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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第一章 コノヨニウマレ
7/239

REVIVER ③



 テーブルに並ぶ、十一の皿。そこにはスープが入っており、山菜や肉がふんだんにぶち込まれていた。


「……これは随分と豪勢だな。こんな量を一度の食事で出して、大丈夫なのか?」


「ええ、普段であればここに肉は無いので、こちらから出した材料はその山菜くらいなものです。その山菜も肉の量が多いお陰で嵩が減ってるので、まだ余裕はありますよ」


「そうか、それは良かった。ではこうして晩飯にありつける事を幸運に感謝しつつ、頂くとするか……俺の、春画集の冥福を祈って」


 ミヌキウスは未だに未練と涙を滲ませつつそう言うと、その胸に手を当てて天を仰ぎ、瞑目する。

 というか、彼は涙目である。

 それには若干引きつつレメディア以外の全員が追従し、クィントゥスが理解の追い付かない子供達にもそうさせた為に屋内では暫しの沈黙が訪れた。

 そしてそれからたっぷり五秒ほど。

 心からの祈りを捧げ、目を開くとミヌキウスらに口を開いた。


「今日は僅かばかりですが塩も使っています、御替わりもありますので是非どうぞ」


「ああ、ありがとう」


 礼を述べた彼はその手に匙を持ち、口へと肉を運ぶ。

 同様にアウレリウスとユニウスも続き、それを見た子供達も遂に堪え切れず肉を掻き込む。

 俺もレメディアやクィントゥスと一緒になって久し振りに食べる肉に舌鼓を打ちつつ、ふと気になった事をミヌキウスに訊ねていた。


「ところで、魔法ってどういうものなんです?」


「ん? どうした、藪から棒に」


「いや、魔力が~とかレメディアからも聞かされるんですけど、正直な話すると俺らは魔法使えないからで良く分からないんですよね。ミヌキウスさん、魔法使えるんでしょ?」


 旨そうに肉を頬張って幸せそうな顔を見せているレメディアに目を遣りながら問うてみれば、彼は少し考える素振りを見せた後でこう言った。


「……俺も大した学がねえからはっきりした事は言えんが、要は物質に干渉する力だな。もっと言えば、この世界の(ことわり)に干渉する力とも言える」


(ことわり)に干渉、ですか?」


「そうだ。例えば手で水を掬うとしよう。すると当然隙間から漏れてしまう。だが、魔法であれば水がそこから零れずに動かせるって事だ。つまり理屈なら隙間があれば水が零れる、しかし魔法を使うと零れないように出来てしまう。だから世界の理に干渉する力なんだ」


 すげーよなと、彼はそこから更に様々な事例を楽しそうに話してくれたのだが、如何せん農民である身なので折角の話も理解できないものが多く、曖昧に頷くだけになってしまう。

 すると思ったよりも食いつきが良くないと察したのか、また違う話を出してくれた。


「ところで、魔力が人体に及ぼす影響ってのは知ってるか?」


「影響……ああ、髪の色が変わったりする奴ですか。レメディアもありましたよ」


「そうだ。魔力の影響によってその人の体に目に見える変化が起こる。俺も魔法が発現した時はそうだった。朝起きて亀の水で顔洗おうと思ったら、髪と眼の色が青になってるもんだから、魂消(たまげ)たなんてモンじゃねえ」


