第二話 REVIVER ①
真っ暗な部屋の中で、俺一人。
そして眼前に現れたスクリーンらしきものに映し出されたのは、やけに遠い昔に思える、とある記憶。
目の前で親友を殺され、最終的には自分自身も殺されていく。
そしてそんな光景を何度も、俺は自分の視点からただ見ている事しか出来ない。
何度も、何度も、何度も、ただ見ていることしかできない。
「......あ」
一人の親友が、俺を庇って胸を突かれた。
もう一人の親友が、中々動き出さない俺を守ろうとして前に躍り出た。
駄目だ。下がれ。そのままだとお前も殺される。
何度繰り返したか分からないその叫びは、しかし親友に届く事は無い。
目の前で胸を貫かれ、何かを言い遺して金髪の彼は床に斃れた。
そこで漸く動き出す己の体。その視界から景色を見ているだけの俺にも、その体が怒りと決意に震えているのが分かる。
「..........」
だが、スクリーン越しにその視界を覗いている俺は悪手だと絶叫する。
敵を探して辺りを見回している間なんて無いのだ。
早く、あの少女の下へ駆けつけろ。
あの殺人鬼から、彼女を守れ。
しかし映し出される光景は、もはや最初から筋書きが決まっていたように、俺の言葉を一切無視して動いて行く。
少女へと伸ばされる俺の手。背後から貫かれる彼女の胸。あの時頬に飛んだ血のドロッとした生温かい感触は、鮮明に覚えている。
「............」
けれど、スクリーンに中で動いている俺はそれに構う事なんて無く、ただ瞋恚の炎を燃やしていた。
今度こそ、目の前のコイツを殺してやる。それを見ていた俺も、自然とそれに染まっていた。
殺せ! 殺せ! 殺せ!
先の切断されたゴルフクラブを振り回し、そして一瞬の隙を狙って先端部をアイツに突き刺していた。
こちらの攻撃が、致命の一撃が、届いたのだ!
「......!」
そこで殺人鬼の一旦動きが止まった隙を逃さず、更に何度も突き刺す。殺すまで、死ぬまで、刺す。
倒れ込んだ殺人鬼に馬乗りになって、弱々しい動きで抵抗しようとする手を跳ね除け、胸を滅多刺しにしていく。
そして最後に、一際大きく振りかぶってそいつの左胸へ突き刺す。
「っっ!!」
同時に黒塗りの仮面の下で見開かれる、血走った金眼。その口のあたりからは血が噴き出し、次第に体から力が抜けていく。
……やった。遂に俺は、やった。
この悪夢の光景を、この悪夢の元凶を断ち切り、俺は皆の仇を討てたのだ!
歓喜している俺の視界。そしてそれをスクリーン越しに見ていた俺も、その拳を握り締めていた。
力無く斃れ伏す暗褐色のローブを纏った殺人鬼。
それを見て俺は、殺された彼らも少しは浮かばれる事だろうと思っていた。
――それなのに。
『本当に、俺らが浮かばれると思ってんのか?』
「……えっ?」
どこかから聞こえてくる、聞き覚えのある声。
それが誰のものかを悟った時、スクリーンのようなものに映し出されていた俺の視界の隅で、一人の死体が立ち上がっていた。
『お前のせいで、俺は殺されたんだぞ?』
「……ちっ、違うッ! 俺は、お前らに下がれと言ったじゃないか!?」
『ああ、確かに言ったな。けどよ、あそこでお前が無闇に動かなければ俺は死ななかったんだぞ?』
「くっ……来るなっ!!」
フラフラと立ち上がった少年――桜井興佑の死体が、スクリーンから這うように出て来る。
それに対し俺は腰を抜かしながら必死に後退ろうとするのだが、しかしいつの間にか真っ暗な部屋の床に手足が吸い込まれ、その場から動く事が出来ない。
「こ、これは!?」
ただの泥よりも更に粘ついた何かに変質していた床が、少しずつ俺の体を沈ませ始めていたのだ。
そんな俺へと這って近付いてくる、死体となった興佑。
白目を剥き、口と胸の傷口から血を流し、その姿はさながら本物のゾンビの如く。
『なぁ、お前よくも俺を殺してくれたな?』
「そ、そんな事………!」
『言いわけは見苦しいと思うよ、ケイジ? ボクだって、君のせいで死んだんだからね。あそこですぐに動いてくれていれば、ボクも殺される事は無かったかもしれない』
