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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第三章 ウタガワシキハ
54/239

第四話 CHiLD -error- ①



 まだまだやっていけると、やり直せると思っていた。


 けれどもそれは幻像で、空想で、笑ってしまうくらい的外れな推測であったらしい。


「お前のせいなんだぞ! ユルスが死んだのも、あの村から追い出されたのも!」


「友達が、友達じゃ無くなったんだ! あの生活をかえしてよっ!」


 小さい頃から知っている子供達はグナエウスを筆頭に、その表情に怒りを乗せて睨んで来る。


 薄暗いのに、こんな時に限って月は雲に隠れず、彼らの憎しみが、悲しみが余すところなく照らされていた。


「おーおー、すげえ嫌われようだな。ちょっと同情するぜ」


「……お前が(そそのか)したっての?」


「半分アタリだな。残り半分はコイツらの意思だ。白儿が居るって自発的に密告して来たのはあのガキだぜ?」


 月光を背負いながら、男――エクバソスはグナエウスを指差す。


「俺は通報があったから指示を出しただけ。そもそも通報されなけりゃ気付かなかったぜ」


「とか言って、まだ幼いのを良い事に焚き付けただろ?」


「元々ちょっとの衝撃で爆発しそうだったぜ。幾ら焚き付けたところで、家族のように過ごした奴をここまで憎めるわけねえだろ」


 出来る事ならば、隙を窺って一気に離脱したいが、対峙するエクバソスが許してくれる気配がしない。


 背を向けた瞬間に追撃を受けて制圧されてしまいそうだ。


 気を抜く暇も余裕もなかった。


「にしても、あのガキどもは上手く誘導したなぁ。お陰で上級狩猟者(スペルス)みたいな邪魔が入らずに済む」


「ガイウスさん達に邪魔されたくないから、ここまで連れて来た、と?」


「へへ、見れば分かるだろ。逃げ場はねえぜ、今度こそな」


 逃げるタイミングを計っている間に、気付けば周囲に無数の人影が認められた。


 その手には槍や剣、弓などと言った武器の影が見受けられて、明らかに一般市民には見えない装いである。


「ここ最近、犯罪者の取り締まりが厳しくなったってのは……」


「そりゃお前の為に決まってるだろ。ここまで誘い出す道中でチンピラに絡まれたんじゃ、作戦もご破算になっちまうかもしれねえんだからよ」


「それでも捕まえられるとは限らねえだろ?」


「大口を叩くな。お前の実力じゃ万に一つも脱出に可能性はねえっての。なぁ、カエソニウス?」


「全くだ」


 背後、少し離れた場所から聞こえた声に対して反射的に振り向いて、声の主へと目を向ける。


 そこに居たのは、周囲の配下らしい男達に比べて明らかに若い、青年だった。


 その身形もまた荒れくれ者のそれとは一線を画し、大商人か貴族にも見えなくはないほどだ。


 恰好次第は別に絢爛豪華という訳ではないけれど、軽装の鎧などを見るにその素材は粗悪なものではない。


 もっとも、それを纏う本人の人間性は、月明かり程度の証明でも容易に知り得た。


 軽薄な笑みを貼り付けた彼は、同じく軽薄な声で話を続ける。


「よう、白儿(エトルスキ)。俺はカエソニウス。これからお前を捕縛し、売り主となる男だ」


「あ、そう。勝手に妄想するのはいいけど、できもしない事をつらつら並べるのは痛々しくて見てらんねえな」


「お前こそ、逃れられると思ってか?」


 横柄な態度で腕を組み、不敵に笑うカエソニウスは、その場から数歩離れた場所に三体の人型を生み出した。


 まるで大通りの地面から人が湧き出してくるように現れたそれらは、月光に照らされてのっぺりとした全身を露わにする。


「砂人形……?」


「見ての通りだ。さて、お前は捌き切れるのか……見ものだ」


 嘲る様な色を伴った言葉と共に、砂人形が動き出す。