「あー、俺らのところもある朝急にレメディアの髪と眼が緑色になってて、ホント大騒ぎになった記憶がありますよ」


 彼女自身、何かの病気かと思って自分が死ぬかもしれないと怯えたくらいには騒ぎになったのだ。

 チラリと彼女の方を見て見れば、さっきの遣り取りを聞いていたらしく、匙を持つ手を止めて俯いていた。

 どうやら当時の事を思い出して羞恥に悶えている様だ。

 もっとも、あの時の慌てふためきようはクィントゥスも自分も似た様なものだったのだが。


「知識が無けりゃそうなるのも無理はねえよ。で、その影響の話に戻すんだが、その影響の度合いが更に強くなると、どうなると思う?」


「そんな事、あるんですか?」


「あるらしい。知り合いの学者から聞いた話だけどな。かの有名な“白儿(エトルスキ)”ってのは、特にそれが顕著だったとか。お前も、あの伝説は知ってるだろ?」


 言いながら、ミヌキウスは手に持った匙をこちらに向けて来れば、それへ首肯して返し、口を開く。


「それについては昔、母から御伽話として聞かされました。確か白い肌と髪、紅い眼を持つ大昔の人の事ですよね? 心臓の近くからは白くて綺麗な宝玉が取り出せたとか」


「その通りだ。確か色が白くなるのはその無属性の魔力の影響らしい。レメディアだって、植物魔法の魔力を持つから髪や眼が緑だろ?」


「……でも、肌は緑じゃ無いですよ?」


 レメディアへ目を向けてみれば、彼女はその腕を捲ってどうだと言わんばかりにその日焼けした褐色気味の肌を見せつけて来ていた。


「肌にまで影響が出るのは“白魔法(アルバ・マギア)”っていう特殊な魔力の影響なだけだ。それだけ魔力の濃度が濃いと言われる訳だが、そのせいで全身に魔力が沈着し、肌や骨にまで出たんだと。お前だって、白儿(エトルスキ)の見た目に関する話だって知ってるんじゃねえの?」


 曰く、通常の魔力属性では髪や眼に色が現れる人と現れない人もいるらしく、“白魔法(アルバ・マギア)”の魔力を持つ“白儿(エトルスキ)”だけは唯一必ず体の表面に出ると言う。

 ただし、ミヌキウスからしてもそれは聞いた話である上に研究対象たる“白儿(エトルスキ)”はもう存在が確認されず、どこまでが本当なのかはわからないのだとか。

 因みに、その学者曰く魔力は、誰もが生まれつき持っているのだそう。

 生まれる際にどれほどの魔力を持って生まれるかで髪や眼の色が決まる事もあるし、魔法発現と同時に髪や眼の色が変色する場合も極稀にあるのだとか。

 そして、魔力の発現に個人差がある理由は成長と共に魔力量が増大して、個人差のある「一定量」を超えると発現するから、らしい。

 ただし、それまではどれだけ魔力があろうと魔法は発現せず、魔力の操作も出来ないとされているようだ。


「そうすると、俺にも魔力はあるんですね」


「ああ、そう言う事になるな。ただ、それが死ぬまでに一定量まで達するのかは別問題だけどよ」


 そう言うと、ミヌキウスはスープの入った皿を傾け、全てを飲み干す。

 それから「失礼」と断りの言葉を入れると、御替わりの為に席を立って行った。そんな彼の背中を見送った俺は、残り僅かになったスープをちびちびと匙で掬って飲む。

 やはり、料理に肉が入るだけで全然違うし、そこに微量だけと言えども塩が入っているとまた格別の美味さと言えよう。

 年に一回、味わえるかどうかと言う豪勢な食事を堪能しながら、俺は自然と目を瞑っていた。

 しかし、そんな時間は長く続かず。


「ねぇねぇ、ラウお兄ちゃん。“エトルスキ”って何?」


「あ、そう言えば話した事ない?」


 訊ねて来た子供に言いながらレメディアとクィントゥスの方に目を向けると、両者ともその首を横に振った。

 どうやら誰も小さい子達に話していないらしく、親を早くに無くした事も考えると彼らがその逸話を知らないのも無理ないだろう。


「“白儿(エトルスキ)”の逸話、そんなに聞きたい?」


「うん、聞きたい! 話して、ラウ兄ちゃん!」


 早くしろ、と言葉だけでなく態度でも急かしてくる子供達。

 しょうがないなと内心で笑いつつ、俺は“白魔法(アルバ・マギア)”と“白儿(エトルスキ)”に(まつ)わる逸話について語り出していた――。





 昔々ある所に、白儿(エトルスキ)と呼ばれる人々がエトルリアという地域に住んでいました。

 彼らは皆尖った耳と紅い眼、白い肌と白い髪を持っている特徴的で凶暴な種族でした。

 また、他の種族と比べて数はとても少なかったのですが、彼らには沢山の魔力と、そして心臓には白珠(マルガリタ)を持っていたのです。

 その様に特別な体と魔力を持つ彼らは、傲慢にも好き勝手暴れ回って居ました。神は、そんな不信心者達を何度も説得しようと心掛けましたが、彼らは一向に神の仰ることに従いません。

