逆恨み小僧 ②
◆◇◆
「……まだ見つからねえのか?」
「へぇ、あっちこっちに人をやって探させてんですけど、どうにも……」
不機嫌そうに机を叩く青年に、報告者らしい彼は俯き跪いた格好で言葉を濁す。
尻すぼみになっていく報告者の言葉に、その言外の意味を察したのか青年は苛立った様に言った。
「もう全員、とっくに街の外へ逃げてるって事はねえのか?」
「それはないかと。少なくとも、その内の一人は確実にまだ、この街に居る筈です」
「もう二人はみすみす街の外へ逃したというのに、大した物言いだ」
「も、申し訳ありません……」
数日前に警備を突破されて、指名手配していた三人の内二人を逃してしまった事は、この青年を激怒させた。
面子が立たないからと、その場の責任者を直々に叩き斬ったほどである。
故に、報告者は自分も斬られやしないかと恐怖し、声も震えてしまう。
「……ま、逃がしたモンはしょうがねえ。残る一人についてはこの都市に居るってんなら、そいつの懸賞金だけ跳ね上げるか」
「良い考えかと。ではその様に下知致します」
「ああ、頼む。そんじゃ下がれ。この後来客の相手をせにゃならん」
「はっ、失礼します」
その言葉を最後に、報告者はそそくさと部屋を後にする。
途中、青年の言っていた来客と思わしき人物と擦れ違ったが、報告者にはそんな事を気にしている余裕はなかった。
ただ、己の命が今日もある事に安堵し、幸せをかみしめていたのだから。
だからだろう、微かに来客者が呟いた言葉などに気付く事は無かった。
「……へっ、小物が」
縮こまって逃げるように去っていく背中を一瞥した来客は、侮蔑するような呟きを残すと男の部屋へと入室する。
当然、そこに居るのは相変わらず不機嫌そうな顔をした青年が、椅子に腰かけ机に脚を乗せていた。
「失礼するぜ、この街の傭兵大将さん」
「何の用だ? こっちはあまり時間がねえんだが」
来客だというのに一瞥も寄越さない男は、退屈そうに天井を眺めている。
そんな失礼な態度に対して、来客は特に咎める様子もなく、代わりに頭を隠していたフードを外した。
そうして露わになるのは、頭の上部にある一対の獣耳。角のようにピンと伸びて空を刺すそれは、狼の物に類似していた。
「俺はエクバソス。実は今アンタの街に潜伏してるって言う、紅い髪のガキについて相談がある」
「……カエソニウスだ。貴様の提案、聞くだけ聞いてやろう。さぁ、言ってみろ」
エクバソスと名乗る来客に、青年――カエソニウスはようやく視線をそちらへ向け、笑う。
それを見たエクバソスもまたその精悍な顔に凶悪な笑みを浮かべていた――。
◆◇◆
ユルスの死を知ったあの日以来、何をしても心が揺れない。軽く笑う事があっても、腹を抱える程には笑えない。
嫌な事があれば何でも途轍もなく面倒臭く思えてしまって、やる気も起きない。
気を遣ってガイウス達やレメディアとクィントゥスが話しかけてくれても、会話が長続きしないのだ。
「ラウ、少し自分を追い込み過ぎだ。ユルスを救えなかったのは、俺達も一緒なんだからな。グラヌム村からこの都市へ来る道中、同行していた俺らも、何一つ有効な手立てが打てなかったんだからよ」
「ガイウスさん……」
気に病むな、お前のせいじゃない、引き摺るな、切り替えろ――。
周りの人から散々そう言った言葉を掛けて貰えても、沈んだままの気持ちには何の変化も起こらなかった。
「もうじき昼飯時だ。俺の方からも言い聞かせて見るから、もう一回グナエウス達と話してみろ」
「いえ、それは――」
もう結構です、と丁重な断りを入れようとした時、家の玄関が開いた。
そこから入って来るのは、ガイウスの親友であり仲間であるプブリウス・ユニウスとマルクス・アウレリウスの二人だ。
元々は家名で呼びかけていた彼らも、ミヌキウスだけ個人名で呼ばれるのが変だからと、個人名で呼びかけるようにしている。
「プブリウスさん、とマルクスさん……」
「おう、ラウ。今戻ったぜ」
最初は少し躊躇ったが、ガイウスの母親であるロサからの指示では否とも言えなかった。
そのお陰で彼らとの親しさは更に増したと言えるが、最近はそんな彼らとも会話を弾ませる事が出来ない。
それが自分自身の精神のせいである事が分かっている分、余計に心苦しいのだ。
「おう、帰って来たか。何か街におかしな事は?」
