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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第三章 ウタガワシキハ
58/239

第五話 Kill Me If You Can ①



「まだ髪も染め直してないけど、ホントに今から逃げるのかよ……?」


「当たり前だろ。ただでさえ、お前は連中に見つかってんだ。長居すればするほど、真綿で首を絞められるように追い詰められてくぞ。なら今の内が良い」


 夜は更け、月が傾き始める。尚も夜空には数多の綺羅星が浮かび、陽が照らさぬ世界を彩っていた。


 だがそんな世界も、恐らくあと五時間ほどで終わりを迎える。


 日光がこの世界を明るく照らし、この都市において追われる者にとっての夜が訪れるのだ。


 そうなれば街中をうろつく事すらも、到底出来やしない。


「打てる手は打てる内に。軍事でも商売でも、基本は一緒だってメルクリウスさんは言ってたぜ」


「……まぁ、その通りだと思うけど」


 先を行くスヴェンの言葉に、そしてメルクリウスの言葉でもあるらしいそれに、納得する。


 確かにこのまま居てもどうする事も出来ない。いつまでもメルクリウスの世話になる訳にもいかないし、今この時間に脱出を試みる事は手の一つなのだろう。


「だからって碌な打ち合わせもなしに、この都市の城壁を抜けられるか……」


「大丈夫、その辺はメルクリウスさんの援護もあるらしいからな」


「援護って……あの人、何するつもり?」


「さあ?」


 わざとらしく肩を竦める彼だが、その声にはメルクリウスに対する信頼が窺える。


 今こうして試みている都市からの脱出が上手く行くと、確信を持っているのだろう。


「兎に角、あの人の指示に従って居れば、夜明け前には必ずここを抜けられる。ただの人間であの大店のトップが務まる訳無いだろ?」


「一体何者なんだよ……」


「ぶっちゃけ俺も詳細は教えて貰ってない」


 サムズアップしながら告げられたそれに、抱えていた疑問は増大した。


 けれどスヴェンが、桜井が大丈夫だと言っているのだ。親友の言葉を信じて、今は脱出に集中するしかなかった。


「幸いな事に首領であるカエソニウス達は、発見したお前を探してほっつき歩いてる事だろうよ。仮に巡回する兵士らに発見されても、コイツらはただの人間。強行突破も容易だ」