 遂には神のお怒りに触れ、白儿(エトルスキ)を滅ぼす事を決める一方でこれを人々の役に立てようと考えました。

 即ち、彼らの体はその様々な部位が道具の素材として使用する上で最適であると当時の教皇様に神託で示したのです。

 それを受けた人々は神の意志に従い、強力な敵を討滅することを決意します。

 けれども、彼らは鬼のように強かったので何度となく外敵の侵入を跳ね返し、野蛮で神に背く生活を続けていました。

 それらから更に暫くして、今度はラウィニウムに住む人々と当時の教皇の軍隊が、暴虐非道な白儿(エトルスキ)を懲らしめる天罰の為にエトルリアへ侵攻します。

 しかし敵はとても強く、何度も正義の軍が敗けてしまって教皇様も壮烈な戦死を遂げてしまいました。

 このままでは神の御意思を果たせないと悲しむ人々でしたが、その危機になって神様は一人の男に加護を与えました。


 それを与えられた人物の名は、プロクルス・クロディウス。


 彼が指揮官になる事で素晴らしい力を手にした軍隊は敵を散々に打ち負かし、邪悪なエトルリア王ラルス・ウェリムナと激闘を繰り広げました。

 激しく、長く、辛い戦いの後、多くの犠牲を払いつつも敵を破り、追い詰めて行きます。

 しかし最後の砦・タルクナ市に追い込まれたラルス・ウェリムナとそれに従う悪しき精霊はしぶとく抵抗し、プロクルス・クロディウスと決戦を繰り広げました。

 その壮絶な戦いの結果悪しき精霊は封印され、邪悪な王ラルス・ウェリムナは燃え盛るタルクナ市と共に燃え尽きました。

 そうしてようやく、プロクルス・クロディウスはラウィニウムの街へと帰還を果たし、大々的に歓迎されて凱旋式を行う栄誉に預かれたのでした。

 しかし、話は今も終わって居ません。何故ならば白儿(エトルスキ)はまだ完全には滅んでいないのです。

 今も尚、悪魔の種族の血を引く者が生まれる事があり、それらは先祖がそうであったように髪と肌が白く、眼が紅く、そして凶暴です。

 彼らを見つけ次第、討ち果たさなけえればいけません。

 彼らを殺し尽くして、我々の文明の発展に努めよと言うのが、神の御命令なのですから……。





「……以上が、母さんから聞かされた話だ」


 俺がその話を語り終えた時、全員の耳目がこちらを向き、話に聞き入っていた子供達は目を輝かせていた。

 けれど、そんな子供達を見て俺の心は余り嬉しい気分になんてなれない。

 この話は明らかに脚色の部分が多くてとても信じられないし、まるで天神教とその神を完全に正当化するような話の流れになっているから。

 地球世界で言うところの魔女狩りを正当化している様な、そんな狂気と気味の悪さを覚えさせる話だと、俺は思っている。

 そんな考えを見透かしてか、黙って話を聞いていたミヌキウスは俺の顔を覗き込みながら問うていた。


「……おや、ラウレウスは余りこの逸話が好きじゃ無いみたいだな?」


「ええまぁ、明らかに意図的なものを感じるので」


「お、分かるか? でも実際この話は事実を下書きにしてるらしいけどな」


 スープを啜りながらミヌキウスはそう答えると、勝手に盛り上がり始めた子供達を放置してそのまま話題を変えて来た。


「あ、そうそう。ところで食材の話なんだが……もう少し獲って来ても問題無いか? その代わり、少し料理を増やして貰いたい」


「あ、足りませんでしたか? すみません……」


「いやいや、作って貰っている立場である以上は無理にとは言わん。ただ、そっちもまだ物足りないだろ?」


 首を巡らすミヌキウスが見て居るのは、俺だけではなくガタイの良いクィントゥスや、子供達。

 確かに御替わりをしても彼らの表情は満足には程遠いようで、料理は美味いと喜びつつも、一方でもうじき料理が終わってしまう事に少し悲しそうな顔をしていた。

 かく言う俺も量的には物足りなさを感じており、折角の申し出なのでと悩んだ末にお願いする。


「承知した、では明日から鹿を二頭ほど狩って来る。調理の時間も考えて今日よりは早めに帰って来よう」


「ええ、ありがとうございます」


「こちらこそ、晩御飯ありがとな。御馳走様。お陰で明日も頑張れそうだ」


 それだけを言うと、ミヌキウスらは割り当てられた藁の敷かれた場所へと向かっていた。

 だが仕切りなど無いので当然こちらからも彼らが何をしようとしているのかなど分かるし、プライベートなんて存在しない。農民が暮らすような家には部屋割りなど無く、そんな物があるのは裕福な商人や貴族くらいなものなのだ。

