はじまり ③
男の名は、ペイラスと言う。
彼は現在傭兵の貸主――仲介業者として活動し、契約者との取り決めで傭兵を貸し出して、とある標的を追っていた。
途中、契約者であり依頼主の強引な要求で騎馬を五十騎貸与する羽目になり、それは結果として十騎にまで磨り潰されて返って来た。
配下を勝手に減らされて猛り狂う傭兵長を窘め、彼と共に依頼主の配下に当たる士官と合流、標的を追った。
本来ならペイラス自身は出て来る必要など無いのだが、消耗した騎兵からの報告で気分が変わったのだ。
『紅い髪をした短槍使いの子供』。
自分の本来の同僚から聞いていた話をここでも耳にして俄かに興味を持った彼は、追跡任務に従事していた。
一度は見失った標的を探す為、新たに纏めて雇い入れた傭兵を依頼主へ紹介して割高料金で雇わせ、方々を探させたのだ。
「金に糸目を付けぬ取引先は有難いものだな」
そう溢しながら、彼は酷薄な笑みを浮かべた。
結果として標的を含めた三名の情報は、アルプ山脈を越えたラティウム半島で引っ掛かった。
契約者は、一度見失った者をここまで速く発見できたという望外の出来事に大層喜んだらしい。
ペイラスの仲介で雇った傭兵らに、契約者は標的の確保を命じ、その裁量を多くの部下を失った傭兵隊長に一任した。
部下を多く殺され怒り心頭の彼はペイラスと、契約者配下の人物の話も程々にして迅速に動き出し、現在とある都市に居る事を正確に掴んだのだった。
その際、ペイラスは件の少年もいると知って、実働部隊への同道を願い出る。
自身の直接の雇い主である彼の申し出に傭兵隊長は嫌だとは言わず、それを許可。
ペイラスとしては少年を最優先で追いたかったが、契約者との関係もあって、分隊には加わらず、まずは本来の標的を含めた二人を襲撃する部隊に参加した。
しかし、奇襲であった筈の攻撃は護衛としているアグリッパと言う人物の実力によって引っ繰り返され、むざむざと市街地での逃亡戦へと移行してしまった。
標的の少女から撃ち出される無数の雹を迎撃しながら、彼はあの少年は確保されただろうかと思案する。
聞いた話、調べた話では歳の割に鋭敏で腕も立つらしいことを考えるに、もしかすると逃げ延びて居るかもしれない。
その場合は自分が――と、その先の情景を思い浮かべて口端を吊り上げた。しかし、幸いと言うべきかフードを被っていた事で周囲の者に見られる事は無い。
「しつこいっ!!」
牽制の為か少女から撃ち出されるのは、無数の氷柱。
躱し切れなかった兵が幾人か倒され、外れた攻撃が周囲の家屋へ命中して轟音を立てる。
この調子では、すぐにでもこの都市は混乱状態となるだろう。
活きの良いことだ、と彼女を見遣りながら騎乗した男は追い続ける。
その先は市外へ続く城門があり、しかしまだ空が薄っすら白み始めた程度では開かない。
もう少しすれば開門するだろうが、標的を捕まえるまでには充分な時間がある筈。
特に焦る必要もない。
そう思って門から目を離そうとした時、ペイラスは一つの影を認識した。
それは、城門付近で兵士と向き合っている一人の少年。
短槍を持ち、紅い髪の少年だ。
聞いていた話と合致するその特徴に、彼は自然と舌なめずりをし、己の同僚の顔を思い浮かべていた。
「……すまんなエクバソス。貴様の見つけた獲物は、私が獲る」
夏だというのに外套を纏った長身の男は、馬上で微かに呟いていたのだった。
◆◇◆
「止まれぇっ! 止まらんかァ!? ここの門は開けられんぞ!」
驀進する一団に対して、東門を守護する衛兵は混乱の極致に達していた。
無理もない、情報量が多過ぎるのだから。
二騎を追う、無数の騎馬。追われる方は牽制の為か魔法を放ち、流れ弾が周囲へ被害を及ぼす。