 物陰から夜の街を巡回する二人の兵士を見遣りながら、小声で言う。


「このまま都市の東門へ出る。その後は実力行使だな」


「それ、大丈夫?」


「心配すんなって。こんな夜更けだ。警備兵も奇襲を受けるまでは碌な反応が出来ないだろうよ」


 兵士達が通り過ぎたのを見計らって、物陰から物陰へと、素早く道を渡る。


 巡回する兵士の数は多く、発見されないように細心の注意を払っているのだ。その進みは遅々としたものだった。


「けど、何で東門?」


「メルクリウスさんからの指示だ。門を抜けたら森へ入り、真っ直ぐ西の遺跡を目指せってな」


「遺跡? ここ暫くこの街に居るけど、そんなの聞いた事もないぞ?」


「俺もだ。あの人の下で何度か仕事を請け負ったけど、今までタルクイニ市にそんなモンがあるなんて教えらえた事もねえ」


 本当にあるのかも分からない、とスヴェンは言う。


 果たしてメルクリウスの言う事に従って大丈夫なものなのかと、再び不安が首を擡げるけれど、今更引く訳にもいかなかった。


「もうここまで来たらやれば良いんだろ……!」


「さすが慶司! 思い切りの良さはラウレウスになっても変わらねえな」


「興佑の鬱陶しさも、スヴェンになったって変わってねえけどな」


 何度目とも知れない巡回の兵士をやり過ごしながら、静かに笑い合う。


 そんな事をしながら、大通りの側道から徐々に徐々に前進を続け、行程の半分を消化したところだった。




「……!?」


「何だ?」




 唐突に凄まじい風が建物の隙間を抜け、吹き突けて来たのだ。


 余りの風圧に呼吸も儘ならず、慌てて腕で顔を庇い、目を閉じて砂塵を防ぐ。


 鼓膜は今も辺りを駆け抜ける風の、笛のように甲高い音を伝え、その強さを嫌でも知らせてくれる。


 体が吹き飛ばされる程ではないにしろ、歩く事も容易でなくその場でただ風が止むのを待つ。


 そうして五秒ほどが経てば、その暴風が嘘であったかのように、そよ風が頬を撫でていた。


 けれどその風が運ぶ匂いは、どうしてか血生臭い。


「くせえ……何だったんだ?」


「風、だけどいきなり強くなったって事は……作為的なものじゃねえか? 風魔法とか」


「血生臭い、それに風魔法って……まさかっ!?」


「あ?」


 それを聞いて思い当たる人物が、一人。


 尚且つ風が吹いてきた方向を見遣って、確信した。


「ガイウスさんだ……!」


「いや誰だよ……って、おいもしかしてガイウス・ミヌキウス?」


 居ても立っても居られなくて、スヴェンの問い掛けに答える事もなしに駆け出していた。


 幸いな事に周囲では兵士がおらず、発見される事もなかったが、安堵などしている余裕もなかった。


 ただ無心で一直線にあの場所へ、ガイウスの家へ、向かっていたのだった。


「待てよ! 待ってって! おいラウ!」


「……」


 背後から真剣な声で制止が掛かるけれども、止まりはしない。無駄な時間など食ってはいられない。


 彼らの身に、何かが起きているのだ。


 以前にも、彼には迷惑をかけてしまったのに。


 今このタイミングで彼が魔法を使っているのだとすれば、恐らくその原因は自分で。


 だとすれば尚更申し訳なくて、見て見ぬ振りなんて出来なくて。


「ガイウスさん……!」


 彼が自分を裏切っている可能性は低い。


 そうでなければ、グナエウス達はあの家の外へと誘導を掛けて来る事は無かった筈なのだから。


 もしも彼が裏切って居れば、そもそもその場で取り押さえに掛かって来るし、抵抗などしようもない。


 あの家に住んでいる人の中で、少なくとも彼だけは、裏切っていないのである。


 けれど、ならば他の人はどうなのだろう。


 ロサは? クィントゥスは? レメディアは?