 通常の家は一間だけで個室なんて存在せず、無防備を他人に晒す訳だが、この世界で今更それを気にする人など何処にもいない。

 クィントゥスも子供達を藁の敷かれたベッドへと向かわせ、俺とレメディアは食器の片付けに入る。


「そろそろ暗くなり始めて来たね」


「ああ、日が落ちる前に食器は洗っちまおう」


 汲み置いていた桶の水に食器を浸らせ、素手でゴシゴシと擦って行く。


 向かいにはレメディアが屈み、同様に食器の一枚を取って擦るが、今日は肉もあったせいで油のぬめりが中々取れない。


「……コレ、日が暮れるまでに間に合いそう?」


「どうなんだろ。我が家に蝋燭とか高価なモン無いしね……」


「ま、最悪月がある。あの明かりで何とか出来るだろ」


 実際、そう言った事が全くなかった訳では無い。

 家の外に出れば月の光で割と見えるし、皿を洗う分には大した不便も無い筈だ。

 ふと、聞き覚えの無い鳥の鳴き声につられて少し玄関から出て空を見渡せば、既に月は空に登って居り薄っすらと浮かんでいた。

 一方で日は大きく傾き、周囲にある雲は赤く染まる。

 そしてその空を、何羽かの鳥が飛び交っていた。

 それらに対して自然と湧き出す、羨望。

 身軽な彼らに対する、憧れ。


「やっぱりいいな、鳥ってのは……」


「ラウ君! 何を呑気に外見てるの? 早く戻って来てよ!」


「おっと悪い、すぐ戻る!」


 不意に台所から飛んできたレメディアの喝にハッとしながら、俺は慌ててそこへ駆け戻るのだった。





◆◇◆





慶司(けいじ)? おい聞こえてんのか?」


「……ん? あ、わり。何だっけ?」


 ぼうっとしてしまったのか、ハッとして訊き返してみればそこには呆れ顔をした興佑(きょうすけ)の姿があった。


 そんな彼の背後では、同じく呆れた顔をした麗奈(れいな)とアレンも居る。


「何だっけって……お前から話題振って来たんじゃねえか。文系理系のクラス、どっちにするのかって」


「あ、ああそうだったな」


 高校一年の、二学期も半ばごろの記憶だ。

 確かにこんなやり取りをした覚えがあるし、あの当時も考え事をしていて話を聞いておらず、呆れられた覚えがある。

 はてあの時は何を考えていたのかと記憶を巡らせる間にも、記憶をなぞるように俺は当時の答えを口にしていく。


「……アレンだけ理系クラスかぁ。頑張れ」


「何言ってるのさ、頑張るのは当たり前だよ。偶々ボクのやりたい分野が理系クラスに行かないと出来ないだけで。第一、この理系・文系って分け方はボクにとって余り馴染みが無いんだけど」


「え、マジ? そっか、こんな所でもアメリカと日本て違うんだな」


 興佑(きょうすけ)と麗奈と共に、思わず声が漏れてしまう。


 この後、アメリカの教育制度について結構話が盛り上がって、アレンの話に何度も驚かされたのだ。

 例えば黒板が無い、みたいなハイテク教育の話はとても印象深く残って居るくらいである。

 一年の教室で、俺の席を囲って盛り上がる四人の会話の中にあって、こみ上げて来る懐かしさ。

 こんな生活に戻る事が出来たら、どれほど良いだろう。あんな事件が起きなければ、どれほど良かっただろう。結局は、何度違うと思いたくても、彼らを守れなかった事が悪かったのだ。

 自分が弱くて、使えなくて、不甲斐なかったばかりに、皆を巻き込んで死なせてしまった。

 下手に逃げようとせずにその場で踏み止まって殺されて居れば、他の三人は助かったかもしれないのに。

 やっぱりこの前夢で見た三人の亡霊が言う事は、正しかったのかもしれない。

 全く以って面目ない。情けない。

 幼馴染の女の子一人だって守る事が出来なかった。

 気付けば明るい三人の声は消え、辺りは漆黒に包まれている。

 それはまるで今の心を表している様で、怖いと思うよりも先にホッとしている自分が居た。

 彼らとはもう会わない方が良い。思い出さない方が良い。幸せを奪ったのは、俺だから。


「..........」


 これ以上この夢の中で彼らを蘇らせて郷愁の念に駆られたり、後悔の念に押し潰されそうになりたくない。

 けれど、幾ら制限したところで、制限しようとしたところで、この夢は何度でも見てしまう。

 その度にこんな気持ちになるのか。

 いいや、もう散々だ。

 いっその事、もう絶対に夢を見ないよう、命でも絶ってしまおうか。

 元より親友三人を無様にも殺させてしまった愚か者だ。なのにどういう訳かまた違う世界で違う肉体を授かり、更に苦しめようとでも言うのか、記憶は残ったまま。


「............」


 こんな生に、価値など在ろうか。

 無いと思う。いやそれどころか、断じてないのではないか。

 こんな精神的拷問を受け続けるような生に執着する理由は、そこまでないのではないか。




「――慶司(けいじ)




