第三話 逆恨み小僧 ①
まだ一年も経っていないのに懐かしいと感じる、そんな夢を見ている。
貧しいけれど、充実している、生きていると感じられる厳しい生活。
近くには歳の近い緑髪緑眼の少女と、茶髪茶眼の少年。それぞれレメディアとクィントゥスと言う二人は、他の小さな子達を育てていく上で、そして一緒に暮らす上でなくてはならない存在だった。
二人とは、あの日を境に会っていない。無事かどうかも分からない。けれど忘れる事なんて出来ない、無関係で居る事など出来やしない、数少ないこの世界との繋がりだった。
「……」
そんな彼女と彼の顔が、今はこの顔を不安そうに覗き込んでいるという、夢。
夢とは言え久しぶりに見た二人の顔は、記憶とは何処か違っていて、成長するとこんな風になるのかなと思わせてくれる。
「ラウ君……」
「ラウ!」
「……うるせえな」
夢だというならもう少し静かにして欲しい。
余り煩いと夢とは言えども、目が覚めてしまうかも知れないではないか。
例え夢であっても、もっと長く二人とは一緒に居たいのだ。
だが、夢の中のレメディアは変わらずお節介だった。
「うるさいって何さっ!? 人がこんなに心配してるんだよっ!?」
直後、右脇腹を激痛が襲う。
それがもう、痛いと言ったらありはしない。言葉に出来ないそれに、当然ながら目が開いてしまう。もっと言えば、意識も冴え渡った。
お目々パッチリである。
「いっっっってぇぇぇぇぇえっ!?」
引っ叩かれたらしい右脇腹を押さえて跳ね起き、肺の空気が空になる程に絶叫した。
叫びつくして、空になった肺へ空気を再充填しながら呼吸を整えていく。
「……ったく、夢でも容赦ねえな、レメディアは」
「まだそんな事を言ってっ……!」
「いや待てレメディア! もう一発はマズい! 幾らなんでもマズい! 傷口開いちゃうから! 血が出ちゃうから!」
絶対安静なんだそと、余裕の全くないクィントゥスの声がする。
普段であれば暴走する彼が、普段であれば常識的なレメディアを押さえているのだ。
おかしい、これはおかしい。今までであれば天地がひっくり返ってもあり得ない事である筈だ。
つまり。
「……何だ、まだ夢か」
「よしレメディア、やっぱ叩いて良いぞ。思い切りやれ。傷口開いて血と内臓撒き散らしても知らん」
「合点承知!」
「いやちょっと待って冗談だからーーッ!」
ゴキリと拳を鳴らすレメディアに、とうとう身の危険を覚えて、降参する。
具体的に言うと上体を投げ出しての、ベッドの上で全面謝罪。
言葉は多くを語らず、取り敢えず謝罪の言葉を述べるのだ。
その甲斐あってか怒りの炎を燃やしていたレメディアとクィントゥスは段々と鎮火していた。
「本当に心配したんだからね?」
「全くだ、俺なんかお前が白儿だったって話をレメディアから聞かされただけだからな? 何も言わずに居なくなりやがって……!」
「うっ、悪……」
頭へ乗せられる、クィントゥスのチョップ。見かけ以上に加減されていない威力に変な声が漏れるが、抗議の声を上げようとして止めた。
彼の眦に、涙が溜まっている様に、見えたから。
レメディアを見てもそれは同じで、彼女に至っては止めどなく頬に涙を流していた。
そんな二人を見て、何となく軽口を言うのも憚れて、頭を掻きながら言葉を探して。
