Kill Me If You Can ②
◆◇◆
「……やけに騒がしいから何事かと街に出てみれば」
「ガイウス、何があった? レメディアは大泣きしてるじゃないか」
「色々あって襲われてな。詳しい説明は省かせてくれ。後で話す」
重苦しい空気に包まれた中で、万全の武装を纏ったプブリウス・ユニウスとマルクス・アウレリウスは只事でないと悟っていた。
その中で、ピンと張った弓の弦を確かめながらユニウスが質問を重ねる。
「後で話す、か……夜の街を市民が逃げ惑い、おまけにカエソニウスの配下まで居るんだ。何かやらかしたな?」
「あ、バレた?」
お道化る様に答えるミヌキウス。そんな彼の反応に、アウレリウスが長い溜息を吐いた。
「真面目な話をしてるんだ。一言で状況だけは説明しろ」
「カエソニウスと敵対した」
「……お前って奴は」
「いつかやりかねないとは思っていたが……」
あっけらかんとした彼の言葉に、二人は仲良く頭を抱えた。
実際、それは楽観視できるような状況ではないのだ。
「連中がどれだけの数居るか、知らない訳じゃ無いだろ?」
「知らん! あ、数が多い事だけは知ってるぜ」
「……ぶち殺すぞ?」
腕を組んで断言するミヌキウス。ここまで来るといっそ清々しいまでの発言だが、今この状況にあっては流石のアウレリウスも殺意が湧いた。
だが、その遣り取りを見てユニウスは笑いだす。
「ま、ガイウスが無茶と馬鹿をやるのはいつもの事だろ? それを承知で俺らも一緒に狩猟者をやってんだ」
「だがこれは幾らなんでも……!」
「この前だってグラヌム子爵を相手取って大立ち回りしてるじゃねえか。もう慣れたろ?」
「慣れるか馬鹿! 慣れて堪るか馬鹿! 第一、あの時は見ず知らずの旅人に助けて貰わなければ死んでたんだぞ!?」
開き直ったとも言えそうなユニウスの態度に、耐えられなくなったのかアウレリウスが叫ぶ。
「まぁそうカッカすんなって。怒っても良い事はないぞ?」
「諸悪の根源が何を言っていやがる!?」
頭を掻きながら言うミヌキウスの態度に、二度目の絶叫が轟く。
そのままの勢いで掴み掛らんとまでするが、その寸前で彼は動きを止めた。
その一方、ユニウスが手の仕草でロサやクィントゥスらに退避するように指示を出す。
「……お出でなすったぞ」
「分かっている。ただしガイウス、死んだら化けて出てやるからな?」
「そう言う奴に限って死なねえから安心しろ」
ミヌキウス、アウレリウス、ユニウス。
それぞれは一様に正面を見据え、且つ時折周囲を警戒する。
「ところでラウレウスは?」
「外に行っちまったよ」
思い出した様なユニウスの言葉に、ミヌキウスは微笑しながら答える。
それに、今度はアウレリウスが重ねて問い質す。
「何故ついて行かなかった? あの時、守り切れなった責任を果たす時だろ?」
「ああ、けど今回の件もアイツをちゃんと守り切れなかった事に起因するんだぜ。そのくせに、どの面下げて同行させて欲しいと言えって?」
「一度ならず二度までも……か」
「正直、グナエウス達があそこまでラウを憎んでるとは思わなんだ。だからこそ、こんな事態を招いちまった。情けねえぜ……」
自嘲するその言葉を最後に、三人からは一旦会話が消えた。
それからたっぷり五秒ほど。
ざっ、と砂を踏み締める音が彼らの鼓膜に届いた。
「やっと見つけたぜ、おお? どういう訳か余計なもんまで増えてんじゃねえか」
「そりゃ俺の台詞でもあったんだぜ。その狼とノッポ、お前の部下じゃねえだろ?」
無数の砂人形を引き連れ、先頭を歩くのはカエソニウス。
その更に後ろを、二人の影が付いて来ていた。
「へぇ、あれが噂に聞くアウレリウスとユニウス? 何だ、強くなさそうだな」
「それがどうかは実際に手合わせをすれば分かる。ただ、そこまで言ったお前が死にかけても私は助けんぞ?」
