CHiLD -error- ②
◆◇◆
一歩遅かった。
状況を認識した時、ガイウス・ミヌキウスは強く後悔していた。
先程、ラウレウスたちが家を抜け出そうとしている気配に気付いた彼は、着替えてその後を追おうとした。
だが、まず家の明かりをつけるのに手間取ってしまったのだった。そのせいで着替えも遅れ、轟音と共に土煙の立ち込める場所へ駆けつけた次第だ。
その結果、今ガイウスは一人の青年と相対していた。
「……お前、これがどういう事か分かってんだろうな?」
「そりゃあ俺の台詞だ。子供達を唆しやがって!」
「唆す? 馬鹿言うな、コイツらが勝手に密告して来たんだ。なぁ?」
ガイウスを囲い込むのは、青年――カエソニウスとその配下達。
周囲の住民はその殆どが大きな戦闘音の影響で逃げ出しており、いずれの建物も無人であった。
改めてそれを確認したガイウス・ミヌキウスは正面の男を睨みつけながら、離れた場所で俯いている子供達に話しかけた。
「グナエウス、その男が言ってるのは本当か?」
「……うん」
「何故そんな馬鹿な真似をした? ラウはお前らの家族じゃ無かったのかよ?」
気まずそうにしている彼らにやや厳しい表情で詰問すれば、グナエウスは顔をあげて抗弁する。
「でもっ! アイツのせいでユルスが死んだんだ! しかも白儿! ここの街の子だって、あの種族は悪魔で、絶対に殺さなくちゃいけないって言ってたよ! それに、警備兵に言えばお金も手に入る!」
「そんな理由だけで家族を売るのか!? ラウは、お前らにとっちゃあそんな程度の存在だったってのかよ!? ふざけんじゃねえぞ!」
相手はガイウスより二回り以上も歳下の、男の子。
普段であれば声を荒げないであろう彼だったが、この時ばかりはそうもいかなかった。
「アイツがなりたくて白儿になったと思うか!? 家族に死んで欲しいなんて一度でも言ったかよ!? 本人にはどうしょうもない理由で、他人を責めんな!」
「……けど!」
「けどじゃねえよッ! その言い分を認めたら、お前らはラウに恨まれて殺されようと文句は言えねえんだぞ!? それで良いのか!?」
負けじと、尚も言い返そうとするグナエウスに喝を入れ、強引に黙らせる。
すると、それを見ていたひとりの青年が嘲笑しながら会話に割って入っていた。
「おーおー、子供相手に情けねえ。上級狩猟者の威厳も何もあったもんじゃねえな」
「カエソニウス……なら、子供相手に指名手配して、今の今まで姿も見つけられなかったお前だって、充分に情けねえだろ?」
「そりゃお前が庇ってたからだろうが! ……まぁ、それはもう良い。今回の件でお前は罪人を庇った。これで大手を振って処断出来るってもんよ」
月明かりに照らされたカエソニウスの顔が、愉悦に歪む。
そんな彼の表情を、心底毛嫌いするようにガイウスは顔を顰めるのだった。
「俺達はこのタルクイニ市の護衛を任されている傭兵団だ。それなのにお前は、指名手配した連中の一人を匿い、そして今は指名手配犯追撃の邪魔をする。数え役満だな」
「……自分らの為に権力を欲しい儘にしといて、いっちょ前に公務を気取るのかよ? 見っともねえ連中だな。お前らみたいな山賊崩れが、俺に勝てるって?」
「言わせておけばっ! これまで散々俺らの邪魔をしやがった礼、ここでしてやるよ!」
そう宣言すると、カエソニウスは地面に手を当てた――直後。
「ッ!!」
無数に伸びた砂の棘が、ガイウスを串刺しにせんと迫っていた。
しかしそれを危なげなく躱した彼は、その体に風を纏わせ始める。
「まずは、お前の腰巾着どもを掃除しねえとな」
「……っ! お前ら、下がれ!!」
瞬時にガイウスの狙いを悟ったカエソニウスが後退命令を出すが、時既に遅し。
随所で巻き起こった竜巻が砂塵諸共、人を吹き飛ばす。
時間にして十秒と経たなかったそれだが、竜巻が消滅して落下してくる影はいずれも、ピクリとも動かなくなっていた。
「ミヌキウス、テメエよくも!」
「俺の故郷であるこの街で、散々好き放題やったんだ。それ相応の対価は貰わねえと駄目だろ?」
辛うじて生き残った者達が悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
