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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第一章 コノヨニウマレ
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REVIVER ②



「うーっ、酷いよラウ君、昨日あんなに私を扱き使って……お陰でまだ疲れがとれてないんだけど」


「そりゃ良かった。それこそ扱き使った甲斐があるってモンだ」


 三名の客人を迎え入れてから一夜明け。

 既に狩猟者(ウェナトル)の三人は依頼の為に村周辺の森へ探索に出かけ、家には既に起床した俺とレメディア、そして今も熟睡しているクィントゥスと子供達、つまりいつもの面子が残って居た。


「今日は他の皆を起こさないの?」


「遅くまで話してたみたいだからさ。それなのに、ミヌキウスさん達は普通に元気だったけど」


 精々四時間程度しか寝てない筈なのだが……大丈夫なのだろうか。

 寝不足でウサギ一羽しか獲れなかった、とか言われたら流石に泣く。ウサギ肉を十一等分したら、一体どれだけしか食えないと言うのか。

 正直今の生活から見れば肉があるだけ豪華だが、それでも日本の食事と比べてしまえばやはり足りない。

 一度贅沢を知ってしまうと本当に大変だ。

 今にも溢れてしまいそうになる郷愁の念を振り払うように(かぶり)を振り、そして寝息を立てて今も寝ている連中の方に目を向ける。


「アイツら、昼になったら起こせば良いだろ。レメディアと俺だけで今日の水やり作業はやっつけとこう」


「ラウ君、私は体が筋肉痛だから休みを……」


「駄目。昨日は昨日、今日は今日。ただでさえ今は、寝坊助どものせいで人手が足りないんだから」


「そんなぁ……」


 渋るレメディアの手を引き、村の端を流れる川へと桶を持ちながら向かう。

 この村――グラヌム村の水源には、共用の井戸が二つと然程大きくも小さくもない川が一つ。計三つがある訳だが、井戸は俺の家から遠く、川は畑に近い場所にある。

 その川の水はここが田舎な事もあって特に澄んでいて、我が家では農業用水だけでなく飲料水の確保、八人分の服の洗濯などもここで行っているのだ。

 そんな我が家の生命線ともいえる水源へ向かう道中、同様にして水を汲んだ村人たちと行き違う。


「おう、ラウレウス! 今日はレメディアだけ? 他のはどうした?」


「寝坊ですよ。全く、夜更かしも大概にして欲しいもんですね」


 違いない、と言った三十代も半ばの男性と簡単な挨拶を交わしてから別れ、俺達は再度歩き出す。

 だが、そこで不意にレメディアがその歩みを緩めると、俯いて俺の背にその身を隠しだした。

 もっとも、彼女の方が背は大きいので隠れ切れる筈も無いのだが。

 それでも彼女の行動に何事かと思っていると、向こうから歩いてきている一人の男が目に留まり、俺はその顔を認識して思わずその足を止めてしまった。


「きゃっ!?」


 急に俺が止まった事で反応できなかったのだろう、レメディアは自身の頭をこちらの背中に激突させて声を漏らしていたが、今はそんな事などどうでも良かった。

 まだ向こうが気付いていない内に今は引き返すべきだと思ったものの、その判断は少し遅く、男は顔を上げてこちらを視界に収めていた。

 男は特に何か用があった様子でもなく、ただ詰まらなそうに散歩をしていたらしいが、その灰色の瞳がこちら――レメディアを捉えた瞬間、その口端を歪める。


「おやぁ、そこに居るのはレメディアじゃねーか。今日はそこの生意気なガキと二人っきり? ひょっとして他の奴らは全員死んだのかよ?」


 そう言ってさも愉快そうに笑うこの男の名は、ルキウス・クラウディウス。

 この村の有力者である村長の十八歳になる息子で、村人からは表立って嫌われているドラ息子である。

 有力者と言っても所詮農民なので非常に強い権力を持つわけでは無いものの、領主と繋がりのあるせいで多少は融通が利いてしまうのがクラウディウス家だ。

 村長はそこまで目に余る行動はしていないが、自らの立ち位置を理解しているルキウスはそれをカサに着てあちこちで問題行動を起こして来た。


「ルキウスさん、期待させて申し訳ないがガキどもは皆ピンピンしてますよ。そう簡単に死ぬわけ無いでしょ」


「あーらら、そうかい。この前もガキが一人野垂れ死んだって聞いたんだけどな、残念だ」


「あーはいはいそうですね。じゃあ、もう要件は終わりで良いですか?」


「……っ、てめぇ俺の話を流すたぁ自分の立場分かってんのか!? あぁ、孤児の分際で!!」


 年齢は俺と比べて五歳ほど上だが、その性格は非常に激しやすく、ほんの少し挑発したり、雑に相手をしただけで簡単に乗って来る。

 この程度で怒るのかと思いつつ、今まさに掴み掛らんばかりの体勢をしているルキウスを警戒する。だが彼はそれ以上何もして来ず、チラチラとレメディアに目を向けながらこう言った。


