表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第三章 ウタガワシキハ
46/239

はじまり ②

◆◇◆



 天色の髪をした少女は、シグとだけ名乗った。


 こちらを見据える目には特にさしたる感情も無いようで、悪く言えば信用も信頼もしていないと取れる。


 もっとも、それで困る事は無いし、吝かではないくらいだ。


 そして彼女を護るようについている男は、笑みを浮かべつつ視線をじっと放してくれない。やはり警戒しているらしい。


「俺はアグリッパ。巻き込んで悪いんだが、少しばかり同道して貰うぞ。どうせ、さっきの連中を殺したお前は一蓮托生だ」


「……巻き込んで置いてよく言う。それと深く詮索する気はないが、アンタ、アグリッパが姓だろ? 個人名でそれは中々見ないんでな」


「さて、どうかな?」


 彼の顔から笑みが一瞬で消える。


 それもその筈、この世界で姓を持つという事は、少なくともただの農民や市民ではあり得ない。


 そうでなくとも、騎乗している時点で金を持っている事は分かり切っている。おまけにアグリッパは姓持ちなのに、護られている少女は短い名しか名乗らない。


 偽名もしくは本名を隠しているのは確定として、だとすればこのシグと言う少女は何者なのか。


 少なくとも貴族以上である事も確定したと見て良いが、問題はその爵位だ。


 術師(マギ)騎士(エクイテス)男爵(バロ)子爵(ウィケコメス)伯爵(コメス)侯爵(マルキオ)公爵(ドゥクス)……と、それから更に上がある事は情報を集め回った甲斐あって知っているが、果たしてどれか。


 他国の人間に追われていた事を考えると(レックス)の可能性も捨てがたい。大穴で豪商の娘、もしくは没落貴族という線も捨てがたいまである。


 さて、どれが……。


「お前からすればやんごとなき身分にある御方と言う事だけを言っておく。それ以上の詮索は許さん。大体、俺が名乗らんでもさっきの戦いである程度分かるだろ?」


「そりゃ、御大層な身分である事は見れば分かるんだよ。訊いてんのはその先だ。貴族かそうでないかくらいでも、教えてくれても良いじゃねえか?」


 剣呑な雰囲気で思考を中断させた彼に、睨み返しながら反駁(はんばく)する。


 微かに、殺気がぶつかり合った。


 自然と槍を握る手に力が籠り、気付かれぬよう努めながら腰を僅かに落とす。


「察したなら少しは畏まると思ったんだがなぁ……お前、今どれだけ非礼な真似をしているか分かってんの?」


「はいはい、分かったよ。また人を殺すのは疲れるんだ。それと俺はケイジだ。ケイジ・ナガサキ」


「……聞いた事ない発音だな。異国の人間、にしては見た目この辺の住人と違いも無い」


 並列して歩きながら、馬上からアグリッパがこの顔をジロジロと見て来る。


「随分肌が白いな。旅人なんだろ?」


「互いにとって無用な詮索は不幸な結果を招くと思うぞ? 人に探られるのが嫌なら人にはやるなって教わらなかったか?」


「このガキ……変な情けなんざ見せず、あの道を真っ直ぐ行かせるべきだったぜ」


「ガキじゃねえ、ケイジ・ナガサキだ。人の名前一つ覚えらんねえのか?」


 前世の、日本語の姓だが、この世界で姓を持っている事はある程度の権力を持っている、もしくは持っていた事を示す。


 正直なところ前世でも今世でも庶民も良いところの出であるが、事情を知らない人からすれば貴族かと思える筈である。


 なのにアグリッパは一定の敬意を払う気配を見せない。ナガサキと言う姓を詐称と取っているのか、(はた)(また)仮に貴族であるとしても尚、彼らの方が爵位が上だと思っているのか。