 その速度は迅速とはいえないものの、呆気に取られて隙を作った身としては、一瞬で間合いを潰されたと言っても良かった。


「この……!」


 内心大慌てで三つの白弾(テルム)を生成すると、一挙に撃ち出す。


 間髪入れず砂人形に着弾した白弾は、その上半身を吹き飛ばし、四散せしめる。だが、人形は止まらない。


 腰から下だけの人形が三体、尚も突き進んで来るのだ。


「気持ち悪ッ!?」


「そいつらは生きモンじゃねえんだぞ? 見て分かんねえのかよ、低能が」


「あっそ! じゃあ吹き飛ばしゃあいいんだろが!」


 万が一を考えて伏せさせていた大きめの白弾を一つ、敵を誘き寄せてから一気に拡散させて正面を薙ぎ払う。


 その結果、とうとう形を維持できなくなった三体は、脆くも崩れ去って大通りの砂に同化した。


 この隙に術師であるカエソニウスを倒そうと視線を向ける、が。


「真後ろが御留守だぜ?」


「!?」


 ぞわりとした感覚が肌を駆け巡り、勘だけを頼りにその場に屈んだ。


 直後にエクバソスの前蹴りが頭上を掠め、その余りの勢いに千切れた少しの髪の毛が空を舞う。


「へぇ、それなりにやるようになったじゃねえか」


「……殺す気かよっ!?」


 蹴りを空ぶった事による隙を消すように、彼は素早く軸足を入れ替えて一気に後退する。


 けれど、後退したと言う事は体重が後ろに掛かっている事の証左であり、ここを衝ければ倒せなくとも逃げる隙程度なら稼げる。


「!」


 追撃を掛けるために両足に力を込めた時、出し抜けに両足で踏ん張っていた地面の感覚が消失した。




「――っ!?」




 ズブズブと足が砂に沈んでいく感覚に、驚愕しながら足元を見遣れば、もう既に(くるぶし)までもが砂に埋もれていた。


 瞬時にカエソニウスの方へと視線を向ければ、やはりあの男は見下すような視線に嘲笑を乗せていた。


「急造の連携だってのに、こりゃ中々相性が良かったかもな?」


「同感だ」


「ぐぅっ……!」


 脳天目掛けて下ろされる、エクバソスの踵落とし。


 それを受けるために両腕へ身体強化を施して、尚且つ交差させた上で防御姿勢に入る。


 その凄まじい衝撃は、しかし足場が柔らかい事によって殆ど受け流され、代わり一気に腰まで地面に沈んでしまった。


「もう半分くれえで全部沈むなぁ?」


「簡単に沈むわけねえだろ!?」


「あ? ……無駄な足掻きをしやがるっ」


 一瞬上空に目をやると憎々し気に舌打ちをしたエクバソスだが、その呟きを残すと一気に後退した。


 同様にカエソニウスも素早く後退するが、その視線は上空に注がれたままだった。


 それら視線が向けられた場所の直下に居るのは、無論自分自身。


 己の頭上には、それこそ無数の白弾が展開されていたのだった。


「……砂が何だってんだっ、爆風で飛ばせば良いんだろ!?」


「正気かテメエは!? 下手すりゃ自分が生き埋めになるじゃねえか!」


 エクバソスが意表を衝かれて声を荒げるが、構いはしない。


 彼らの言葉の一切合切を些事と切り捨て、頭上に展開させた無数の白弾をそのまま地面に叩きつけたのだ。


 さながら雨のように、雹のように降り注ぐそれらは、その一発一発が凄まじい轟音と共に砂を吹き飛ばしていく。


 同時に、砂が乾燥していた故に夥しい粉塵を巻き上げる。


「……」


 咳き込まないように鼻に袖を押し当てながら、立ち込める土煙の濃さを確認していたのだった。





◆◇◆





「逃がすんじゃねえ、探せぇつ!」


「……無駄に頭の回るガキだ」


 砂埃が晴れた時、そこにラウレウスの姿は無かった。


 大方、この煙幕を作った隙に身体強化術(フォルティオル)で底上げした脚力を使って、屋根伝いに逃げたのだろう。


 ただ、問題なのは獲物が逃げた方向だ。


 この薄暗い夜にあって、砂埃と言う煙幕まであっては姿を目にしたと言う者が皆無であった。