「まぁいいさ、俺は寛容だからな。それよりもレメディア、何度も言うが俺に嫁がねえか? そうすればコイツの今までの暴言も水に流すし、良い暮らしが出来るぞ? 今までとは違う、ひもじい思いなんてしない生活だ」


「……何度も言っていますが、お断りします。私だけ助かったって意味ありませんから」


「お前が嫁になった暁には、そこの気に食わないガキも含めて保護してやるってんだよ。十分魅力的だろ?」


「結構です。では、もう良いですか?」


 一瞬ためらいつつも、結局は毅然とした態度で物申すレメディア。

 その彼女のぴしゃりとした拒絶を受けたルキウスは、その顔を真っ赤にして小刻みに震えていた。


「……これだけ言っても、あくまで俺に従わないってんだな。けど、無理矢理ってもの悪くねえ。精々今を楽しめよ」


「そうやってまた誰かに泣きつくんですか。少しは自分でどうにかするとか、考えましょうよ」


「うるさいっ! 俺に指図するなッ、貧農風情が!」


 それだけ言うと俺を一睨みした後は踵を返して、村長宅のある村の中央へと肩を怒らせながら歩いて行く。


「やり過ぎたかな?」


 段々と遠ざかって行くルキウスの背中を見ながら、レメディアがポツリと呟きを漏らした。

 どうやら勢いで暴言を吐いてしまった事を今頃後悔している様だが、その前に俺が怒らせているので彼女が自制した所で意味は無かったと言える。


「気にすんな。それに、あの人は口だけで実際大した事はしてこない。多分村長が好き勝手やらせない様にある程度調整してるんだろうな」


「やっぱりそうだよね。でも、あの人が村長になったりしたら……」


「ならないだろ。仮になったとして、すぐに不満が爆発だ。あと少ししたら村長候補が変わってるだろうさ」


 そう言って再度歩き始めると、元々距離が短かった事もあってあっという間に川岸に到着した。

 そこからすぐに水を汲み、来た道を戻って畑に水を撒く訳だが、まさにその最中に今度は別な人物と遭遇する。


「おやお二人共、おはようございます」


 言葉と共ににこやかに微笑む声の主は、灰色を基調とした法衣を羽織った金髪の壮年の男性だった。


 その名はアッピウス・パピリウス。この「グラヌム村」という教区の統括者であり、中央に建つ『天神教』教会堂の主――即ち司祭。

 彼はその背後に二人の従者らしき男性を連れ、どうやら村を見て回っていたらしい。

 向こうから挨拶された以上返さない訳にも行かず、俺達も彼に会釈しながら挨拶し返す。

 それから、互いに貼り付けた笑みで今日の天気だとか作物の育ちだとかの雑談を交わし、面白くもない話に笑顔を保ちながら答えていく。

 そうしてどれほど話しただろう、不意に俺との話題が切れたところでパピリウスはその金眼をレメディアに向けていた。


「ところでレメディアさん、以前も御話ししましたが、神に仕えてみる気はありませんか? その魔法の腕なら、万人の役に立つ事も保証できますよ」


「はい……有難い申し出ですが、お断りします。これまでも言ってきた事ですが、私には守りたい家族がいますので」


「相変わらずその答えですか。勿体無い……ですが、貴方の言う事も一理はあります。心変わりがあればお伝えください、貴方ならいつでも歓迎しますよ」


「ええ、御心遣い感謝申し上げます、司祭様」


 辞退されて尚も柔らかい表情、声音を始終崩さないパピリウスと、それに負けじと同様のそれで返答するレメディア。

 二倍どころか四倍以上も歳が離れている相手に良くもここまで仮面を着けられるものだと、俺は彼女を見ながら感心してしまった。


「時にラウレウスさん」


「はい?」


「先月のサティアさんの件は再度お悔やみ申し上げます。あの時葬儀を挙げた身としても、幼い子供が亡くなると言うのは悲しい事ですからね」


「ええ、まだ八歳になったばかりでした。まさか病気でああも簡単に死ぬとは思いませんでした。……せめて、治療法だけでも教えて貰えれば(・・・・・・・)