 多分、前者であろう。実際その通りであるし、この世界には戸籍が見当たらない以上、僭称詐称はやり放題であるのだから。


 無論しっかりした場所では詐称など通用しないけれども、旅先などであれば証明する手立ても無い。


 証拠の家紋を見せろと言われても、突っぱねてしまえばそれまでなのだから。


「偉そうな態度取りやがって、どうせその姓だって詐称だろうに」


「そう言うアンタはやんごとなき身分とやらを証明できんの? 領地と爵位を名乗るなりすれば良いんだから簡単だろ?」


「……こっちが大人しくしてれば調子に乗りやがって!」


 かなり大きな舌打ちが為されたかと思えば、槍が振り被られる。


 対してこちらは足を止め、相手の眉間へと穂先を向け構えた。


 だがそこで割って入る、少女の声。


「ラドルス、止めて」


「ですが、お嬢……ってか俺の名前言っちゃってるし!?」


「止めてって言ってるでしょ。その人も敵意を向けられなければ何もして来ないんだから、無理に戦う必要はない筈じゃない?」


「コイツは、お嬢の事を馬鹿にしたんですよ!?」


「事実を言われただけじゃん。そもそも私、あんまり堅苦しいのは苦手なの。それにさっき、落ち着いてって私に言ったのもアグリッパだったでしょ?」


 やや不機嫌そうな色を滲ませ、彼女は馬上から振り返った。


 その大きな瞳の色は髪と同じく天色。標準的な背丈に乗る頭部は小顔で、目鼻口の絶妙な配置は非常に整って見えた。


 顔立ち自体は似ていない。けれども何故か、その姿は前世の幼馴染を彷彿とさせて、一瞬だけ郷愁に駆られる。


「……麗奈(れいな)


「……レイナ? 誰の事? 私はシグだって言ったでしょ。そっちこそ、人の名前一つ覚えられないの?」


 呆とした口から飛び出してしまった言葉に、しかし少女は怪訝そうな顔を浮かべると毒を吐く。


 思っても見なかった彼女からの口撃に、驚いて言葉が出てこない。


 そうして呆気に取られていると、先程まで散々好き勝手言われていたアグリッパが勝ち誇ったようにこちらを見ていた。


「そっくり言い返されてやんの。ダセえな」


「勝ち馬の尻にしか乗れねえのかよ。ダセえのはどっちだか」


「ああ言えばこう言いやがってからに……!」


 彼は憤怒を溜め込んだかのように強く睨みつけて来たが、それを柳に風と受け流すと歩みを再開する。


 そのルートは彼らと同一だが、山脈越えのルートは幾つか分けられている。途中で分かれ道に入って、別順路でラティウム半島に入れば良いだろう。


 いっその事、元来た道を戻って先程の街道に戻ろうかと思ったが、もう既に山脈はすぐ近く。ここまで来てしまっては今更戻るのも億劫であった。


 それに、アグリッパの言っていた追手の件も気になる。何があるか分からない以上、険しいとは言え目を付けられた敵と遭遇する可能性は下げるに越したことはない。


 後は当初陸路のみだったルートを変更して、ラティウム半島の沿岸都市に出、海路ハットゥシャを目指すのみ。


 それはそれで歩く手間が省けて悪くないと思いつつ、騎馬の並足で抜き去っていく二人の姿を眺める。


 険しいと書かれている山脈越えの道を、馬を伴ってどの様に行くつもりなのだろう。


 少し興味が魅かれて尚もそちらを見ていると、視線に気付いたらしいアグリッパが親指を下に向けて叫んだ。


「じゃあな糞餓鬼! もうテメエとは二度と会わねえ事を願ってるよ!」


「そりゃこっちの台詞だ! とっとと追手にでも討たれちまえ!」


 負けじと彼へ言い返しながら、分岐路へと入る。


 選択したのは、徒歩でしか行く事の出来ない最短路。


 出来れば他の道を選びたかったが、近くにあるのがこのルートの他に今二人が向かっている道しかなかった。


 険しい事は言わずもがな、それでも彼らより早く山越えが出来る事を想像して、僅かに溜飲が下がるのだった。






◆◇◆






「逃がした?」


「は、申し訳ありませぬ。奴め、追い詰めたと思っても尚しぶとく抵抗しまして、この有様でございます」


「構わん、元よりはした金(・・・・)で雇った連中だ。幾ら死んだところで直接的に兵を損耗した訳ではない。だが参ったな、傭兵頭より借り受けた五十騎を十騎程度にまで擦り減らしてしまっては、流石に言い訳が立たん」