 しかし、それで仕方ないと部下を許したりなどしないのがカエソニウスである。


「とっととしねえかっ!?」


「まぁまぁ落ち着けよ、カエソニウスの大将」


「落ち着いてなんざ居られるかっ! 逃がす訳にゃいかねえんだよ!」


「分かってるっての。だからここは、俺に任せとけ。な?」


 カエソニウスの肩に手を置き、窘めるように話すエクバソスの容姿は、狼のそれへと変貌していた――。





◆◇◆





 荒い呼吸の中、脳裏をグナエウスの糾弾が過り続ける。


 その度に思い起こされる、敵意の籠った視線。そして瞋恚(しんい)の滲んだ声音。


 お前のせいで、お前が居なければ――。


「……っ」


 乱れた呼吸のまま、狭い路地の壁に座り込んでいるのが悪いのか、息をするのが苦しい。


 ある程度息を整えてから座れば良いのだが、もう立ち上がる気にもなれなかった。


 もはや息が苦しいなど、どうでも良くなっていたのだから。


 きつく閉じた瞼には、三カ月以上も前に見たユルスの笑顔が焼き付いたまま離れない。


 自分のせいで、己があの場に居たせいで、白儿になってしまったばかりに、家族が死んだ。自分よりも年下の、弟分だった男の子を、死なせてしまった。


「やっぱ、俺って……」


 そこから先は、言葉に出せなかった。


 口にするのが怖かっただけではない。瞼に浮かんだ笑顔がもう一つ増えて、口を動かす余裕も無くなったのだ。


 ――サルティヌス。前世は同じ世界に居て、当時の名は牛膓(ごちょう) 寛之(ひろゆき)。社畜をしていたと自嘲していたのを今でも覚えている。


 短い、本当に短い付き合いだったけれど、それだけでも彼の人柄の良さは十二分に感じられる位には親しかった。


 彼もまた、もういない。


 死なせてしまった、自分のせいで。


 何度目とも分からない自責は止めどが無くて、止めて欲しいと心の片隅が叫んでいても、お構いなしに湧いて来る。


麗奈(れいな)興佑(きょうすけ)、アレン……俺って、どうするのが正解だと思う?」


 つつ、と頬を生温かい液体が伝い、唇を湿らす。


 塩辛いと認識して、そこでようやく自分が泣いていると自覚した。


「お前らもそうだ。関わった人が皆、不幸になっていく……俺の、せいで。グナエウスが言うのも当然だよな。嫌われたって、文句は言えねえや……ははは」


 先程まで熱を持っていた体は目頭を中心に加熱され、ただでさえ乱れていた呼吸は、そこに震えと湿っぽさが含まれていた。


 体育座りをしながら鼻を啜り、脚を抱える両腕により一層力を籠める。


 膝に重く感じる額を押し付け、口から熱の籠った息を吐き出していく。


「俺は……俺は何のためにここに居るんだよっ?」




「そりゃ愚問だな。お前は“収獲”されるために居るんだぜ? 白儿(エトルスキ)の利用価値を無視する奴が居る訳ねえじゃんか」




「……エクバソス!?」


 まさか返って来るとは思わなかった返答に度肝を抜かれ、声のした方を瞬時に睨みつける。


 月明かりが余り差し込まない裏路地にあって、微かに見える姿からしても、あの化儿(アニマリア)で間違いはない。


 くっくっと噛み殺す様に小さな笑い声を漏らす男は、足元に転がる石を蹴飛ばしながら、尚も歩いて来る。


 今更遅いかも知れないが慌てて眦の涙を拭き、同時に立ち上がって身構えた。


「まさか、悪魔こと白儿(エトルスキ)からそんな弱音が聞けるたぁな。資源が一丁前に人間らしい我儘とか、笑わせるぜ」


「俺は人間だ。ただ体の一部が違う、魔法の種類が違う、たったそれだけで人外と呼ばれるのは違うだろ。それを言ったらお前の種族の方が人外に近い。そうは思わねえの?」


「残念、俺らの種族は白儿(エトルスキ)みたいに骨や血液が魔法具の素材になる訳じゃねえんだわ。庸儿(フマナ)共の都市で精々奴隷止まり、物扱いは変わらねえが……根本が違うだろ?」