 わざと沈痛な面持ちを保ちつつ、俺は彼へとそんな言葉を返す。

 それを聞いたレメディアとパピリウス側の従者二人は驚いたように目を見開いたが、しかし当のパピリウスはそれを特に気にした様子もなかった。

 全く狼狽えない彼は、やはり流石と言うべきだろう。


「治療法……治療魔法の術式ですか。申し訳ないですが、教会のそれは門外不出。レメディアさんが教会の人間となれば授けられるかもしれませんが」


「授けたところで、彼女に治療を依頼しようにも莫大な治療費を提示する気でしょう? それでは意味がないんですよ」


「意味? 意味ならありますよ。身内であろうと分け隔てなく厳正である事は、この世界の規律と人々を守る上で非常に大切ですから」


「人を守る為の規律が、人を殺すんですか? 面白い理論ですね」


 尚も沈痛な面持ちを保つ一方で、自分でもはっきり分かる程に攻撃的になって行く俺の言葉。

 このままではいけない。俺の中で心臓と言う名の警鐘が何度も鳴らされるが、鐘が鳴った所で止まるものでも無かった。

 もう、言ってしまおうか。異端だとか、そんなのは関係ない。これ以上、規律の名のもとに救える命を見捨てる奴に気を遣う必要は無い筈だ。


 そうだ、そうだ、そうだ。


 こんなクソ宗教なんざクソ喰らえだ。十分の一税とか取り立てて置きながら、その見返りなんて一切ない。ふざけてやがる。

 前世の世界でもそうだった。神の名のもとに暴利を貪り、教義を盾に庶民には清貧を押し付けて好き放題。

 芸術面などでは悪い事ばかりではなかったけれど、こうして搾取される側に回ってみればどうだ。

 神の祝福云々などとほざくだけで徴税し、困った所でその神とやらは何も救ってくれやしない。


 馬鹿馬鹿しい。俺達はお前らの為に働いてる訳ではないのだ。


 不満と言う名の水が満ち切った堰に、亀裂が入る音が聞こえた。決壊すればもう、止めどなくそこからは呪詛の言葉が溢れる事だろう。

 でも、どうせここで暴言を吐いたって処罰されるのは俺だけ、レメディア達には関係が無い筈だ。


 そんな気持ちと共に俺は息を吸い込み、そして――。





「あっ、ラウ君! そろそろ皆を起こさないとじゃないかな!? ほら、いつまでも寝かせっぱなしになんてしておけないし!!」





 寸前で、レメディアが割って入っていた。


 唐突に上がった彼女の声に俺は肩を跳ねさせ、流石のパピリウスもその目を見開いてそちらに目を向ける。


「ほら、行くよラウ君!」


「なっ、えっ、ちょっと……」


「司祭様、私達の為に貴重なお時間を割いて頂き有り難うございます! では、これにて!」


「え、ええ……良い一日を」


 強引に俺の手を取り、パピリウスへも別れの挨拶を一方的に告げると、呆気にとられる彼らをそのままに家へと直行する。


「お、おいレメディア……?」


「……」


 二歳年長な事もあって俺より頭一つ分大きい彼女の顔は、表情の殆ど窺えない背後から見ても明らかに怒っている様で、それでいて足取りは軽かった。

 そんなちぐはぐなレメディアの背中を見て困惑していたが、そのまま彼女に引き摺られるようにして家の中へ連れ込まれる。

 そして、ここに至って漸く振り返った彼女の顔は、完全にブチ切れていた。


「ラウ君!? ホントに何考えてるの!? あのままでも不味かったのに、その上で暴言なんて放ったら駄目だよ!? あれ以上の事を言えば良くて村八分、最悪処刑されるかもしれないんだからさ!?」


「いや、悪かった……ついカッとなって、そのまま歯止めも掛からなかったんだ」


「掛らなかったじゃなくて! 歯止めは掛けるものでしょ!!?」


「ご、ごめんなさい……」


 その余りの剣幕に、俺は顔も上げられずに俯いて謝罪の言葉を述べるのみ。

 また、彼女のその大声は熟睡していたクィントゥス達の目覚ましとなったのか、藁の敷き詰められた寝床からは時折誰かの呻き声が聞こえていた。


「どうせ罰せられるのは自分だけとか思ったんでしょ!? 確かにそうかもしれないけど、その後残される私達の事も少しは考えたらどうかな!? 我が家の家事担当は私とラウ君、それにクィントゥス君しかいないんだよ!?」


