成り立っていたものだと感心すらしてしまう程に。
それにしても、そこまでの話を聞いたとて何故彼がここに居るのかについての説明にはなっていない。
まだまだ話が続くのかと思うとげんなりしてくる、そんな時だった。
横合いから足音がしたかと思えば、人の良さそうな声が割って入ったのである。
「プブリコラ様、斯様な場所で一体何を為さっているのですか?」
「おお、パピリウス殿。実は私の知る者に良く似た子供を見つけましてな」
「……ほう?」
その遣り取りを前にして、悪寒が背筋を撫でた。
動悸が速くなり、口も急速に渇いて行く。
鳥肌が立って、冷や汗が止まらない。
手汗や足汗がじわりと湧いて来る感覚も、留まるところを知らないくらいだ。
アッピウス・パピリウス。
グラヌム村で司祭を務めていた、中年の男性。
本来ならこの場に、ビュザンティオンに居る事など、あり得ない筈なのに。
何故彼もまた、ここに居る?
新たな疑問が湧きあがり、思考は混乱の坩堝へと叩き落とされる。
「どうです、似ているでしょう? いや、もはやこれは本人と言っても過言ではない。故に今、私はこの者を――ラウレウスを、尋問していたのです」
「……なるほど、御尤もですな。見れば見る程、かの悪魔・ラウレウスにそっくりです。良く見つけられましたね?」
「ええ、偶には気分転換に散歩でもと、神官の者に勧められましてね。あまり気は乗りませんでしたが、このような平民街を回っていたのですよ」
そう語るプブリコラの視線の先には、二頭立ての馬車が一台。
恐らく散歩と言いつつも、ただ馬車の中から街を眺めて居たに過ぎないのだろう。
相変わらず肥満体で居る訳だと納得していると、そこでパピリウスの視線が向けられた。
「お久しぶりですね、ラウレウスさん。いや、悪魔よ。聖都と名高いこのビュザンティオンに一体何の用があって居る?」
「ですから、そのラウレウスって一体誰なんですか? 俺は全然そんなんじゃありませんから。ほら、髪だって紅いじゃないですか」
強調するように頭髪へ手をやれば、品定めするようにパピリウスがその青い眼を向けて来る。
その顔には笑顔が浮かんでいるものの、眼光は底冷えするような冷たさであった。
そんな彼は、こちらの言葉に一定の理解を示す様に頷いている。
「ええ、確かにそうです。プブリコラ様の赤髪よりも尚深い赤。紅ですね」
「でしょう?」
もしかすれば誤魔化せるかもしれない。
やっと見えて来た光明に微かな期待を乗せたのだが。
「ですが綺麗すぎますね、髪の色。これでは逆に不自然ですよ。ひょっとしなくても、染めてるんじゃないですか?」
「そっ、そんなことッ――!?」
探る様な視線と共に、図星を刺された。
努めて冷静さを保ちながら、どうにかその言葉を否定しようと言葉を探す。
今現在の頭の回転速度は、ここ暫くで一番のものであろう。
だがこの時、真に注意を傾けるべきものは良い訳では無かった。
周囲に、取り分け頭上に注意を向けるべきだったのである。
「では貴方の主張が嘘か真か、試してみましょう」
「え――」
にこりと、より笑みを深いものにしながら告げられた彼の言葉に、思わず呆けた顔を晒した時。
頭上から、多量の水が落ちて来た。
余りにも突然であっという間の、意識の外からの出来事に、当初は事態が呑み込めなかった。
一体何事かと、目を瞑って背中から水を受け続ける事しか出来なかったのである。
「~~~~っ、何ですかいきなり!?」
時間にしたらほんの数秒の出来事だろうが、目に水が入り、息も強制的に止めざるを得なかった身としては堪ったものでは無かった。
顔の水滴を濡れた手で払い、肺一杯に空気を吸い込み直しながら抗議する。
全身はずぶ濡れで、大通りの中でこれをやられては周囲からの注目も自然と集中する訳で。
「……装備品から何から何まで濡れてしまいましたよ? 弁償とかしてくれるんでしょうね?」
彼らからの視線を感じながら、今度は落ち着いた声でパピリウスを睨み付け、抗議する。
しかし当の本人はこの抗議を袖にして、顎に手を当てながら言った。
「ああ、やはり染めてましたか」
「――――ッ!!?」
その瞬間、遅まきながらも己の失態を完全に察した。