それが都市の通りともなれば大騒ぎになるのは必定だった。
あちこちから悲鳴が上がり、壁に突き刺さった氷柱を見て住民は怒鳴って、兵達は方々の処理に追われる。
その間にも追われる二騎を始めとした集団はこの東門を目指して直進を続け、それは二百Mほどにまで迫っていた。
「止まれと言っているだろう!? 城門破りなら極刑は免れんぞ!」
てんやわんやな衛兵たちの中にあって、その内の一人が槍を構えて威嚇をするが、果たしてその効果は如何ほどか。
恐らく大して意味もないだろう。事実、速度などが緩む気配は一切無い。
それを見て彼らの苦労を思いながら、警告を無視する彼らを見れば、どうやら向こうもこちらに気付いたらしい。
先程から牽制の為に背後の騎馬集団へ氷柱を放っていた少女と目が合う。
「またお前らか! いい加減にしろよっ!?」
「うるさいな! なりたくてこうなった訳じゃないっての!」
石畳で舗装された道を進む二騎に割れんばかりの声で叫べば、少女から怒声が返って来る。
しかし、彼女の反論はそこで打ち切られ、振り返ると再度氷柱を撃ち出す。
その牽制攻撃に対し、反撃するように追手らしい一団から放たれるのは無数の矢。
それらを、少女を護衛しているらしいもう一騎が、槍を振るって叩き落とすことで守っていた。
「衛兵さん、どうするんです? あれ止まる様子無いですよ?」
「だからって開ける訳があるまい。それよりもあの非常識な連中……特にあの娘を取り押さえねば始まらん」
溜息を吐いた衛兵は配下へと閉門の維持を命じて、右往左往している衛兵らに隊列を組むよう叫ぶ。
しかし、既にもうすぐそこまで迫って来た一団に対して、対応する時間など碌に残されていなかった。
何より、あの氷柱の少女――シグの様子を見れば、隊列を組む事自体が自殺行為に等しかったのだった。
それは、この城門を突き破る為らしい、巨大な氷の塊の形成。
「――たっ、退避ぃぃぃぃぃいっ!」
血相を変えた衛兵の一人が叫び、集まりかけた兵はまた一目散に駆け出す。当然隊列は崩れ去り、城門までの道が開ける。
直後。
撃ち出された氷塊が城門を直撃し、市内と市外を遮断していた障害物を吹き飛ばしていた。
「うわっ、凶悪……」
通常、城門はそう簡単に破られない造りになっている筈なのだ。だから攻城戦では破城槌などが使われるし、もしくは城壁からの突破が図られる。
特に魔法があるこの世界、抗魔力の技術が存在するし、実際に殆どの都市でその刻印が刻まれているのだ。
なのに、彼女の放った氷塊はたった一撃で門扉を破壊して、向こうの景色が覗けてしまう。
衛兵たちも想像の埒外に遭った出来事なのか、唖然としてその場から動かないものばかり。
市外に出ようとする者を、威嚇して止めに掛かる様子は見受けられなかった。
降って湧いた、市外へ出る好機である。
「おっ、おい待て!」
生じた隙を衝いて外へ出ようとしたところで気付いた衛兵が制止を掛けて来るけれど、もう遅い。
脚部へ魔力を流し込み、石畳を蹴る。
それだけで手を伸ばす衛兵を置き去りにして、市外へと出ていたのだった。
それから一拍置いて城門を破ったシグと、その護衛らしいアグリッパが城門を潜り出て来る。
「おい、アンタ! 今度は何だってんだ!?」
「この前と同じだ! 奴ら、どういう訳かキッチリ追跡してきやがったんだよ!」
強化した脚力で騎馬と並走し、彼と情報交換をする。
「って事は、俺の泊ってた部屋前に来た連中もそれ絡み!?」
「知らねえよ! こちとら山脈越えて漸く撒けたと思ったのに……っ!?」
言い掛けたところで、アグリッパは口を噤んだ。
いつの間に回り込みでもしていたのか、行く先に五騎も立ち塞がっているのだから。