「はい、全くその通りに御座います。以後気を付けますので、どうか御赦しを……」


「まだまだぁっ!!」


「えぇ……」


 お叱り、未だ止まず。

 怒髪天を衝いた彼女の姿は前世の記憶と人格を持つ身からしても、大層恐ろしい。

 俯いた状態でチラリと周りに目を向けると、既に目を覚ましたらしいクィントゥスが青褪めた顔でレメディアの方を見て居た。

 普段怒られても特に効いた様子もない彼がそうなるという事は、本当に今の彼女がヤバいという事の証明に外ならず、自然と俺の顔からも血の気が引く。

 前世の人格を持っていて、精神的には年上であっても勝てない事はなるんだなと思いつつ、早くこの恐ろしい説教が静まるよう、願っていると。





「――クィントゥス兄ちゃん、大変大変! グナエウスがお漏らししちゃってる!!」





「はぁ!? 何処だ!? 何処で何を漏らしやがった!?」


「だって、だって……怖い夢見たんだもんっ!」


「そ、そうか、それは大変だったな……って馬鹿! その状態で抱き付くな(くせ)えぇぇぇぇぇっ!」


「「……」」


 唐突に巻き起こる、阿鼻叫喚。

 泣き喚く六歳のグナエウスと、それに抱き付かれてしまったクィントゥスの織り成す二重奏に、俺とレメディアは先程までの空気を忘れて呆然としていた。

 それから思い出したようにお互いに噴き出し、互いに向き直る。


「……何か、怒る気失せちゃった」


「そりゃよかった。でも、あの時は止めに入ってくれてありがとな。冗談抜きで心の内を全部、ぶちまけそうになったし」


「って言うか、ラウ君は最初から喧嘩腰だったでしょ。次からはもう少し冷静になってよね」


 尚も家の中に響き渡るクィントゥスの絶叫を背後に、レメディアはそう言って微笑んでいた。


「ただ、私も肝心な時に全く頼りにならない神様なんて信用できないし、領主様と一緒で税金だけ持ってく教会も余り好きじゃ無いから、少しスッキリしたけど」


「だったらそんなに怒らんでも……」


「それとこれとは別問題でしょ。軽率な行動は慎む様に!」


「……はい」


 ピシッと右の人差し指を向け、以前より膨らみの大きくなった胸を張りながらそう命令してくる彼女に、俺は目を逸らしながら短く返事をする。

 すると、それを聞いて満足したのか一度頷いたレメディアは「あと」と言って言葉を付け足してきた。


「サティアちゃんの件、まさかラウ君が怒るなんて思わなかったな。あれだけ私に気にするなだとか言ってたのに、あそこまで司祭様を(なじ)るなんて」


「そりゃ、別に俺はあいつが死んだのを悲しんでいない訳じゃ無いし。ただ、今までの経験上、余り引き摺らない様になってるだけだから」


 寧ろ、お前以外の皆はそうだよと言いながら、俺は未だに騒いでいるクィントゥスと子供達に目を向ける。


「……死んでほしいと思ってる奴なんて、ここには一人も居ないし、居なかった。あの笑顔が一つ消える度に感じる喪失感は、五年前も今も、全く変わってねーよ」


「そっか……そうだよね」


 レメディアと共に溜息を吐きながら視線を向けた先には、泣きじゃくるグナエウスを抱えながら「川に行くぞ!」と言っているクィントゥスの姿があったのだった。


 そして、そんな楽しそうで賑やかな様子を見て、俺は在りし日の世界と親友たちの姿を幻視していた――。





◆◇◆





 風が、吹き抜ける。