「ふ、二人共……ごめんな。また会えて、本当に嬉しい。無事で、本当に良かった」
「そりゃこっちの台詞だッ」
「そうだよっ。何処かで悪い人達に捕まってはいないかって、不安だったんだからね!?」
折角その場の雰囲気に見合った言葉を選んだというのに、二人から怒られてしまった。
解せないけれど、しかしこんな気の置けない会話がとても久し振りで、心地良くて、どうしても笑みがこぼれてしまう。
安堵して、だからだろうか。笑っているのに目頭が熱くなって、涙がこぼれてしまう。
「……辛かった。本当に、辛くてっ、寂しくてっ、もう駄目だってっ、何回思ったか……!」
体に掛けられた毛布を思い切り握りながら、ここの奥底に溜まっていた気持ちが溢れ出す。押さえ込んで、圧縮していたそれらが、まるで限界に達した様に噴火して、止まらない。
もはや、溢れ出すのは涙と、嗚咽。
咽ぶこの体を、不意に毛布とはまた違う暖かさが包んでくれた。
「そうだよ、ね。心細かったよね。ごめん、その時一緒に居てあげられなくて本当にごめんなさい。君の辛さを、寂しさを分かち合えなくて、ごめんなさい」
「レメ、ディ、ア……っ。ちがっ、お前が、謝る事じゃな……いっ!」
「いいや、俺からも謝らせてくれ。お前が困っている時に、駆け付けてやれなくてごめんな。頼りにならなくて、ごめん」
「クィントゥス……!」
後はもう、言葉が出なかった。
ただ、その部屋一帯を三人の泣く音だけが聞こえていた。
三人揃って一頻り泣いてから、暫く。
「……ところで、ここどこ?」
ここに至ってより周りの事に注意が向くようになって、二人へと訊いていた。
見回せば、木造と石造が混ざり合った建築様式で、その造りはしっかりしている。隙間風などはあったとしてもほんの僅かなものであろう。
少なくとも、以前グラヌム村で暮らしていた時の家より数段、いや数倍上等であると言っても過言ではない。
このような家に住める人など、例え裕福な都市の市民であろうとも、限られたごく少数しかいない筈である。
だとすればここは一体誰の家なのか。
「当てて見なよ?」
ニヤニヤと面白そうな顔をしているレメディアの様子から推測するに、恐らく知っている人。だとすればその数は極めて限られてくる。
特に、頼れる大人、信頼できる人物となれば……。
「え、まさか?」
「さぁ、どうでしょう?」
心当たりがあるのは、三人。けれど、果たしてその中の誰か。
もしかすれば何か判断材料となるものがあるのかもしれないが、生憎今は皆目見当が付かない。
ただ、彼女も知っている共通の大人であるとすれば彼らしかいない。他に外の世界を知る頼れる人はいないのだから。
だけど、彼らは――。
「……駄目だ、分からん。あの人たちの誰か何だろうけど」
「そりゃ、残念だ。それくらいは正解してくれると思ったんだがなぁ?」
「ミっ、ミヌキウスさん!? 無事だったんですか!?」
ドアを開けて姿を現したのは、この家の主らしい青髪青眼の青年――ガイウス・ミヌキウス。
その姿に傷は見当たらず、またしっかりと足もある。
「おい、俺は幽霊じゃねえぞ」
「そうみたい、ですね。本当に良かったです……」
これでもし死なれていては、言葉も出なかった事だろう。
だが、他の二人は? アウレリウスとユニウスは?