しかもその姿が現れたのは突然で、どうやって馬と自身の身を隠していたのか、皆目見当もつかない。
回り込みにしたって、ここは都市のすぐ外と言う事もあって開けており、近付いて来る者が居ればすぐわかる程に遮蔽物も少ない。
原理の分からない敵の出現に戸惑いながら交戦状態へ入るが、幾ら気を引き締めたところで動揺が出ていたらしい。
繰り出される刺突を捌くだけで精一杯となって、彼の乗馬は足を止めてしまった。
「ラドルス!」
つられてシグもまた彼を気にして馬を止めてしまい、後ろから来た追手に追い付かれてしまう。
そんな二人を尻目に、前を阻む五騎の攻撃を掻い潜ると先へと進む。
一度どころか二度までも追われている連中となど、一緒に居てやる義理は無いのだ。古今東西、例え世界が変わっても、危ない怪しい所には近寄らないのが鉄則である。
君子危うきに近寄らずとはよく言ったものだ。
追手も第一にあの二人が目的なのだろう。
入念に取り囲んで今度こそ逃がすまいとしているらしかった。
伴って、こちらへ差し向けられる追手は無し。
あの二人のお陰だと思いながら時折背後を振り返り、小さくなっていく人影に安堵の気持ちがせり上がって来る、が。
「――んなっ!?」
いきなり空中に現れた短剣とその手首に、頬を削られる。
思っても見なかった攻撃に体勢を崩され、脚も縺れて止まってしまう。
よもや目の錯覚かと思いながら、先程剣を見た辺りに視線を送っても、もう既に何の姿も無い。
それでもこの右頬のヒリつく痛みと、ドロリとした生温かい感覚は出来事が幻ではない事を示していた。
「何処だ……何が!?」
前触れもなく、出し抜けに現れた手首と短剣。
そんな非常識な存在、警戒しない訳が無かった。
素早く、隈なく周囲を見渡し、背後から襲われる可能性も考えて常に目を配る。
だが、それを嘲笑うように両足の甲から激痛が走った。
「ぬぁ……!?」
想像し得なかった方向からの痛みに視線を下ろしてみれば、足の甲からはそれぞれ一本ずつ短剣の柄が生えていた。
足の甲から剣で刺され、地面に縫い付けられたのだ。
すぐに引き抜こうとするけれども、痛みのせいで動く事に躊躇してしまった。
だからだろう、背後から近付く存在に易々と武器を突き付けられたのだった。
「勝負は決したな、少年」
「お前ッ!」
回された左腕はこの首を軽く締め、右腕に握られた短剣の刃が眉間に向けられている。
あっという間の出来事に対応が追い付かず、何も出来ないまま押さえ込まれてしまっていた。
下手に抵抗すればどうなるかなど、言うまでもない。
抗う意思がない事を示す為に両手を頭の高さに上げ、体の力を抜く。
それを認めて背後の人物は、酷く冷静な、息の乱れも無い低い声で問うてくる。
「少年、エクバソスと言う名に聞き覚えは?」
「あったら何だって言うんだ?」
「私はそいつの同僚だ。つい少し前に奴から、とある話を聞かされてね。少し、興味が湧いていたのだ」
背中の感覚からして、背の高い男。冷静沈着に思えるその声音は、粗野なエクバソスとは真逆なように感じられる。
そんな彼はこちらの紅い眼を覗き込みながら、尚も語りを続けた。
「私の名はペイラス。さて白儿の少年、この都市での名乗りはケイジ・ナガサキで良かったかな? 一応、身元の確認をさせて貰おう」
「……っ。だから何?」
質問を黙殺しようとしたところで、微かに首を絞める圧力が増した。
そのまま締め落とされては堪らないと、慌てて答える。
すると赤黒い眼を細めたペイラスは一度頷き、再度質問を重ねた。
「ケイジ、私と共に主様の元へ行く気はないかね?」
「ないね。第一、その主様ってのは何なんだよ? お前らの目的ってのも何だ? ……“神饗”だっけか、御大層な名前だな」
「当然だろう、崇高な理念の元で活動する正義の組織だ。少年はその名をどこで聞いた?」
