CHiLD -error- ③
◆◇◆
いつもよりも、更に静かに感じられる深夜の街。
それもその筈で、この夜遅くに街の中心部近くは爆音がしたのだから。
指名手配され、密告によって特定されたラウレウスと言う若い白儿が為した所業である。
そこへ重ねて上級狩猟者であるガイウス・ミヌキウスが暴れたのだ。
彼ら二人は民家へ損害を出した訳ではないが、あれだけ大きな音が立て続けにすれば近隣住民も逃げ出すというもの。
「ガイウス・ミヌキウス……逃がしたかっ」
崩壊した住宅を見遣りながら舌打ちをする男の顔は、月明かりに照らされて不機嫌さを露わにしていた。
周囲を見渡せば外れた攻撃が当たり、破壊された住宅が複数見られる。
散乱するのは瓦礫だけではない。生死の分からない、ピクリとも動かない無数の人の形をしたものがゴロゴロと転がっていた。
「使えねえ連中だぜ。白儿だけじゃねえ、ミヌキウスの抑えにもならねえで、まんまとしてやられやがった」
嗅ぎ慣れた血の匂いに、彼――カエソニウスは反応を示す事もなく、嘲笑を浮かべている。
散り散りになっていた配下も段々と再結集しつつあり、しかし彼らは薄暗い月明かりの中にあっても分かるほど顔色が悪かった。
戦闘不能になって倒れている味方を見てか、それとも一度カエソニウスの統率を離れた事の叱責を恐れてか。
多分両方ともあるのだろうが、彼としては残っている部下をどうこうする気もなかった。
先程の交戦で動員していた配下の相当数が死亡、もしくは戦闘不能に陥っているのは明らかなのだ。
一々整列させて数を数えるのも面倒で、顎に手を当てて思案をする。
「カエソニウス様、配下の集合完了いたしました。……如何しますか?」
「負傷者やこの辺の片付けに、軽傷者と無傷の者を十名ほど残せ。戻って来る住人にはガイウス・ミヌキウスと白儿がやったと説明させろ」
「はっ、承知しました」
側近の男はそれだけ言うと配下の者へと指示を飛ばす。
これで街を守護する傭兵団の株を上げ、ミヌキウスの株を下げる一助になり得る。
配下の普段の行いが酷いので焼け石に水かも知れないが、打っておかないよりは良い手だろう。
その間もカエソニウスは次の手を考え、不意にその目を建物の影に向けた。
そこに居たのは、夥しい破壊と攻撃の痕跡に震えている子供達だった。
白儿がいると密告をして来た、十歳にもならない連中だ。
確か、その筆頭は他の子達を庇うように背にしているグナエウスとか言う男の子。
「……決めた」
口端を吊り上げる。
体の向きを子供達の方へ向け、一歩また一歩とゆっくり距離を詰めていく。
彼の目標が自分達だと気付いたグナエウスらは皆一様に震え、怯えが見え透いていた。
しかし、それでも気丈に振る舞うグナエウスの姿にカエソニウスは笑みを深めていった。
「感心したぜ、ハッタリとは言え大した度胸だ。だが、分相応かと言われると答えは否だ」
「……俺らに、何を?」
覗き込むように見上げて来るグナエウスの声は、これでもかというほど震えていた。
そんな姿を見ても、彼は威圧するような態度を止めず、乱暴に髪を掴んで言う。
「口の利き方がなってねえな。まぁいい、これから言う事に従ってくれりゃ文句はねえよ」
「……」
「ガイウス・ミヌキウスの家にまで行く、ついて来い。詳しい話は向こうについてから教えてやるぜ」
それだけを告げると彼は子供達から背を向け、配下へと更なる指示を飛ばす。
「ようし、出るぞ。行き先はミヌキウスの家だ。誰か、このガキどもの監視をしろ」
「わ、分かりやした!」
荒々しい風体をした男が数人、グナエウスらを取り囲み、睨み付ける。
余計な事をするなという牽制だろう。
十歳にもならない彼らに否と言える筈もなく、ただ諾々と従うしかなかったのだった。
「……そういや、エクバソスは無視して宜しいんですかい? 白儿を匂いで追跡に行った筈ですが」
「構わねえ、これだけ時間が経っても戻って来ねえんだ。もう勝手に捕まえて逃げたか、不慮の事態でもあったんだろ。どっちにしろあの程度の実力のガキがどうこうできる男じゃねえよ。それより今はミヌキウスだ」
「はあ、そうですか」
言いながら部隊を先導するカエソニウスだったが、不意にその足を止めた。
当然部隊の足も止まるが、彼が視線を向ける先には人影が立っていた。