 とある木造建築の中で、一人の男がゆったりと椅子に腰かけていた。


 口では困ったという彼は、しかし先に言った通り大して構ってはいない様子だった。


 それでも少々面倒な事になったのは事実。


 顎に手を当てて思案するように黙り込むと、報告をしていた者が(おもむろ)に顔を上げた。


「僭越ながら、小官に考えが」


「申して見よ。傭兵とは言え兵を磨り潰した貴様に、真面な意見があればだが」


 かなり棘のある言いざまにその人物は肩を縮こまらせ、素早く俯きながら提案する。


「この際、その傭兵隊長へ任せて見ては如何です? 仲間を多く討ち取られたのですから、こちらの指示に従いにくくはなりましたが、代わりに復讐を示唆すれば……」


「なるほど、勝手にやってくれる訳か。しかし、ある程度は統御下に無ければ面倒事を起こすやもしれんぞ」


「それについては小官が随伴致します。勿論、直接口を挟む真似はしませんが、上手く誘導して見せますよ」


 名案であると頷く彼に、配下の男は駄目押しと言わんばかりに力強い声で言い切る。


 するとそれに満足そうに頷いた彼は、判断を下した。


「分かった、では貴様に任せるとしよう。ただここで失敗してみろ、出世の道は断たれると思え」


「ははっ、この命を賭けまして遂行する所存でございます」


「ならば良い。準備が完了次第追うが良い。目星は付いているのであろう?」


 下がれ、と告げて配下を下がらせると、彼はグラスに注いだワインを煽る。


「……さて、ここで討ち果たせれば閣下の夢もより現実味を帯びる訳だが」


 男は自分でグラスへと注ぎ、再びワインを嚥下する――。






◆◇◆






 短槍を突き、振り回す。


 その度に鮮血が、肉片が、耳障りな悲鳴が飛ぶ。


 至近距離に入られれば短剣を抜き、一閃。喉を切り裂き、断末魔の悲鳴すら上げさせずに命を刈り取る。


「……十一!」


 ぎゃあ、と獣の悲鳴を上げてまた矮猿(ゴベリヌス)が一頭、斃れた。


 しかしそれでも尚、その群れは退かない。


 五十にも届く矮猿の群れとなれば、十と少々を斬った程度では怯まないのだ。


 人間であれば損害の大きさに撤退を考える人も居そうだが、それらに早期の危機管理能力など持ち合わせていなかった。


 十二、十三と屠っても、その攻撃は止まらない。


 殺意を以って粗末な武器を振るい、隙さえあれば命を奪おうとしてくる。


 貧相な弓に貧相な矢が番えられ、五つほどがバラバラに放たれるが、それは大きく移動したり死体を盾にする事で容易に躱す。


 鬱蒼と生える木、そして枝葉に槍の動きを阻害されぬよう位置取りに常時注意を払いつつ、お返しと言わんばかりに三つの命を刺突で奪う。


 あの頃――ボニシアカでアロイシウスらと狩猟者(ウェナトル)をやっていた頃には、これくらいが限界だっただろう。


 しかし、今はこれだけ殺しても尚、体力と精神共に余裕がある。


 勿論、白弾を使えば当時でも無理矢理に制圧出来ただろうが、今は身体強化術(フォルティオル)の他に槍を使うだけ。


 二十頭目を屠りながら、己の成長を実感していた。


 アルプ山脈を越えて、既に一カ月。


 その間に、自衛力を上げる為にも狩猟者(ウェナトル)として依頼を熟し、同時に旅費を稼いできた。


 伴って装備などに気を配る余裕も出来て来て、ある程度上等な宿にも泊まれるので日々の疲れをじっくりと癒す事も出来る。


「……お前か!」


 群れの中で、ひと際大きな体躯を誇る矮猿(ゴベリヌス)、その胸を抉って仕留めた。


 即座に引き抜き、残心。前後左右、頭上から他の個体による奇襲を受けないよう警戒してみれば、残されたそれらは呆として動かない。


 それから少しして思い出したように踵を返し、木々の隙間を縫うようにして一目散に逃げ始める。


 だが、その間にも二頭ほど討伐し、群れは数を大きく減じていた。


 その群れが撤退し、後に残されたのは夥しい死体と血の匂いのみ。


 無残に転がるそれらから素材などを剥ぎ取り、そのまま放置。


 下手をすれば不衛生な環境を作り出して疫病を生み出しそうだが、この世界の森は驚異的な生物が多く存在している。


 人の気配が消えれば、瞬く間にこれらの死体は捕食され、或いは分解されて生態系へ、そして自然へ還るだろう。


 故に仕事を果たした狩猟者(ウェナトル)が後処理に奔走する事は無く、妖石(サクスム)などを回収したら引き上げていく。


 依頼されていた以上の狩猟数と、一番の討伐目標を狩れたのだ、今日はこれ以上森に留まる必要もなく、滞在している都市へと戻る事は当然だろう。


「――お疲れ様です、ケイジさん。その様子なら依頼は達成為さったみたいで」


「勿論。また服を洗濯しなくちゃいけませんがね」


「それはまぁ、何と言うか……頑張ってください」


 ここ数週間ですっかり顔馴染みとなった、この都市の狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)の受付と談笑しながら、依頼完遂の報告をする。