「アレン!?」
耳元で囁かれた声に背中を粟立たせながら振り向いてみれば、そこには同じく白目を剥いた親友の姿があった。
見慣れた彫りの深い顔立ち、金髪、親しげな言葉遣い。
まさに彼そのものと思える死体が、右肩に圧し掛かってきていた。
『君のせいで、ボクらは殺されたんだよ。分かってる?』
『なぁ慶司、この責任どうやって取るつもりだ?』
「おっ、俺が、俺が何をしたって言うんだよ!? 責任なんて、どう取れって言うんだよ!?」
脚には興佑が乗り、右肩からはアレンが乗る。少しずつ、少しずつ沈みゆく体に二人の死体までもが加わり、沈む速度は速くなって行く。
もはや腕と脹脛は完全に呑み込まれ、あと数分もあれば完全に体は沈んでしまう事だろう。
じわりじわりと泥っぽい何かに沈められていく感覚は、大いに焦らせていた。
「お前ら、こんな事をして何になるんだよ!? 離せよっ、沈んじまうじゃねーか!!」
『おいおい、何で連れない事を言うんだ?』
『一緒に沈もうよ? ボクら、あんなに仲が良かったじゃないか』
ニヤリと笑いながら言う彼らだが、その顔に付着した血がこちらの恐怖を倍増させて来る。
既に四肢は完全に沈没し、もうじき腰も沈む。
身動ぎ一つすら、碌に出来はしない。
恐怖で震えが止まらず、喉も真面に開けない中で俺は声を絞り出す。
「だっ、誰か、助けて……!」
『はぁ? アンタに助けを呼ぶ権利なんてあるの? ……私一人すら守れやしなかったくせに』
「――――ッ!!?」
出し抜けに、泥のようなものの中から飛び出した左手が俺の腹に手を掛け、そして一人の少女が顔を出す。
彼女もまた白目を剥き、顎や腕から泥のようなそれを滴らせていた。
そして俺を筏とでも見做すかのように、こちらにしがみ付いた彼女は体を引き上げると、こちらの腹の上で馬乗りになる。
それによって沈む速度がより一層速くなる中、俺は震える声で少女へ言っていた。
「れ、麗奈! これは一体何の真似だ!?」
『真似も何もないでしょ? アンタのせいで私ら三人は殺されたの。……まさかそれで、何の御咎めも無いと思っていたとでも? この人殺し!』
「人殺し? ……俺が!?」
違う。俺じゃない。悪いのはアイツだ。あの、暗褐色のローブを纏った奴が、全てを滅茶苦茶にしたのだ。
思っても見ない、麗奈からの言葉に俺は思わず目を剥くが、対する彼女は吐き捨てる様に言葉を続ける。
『何を今更。慶司のせいで桜井とシーグローヴ君の二人は死んで、私も殺されたんでしょ? それも、私を守ろうと決めた直後に、ね? 全く役立たずじゃない。あんなのなら居ない方が良かったわ』
「そん……な……」
麗奈の言葉に衝撃を受けている間にも、俺の体は沈み続け、残すところは首から上のみ。それも、右肩にアレンが掴まって居るから重さに偏りが出て、右側に沈んでやや傾いている。
『高田さんの言う通り、お前はあの時、足を引っ張っただけの邪魔者だったんだよ』
『そうそう。だから、ボク達を殺した罰をちゃんと受けて貰わないとね』
俺と同様に沈み、残すところ胸から上のみとなっている二人の親友。
彼らからの辛辣な言葉に、俺はもう言葉など一言も出てこない。
ただ、遂に口が沈み、鼻も沈み始めた。
苦しい、もがきたい。けど、既に沈んだ体は動けない。
『私達を殺した責任、取って貰うからね?』
違う。俺は殺してない。違うんだ、聞いてくれ。
あははははは、と三人ともが声を上げて笑い始める中、俺はどうにかして言いたい事を言おうとするのだが、口はもう沈んでいて声なんて出ない。
泥っぽいものの中で開いても、口内へ流れ込まれてしまうだけで、息を吐いても気泡しか出なかった。
とうとう目も沈み、視界は何も見えない闇に包まれる。
だが、今の心情はそれに対する恐怖などでは無かった。
違う、違う、違う……そんな筈が、無い。
薄れゆく意識の中で、躍起になって否定していたのだ。
思い浮かぶのは、こちらを見下ろした親友たちの顔。
そして嘲笑、侮蔑、憤怒。
俺のせいで、アイツらは死んだ? 俺は役立たずだった?