こちらの質問には大して答えず、彼は更に質問を続ける。答えて欲しいもの無視され、反抗心からまた黙殺しようとするが、瞬時に察知されたのか再度首が締まった。
「リ、リュウだっ。 あの人から、教わって」
先程よりも強く、長く首を締められた事で咽ながらも、絞り出すようにその名を口にする。
「……リュウ? ああ、あの仮面。いけ好かんな、主様の邪魔をした挙句、更にここでも……!」
憎々し気に呟くペイラスの目は、その時だけこちらを見ていなかった。
即ち、注意が逸れた。不意に訪れた攻撃の機会。
他者には感知されない体内で、目まぐるしく魔力を循環させ、背中に集中させる。
彼我の距離は、密着するほどで殆どない。攻撃の余波が及ぶことを考えて高威力には出来ないし、何よりそこまでの時間的余裕もない。
吹き飛ばせれば、それで目的は達成できる――。
「邪魔なんだよっ! いつまでそこに居やがるっ!?」
背中から至近距離で、一発の白弾を撃ち放っていた。
一方のペイラスもその直前には気付いて居たらいいが、それでも対応は間に合わない。
背中に掛かっていた圧力は後退し、首の拘束もまたするりと外れていた。
「尚も抵抗する気か……?」
「当たり前だ! 俺に指図すんじゃねえよ!」
同時に、己の周囲に無数の白弾を生成して彼を睨む。
少し前までは両腕などから一つずつ程度しか出せなかったそれらも、エクバソスとの戦闘以降は段々と改善されている。
既に掌上で無かろうとも、こうして弾を生み出せているのだから。
「面倒な……無駄な手間を掛けさせる!」
「そりゃこっちの台詞だっ! アンタに興味なんざねえんだ、とっとと道を開けやがれッ!」
叫びながら二発撃ち出すが、嘲笑を浮かべたペイラスは突如として姿を消し、白弾は虚しく空を駆け抜けていく。
もはや彼が何かしらの魔法を使っている事は明白で、だとすればそれは何であるのか。どのようなものであるのか。
痛みを堪えながら、剣の突き刺さったままであった足から、それぞれ短剣を引き抜く。
「……どうなってんだ、これ」
見たところその剣に不自然な所や細工は見られず、その何の変哲もない剣をどうやってか突き立てて来たようだ。
だとすれば。
己の右頬を傷つけて来た時に見えた、手首と剣。
恐らくあれで足の甲にも攻撃を加えて来たのだろう。
推定するなら、空間を操っている?
だが、ならばこの敵は非常に面倒臭い、厄介な者である。空間を自在に操るとなれば、全方位からの奇襲に常時警戒し続けなくてはいけない。
それはつまり、常時体力と精神を消耗する事を意味している訳で。
「クソがっ」
自然と、悪態を吐いてしまう。
敵を見つける為に何処を見渡したところで、何も無いのだから当然だ。
このままでは死角から攻撃され続けて、やがては戦闘不能に追い込まれてしまうだろう。
不味い、ジリ貧である状況は間違いないし、状況は不利。
一刻も早くこの場から逃れる事こそが、この状況を切り抜ける唯一の策であると言えよう。
だが、それを嘲笑うかのようにペイラスの攻撃は終わらない。
「何処へ逃げても変わらぬぞ? 第一、その傷でどう逃げる?」
「……っ」
彼の指摘に、顔を歪める。
どくどくと今も尚血が流れ、痛みを訴えて来る両足。
止血したいのは山々だが、この状況下ではそんな余裕など在りはしなかった。
痛みが集中を奪い、出血が体力を奪う。
そのせいか体は重く、段々と体が上手く動かないような感覚にもどかしさを覚えていた。
「体が重いか?」
「……!」
何処からか聞こえる冷静な声と、突き立てられる短剣。
間一髪でそれを躱し、短剣を握る手へ反撃しようとしても、既にそこは何も無い。