「良く言うぜ。お互いに死なれちゃ困るってのに」
狼人族のエクバソス。そしてもう一方がペイラス。
明らかに只者ではない雰囲気に、ミヌキウス達はその表情を険しくした。
「気を付けろ、あっちのヒョロい方は多分、空間魔法を使う。奇襲に要注意だ」
「うっげマジかよ」
「あの狼人族との組み合わせは……相性も抜群だろうな」
先程僅かながら交戦経験のあるミヌキウスがペイラスについて注意喚起をすれば、二人は苦い顔をしてそちらに視線を向けた。
一方、その視線を向けられている当の本人は、冷静にエクバソスへ向けて問う。
「標的の姿が無い。二手に分かれたか、隠れでもしたか?」
「ああ、そうらしい。確かに言えるのは、あのガキはここに居ない事だけだ。少し離れた所に居るかも分からん。もう少し鼻が利けば良いんだがな……」
すんすん、と鼻を鳴らすエクバソス。だが彼の言う通り調子が良くないのだろう。
厳しい表情のまま、目だけを周囲に巡らせていた。
その様子に、ペイラスは溜息を吐く。
「消臭剤を使っても馬鹿になった鼻は治らんか。いや、元から全てが馬鹿なのだろうな」
「ああ!? テメェ今何つった!?」
「何度でも言おう、全てが馬鹿だと言ったのだ。嗅覚を狂わせる程の悪臭攻撃を食らっておいて、お前が賢い訳無いだろう」
「あれは初見だったからしょうがねえだろ!? テメェがその立場だったとしても同じ結果になっただろうよ!」
口泡を飛ばし、怒鳴りながら反論する彼の剣幕は、下手をすれば大の大人でも裸足で逃げ出したかもしれない。
それ程のものだったのだが、ペイラスからすれば見慣れたものだったのか平然と受け流している。
「それよりも」
「あ?」
「標的が居ないのなら長居する意味もない。この意味が分かるな?」
「……了解した。だが、殺せるんなら殺しても良いんだろ?」
「無論。障害になりかねない存在の抹消は歓迎しよう」
元々、エクバソスとカエソニウスが交わした約束は共通の目的を持ったことによる一時的な共闘に過ぎない。
その一時が過ぎれば、出し抜きであれ何であれ文句は言えないのだ。
例え、空手形の約束をしていようとも、文句は言えない。
裏切られる方が悪い。それがこの世界の摂理だと、彼らは知っている。
「さて、ガイウス・ミヌキウスとその一派! 俺に歯向かった事を後悔させてやんよ!」
高々と宣言するカエソニウスの背中を、二人は冷たい目で見ていた――。
◆◇◆
再び、この都市のどこかで激しい交戦の音が聞こえる。
無傷の区画に住む住民たちも流石に不安となったのか、窓や玄関の戸から顔を出す者の姿がちらほらと見られる。
しかし、幾ら目を凝らしたところで時間は夜。ただでさえ見えにくいし、何より無数の建物が邪魔をして状況の把握を困難にしていた。
段々と不安に包まれていく都市の空気を肌で感じ、そしてその中を俺は駆け抜けていく。
再開した旧友、桜井 興佑――スヴェンに連れられて。
既に門はすぐ近くにまで迫り、その上疎らでも人影が路上にある事もあって、上手い具合に兵士から姿を誤魔化せる。
月はもう大分傾き始め、そう時間のかからない内に東の空は明るみ始める事だろう。
「思わぬ形で時間食ったからなぁ……」
「だからごめんてば! 反省してるから!」
何度目とも分からない彼の小言に、何度目とも分からない謝罪で返す。
もうしつこいくらい何度も言われているのだが、実際無茶をしてしまった手前、強くは出られない。
何か別の話題に切り替えようと思考を巡らせた矢先、向こうから新しい話を振って来た。
「でも、あれで良かったの?」
「あれって?」
「さっきのだよ。家族、だったんだろ? この世界で」
「ああ……」
先程のガイウス達との別れの場は、スヴェンにも見られていたのだ。