「ん、あー、少し面倒な事になった」
彼らの方へと目を向けたガイウスが外の様子を訊いてみれば、プブリウスが苦笑しながら後頭部を掻く。
面倒とはどういうことかと眉を顰め、視線を向けて話の続きを促せば、今度はマルクスが口を開いた。
「ラウレウス、お前に対する指名手配が強化された。具体的には懸賞金が跳ね上がったんだ。今や十万T、この街じゃ一躍有名人だぞ」
「加えて情報提供者にも褒賞が出るって話だ。もう家の外は市民が血眼になってお前を探してるぜ」
補足するように加えられたプブリウスの説明に、自然と溜息が漏れ、机の上に突っ伏して頭を抱える。
ただでさえ外出が出来ないのに、これによって輪を掛けて不可能となってしまったのだ。
市民に見つかって密告される危険を考えると、迂闊に開けられた窓にも近寄れない。
この世界にはゲームなどのような手軽に時間を消費できる娯楽など少なく、増々気が重くなる。
「どうやって暇な時間を潰せってんだ……ユルスを死なせたこと、ずっと悔いてれば良いのかな?」
「だからそれはお前のせいじゃないと言っているだろ。しかし参ったな、室内では魔法の鍛錬でも出来る事が限られてくるぞ」
「武器の鍛錬だってそうだろ。短槍どころか、剣の素振りだって気を付けなきゃ出来ねえよ」
「参ったな、これじゃラウレウスの憂さ晴らしも出来ねえって事か」
マルクス、プブリウス、ガイウスの三人が、困った様に頭を捻る。
どうにか出来ないものかと思案している様だが、今までの状況から更に輪を掛けて悪化したのだ。
打てる手立てなど、とうの昔に消えていた。
「精々、夜半にこっそり街を徘徊するくらいだろ」
「日暮れ以降の外出は余りお勧めできねえがな。治安は尚更悪いし、そもそも暗くて歩けねえ」
「夜の街に行くってんなら、それはそれで良いかもな」
「いや、夜の街は遠慮しときます。ていうか、それじゃ人目に付いちゃうし……」
沈んだ議論を打ち破るように、笑顔で歓楽街巡りを勧めるプブリウスに、至極真面な正論を向けて返す。
すると、それを聞いて苦笑した彼は、軽く手を振りながら更に言葉を続ける。
「冗談だ。けど、フード被って見て回るくらいならバレやしねえと思うぞ。指名手配で公開されてる容姿も、精々紅髪紅眼で肌が白い、あとは短槍を持ってる少年ってくらいだからな。薄暗い夜なら、身元に気付く奴はいねえだろ」
「あぁ、良いかもな。どうだ、見て回るくらいなら悪くねえんじゃねえか?」
「歓楽街を……?」
正直、行ってみたい感はある。強烈にある。もとより娯楽の少ないこの世界、しかもずっと家に閉じこもったままなのだ。
例え大した事は無くとも、それすら十分に娯楽足り得る。それ程にまで、自分は時間を消費する手段に飢えているのだから。
「良いですねっ!」
「だろ? ちょっとエッチなねーちゃん見て、その間だけでも嫌な事は忘れて過ごそうぜ。なに、危なくなったらすぐ退散すれば問題はねえ」
そう言ってガイウスがサムズアップした直後。
「楽しそうな話をしてるじゃないかい。ええ? 歓楽街に行くってか?」
「かっ、母ちゃん!? どこから湧いて来やがったっ!? そしてどこから聞いてた!?」
ひょっこりと顔を覗かせる初老の女性に、その場の誰もが度肝を抜かれた。
ニヤニヤと悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべる彼女の名は、ロサ・ミヌキウス。
泡を食ったガイウスが、自身の母親に連続して質問を浴びせれば、特に気にした風もなく彼女は言う。
「お前がラウレウスに、“少し自分を追い込み過ぎだ”って言ったところかねえ」
「全部じゃねえか。ったく、盗み聞きとか趣味の悪い」
「おや、趣味が悪いのはそっちじゃないかい? 隠してるつもりだろうけど、お前の特殊な性癖が垣間見える春画集の保存場所、とっくにバレてるからね」
「今その暴露は要らねえだろっ!?」
止まらないロサの口撃に、顔を真っ赤にした彼はもはや圧倒されて手も足も出ない。
しかしその一方で、保管していたエロ本が母親に見つかっているという事実には同情を禁じ得ないが。
「あ、そう言えばガイウスさん、借りていた魔拡袋は返しますね。勿論、この中に入っていた無数の春画集は無事ですよ。縛られてるのとか鞭のとか」
「だから今その返却は要らねえだろ!?」
