プロローグ
第四章開始です。
前章に比べて幾つか用語に変更もありますが、基本的に話には影響無いので大丈夫かと思います。
但し、更新速度は期待しないで下さい。
誰にも聞こえやしないのに、息を殺す。
片目を瞑り、標的の事だけに集中する。
余分な力を抜き、少しでもブレを減らす。
重苦しいプレッシャーに、固唾を呑む。
もうちょっと、あともう少し右。
ここで……いや、ズレた。修正を掛け、改めて標的を定める。
まだ何もしていない、つまり標的は何も気付いていない。
――ここで、一撃で決める。
呼吸も止め、彼は標的を穴が開くほど凝視していた。
「……帰った、ぞ?」
一仕事を終えた褐色肌の少年は、確保していた安宿の一室の戸を開く。
だが、そこで見つけたのは荒らされ、物の散乱した室内。
安宿故に大した物は置かれていないが、それでも明らかにここで何かがあった。
それを見た瞬間、少年は全てを察した。
「イッシュ! おい、何処だ!? イッシュ!!」
質の悪い冗談であってくれと思いながら、室内を見回し、散乱したものを更に散らかして探し回る。
だが、やはりと言うべきか何処を探しても、室内には誰も居なかった。
幸いと言うべきか、室内に血痕は無く、争った形跡はあるものの害されたという訳では無いのだろう。
ただ、攫われたのだ。
「くそっ!」
悪態を吐きながら部屋を飛び出し、隣に泊っている者の戸を断りもなく勝手に開く。
「おいアンタ、何か変わった事は無かった……っ!?」
だが、そこには物言わぬ死体と化した男が、血だまりに沈んでいた。
舌打ちをしながら今度は逆隣に泊っている者の室内を訪ねても、結果は同じ。
「誰か、居ないのか!?」
このまま一々調べても埒が明かないと判断し、少年は宿の全体に届く声量で叫ぶ。
すると、この部屋から一番離れた場所で物音がする。
この階に、誰か居るらしい。
警戒しながら、それでも逸る心を抑えきれずに音のした方へ駆け付ければ、そこには若い男が一人。
記憶が正しければこの宿の従業員だ。
「おい、何があったんだ? 俺の両隣が殺されて、連れの姿も見当たらない。何か知ってる事は?」
「ひ、人が、人が、皆……」
「落ち着け。良いからゆっくり、順を追って話してくれ」
錯乱しているのか、過呼吸気味の男の両肩を掴み、息が掛かるほどの至近距離で冷静に告げる。
暫くして漸く落ち着いたのか、男は恐怖に体を震わせながらも語り出した。
「突然、無数の男が宿に押し掛けたんだ。要件を訊ねてもだんまりで、勝手に宿の中へ入って行って……俺ら従業員は面倒だから首も突っ込まなかったけど」
「けど、何だ?」
「俺は気になって、丁度この階に居たから隠れて見てたんだ」
体の震えは、更に増す。
恐怖を思い出したのか、彼の目尻には涙が浮かんでいた。
「そうしたらアンタの泊ってた部屋に押し入って、様子を窺ってた他の宿泊者も軒並み殺して……大きな袋を抱えて去って行った」
「方向は?」
「多分、街の南へ……」
あっという間の事だったと、男は頭を抱える。
その後はもう、涙をボロボロと流し、恐怖を訴えて来るだけで話にもならない。
少年はそれ以上話を聞きだす事を諦め、荒らされた室内で荷物を纏める。
「悪いが俺はもうここを出る。通報はそっちの方でやってくれ」
支払いは泊まる際に済ませてある。それどころか後もう暫く滞在する予定だったので、大目に払ってしまった。
勿体ないが、今はそんな事を言っていられる暇もない。
「イッシュ……!」
全財産の入ったリュックのような袋を背負い、肩には布で包まれた棒状の物を担ぐ。
剛儿の少年は、その表情に真剣さを滲ませながら階段を下り、宿屋を飛び出していた。
 