 傍から見れば何て事はない、ただ少しだけ強い風でしかないそれは、範囲内に居た五十CM(ケンチ)はあろう大型の蜂を一瞬にして斬り刻んでいた。


「……流石、やるな魔導士」


「当たり前だろ。魔法使えんのにこんなくらいで手間取ってなんざ居られねえよ」


 感心した様子のアウレリウスに、ミヌキウスが軽く笑う。

 細切れになってバラバラになった虫の体は未だに動いているが、それであっても明らかな致命傷だと判断できる様で、もはや誰も見向きしない。

 代わりに、三人が三人とも厳戒態勢で森の中を見渡し、注意深く巡っていた。

 それと言うのも彼らが受けたグラヌム子爵(ウィケコメス・グラニ)領内での生態調査依頼は、ただの調査ではない。

 最近、この辺りで行方不明者や惨殺体が見つかるなどの物騒な事件が頻発しているのだ。

 まだ地元住民や領主は把握していないらしいが、この辺を通り掛かった狩猟者(ウェナトル)が小用を足す為に森へ入ったところ、異様な影と旅人の無数の死体を発見している。

 その発見者はこの地の領主――グラヌム子爵(ウィケコメス・グラニ)へ直接報告しようとしたらしいが、所詮は旅人で狩猟者で、平民でしかない発見者の報告は聞き入れられなかったそうだ。

 止む無く、彼は最寄りの狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)へ駆け込んだ結果、ミヌキウスら三人が出張る事となる。

 正体不明の何かが確認されている以上、生半可な実力者には任せられないという理由からだったが、正直なところ三人は半信半疑であった。


「なあ、例の話は本当だと思うか?」


「どうだかな。俺は狂言の線だって捨てがたいと思っているぞ」


 何故ならばこの場所は、大して強くもない妖魎(モンストラ)しか出ない事が広く認知されているのだから。

 出て来ても精々中級(メディウス)程度、上級妖魎(スペルス)が出現したなどの事例が無い訳でもないが、基本的に危険度が低い場所だ。


「小物しか出て来ねえな。こりゃ、やっぱり狂言か報告者の見間違いって線が無きにしも非ず……」


「だとしても確認しない理由にはならないだろ。本来この辺を取り仕切るべき領主が仕事をしないんだからな」


「怠慢な領主、ねえ。俺ら平民が幾らタレこんだところで、(ほう)じた王がそれを認識してくんなきゃ更迭されないってのは理不尽なモンだ。現場だけでとっとと挿げ替えられれば楽なんだけどな」


 周囲に危険が無い事を確認したのか、ユニウスとアウレリウスが警戒を弱めてそれぞれの意見を述べていく。

 それぞれの発言には言うまでも無く職務に怠慢な為政者を(なじ)る色がありありと見て取れ、ミヌキウスもまたそれに同調する。


「噂じゃ相当太ってるらしいな、ここの領主。会った事ねえから分かんけど……む?」


「どうした?」


「……あそこだ、見ろ」


 何かに気付いたらしいミヌキウスが指差す先に、ユニウスとアウレリウスも従う。三人が視線を向けた先にあるのは、俯せになって行くりとも動かない人間の姿だった。

 しかしそれを発見してすぐには、動かない。

 まず第一に周囲を確認し、警戒し、ゆっくりと距離を詰めて安全を確認していくのだ。

 罠か、そうでなくとも不意の事態を防ぐための安全確認を終えた三人は、それでも不慮の事態に即応できるよう備えつつ、不自然にも“気を付け”の姿勢をとるそれへと近付いてく。