いやそんな筈はない。俺は役に立っていた。絶対に、役に立っていた。
そう思わないと、やってられない。
だから、アイツらの言っていた事なんて違う。間違っている。役立たずなんかじゃない。
絶対に、絶対に、絶対に、絶対に――。
◆◇◆
「……俺は、違うッ!!」
気付けば上体を起こし、有らん限りに絶叫していた。
ゴワゴワしたボロ布をその手に掴み、思い切り叫んでいたのだ。
――だが、そこには先程まで居た筈の三人の姿は無く、体は泥の中に沈んでも居なかった。
ただ、上体を起こしたまま全身にべっとりと汗を掻き、その呼吸を激しく乱していたのだ。
まるで、長距離を全力で疾走したかのように早鐘を打つ心臓は、頭が痛くなるほど強く、血流を全身へ流しているのが分かる。
汗に濡れた額に手を当て、精神的疲労感を覚えながらも呼吸を落ち着けようと努める。
「............」
自然と目も覚め、藁から上体を起こせば、そこには粗末な掛布団を被った子供達が雑魚寝していた。
そんな彼らの顔を、俺は一人一人まじまじと見つめていたが、当然の事ながらここには先程夢で見た顔は一人も居ない。
居るはずがないのだ。
「ゆ、夢……!」
余程魘されていたのか、己の呼吸は未だ鎮まらず、ガンガンとした頭痛も止まない。
粗末な、本当に粗末な藁を敷いただけの布団から立ち上がって家の外に出、体に付いた蚤や虱を乱暴に掻き落とす。
「……何度見てもひでぇ環境だよなぁ」
久しぶりに見た夢のせいか、寝起きだというのにハッキリした意識が自分の寝起きしている家――もはやボロ小屋――と、その外に広がる周囲の建物を認識する。
夜明け前でまだ薄暗くても分かる程度にはどの建物もボロボロで、当然ふかふかのベッドなんて何処の家にも無い。
日本の家のように断熱材なんて無いし、家に隙間風が入って来るのは「欠陥住宅」では無く、「当たり前」。
たらふく食物を取れる機会なんて皆無だし、苦労して収獲した農作物は税として取られる。
勿論、被服や靴なんて碌な替えが無い。
これが領主の元に統制された農民、農奴。
七歳の時に初めて意識を取り戻し、それを認識した時は本当にびっくりした。
「貧乏、って認識もないんだよな」
ここは何処なのだと、歴史の教科書に出て来そうな貧相な建物と生活を目にして大層混乱させられたものである。
しかし、余りにも不衛生で不健康な生活に溜まったものでは無いと思った事は何度もあったのに、この身体として生まれて十三年も暮らして居ると抵抗する気も起きなくなっていた。
もはや、一々何かについて文句を言うだけ無駄だと分かったから。従う方がまだ楽だと分かったから。
もう流されてしまえと思ってからは、この生活に何か強い否定感情を抱く事も無くなっていたのだ。
小学生の時、どうして農民は贅沢な暮らしをしている王様を倒して少しでも良い生活を欲しがらないのか、と思った事がある。けれど、実際になってみれば分かった。
「............」
そんな余裕なんて無い。元気なんて無い。もう皆、疲れ切っていたのだ。
農民と言う存在はただ、土地に縛り付けられて土地を耕し、領主や教会から収穫を搾り取られる事を死ぬまで繰り返す存在なのだから。
争いや、他の趣味や考えにかまければ、不作の年には餓死するか奴隷に身を落とすしかなくなってしまう。だから、様々な思考は生きる為に無駄どころか害にしかならないのだ。
実に味気ない人生だが、生きる為には仕方ない。
ただ、仮に頑張ったとしても天寿を全うできる可能性は中々に低かった。
「ハードな最期、ハードな来世......ハードだぜ」
例えば俺の家族はしっかりと不作に備えていたにも関わらず、五年前の飢饉と疫病のダブルパンチで呆気なく死滅してしまっていた。
仮に万全を期しても、吹けば飛ぶような農民の人生に世の無情を感じつつ、俺は大きな伸びをすると肺一杯に息を吸い込む。
「おーし、お前ら起きろ、朝だぞー!」
起こすならば、景気良く。辛気臭くては、それだけで一日に響くから。
そんな快活な声で意識が覚醒しつつあるのか、あちこちで声が上がる中、尚も鼾を掻いている茶髪の少年が一人。
その大柄な彼を、躊躇なく蹴飛ばして起こす。
「……ってぇなラウレウス、何だよ?」
「朝だ。起きろクィントゥス」