 返還される割符の片割れ、契約金と同時に、差し出される報酬金。


 それらを受け取って、今度は隣接する建物へと向かう。


 組合と連携している商人が営む買取所である。


 そちらでもまた売却した素材の代金を受け取り、財布を膨らませる。


「坊主、相変わらずえげつねえ数を買ってきやがって……査定する方の身にもなれってんだ」


「沢山出て来たんだから仕方ないでしょ? ま、ラッキーと思ったのは否めませんけど」


「はは、流石に中級狩猟者(メディウス)様は言う事が違うな。その歳でこの階級まで上がれる奴ってのは早々居ないぜ」


 ここでもまた、他愛のない雑談をし、そして街へと繰り出す。


 既に血に濡れた服は着替え、泊まり続けて馴染みとなった宿の井戸から水を貰い、漬け置きしてある。


 宿の主人が見てくれているらしいので安心だ。


「おう、ケイジじゃねえか。今日もボロい儲けだったんだろ? 今度飯でも行こうぜ! ってか俺らと一緒に組もう! チームになった方が色々捗るだろ?」


「……いや、有難いけど止めとく。この後もやらなくちゃいけない事もあって、予定に空きがないんだ。それに、俺は彼方此方放浪してるから」


 顔馴染みとなった気の好い狩猟者の誘いを丁重に断り、挨拶を交わして別れる。


 そも、あんな事があった以上、もう特定の誰かと組む気なんて微塵もないのだ。


 必要以上に接近して、必要以上に仲良くなる必要なんてない。


 そんな事をしてしまえば、必要以上に悲しくなってしまうだけだから。


 精々、挨拶したり軽く話す程度で充分。


 ふと頭を過るのは、前世(かつて)の記憶。それが自分へと問いかけて来る。


 本当にそれで良いのか、満足なのか、詰まらなくないのか。


 腹の底から笑ったのは、もう何か月前なのか。


「……何を今更」


 漏れ出たのは、自嘲。


 自分の満足を求めたばかりに裏切られたのだ。だから今もこうして自戒している。


 この世に白儿(エトルスキ)として、ラウレウスとして生まれてしまった以上、友情だの何だのは求めてはいけないのだ。


 我儘にもそれを求めた結果を、もう繰り返す訳にはいかない。


 この街に来て、滞在して、多くの人と触れ合い、話すようになった。


 でもそれは、談笑している自分を自身の視界の中で鑑賞している様な、仮面を被った自分が動いている様なものだった。


 沢山の人が周りに居るのに、でも何処かで一人ぼっちに感じられて。


 だから時折、前世(かつて)の姿をした自分が夢で問い掛けて来る。


 このままで居のか、と。


 それに対して、自分でも意固地になったかのように諾とする。このままが良いと仮面を被り続けるのだ。


 実際、今でもそれなりに満ちた様に思える。


 無理にその先を求める必要はないと思える。


 それでも結局どちらが正解なのかは分からなくて。


 積極的に人と関わる事も、積極的に人の関わりを断つ事もせず、どちらともつかない中途半端な生活を送り続けていた。


「何が正解とか、分かる訳ねえだろ」


 誰ともなく、呟きながら天を仰ぐ。


 道行く人からは少し奇異な視線を向けられるが、そんな事は気にしない。


 ここ一か月以上同じことで悩み続けて、少し参っていたのだ。


 それでも、そろそろだと思う。


 そろそろ決めなくていけない、はっきりさせなくてはいけないのだと思う。


 人と関わるのか、否か。


 自分は関わるべきか、否か。どちらが本当の意味で自分の為になるのか。


 雑踏の流れに沿って歩みを再開しながら、尚もこの思考は巡り続けていた。


 だからだろうか。大通りの対向からやって来る二人組に気付くのが大きく遅れてしまった。




「……あ」




 それを認識した時にはもう既に真横に居て、その二人組もまたしっかりとこちらを注視していた。