そう思って周囲を見渡すも、どこにも見当たらない。
まさか、と思う気持ちを察してか、肩を竦めたミヌキウスは口端を緩めた。
「生憎、マルクスとプブリウスは生きてるぜ。無論、二人共大きな怪我もない。しぶといだろ、俺らは?」
その言葉に、安堵して破顔する。
ミヌキウスもまた同じように笑い返し、言う。
「ここはタルクイニ市にある俺の実家。覚えてるか? 逃亡先の候補として、あの森の中で挙げてたんだぞ」
「そう言えば、そうでしたっけか?」
目まぐるしい当時の状況と、その後もまた気の抜けない展開の連続で、数か月前の記憶すらも遠く感じる。
思えば、グラヌム村から脱出した時には夏に差し掛かろうとする季節であったのに、今や秋に入ろうとするほど、月日が経っていた。
普段の生活であれば、たったそれだけの短い期間なのに、何年も昔の事であるような気になってしまう。
「まぁ覚えてないのは仕方ねえが……それより何があった? お前、ここの領主から指名手配喰らってんぞ」
「あー、ちょっと連れが加減をしなかったもんで、大事になったんですよ」
「連れ……ああ、それであの二人か。聞いた話と矛盾はねえな。因みにお前は、怪我して倒れてた所を偶々レメディアが見つけて今に至る」
あの時は度肝を抜かれたものだと、当時を振り返って彼は笑う。
「俺が遠出から帰って来たと思ったら、買い物に出掛けてたレメディアとクィントゥスが、お前を抱えて帰って来たんだ。あの時の、特にレメディアの表情は真剣だったぞ」
「ちょっ、ガイウスさん! それは言わないで下さいよ!?」
上機嫌な彼の口を、真っ赤な顔になったレメディアが塞ぎに掛かる。しかし、身長差もあって簡単に避けられてしまう。
同時に、彼らの遣り取りの中に親密さが窺い知れる。
「凄かったよな、クィントゥス?」
「ええ、ガイウスさんの言う通りっすね」
「ちょっとぉーーっ!?」
割と警戒心が強い筈のクィントゥスもまた、ミヌキウスの事を個人名で呼んでいるくらいだ。
村で会った時には、彼には姓で呼びかけていたというのに。
だがそれも無理はないだろう。こちらが過ごしていた月日と同じ数、彼らも過ごしていたのだから。
ほんの少し、置いて行かれたような気がしたけれど、その一抹の寂しさには気付かないふりをして、笑う。
「ったく、微笑ましいなぁ」
「ちっ、違いますってば! 私はただ、やっと会えたラウ君がそのままいなくなっちゃう様な気がしただけで……! とにかくラウ君っ、違うからねっ!」
「……え? ああ、うん」
彼らの会話の途中で思考に沈んでしまっていたので、笑顔を向けて早々に何かの否定を受けて面食らう。
途中がどんな話の流れだったのかは知らないが、取り敢えず適当な合槌を打っておくのだった。
何となく、下手に顔を真っ赤にしたレメディアに訊き返すのは憚られて。
ただ、一抹の寂しさを抱えた、己の心内の奥深くを知られてはいけないと思って。
自然な笑顔を意識しながら、努めて自然に自分から新しい話題を提供していくのだ。
「真面目な話、俺はどれくらい寝てました?」
「二日だ。だから今日は九月の二十一日目になる」
「二日……」
「その間レメディアは付きっ切りだったぞ。感謝してやれよ、一生」
「余計な事を言わないで下さいっ!」
二日寝たお陰か、右脇腹の傷も完治には遠いけれど回復している。恐らく癒傷薬も使われたのだろうが、綺麗な包帯には血などが一切滲んでいない。
それをやってくれたのは、やはり彼らな訳で。
「皆、ありがとう……」
「おう、まぁ俺は場所と物資を提供しただけだがな」
「あと、この中で一番働いたのは俺でもガイウスさんでもなくレメディアだな。涙まで流してたんだぜ? 礼ならそっちに」
「まだ言うのはこの口かッ!!」
「え、待って今のは冗談だってレメディアぁぁぁぁぁぁあっ!?」
蟀谷を彼女の拳骨で挟まれたクィントゥスが断末魔の叫びをあげるが、ミヌキウスと二人で助けずに笑う。
やはり、先程の寂しさは単なる気のせいだったのだ。ここに居るのは、彼らと一緒に居るのは、楽しい。腹の底から笑う事が出来る。