「だからって蹴る必要ねーだろーが! ああクソ、何でお前がここを仕切ってんだ……!」
上体を起こし、大声で怒鳴るクィントゥスと呼ばれた少年。
その声で目が覚めたのか、他の子供達も眠そうな目を擦りながら体を起こしていた。
どうやらいつも通り、目論見は成功したらしい。
あちこちから上がる欠伸の声などを耳にしながら、一方で俺は少年へ反論する。
「何でも何も無いだろ。ここは本来俺一人の家だ。文句があるなら一人で家建てて暮らせ」
「チッ……分かってるよ」
不満気に舌打ちすると俺から視線を外すこの少年の名は、クィントゥス。
同い年の十三歳で、五年前の飢饉と疫病で親兄弟を全て失っている。
ここに居る他の子たちと同様、そのまま餓死も止む無しと多くの村人が見捨てたところを、俺の母親が拾ったのだ。ところが、その母親もその年に疫病で亡くなり、家族も俺を残して全滅。
今の家には、俺を含めて飢饉と疫病を生き延びた八人の子供が暮らして居る。
全員、まだ十五歳にも成っていないと言うのに領主・教会の取り立ては厳しく、現状僅かな備蓄しかない。
今度また不作にでもなれば全滅不可避だろうが、その時はその時。
生まれてこの方、多くの人の死を見てきた俺達は、半ば諦観も滲んでいたのだから。
それこそ、もしも仮に今食料が尽きたと言っても、特に焦る様子もなく、死ぬまでの間は淡々と生活を続ける事だろう。
……そう言えば、ここで死んだら今度はどうなるのだろうかと考えを巡らせたところで、思考に割って入る一つの声。
「ねぇラウ君、今日も畑の手入れで良いの?」
「ん? ああ。取り敢えず朝飯を作るから、レメディアも手伝ってくれ」
「分かった。皆大人しく待っててね。特にクィントゥス君!」
「うるせーな、分かってるよ。ほらさっさと料理しやがれっての」
名指しで緑髪緑眼の少女に釘を刺された事が癇に障ったのだろう、しっしと手を振りながらクィントゥスは不満気に呟きを漏らしていた。
だが、実はあれで面倒見が良いので、彼に他の子供達の管理を任せるに最適である事を俺は知っている。
台所へと歩きながら、あいつの食事は少しばかり増量してやろうとか思っていると、そこで横を歩いていた少女――レメディアが再度訊ねて来る。
「ところで、備蓄は大丈夫?」
「今のところは。ただ、飢饉になったら時の為に、保存の利く食材は取っておきたい。ま、今備蓄してあるモンは全部保存が利くけど」
「じゃあ、また新しくパンとか焼かないとだね」
仕方ないと顔を歪める彼女につられて、自然と苦笑が漏れる。
パンを焼くのだってタダじゃないのだ。一々領主の保有する窯を使わせて貰い、対価を払わねばならない。
新たな出費を想像して溜息を吐くを見て今度は彼女が苦笑し、次いでその緑色の眼を食事の準備待ちをしているクィントゥスらの方へと向ける。
「満足な食事が準備できればいいのに……」
呟く彼女の声には、幾分か悲しさが含まれていた。
そんな彼女が視線を向ける先には、空席が一つ。
いや、正確にはテーブルも椅子も無く床に食器を置く食事のとり方なので空席など存在しないが、円形を描いて座っている彼らの中で不自然な隙間が一か所、生じているのだ。
それをレメディアが注視している事に気付くと、溜息を堪えながら彼女を窘める。
「おい、悲しいのは分かるけど、それよりも今はやるべきことがあるぞ」
「っ……ご、ごめん。でも……!」
「救えない奴は救えないんだ。そんなの、この五年で散々見て来ただろ」
俺自身、この身体として生まれ変わった事を認識してから、余りの死亡率の高さに何度驚かされた事か。余りの命の軽さに何度驚かされた事か。
無残で、悲しい死に方をした人を何度も見て来たし、この世界でどれほど死が身近なのかは十分理解している。
最初の方こそ、なるべく周りの人が死なない様に努力したし、誰か知り合いが無くなる度に涙を流したけれど、しかし気付けばそれも麻痺してしまっていた。
人は簡単に死ぬから、脆いから。一々気にしたら持たないから。
そしてそれはレメディアも重々承知の筈なのだ。
だからもう慣れろと、彼女の瞳を見つめるが。
「忘れられないよ。だって、五年も一緒に居たんだよ? それをこのひと月くらいで……」