 それぞれ馬を曳く男女の名はラドルス・アグリッパとシグ。


 この都市に辿り着く前に、もっと言えばアルプ山脈を越える前に分かれた彼らだったのだ。


「何でこんな所に……」


 思わず足を止め、漏れ出る呟き。


 特に意図せず出てしまったそれは、同様に立ち止まっていた彼らに聞こえるには充分だったようで、憎々し気にアグリッパが吐き捨てた。


「そりゃこっちの台詞だ。徒歩で行ける最短路を言ったお前が、何でまだこんな場所に居やがる?」


「船賃を稼いでんだよっ。ここから先だと余り稼ぎが良くないらしいからな」


「船賃……? ああ、そう言う事か。ならもう会う事もねえだろうよ。こっちは明日にでもこの街を発つ」


 金がない奴は大変だな、と目を細めて言われると、むっとした感情がこみ上げて来る。


 だがそれもすぐに振り払うと、その言葉を無視するようにして雑踏の流れへ身を任せた。


「……張り合いのねえ奴だ。じゃあな」


「おう、もう絶対に会わねえだろうさ」


 面白くなさそうに鼻を鳴らしたアグリッパに、背中越しに手を振り返してそのまま、首を向ける事はしなかった。





◆◇◆




「御免ください」


「はいはい、何でしょうか?」


 気に入らない二人組と別れ、“メルクリウス商店”と書かれた看板のある店を訪ねる。


 この都市へ来てからすっかり馴染みとなってしまったここは、多くの品揃えがあり、広い。


 前世のスーパーマーケットには及ばないものの食品や道具、果ては薬なども置かれていて、利便性では他店の追随を許さないほどである。


 つまりは余程専門的でなければ、他の店へ行く必要もないと言う事で、最初に客を迎え入れる商品棚には比較的安価な物品が所狭しと並んでいた。


 しかし、今はそこに用事が無い。


「紅い染髪料について予約を入れていたケイジ・ナガサキです」


「ああ、ナガサキ様ですか。少しお待ちください、ただ今持って来させます」


 店内は武器を持った警備らしき人が散見され、万引きなどに目を光らせているらしい。そしてその警戒網に余程自信があるのか、多くの商品が棚に陳列されている。


 試しに癒傷薬(メディオル)を一つ手に取ってみれば、それだけで一人の警備員の目が鋭く射抜いて来る。


 特にやましい事をするつもりはなかったのだが、慌ててそれを棚へ戻すと誤魔化す様に周囲を見渡し、触れられないように囲いで隔離された武器に目を付けた。


 こんなものまで置いてあるあたり、一部はスーパーすらも凌駕していると内心で苦笑しつつ、壁に飾られ、或いは棚に並べられた武器を見ていく。


「……前々から思ってたんですけど、この店ってあちこちの店と提携でもしてるんですか?」


「ええ、薬は薬屋に、武器は鍛冶屋にと契約を結んでものを仕入れています。最初にいらっしゃるお客さんは大体品揃えの多さにびっくりなさいますよ。ナガサキ様は大して驚かれなかったと記憶していますが、別の支店にでもいらした事が?」


「いや、別に初めてですよ」


 勿論、この世界では初めてであるだけで、前世で馴染みがあったからに他ならない。


 だからこそ、多くのものが一つの店にあると言う事実に目を剥くような事が無かった。真新しさを感じる事も無かった。


 精々、懐かしさを覚えたくらいである。


「それにしても、武器の値段が随分高いですね?」


「ウルカヌスって鍛冶屋から仕入れていますからね。あそこの職人は誰もが精鋭ばかりですよ」


 掛かれた値札に顔を引きつらせながら訊いてみれば、店員は当然ですと言わんばかりに何度も首を縦に振る。


「うちの店とその鍛冶屋、両方ともタルクイニ市に本店があるんですよ。確かに大都市ですけど、どうせなら古都ラウィニウムに移せばいいのにって意見は多いんです。けど、会長と親方は頑として認めず……」


