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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第三章 ウタガワシキハ
60/239

Kill Me If You Can ③

◆◇◆



「走れっ! 走れッ!」


「やってるよ! 俺だって死にたくねえし!」


 背後から凄まじい爆音と爆風、熱風が押し寄せる。


 それらを背中で受けながら、スヴェンと共に森の一本道を遁走していた。


 正直なところ、先程ルクスの魔法によって激痛で悶絶したせいもあって体力は殆ど空っ欠である。しかしそれでも動いているのは、そうせざるを得なかったから。


 ルクスとメルクリウスという、訳の分からない魔法を使う二人の戦いを至近距離で見て、本能的に悟ったのだ。


 このままここに居ては間違いなく死ぬと。


 さらに言えばメルクリウス本人から告げられた言葉も影響している。


『ぼさっとして居たら敵のではなく、私の魔法に巻き込まれるかもしれませんよ? 嫌でしたら早くこの先へ行って下さい』


 そう告げた彼の右手が持つ石が、見る見るうちにドロドロになっていったのだ。


 触れたものの性質を変容させる。メルクリウスの魔法はその類のモノだと聞かされてはいたが、あんなものに巻き込まれては堪ったものではない。


 その時点で多少体力が回復した事もあって、二人揃ってその場を逃げる様に後にしたという訳だ。


 再び、背後で轟音がする。


「「~~~~っ!?」」


 それによって緩みかけた速度が再び上がり、前屈みになっていた上体が寧ろ反り返る。


「この道を真っ直ぐっ、て言ってたけど、いつになったら、着くんだっ!?」


「そんなん、知らんわ! 俺だって、こんな所に遺跡があるなんてっ、初めて知らされたって言ったろ!?」


 互いに息も切れ切れになりながら、道を行く。


 そうして、暫く。


 段々と道が細くなり、遂には無くなってしまう。


 幸いな事に陽が昇って来ているので視界は確保出来ているのだが、そう言う問題ではない。


「道が無いんじゃ、どこ行けってんだよ!?」


「取り敢えず真っ直ぐ行こうぜ。どうやったって元来た道を戻る訳にはいかないんだから」


 そう言ってスヴェンが目を背後に向ければ、また一つ大きな爆炎が上がる。


 結構な距離がある筈なのだが、時間差を置いて爆音が鼓膜を揺らした。


「……しょうがねえ、行くか」


「だろ?」


「いや得意気な顔すんじゃねえよ」


 溜息を吐きながら森の更に奥へ分け入ってみれば、十分とせず開けた場所に出た。


 苔生し、ヒビが入り、古ぼけた石碑。


 石畳で舗装されていたらしい地面はその上に土砂が覆い被さり、または地中を巡った木の根が突き上げていた。


「……何て書いてあんだ? 掠れて読みづれえ」


「文法と字形が明らかに今の文字と違うし、俺も読めねえわ。ってか何年前の遺跡だよ、これ?」


 小鳥が囀り、ぽっかりと開いた青空からは日光が燦々と降り注ぐ。


 これで遠くから爆音が聞こえなければ情緒のある風景だっただろうが、それは今言っても仕方ない事だろう。


 そんな歴史を感じさせる遺跡の中にあって特に目を引いたのが、神殿のような造りをした中心部の建物だった。


 所々剥げた極彩色の塗装と、荘厳な装飾の施された屋根を、派手過ぎない装飾の柱が幾つも支えている。


 前世世界で例えるならば、ギリシア・ローマの建築様式に似ていると言えるだろう。


「アレみたいだな。うーんと、アテネの」

「パルテノン神殿?」


「そうそれ! っても周りの風景とか違い過ぎるけど」


「だな。あの辺の遺跡はここまで色が残ってないし」


「……知れば知る程、俺らの知ってる世界に似てるよな」


「魔法とか言う馬鹿げたものがある時点で、別物だけどね」


 そんな他愛のない話をしながら、その神殿のような建物へと入っていく。


 だが入口へ入ろうとした時、上部に刻まれた文字に顔を顰めた。


「……あれ、何て書いてある?」


「さあ? さっきも言ったけど読めねえって。何となく、共通語の古い形だろうとは想像つくけどな」


「いやちょっと待てよ……悪魔って読めるんだけど?」


「まぁ、もしそうだとしてもこんな廃墟に何があるってんだ」