弾かれた様にこちらを振り返り、顔を更に赤くしたガイウスが、この手に握られた袋をひったくる。
それを見て堪え切れなくなったのか、マルクスは俯いたまま小刻みに震え、プブリウスに至っては腹を抱えて転げ回っていた。
「だからバレてるって言ったじゃねえか! お前馬鹿だなぁ」
「う、うるせえよっ!」
彼が大事そうに抱えているあの袋の中には、確かに役立つ物が多かった。特に癒傷薬などは最たる例だが、正直あの中身で特に高額な部類に入ったのは春画集だ。
本屋などに入ってみるとやはり需要がある様で、そこそこの値段が提示されており、何度売却してしまおうかと思った事か。
結局売らずに手付かずで残ったままだが、もし売却したら彼の絶望は如何ほどだろう。
少し見て見たくもあり、しかし後が怖いので実行に移そうという気が起きない。
そんな事を思っている間にも、いつの間にやら会話はロサが牛耳っていて、話を取りまとめていた。
「はいはい。でお前ら四人は歓楽街に行くって事で良いんだね? まぁ、遊ぶなとは言わないさ。男だからねえ。ただ、今日の昼飯と夕飯は精の付く料理にしとくよ」
「いや別に利用する訳じゃ無いから! 見て回るだけ! そう言う要らん気遣い止めて!」
ニマニマとした笑みをたたえるロサの提案に、まるで思春期の少年の如くガイウスが抵抗する。
いや、これは誰であろうと同じ立場ならするのだろうが、普段とは全然違う彼の様子を見ているのは飽きない。
「ガイウス、アンタもう少し積極性を持ちな。折角悪くない顔に生んでやったんだ、ついでに腕っぷしも強いと来れば転がって来る女の一人や二人、居るだろ? とっとと結婚して孫を見せてくれ」
「何でそうなる!? 今の話の流れからどうやって俺の話に持ってくんだよっ!?」
「独身の娘なら、幾らでも紹介してやるよ? アタシは顔も広いからねえ」
「頼むからもう黙ってくれ……!」
マイペースで強烈な性格をした彼の母親に、ガイウスは絞り出すような声で懇願していた。
◆◇◆
既に陽は落ち、タルクイニ市も闇が覆う。
雲と雲の切れ間からは月光が差し込み、薄っすらと夜の街並みを照らしていた。
「よぅし、行くか!」
「いや、別に良いですけど……何でコイツが居るんです? あの場には居ませんでしたよね?」
「何だよ、居ちゃ悪いか?」
不満そうに唇を尖らせるのは、クィントゥス。
てっきり四人で行くのかと思っていた所に、同い年の少年が居て面喰らったのだ。
来るなら来るで事前に伝えて欲しかったとガイウスに目を向ければ、彼は笑いながら説明してくれた。
「すまんな、伝え忘れて。あの後暇そうにしてたクィントゥスも誘うかって話になって、その場のノリで声かけて見たんだよ」
「こんな面白そうな行事、逃す訳無いだろ」
「来るなとは言わねえけど……レメディアには気付かれてないだろうな」
少し心配なのが彼女の事だ。
もしも関知されたら彼女の事だ、確実に邪魔してくる。不健全云々などと言って男のロマンに横やりを入れて来る筈である。
その事は以前、グラヌム村にてガイウスの春画集を破壊した事からも見て取れる。
「大丈夫、そもそもレメディアなんかとは寝る部屋も違うし、抜け出すときも音は立ててないぜ」
「そうじゃなくてだな……お前、隠すの下手だから顔に出るんだよ。期待とか、わくわくとか」
この少年が嘘を吐くのが下手なのはとうの昔から知っている。以前は自分も良い勝負だったが、ここ三カ月の逃避行でそれも無くなってしまった。
それが少し寂しくもあり、嬉しくもあり、少し複雑な気持ちになるが、そこでガイウスが改めて仕切る。
「ま、もうここまで来たら気付かれていようが引き返せねえだろ。行くぜ野郎ども、突入!」
『おうっ!』
近隣住民を起こさぬように努めて声量を抑え、五人は握り拳を夜空に突き立てたのだった。
そうして始まった夜の散歩は、昼間とは違った街の顔を見せてくれた。
まずガイウスの家周辺を見るのが初めてだったが、歩いていく内に段々と見慣れた通りに出て、舗装の為されていない道を歩いていく。
「静かですね……」
「そりゃ建前上、夜中は外出禁止だからな。それに住民も明日の仕事に備えて寝るし、起きてるのは色んな意味で元気な奴と仕事中の奴だけだ」
そら見えて来たぞ、とガイウスが指差す先には、確かに薄暗い明りが設けられていて、人の気配がある。