 ふと、少女の声が掛かる。

 聞き覚えのあるその声に、弾かれた様にして顔を上げてみれば、そこにはやはり見知った少女の姿があった。

 髪をポニーテールにして纏め、高校の制服を着て、いつも見せてくれていた溌溂とした笑みを浮かべて。

 彼女は、高田 麗奈は、在りし日のように俺を見て居た。


「来るな」


 もう、姿も見せないでくれ。

 もう、限界だ。

 もう、耐えられない。

 夢だと分かっていても、この麗奈に言ったとしても無駄だと分かっていても、それでも言わずにはいられない。

 これ以上、惨めで後悔に塗れた気分に浸りたくなどないから。

 だが、そんな俺の要求に彼女は言った。




「うるさい。まだ私、何も喋ってないんだけど」




 聞き慣れた不機嫌な声。だけど、そのセリフは今までの記憶の中でどれ一つとして一致しない。

 けれどもむしろ、それが当然ではないか。過去の記憶をそっくりそのまま夢で見るという方が不自然なのだから。

 では一体、今回の夢では何を言ってくるのか。この前の夢ように俺を(なじ)って、嘲笑って、以前見た泥のような昏い奥底へ引き摺りこむのか。




「そんなことする訳ないでしょ。私がいつしたっての?」




 うるさいな。もう関わらないでくれよ。

 肩に乗せられた手を振り払い、夢の彼女から目を背け、背を向ける。

 けれども、そんな態度が気に食わなかったのも知れない。

 背後で舌打ちが聞こえたと思ったら体が引っ張られて両頬をホールドされた上で目線を合わせられる。


「っ」


 夢の中とは言え久しぶりに間近で見る麗奈の顔に、ああやっぱり綺麗だなと場違いな感想を抱いている自分が居た。

 だが、夢の中の彼女はいつも通りにこちらの気持ちなど斟酌(しんしゃく)しないで思い切り叫んでいた。




「――少しは、こっちの話を聞けって言ってんだよっ!!」


「え?」




 途端に俺の両頬を押さえていた両手がパッと放され、彼女が左脚を軸に回し蹴りの体勢に入った。

 その制服(スカート)じゃ下着が見えるぞ――そんな忠告をする間もなく、麗奈の鋭い蹴りが左頬へと炸裂していたのだった。





◆◇◆





「――へぶっ!?」


 心地良く寝られていた朝、唐突な左頬への衝撃で、俺は目を覚ます。

 衝撃により敷かれた藁の上から追い出され、土が剥き出しな床の上を二度、三度と転がった俺は柱に背中を打ち付けて止まった。


「……っ!」


 痛い。痛い。痛い。猛烈に痛い。

 どちらかと言えば頬よりも今、柱へ強かに打ち付けた背中の方が痛い。勿論頬も痛いが。

 そうして痛みに悶えること数秒、ある程度痛みの引いた俺は患部を摩りながら家の中を見渡すが、起きている者は誰も見当たらない。

 どうやら、今俺が漏らした声で目を覚ました者は居ないようだ。

「……」


 いや、居た。

 ミヌキウスが起きていた。

 俺が敷かれた藁から追放される一部始終を見て居たのだろう、彼の顔はニヤけているのだろう、小刻みに背中が震えていた。

 少し癪に障ったので何か悪戯してやりたい気分になったが、今日も仕事がある彼にそんな事をする訳にも行かず、やむを得ず気付かないフリをしておく。

 その代わりに、藁の上から追放……もとい蹴り出してくれた元凶へと目を向ける。


「この野郎」


 俺の怒りなど知る由もないそいつの名は、麗奈ではなくクィントゥス。

 今日も呑気に鼾を掻き、煩い事この上ない。

 その姿を見て居る内に怒りの感情は殊更強くなり、気付けば右脚でその横っ腹を蹴っ飛ばしていた。


「テメェ寝相が悪すぎんだよぉぉおっ!!」


「ぐっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!?」


 熟睡していた中、突如として彼の腹を襲い掛かっているであろう激痛。

 無防備なクィントゥスの横っ腹に減り込んだ右脚を素早く引っ込め、俺は腕を組みながら悶える彼を見下ろす。

 流石に今回は相当騒がしかったのかレメディアや子供達までも起き始め、ミヌキウス達もその上体を起こして居た。

 と言うかミヌキウスについてはもはや隠す気も無いようで、一人腹を抱えてげらげら笑っていた。


「テメェ、ラウ! 寝てる奴の腹を蹴るんじゃねえよ!」


「うるせぇ! 寝てる奴の頭蹴った奴が何ほざいてんだよ!?」


 痛みが引くまでのた打ち回ったクィントゥスが立ち上がり、俺に抗議をして来るがこちらも負けじと言い返す。


「はぁ!? 俺がいつお前の頭を蹴ったってんだよ!? 証拠は!?」


「この左頬が見えないのか!? ってか背中もそこの柱に打ち付けたんだぞ!?」


 尚も認めないクィントゥスに、俺は自分の頬を指差しながら強く主張する。


「だから何だってんだ!? 俺が蹴ったって言う証拠にはならないだろ!? 証人は!?」


「居るに決まってんだろ!? ミヌキウスさんだよ!」


 そう言って、俺は今も腹を抱えて笑っている彼を指差す。

 状況が呑み込めていない様子のアウレリウスとユニウスは首を傾げ、丁度何があったのか彼へと問うていた。

 すると、俺達への証明と言う意味も込めたのだろう、こちらへと聞こえる声量でその一部始終を語り始める。


「いやぁ、偶々さっき目が覚めてな。ちょっとボーっとしてたらクィントゥスが綺麗にラウレウスの左頬を蹴っ飛ばしてよ、そこの柱に背中打ち付けたんだ。で、それに怒ったラウレウスは横っ腹を思いっきり蹴り返したって訳よ」