 生かしたまま使われるか、殺されて使われるか。


 同じ“物扱い”でも、根本が確かに違う。


 どちらが良いのかは一概に言えないだろうけれども、白儿(エトルスキ)は死して尚も死体を弄ばれ、使役される。


「体を解体されて、死しても辱められ、殺した連中の為に使われ続けるってのは……どうなんだろうな? 死者に話を聞けるなら、是非聞いてみたいもんだ」


「悪趣味だな。もし化儿(アニマリア)がお前みたいな奴ばかりなら、奴隷扱いされんのも当然だと思うぞ。とても人のやる事とは考えらんねえ」


 エクバソスの足が止まる。同時に、眉を顰めるような気配がするけれど、薄暗くて詳細は分からない。

 ただ、彼の機嫌は一気に急降下したらしい。


「……うっせぇ。てめえも俺らの種族を見下すって? だったら覚悟はあるんだろうな?」


「俺が見下してんのはお前だけだ。皮肉ってんのが分からねえか?」


「俺より遥かに弱い雑魚が、随分な口を叩いてくれんじゃねえか、え? 今度こそ両腕両脚の骨を全部折ってやんぞ」


 詰められた距離の分だけ、後退る。


 そうしてジリジリと距離を保ちながら移動していると、裏路地を抜けて月光の当たる路地に出た。


 伴って露わになるのが、エクバソスの容貌。


 人らしい顔立ちの面影は欠片もなくて、飛び出した鼻、口からは鋭利な牙が覗く。


 顔だけでなく服から出ている腕や脚にも獣のような毛が生えており、手先から伸びた爪が凶悪な印象に拍車をかけていた。


 ――“二足歩行”の狼。


 以前、この形態となったエクバソスによって痛い目を見た身としては、自然と顔が引き攣ってしまう。


「……その姿で匂いでも辿って来たって?」


「そりゃあな。あちこち探し回るより遥かに効率的だろ?」


 並んだ鋭牙が、月に照らされてギラリと光る。


 笑っているらしいが、やはりその顔は何度見ても凶悪そのもの。凶悪の具現化と言っても過言ではないかもしれない。


「さて、他の連中が来る前に始めようぜ。少しは強くなってるんだろうなぁ?」


「当たり前だ。お前なんか瞬殺だよ」


「言ったな? 失望させんなよ」


 言い終わるや否や、エクバソスの姿が掻き消える。


 狼の灰色の体毛も保護色となって、ただでさえ難しい視認が輪を掛けて困難になったのだ。


 だが、見失ったからと言って焦る事はない。


 ある程度は攻撃が読める実力が付いた、その自負があるから。


「……!」


「うぉっ!?」


 左側面に撃ち出す、一発の白弾。


 それと同時に吃驚した声がすぐそこで聞こえ、距離を取る足音がした。


 思っていた以上に至近距離まで近付かれていた事に肝を冷やしながらも、表面上は何でもないように取り繕う。


 何でもない風を装う事で、それが虚勢であっても相手にも牽制になるのだ。ない手札でも、あると思わせる精神的駆け引きの面は、トランプなどにも通じるものがあると言えるだろう。