「おい、大丈夫か?」


「............」


 ミヌキウスは剣を、アウレリウスは槍を、ユニウスは弓を構えて呼びかけるが、返事はない。

 血が出ている気配もないので気絶でもしているのかと思いかけた時、そこでミヌキウスは気付く。

 旅装の隙間から覗く地肌がやけに皺にまみれ、土気色である事に。

 そして、まさかと思いつつ全く上下しない旅人の背中を見て、己の予想が的中していた事を悟る。


「……死んでやがる」


 ミヌキウスがその場で足を止めると対象へと手を翳し、魔法の力で巻き起こした風で持ち上げた旅人の体は、カラカラに乾燥していた。

 死後どれくらいかは分からないが、衣服を身限りではとてもそこまで時間が経っている様には見えない。

 ただ大きく開かれた口が、虚ろな眼窩が、この身体の持ち主だった魂の叫びを代弁しているようだった。


「うわ、ミイラ? 普通の死体なら腐るだろうに、どうしてこんな所で? ここはアエギュプトゥスみてえな砂漠地帯じゃねえぞ」


「……首筋以外目立った外傷も見えない。少なくとも獣の類では無さそうだな。だとすれば、これをやったのは人間? それでも不自然だ」


 職業柄文字通り多種多様な死体を見て来た彼らは顔を顰めつつも驚く様子はなく、触れずに死体を見ていく。

 その間もミヌキウスの魔法は継続され、カラカラに乾いた硬直した死体を人が立っているみたく浮かせ続ける。


「軽いな。体中の水分が完全に抜き取られているみたいだ。こりゃ、いつまでも浮かせられるぜ」


 そう言いながら、彼は先にアウレリウスが指摘した首筋の傷を見る。


 確かにそこには人の指ほどの太さがある穴が開いており、見た限りではそれが致命傷らしかった。


「毒? いや……吸血? どうであれこんな傷口は初めて見るぞ。っておいユニウス、そんな乱暴に死体を弄るな!」


「あ? そうは言ってもこれ以外に傷が無いか調べる必要はあるだろ? 一先ず服を剥がねえと」


 ミヌキウスに止められている間にも、ユニウスは弓の(やじり)で死体の衣服を捌き、破いていく。

 すると露わになるのは、縄で縛られた様に締め付けられた痕のある腹の乾燥した肌だ。

 腕も纏めて締め付けられていたのだろう、そちらにも同様の痕が見られ、この不自然な姿勢に納得した様に三者三様の声が漏れていた。


「何だこりゃ、身動きを取れなくされてから、吸血された?」


「だとしても増々意味が分からねえ。どうなってんだ?」


「何よりこの死体、俺達が派遣される理由になった惨殺体の特徴とかなりかけ離れているよな?」


 ひょっとしたらまた別の脅威の仕業かもしれないというアウレリウスの意見に、ミヌキウスとユニウスがハッとする。

 事実、彼の指摘の通り報告に上がっていた惨殺体は引き千切られ、噛み千切られ、それは酷い有様だったそうだ。

 だのに、それと全く一致しない。

 意味が分からず、困った様に首を傾げる一同は、取り敢えず死体から剥ぎ取れるものを剥ぎ取るとその場を後にするのだった。


「……報告に上がってたのとは違う、また別のヤバい奴がこの森に居るかもしれねえな。気を引き締めろよ」


 無造作に放置され、野晒しとなった旅人の死体にチラリと視線を向けながら仲間二人へ注意するミヌキウスの表情は、ここ数日の間で最も厳しい顔をしていた。





◆◇◆





「おーう今帰ったぞ!」


 夕方、そんな景気の良い声と共に我が家の玄関に現れたのは、依頼で周囲の森を探索して回ったミヌキウスら狩猟者(ウェナトル)たちだった。

 しかし、その明るい表情とは異なり彼らは武器や装備以外には何も持っておらず、俺としては収穫ゼロかと落胆していた。

 もっとも、何かを狩ってくると言うのは彼らからの申し出である以上、強制など出来る筈も無く表面上はそこを取り繕って笑顔で迎えたのだが。


「どうでしたか、探索は?」


「上々だ。今日はそんな奥まで行ってねえが……まぁ面白かったぞ。ただ、一つ訊きたい」


「え? まぁ、どうぞ?」


 不意に真剣な表情を見せたミヌキウスに驚かされ、少し上擦った声になりながら彼に頷いて返す。


「ここ最近、森の中で変な事は起きてねえ? 例えば人が消えたとか、死体が見つかった……とか」


「いえ、別に。何かあったんですか?」


「いやいや、特に気にしないでくれ、ただ訊いてみただけだ。生態調査をする上で情報収集は大事なんでな」


 ハッキリと否定はせずに告げる彼の様子から察するに、何かあったらしい。

 もっともそれが何なのかは本人達が明らかに語りたがっていないので、それ以上の追及と言った無粋な真似はしないが。


「ああ、そうでしたか。けど、そもそも俺達村人は入会地以外は立ち入らないんであんまり役には立てないですよ。ところで狩りはどうでした?」


「おう、中々良かったぞ。やはり田舎は生き物が豊富だな」


 そう言って笑うミヌキウスだが、彼の言う言葉と彼らの恰好に引っ掛かりを覚えた俺は、自然と一つの質問をしていた。


「狩りの成果も、ですか? 見た感じ何も無さそうですけど……」


「ん? ああ、ちょっと待ってろ。おい、プブリウス」


「分かってる。これで良いんだろ?」


 彼に言われてユニウスが取り出したのは、一つの袋。

 大きさは然程なく、見た限りではただ腰にぶら下げて置ける革袋と言ったところだろうか。

 その袋の口を大きく広げた彼は、自身の腕をその袋の中に突っ込んだ。


「……?」


 その光景には俺だけでなくレメディアやクィントゥスと子供達も目を見開き、その有り得ない光景を凝視していた。

 何故ならば、どれほど広げても腕の一本丸々入るとは到底思えない袋に、ユニウスの腕どころか肩までもが入っているのだから。


「こ、これ、一体何がどうなっているんです? 腕が袋の中に吸い込まれて......」


「ひょっとしなくても見るのは初めてか? コイツは早い話が魔道具だよ。元々はただの革袋だが、内側に複雑な術式が彫り込まれてる。お陰で容量が三倍、四倍どころか三十倍以上もあるんだぜ?」