 自分を疎ましく思っていたとしても、不思議ではない。


 それでも、赦してくれていないとは思いたくなかった。


 確かめたかったのだ。


「……!」


 再び強い風が吹き始める中、遂に月明かりに照らされたミヌキウス家の側壁が目に付く。


 まだ距離があるものの、吹き付ける風の強さは増し、伴って戦闘音らしいものも耳につく。


周りを見れば、周囲の住民が悲鳴を上げながら退避を始めており、夜の街をチラホラと市民が逃げ惑っていた。


「こりゃあ、只事じゃねえな……っておい!」


 顔を引きつらせるスヴェンを無視して、一発の白弾をミヌキウス家に向けて放つ。


 当然三階部分の壁が破壊され、そうして生じた穴に、強化した脚力で跳躍していたのだった。


「……」


 瓦礫が散乱した室内にあって中を見回せば、壁に立て掛けられた一本の短槍を見つける。


 それは以前、メルクリウスとウルカヌスから贈られた高価そうなそれであった。


 布製の鞘を外せば破壊された壁から差し込む月光を反射し、鈍色に輝く。


 一切の傷が無い事を確認すると、元々小ぢんまりと纏めてあった自分の荷物は放置して、階下へ続く階段へと目を向けた。


「おーいラウ! 俺はどうすりゃ良いんだ!? ってかこんな計画にない行動して、脱出に失敗したらどうすんだよ!?」


「悪い。東門には先行っててくれ。俺もすぐ行くから」


「は!? 何言ってん……」


 待てよ、とか聞こえた気がしたけれど、それは暴風で聞こえないふりをして、階段を下っていた。





◆◇◆





 風が吹き(すさ)ぶ。


 既にミヌキウス家の一階部分は廃墟同然に崩壊しており、中は酷い有様であった。


 しかしそれでも、その家の玄関や勝手口の外に比べれば原型がある分、まだ真面であるとも言えるだろう。


 外にはカエソニウスの部下だったものが無数に折れ重なり、濃い血の匂いを漂わせている。


「ゴミは隅に纏めて置かないとな。片付ける時に邪魔だろ?」


「ご丁寧な気遣いに痛み入る。御礼にお前もそこへブチ込んでやるぜッ!」


「いやいや、返礼なんて申し訳ない。気にせず受け取ってくださいな!」


 屋内は互いにとって戦場とするには狭すぎた。


 無数に地面から湧いて出る砂人形は、声もなくミヌキウスへ襲い掛かり、そして暴風の前に呆気なく散る。


 瞬く間にそれらを吹き飛ばした彼は、防塵の為か口と鼻を覆い、尚且つ砂塵を寄せ付けぬよう風を纏っていた。


「中々終わりが見えないな……」


「お前が死ねば全部が終わるんだけどなぁ!?」


「うるせぇ、近寄るんじゃねえ! ()せぇんだよ!」


 獰猛な眼光が月の明かりを映しながら、俊足で以って襲い掛かる。


 だがそれを迎え撃つ、不可視の高気圧斬撃。


 常人でなくとも見えない筈の攻撃を、しかしながらその狼人族(リュカンスロプス)は難なく躱す。


 嗅覚、聴覚、視覚。


 獣が持ちうる感覚を総動員して、凡人ではあり得ない反応を見せる。


「ちょこまかと……犬っころを追い掛けるのも楽じゃねえ!」


「てめえ……ぶっ殺す!」


 低く唸りながら、犬呼ばわりされた大男――エクバソスはミヌキウスを見据えた。


 直後、エクバソスとカエソニウスは同時に動き出し、前後からの挟撃がミヌキウスを襲う。


 前方からは殺気の漲る狼人族(リュカンスロプス)、後方からは無数の砂人形。


 常人なら裸足で逃げ出しても逃げ切れないような状況化にあっても、ミヌキウスには余裕があった。


「そら、どうした? 母さんやレメディア達を追い掛けるんなら、早く俺を倒さねえとなぁ?」