「やるじゃねえか。なるほど、弱くはなっちゃいないらしい」


「当たり前だ。伊達にお前が(けしか)けた獣に殺されかけてないんでね。危うく溺れ死ぬかと思ったぜ」


「はーん、あの時のか。そりゃ死んでくれてなくて良かった。生け捕りしてこそ、お前の価値は最高に高まるんでね」


「……価値だのなんだのと……うるせえんだよっ!」


「おっと」


 撃ち出した白弾が空を切り、射線上にあった建物の壁に直撃する。


 派手な音と共に就寝中だったらしい市民の悲鳴が聞こえるが、そちらを気にする余裕などない。


「ははっ、さっそく民家を破壊だな、悪魔らしい。やっぱお前は捕まらねえと駄目なんじゃねえか?」


「そっちが仕掛けて来なけりゃ、反撃なんてしねえんだよっ! もうほっといてくれ! 俺は人間だ! モノでも資源でもねえんだ!」


「必死だなぁ? 笑わせてくれんじゃねえか」


 周囲に展開させる無数の白弾を、間断なく連射して行くが命中する気配はない。


 いずれも地面や建物に命中して派手な音と土塊を舞い上げるだけ。


 一発だけでも直撃すれば煉瓦の壁を破壊する威力であり、気が抜けない筈だろうに、余裕そうな態度に変化がないのだ。


「いつまで避けてんだよ!?」


「当たってやる義理はねえだろ?」


 エクバソスは、気に入らない事に哄笑しながら尚も容易く躱しながら徐々に距離を詰めて来る。


「お前、さっき泣いてたなぁ? 途中から聞こえてたがアレか? 自分に関わると他人が不幸になるとか思ってんだろ」


「黙れ……!」


「確かにお前に関わった奴は不幸だよなぁ。グナエウスとか言うあのガキどもは兄弟同然の奴を亡くして、おまけに故郷を追われた。それもこれも全て、お前のせいだ」


「うるせえってんだろ! その薄汚ねえ口を閉じろッ!」


 遂にエクバソスが火箭を掻い潜り、懐にまで入り込んで来る。


 それに対して身体強化術(フォルティオル)で全身へと魔力を張り巡らせ、近接戦闘へと移行した。


 これ以上、この男に何かを言わせないために、その口を塞ぐために。


 手っ取り早く、エクバソスを黙らせたかった。


「このっ!」


「ハッキリ言うぜ、お前は俺から見ても充分に疫病神だよ。誰かと関わっちゃいけねえ存在だ。白儿(エトルスキ)であるお前には、人である事は許されねえんだよ!」


「……ぃっ!?」


 全く予備動作も感じられないのに繰り出される、回し蹴り。


 正確には予兆もあるのだろうが、速過ぎて対応が追い付けないのだ。


 慌てて腕を回して脇腹を防御するも、その重さに思わず顔を顰める。


「自分でも分かってるんだろ? 立場って奴をよぉ!」


「知らねえよっ! 何で俺でもない誰かにそんなモンを決められんだ!?」


「あぁ? そりゃあなぁ、お前が弱いからだぜ? 雑魚には自分で自分を自由にする権利すらも持てねえんだッ!」


「っ……!」


 鳩尾に炸裂する、エクバソスの前蹴りで息が詰まる。


 どうにか足で踏ん張って耐えるものの、十歩分以上も後退させられて、二条の制動痕が残っていた。


「良いか、権利ってのは勝ち取るモンだ。元から持ってるもんじゃねえんだよ。当たり前だが与えられるモンな訳がねえ。もっと言やぁ、()しんば得た権利も守り抜けなけりゃ結局同じだぜぇ!?」


「勝手な理屈を……そりゃお前の言い分だろが!」


「いいやちげえ! この世界は、この世は力が全て! 金であれ、権力であれ、知恵であれ、それを力として活用できる奴が(つえ)ぇんだ! ただ物を与えられることに慣れた家畜は最弱者の立場に甘んじるしかねえんだよっ!」