「何してんだお前。てっきり約束を反故にして持ち逃げしたかと思ってたんだが……白儿のガキはどうした?」
「……邪魔が入った。ああ、クソがっ! あの野郎、鼻が曲がるかと思ったぜ」
「お前が手古摺るってのは相当な手合いだな。何があった……いや、やっぱいい。近付くなエクバソス」
怪訝そうな顔をしたカエソニウスは、しかし直後にその表情を真剣なものに切り替えた。
「エクバソス、お前は先に言ってろ。俺らに近付くんじゃねえぞ。めっちゃ臭えじゃねえか」
「言ったろ、邪魔が入ったって」
人の姿と嗅覚に戻ったとはいえ、それでも十分に悪臭なのだろう。エクバソスの顔は未だに顰められたままだった。
「……なるほど、鼻が利く相手ならそう言う手古摺らせ方も出来る訳だな」
「感心してんじゃねえ。匂い擦り付けんぞ」
「勘弁してくれ。こっちだってミヌキウスから損害受けた挙句逃げられてんだ。煮え湯飲まされた上で追い討ちなんざ要らねえよ」
互いに嫌そうな顔を向け合いながら、彼らは歩みを再開していたのだった――。
◆◇◆
静かな夜の街を、二人で歩く。
もう痛みを感じない左脚を見遣り、時折摩りながら思わず自分の口から零れる、独り言。
「酷い目に遭った……」
「一応骨は繋がったけど、身体強化術は無理に使うなよ。半端な熟練度だとまた折れるから」
「ああ、ありがと。滅茶苦茶痛かったけどな」
「だから予め痛いって言っただろ。こっちで口を押さえてなかったら、間違いなく大声が周りに聞こえてたぞ」
抗議の視線を向けるが、スヴェンは簡単にそれを受け流してしまう。
「ってか、ケイジはこの後どうすんだ?」
「どうすんだって……ガイウスさんの家に戻る訳にもいかねえしなぁ」
グナエウス達が裏切った。いや、裏切ったと言うのは少し違うかも知れない。
自分は赦されなかったのだ。
だとすれば、やはりレメディアやクィントゥスもそうであるかもしれない。
というか、そこまで行くと狩猟者の三人までもが怪しくなってきてしまって、誰も信用が出来ない。
「……どうしよ」
「行くとこないなら、俺の下宿先に来ねえか? 落ち着いて話せる場所、欲しいだろ。ってか今、向かってるんだけどな」
「ああ。確かに訊きたいことが山ほどあるけど……」
果たしてこの少年はどこまで信用して良いものか。
骨折を治してくれたお陰で歩けるようになったし、敵意などは今のところ微塵も感じられない。
ただしそれも、今のところである。
いずれどうなるかは、全く分からないのだ。
「そんな警戒すんなって。取って食う気ならとっくに食ってるよ」
「どうだか。より確実性を求めてるだけかもしれないだろ」
「……捻くれてんなぁ。何があったんだ、お前」
スヴェンが心内で何を考えているのか見極めようと睨み付けるが、彼は困った様に笑うだけ。
「兎に角、今出来る事は少ないんだ、俺に付いて来るって選択肢があっても良いだろ、別に」
「……もし敵意を見せたら殺す」
「怖えよ……っと、着いたぜ」
そう言ってこちらから視線を外した彼は、不意に先導する足を止める。
つられて足を止め、彼の視線の先へと目を向ければ、そこには横にも縦にも大きな建物の影があった。
暗くて良く見えないけれど、その辺の市民では到底暮らせない代物である事は明らかだった。
「これって……」
「今は深夜だから入り口はこっちな。行くぞ」
「あっ、おい待てよ」
締め切られた扉からは入らず、端の方にちんまりとある勝手口のような場所の扉を、スヴェンが数回ノックした。
「スヴェンです、戻りました」
そう声をかけてから十秒とせず、扉が開けられる。
彼に連れられて中へ入るが、天井から吊るされた照明の明るさに思わず目を細めた。
「ああ、少し照明がきつすぎましたか、ケイジ・ナガサキさん?」
「いえ、大丈夫ですよ……って、メルクリウスさん?」
斜め上から掛けられた声に反応して首を向ければ、そこには黝髪黝眼をした長身かつ華奢な青年が立っていた。
メルクリウス商店の長である彼が、そこに立っていたのだ。
「何で、貴方がここに?」
「ここは私の自宅なんですよ。住み込み従業員もここで暮らしているので、それなりの広さがあります」
「そうですか……」
ふと脳裏を過るのは、以前の記憶。
メルクリウス商店を訪ねた際、自分の記憶の一部が抜け落ちていたのだ。
何かあったのではないかと睨んでいるけれど、確証もない。
「何か気になる事でも?」