「……まぁ、これ以上は俺の言う事でも無いけど、それでもサティアが死んだのはお前のせいって訳じゃ無い事だけは覚えとけよ」
「……」
その言葉に、彼女は曖昧に微笑んで頷く。
透けて見えるその本心に、ここで更に強烈に念を押しておきたい気になるが、彼女にそれを言ったところで果たして聞き入れるかどうか。
一見優しく柔和そう見えるレメディアだが、彼女には時々頑固な一面が垣間見える。
それが今と言う訳だが、彼女も五年前に家族を亡くして以降ここで暮らして来て、俺よりも二つ上の十五歳である事もあり、皆の姉代わりとして振る舞ってきた。
それ故に、こう言った事がある度に、何を言っても彼女は暫く落ち込んでしまうのだ。
そして何より、彼女には特筆すべき点が一つ。
「良いか、何度も言うけど魔法は万能じゃないんだ。お前の力で治せなかったからと言って、アイツが一度でも責めた事があったか?」
「……」
目の前で俯いているこの少女――レメディアは、“魔法”が使えるのだ。
それも、回復術に向いていると一般的に言われる“植物魔法”だ。
一般的に、魔法と言うものは農民が扱えるようなものでは無く、それが子々孫々に発現するのは王侯貴族、そして時々に市民などの自由民。
つまり農民、農奴で魔法が発現する者など殆ど居ないとされているのだ。
因みに魔法が発現する年齢はまちまちで、生まれつきの人も居れば十五歳を過ぎてから発現する人もいるらしいが、レメディアは十歳で魔法が発現している。
自分は……まあ、今後に期待。もっとも、レメディアが例外なのであり、農民である己に微塵も期待する気など無いが。
「……取り敢えず、飯だ」
「うん……」
これ以上はレメディアを諭しても無駄と判断した俺の言葉に、彼女はその整った顔に憂いを浮かべながら、力なく頷いていた。
◆◇◆
見渡せば山と、森と、ちょっと開けた場所。それと村の中を流れる川。
晴れ渡る空には雲など無く、鳥たちは喧しく鳴きながら空を飛び交っていた。
朝飯を食っても未だに空腹を訴える音を無視して、地球ではない別世界に転生した俺は絶好の農業日和だと青空と周囲を見回す。
この村以外に人工的な場所など碌に無く、豊かな自然が辺りを囲む、見慣れた景色。
鉄筋なんて無い、アスファルトなんて無い、高層建築なんて無い、車なんて無い、電気なんて無い、ここで営まれているのは原始的な生活だ。
電気などと言った化学法則を発見した地球の先人たちがどれほど素晴らしい業績だったのかが、身に染みて感じられよう。
「おーい、そこの! ちょっと良いか?」
「……?」
最寄りの街道を時折行き交う、旅人や行商の疎らな人影を見ながら除草作業をしていると、そこで不意に声を掛けられた。
聞き慣れない声に若干警戒しつつそちらの方へ顔を上げてみれば、そこには旅装をした三人の若い男の姿が見える。
しかもよく見ればその腰や手には剣や槍などの武器があり、しかも使い込まれているのが一目で分かる。
一瞬野党の類かと思ったが、それにしては数が少ない。
そして何より、悪意や敵意が窺えなかった。
「何ですか?」
いつ、何があっても即応できるように構えつつ、俺は少し離れた距離からそう問い返す。
すると俺の様子を見て相当に警戒されていると察したのか、三人のうち青色の髪をした一人が笑みを浮かべながら両手を上げた。
「ああ、済まない。別に害意は無いんだ。職業柄、物騒な身形になってしまうのでね」
「職業柄……ひょっとして傭兵ですか?」
「いいや、惜しい。確かに傭兵とは近いが……俺らは狩猟者ってモンだ。早い話、狩人だよ」
そう言って彼は何かカードらしいものを提示してくるが、しかし俺は尚も警戒を解かない。
「折角見せて貰って悪いですが、生憎農村育ちの俺は文字が読めません。他に証拠は?」
「証拠っても……あ、これなんかどうだ?」
そう言って男が投げて寄越したものをキャッチしてみると、それは人の頭よりも大きい何かの頭蓋骨だった。
思っていた以上の重さに取り落としそうになってしまうのを堪えつつ、持っていたそれを慎重に眺める。
「これ、何のやつですか?」
「“妖魎”に分類される“赤狼”。火を吐く狼だ、見た事無いか?」
「そりゃありますよ。こんな辺境農村ですから。それにしても、赤狼って……大物じゃありませんでしたっけ?」