彼らから背を向けたところで結局耐え切れなくなって泣いてしまったが、スヴェンはその間なにも言わなかった。
その気遣いには前世の頃から何度感心させられ、感謝した事か。
今も、散々こちらの無茶を弄って来るのはこの暗くなりがちな心を慮ってでもくれているのだろう。
そんな配慮がやはり有難くて、だからこそ努めていつも通りの声で答えていた。
「俺は家族だったけど、あの“家族”の一員には、もう成れない。戻れないんだ」
「レメディアちゃんだっけ? あとクィントゥス君ってのもそう思ってないみたいだったけど」
「そうかもしれない。あの二人とだけなら今も互いに家族と思ってくれているかもしれないけど、グナエウス達は違う」
向けられた敵意、憎悪。そして糾弾。
辛かったが、確かに自分が家族の一人を、ユルスを死なせてしまった原因である事に変わりない。
自分が誰かを不幸にしてしまうという事は、認めなくてはならないのだ。
「俺達は血の繋がってる訳じゃ無いから、互いの信頼とかが無くなった途端、家族じゃなくなる。所詮は孤児の寄り合い所帯って訳だ」
「……」
「だから、あれで良かったんだと思う。互いに元気で、でももう二度と会わなければ……って、おい!?」
途中から無言で話を聞いていたスヴェンだったが、出し抜けに走る速度を上げた。
精々ランニング程度だったそれが全力疾走に近いものとなり、慌ててその後を追い掛ける。
一体何事かと思っていると、背後から迫る複数の人影を視認した。手に持つのが槍である事を考えると、カエソニウス配下の兵士達だろうか。
彼らに発見された事に気付いて、どうやらスヴェンは走る速度を上げたらしい。
「おいそこのお前ら! 止まれ!」
その声を皮切りに、無数の兵士が集まる音がする。
今は夜で、フードで頭を隠しているので身元が露見したとは思えないが、流石に路上を疾走するのは不審なのだ。
だが、当然止まる訳はなく、真っ直ぐ東門を目指す。
「何だ、こいつらは!?」
「門に向かってるぞ!」
「行かせるな!」
俄かに東門周辺は慌ただしくなり、武装した兵士が結集し出す。
だが突然の事で対応が遅れたのか、その数の終結速度は速くなかった。
「邪魔だぁぁぁぁぁあっ!!」
腹の底から出されたスヴェンの絶叫と共に、兵士達の足元――地面が突如として隆起した。
それによって多くの兵士が地上数Mまで打ち上げられ、為す術なく落下していく。
高さから考えるに死ぬ事はないだろうが、まず間違いなく重軽傷は負っている事だろう。
何にせよ、それによって生じた穴を衝き、門の前まで辿り着いたスヴェンは更に魔法を行使。
「あらよっとぉ!」
地面から飛び出した土の巨大な槌が内側から門扉を叩き、その圧倒的質量で閂共々吹き飛ばす。
勿論、門は簡単に破られないように対策が施されている筈なのだが、内側からここまで強力な攻撃を受ける事は想定していなかったのだろう。
遮るものなど無くなった門を潜り抜け、その先に広がった世界へと飛び出す。
「門が破られたぞ!」
「騎馬を出せ! 追わせるんだ!」
城壁の外にも広がる疎らな建物を見ながら、背後の声を聞く。
「追跡、来るみたいだけど」
「大丈夫。手はあるから」
そう言ってスヴェンは立ち止まると、荒い呼吸を繰り返しながら地面に手を当てた。
すると、大きな土の人形が五体ほど地面から発生する。
その人形の体積分地面は凹んでおり、間違いなくこの場で生み出した土人形であるようだ。
「……」
それらは術者であるスヴェンの意を受けたかのように唐突に動き出し、門へ直進。
今まさに門を潜ろうとする兵士達に向けて体当たりし、爆ぜた。
五体全てが、続々と突進し、爆ぜたのだ。
「うわぁぁぁぁあっ!!?」
「体が埋まって……助けてくれ!?」
後には、門の中で大量の土砂に埋まってしまった人馬の姿があるのだった。