「あ、いえ、実はこの前お会いした際の記憶が一部ないもので、何かしら失礼でもしなかったかと」
「ああ、お気になさらず。少なくとも私の知る限り、ナガサキさんが粗相はなどしてはいませんでしたよ」
思い切って何故記憶がないのか訊いてみようかとも思ったけれど、勘違いだったら失礼も甚だしい。
結果として当たり障りのない質問の仕方になってしまった。
「それにしてもかなり汚れが目立ちますが、指名手配の件で追われてたんですか? あの手配書、この辺にも張り出されてましたよ」
「ええ……まぁ」
「そう警戒しないで下さい。一先ず湯浴みを為さっては?」
「遠慮しておきます」
ニコニコと人好きのする笑みを浮かべたメルクリウスの申し出だが、湯浴みをするのは流石に無防備過ぎる。
そう判断したのだが、ふと鼻を押さえているスヴェンの姿が目に入った。
「……何してんの?」
「いや、実はお前を救う際にめっちゃ臭い液体使ったんよ。相手も狼人族だったし、効果は抜群だったけど、そのせいでケイジにも匂いが……」
「確かにさっきから臭いなとは思ってたけど、そんなに?」
少しショックだったのもあって服の匂いを嗅いでみると、シミのようになっている箇所が目に付く。
嫌な予感がしながらも、意を決して嗅いでみれば。
「――くっさ!?」
「御免な、緊急事態だったんでお前に掛からない様にとか配慮できなかったんだ」
理科で試験管にやる見たく、手で仰いで嗅げばよかったと後悔しても後の祭り。
余りの悪臭に咳き込んでしまっていた。
「ですから、湯浴みを為さった方が良いと思いますよ。着替えもこちらで用意しておきます」
「……すみません」
苦笑するメルクリウスに対して、先程提案を断ってしまったのが申し訳なく、俯いたまま謝罪をしていたのだった。
この辺りでは珍しく浴槽もあったお陰で、じっくりと浸かって存分に疲れと悪臭を取り除けた。
治り切っていない擦り傷などに湯が沁みたが、とんでもない悪臭を取り除くためである。
我慢して傷口の砂なども落としておいた。
「風呂、本当にありがとうございました。代わりに何を礼とすれば良いのか……」
「いえいえ、これくらい大した事も御座いませんから」
用意されていた服に着替え、しかもそれが高品質である事に恐縮しながら、メルクリウスへと礼を述べる。
しかし、たった一人の為にこんな深夜で風呂を沸かすとなれば、結構な手間だと思うのだが。
「この後、私とスヴェンも入りますから。それに、加工した妖石で湯を沸かして居ます。水は井戸から引いているだけですし、大した手間では無いのですよ」
「でも加工した妖石って、結構お高いのでは?」
「……御客人が気になさる事ではありません」
にっこりと笑みを浮かべた彼によって、この話題が強引に打ち切られた。
もはや詮索するまでもなく、一度湯を沸かすに掛かる費用が高額なのだろう。
考えたくもないものである。
「私達が湯浴みをする前に、貴方に話しておかねばならない事があります。宜しいですか、ケイジ・ナガサキさん? いや、ラウレウスさん?」
「はい……っ!?」
思わず返事をしてしまったが、今世での本名を言い当てられた事に気付いて絶句した。
この街に来てから、知らない人には狩猟者のケイジ・ナガサキとしか名乗っていない筈なのに、彼はどうして知っているのか。
当然、メルクリウスにもラウレウスと名乗った覚えなどは無い。
ハッとして身構えながら睨み付けるけれど、しかし当の本人は泰然としていて敵意が感じられる事は無かった。
「どうして俺の名前を?」
「ついこの前、少しだけ覗かせて頂きました。非礼はお詫びします。ですが、貴方を害するつもりはありませんよ」
「覗く? 色々訊きたい事はありますけど、敵意が無いって証拠は?」
「そこに居るスヴェンが貴方を助けたでしょう? 殺そうとすればいつでも殺せた筈なのに、態々(わざわざ)室内でやる訳がないじゃないですか」
彼の黝い目が、鳶色の髪を持った少年へと向けられる。
視線を受けたスヴェンはそれを肯定するように頷いていた。
「そう言う訳だ。何より、疲弊したお前じゃあ俺とメルクリウスさんが敵に回ったら逃げ切れないぜ。取り敢えず腹括って話聞いてくれよ」
「……」
そう指摘されれば、確かにその通りである。
元より彼らの話を聞くしかないのだ。分からない事があれば順次聞けば良いだけだと、自分を納得させた。