次第に擦れ違う人も出始め、それを認めて被っていたフードを尚更深く被り直す。
酒場もあるのか、何処からか酔っ払いの声が聞こえ、また食べ物の匂いがする。
夕食を食べてからそれなりに時間が経っていたので、ややもすればそちらに意識が向きそうになってしまう自分が居た。
だが、その前にある光景が目に飛び込んで来る。
「おっ……」
「夜の街って感じだねえ。どうよマルクス、あの中ならどの娘が好み?」
「それは答えなくてはいけない質問か?」
「……堅物らしいな。もう少し素直になれよ。この歓楽街に向かう俺らに同行してる時点で、既にお堅くする意味は無いだろ?」
楽しそうに破顔するプブリウスの視線の先には、大胆に胸元を見せる娼婦の姿があった。
他の方へ目を向ければ、客引きの為か彼女自身の豊満な胸を男の腕へ押し当てている者も居る。
娯楽に飢えていた事もあって、これは見ているだけでも刺激が強いと感じられた。
「あら、素敵なお兄さん。今夜私を買って行かないかい?」
「ははっ、悪いね。連れも居るからそいつは難しいや。折角声を掛けてくれたところ申し訳ねえがな」
「あらそう。けど私、五人くらいなら一度に相手できるわよ?」
「そ、そりゃまた勇ましい事で。だが悪い、他を当たってくれ」
早速声を掛けられたのは、ガイウスだった。その顔立ちも当然だが、何より彼はこの街でも知名度がある。
上級狩猟者ともなればその実力も折り紙付きで、金を持っている事が知られているのだろう。
プブリウス、マルクスもまた声が掛けられていたが、各々もまた上手く断っていたのだった。
「そこの坊や、私を買ってはくれない? 少しくらいは安くするわよ? ねぇ?」
「う……っ」
フードを被っているこちらよりは声が掛けやすかったのか、先に捕まったクィントゥスが分かりやすく頬を染めている。
それを見て好機だと思ったのか、その娼婦は己の体を更に彼へ密着させ、自分自身を売り込んでいく。
押し当てられた胸が特に効いたのか、面白いくらい真っ赤な顔をしたクィントゥスは上手く言葉も出ない様子で、口籠っていた。
「お、おいラウ……」
「頑張れ、応援してるぞ」
「物理的に助けてくれねえかな!?」
肩を竦めてみれば、余裕など微塵も感じられないクィントゥスの声が返って来る。
仕方ないと思って彼へ助け舟を出そうとした、その時。
「!?」
「君、私を買ってくれないかい?」
出し抜けに手を引っ張られて、体勢を崩す。
人の多さと薄暗さもあって気配に気付くのが遅れ、慌ててそちらへ目を向ければ、妖艶な笑みを浮かべた娼婦の姿があった。
歳の頃は恐らく自分よりほんの少し上である程度だろうか。レメディアくらいの年齢の少女がここで客を取っている事実に、思わず絶句してしまう。
「私の顔に何か付いてる?」
「そう言う訳じゃない……あ、金もないから悪いけど諦めてくれ。そっちのお姉さんも、そいつのポケット触れば分かる通り無一文なんだよ」
「あら、本当に?」
「ひぇっ!?」
申し訳なさそうな顔を浮かべて彼女たちの客引きを断れば、クィントゥスの素っ頓狂な悲鳴が上がった。
中々聞けない彼の情けない声に失笑しつつそちらを見遣れば、彼の股間を娼婦の手が鷲掴みにしていた。
「ふーむ、気合は十分みたいなのに金がないのかぁ……そりゃ残念だ」
「あっ、ちょっ、待って、そこは……あっ、おっ」
「お姉さん、だから本当に金がないんだって。放してあげて、流石に可哀想だから」
手が動く度にクィントゥスの体と声が跳ね、見方によっては瀕死の虫に見えなくもない。
彼女はそんな反応が面白いのか、暫く弄んだ後でクィントゥスから手を放したのだった。
「次来る時はちゃんと金を持って来るんだよ? 坊やの顔、私好みだからお安くしとくわ」
「どっ、どうも……」
艶やかな笑みを浮かべてウィンクが向けられるが、その対象であるクィントゥスは内股で前屈みになったまま、生まれたての小鹿みたく震えている。
「おい、クィントゥスに何があったんだい? 幾ら訊いても、赤い顔で俯いたまま答えてくれないんだけど?」
「……訊かないであげて下さい。年頃の男子なら尚更、尊厳がヤバいです」
帰宅後、心配そうな顔をしたロサが問うてくるが、彼の名誉のために黙秘したのだった。
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