土の量は堆く、しかも全員生きているせいで後続の者は外に出る事が出来ない。
その様はまるで血小板が赤血球を巻き込んで止血しているような、そんな印象を与えてくれる。
何にせよ、騎兵などによる追撃の心配は無くなったと言えるだろう。
スヴェンも満足したような顔でサムズアップしていた。
「これで万事解決……」
直後、一本の矢がスヴェンの鼻面を掠めた。
あと少しズレていたら、まず間違いなく頭を射抜かれて致命傷だったことだろう。
そんな事を考えて二人して固まっていると、更に二本、三本と矢が飛んで来る。
「ヤベェ! まだ矢の射程圏内だった! 逃げろぉーーっ!」
「逃げるったって……城壁の上からじゃあ結構届くぞ!?」
慌てて城壁外に立つ疎らな建物の一つに身を隠し、矢から身を守る。
一応これで射殺される心配は無くなった訳だが、門を迂回して追撃の騎兵が来ないとも限らない。
「気は休まらねえな……」
「だな」
矢が風を切る音を聞きながら、二人仲良く苦笑を浮かべていた。
◆◇◆
タルクイニ市の西に、その森はあった。
「ここ、で良いんだろ? てか入らなくちゃ駄目?」
「メルクリウスさんは森を入って真っ直ぐって言ってたぞ。行くしかねえんじゃね?」
背後に曙、正面には未だ陽の差さぬ暗い森を望む。
幸いにして森の中を通る道があるので迷う事は無いのだろうが、だとしても暗すぎる。
メルクリウスを信頼している筈のスヴェンでさえも、その声には困った様な色が乗っていた。
「どうせならあの人も俺らに同行してくれればいいのに……」
「何か考えでもあるんじゃねえかな。知らんけど」
「ここにきて裏切って罠に嵌められた、とか勘弁してくれよ」
これまで散々経験して来た事を思い出し、げんなりとする。
スヴェンからすれば信頼に足る人物だろうと、結局こちらからすれば大して信頼出来ないのだから。
あくまでスヴェンが、桜井 興佑が大丈夫というから一応従っているに過ぎず、ともすれば半分敵と見做して居るくらいだ。
「随分疑い深いと言うか……苦労したんだな、お前」
「まぁ、人が信じられなくなるくらいには」
そんな遣り取りをしながら暗い森の中を歩いていると、行く手を塞ぐ影が一つ。
光量が少なく、かなり近くの距離になって漸く気付いたので、二人揃って瞬時に身構えていた。
「「「……」」」
だが、すぐに攻撃を仕掛けて来る気配はない。
ただじっと、互いに見つめ合うのみだった。
その影は旅人なのか外套を纏っていて、薄暗いせいでそれ以外の容貌は判然としない。
「あの、俺達先を急ぐんで、退いて貰えませんか?」
「……ああ、済まない。だがその前に一つ訊かせて欲しい」
そこで言葉を切ったその人物は胸の前に出した人差し指に光を灯す。
それは火では無く、まるで電球のような明るさを持っていて、周囲が一気に照らされる。
伴って相手の顔も露わになるが、その装いの奇怪さに息を呑んでいた。
顔はその口から上の全てを赤黒い仮面に覆われていて、目に当たる部分には眼球を模したらしい模様が描かれている。
つまり、目が覗くための穴が少しも開いていないのだ。
それによって齎される不自然さに、二人揃って顔を顰めていたが、それを意に介す様子もなく言葉が続けられる。
「そこの短槍を持つ者に告ぐ。そのフードを外してはくれないか? 外してくれるだけで良い」
「……何で急にそんなことを?」
「探しているモノなのか、確かめさせて欲しいのだ」
「どうしても嫌なんだけど、駄目?」
「無論だ」
拒否は許さないと、彼は告げる。
だが、拒否させて貰えなければ自分の髪色を晒さなくてはならない。
まだ紅にも染めていない白い髪を、だ。
そんな中、ふと気づく。
もしかすればこの人物、連中の仲間ではないのかと。