「……!」


「折角人質に取ってたグナエウス達にも逃げられて、まぁ無様なモンだ。情けなさ過ぎて涙がちょちょぎれるぜ」


 煽りたてるように放たれる彼の言葉に、相対する二人は皺を深くする。


 それもその筈で、最初ミヌキウスから奇襲された際に外の配下が殆ど戦闘不能に追い込まれてしまったのである。


 辛うじて残っていた者も散り散りになり、そうして出来上がった隙に室内に居たロサ達は逃亡。


 見張る者の居なくなったグナエウス達を連れて夜の闇に消えてしまった。


 部下たちの余りの不甲斐なさにカエソニウスは憤慨するも、後の祭り。


 その鬱憤をぶつけるようにミヌキウスと派手に戦端を開いたのだが、二対一だというのに戦況は五分という有様だった。


 伴って、彼もエクバソスもその苛立ちを更に募らせていく。


「舐めてたぜ……上級狩猟者(スペルス)ってのはここまでやるモンだったか?」


「いや、コイツが特別なんだ。伊達にタルクイニ市で最強の名を取っちゃいねえ」


 掠りもしない攻撃のせいで自信まで喪失してしまいそうだと、彼らはミヌキウスを見据えながら思う。


 それを受け止めながら、ミヌキウスは言う。


「こちとら何度も死線を掻い潜ってんだ! お前ら二人程度でどうにか出来ると思うなよ?」


「……まだ魔法の行使を? どんだけ余裕があるんだよ!?」


「以前グラヌム村の森で死にかけた時だ。変な旅人から貰った薬のせいか、あれ以降体の調子が(すこぶ)る良い」


 話しながら、ミヌキウスが体に纏う風の力は更に増していく。


 同時にその範囲も広がり、カエソニウスの髪やエクバソスの毛皮は風に煽られて、靡いていたのだった。


「この野郎ッ……ミヌキウス、周辺には市民の家だってあるんだぞ!!」


「へっ、それをお前が言うか! この辺の崩れた家はお前らの外した攻撃が原因だろ! 中の住民だってもう皆逃げちまってるよ!」


 得意気にミヌキウスが語っている間にも、風力は見る見るうちに強まっていく。


「感謝してるぜ。お前らが人払いをしてくれたお陰で、躊躇なんざする必要もなくなったんだ」


「このっ……!」


 憎々し気にカエソニウスが悪態を吐いた直後、暴風が周囲一帯を包み込んだ。


 その勢いは途轍もなく、半壊状態だった家屋はその瓦礫諸共巻き上げられて空を舞い、互いにぶつかり合って粉々に砕けていく。


エクバソス、カエソニウス両名は必死に踏ん張って耐えるものの、しがみ付いた物共々吹き飛ばされそうになってしまう程だった。


 さらに言えば、余りに強い風圧のせいで目も開けられず、息も出来ない。


「「……ッ!」」


 彼ら二人からすれば、状況は最悪だった。


 轟々と風の音がその場を支配し、一度風に巻き上げられてしまえば無傷で居られる訳が無い。


 ともすれば死んでしまってもおかしくない暴風の中、二人は耐え続け――。


 そして、唐突に風力が弱まった。


 そのまま勢いが復活する事は無く、段々と小規模なつむじ風のそれへと変わって行き、遂には消滅した。


 同時に巻き上げられた無数の瓦礫が雨になって降り注ぎ、周囲を穿つ。


 それはエクバソスやカエソニウスにとっても例外では無くて、自分の間近に落下した巨大な破片を見て背中を粟立たせるのだった。


 だが、何はともあれミヌキウスからの攻撃が唐突に止んだ事には変わりない。


「邪魔しやがって……!」


「こちらの任務の邪魔をしているのはそちらだ。貴様のような厄介な魔導士はとっとと仕留めるに限る」