何度目ともつかないもどかしい状況に、歯噛みをする暇もあればこそ。今度は右肩を浅く斬り付けられてしまう。
「言っておくが、この短剣は斬り付ける事だけを目的としていない」
「……このっ!」
咄嗟に反応出来たから良かったものの、そうでなければ筋肉を断たれて右腕が動かなくなっていただろう。
宙に浮かぶ短剣と左手首が、何も無い空間で消えていくのを睨みつけながら、その間に相手の攻撃を分析する。
一つ、攻撃パターンは基本的に奇襲である事から、非力である可能性がある。
二つ、武器は短剣。手首から先の腕などは出してこない。ここから危険を冒さない、堅実な性格が見て取れる。
三つ、声が聞こえる時は、同時に攻撃をして来る。恐らく向こうは、普通に喋っても聞こえない距離に居る。
四つ、これだけが攻撃手段でない可能性もある。慎重な性格が窺えるからこそ、手札がまだあってもおかしくない。
「いい加減、姿くらい見せやがれっ!」
脛を狙った斬り付けを、槍の柄で受け止めて弾き飛ばす。
手から短剣が離れ、手だけがその場から消える。
しかし、それだけだ。
直接的な打撃を与えられたわけではなく、その隙に左脹脛を斬り付けられてしまう。
「チクチクとっ!」
「別に私は、両手での同時攻撃が出来ないとは言って居ないぞ?」
「空間を操るって……反則じゃねえか」
「はて、それはどうかな? まぁ、君の実力は私の魔法が反則に感じる程度だったと言う事だ」
勝てれば、勝てそうなら反則とは言うまいと、何処からともなくペイラスの声が耳朶に触れる。
その余裕の滲んだ声がどうしても気に入らなくて、乱暴に槍を振り回すが、虚しく空を切るだけ。
少しは強くなれたと思ったのに、エクバソスに完敗した時と何も変わってはいない自分に愕然とする。
「ケイジの実力は精々が中級狩猟者の下位と言ったくらいだ。特殊な魔法のお陰で格上ともある程度は戦えるが、地力はそうでもない。未熟もいいところだろう」
寧ろ、その歳なら大したものだと彼は告げる。
それが尚更この神経を逆撫でして、少しは強くなっていた筈と言う自尊心を更に傷付けてくれた。
「うるせぇ! テメエ、何様のつもりだってんだ!?」
その歳? これでも中身は十七年分のアドバンテージがある。なのにこの程度しか出来ない己に、悔しさがこみあげて来た。
これでも前世は剣道をやっていた事もあるのに。実戦では碌に役に立たないとは既に気付いていたけれど、それでも自分はこの世界でも少しは戦えるようになったと思っていたのに。
なのにエクバソスは、ペイラスは、これを易々と超えて来る。
「この……このっ!!」
「そう言えば途中で話を切ってしまったが、“この短剣は斬り付ける事だけを目的としていない”と語ったのを覚えているか?」
「あぁ……?」
既に体は切り傷だらけの満身創痍。
息は荒く、四肢は震え、意識を保ち続けるにも気力を使う。
少し離れた場所では囲まれたシグとアグリッパが奮闘しているらしいが、そんなものはすぐに意識の外へと弾かれた。
「そこに転がっている、自分自身で叩き落とした短剣を見て見るが良い。何か、塗ってあるだろう?」
ぱったりと攻撃も止んでいて、その声の他にはシグらが抵抗する音が聞こえるのみ。
言われるがままそちらへと目を向け、短剣を拾ってみれば、それには何かが塗られていた。
「……おい、何だよコレ」
「毒だ。麻痺性のな。体が重いだろ?」
「ど、く……!?」
その宣告に、二の句が継げない。
自分の血液と共に、べっとりと毒らしいものが塗られた短剣の刃をまじまじと見つめ、一方で体に受けた傷の数を考える。
「そこまで即効性がある訳でもないが、別に遅効性でもない毒……の筈だが、ケイジは中々どうして倒れない。結構な傷を付けたと思うがね」
「……へっ、この程度でやられる訳、ねえだろっ」