前世がそうであったように、気の置けない仲の人がいる事は心を軽くしてくれた。
そうして笑っている時に、ひっそりとミヌキウスが耳打ちをして来た。
「因みに、クィントゥスもクィントゥスでお前を助ける為に駆けずり回ってたからな。ちゃんと感謝してやれよ」
「当然です。アイツの性格は、俺も良く知ってますから。受けた恩は返しますよ」
それは当然あなた達にもですよ、とは言わない。
ミヌキウス達にはいずれ、サプライズと言う形で恩返しをしたいのだ。意識させてしまうのは少し困る。
「……さて、全然場所も違うし俺達の家でも無いけど、これだけは言わせて貰うぜ」
いつの間にかレメディアの拘束を抜け出したらしいクィントゥスが、蟀谷を押さえながらこちらを見る。
そんな彼の目には尚も衰える事の無い喜色が浮かんでいて。
「おかえり、ラウレウス」
「ああ、ただいま」
何度目とも分からない笑い声が、この場に巻き起こった。
◆◇◆
傷が完治するにはもう少し時間がかかるらしい。
その為、クィントゥスの言う通り今しばらくは絶対安静で、その間はレメディアかクィントゥス、ミヌキウスらが世話をしてくれる事を約束してくれた。
まさに至れり尽くせりで有難い事この上ないのだが、その好待遇に思わず気が引けてしまうくらいだ。
だから、必要最低限で良いと丁重に断らせて貰った。何から何まで世話をされると言うのは気持ち的にも落ち着かないのだ。
なので病室として宛がわれたミヌキウスの部屋にはベッドと彼の幾らかの私物、椅子と机があるだけ。
開け放たれた木戸の窓からは心地良い風が入り、やる事が無ければそのまま自然に寝入ってしまいそうになる。
「……」
「……」
だが、今は全く眠れそうにない。
別に差し迫った事態という訳ではない。ただちょっと困惑していると言うか、面倒な事態になったというだけで。
「……あの、何か御用ですか?」
「いいや、特には無いよ。ただ息子が新しく受け入れた居候の顔を拝みに来たのさ」
上体を起こそうとすれば病人だからと制止され、ベッドに寝そべったまま顔だけを向ける。
そこに居るのは五十代かと思わしき女性。彼女曰く、ガイウス・ミヌキウスの母親で、名前はロサ・ミヌキウス。
癖のある髪と、如何にも癖のありそうな容貌をした矍鑠な女性だ。
息子のガイウスが以前語っていたところによれば、確か余り体調が芳しくない、筈だったのだが。
「それにしてもまぁ、真っ白で真っ赤だねえ。下の毛も白いのかい?」
「……似てるな、親子」
快活に笑うこの女性には弱っている気配は見られず、何よりこの母あっての息子だと痛感させられる。
「あの、ミヌキウスさん……」
「ロサで良いよ。息子の事もガイウスって呼びな。どっちも家名で呼びかけたら、紛らわしいったらありゃしないんだから」
ほら言ってみなと、彼女は背を叩いて来る。
割と加減も遠慮も無いそれに思わず咳き込みながら従えば、嬉しそうに頭を撫でて来るのだった。
というか、レメディア達が「ガイウスさん」と呼んでいたのは、どうやら彼女が原因だったらしい。
一々親密さの距離云々を気にしていた自分がアホらしく思えてしまう。
「中々良い顔立ちしてるじゃないか。性格も従順だ。将来はいい奴隷……もとい旦那になりそうだ」
「そりゃ貴女みたいな人を前にすれば、そうもなりますって……え、奴隷?」
結構聞き捨てならない言葉が聞こえたのだが、聞こえ間違いである気がしない。
まあ、こんな快活な人と添い遂げたガイウスの父親は、間違いなく尻に敷かれたのだろう。故人なので本人から直接の確認を取る事は出来ないが、想像に難くない。
容易に想像できてしまうくらいだ。
「まぁまぁ、気にすんな。それよりもお前さんの話を聞かせてくれないかい? 御伽話に出て来る白儿をお目にかかれるなんて、普通ならあり得ない事だからねえ」
「えぇ……まぁ、はい……」
何だこの人は。
こちらに会話の主導権を握らせてくれない。言いようにマシンガントークを続けられて為されるがまま、何もさせてくれない。