 一体ここは嘗て何だったのかと思っている間にも、スヴェンは笑い飛ばして先へ行ってしまう。


 その背を慌てて追いかけ、後に続く。


「しっかし伽藍洞(がらんどう)だな。壊れたモン以外には何もねえや」


「確かに。それに大して広くもないし」


 彼につられて周囲を見渡しても、倒壊した彫刻や篝火を置く台があるだけ。


 正面を見遣れば、神殿の側面と後部だけは壁で仕切られた大部屋が目に映る。


 入り口から入ってしまえば、最初からその中まで丸見えという訳だ。


 何の気なしに視線を上に向ければ、背の高い柱が屋根を支えているせいで建物内が殊更広々としたように感じさせてくれる。


 伴って、何も無いこの神殿の静けさをも強調している様だった。


「……奥、あそこにだけ何かあるぞ。変な石が」


「案外、宝物とかあったりしてな」


「それを見つけたとしてどうするんだよ……つーかメルクリウスさんは、俺らにここへ向かわせて何をさせるつもりだってんだか」


 視線を向けた先には、掘り炬燵の穴のように正方形になった部分だけ地面が露出し、そこから大きな石が生えていた。


 その石の形状は水晶の原石のように細長く、角張っている。


 恐らく人為的に加工された物なのだろうが、出入り口を向いている表面にもまた文字が彫られていた。


「おう、コイツは読み易いな。どれどれ」


 そう言ってスヴェンが石碑についた苔や汚れを払い、目を眇める。


「スヴェン、読めんのコレ?」


「……分かち書きされてねえから滅茶苦茶読みづれえ。単語の切れ目も全く分からん。何だこれ? この単語にそんな形あったかな……」


「どう?」


「駄目だ分かんね。日本語の古典読まされてる気分だ。俺もこの世界の文字の読み書きは出来るけど、古語の意味とかは勉強してねえからさっぱりだぜ」


 読んでみろ、と指を差されるがまま従って目を向けるけれど、彼の言う通り分からない。


 単語として読み取れる部分があったとしても、文の意味は全く取れないのだ。


「昔はあったけど俺らの時代には無い格変化もある。単語の意味だって今と昔で違うかも知れない。お手上げだな」


「“大悪魔イウピッテル”って読めるけど……あと、“封印された”って」


「もっと言えばプロクルス・クロディウス・コクレスの名前もある。けど分かるのはほんの少しの名詞と動詞だけ。意味を完全に取るには難しいぞ」


 遠くで轟音が聞こえる中、困った様に二人して頭を悩ませていた、そんな時。



「よぉ、こんな所に居たのか! 探したぜぇ?」


「「――ッ!?」」



 背後から聞こえて来た二つの足音、続いた声に振り返ってみれば、そこには人影が二つ。


 一人は狼人族(リュカンスロプス)の大男。もう一人は長身痩躯の、顔色の悪い男。


 エクバソスとペイラスだった。


「もうこんな所に!?」


「メルクリウスさんは!? 何でコイツらがここにッ!?」


 出入口は一つしかない。だがその一つの場所に蓋をするように、二人の手練れが立ち塞がっているのだ。


 彼我の実力差などよく考えるまでもなく、その戦力差は絶望的だった。


「まさに袋の鼠だな。しっかしこんな場所に遺跡があるってのは驚いた。随分と年季が入ってるぜ、これ」


「古い共通語で“大悪魔殿”と書いてあった。ここがタルクイニ市の近郊にある事を考えると、コクレスの逸話も嘘では無かったと言う事か……」


 顎に手を当て、興味深そうに周囲を見渡すペイラスに、エクバソスが反応した。


「コクレス? ああ、あの白儿(エトルスキ)討伐のくだりか。って事は何だ? そこの石っころにゃあ、あの大悪魔と名高いユピテルが封印されてるかもしれねえって?」


 胡散臭そうな視線を向ける先は、大広間の奥に鎮座するたった一つの巨石がある。


 彼の疑問を肯定するようにペイラスは一度頷いた。


「かもしれん。眉唾の可能性も否定しきれんがな」


「へぇ、まあどっちにしろ俺には関係ねえな。白い方を取っ捕まえて、もう一人の靈儿(アルヴ)は八つ裂きにしてやる」


 言いながら凶悪な笑みを浮かべた彼は、その容姿が見る見るうちに変化していく。


 強面の男であった顔が毛に覆われ、鼻と口が飛び出し鋭い牙を見せる。


 被服はもともとゆったりしたものを着ていたせいか破れる様子はなく、筋肉量や毛皮の増加に伴っても尚、余裕が見られた。