 いざ反撃を、と彼の方へ視線を向ければ、そこには長身痩躯の男が一人、ミヌキウスと対峙していた。


 その人物の顔色は余り良いとは言えず、顔立ちもやつれていると言っても何ら差支えは無い。


「……誰だ?」


 見覚えのない、自分の部下ではないその顔に、カエソニウスは怪訝そうな顔をする。


 だがその一方で、エクバソスは違った。


「ペイラス! 助かったぜ!」


「それは結果的な話でしかない。それより何だこのザマは? 幾ら相手が上級狩猟者(スペルス)とは言え、二人掛かりで制圧するどころか圧倒されるなど……」


「しょうがねえだろ! そいつ、ただの上級狩猟者(スペルス)にしちゃあ強すぎんだよ! 舐めて掛かればお前も死ぬぜ!?」


「……ふん、言ってろ」


 長身痩躯の男――ペイラスは、エクバソスの言葉を鼻で笑って受け流すと、ついでカエソニウスに視線を向けた。


「初お目にかかる、私はペイラス。そこのエクバソスとは同僚でな、貴方に敵意は無い。共闘と行かずとも、あの男を倒す点については目的が一緒とお見受けするが?」


「なるほど、俺はカエソニウスだ。そう言うなら今は敵対する理由もねえな。当てにさせて貰うぜ」


 口に入った砂を吐き出しながら、カエソニウスは不敵に笑う。


 これで、ミヌキウスは一度に三人を相手にしなくてはならなくなった。


 しかもいずれも、油断できる実力ではない事は、長年の経験が訴えていた。


 おまけに彼自身の体内に今残っている魔力残量から考えても、流石に厳しい。


「……参ったな」


 三方から向けられる、敵意。殺意。


 腰に下げていた剣を引き抜きながら、彼は苦笑する。


 十分に時間も稼げたことだし撤退でも――と思うが、果たして逃げ切れるかどうか。


 ジリジリと詰められる距離に対して徐々に後退しながら、逃げる隙を窺っていた、そんな時。




 白弾(テルム)が一つ、ペイラスの側頭部を襲った。




「――ぬ!?」


 直撃する筈だったそれは彼が咄嗟に展開した魔法によって軌道を捻じ曲げられ、満天の星空へと消えていく。


 だがその奇襲によって対応させられる側になったペイラスには、隙が生じた。


 それを逃すまいと、物陰より飛び出す白い影。


 背丈からして少年だろうか。


 無言で槍を構え肉薄した彼は、短槍を躊躇なく突き出していた。


「くっ……」


「ペイラス!」


 危ういところで身を捩って躱すも、肩の肉が抉られる。


 それを見て危地と判断したか、エクバソスが弾かれた様に動き出す。


「獲物のクセしてまんまと戻って来たのか!? なぁ、ラウレウスぅ!?」


「うっせえこの悪臭狼野郎!」


 牽制の為にか突き出された鋭爪を受け止め、少年は悪態を吐くと勢いを殺す為にそのまま後ろへ後退する。


 そうしてミヌキウスの横に並び立った少年の容貌は白髪紅眼。月光しかないこの夜でも、その色は割合すぐに判別できるものだった。


 伴ってその顔立ちもまた、すぐに分かる。


「ラウレウス!? お前どうしてここに!?」


「ガイウスさんこそ、何が起きたんですか!? あの二人までここに居るし……!」


 槍を構え、三人を見据えるラウレウスは、どうやらエクバソスとペイラスとは面識があるらしい。


 策に嵌められた筈の彼が無事である事を喜びながら、ミヌキウスは素早く周囲に視線を走らせた。


 あともう少し、相手の意表を衝ければこの場からの逃走も確実なものとする事が出来る――。


 そう思った直後、相対する敵三人を無数の土人形が襲撃する。