しかし一方で自分が喋り倒す訳ではなく、こうして話を振ってくれるあたり、少しは相手に配慮してくれている……かもしれない。
まるで少年のように目を輝かせる彼女が、グラヌム村から始まる放浪の旅に何度も合槌を打ちながら聞き入っているのを見ると、悪い気はしないも事実だ。
話すのも上手いが、聞くのも上手い。話し手にもっと話したいと思わせる話術がある。
余り凄惨なのは如何な物かと思い、幾つかぼかして話すのだが、やはりそれでも十分に濃い。
改めて自分が、非日常を日常的に体感していた事を痛感させられた。
「お前さん、そんなに矮猿を斃して血塗れにならなかったのかい?」
「なりましたけど、そこ聞きたいんですか?」
正直、グロテスクな話はしたくないし、すべきではないと思う。普通に内臓が転がるし、血肉が飛ぶ。
都市暮らしであるらしいロサには刺激が強いと思って自主規制したのに、突っ込んで訊いて来る。
本当に聞きたいのかと再度念を押してみれば、彼女は「分かっていない」と言わんばかりに肩を竦めた。
「良いかい、狩りってのはそこが醍醐味なんじゃないか。当たれば即死に繋がる命の遣り取り! 飛び交うのは血肉、内臓、眼球! 時には四肢や生首が宙を舞う! 滾るだろ?」
「……ロサさんって市民ですよね? なんでそんな生臭いんですか……あとそれもう狩猟じゃなくて戦争だし……」
彼女の話では都市の外を旅した事など無い筈なのに。何故こうも血気盛んな話を好むのか、理解できない。
「いやぁ、アタシはこんなせまっ苦しい場所に閉じ込められて暮らして来たからねえ。酒場をやるのは楽しいけど、飽きるんだよ。だからガイウスにも色々話をせびるんだけど、最近はどうも……」
「いやそりゃそうでしょうよ」
体験談、それも血生臭い話をせがんで目を輝かせる自分の母親を見せられるのだ。一体どんな拷問であろう。
正直、見たくもない。色んな意味で辞めて欲しいと思う筈だ。
しかし彼女はそんなガイウスの心情を知る気もないのか、尚も他の血生臭い話をせがんで来る。
ここで大人しく従ってしまっては息子である彼の努力が水泡に帰してしまうからと、話すのを拒否すれば、傷口を殴られた。
「ちょっ……ロサさんっ!?」
「何だい? 何か文句でもあるのかい?」
「痛い痛い痛い痛いっ!! いや分かった、話しますからっ、それ以上傷を叩かないで下さいっ!?」
彼女は容赦がなかった。
笑顔で右脇腹を一発、二発、三発、四発……。
話すと言うまで止めないという確固たる意志を感じ取り、激痛に目を剥きながら降伏を告げたところでようやく停止した。
全く以って絶対安静の傷病人にやって良い行いではない。寧ろ絶対やってはいけない事の範囲に入るのではなかろうか。
凶悪な女性である。病人の傍には置いてはいけない。混ぜるな危険。
こう言ったところがガイウスに似なくて本当に良かったと思いつつ、己が目にした狩猟の記憶を探る。
それから十秒ほどして話すエピソードが丁度決まった時だった。
「……母ちゃん、何やってんの?」
救世主ガイウス・ミヌキウスが登場した。
呆れた様な顔をして彼自身の母親を見る彼に、後光が差した気がしたのは多分気のせいだろう。
どちらにしろ助かった事には変わりなかった。
「おお、ガイウス! このラウレウスとか言う小僧、中々面白いな。話していて飽きん」
「いやそれは分かるんだけどなぁ……コイツは怪我人なんだぞ。しかも内臓まで傷付いてる」
「あらそうなのかい? いやぁ、そうとは知らず十発くらい叩いちまったよ」
「いやそれ笑えねえから」
呵々大笑するロサに、呆れた様な顔をしたガイウスは肩を竦めた。直後に思い出したように表情を引き締めると、彼はこちらに視線を向ける。
「で、ラウ。傷は大丈夫か? このババアにヤバい事されてないだろうな!?」
「だ、大丈夫……の筈、です」
実際のところは知らないけれども。
一応包帯を外して確認してみれば、傷口が開いた形跡は無い。