「殺す気が満々だな」


「当たり前だろ? あそこの靈儿(アルヴ)にはちゃんと礼をしなくちゃいけねえんだから」


 採光窓以外からは日の差し込まぬ、やや薄暗い神殿の中で、微かな光をエクバソスの眼が反射する。


 それはさながら、恰好の獲物を前にした餓狼の様であった。


「あら、もしかしなくても僕ちゃん、ここで二度目の死を迎えちゃうかも?」


「ふざけてる場合じゃねえ。匂い袋はもうないのかよっ?」


「御免な、アレ一個作るのに結構時間掛かるんだ。何せ、発酵させるもんで」


「いやだから笑ってんじゃねえよ」


 後頭部を掻きながら、スヴェンは笑っていた。


 この男、事態の重大さを一体どこまで理解していると言うのだろう。


 いっその事コイツを置いてけ堀にして逃げてしまおうとも思ったけれど、流石にそれは即座に却下した。


 今度こそ、彼を死なせる訳にはいかない。


 戦うのだ、もうこれ以上目の前で死なせたくないから。


「今度こそ……!」


「まあまあ、焦んな。あの滅茶苦茶ヤバそうなメルクリウスってのはルクス様が抑えてくれてんだ、ゆっくりやろうや」


 ゆらりとエクバソスの上体が揺れ、そして戦端が開かれた――。





◆◇◆





 遠くで、轟音と共に派手な土煙が上る。


 それを三人の男が、差し込む陽の光を遮るように手を翳しながら見ていた。


「随分とデカいな」


「誰だ、あんな所でやり合ってんのは? あの辺は森しかない筈なんだが」


「もしやラウレウス達の身に何かあったのか? ここからでは建物や城壁が邪魔で何も見えん」


 この街、つまりタルクイニ市では言わずと知れた上級狩猟者(スペルス)の三人組は、真剣な表情でそちらを眺めていた。


 尚、その三人の中でリーダー的存在であるガイウス・ミヌキウスは、その左手で気絶した男の髪を掴みあげていた。


「ぢ、畜生(ぢぐじょう)っ…!」


 全身を見るも無残な襤褸切れのようなその男の名は、カエソニウス。


 タルクイニ市で傭兵隊長として雇われ、今や領主すらも凌ぐほどに権力を持っていた男の成れの果てだった。


「アンタも災難だな。仲間だと思ってた猛者二人があっさり踵を返しちまって」


「幾らお前自身が手練れだとしても、俺らと三対一じゃどうしょもねえやな」


「大方、一時的に手を結んでいたのだろう。それを頼りにしたこの男が馬鹿だと言う事だ」


 もはや体を動かす余力もない、髪を掴みあげられたまま為す術の無いカエソニウスに対し、三人は言いたい放題だった。


 白目を剥き、折れた歯の覗く口を大開きにした当人は荒い息と唾液、鼻血などを流しながら言葉を絞り出した。


「お前ら、ごんなごとじでダダでずむど(ぼも)うなよ……(ぼれ)の、(ぼれ)配下(ばいか)が、(がなら)ずお前らを……!」


「何言ってんだこいつ?」


「さぁ? どうせ負け惜しみだろ」


「それはそうと二人共、気を引き締めるぞ。ここから先はいよいよ本番だ」


 槍を肩に担いだマルクス・アウレリウスが視線を向ける先は、街の大通り。


 その奥からはわらわらと無数の兵士が湧き出して来ていた。


「頭を倒したってのに健気なもんだ」


「ま、あの豚貴族の時に比べたら楽かもな。大した実力の奴が居る様には見えねえ」


「あの時に比べたら腕が上がっている。もうあのような不覚は晒さない。だがそれは別としてガイウス、後で一発殴らせろ。今回も全ての原因はお前なんだからな」


 三者三様、その身に強者の風格を宿しながら、彼らは多勢を睨みつけていた。





◆◇◆





 昨夜戦った時点で、己とエクバソスとの力量差は悟っていた。


 真正面からやっても絶対勝てない。実力が上がったと思っていても、勝てない。


 簡単に泥を付けられて、踏みつけられてしまう。


 おまけに今はペイラスと言う厄介な魔法を使う者まで居るのだ。


 空間魔法とでも言うのだったか、あちこちから自由自在に奇襲をかけて来られては、為す術もない。


 そう思っていたが、違った。


 今は桜井 興佑(きょうすけ)が、スヴェンがいたのである。


「魔法に相性があるのは誰でも知ってる。勿論、修練も大事だけど、自分の強みとかを理解すれば格上も食える。こういう命の掛かってる場面で同じ土俵で戦ってやろうってのがそもそも間違いなんだ」