「そんな訳だ、じゃあまずは俺の話を。ってか、ここに連れて来たのは俺の為なんで、メルクリウスさんが話す事は碌に無いんだけどな」
「お前が? まぁいいや、俺からも訊きたい事はあるし」
特に気になる事が一つ。
以前会った際、何かを匂わせる様な言い方を気にしていた事が特に気になっていたのだ。
それを解消するのに、今回はまたとない、丁度良い機会だろう。
「……じゃあ心して聞いてくれ、ケイジ?」
「スヴェン、俺の本名がラウレウスって分かってもそっちの名前で呼ぶのかよ?」
「何言ってんだ、こっちもお前の本名だろ?」
「――は?」
悪戯が進行中と言わんばかりに笑う彼の言葉に、一瞬頭が真っ白になる。
ただ、とにかく分かった事が一つ、この少年はやはり知っている。
不意に頭を過る、サルティヌスの顔。彼もまた、前世の記憶を持っていた。
今目の前に居る少年もまた、同じなのだ。
緊張のせいか、興奮のせいか、鼓動は早くなり、同時に心も逸る。
「じゃあスヴェン、お前も……」
「その通り」
分かったかと言う彼はそこで一旦間を作って、そして。
「俺は半靈儿のスヴェン、そしてかつては日本人――桜井 興佑だった者だ」
今度こそ、悪戯を完遂したような満足した顔で、彼はそう言い切っていたのだった。
桜井 興佑。
中学の入学式、その日から親しくなった友達だった。
小学校から上がって環境が変わり、新たに出来た親友であった彼とは、とても波長があった。
双方とも仲の良い友達を紹介し合い、彼らともつるむ様になって当時は散々騒いだ。
グループの中では一番笑いを取る奴で、人に好かれやすく、そのせいか割と弄られやすい。
不意に思い浮かぶのは、整っているけれど親しみ易さを感じさせる顔。
何度となく夢で見て、幻想である事に気付いて失望させられた顔だ。
もう二度と会えない、二度と見られない。
自分のせいで、不甲斐なかったせいで、死なせてしまった。奪わせてしまった。
そう思っていたのに、今目の前には一人の少年が微笑んでいた。
あの親友とは全く容貌が違うのにも関わらず、どうしてか面影が重なる。
どうしてか、懐かしくなる。
じわり、と胸の奥から込み上げて来る幾つもの感情。
疑問、謝罪、安堵、懐古、歓喜――。
感情の坩堝となった思考は、処理が追い付かなくて言葉の一つでさえも出て来やしない。
それに気付いたのか、スヴェン――興佑は、どこか前世を彷彿とさせる笑みを浮かべながら小突く。
「マジで久し振り、慶司。確実に言えるのは、十三年振りくらいってところかな?」
「お前、本当にっ、興佑なんだ、な……?」
胸から込み上げたものが遂に涙腺へと到達し、間を置かずそれは決壊した。
ぐちゃぐちゃになった感情のせいでこれが何の涙であるのか分からないけれど、多分これは全てが混ざっているのだろう。
何もかもの感情が混ざり合った結晶は、液体を塩辛くして頬を伝っている。
「良かった……や、良くはない、のか? とにかく御免っ、俺のせいでお前が、お前らが……!」
「おい……お前、何て顔してんだよ? 別に責めやしねえっての。大体、俺らは自分から慶司を助ける為に動いたんだぜ? むしろこっちこそお前を助けらんなくて悪かった。ここに居るって事はアイツに殺られたんだろ?」
「ああ……」
彼ともう一人の親友、アレンは自分を庇って殺された。故に、その後どうなったかなどは知る術もなかったのだろう。
済まなそうな顔を見せる彼に、気にするなという意味も込めて微笑しながら小突き返す。
「まさかまた会えるとは思わなかったぜ。以前、違う同郷の人とも会ったから、もしかしたらとは思ってたけど」
「え、同郷? って事はつまり、前世があっちの人って事?」
驚いた様子で訊き返してくるので、無言で首肯する。
「その人は何処にいるんだ?」
「……死んだ。事件に巻き込まれてな。ボニシアカでの話を聞いた事は?」
「ああ、白儿が出て狩猟者を惨殺したって話ね。与太話だって皆言ってたけど、お前を見るに本当っぽいな」
顎に手を当てながら彼はこちらを見て来る。その目は主に頭髪へ向けられていて、ふと気づく。
先程風呂に入って洗髪した際、染料も落としてしまっていた事を。
何故あの時に気付けなかったのかと不注意を呪っても後の祭り。ここまで来ると腹も座って来て、どうとでもなれという気持ちが強くなっていたのだった。