「あ?」


「何だ? 新手か?」


「邪魔を……!」


 数にして十体ほどだろうか。一斉に襲い掛かるそれらを迎撃しようと彼らが身構えた、丁度その時。


 土人形は自発的に爆散した。


「「「!?」」」


 それに驚き慌てて距離を取る彼らは、断続的な土人形の爆発によって視界が頗る劣悪なものとなっていた。


 当然それはミヌキウスらからすれば有利なもので。


「急いで、逃げるぞ! 早く!」


(わり)ぃ、助かるスヴェン! ほらミヌキウスさん!」


「あ、ああ……」


 立て続けに闖入者が現れて処理が追い付かないのか、呆とした彼を連れてラウレウス達はその場から逃げ出すのだった。





◆◇◆





「振り切れたみたいだな」


 背後を振り返りながらスヴェンが言う。


「先に外へ行っててくれても良かったのに……」


「馬鹿、お前を逃がす為なんだから俺が先に行っても意味無いだろ。勝手な行動は慎めよ」


「ご、ごめん……」


 真面目な顔で彼から説教を受けては、反論などしようもなかった。


 悄然として彼の言葉を受け入れ謝罪すると、そこでおずおずとガイウスが口を開く。


「それで、その子は誰?」


「あ、自己紹介がまだでしたね。俺はスヴェン。見ての通り靈儿(アルヴ)です。ま、血は半分しか入ってませんが。上級狩猟者(スペルス)である貴方と知り合えて光栄です」


「ああ、そりゃご丁寧にどうも。その様子じゃもう知ってるだろうがガイウス・ミヌキウスだ。先程は助かった」


 走っていた速度を緩め、歩きながら互いに自己紹介をする。


 しかしそれでも歩く速度は速足程度に急いでいて、出来る限り敵から距離を置こうとしているのが容易に分かる。


「俺はこれからラウを街の外にまで連れて行くんですけど、ミヌキウスさんはどうするんで?」


「俺は家族とかと合流する。落ち合う場所もすぐそこだ。仲間にも二人ほど心当たりがあるんでね、心配は無用さ」


「そうですか。ではそこまで同行しましょう。今は下手に散らかるより良い」


 スヴェンがそう言うと、ガイウスは意外そうな顔をする。


「別に良いけど……色々大丈夫? 逃げるんだろ、この街から? 出来れば俺も手伝いたいけど、ちょっとな」


慶司(けいじ)……ラウにとっては貴方も含めて大事な人なんでしょう? さっきも俺の制止を聞かずに突っ込んで行きましたし……これくらいの寄り道は許されますよ」


 そう言いながら彼はこちらを睨んで来る。どうやら尚も小言は言い足りなかったらしい。


 小さな声で重ねて謝っていると、笑みを浮かべたガイウスが頭に手を乗せて来る。


「そうか。ありがとな、ラウ。この恩は必ず返す。今すぐは難しいかも知れねえけど」


「いえ、恩だなんて。今まで散々助けて、匿って貰ったんです。寧ろ俺の方が返さなくちゃいけないものが多いですよ」


「いやいや、こんな状況だってのに街から逃げ出す手助けもしてやれないし、何よりお前を守り切れなかったのに……」


 申し訳なさそうな顔をしながら夜空を仰ぐ彼は、その心内で何を思っているのか。


 恐らく、彼もグナエウス達が密告した事をもう知っているのだろう。


 あれだけ派手に襲われていたのだ、何も聞かずとも荒事が起こっているのは気付いていたのだろう。


「そう言えば、皆は!? グナエウス達は!?」


「安心しろ、全員無事だ。あとでグナエウスとかには鉄拳制裁だけどな。つーか、裏切られて置きながらそれでも連中の心配すんのかよ?」


「ええ、だって別に裏切られた訳じゃ無いですから。俺が赦されなかっただけで。向こうが何と言おうと俺はあいつらを家族だと思うし、心配に思う」