「このガキが! 調子に乗るな!!」


 無数の砂人形に囲まれたエクバソスが、猛々しく吠える。


 だが彼とペイラスは、未だこちらへ近付く事さえ出来なかった。


「ここは狭い場所で屋内。だけどもう廃墟みたいなもので、入り込んだ砂なんて幾らでもある。逃げ場がないのはそっちだぜ?」


「……小癪な」


「やらせねえよ!」


 突如、敷き詰められた石畳の隙間から一本の砂の針が伸びる。


 それを察知したペイラスが舌打ちを一つして、後退した。


 状況を利用して相手の出鼻を挫き、常にこちらが先手を取るという、戦いの中で理想的な局面の一つを生み出す事に成功していたのだ。


「……やるじゃん」


「偶々だ。それに俺だって気を抜けねえ。何かの拍子に逆転されそうで怖いったらありゃしねえんだ」


 そんな遣り取りをしていた時には、目にも留まらぬ速さでエクバソスが迫っていた。




「「~~~~っ!?」」




 大慌てでスヴェンの手を引き横へ逃れれば、虚空となった場所を鋭爪が駆け抜ける。


「くそ、速過ぎるっ!」


 チラリと彼が生み出した砂人形の方を見遣れば、その数は一瞬のうちに大きく減っていた。


 それをカバーすべくスヴェンが再生産するのだが、その時間は隙でしかなかったらしい。


「おわっ!?」


 慌てて跳ね上がり、脚の腱目掛けて振るわれた短剣を躱す。


 間一髪斬られる事は無かったが、地面へと沈んでいく短剣と手を見ながら背中を粟立たせた。


 しかし、恐怖はまだ終わらない。


「ラウ!」


 今度は切羽詰まった様子のスヴェンが強引に手を引き、地面へと押し倒された。


 驚きに見開いた己の眼に映ったのは、獣のように疾駆するエクバソスの背中だった。


 また、それと同時に視界へ入る、ペイラスの姿。


 再び奇襲を掛けようと言うのだろう。恐らくこの二人、綿密な連携でこちらに反撃をさせない気なのだ。


 真面に対応が出来ない間に勝負を付ける意図が、見え透いていた。


「このっ……!」


 毎度毎度、やられっぱなしで居て堪るものか。


 先程まではスヴェンが活躍してくれたのだ、今度は自分が動く番ではないか。


 その気持ちに触発されたかのように、周りで白弾(テルム)が一気に形成されていく。


 そしてそれは、ある程度の大きさにまでなれば、勝手に正面へと飛び出していくのだった。


 バラバラと、足並みの揃わぬ射撃。だが数はそれなりに揃っていて、威力が弱くとも牽制にはなったらしい。


 エクバソスとペイラスは後退し、神殿の大広間の入り口付近に立っていた。


 距離にしては十五M(メトレ)ほど。


 自分自身の体調もあって近接戦闘に不便がある身としては、最適な距離だった。


「このまま押し切る!」


 出し惜しみなどをしている暇はない。倒せなければ、退けられなければ、もう後は無いのだ。


 体内に残存している魔力を全て使い切る覚悟で、白弾を生み出し、撃ち出す。


「厄介な……!」


「ペイラス、頼むぜ!」


「任せろ」


 攻撃対象である二人の内、ペイラスが苦々しい表情をしながら魔法を展開する。


 するとその途端、ガトリング弾のように殺到する無数の白弾(テルム)の弾道が、不自然に逸れ始めた。


 彼ら二人を避けるように左右に、上にとあらぬ方向へと外れるのだ。


 その結果、遺跡内の壁や天井、床などあちこちに白弾が直撃してそこを破壊していく。


 見るからに堅牢そうな造りであるこの遺跡も、流石に放置されて久しく、砕かれ瓦礫の落ちる音が悲鳴のように上るのだった。


「ラウ、何処狙ってんだ!?」


「アイツが逸らしてんだよ! そのせいで全然当たらねえ!」


 崩落してくる瓦礫を見ながらスヴェンが文句を言うけれど、それでも攻撃の手は止めない。