「だとすれば何かあるんじゃないですか? 地縁的な何かが」


「まぁ、確かに両店舗ともあの都市が発祥ですけどね」


 などなど店員の男性と時間を潰していると、頼んでいた品物を別の店員が持って来た。


 一抱えもありそうなその袋を重そうに持った彼は、袋に書かれた文字を読み上げて再度確認をして来る。


「えー、ケイジ・ナガサキ様で大丈夫ですかね? 一応中身をご確認ください」


「あ、どうも。……大丈夫ですよ。幾らですか?」


 袋の口を開けて確認し、店員へと値段を尋ねる。


「しめて三万T(タレト)ですかね。量もそうなんですけど、取り寄せって事もあってやや割高になってます」


「……高い」


「払えますかね?」


「いやそれについては大丈夫なんですけど……」


 折角溜まって来た旅費に、不安が再び生じてしまうくらいの出費ではある。


 金を出すまでは渡さないぞと言外に告げて来る店員に、苦笑しながら金を渡すと商品を受け取った。


「そろそろこの街を発たれるんですか?」


「装備は揃ったんですけどね、でも今度は金がないので……やはりもう暫くいる予定です。念の為に金を稼いでも罰は当たらないでしょうし」


「なるほど、ではまた次のご利用をお待ちしておりますよ」


 人好きのする営業スマイルを浮かべた店員に会釈を返して退出すると、今度こそ宿へと続く帰途についていたのだった。





◆◇◆





 桜は散り、校庭の木々には花弁の剥げた赤黒い枝葉と新緑が混じり合う。


 周りを見渡せば、学ランもしくはセーラー服を纏った同じくらいの少年少女がキョロキョロと辺りを見渡していて、何処か緊張した雰囲気が漂う。


 中学校の入学式を終え、初めて教室の机に着席した時の馴染みのない感覚は堪らなく緊張させてくれる。


 小学校から付き合いのある子も同じ教室には何人も居たけれど、その中には見慣れない顔も同数くらいいる訳で。


 誰もが最初は恐る恐ると言った様子で新たな顔ぶれと話し始め、やがてチラホラと笑い声が上がり始める。


 そしてそれは自分自身も例外ではなく、小さい頃からの付き合いがある麗奈や他の男子と共に、新しい顔ぶれと触れ合う。


 その中には、見るからに活発そうな少年が一人居て、騒がしく剽軽な性格に、誰もが愉快な気持ちにさせられた。


「俺は長崎 慶司。お前は?」


興佑(きょうすけ)。桜井 興佑だよ。宜しくな、慶司!」


 そう言うと彼は馴れ馴れしく、それでいて嫌な気持ちにさせない笑みを浮かべて、肩を軽く叩いて来ていた――。






 瞼を開く。


 そこには先程まで映っていた幼さの滲む少年の笑顔は微塵も無くて、ただ無骨な宿の木の天井があるだけ。


 しかしぼうっと呆けた顔を晒していたのはほんの少しの間だけ。


 すぐに跳ね起きると、予めコンパクトにまとめて置いた装備を着装する。


「……朝くらいゆっくりさせてくれよ」


 壁に立て掛けて置いた短槍を手に取り睨み付ける先は、ここ一か月も止まり続けている個室の扉。


 その向こうの廊下に、人が来ている。殺気の滲んだ荒い呼吸で迫っている。


 まだ日は昇りきっておらず、微かに開けてある窓からは薄暗い光が差し込むだけ。


 視界が悪い事この上なかったが、それはつまり押し入られたとしてもすぐに見つかる事がないと言う事である。


 襲ってくるのは、一体何者であるのか。


 心当たりはかなりある。


 己が白儿(エトルスキ)である事が露見した可能性が最も高く、それと同じくらい、この前の襲撃者による復讐の可能性もある。


 大穴でただの強盗と言った線も無くはない。


 さて、何が出るか。


「……」


 暫く待ってみるが、すぐに突撃してくる気配がない。どうやらまだもう少し、時間がありそうだ。


 ならばと視線を向ける先には、日の光が差し込む窓があった。


 無駄な戦闘や流血は避けるに越したことはない。そうでなければ余計に目立ってしまって、騒ぎを起こしてしまいかねない。