虚勢を張って見るが、自分でも笑ってしまうほど声が上擦ってしまう。
おまけに、体の震えが輪を掛けて酷くなる。
今までは自覚して居なかったからか無視できていたそれらも、下手に毒が原因だと意識してしまったせいで拍車をかけているのだろう。
「こんな、くら、い……で……!」
「呂律も怪しくなってきたな。こんな急激な効き目だと、さては興奮が冷めたか?」
気付けば、ペイラスが目の前にいる。
腹立たしい事に馬に跨り、こちらを見下ろしているのだ。
この男、一体何処にいたと言うのか。
すぐ近くで馬に乗っていたのなら目立たない筈もないのに。
一番近くても、彼の背後では無数の騎馬がたった二人を捕らえようとして包囲を敷いている辺りしかない。
距離的には馬でも瞬間的に駆け付けるのは不可能だが、借りにそうであっても彼はそこに居たのではないだろうか。
本当に予想通り彼が空間魔法の使い手であれば、であるけれども。
「……ぅ」
やけに遠く聞こえるアグリッパの雄叫びを耳にしながら、手に持っていた槍が手から滑り落ちていた。
手だけではない、足にも力が入らずに膝をついてしまう。
それを見てペイラスが口端を吊り上げるのが、憎くて仕方ない。
こんな連中にまた破れて、折角得たと思った自由を奪われるのが堪らなく悔しい。
だが事実、体はもう思い通りに動いてくれない。
もっともそれは、あくまで体の事でしか無くて。
「……何だ!?」
「まだ……打つ、手は、あるっ!」
魔法が使えるのだ、それを使わずして何とする。
周囲を無数の白弾が浮き始め、降りしきる雪が空中で縫い留められたかの如く、それらは静止していた。
だが、それは一瞬の事。
次の瞬間にはそれらをペイラス目掛けて一斉に撃ち出していたのだった。
「――うっ!?」
思っても見なかった反撃に吃驚した様子のペイラスは、しかし咄嗟に己の魔法で退避したらしい。
刹那の内に姿が掻き消え、無人の野を行く無数の白弾は、真っ直ぐ突き進む。
丁度、シグとアグリッパを包囲していた一団へと、である。
彼らの中の一人が、はっとした顔をした時にはもう遅く、巻き起こった爆発が幾つもの騎馬を吹き飛ばした。
「……そら見ろ、やってやった、ぜ」
「やってくれる……!」
狙っていた通りの展開に溜飲の下がる思いで笑えば、憎々し気な呟きと共に背後から圧し掛かられる。
「油断した私も私だが、まだ抗う気力があるとはな」
「ざまぁ、ねえ……」
「たったそれだけの歳で、ここまでの抵抗を見せる気力がある事は称賛しよう。……だが、それもここまでだ。眠れ」
その言葉と共に首へとペイラスの腕が回されると、間髪置かずに首を絞められた。
直後、意識は闇へと落ちていた――。
◆◇◆
突如として襲い掛かる、無数の白い弾丸。
その威力と球数たるや凄まじく、交戦していた敵騎兵が吹き飛び、彼女――シグは驚愕した。
「これは!?」
「あのふざけたガキの仕業でしょう! どっちにしろこりゃあ好機ですよ!」
自身の護衛を務めているラドルスはそう言うと、荒い呼吸の中に笑みを見せ、残っている敵騎兵へと突っ込んでいく。
敵側は突然の攻撃に酷く狼狽え、そのせいもあって彼の突撃に有効な手立ても打てていない。
確かに彼の言う通り、今は好機。だが、そこで彼女は視界の隅の存在に気付く。
それは長身の男に圧し掛かられて組み伏せられた、紅髪の少年の姿。
丁度首を締め落とされ、意識を失ったようだ。
「お嬢、何を……!」
「ラドルス、ごめん! アイツが危ない!」
守るために働いてくれている彼の制止の言葉に謝罪で返し、シグは馬首をそちらへと向けていた。
何となく、本当に何となく、援護をしてくれたあの少年を何もせず見捨てるのが申し訳なくて。