皆、自分の命が惜しいのだろう。だがそれもその筈で、竜巻に巻き上げられた者は他に巻き上げられた物や人と激しく衝突し、挙句地面へと叩きつけられるのだ。
その体が惨たらしいものになるのも無理からぬことだった。
「お前さっき、ラウを追うとか言ってたな? させる訳ねえだろ。子供相手にイキるなんざ、痛々しくて見てらんねえ。お前の為でもあるんだぜ?」
「……ははっ、大口を叩くの結構だが、言葉に気を付けろ。これ以上、俺の逆鱗に触れたくなけりゃあな」
「逆鱗? 触れたところで困らねえよ。だってお前、大して強くもねえし……っと!」
嘲笑するガイウスの足元が、唐突に崩れる。
即座に事態を察し、風の補助を受けて退避した時、そこには蟻地獄のような擂鉢状の地形が出来上がっていた。
「言いたい事はそれだけかよ? ならもう死にやがれッ!!」
「面白れぇ! 上級狩猟者に喧嘩を売った事、後悔させてやらぁ!」
月光の冷たい光が照らす中、二人は互いに不敵な笑みを向け合っていた。
◆◇◆
「……やっぱ遅ぇ。しかも途中から何か騒がしい……何つーか、風の音?」
気絶させた少年を小脇に抱えながら、エクバソスは己の耳に意識を集中させる。
音のする方は間違いなく先程まで己自身も居た場所で間違いはなく、しかし薄暗い事と建物が邪魔で何が起きているのかまでは知る事も出来ない。
いつまで経ってもやって来ないカエソニウスらに痺れを切らし、一旦建物の上にでも飛び乗って様子を見ようと脚に力を込めた彼は、そこで跳ぶ先を後方へと変えた。
「おっと! 誰だっ!?」
地面から飛び出した、一本の土の棘。槍のように長く鋭いそれは、先程までエクバソスの胸があった虚空を刺していて、反応が遅れれば彼は絶命していた事だろう。
もしやカエソニウスの仕業かと思ったが、彼の魔法属性は砂。やや水分を含んだ土の魔法とはやや異なる。
勝手に白儿を連れて行こうとした腹積もりを読まれたかと思ったが、恐らく彼ではないだろう。
だとすれば、面識のない第三者の可能性が高い。
夜目の利く己の眼で周囲を見渡すも、しかし人影は見当たらない。
人が即死しかねないだけの魔法を使えるのだ、近くに居る事は間違いないのだ。
しかし目で見つからない以上、今度は匂いで探る。
「……」
いつ攻撃が来ても良いように重心は低く、眼光も鋭く。
そうして暫くすると、微かに誰かの匂いを感知する。
極力足音を立てぬよう、細心の注意を払いながら素早く移動するエクバソスは己の間合いに入った時、一気に動いた。
脇に少年一人を抱えていても尚、彼の敏捷性に衰えはなく、故に物陰に隠れ外套を纏った人影は、棒立ちのまま反応する様子もない。
殺った、と必殺を確信して放たれた右の貫手は、過たず人影の胸を刺し貫いた。
――が。
その手応えは余りにも呆気なく、おまけに体温も感じられず、とても人間のとは思えないものであった。
「……土の、人形!?」
そこに至って人影の正体に気付いたエクバソスは、己が嵌められた事を悟る。
しまったと思った時にはもう遅く、独りでに動き出した人形は瞬時に彼の体へ抱き付くと、地面に引き摺り込もうとする。
「チッ……ああ、ウザってェな!!」
しかし、それはエクバソスの狼人族としての膂力の前に呆気なく粉砕された。
拘束を脱出した彼が背後に気配を感じて振り向いてみれば、そこには本体らしい人影が一つ。
常人から見れば十分な距離を取っていると思える場所に居るその人物は、先程までの魔法から判断するに造成魔法の使い手。
けれど己の身体能力に任せて距離を詰めてしまえば、瞬殺できる自信があった。
だが一気に駆け出そうとした矢先、その魔導士が先手を取って複数の何かを投げ付けて来ていたのだった。
「……」
もっとも、狼人族の身体能力をもってすれば、簡単に見切れる――そう思っていた無数の投擲物は、出し抜けに破裂した。
「……あ?」
棘のような形をした土の塊がそれらを射抜いた事を、彼の優れた動体視力は認識していたが、問題はそこではなかった。
破裂と共に、その投擲物の中に入っていた液体が飛び散り、地面やエクバソスにまで付着した方が問題だったのだ。
「これが何だってんだ……ッ!?」
べちゃりとした不快な感覚に顔を歪めた彼は、しかし途中で言葉に詰まっていた。