 長い間蓄積した埃が宙を舞い始め、既に敵の姿はぼんやりとしか視認できない以上、その動きを封じる必要があったのだ。


「もうよせって! この遺跡がぶっ壊れちまう!」


「そうは言ってらんねえ! さっきの見て分かっただろ、アイツらと真面にやりやっても勝ち目は薄いんだよ!」


「けどっ、このままじゃ俺らも巻き込まれかねないぞ!?」


 広間全体に立ち込めて来た埃に咳き込まされながらその指摘を受けた、その時。


 埃の向こうに居る敵目掛けて放っていた白弾の幾つかが、俺達の頭上へと跳ね返されたのだった。


「「!?」」


 ただでさえ経年劣化していたであろう所に、それなりの威力を持った白弾(テルム)が数発直撃したのである。


 瞬く間に、頭上にあった天井が瓦解したのは当然の事であった。


「やべ」


「だから言わんこっちゃない……!」


 恐らく攻撃を逸らしていたペイラスが、反射する角度を変えたりでもしたのだろう。


 そのせいで今、特大の瓦礫が落下してくる。


 止むを得ずエクバソス達に放っていた白弾を頭上に向け、大きな瓦礫を破砕する羽目になっていた。


 それと共に、スヴェンも文句をぶつくさ言いながら手伝ってくれる。


 だがそれは仕方ないとは言え、同時に敵を自由にしてしまった事と同義であった。


「……ぶち殺す」


「――ッ!?」


 粉々に砕かれた瓦礫が雨のように軽く体を打つ中、微かに聞こえた呟きに目を剥いた。


 腕で大きめの瓦礫から頭を守りながら、声の聞こえた方へ素早く目を走らせれば、薄暗い砂埃の中で殺意の籠った双眸が蠢いている。


「スヴェン!」


 あの男の狙いは彼だ。自分の親友だ。今度こそ絶対に死なせてはいけない存在だ。


 何があってでも、生かす。


 その意思は、エクバソスがその俊足で動き出すよりも早く、この体を衝き動かしていた。


 間に合えと手を伸ばし。


 かつて守り切れなかった少女の姿を幻視し。


 今度こそは成し遂げると胸に決めたこの思いは、果たして成就した。


 ほんの少しの差でスヴェンを突き飛ばした直後に、右側部から凄まじい衝撃が襲い掛かってきたのだ。


 驚きに見開かれた彼の顔をスローモーションのように見たと思えば、景色が一変。


 受け身も取れずに左半身を大きな石碑に打ち付けられ、左側頭部も強打する。


「がぁっ……!?」


 余りの衝撃に意識が飛びかけた。


 そして遠退きかけたそれを、遅れてやって来た激痛が引き戻すのだった。


「ラウ!」


「庇い立てしやがって……健気なモンだ」


 スヴェンの声に続く、エクバソスの嘲笑。


 どうにか打ち付けられた石碑に寄り掛かって転倒は避けるも、たった一撃で脚はガクガクだった。


 おまけに先程まで使わずとも放さず持っていた短槍も手放してしまい、今はエクバソスに拾われてしまっている。


 メルクリウス達から貰った、貴重な武器なのに。


「返、せ……!」


「あ? 返せって? ……ああそうかい、おらよっ!」


「!?」


 嗜虐的な笑みを浮かべたエクバソスは、言い終わらぬうちに槍を投げ付けて来る。


 危ない、避けなくては――そう思っても深刻なダメージを負った体は従ってくれず、結果。


「――――――ッ!?」


 短槍の鋭い穂先は容易くこの左肩を貫通し、更には(もた)れ掛かっていた石碑にまで突き刺さってしまう。


「はははははっ! 良いねえ、実に良い悲鳴だ! これこそ無力な人間のあるべき声! 姿ってもんだ!」


「この……馬鹿にしてッ!!」


「そりゃあそうさ。(よえ)え奴は馬鹿にされて、カモられて死んでくのが当たり前なんだからよぉ! スヴェンとか言ったか、お前も白髪のガキと同じでご立派な理想でも掲げてんの?」