それを見て二人揃って安堵の溜息を溢すのだった。
「それにしても、強烈な人ですね?」
「ずっと前からこうだ。一時期体調崩した時はどうなるかと思ったが……回復したらすぐ平常運転だよ。ま、死なれるよりはマシだがな」
そう語る彼の顔は、手に負えない自分の母親に対する親愛の色が見えていた。
だが、その視線の先ではガイウスの悪態を聞きつけたロサが顔を顰めている。
「母親の事をババアと呼ぶたぁ何ちゅう息子だい、親不孝もいいとこだね。そうは思わねえかい、小僧?」
「ラウを巻き込むんじゃねえ! ほら行くぞ、あんまり我儘言うならもう今後ラウと会わせねえからな!」
「やれやれ、仕方ない。我儘な息子を持つと手間のかかる……」
「そりゃこっちの台詞だよっ!」
まるで漫才でもやっているかのような遣り取りを交わす親子は、尚も騒がしいままに部屋から退出していった。
後には、ポツンと自分一人だけが取り残される。
先程までこの部屋を満たしていた騒々しさは、階段を下る音と共に遠ざかり、比例して静寂が訪れた。
「……楽しそうな母親だなぁ」
この部屋に滞在していた台風の目を思い出し、思わず吹き出してしまう。
己の他に誰も居ない部屋の中で、傷が癒えたらまた話してみようと心に決めるのだった――。
◆◇◆
傷が完治したのは、それから更に二日後だった。
前世の世界に比べたら遥かに速い、科学医療技術を遥かに凌ぐと言っても良いが、この世界で見ると時間がかかった方である。
単純に太腿に槍が突き刺さったなどと言う場合と違って、内臓のあちこちが損傷していたらしい。そちらの方で治癒に時間がかかったと、ガイウスが言っていた。
それはさておき、この時点を以って病室代わりとされていたガイウスの部屋とベッドとは、おさらばである。
ついでに言えば、階下で飯時に聞こえていた談笑の声に加われる訳だ。
今までは安静にしなくてはいけない事もあって、一人寂しく朝昼晩の飯を食べていたので、正直寂しかった。
特に気になるのは、レメディアやクィントゥスと一緒に居る筈の子供達である。
一緒にグラヌム村で暮らしていた彼らには、まだ会えていないのだ。
レメディアとクィントゥス、それに加えてガイウスら三人とは再開した。だが、ちびっ子がこの部屋を訪ねる気配はなく、出来れば会いたかった。
周囲にそれを訊いてみれば、どういう訳か気まずそうな顔を見せられて、もしかして彼らに何かあったのではないかと気を揉んでしまったくらいだ。
「ラウ、本当に会うつもりかよ?」
「当たり前だろ、三カ月と少しぶりだぞ? まだアイツらとだけ再会できてないんだから」
「そっか……」
未だに歯切れの悪いクィントゥスだが、それ以上追及する事はしない。
無論、それよりも気になる事があるからである。
五人の子供の内、誰一人も欠けてはいないだろうか。特に全員が息災であれば万々歳だ。
けれど、何となく歯切れの悪いクィントゥスの様子が、どうしようもなく不安感を掻き立てていた。
逸る心を落ち着けながら、傷のあった箇所を覆っていた包帯を外し、期待を膨らませながら階段を下る。
二階から一階に降りるだけなので大した時間がかかる訳でもないのに尚更心は逸り、伴って余計に期待も膨らんでいく。
男の子は三人。グナエウス、ユルス、ルピリウス。
女の子は二人。ラビアとホルティア。
合わせて五人。そこへレメディアとクィントゥスを加えた皆が、家族である。
その間に最後の一段を降り終えれば、そこには椅子に座る複数の人影。テーブルの上には湯気の昇る料理が並び、その匂いに増々食欲をそそられていた。
だが今は食欲よりも優先すべき事がある。
ただ久しぶりに会うだけなのに緊張して高鳴る心臓が、煩い。
意を決して顔を上げ、極力明るい調子と、いつも通りで居る事を心掛けて言うのだ。
「久しぶりだな、お前ら」
視線を向ける先に座っているのは、五人――いや、四人の子供達。
一人、足りない。
それを認めた瞬間、息が止まった。足が震えて、ぞわっとした感覚が背中を襲う。