いいや、正確に言えば息が詰まったと言えるだろうか。
辺りから、ともすれば自分からも立ち込める凄まじい悪臭に、思わず呼吸を止めてしまったのだ。
「何、だよっ……これ?」
常人ですらもそれなりに厳しいと思える悪臭は、狼人族の優れた嗅覚を持つエクバソスからすれば、尚更堪ったものではない。
鼻腔を激しく攻撃してくる悪臭に意識を割かれ、小脇に抱えていたラウレウスを手放して咳き込んでしまうほどだった。
「クソがっ……何だこりゃぁっ!?」
余りに酷い匂いのせいで意識は乱れに乱れ、吐き気まで込み上げる始末。
「それじゃ、ケイジは頂いてくよ?」
「まっ、待ちやがれ……ぐぅっ」
思っても見ない事態に泡を食うエクバソスを前に、鳶色の髪と眼を持つ少年は、月光に照らされながら微かに笑っていた。
◆◇◆
「――」
懐かしい声が聞こえる。
少年の声だ。
その声が誰のものであるかを、聞き間違える事はまずないだろう。
「――」
あれだけ長い付き合いなのだ、少なくとも自分は彼の事を親友だと思っていたし、そう接していた。
騒がしく、かと言って騒ぎ過ぎない程度に弁え、他の親友たちと絡む際に多くの話題を提供してくれたのは彼だった。
彼のお陰で面白い会話が更に彩られ、その機転で何度笑わされたことか。
「――」
もう、夢の中でしか聞けないと思っていた。
けれど今、彼は人好きのする笑みを浮かべながら歩み寄って来ていて――。
そこまで至って、喜びに浸っていた思考が醒める。
ああ、これもまた夢なのだと。
「……う」
案の定、彼の姿は段々と揺らぎ薄れ、消えていく。
意識が現実へと引き戻されつつあるのだ。
段々と耳に入り込む雑音がその大きさと量を増し、伴って触覚も横抱きされている感覚を教えてくれる。
「……」
閉じ切っていた瞼が施錠の外れた扉のようにゆっくり開き始め、ぼんやりと周囲の状況が目に入り始めていた。
そのままほんの少しの間だけ、思考を空っぽにしていたのだが、不意にハッとする。
意識を消失する直前の状況を思い出し、ぼうっとしている場合ではないと思い至ったのだ。
慌てて目を開けば誰かに横抱きにされている様で、風の抵抗が髪を揺らし、頬を叩く。
しかし、エクバソスに敗北した筈の己が、どういう訳か拘束されていない。
四肢は自由そのものであったのだ。
だとすれば今、自分を運んでいるのは一体誰か。思い当たるのはガイウス、プブリウス、マルクスの三人。
以前も救って貰った上に、今もまた庇護下に置いてくれている彼らが来てくれても全く違和感が無かった。
また仮にそうでなくとも、運んでくれている人は明確な敵意を持つ人間ではないのだろう。どちらにせよ救ってくれたのならこの人物に礼くらいは示しておきたい。
だが、そう思って彼の頭を見遣れば、そこには顔が無かった。
「~~~~ッ!?」
頭部はある。しかし顔は、マネキンのようにのっぺらぼうで、鼻すらもない。
よく見ればそれは、土塊であったのだ。
「なっ、な、なななな何じゃこりゃあ!?」
全身が土で出来た人型が己を抱えて走っている。
想像だにしなかった事態に呂律も思考も上手く纏まらず、散々に狼狽えた絶叫をするので精一杯。
こうなるのも当然で、顔を向けたら土塊人形が人を抱えて夜の街を疾走しているのだ。
おまけに抱えられているのが自分自身だとしたら、落ち着いて居られる方が少ないくらいだろう。
特に、今さっき自分は意識を取り戻したのだ。
もう意味が分からない。
「あ、起きた?」
「……コイツのお陰でお目々ぱっちりだよ」
横合いから声が聞こえ、そちらに目を向ければ鳶色の髪が目に付く、目から下を覆面した少年が並走していた。
恐らく、この土人形を動かしている張本人だろう。
「びっくりさせたみたいだな、悪い。けど、俺の筋力的にも、あと匂い的にも自力で運ぶのがきつくってよ」
「……匂い?」
走りながら申し訳なさそうな顔を見せるという器用な真似をする少年の言葉に、引っ掛かりを覚えて訊き返す。
確かに先程から、鼻を嫌な匂いが通っていくのだ。
気になって訊いてみると少年は、途端に気まずそうな顔から誤魔化すような笑みを浮かべる。
「ま、まぁ気にすんなって。取り敢えず今はあの狼から距離を取らねえと」
「あっ、おい逃げんな!」