「赦されなかった、ね」


 ガイウスはその言葉を反復していた。


 身長差があるせいで、空を見る彼の顔を窺い知ることは出来ない。よって何を思っているのかも、尚更推測する事しか出来ない。


 ただ、推測しようにも結局彼の心内を正確に想像する事は全く出来なかった。


 彼は今、色々な感情を抱えているのだろうと言う事が、ありありと思い浮かんだだけで。


「ガイウスさん……」


 何となく沈黙が気まずくて彼の名を呼んでみれば、その顔がこちらを向く。


「何だ?」


「いえ、あの、色々と有り難うございました。それに、負担を掛けてすみません」


「気にしなくて良い。で、クィントゥス達には会っていくのか?」


「ええ、せめて少しだけ。この前の時は、言葉一言も交わす間が無かったので」


 言いながら彼の先導で角を曲がれば、そこにはロサを始めとしたミヌキウス家に住む面々の姿があった。


 皆、疲れた顔をしているものの怪我は無く、その様子にほっと息を吐き出した。


 向こうも建物の角から現れたこちらに気付いたのか、顔を上げたレメディアが駆け寄って来る。


「ガイウスさん! それにラウ君!? 無事だったの!?」


「ああ、まぁね。色んな人に助けられて、お陰様で」


「良かった、本当に無事で良かったぜ……お前とグナエウス達が居ないって気付いた時は、冗談抜きで血の気が引いたぞ」


「クィントゥス……ごめん」


 夢でないか、幻でないかと、レメディアとクィントゥス両名はこちらの頬を引っ張ったり叩いて来る。


 普通逆だろうと突っ込んでやりたかったけれど、安心した様に涙を流すレメディアを見て、余計な事を言うのは野暮だと思った。


「全く、しぶといガキだねえ。けど特に怪我もなさそうで安心したよ」


「あ、あははははは……」


 遅れて歩み寄って来たロサ・ミヌキウスの言葉に合槌を打つけれど、実際のところ怪我はしている。


 スヴェンの治療のお陰で左脚骨折が治っているものの、無理は出来ない。


 だがそれを言うと余計に心配を掛けてしまいそうで、誤魔化し笑いを浮かべながら大人しく頭を撫でられ続けるのだった。


 そうして互いに無事の再開を喜び合っていると、不意に割って入る声が一つ。


「……何で居るんだよ」


「おいグナエウス! ラウに向かってそれは無いだろ!」


「うるさいっ! クィントゥス兄ちゃんもレメディア姉ちゃんも、どうして平気なの!? ユルスが死んだんだよ!? それもコイツのせいで!」


 空気が重くなっていこうとしているの察して、クィントゥスが制止するけれど、グナエウスは止まらない。


 尚も、糾弾を続ける。


「コイツさえ、コイツさえ居なければ……ユルスはっ、ユルスは……!」


「だからってラウ君を責めるのは違うって何度も言ってるじゃない! 先祖にその血が入ってたとか、本人にはどうしようも出来ないのに!」


 ガイウスやロサが無言で見守る中、遂にレメディアも耐え切れなくなってグナエウスを叱る。


 周囲の子供達はその剣幕に首を竦め、黙って事の経過を傍観していた。


「だって! コイツさえ、コイツさえ居なきゃ……生まれなきゃ良かったんだ!」


「勝手な事を言わないで! ラウ君自身が何かした訳じゃ無いのに!」


「いいやっ! コイツは悪魔だッ! これ以上一緒に居たらまた誰かが殺される! 一緒に居ちゃいけないんだ! 一緒になんて居られないんだよ! だから死んだ方が良い! ユルスの為にも、これからの為にも!」