「ああ、そこそこの獲物だな。何せ火を吐くから嫌でも警戒しねぇといけねえ」
実際、この村の周囲では多くの妖魎が出て来る。
それによる被害者が出た事だってあるし、そう言えばその時は狩猟者に依頼を出し、駆除して貰ったこともあるのだ。
「因みに、今回は誰からの依頼で来られたんで?」
「“狩猟者組合”、依頼内容は生態調査、依頼主は王都の学者だよ。これ以上は守秘義務もあるんで、喋れんがね」
どうだ、と彼は俺が読めもしない依頼書を見せながら視線で問うてくる。その目を見つめ返しながら、俺は顎に手を当てて思案した後、大きく息を吐いた。
「……分かりました。では、何故俺に声を掛けたんです?」
「そりゃねぐらの確保をする為さ。折角村があるのに、野宿なんざしたくないからな。で、ボウズ、物は相談なんだが……俺らを五日ほど泊めてくれねぇか?」
「いえ、お断りします。他を当たって下さい」
即答で断る。何故なら家にはもう八人も居るのだ。これ以上増えたら、しかも大人では家に入り切ってもギュウギュウだ。
それに防犯上の問題もある以上、ここで人を泊めるのはメリットがない。
だからこそ即答したのだが、相手もそう簡単には引き下がってくれなかった。
「まあまあ、そんな急くなよ。俺らだって別にタダで泊めてくれって話じゃないんだぜ? 一人当たり小銅貨一枚、五〇Tでどうだ?」
「いえ、お断りします」
「なら、一人当たり中銅貨一枚、一〇〇Tで……!」
「いえあの、金の問題じゃなくてですね……」
「これでも駄目か! じゃあ一人当たり大銅貨一枚、五〇〇Tでどうだ、これ以上は上げられん!」
「あの……」
こっちは特に何もしていないのに、勝手に爆上がりしていく宿泊費。何故、価格交渉をしているみたいになるのか。解せないことこの上ない。
このままでは流石に悪い気がして来るので、もう一度はっきりと断りの言葉を入れるべきだと、おずおずと口を開いた――のだが。
「~~~~ッ!?」
唐突に側面から訪れた衝撃に、堪らず突き飛ばされていた。
勿論、完全に不意を衝かれたので受け身など取れる筈も無く、耕されてふかふかとなった土に頭から突っ込む羽目になる。
「……」
一体何が起こったのかと、口に入った土を吐き出しながら顔を上げてみれば、そこには。
「「是非、我が家にいらしてくださいっ!!」」
「お、おう、助かる。正直なところ、前の村じゃ全ての家で断られてな。また野宿になるかもしれないと不安だったんだ」
展開に付いて行けず困惑した様子の狩猟者の手をがっしりと取る、クィントゥスとレメディアの姿があった。
どうやら、駆けて来た二人から纏めて体当たりを喰らってしまったらしい。それは吹っ飛ぶ訳だ。
だが、問題はそこでは無い。体に付いた砂を払いながら起き上がると、二人へ向かって口を開く。
「待てよお前ら、家に見ず知らずの人を泊める気だってのか!?」
「寧ろお前はこの値段で泊める気が無かったのかよ!? 馬鹿じゃねーの!?」
「一人五〇〇Tだよ、ラウ君!? これが三人分あれば大金でしょ、多分! ……計算できないから幾らになるか知らないけど」
「……合計一五〇〇Tな。レメディア、お前計算できないのにこれが大金か分かる訳?」
何でこちらが怒られているのだろうか。解せん。本気で解せん。
確かに金額が魅力的だったとして、危険度を考えればそんな手は取らないだろうと思いつつも、その反論は飲み込んで置く。
既に二人の目には金の事しか浮かんで居ないようで、もはや何を言っても無駄である事は一目瞭然だったのだから。
「一先ず、客人を泊めるという事で村長へ挨拶に連れて行こう」
「そうね、では、付いて来て下さい」
「……」
俺を抜きにして、トントン拍子に進んでいく話。
もはやどうなっても知らんぞと天を仰ぎ、それを見た狩猟者の三人は苦笑していたのだった。
◆◇◆
「……さて、改めて自己紹介をさせて貰おう、俺はガイウス・ミヌキウス。見ての通り、この三人の中での纏め役だ。今日から五日間、世話になる」
そう言うと、ミヌキウスは自身の後ろに控えている二人へと目を向けた。
「プブリウス・ユニウスだ。宜しく頼む」
「マルクス・アウレリウス。宿を提供して頂き、感謝する。ところで、家主は居ないのか?」
キョロキョロと粗末な家の中を見回しながら、彼が問う。