探し物と言うのは、白儿である自分ではないのかと。
それを確かめたくて、睨み据えながら口を開いていた。
「アンタに一つ訊きたい」
「何だ?」
「エクバソスって名前に聞き覚えは?」
「其方……その名を知っていると言う事は、もしかしなくともそう言う事だな?」
「さ? 何の事やら?」
「白を切るな。もはや言葉を交わすまでもない」
直後、灯されていた光が消えた。
「来るぞ……っ!?」
腰を低く落とし、身構えようとしたその前に、側頭部を衝撃が襲う。
暗く、視界が不自由だというのに、相手は正確な回し蹴りを加えて来たのだ。
「ぐ……」
「ラウ!? ちぃッ!」
狼狽しながらもスヴェンがカバーに入ってくれ、どうにか追撃を免れる。
だが、土魔法で応戦しても、それらは掠りもしない。
「どうなってんだよ!?」
「無駄だ。その程度の実力で、此方に当たる訳が無いだろう」
「ほざけよっ!」
明らかにこちらを舐め腐った物言いに、堪らず槍を持って突撃する。
見たところ相手は無手で、そんなに動きが速い訳でも無ければ、力が強い訳でも無い。
巧みに攻撃を躱している、と言った印象だ。
だとすれば数の有利と、身体強化術による攻撃力の差で押し切ってしまえばいい。
そう思ったのだが。
「寄れば良い、と。悪くない判断だ。しかし其方らでは些か実力が足りないらしい」
「は? 何を……熱っ!?」
「ヤベェッ!」
凄まじい熱風が顔に叩き付けられて、思わず足が止まる。
その横では顔色を変えたスヴェンが、後退しながら分厚い土の壁を造成する。
そこに身を隠せと言うのだろう。意図を瞬時に察し屈んだ直後、爆音と高温がこの身を襲った。
「~~~~っ!!?」
風圧は多少抑えられていても、大気を伝う熱は殺し切れない。
その高熱に、思わず息が詰まる程だった。
熱い、熱い、熱い。一体どれ程の温度なのだろう。
急激に気温が上昇したせいもあって、体感温度は凄まじいものに思われた。
「……」
ようやく爆音と高熱から解放され周囲を見渡せば、辺りの木々は軒並み薙ぎ倒され、所々が焦げていた。
それらは中心部に出来たクレーターを囲うように外向きになっていて、先程の爆風の強さを物語っていた。
未だ空気は熱波に包まれていて、さながらサウナにでも居る様な気分になる。
だが、それよりも先に気にすべきことが一つ。
「奴は何処に!?」
「……上だっ! どうなってやがる!?」
咳き込んでいたスヴェンの言葉にハッとして首を巡らせれば、上空にポツンと影が一つ。
たったあれだけの時間でその高さにまで跳び上がったのだとすれば、それはもう驚嘆に値するだろう。
しかしそれを成したのは敵で、その力量に薄ら寒いものを覚える。
「あれじゃあ俺の魔法は届かねえ……」
「任せろ、これなら届く」
歯噛みをしているスヴェンの横で、無数の白弾を生成すると、それを上空へ向けて放つ。
「……当たってる?」
「分からん。距離があり過ぎて命中精度も保証できないんだ」
黒い点でしかない敵に撃った所で、正直全く当たった気がしない。
それに、周囲の木々を薙ぎ倒すほどの魔法を使う相手が、無策で上空に跳び上がったとも到底思えない。
「何かしてきそうだな」
「分からんでも無いけど、でも何をして来るんだよ?」
あんな上空から打てる手なんて限られてくる、とスヴェンが言った直後、肌をピリッとした感覚がなぞった。
それはまるでちょっとした火傷の様で、しかも段々とその範囲が広がっていく。
一体何事かと思った、その時。
全身が燃えた。
『ッ――――!?』
熱い。いや、熱いなどと言うものではない。痛くて仕方がないのだ。
「あ、がぁぁぁぁあっ!?」
この体が焼かれている。
必死になって火を消そうと全身を手で叩き地面を転げまわるのに、一向に熱さは無くならない。
何故、何故、何故、何故?