 凄いだろ? とミヌキウスは尚も袋の中を漁っているユニウスを指差して笑う。


「因みに内部は無重力状態で、外部とは遮断されているから雑に扱っても不安は無いぞ。一回俺が入って確かめたからな」


「……凄まじい勇気ですね。怖くなかったんですか?」


「いや、別に。ついでに言うと生き物も入るからな。ただ空気が無くて、意識も飛んで死に掛けたが」


「いやホント何してんですか」


 そんなんで死んだらアホ過ぎる。

 人間がいきなり真空状態に放り出されると気絶する事を知らなかったのだろうが、そもそも普通なら袋の中に頭を突っ込もうなどと酔狂な事をやる人間は居ない。

 あの時は本当に危なかったと言って笑っているミヌキウスを見て呆れ顔になるが、それと同様の視線をユニウスとアウレリウスも向けていた。


「まぁ、どっちにしろこの魔道具は物凄く高価だって事だ。盗むなよ?」


「盗みやしませんよ。それをやってバレてしまえば奴隷落ちですからね」


 やる訳が無い、と笑いながら俺が首を振った丁度その時。


「……おっ、掴んだぜ。確かこれだった筈」


 そう言いながらユニウスが引っ張り出したのは、確かに袋の入っていたとは到底思えない大きさの、けれど想像していた獲物よりは小振りな、一冊の本。


 そう、狩猟の成果を取り出すと思ったのに、一冊の本だったのである。意味が分からなくて俺達は呆気に取られた顔をする事しかできなかった。

 異常に分厚いそれは表紙に何事か書かれていたが、文字を習っていない身からすれば何の事だか分からない。


「お、おま、お前、それは......返しやがれ!」


「やりやがったな、プブリウス」


 だが、ミヌキウスとアウレリウスの狩猟者(ウェナトル)組はその文字が意味するところが分かるのか、一瞬固まったと思えばにやけ顔をしたユニウス以外の二人が一斉に噴き出した。