その疑問はミヌキウスとユニウスも同様だったのか、彼らは俺に視線を向けていた。
「……家主は俺、ラウレウスです。家名はありませんし、両親は五年前の飢饉と疫病で死にました。ここに居るのは、そうして身寄りのなくなった奴ばかりですよ」
「五年前……ああ、あの年か。確かに酷い一年だった。不躾な質問をして申し訳ない」
「いえ、気になさらず」
申し訳なさそうに、腰掛けた席の反対に居る俺へ頭を下げるアウレリウス。それに続いてミヌキウスとユニウスも頭を下げるが、俺は本当に気にしていないので笑いながら軽く手を振る。
しかし、逆にそれが彼らには「気遣い」に感じられたのだろう、ミヌキウスが一つの提案をして来ていた。
「我々の謝罪の気持ちとして、明日からは森での調査ついでに獣も幾らか狩って来よう。無論、これについては代金も要求しない」
「えっ、いやそれは流石に……では、明日以降の夕食などで使わせて頂きます」
折角の申し出であるが断ろうかと思った所で、ふと視線を感じて横に目を向けてみれば子供達は勿論、クィントゥスとレメディアまでもが口から涎を垂らしてこちらを見て居る。
これで断ってしまうと笑えない大反発祭りの開催になるかもしれない、と即座に彼の提案を受け入れざるを得なかった。
それを見たミヌキウスは微笑ましいものを見た様に相好を崩し、しかしすぐに表情を引き締めると俺へ問う。
「ラウレウスさんの家は貧乏なのか? その、泊めて貰う立場で烏滸がましいが……家も随分と」
「ええ、俺達だけでやるにも限界がありましてね。徴税請負人も教会も容赦なく搾り取ってくれるもので、常にカツカツです。それと呼び捨てで結構ですよ、ミヌキウスさん」
「なるほど? ……やっぱ厳しい生活を強いられてるんだな、ラウレウス?」
呼び方はこれで良いか、と視線で確認を寄越す彼に首肯しつつ、尚も話を続ける。
「幸い、レメディアが魔法を使えるのである程度の病気などについてはどうにかなるのですが……それでも、一か月ほど前には一人亡くなりました」
チラリとレメディアの方を見れば、彼女は微かに聞き取った会話のせいか暗い表情をしていた。
いつまで気にしているのかと今すぐ言ってやりたいところだが、しかし今は客人の相手をしているのだ。そちらを疎かにする訳に行かず、ミヌキウスの話に合槌を打つ。
「医療費絡みだな。確かこの村にも教会堂はあったが、 やはり高いって?」
「ええ。それにレメディアの魔法で医者の真似事をしようにも、癒術は聖職者の領分。下手に使って金儲けすれば忽ち圧力が掛かりますよ。ホントクソですよね」
「お、おい、滅多な事言うもんじゃねえぞ。下手に聞かれでもしたら……!」
少し慌てた様子で声を抑えるように言うミヌキウスに従い、少し声量を下げる。
「別に神とやらを絶対的に否定する気は無いですけどね、教会ってマジで要らないじゃないですか」
口さが無く、思わず勢い余って心情を吐露してしまったが、彼らは苦笑を浮かべるだけで否定も肯定もしない。
彼らは敢えて聞いてない、聞こえていないことにしたのだろう。しかし、それでも八方塞がりともいえる我が家の状況にはミヌキウスらも深刻な顔を見せ、そして黙り込んでしまう。
そんな重苦しくなってしまった空気を払拭するため、一度手を叩くと切り替える為にこう言った。
「まぁ、それも今日ミヌキウスさん達がお金を落としてくれたお陰で、暫くはどうにかなりそうですよ」
「だが、それは対症療法でしかねーだろ? その後はどうする気だ?」
その問いを発したのは、さっきまで無言で話を聞いて居たユニウスだ。
確かにそれは的を射ており、どう答えれば良いのか、それを考えていたところで口を開いたのは、ミヌキウスだった。
「打つ手が無いなら、俺らと一緒に狩猟者になるか? 日夜危険と隣り合わせだが、実入りは良いぞ?」
「……有難い申し出ですが、俺達は農民です。職業選択の自由は無く、移動の自由すらない。それを領主に無断で連れ出したと知れれば、あなた方も無事では済まないでしょう」
「……む」
これは断り文句などではない、純然たる事実である。
実際、無断で連れ出して領主に見つかれば、その領主の為人にもよるが大抵が投獄からの処刑だろう。
かと言って農民の移動を申し立てたところで、収入源であるそれが何処かへ行く事を認める訳もないのだ。