「そう。それで、俺を助けようとして殺された。……今思い出しても腹が立つ」
メルクリウスに促されるまま席に着き、テーブルの下で拳を握る。
それを見て立ち入った事を訊いてしまったと思ったのか、スヴェンは気まずそうな表情を見せた。
けれど、これは自分の不甲斐なさが招いた結果であり、訊いて来た事を責めるつもりなど全く起きなかった。
「そ、それにしても、まさか慶司が白儿だとは思わなかったぜ。風呂から上がって来た時は内心、びっくりしたもんだ。普段お前、髪染めてたの?」
「まーな。眼は紅いから髪の色もそれに合わせれば不自然でも無いだろ? それとメルクリウスさん、貴方も大して驚いた様子もありませんでしたけど、気付いてたんですか?」
先ほどから不気味に思える程、無言で事の次第を見守って居た青年へ水を向ければ、彼はゆったりと椅子に腰掛けていた。
“覗く”などと含みのある言葉を使っていた彼は、恐らく色々知っている。
そして、色々と何かをしている筈だ。
そう考えてじっと彼を見据えていた。
「いつから、ですか。それは貴方と会った時でしょうね。ついさっき覗いたと言ったのはその時にナガサキさんの記憶を見たからですよ」
「……?」
「意味が分かり兼ねますか? ですが落ち着いて下さい、私の魔法がそう言うものなのです。触れたモノの状態を把握し、そして変質させる。極めて固有性が高く、今のところ私以外にこの魔法を使う人は見たことありません」
そう言いながら、メルクリウスは足元に転がっていた小石を掌に乗せた。
一体何が始まるのかと思った直後、その小石の状態が変化し始めた。
「これは……?」
「等価交換という言葉をご存知ですか? ま、物質が変わるにしても元々のエネルギー以上の事象は出来ないという認識で良いです。例えばこんな風に」
段々と縮小していく小石は、気付いた時には金色の小粒に変化していた。
「手に取ってみてください。これが何だか分かりますか?」
差し出されたそれを両手で受け取るが、見た目の割に重量があり、驚いてメルクリウスを見遣る。
多分だがこの石、大きさが変わっただけで重さは変わっていない。
つまり、より高密度になっている。
「……まさか、金?」
「ご名答。良くご存じで。ま、こんな風に出来るのが私の魔法です。特徴としてはそれが例え生物でも弄れる点ですかね。だから記憶操作までも思うまま」
「じゃあ、あの時俺の記憶が飛んでるのも」
「ええ、当時はまだどうなるか分からなかったので、念のため弄らせて頂きました。その際、記憶も一部見えてしまいましてね。紅い染料をお求めになっていたので元々そうではないかと疑ってましたが、覗いた事で白儿であると確信しました」
そんな彼へ、無言で金の小石を返却する。
それを受け取ったメルクリウスはそこから更に、弁解するように口を開いた。
「一応言っておきますが、全部は覗いてませんよ。ほんの一部です。あそこの記憶から遡っても精々一時間程、貴方が見聞きした事と考えていた事が筒抜けになっただけで」
「それ結構な拷問では?」
横合いからスヴェンが指摘してくれたが、その通りである。
一時間とは言え、第三者に全てが筒抜けだったと言うのは本当に恥ずかしい。
あの時、変な事を考えてはいなかったかと記憶を探っても、既に大分時間が経ってしまっている。
細かい部分まで、特にどんな時に何を思ったかは覚えてなどいなかった。
「あ、ご安心を。誰にも覗き見た内容は言いませんから」
「当たり前ですよ。あと、本当にお詫びをしたいなら俺に紅い染料を無償提供してください」
「……分かりました、こちらの方で用意いたします」
「慶司、お前生まれ変わってから随分逞しくなったな。いや、図太くなったと言うか、厚かましくなったと言うか」
呆れた様にスヴェンが言うけれど、それも無理はない。
自分だってここまで周りから追い詰められるとは思わなかったし、人を殺す事になるとは思わなかった。
時折自覚するけれど、自分の感覚が前世のそれからは段々とかけ離れていく。
そんな事を考えていると、メルクリウスが口を開いた。
「ところで話は変わりますが一つ、私から提案があります」
「提案?」
「ええ。貴方は今、ここの警備兵などから追われる身でしょう? ここから逃げる際の手助けを私どもが、と思いまして」
そう言って黝眼の青年は柔和な笑みを浮かべていたのだった。
◆◇◆