恩を仇で返すのが普段からどうしても気持ち悪くて、気になって仕方がなくて。
例え無駄であっても、せめて少しは動いておきたくて。
「いっけえ!」
馬を疾駆させながら、彼女は上腕ほどの太さと長さがある氷柱を一つ、男目掛けて撃ち出す、が。
「狙いが見え見えだ」
「っ!?」
男目掛けて撃ち出したはずの氷柱が、どういう訳か彼女自身に向かっていた。
咄嗟に体を捻って躱すも体勢が崩れ、落馬する寸前で鐙より足を外して下馬する。
「厄介な魔法……!」
「おや、貴女にそう言って頂けるとは光栄だ。付きましては御礼がしたいので、大人しくついて来てくれませんかね?」
「お断り。それよりも、早くそいつを開放してくれない?」
「この少年に何か御用で? 申し訳ありませんが、お渡しできないのです。彼は大変価値のあるモノでしてね」
意味深な発言と共に口端を歪める男に、シグは怪訝そうな顔をして見返す。だが一方で、いつでも攻撃できるように準備は欠かさ無い。
そんな彼女の警戒を知ってか知らずか、男は尚も話を続ける。
「この少年が特殊なのは、先程の魔法を見て気付いたのでは?」
「……まぁ、単純な魔力の塊なんて、早々見る事は無いけど」
「そうでしょう? この少年は貴重なモノなんですよ。我が主にはどうしても必要となり得る“素材”だ」
語りながら、男は少年を肩に担ぐ。
「ついでに言えば貴女もだが。大人しく私に付いては来ないかね?」
「寝言は寝てから言って。あと、そいつが人質のつもりなら、残念ながら余り意味がないと思わない?」
シグは不敵に笑いながら、自身の周囲に無数の氷礫を現出させる。
しかもその数は十では到底きかず、二十、三十と次第に数を増していく。一つ一つは然程大きくはないにしても、これだけの数となれば十分に脅威足り得る。
「厄介な魔法。アンタも追手の一人なら、早い内に潰しておくに限る」
「別にこの少年は人質のつもりでは無かったが……一つ言っておこう。幾ら数で押し込もうと無駄ですよ、殿下?」
「……口でならどうとでも言えるんじゃない?」
その言葉が丁度言い終わったところで、氷礫の一つが動き出す。
小ささも相俟って、動きを完全に見切る事はほぼ不可能とも言える筈のそれは、男の斜め背後にある地面を削って終わった。
「む」
「残念、だから言ったでしょう? 私には当たらない」
「さっき氷柱がそっくり返されたのと言い……空間でも弄ってるの?」
「ええ、ですが種が分かった所で打開策は見つかりましたか?」
「一応、一つは」
余裕綽々と言った態度を崩さない男に、シグはむっとした感情を隠そうともせず即座に応じる。
てっきり黙り込むとでも思っていたらしい男は、その反応に怪訝そうな顔を見せるのも一瞬、すぐにその表情を消した。
「この少年のように虚勢を張っても、見苦しいだけで……」
「アンタ、余り接近戦は得意じゃないでしょ?」
「……何を根拠に?」
「これから証明するんだよっ!」
刹那、氷礫の内の十までが一斉に動き出す。
これもまた一つ一つが小さく速いので見切る事など容易な事では無かった。
「なるほど、数で制圧に来るか」
だが、先程のように軌道が捻じ曲げられて、その悉くが逸れて地面へと落ちていく。
やがてそれが撃ち止めになりかければ、今度もまた十ほどの氷礫が動き出し、間断なく彼へと襲い掛かった。
しかし、そうは言っても攻撃は全て逸れてしまっている訳で、一向に損害を与えられる気配はない。
精々、足止めが精一杯な魔法だ。
「何の為にこんな魔法を……」
当然それは男もまた理解しており、だからこそ眉を顰めたその時。
「――ほら、ここからどうする?」
己の視界に大写しとなった少女――シグの姿を認めて、彼は驚倒した。
彼女の振り上げられた右手が握っているのは、両刃の剣。