その辺りの事例は、各地を旅しているであろう彼らの方が良く知っていると思うし、もしかすれば目にした事もあるかも知れない。
幾ら気にしなくて良いと言っても、申し訳なさそうにしているミヌキウスらに重苦しい空気が流れる中、不意に俺の背に誰かが触れた。
最初は何かの勘違いかと思い無視していたのだが、背中を小さな指で何度も突かれる感覚に思わず振り向いてみれば。
「何だよ?」
「ラウお兄ちゃん。オレ、狩猟者の話聞きたい!」
「……っ、グナエウス!? お前、いつの間に……!」
後ろに目を向ければ、そこには幼い孤児の内の一人であるグナエウスの姿があった。
幸いにして彼はまだ六歳だし、具体的にどのくらい重苦しい話をしていたのかは聞かれなかっただろうが、それにしても子守を任せた二人は一体何をしていたのか。
彼らへの若干の苛つきを覚えつつ、クィントゥスとレメディアの方へ目を向けてみれば。
「こらっ、そっち行くなって……!」
「あっ、お話の邪魔をしたら駄目でしょ?」
あっちはあっちで、子供達がグナエウスと同じように狩猟者が間近にいる事に興奮している様で、彼らを押さえるのに精一杯と言った様子である。
流石にあの様子では責めるに責められず、俺は額に左手を当てながら苦笑する。
「これでは落ち着いて話せませんね。どうです、チビどもにあなた方の冒険を聞かせてあげてくれますか?」
「そうだな、そうさせて貰おう。と言っても、そこまで大した話は持ってないんだが……」
「いえいえ、コイツらからすれば十分刺激的ですよ。何せ、俺を含めて皆は村の外の世界を知らないんですからね」
「その割にお前は計算が出来るみたいだが? 一体何処で教わったんだ?」
読み書きは出来ないと言っていたのに不思議だな、とミヌキウスが探る様に問い掛けた。
だが、ここで馬鹿正直に「前世の記憶が~」云々言ったところで誰も信じないし、そもそも言う気が無い。
「さて、どうしてだと思います?」
誤魔化し笑いを浮かべて言いながら、俺は尚も苦戦しているクィントゥスとレメディアに、子供達の解放許可を伝える。
それと同時に、グナエウスに続けと駆け寄って来る彼らは、そのまま一気にミヌキウス達を包囲してしまった。
その余りに元気が有り余った様子に彼らは思わずと言った様子で破顔しながら、自身らの冒険譚を聞かせていた。
その様子を確認した俺は、その顔に疲労の色を浮かべたクィントゥスとレメディアの所へ行く。
「二人共、御苦労様。大変だったな」
「全くだ。ガキども、初めて間近で狩猟者なんて見たもんだから落ち着く気配なんてありやしない」
「ホントだよ……普段の倍以上に大変だった……」
苦笑しながら各々感想を述べる二人。
だが、彼らを労うのも程々に、俺は新たな指示を下す。
「クィントゥス、お前はまたここに残って子守しとけ」
「はぁ!? 何でだよ、少しは休ませろ!」
「ガキどもが何かやらかさないとも限らない。監視は必要だろ?」
「……」
そう言われるとどうしようも無いのか、彼は悔し気に歯噛みをする。それから今度はレメディアに向き直ると、彼女にも続けて指示を出す。
「お前は俺と一緒に夕食の下拵えだ。陽が未だ高い今の内から領主の窯を借りてパンを焼く。幸い、支払いの対価もミヌキウスさん達から手に入った訳だし」
「えぇ、私も? 少しは女の子を労わって欲しいんだけど。って言うかミヌキウスさんのお話、私も聞きたい」
「お前らが俺を無視して客人を三人も迎え入れるからだろ。まだ大麦とかの備蓄はあった筈だし、少しは持て成さないと心証にも響く」
「心証って……何でそんなことを気にするの?」
食料の貯蔵された所へと歩きながら、レメディアは怪訝そうに眉を顰める。
そんな彼女へ、距離を詰めて耳元で囁いた。
「ここで好印象にしとけば、獲って来てくれる獲物が美味くて量の多いものになるかもしれないだろ? 折角なら美味いモンを長く食いたいじゃんか」
「あ、そっか。じゃあ頑張らないと!」
「おう。って訳でパンを焼く前にこれをやってくれ」
「分かった!」
口車に乗せられて分かり易くやる気を漲らせるレメディア。
そんな彼女に、先程突き飛ばされて罵声を吐かれた怨みを晴らすべく、面倒臭い仕事を悉くやらせていた……。