 ミヌキウスは無言のまま顔を真っ赤にしてユニウスからその本を取り返そうとするものの、簡単にそれを躱されてしまい、堪え切れない様子で怒鳴る。


「おいプブリウスてめぇ、ワザとやっただろ!? 何が『確かこれだった筈』だよ!? 触った感触で本だって分かるだろうが!!」


「いやー悪い悪い。これだと思ったんだけどな」


 しかしユニウスは明らかに悪びれた風もなく、ニヤニヤ笑いながらその本を俺に寄越して来た。


「……これは?」


「いいから、一回見て見ろラウレウス」


「は、はぁ……うわっ!?」


 思わず受け取ってしまった俺だが、その瞬間凄まじい殺気がミヌキウスから向けられ、うっかりその本を取り落としてしまう。

 俺の手から離れた本は引力に従って地面へと落ち、二度ほど地面を転がって後にその勢いでページが開かれてしまった。


「――みっ、見るなぁぁぁぁぁぁっ!!?」


「はいはい、落ち着けってガイウス」


 本人からすれば思っても見なかった状況なのだろう、ミヌキウスはそう叫ぶと本を取り戻す為に、俺の足元目掛けて駆け出す。

 しかし、無情? にも彼らの仲間である筈のユニウスとアウレリウスが彼を押さえ込み、その奪還を阻止してしまう。


「放せ! 放せぇ!! あれは……あれは!」


「はいはい、大人しくしてようか」


「おい、お前らは取り敢えずそれを見て見ろ」


 尋常じゃないミヌキウスの取り乱し方と、笑いながら薦めて来るアウレリウスを前にどちらを選択すべきか逡巡するものの、結局俺は後者を選んだ。

 地面へと手を伸ばし、その本を拾うと埃を払う。

 それを見たミヌキウスの顔が絶望に染まる。


「文字なんて読めないんだけどな」


 そんな事を呟きながら俺は再度表紙から開き、文字の場所は飛ばしてページを捲って行く。

 すると、ミヌキウスの顔が更に絶望へ染まる。


 ……そして。




「これって、春画集ですか? しかも、かなり特殊な」




「ああああああああああああっ!?」


 見開き一ページに描かれた、絡み合う裸の男女の図。

 説明するのも憚れるあの手この手の男女の営みが描かれており、訊き返しながらも俺はページを捲る。

 もっとも、絵自体は前世の世界に比べればお粗末なもので、俺は大した興味もなくクィントゥスへ渡していた。


「やるよ」


「おっ、マジ? やったぜ!」


 すると彼は鼻息も荒く、本に食い入る様に見入る。多分、理由を考えるならば男だから、であろう。


「おいお前! それは俺のだよ!! ルグドゥヌムの街で大枚叩いて俺が買ったんだ!!」


 返せ! と叫び続けるミヌキウスに対して、クィントゥスはそれを断固として拒否。

 彼ら二人にとっては死活問題の、本当にどうでも良い醜い争いが展開されていくのだった。




 閑話休題。




 大いに盛り上がったミヌキウスとクィントゥスのエロ本争奪戦だったが、最終的に争いの弾みでレメディアが回収。

 周囲の制止も聞かずに勝手に見た彼女が顔を真っ赤にし、そのままバラバラに粉砕して一応の終結を見るのだった。

 力無く地面に手をつくミヌキウスとクィントゥスを見て、俺はアウレリウスとユニウスと一緒になって爆笑。

 そんな俺達に二人は殺気すら籠った目を向けていたのだが、そこで不意に鳴り響く誰かの腹の音が響いていた。




「……お腹空いた」




 ふと見れば、腹を摩っている子供達が暇そうにこちらに目を向けていたのだ。

 すると、それに最も素早く反応したレメディアが、ビリビリに破った本を薪代わりにくべながら対応する。


「ごめん、ちょっと待っててね。大事な話をしてたんだよ。それでユニウスさん、早く今回の獲物を見せて下さいませんか? 子供達も空腹が限界みたいで」


「ん……ああ、悪い。ちょっと待ってろ……これだ」


 そう言ってすぐに笑いから回復したユニウスが取り出して見せたのは、一頭の鹿。

 その大きさには俺たち全員が目を見開き、子供達に至っては大物だと狂喜していた。

 もはや、破り捨てられた本の事などミヌキウス以外の誰も気にする事は無く、ただ彼だけが竈の中で灰になって行く本を前にして落ち込んでいたのだった。


「これは腕が鳴るね。ラウ君、調理するから手伝って」


「分かってる。因みに、血抜きは終わってます?」


「勿論だ。後は解体して調理するだけ、解体は俺達も手伝おう」


「ありがとうございます」


 子供達の世話をクィントゥスに任せてそんな会話を交わしながら、俺達は台所の整理をする。

 鹿の方は中々に大きさがあるし重いので、その場で解体して貰うのだが、それをしながらミヌキウスがレメディアに問いを発する。


「そう言えば君は魔法が使えるらしいけど……誰かから教わった?」


「いえ、独学ですよ。魔法が使えると便利なので、発現してからは偶に練習してるんですけど」


「へえ、 それはまた努力家だな。それなら魔導士としてそれを活かすのも良いと思うぞ?」


「活かす機会があれば良いんですけどね」


 そう言ったレメディアは寂しく笑う。

 やはり、今この家を離れる事に抵抗があるらしい。

 ついこの間に同居人の子供が一人亡くなっているのでそれも仕方ない事だが、けれども俺としては少しばかりそれに縛られてしまっている様な気がしてならない。


「大丈夫だぞ、レメディア。ここには俺とクィントゥスも居る。お前一人居なくなっても何とかやってけるくらいは出来る」


「でも、人手は多い方が良いでしょ? 二人だけじゃ不安だよ」


「だったら稼ぎの一部を送ってくれればそれで充分だし、そこまで気にする事はないぞ」


 彼女の顔に差した影を吹き飛ばす様に、俺は大丈夫だと笑ってその背中を叩く。それにつられて彼女も笑い出すが、それでも尚そこには僅かばかりの影が見て取れていた。


「……いつか、皆が明日の生活に困らないような暮らしが、出来る日が来れば良いね」


「だな。そのためにも、今は久々の肉を味わうとしよう」


 台所にて広げられた鹿の死体を前にして呟くレメディアに、俺はゆっくりした動作で一度、頷いていたのだった。






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