熱さに悶えながら頭を掻きむしっていると、そこである事に気付く。
それは、自分の腕がどこも燃えていない事。
なのに腕を含めた全身は焼かれている様に熱く、擦っても叩いても掻いても、痛みは消えてくれない。
「なんっ、でっ……?」
スヴェン共々悲鳴を上げ、悶え、地面を転げまわる。
そんな中で、この焼かれるような感覚を生み出した張本人の足が、目に留まった。
「火も付いていないのに、生きながら焼かれる気分はどうだ?」
「ゔ、ぁぁああっ……ごのっ……!」
「熱いだろう? だが幾ら藻掻いたところで其方らが業火の痛みから逃れる事は出来やしない」
意地で右足首を掴むも、素気無く蹴り払われ、更に腹を蹴飛ばされる。
そのせいで強制的に肺から空気が押し出され、悶えながら咳き込む。
「ラウにっ、何をぉっ……!」
「元気なものだな。生きながら焼かれている痛みを感じている筈だというのに?」
抗議の声を上げるスヴェンに対し、それだけを告げて彼は顔をこちらに向け直す。
「さて、此方はルクスという。其方の名はエクバソスから聞いているぞ。ラウレウスだったか? ペイラスもそうだが、あの二人が捕え損ねる程の子供と聞いて出張ってみれば……呆気ないものだな」
馬鹿にするようにルクスと名乗った彼が呟いた直後、全身を焼かれるような感覚が止んだ。
あれだけ全身を苛んだ激痛が忽然と無くなり、しかし体も精神も疲労困憊して動く気にもなれなかった。
「あの二人曰く、事あるごとに邪魔が入るとぼやいていたのでな。今回は孤立した所を狩らせて貰った。悪く思うなよ」
「……」
「今夜、いやもう昨夜と言うべきか? エクバソスの鼻が邪魔者の匂い袋で潰され、逃したと聞いた時には中々面白い邪魔の仕方をすると思ったものだよ。それを聞いて此方も動こうと思ったが……興覚めだ」
幾ら邪魔が入ったとはいえ、この程度の者達を抑えられないのでは部下に罰を与えねばと、彼は漏らす。
同時に、木々の隙間からは朝日が差し込み始めていた。
「ところで見た限り、其方は靈儿かな? なるほど、白儿の少年以外は塵芥程度の価値しかないと思っていたが……丁度良い。二人共連れて行こう」
何か他に目的でもあると言うのか、そう言っていたルクスの口端は、緩んでいた。
「ああ、余計な事は考えるでないぞ。さもなくば其方らの気が済むまで業火で焼いてやる」
彼がわざとらしく見せる右手は、どう言う原理か灼熱色と化していた。
先程からの数々の魔法だが、そのタネと仕掛けが全く分からない以上、まさに魔術と呼んでしまいたい代物だった。
荒い呼吸と朦朧とする意識の中、鈍重な思考を巡らせているとルクスは腰から拘束具らしい縄を取り出す。
これから何をしようとしているのかは、言うまでもない。
抗おうにも相手の魔法の正体が分からず、おまけに脅されても居る。
肉体、精神共に疲れ切った状態では抵抗の意思も衰弱してしまったのだった。
だが無抵抗のまま拘束される前に、ふとルクスの動きが止まった。
「……邪魔者が入る、か。なるほど、この少年は随分とツキが良いらしい」
手に持っていた縄を放棄し、微笑するように呟いた彼はその顔をある方向に向けた。
そこにいたのは黝い髪をした、柔和な笑みを浮かべた青年。
焦げた木々が折り重なるように倒れている中を、その青年はどうという事もないように歩いていたのだ。
「これはこれは、また見事なまでに森の一部を吹き飛ばしましたね。あれだけ大きな爆発が起きればこうなるのも納得ですが……どっちにしろお陰で迷わずにここまで来られましたよ」
「今は取り込み中だ。此方の邪魔をしないで貰おうか」
「それは出来ない相談ですよ。待ち合わせ場所に中々来ないと思っていたら、こんな所で道草を食わされていたんですから。だから寧ろ、邪魔なのは貴方なんですよ」
青年――メルクリウスは眇めていた目を開き、ルクスを睨み据える。
「どんな目的と事情があるかは存じませんが、大人しく尻尾を撒いて下がってくれません?」
「出来る訳ないだろう」
「……交渉決裂、ですね」
そう告げた時のメルクリウスの顔に、表情は無かった。
◆◇◆