このまま行けばもう残り少しの猶予もなく、その刃に命を奪われる事だろう。
「っ――!」
慌てて体を捻って躱すが、焦りの余り体勢は崩れ、担いでいた少年を取り落とす。かなり乱暴に落とされたそれは、しかしまだ意識を取り戻す気配が無かった。
だが、男にはそちらを気にしている余裕などない。
「嫌らしい戦い方だ……!」
待っていたかのように襲い掛かる氷礫の第三波に、舌打ちが零れる。
同時にシグに姿も視線を走らせて探せば、そこにはしゃがんで地面に両手をつく彼女が居た。
これまでの経験上多くの魔導士を見て来た男は、それが何であるか瞬時に悟り、眉間の皺をより深く刻む。
「小癪なッ……!」
「凍てつけぇッ!」
その瞬間、まるで地面に亀裂が入るかのように細い氷の線が一条、素早く走り出す。
当然その狙いは男であり、彼は尚も続けて殺到する氷礫に足止めされて、動けない。
だが、絶体絶命とも言える状況下にあって、彼はそれでも冷静な態度は崩さず。実際、その思考もまた冷静なものだった。
パキパキと音を立てながら向かってくる地を這う氷に、纏っていた外套を投げ捨てたのだ。
投げ捨てられたそれは氷に接触すると瞬時に凍り始め、冷気を帯び始める。
瞬く間にそれを凍結せしめると、一度進撃の止まった氷の線は男を目掛けて再度迫っていた。
男はそれを確認する事もなく、同時に自身を氷礫から守っていた魔法を解除した。
当然、無数のそれらが男の体を抉るが、まるでそんなものは些事だと言わんばかりに構わない。
もしや諦めたのかと思われたその時、彼の姿が掻き消える。
何の前触れもなく見失った事でシグは慌てて身構え、周囲を警戒するも、しかしそれは杞憂だった。
「……稚拙だが見事。二兎追った私も馬鹿だったが、そうでなくともここまで戦えるとは」
口から垂れた血を拭いながら、長身の彼は笑う。
露わになった容貌は薄緑色の髪と眼を持ち、全身に傷の痕が見える青年。
その痛々しさの覗く痕跡に、何があったのかと探りを入れたくなるのを堪え、シグは男を見据えた。
「あっそ。てかアンタ、早く名乗ってくれない? 私の名前だけ知られてるって不平等でしょ」
「これは失礼。私はペイラス、主人に仕えし忠実なる僕。貴女もそこの少年も、いずれは捕えさせて頂く。……我が主の為に」
言い終わるや、それ以上の会話を受け付けないと言わんばかりにペイラスは背を向けて騎乗する。
「まだ話は終わってない!」
「答える理由が見当たらないな。どの道、後で嫌というほど知れるだろう。楽しみに待っていろ」
食い下がろうとするシグだが、彼は素っ気なかった。
既に、都市の城門からは兵士と思しき一団が湧き始め、ここを目指している。
そもそも大した距離もない以上、すぐにでもここへ到達する事は明白で、長居する気もないのだろう。
「……撤退!」
騎兵隊長らしい男の号令と共に他の騎馬やペイラスも一斉に駆け出し、この場を離脱していく。
波が引くように呆気なく去って行き、後に残されたのはシグと少年、ラドルスと倒れている敵兵だけであった。
「お嬢、無事ですか!?」
「ラドルスこそ! 傷は平気!?」
「ええ、まぁ癒傷薬でも使えばそんな大きい怪我にはなりませんよ」
何十騎も相手にして孤軍奮闘していた彼の装いはボロボロで、だというのに彼は快活に笑う。
だが頬を緩めたのもほんの一瞬、すぐに表情を引き締めると真剣な表情となった。
「都市の連中が来ます、急ぎましょう。あれだけ市内で騒いでしまっては、まず投獄は間違いありません」
「分かってる。けど、ちょっと待って」
「何ですか……ってまさか、お嬢?」
こくんと一度だけ頷く少女の視線は、意識を失ってぐったりとした紅髪紅眼の少年が居たのだった。