「っ……グナエウス! そこになおりなさいッ!!」


 その怒りはとうとう耐えられない所にまで達したのか、レメディアは名前を呼び捨てにして怒鳴る。


 今までの説教でもここまで怒った事は無く、それが故にグナエウスだけでなくクィントゥスも驚きに目を見開き、固まった。


 周囲がシンと静まり返る中、レメディアは徐に手を上げ、そして。


「……ラウ君、放して」


「駄目だ。殴るな、レメディア」


「どうして!? どうしてラウ君が冷静なの!? 自分の悪口を言われてるんだよ!? 全否定までされて、どうして平気で居られるの!?」


 微弱な身体強化術(フォルティオル)を腕に施し、レメディアの手を掴んで押さえる。


 それでも暴れようとする彼女だが、直前でそれを察したクィントゥスも制止に加わってくれた。


「助かる」


「いや、別に。それよりお前、何でそんな落ち着いて居られる? 流石に俺だって、ここまで言われたら頭に来るぞ」


「ああ……前の俺だったらそうかもな」


 足から力が抜け、泣きながら崩れ落ちるレメディアの背を摩ってやりながら、彼の問い掛けにゆっくり答える。


「けどさ、グナエウスの言う事も強ち間違いじゃ無いって言うか」


「間違いに決まってるだろ!? お前が何したって言うんだ!?」


「お前らはそう言ってくれる。けど、俺が居たら色々困るのも事実だろ?」


「それは……!」


 思わず零れた微笑を向ければ、彼は言葉に詰まっていた。


「でも安心してくれよ。流石に自分から進んで死ぬ気はないからさ。ただ、お前らとはもう一緒に居られない」


「……!」


 そう宣告した時、クィントゥスの眼が悲しく見開かれた。


 レメディアの嗚咽も一瞬止まり、滂沱と涙を流し続ける顔を上げていた。


「嘘、でしょっ? 嘘だって言ってよッ!? 何でっ!? 折角、この街でっ、再会できたのにっ! ラウ君っ! 私達はっ、家族なんでしょ!? ねえ!」


「……ああ、家族だった(・・・)。でも俺は、赦されてない。また元に戻って良いかなんて、言える訳がないんだ。強引に戻ったとしても、その偽りの家族は必ず崩壊するよ」


「偽りだなんて……そんなっ!」


 言いながら、彼女は縋りついて来る。


 涙と鼻水が混ざって大変な形相になっているけれど、それを気にする素振りもなかった。


 その様子が見て居られなくて、腰に下げていた袋から比較的綺麗な布を取り出すと、レメディアの顔に押し付ける。


「うぅ……」


「……」


 何かを言いたそうにしていたが、それに気付かないふりをして、無理矢理涙と鼻水を拭いてやる。


 そうしてある程度拭き取った頃になれば、レメディアの涙は止まって嗚咽ばかりか聞こえて居たのだった。


「ラヴぐん……」


「レメディア、クィントゥス……ごめんな。俺はもう行く。連れも待たせてるんだ」


「ラウ……っ!」


「おいおい、お前まで泣いてんじゃねーよ。レメディアを頼むぞ」


 必死に堪えている様だが、既にクィントゥスの鼻頭は赤く、鼻も啜っている。


 おまけに声に湿っぽさまであれば、隠しようもなかった。


「ロサさん、ガイウスさん、今までお世話になりました。あと、さっきちょっと家を壊しちゃったんで、必要最低限のもの以外は置いて行きます。迷惑料として修繕費とかに使っちゃってください」


「済まないねえ、力になってやれないどころか、そんなものを……体調には気を付けな」


「ったく、俺らに余計な気を回してんじゃねえよ。ほれ、餞別だ。四の五の言わずに受け取れ」


「え、いや、あの。これは……!」


「良いから受け取れっての! 武器が槍だけだと不安だろ。売っぱらってくれても良いが、出来れば大事に使ってくれ。お前と一緒に同行する権利を失った、情けない男からのせめてもの謝罪なんだ」


 そう言って差し出されたのは、彼が腰に下げていた剣だった。


 止む無くずっしりとした重さのそれを受け取り、腰に下げる。


「ラウ、済まねえ。本当なら俺も今すぐお前について言ってやりたいんだが……」


「構いません。散々恩を受けて、この上更にってのは恩が返せなくなっちゃうんで。本当に、気にしないで下さい」


 そう言ってミヌキウス母子と言葉を交わし終えると、今度はグナエウスの方へ目を向けた。


 だが、やはり彼らの視線は厳しい。


「……何?」


「いや、ただごめんな。ホント済まなかった。赦して欲しいなんて言わないさ。でもお前らだけでも無事でよかった。この街で再会できて、本当に嬉しかったぞ」


「あ、そう」


 グナエウスはそう言って興味無さそうに視線を逸らすが、周囲の子供達は少し気まずそうで、始終俯いたままだった。


 碌な返事も貰えなかったけれど、別に良い。


 前回は、こうやって言葉を交わす間など無かったのだから。


 これだけ言葉を交わせれば、充分だった。


「待って……待ってよ、ねぇ……」


(わり)ぃ、その頼みを聞いてあげたいけど、難しいんだ」


 クィントゥスに背を摩られているレメディアに、再度それだけに言葉を掛ける。


「そんな……家族がまた集まったと、思ったのに……」


 微かに呟かれたその言葉に、その場に居た殆ど誰もが表情を暗くした。


 けど、そんな空気は好きでは無くて。


 彼らに向けて極力明るい声で、無理矢理にでも笑みを向けて言うのだ。





「さようなら。皆がいつまでも元気で居られる事を祈ってます」





 頬を流れる生温かい液体。霞む視界。震える呼吸。


 俺はもう、限界だった。




◆◇◆


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