「……なるほど、それはまた」


「クィントゥスは自業自得だな」


 ミヌキウスの説明を聞いて仕方なしと頷くアウレリウスとユニウスの二人を見て、俺は口端を吊り上げながらクィントゥスを見遣る。


「……何だよ?」


「何だよ、じゃないだろ? 謝罪の言葉は? しゃ・ざ・い!」


「あああもう分かったよ! 悪かった、悪かったから!」


 若干投げ遣りながらも、寝相が最悪な彼から遂に謝罪を受け取る事に成功するのだった。

 ここ数年ずっと悩まされた事について謝罪を得られた事に嬉しさを噛み締めていると、不意にレメディアがある事に気付いたようでその手をこちらへ伸ばしてくる。


「あれ? ラウ君、白髪が生えてるよ? しかも、ちょっとした束になってるし」


「えっ、白髪? 俺まだ十三なんだけど……」


 彼女の手が俺の頭髪に触れ、その緑色の瞳がそちらへと向けられるのだが、残念な事に俺からは位置的に当該箇所の髪を確認する事が出来ない。

 若干ショックを受けながら俺は水色の前髪に触れてみるものの、肌触りは相変わらずザラザラしたままで、そこからどこを触っても違いなど分かりはしなかった。

 そこで汲み置かれた水を鏡代わりに見て見ると、確かに頭の右側で纏まって白くなっている場所を確認する。


「若白髪か。老けちまったかあ」


 元々髪の色も水色という薄目のそれなので、非常に目立つと言う様な事は無いと思われるが……それにしても、いつからこうなったのだろう。

 たった一夜でこんな事になるなんてあり得るのかとは考えもしたけれど、しかし気にした所でどうしょうもない。

 恐らくこれまでの苦労とかが一気に来たのだと狩りの答えを出して己を一応満足させた俺は、チラリとクィントゥスに目を遣った。

 苦労や心労の原因であれば、それはやはり第一に奴だ。

 もっとも、これ以上責めたところで意味も無いので、精々これから扱き使ってやる事で赦してやろう。

 そんなことを決めてから汲み置かれた桶の水面で自分の衣服の汚れを見、その程度を確認した俺はレメディアへある事を申し出る。


「ちょっと川で洗って来ていい? それに頭も。ここまであちこち砂が付いてちゃ、ミヌキウスさん達に料理が出せない」


「え? ……まぁ、その状態じゃ当然だよね。良いよ、その代わりすぐ戻って来てよ?」


「おう、ありがと」


 彼女からの許可を取り付けてそう言うと、俺は手拭と着替えの服を抱えて川へと向かう。

 流石に時刻が早いせいか、この時間に起きている人は少なく川への道も誰とも擦れ違わなかった。

 そのまま人っ子一人居ない河原に到着し、着替えの服と手拭を置くと、俺は軽く水に手を入れる。


「うわ……冷たっ」


 幾ら春とは言え、今はまだ日が昇り始めたばかり。

 そうであれば水温が低いのは道理であったし、あまり長いこと川の水に浸かれば体調を崩すこと請け合いであろう。

 それでも火を起こすのは手間だし、レメディアから早く戻って来いと言われている以上、躊躇している暇は無かった。

 取り敢えず全身を一気に洗い流すのはナシにして、まずは頭と顔を水で洗い流していく。

 そして十分に砂汚れが落ちたと思ったら濡れた手拭で全身を丹念に拭き、着替える。

 ちらと視線を手に取った手拭へ向ければ、そこには拭き取った砂で部分が黒くなっているそれが目に付く。