村で暮らし、苦楽を共にした男の子と女の子。それは合わせて五人居た筈だ。
血は繋がっていないが、これまでの暮らしで家族同然に過ごしたのは、五人なのに。
「なぁ……ユルスは、どうしたんだ?」
「……」
「アイツは……何で? ね、寝坊かよ? おい?」
声が震えるのが自覚できる。力の入らない手で、いつまで無反応なのかとグナエウスの肩を叩く。
しかし、彼は反応しない。皆俯いたまま、こちらを見ようとしないのだ。
「なぁ、どうして……何があった?」
「……」
「え?」
ほんの少しの一瞥をくれると、グナエウスは無言で席を立ち、それに他の三人も続く。
思っても見なかった事態に硬直して動けないでいる間にも、彼らは背を向けて家の外へと出ていくのだった。
それを見かねたらしいクィントゥスが、慌てて生死の声をかけていた。
「おいお前ら、飯は要らねえのか!?」
「もう食べたから」
「あ? ……勝手に食ってんじゃねえよ! もう少し団欒ってやつを……」
「別に」
余りに素っ気ない、短い言葉を最後に、グナエウスら四人は家の外へと姿を消した。
それを目にして呆気に取られているのは、己とガイウス、プブリウス、マルクス、そして料理を作ったロサ。
その他に溜息を吐いたのがレメディアとクィントゥスだった。
「……まさかここまで露骨とはな」
「それなりに言い聞かせた筈なんですけど……」
深刻な顔をして顎に手を当てるガイウスに、レメディアが申し訳なさそうな顔をしながら俯く。
他の人は気まずそうな目をしながらこちらに視線を向けて来るが、そこから推測するに原因は自分にあるのだろう。
「どういう事? 何があったんだよ? ユルスはどうした!?」
「いや、それがなぁ……」
喰い付くように肩を掴み、揺さぶれば、大層申し訳なさそうな顔を見せるクィントゥスが、言いにくそうに口を開く。
「……ユルスは、死んだんだ」
「は?」
途端、足元が崩れるような、ゾッとする感覚がこみ上げて来た。
何か言葉を言おうとするのだけれど、空気が喉を通り抜けるだけで、声にならない。
「お前が居なくなってから一日経ったくらいの時に、俺達はパピリウスに煽動された連中から襲われた」
「っ、何でっ!?」
「悪魔と一緒に暮らしていた俺らも有罪とか、そんなふざけた理由だったな。その時に、ユルスは殴られたんだ。それが、元で……!」
俯いた彼は、そのやり場のない怒りを探すかのように両の拳を握り締めていた。
レメディアを見れば、彼女もまた己の無力を呪うように、唇を噛み悔いている様だった。
そんな二人の様子を見てから、自分もまた俯いて話を整理する。
つまりユルスの死に繋がった出来事の原因は、己にあるのではないかと。
だからグナエウス達の反応は素気なかったのかと。
自分さえ、自分さえ居なければ失われなかった命が、失われなかった筈の家族が居た。
その事実が重くのしかかって来たような、気がした。
「……俺の、せいってか……」
「気に病むな。お前にはどうしようもないんだ、あの時は他にやりようもなかっただろ?」
「けど……!」
肩に乗せられるのは、ガイウスの手。気遣う様な彼の言葉に反論を試みようとして、言葉に詰まる。
熱いものがこみ上げて来て、目頭もその限界を迎えたらしい。
荒くなった呼吸が上手く言葉を発させてくれなかった。
どうすれば、どうすればよかったのだろう……。
自問自答した所で、答えは出てくる筈もない。
その場の誰もが沈黙して、目線を伏せる中、今まで黙って座っていたロサが口を開いた。
「……取り敢えず冷める前に飯を食べよう。話はそれからだ。ラウレウスもだ、早く席に着きな」
「はい……」
一先ずと言った具合に収拾を付けたロサの仕切りで、皆一様に食事へと手を付ける。
だがその間、誰もが終始無言で、口にした自分の分の料理の味は、特に何も感じられなかった。
昨日の夕食までは、舌鼓を打つほど美味しかったというのに。
朝の心地よく明るい日差しが、この食卓の重苦しい雰囲気を尚更に強調している様だった。
◆◇◆
 