 視界が霞み、耳鳴りが止まない中で、スヴェンとエクバソスの遣り取りが聞こえる。


 そんな話をして居ないで早く逃げろ、と声を上げたいけれど、体を強く打ち付けたせいか咳しか出ない。


 ならば直接歩いてと脚を動かそうにも、左肩が文字通り縫い付けられている為、少しも動けなかった。


 ――畜生。


 喉からせり上がって来る血を吐き出し、己の不甲斐なさに涙も出て来る。


 このままではスヴェンが、(きょう)(すけ)が殺されてしまう。


「ラウレウス、お前は仲間が悲鳴を上げながら無残に死んでいくのを、そこで見てろ。散々俺達の手を焼かせた罰だ、覚悟は出来てんだろ?」


「……そんな簡単に殺されて堪るかよ」


 空を隠していた天井はその殆どが崩落し、支柱も倒壊している。段々と立ち込めていた埃が霧散していくと、青空が頭上一杯に広がっていた。


 しかし太陽は体の表面を温めてくれるだけで、恐怖によって底冷えした心の中にまでは届いてくれない。


 今の俺の心内がそうであるように、スヴェンのそれも同様なのだろう。


  冷静さを取り繕っている様でも、その声は震え、笑みは引き攣っていた。


「俺はスヴェンであり、そして桜井 興佑(きょうすけ)だ。二回続けて早々に世界から退場なんて御免被るぜ」


「なに訳分かんねえこと言ってんだ。幾ら藻掻いて足掻いたところで、もうお前の人生はここで終わりだぜ」


 馬鹿にした声音で反論し、エクバソスはゆっくりと歩き出す。


 向かう先は、当然スヴェン。


 対象とされた本人はその接近速度に合わせる様に後退り、身構えている。


「早く……早く逃げろって……!」


 俺は全身のあちこちが悲鳴を上げる中で、必死に体を動かそうと努める。


 左肩に突き刺さった槍のせいで傷口からは絶えず血が流れ、力を込めてしまえば血圧が上がって出血も酷くなっていく。


 それでも、止めない。


 友達を、これ以上目の前で失いたくないから。


「……止めて置け、出血多量で死ぬぞ」


「知ら、ねえよっ!」


 いつの間にか目の前に立っていたペイラスが忠告をして来るが、聞く耳など持たない。


 早く、早く助けに――。


 そう思ってエクバソスの背中を睨み続けていると、不意に彼が弾かれた様に振り向いた。


「おいペイラス、何だそれ(・・)は?」


「分からんっ、だがこれは……!」


 一斉に向けられる視線。その中にはスヴェンのものも含まれていて、戸惑いを隠せず己の体を見下ろした。


 しかし見た限り、自分には大した変化がある様には見受けられなかった。


 ただ、いま己が槍によって縫い付けられている石碑に、変化があったのである。


 ――温かい。


 小さい何かが砕ける様な音が石碑のあちこちからする中で、これそのものが発する()を知覚した。


「どうなってんだ、こいつは……?」


 不思議と恐怖心は無い。


 得体のしれない遺跡の神殿の中で、ただの石碑だと思っていた物に変化があるというのに恐怖という感情が湧かないのだ。


 ――そして、唐突に石碑が砕け、崩落した。




 後に残ったのは粉々になった破片と、屈強な体を持った一人の男(・・・・)だった。




「……?」


 全く以って想定していなかった事態に、周りの誰もが無言のまま男を注視しているが、当人はそれを歯牙にも掛けない。


 彼もまた何も言わず手を結んでは開き、体の調子を確かめているらしい。


 このままもう暫く沈黙が続くのかと思ったが、不意に男は顔を上げてペイラスに目を向けた。


「……そこの(なんぢ)、今は(われ)が封印されてから何時(いづれ)ばかり()りきや? 申し訳なけれど教へなむ」


「古語? また面倒な……その前に二つ訊ねばや。貴方の名は? それと、ここに封印されきと言うきは、人にも非ずや(・・・・・・)?」


 それに対して、話を振られたペイラスは険しい表情を見せながら問い返せば、男は間を置かずに答える。


「良く分かれりな。我はティン、汝の言う通り精霊なり。」


「なるほど……ここが“大悪魔殿”などと大仰な名で書かれていたのは強ち間違いではないと言う事か」


「いや待てペイラス、どんな意味だよ?」


 暫し二者の会話を傍観していたエクバソスが声を上げ、話が見えないと言う。


 それに対し、呆れた様に息を一度吐き出したペイラスは、ぞんざいな口調で応答した。