 剛腕から繰り出される拳が、頬に直撃する。


 視界が揺れ、脳が揺れ、踏ん張る事など当然出来ずに吹き飛ばされて建物の壁に叩き付けられた。


「がはッ!! ……くそっ!」


 それでも骨が折れずに済んだのは強化術を施しているお陰か。痛む背中を押さえながらも、すぐに体勢を整え、エクバソスを見据える。


 だが、その時には彼の姿など無くて。


「俺から完全に目を離すからそうなるんだぜ?」


 頭上から聞こえた言葉に目を向けようとしたのだが、その前に脳天を衝撃が襲った。


 踵落とし――と認識したのは、意識が飛びかけて両膝を突いた時だった。


「まだ耐えるんかよ。意外にタフじゃねえか」


「……あっ、たり前だッ!」


「ふぅん、そう。じゃあいい加減身の程って奴を知れ。そろそろ飽きたわ」


「!?」


 冷たい宣告と共に、エクバソスの回し蹴りが放たれ、それは丁度膝をついていたために側頭部への直撃進路を辿る。


 どうにかして両腕を防御に回して勢いを殺そうと努めるけれど、その力の差は歴然だった。


 悪態を吐く間もなく浮遊感に見舞われ、視界が目まぐるしく変わっていく。


 気付けば、この体は無様にも地面へ叩きつけられていた。


「ははっ、無様だなぁ!? ええ? あれだけ大口叩いといてこれかよ!? だから言ったろ? お前は資源でしかねえってな!!」


「……」


「お前がどうするのが正解かって!? 大人しく俺らの言う事に従ってりゃ良いんだよ! それがお前に相応しい生涯だ!」


 霞む視界には夜空が広がり、冷たい月光が頬を照らす。


 エクバソスと組み合った時間は、恐らく二分と経っていないだろう。それほどまでに、やはり圧倒的な実力差だった。


 分かっていた事だけれども、やはり勝ち目など無かったのだ。


 そんな己の無力さに、心内からは沸々と怒りが起こって来る。


「俺は……」


 何も為せないまま、何も出来ないまま前世を終えて、そして今世もまた、自分にとって何の為にここまで生きて来たのか分からないまま、死んでしまう。


 そんなもので良い訳がない。


 従ってなど居られない。


「お前には、絶対に殺されてやらねえっ……!」


 命を終える時、最期に何か得るものがあったと思えなくては、生きた意味など無いではないか。


 特に前世は、心残りばかりが出来てしまった。その状態のまま今世を迎えたのだから、尚更簡単に誰かに縛られる訳にはいかなかった。


 もう、どれもこれも、人であろうとも運命とやらであろうとも、鬱陶しくて仕方ない。


 己に立ちはだかる、全てが邪魔だ。




 ――いい加減にしろよ。




 毎度思うように進めさせてくれないこの世界全てに対して、初めて吐いた悪態だった。


「……もう、どうでもいい」


「あ?」


「どうでもいいってんだよ。お前も含めて」


「はぁ? 何言ってんだ?」


 自分でも要領を得ない言葉なのは分かっている。だが、そもそも他人に説明してやる気も起きなかった。


 ただの障害物に何を説明しようと言うのか。そんなものは時間の無駄だから。


 面倒なのは全部粉砕してしまえばいい。それが一番楽だ。


 痛みなんてもうこの際一切無視、体が悲鳴を上げようが、そんなものは関係ない。知った事ではない。


 これで無茶が原因で死んでも構うものか。誰かに縛られた生き方など死んでも御免だ。


「もう俺の前からテメエら全員消え失せやがれッ!」


「――うおっ!?」


 瞬時に身体強化術(フォルティオル)を掛け直し、跳ね起きる。


 体に巡らせる魔力の調節など適当も良いところで、ただ固く、ただ強く。


 それだけを考えて魔力を巡らせていた。


「なんつう無茶しやがる!」


「ああ、避けんな……黙って死ねよ!」


 驚愕するエクバソスを他所に、血が滲むほど強く握られた拳を振り上げる。


 素早く回避されて、空ぶった拳は地面を破壊した。


 限られた範囲とは言え蜘蛛の巣状に亀裂の入ったそれは、一気にその場所を陥没せしめる。


 それを成した右拳を見て見ればもう血塗れで、尚も鮮血が滴っていた。


 言うまでもなくそこから発生する激痛が、右手にこれ以上の無茶をさせないで欲しいと強く主張している。


 けれど。


「まだだぁぁぁあっ!」


「このガキ!」


 痛がっているだけでは目の前に居る男を倒す事は出来ない。


 何より、エクバソスからの圧力を感じない。今はこちらが、彼を気圧せて居るから。


 気持ちだけでも上回る事は、格上を食らう為の要素としては特に重要なものだ。


 重心が後ろに向いている敵を前にして、下がるという選択肢を取る訳がなかった。


「調子に乗るんじゃねえっ!」


「乗ってたのはテメエの方だろが! ボコスカやってくれやがって!!」


「……っ!?」


 苛立ち紛れに放たれる貫手だが、恐ろしく速い筈なのに簡単に反応出来てしまう。


 左半身を前に出し、半身になっただけで攻撃を躱すと、握り締めた右手で一気に殴る。


 技を躱された隙のせいで反応できなかったエクバソスは、その右ストレートを鳩尾に喰らっていた。


 右拳を苛む激痛が更にその度合いを増すけれど、それに気付かないふりをして追撃の回し蹴りを頭部へ炸裂させた。


「畜生がッ! うざってえ足掻きを!」