「手間だな」


 これ程の汚れでは、洗い流すにも少しばかり手古摺ってしまうだろうか。

 元より早く戻って来いと言われている手前、今ここで洗濯する気は無いものの、後で洗濯する事を考えても少しだけ憂鬱な気分にならざるを得なかった。

 すぐに湯が沸かせる事ができる事が、どれだけ楽で素晴らしいものなのか、身をもって痛感させられる。

 文明の進歩が、利器が、こういった時ほど羨ましくて、欲しくてしょうがない。

 切実に洗濯機が欲しい。洗剤が欲しい。綺麗な湯が欲しい。

 だが、俺自身の替えの服が元々少ない以上は洗わない訳には行かないのだ。

 朝飯を食べ終わったら他の洗濯物も纏めて洗ってしまおうと思いつつ、服と手拭を抱えて川から踵を返した……直後。




「――ッ!?」




 唐突に、心臓が一段と強く鼓動した。

 それも一度だけではない。二度、三度と拍動の中でも間隔を置いて強く鼓動し、その間隔も段々と短くなって行くのだ。


「な、な......に、がっ!?」


 段々と呼吸も荒くなり、頭の中を凄まじい勢いで流れる血流は俺に頭痛をもたらす。

 喉が急速に渇いて行き、手が震える。嫌な汗が全身から噴き出し、遂に目眩までもが俺を襲い、立っている事すら難しくなる。

 石の転がる河原へ強かに膝をつき、それによって膝からは痛みが訴え掛けて来るものの、もはやそれを気にしている余裕はなかった。


「なん……だ、これ?」


 病気か? だとすれば、俺はどうなってしまう?

 頭痛は弱まるどころかより一層強さを増し、胸に強く感じる痛みもあって、身体を丸めた姿勢で頭を抱える。

 痛い、辛い、怖い、寒い。


「う、あ、ぎっ......」


 もはや言葉を発する余裕はなく、その代わりに漏れるのは獣の様な呻き声。

 激痛は頭部、眼、胸だけでなく全身に及び、それから痛みは徐々に不快感へと変わった。

 そして、いつ終わるとも知れない時間はどれほど続いただろうか。

 気付けば、俺は河原で眠っていた。

 いや、気絶していたと言うべきだろう。





「……うぅ」





 俯せで、頭を抱えた姿勢で目を覚ました俺は、すぐに跳ね起きて周囲を見渡す。

 しかし、俺が気絶してからそこまで時間は経っていないのか、日もまだまだ低く人の姿は無い。

 それにしても、先程の痛みと不快感は一体何だったのか。


「怪我も、なし」


 考えてもその答えは出ず、俺は額と胸にそれぞれ手を当てて深呼吸をしようとするのだが、そこで俺は自分の腕に起こったある変化に気付いた。


「……?」


 それは、純白。

 俺の視界に映った俺の右腕は、今までの日焼けした肌とは異なり、尋常ではないほど白くなっていたのだ。

 慌てて左腕を見て見ればそれはそちらも同じで、両足もまた白く……つまり、全身の肌が白くなっていた。


「何じゃこれ?」


 その全く以って想定し得なかった事態に、俺は目を白黒させて、その場で暫く棒立ちになってしまう。

 だが、その間にも脳味噌は目まぐるしく回転を続け、そうして割り出した変化の原因は、言うまでも無く先程まで俺を襲っていた激痛と不快感だろうという結論に至る。

 それが引き金となってこうなったと考えるのが自然だが、では一体どうしてこんな肌になってしまったと言うのだろう?