あからさまにはぐらかしに掛かる少年に尚も追及の手を緩めないが、結局答えを得られる事は無かった。
「……ところで、ちょっと前に起きた派手な爆発も、ケイジがやったって事?」
「派手な爆発? ああ、あれね。そうだけど、だから何?」
グナエウスらに嵌められて、エクバソスやこの都市の傭兵に囲まれた際、確かに煙幕づくりのために爆発を起こした。
けれどその事について例え恩人であろうとも深く話す訳にはいかず、警戒心も露わに少年を睨みつける。
「そんな警戒すんなって。別にお前をどうこうする気もねえよ。ただちょっと気になっただけだから」
「あ、そう。助けてくれた事には感謝するけど、それよりアンタ何者だよ? 何で俺の名前を知ってる?」
どういう訳か親しく話しかけてくる少年だが、彼に対して名乗った覚えも面識もない筈である。
なのに、どうして彼は狩猟者として登録した際の名を呼んで来るのか。
その理由も分からず、尚も警戒した目を向けていると、不意に彼と土人形が減速して、建物の影に隠れた。
周囲に人気もなく、下手に騒ぎ立てでもしない限りは見つかる事もないだろう。
「面識がないって言いたそうな顔だけど、俺とケイジはもう会ってるぞ。少し前に、屋根の上でちょっと話したじゃんか」
「屋根の上……?」
そう言われて思い出すのは、以前この街の傭兵を倒したせいで、彼らから追われた時の事だ。
その時、屋根伝いに逃げ回っていて、そして名も知らない人物に呼び止められたのである。
「まさかあの時の!?」
「そそ。まさかそれだけであんなに動揺して怪我まで負うとは思わなかったけどな。今日まで元気そうでよかった」
にっかり笑う彼は、なるほど確かに以前見た事のある顔であった。
言われるまで気付かなかったのは今が夜で薄暗かった事と、当時余りよく顔が見えなかった事が原因だろう。
「……で、そんなアンタが俺に何の用だって? それにこの前会った時も、何か意味深なこと言ってたし、その辺も教えてくれるんだろ?」
「まぁまぁ、そんな急くな。あと俺はこの前も名乗ったけどスヴェンだ。ケイジにお前としか言われないってのはちょっと寂しいし、そっちの名前で呼んでくれよ」
「あ、そう。それでスヴェン、お前は何者だ?」
このままで居ると相手のペースに飲まれてしまう。
そう考えて極めて素っ気ない対応を意識して、彼へと問いを投げ掛けていた。
「俺が何者かって……この耳を見れば分かる?」
「耳? ……あ」
強調するように耳へ手をやるスヴェン。確かに彼の耳は、長く尖っていて極めて特徴的であった。
「靈儿?」
「正解。まぁ俺はただの人間でしかない庸儿との混血で、血の濃さは二分の一だけどね。見ての通り土造成魔法が使える」
言いながら彼がこちらに視線を向けるが、そこには尚も人を抱えている土人形にも向けられているらしかった。
「で、ケイジ。これ以上の質問に答える前にやる事がある。見た感じ、骨が損傷してんだろ? 余り放置すると不味い」
「え、あ……」
彼に指摘された通り、確かに左脚の骨が折れている。
エクバソス曰く、身体強化の過負荷に体が耐え切れなかったと言っていたが、医者でもない自分にはこれがどの程度のものかも良く分からない。
「下手に治療すると骨がくっつく時に歪んじまうし……しょうがねえから俺の癒傷薬も使って治してやるよ」
「じゃあ、その間にこっちの質問に答えてくれよ」
「阿呆言え、一旦骨のずれとかを戻すんだ、痛さで会話どころじゃねえぞ」
「え?」
何を言っているのだと言わんばかりの指摘に、思わず訊き返していた。
痛さで会話どころではないとは、一体どういう事か。
嫌な予感がしてスヴェンの方を見遣れば、彼はこれでもかというくらいに素敵な笑みを浮かべていた。
「大丈夫だ、任せとけ!」
「なっ、何が!?」
「痛いだろうけど余り声を出すなよ。あの狼人族に声を聞きつけられたら治療どころじゃなくなるからな」
「いやちょっと待て! ねえ!? ねえっ!?」
声は控えめに、それでも必死さの滲んだ声でスヴェンに取り縋る。
だが彼は、無情だった。
「放置したら大変な事になるんだぞ。我慢しろ」
「え、いやあのその――――」
もはや取り付く島もなく、おまけに土人形に押さえつけられては抵抗も出来ず、拷問……もとい治療が始まったのだった。
◆◇◆