 流れるような連係に彼は蹈鞴を踏み、自身の左側頭部を押さえながら鋭い目を向けて来る。


 しかし、今更睨まれたくらいで怯む訳が無かった。


 僅かに開いた距離をすぐに詰め、跳躍すると彼の頭を鷲掴みにする。


「潰す」


「……()っ」


 その間、対応の追い付かないエクバソスは時が固まったかのように一切の反応が出来ていなかった。


 呆けた彼の顔、その顎へと、突き上げるように膝蹴りを放つ。


 そうして真面にその攻撃を受けた事で、仰向けに倒れていく。


 特に上から手で押さえる事で衝撃の逃げ場を無くした点が、功を奏したらしい。


 このまま一気に畳み込もう。


 完全に力の入らなくなった右手を無視して、踏み込む脚に力を入れた直後。


「あっ――!?」


 左脚がボキリという悲鳴を上げた。


 あっさりと脚からは力が抜け、体の支えを唐突に失ったために、路上へ倒れ込む。


 咄嗟に腕を前に出して上体が地面に打ち付けられる事を回避したけれど、そちらに安堵している余裕はなかった。


 じわじわと、骨折したらしい箇所から熱を伴った痛みが押し寄せて来たのだから。


「ぐっ……!?」


「限界が来たらしいな」


「……何を!」


 痛みに顔を顰めながらそちらを見遣れば、そこには顎を摩りながらもしっかりと地面に立っているエクバソスの姿があった。


 かなり強めの攻撃を与えた筈なのだが、だというのにこの男にはまだ体力があったらしい。


「くそ、頑丈な犬っころだっ」


 とんでもない強靭さに、思わずそんな言葉が漏れていた。


 そんな罵倒に対し、彼は特に何かしら反応を示す事もなくて、頭を強く踏みつけて来る。


「流石に効いたぜ。だが、それもここまで」


「……どうかな?」


「虚勢を張るんじゃねえ。今お前、骨が折れただろ? 無理に身体強化術(フォルティオル)を使った代償だ。筋肉と骨、皮膚をバランス良く強化出来ねえと自傷しちまう」


 そこで一度言葉を切ったエクバソスは、どうやら何かを飲んでいるらしい。


 この状況で考えうるのはただの飲料では無く、恐らく癒傷薬(メディオル)だろうか。


 ぷはっ、とすぐにそれを飲み干し、二本目の栓を開ける音がした。


「特に経験の浅い奴は、力を求めすぎて筋力強化に偏重しがちでな。結果として筋肉の過負荷に耐え兼ねた骨がポッキリ逝っちまうのさ」


 軽く彼自身の体にも振り掛けているのか、それが終わると二本目もまた嚥下している。


「ま、そんな訳で動けねえだろ? 骨が折れなくても、反動で筋肉が疲労しちまってる筈だ」


「知った様な口を……」


「そりゃあ知ってるさ。今まで散々お前みたいな馬鹿を見て来たんだ。自分の力量を越える身体強化術(フォルティオル)を施して自滅した奴なんざ、もう見飽きたっての」


 嘲りと共に、頭を踏みつける足の圧力が増していく。


 抵抗したいけれど、彼の言う通り四肢に力が入らない。辛うじて動かせても、込められる力などたかが知れていた。


化儿(アニマリア)と力で勝負しようなんざ、阿呆の所業でしかねえって事実に気付かねえ奴が、多いんだよなぁ。元々の身体能力が違えんだ、一時的に得られるまやかし(・・・・)の力で勝った気になるんじゃねえっての」


「ぐぅっ……」


 頭に乗せられていた足が離れたと思ったら、今度は思い切り背中を踏みつけられる。


 肺の空気を強制的に吐き出させられ激しく咳き込むが、それを見てエクバソスは高らかに笑っていた。


 だが、勝敗が決したと決めるのはまだ早い。


 まだ自分には、魔法が残っているのだから――。


「おっと、そう来ると思ったぜ?」


 隙を狙って白弾を放つけれど、簡単に避けられてしまう。


 続けて更に放とうとしたのだが、その前に骨が折れた左脚を踏みつけられ、集中が途切れてしまった。


「うううううっ!?」


「その手には何度も煮え湯を飲まされてんだ、もうさせる訳がねえだろ」


「……このっ!」


「無駄だってんだろ」


 首の一捻りで渾身の白弾を躱され、また脇腹を強く蹴飛ばされる。


 彼の言う通り強化術などとうに解けた状態では、真面に腹へ入る衝撃も半端ではない。


 腹全体を席巻する鈍い痛みに、それ以外の事が一瞬意識の外へ向いてしまうほどだった。


 しかしそれでも尚、手は残っている。


「……飛んでった弾が元に戻って来る、だろ?」


「!」


「そうそう同じ手を食うかっての」


 完全に意識の外にあると思ったのに、振り向きもせずエクバソスは奇襲を見抜いていた。


 呆気なく戻ってきた白弾は躱され、夜空へ消えていってしまう。


「さて、これでもう分かっただろ? 幾ら魔法が使えたところで、そもそも逃げる為の脚が潰れてんだ。もしもこの場を切り抜けてえんなら、街丸ごと吹き飛ばさなけりゃ無理だろうよ」


「……っ」


「ま、そんな訳だ。諦めて寝とけ」


 その言葉と共に激しい衝撃が視界を揺らし、暗転していく。


「んにしてもアイツらおせえな。あ、このまま黙って持ち去っちまおうか」


 意識を失う直前、考え込む様なエクバソスの言葉が霞む思考の中に入って来ていた――。





◆◇◆


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