 新たな問題を前にして、再び俺のそれが答えを求めて動き出すものの、今度は取り敢えずの答えすら出てくる気配は無かった。


「……」


 ふと、背後にある川へと振り返ってみれば、そこの水面には未だ低い太陽や薄暗い空、山々が映りこんでいる。

 その場所へゆっくりとした足取りで向かい、それから川面に映りこんだ己の姿を見た瞬間……俺は絶句した。

 ただ本当に言葉も出ず、その場で己の(まなこ)を見開いて呆然とせざるを得なかったのだ。


「……何だよ、これ」


 ようやく今になって声が出たと思えば、足から力が抜け、濡れるのも構わず俺は川の浅瀬に手をつく。


「どうして……何でっ!?」


 あり得ない、あり得ない、あり得ない、と心の中で叫び続ける。本当ならその言葉を何度も繰り返し口にしたかったが、驚きのせいか声が出ないのだ。

 バシャリ、と言う水音と共に揺れていた水面は段々と落ち着き始め、再び鏡の様に景色を映し出そうとする。

 それに伴って波紋に揺れていた白い影は次第にその形を取り戻し始め、遂に川へ手をついた一人の少年の姿が映った。


 その少年の姿は、白髪(・・)()()。肌もやはり、驚くほどに白い。


 髪も眼も、本来なら薄い青色――水色である筈なのに、髪は白く、目は紅く変色してしまっている。

 そして、その川面に映った彼は、その紅く変色した眼で俺を見返し、こう呟いていた。


「これって……“白儿(エトルスキ)”、なのか?」


 いや違う。違うはずだ。認めたくない。誰か、違うと言ってくれ。昨日の今日でこんな事になる訳ない。

 幾らそう念じても何も変わる事など無く、ただ川の流れる音だけが辺りにしていた。

 水面に映る、愕然とした俺の顔。

 頭の中を巡る、昨夜俺自身が子供達に語ったあの話。


『今も尚、悪魔の種族の血を引く者が生まれる事があるのです。それらは先祖がそうであったように髪と肌が白く、眼が紅く、そして凶暴です。

 彼らを見つけ次第、討ち果たさなけえればいけません。

 彼らを殺し尽くして、我々の文明の発展に努めよと言うのが、神の御命令なのですから……。』


 ゾワリと、悪寒が背中を撫で、肌を粟立たせる。


「まさか……まさか……そんなっ!」


 最悪の事態の想像が何通りも頭の中を過り、殺されてバラバラになった自分の死体すらもありありと思い浮かんでしまっていた。

 でも、だからといってまだ確定した訳じゃ無い筈だ。

 ただ、今ここで分かる事は、今の俺が白髪紅眼に白い肌である事で、つい先程までとは全く異なる体色をしている事実だけである。

 それ以上の事は――例えば俺が本当に“白儿(エトルスキ)”か否かであるという事は、本人である俺ですら与り知らないのだ。

 ここにはただ、白肌で白髪紅眼の少年が茫然として居るだけなのだから。


 では、どうすればいいというのか?


 幸いにもまだ誰にも見つかっていないので、水面に映る自分を見下ろしながら黙考する。


「...........」


 例えば、素知らぬ顔をして村で暮らし続ける。

 例えば、このまま誰にも知られず村を出る。

 例えば、誰かに頼んで匿って貰う。

 そのどれもが酷く非現実的に感じられて、大袈裟で、滑稽だと思った。

 この中からどれか一つを選んだとして、果たしてその先には何が待ち受けているのだろう。


 だったら、どうすれば良い?


 分からない。考えたくない。知りたくない。失いたくない。怖い。

 再度確認するように、己の髪へと手を当てる。

 だが、幾ら触った所で髪色が判別できる筈も無く、ここに至って髪の毛を一本引き抜いた。

 そうしてこの目にハッキリと映る、真っ白な一条の髪。

 「どうして」と口が微かに動いていたが、その声が鼓膜を揺らす事は無かった。

 その代わりに改めて事実だと認識した事で、再び激しくなった動悸と呼吸が聴覚を占領し、目は一点へと釘付けとなっていたのだ。

 だからだろうか。背後から近付く気配に、この瞬間まで気付けなかったのは。


「!?」


 じゃり、と河原の石を踏む音にハッとするものの、今更慌てても時既に遅し。


「そこに居るのは……ラウ君!? どうしたの、その色?」


「っ!?」


 動揺の色が色濃く滲んだ、聞き慣れた少女の声。

 その声がした方向へ、俺はゆっくりと振り返ると共に、その名を口にしていた。


「レメ、ディア……?」


 背後に立っていたのは、俺よりも頭一つ分背の高い緑髪緑眼の少女。


「……え、まって? ラウ君、それってどういう事なの?」


 端整な顔に色濃い動揺を浮かべた我が家の最年長者が、その緑眼にしっかりと俺の姿を捉えていたのだった。




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