「ここの神殿は古い文字、具体的には千年ほど前の字形と建築様式が使われている。まだラウィニウムが共和制であった頃の時代だ」


「……はぁ、で?」


「馬鹿には(みな)まで言わねば分からんか」


「何をぅ!?」


 心底呆れた様な小さな呟きは、幾ら距離があったとしても狼の聴力なら十分だったらしい。


 声を荒げる屈強な男の怒声が向けられるが、慣れた様子で瞑目しながら話を続けた。


「千年ほど前の遺跡で、大悪魔神殿と文字が刻まれているんだぞ。しかもここは、あのタルクイニ市近郊の森。ここまで言えば分からん脳味噌ではあるまい?」


「……あ! ああ、白儿(エトルスキ)の話か! タルクナ市でクロディウス・コクレスが成し遂げた、大悪魔ユピテルの封印! 千年前のあの伝説の!」


「ここまで言ってようやく合点がいくのか。残念過ぎるぞお前の脳味噌。中身も九割がた筋肉が占めてるみたいだな」


「ぐ……」


 察しが悪かったのを自覚したか、エクバソスが獣の顔を歪め、視線を逸らしていた。


 だが会話をしているのはその二人だけでは無い訳で、石碑から現れた男が話に割って入っていた。


「や、待て! 千年とな!? しか、しか我や封印されたりし!?」


 聞いていた二人の会話――その一部を聞き取ってか、ティンは愕然とした表情を浮かべている。そして、ペイラスから無言の首肯を受け取ると天を仰いだ。


 俄かには信じられないのだろう。


 だがそれは、大悪魔と呼ばれるユピテルを目の前にしている俺達も一緒であった。


「貴方は大昔ティンと呼ばれしけめど、今はラウィニウムの(こと)()にユピテルと呼ぶが主なり。邪悪な白儿(エトルスキ)と徒党組み、この地荒らし回りし大悪魔としてなり」


「……左様か。その口振りと、ラルス()ぞ助からざりしめる」


 腰に手を当てて嘆息するティンは、照り付ける日差しのせいか微かに目を細めていた。


 その間にエクバソスが、ペイラスに話しかける。


「なぁ、結局どういう事だ? コイツはマジモンのユピテルなのか?」


「詳細は大昔のこと故に私は与り知らん。本当にこの者がユピテルであるのかも分からないが、少なくともあの喋り方、随分と古い言い回しが目立つ。年季が入った精霊であろうとは理解できるがな」


 話しただけでは色々と確証が持てない、とペイラスが告げ、エクバソスはよく理解出来ていないのか適当に合槌を打っていた。


「……」


 だがそんな空気にあって、ただ俺一人だけは違った。


 全身の痛み、肩に突き刺さったままの槍の痛みすら忘れ、現れた不可思議な男の顔を凝視していたのだ。


「お前……」


 その顔、知っているぞ。見覚えがある。忘れもしない、何度夢に見た事か。


 絶対に許さない。絶対に許せない。あの時に必ず殺すと決めた、憎たらしい顔だ。


「お前っ……!」


「我に何か?」


 吐き出すような呟きが男にも聞こえたらしい。


 その金色の眼がこちらを見据えるが、見れば見る程あの時の男にそっくりだった。


 一瞬で体に力が籠ったせいか、喉の奥からこみ上げて来た血が口許を伝う。


 未だに石碑へ叩きつけられたダメージが残っているのは明らかだったが、それを意志で捻じ伏せて歩く。


「お前ぇ……っ!」


「……汝、槍が肩貫通したり、いみじき(かたち)ならずや。安静にせよ、まづは手当てして……」


「手当て? お前が、俺を手当て? ……冗談も大概にしろ」


 心配そうに、そして怪訝そうな顔をして見て来るが、俺は知っている。俺だけが知っている。


 この男が、この顔が、そんな事を本心でする訳がないと。


 何故なら、何故ならこの男は。






「この人殺しがぁぁぁぁぁあっ!!」






 前世のあの日、忘れもしない七月十七日。


 あのショッピングモールで、俺を始めとした多くの人を殺した張本人の顔なのだから。


 だからこの男を許さない。己の、そして皆の仇なのだから。


 そして今、俺はこの世界で“白儿(エトルスキ)だから”という理由で他人から追われている。


 目の前の男に殺されなければ、こんな目に遭わなくて済んだというのに。



 ――ここまで殺意が湧いたのは何時ぶりだろう。



 そんな事を思いながら、男に目掛けて幾つもの白弾(テルム)を放っていたのだった。





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