 勿論それでどさくさに紛れて己から目が逸れれば万々歳だが、物事は中々上手く行ってくれない訳で。


 ならば最初から騒ぎなど起こさない方が賢明である。いつ来るとも分からない相手をいつまでも待ってやる必要なぞ、無いのだから。


 裏をかいてやって、済々した気持ちで窓から飛び出せば、そこは地上四階。


 生身の人間が落ちればまず間違いなく大怪我以上が確定であるが、しかし強化術を以ってすれば無傷で居ることは不可能ではなかった。


 着地の際に大きな音が立ってしまうが、それでもすんなりと裏路地に降り立ち、駆け出す。


 事前に察知されるとは思っていなかったのか、周囲には人の気配はなく、易々と朝日の差し込む薄暗い街を駆け抜けていく。


 そのまま城門へ向かうが、当然そこは閉じられていて、開放されていない。


 それでも夜警を行う守衛は立っていて、槍を向けながら誰何(すいか)の声を上げる。


「何者か! これより先はまだ行かせられんぞ! もう暫し待て!」


「なら代わりに助けてくれませんか?」


「……何?」


 衛兵の指示通りに立ち止まって保護を願い出てみれば、彼は怪訝そうな顔をしてこちらを見て来る。


 しばしぼうっとした顔を晒した彼は、そこでハッとして槍を下げると質問を飛ばしていた。


「何があった?」


「宿に泊まっていたんですけど、個室の前に不審な男が居まして……それの確保を」


「そりゃ無理だ。証拠がない、俺らにはどうする事も出来ねえし、そもそもお前の証言を信用できない」


 構えを解いていた彼は再び穂先をこちらに向け、大人しく市街へ戻るように威圧してくる。


 しかし、こちらとしては確かに気配の中から殺気を感じ取ったのだ。


 そうそう易々と戻る気にはなれなかった。


 どうにかして説得の材料がないものかと思案し始めた丁度そこで。




「――ッ!?」




 少し離れた市街で、凄まじい轟音が巻き起こった。


 恐らく、この音では周辺住民である寝ぼけ眼の人や、熟睡して居た人の多くが目を覚ました事だろう。


 それくらい大きな音だったのだ。


「……あんな事が起こっても信用できないって言いますか?」


「いや信用も何も、これで何もしなかったら職務怠慢で俺が罷免されちまうよ」


 濛々と上がる煙を見ながら、守衛の男は苦笑を漏らしていた。


 だが、どうであれ彼に対して納得されるだけの材料を提示出来たのだ。


「信じてくれたようで助かる。ついては早期に城門を開けて欲しいんだが……」


「それとこれとは話が別だ! 第一、あんな爆発が起こった以上、犯人を逃がさない為にも尚更開ける訳無いだろ!?」


「……面倒な」


 証拠があったらあったで、結局面倒な事態である事には変わらなかったらしい。


 では、市外へ出してくれないのなら匿ってはくれないかと言ってみるのだが、衛兵はそれを素気無く拒絶する。


「お前、ここ最近になって中級狩猟者(メディウス)へ昇級したガキだろ? そんだけの実力があるなら守ってやる必要はねえ。寧ろ事態の鎮圧に協力しろ」


「そんなん嫌に決まってんだろ!?」


 周りの兵士へ指示を出しながら、守衛は器用にも口論を繰り広げる。


 だが、その間にも再度爆発が巻き起こり、しかも段々と近付いているのだ。


 そこはかとなく嫌な予感がして、爆発の巻き起こる方角の路地を見れば、そこには道を驀進する騎影が二つ。


 都市内の道で騎乗して爆走するなど非常識以外の何物でもないが、時間は早朝も良いところ。幸いな事に通行人は殆ど居らず、そのせいかこちらへ来る速度も速い。


 どうやら追われているらしい彼らは、その片割れが背後へ魔法を放つ事で牽制し、ここを目指している様だ。


 ここの城門を強行突破でもしようと企んでいるのか。だとしても、何故よりにもよって東門(ここ)を逃走ルートに選択したのだろう。


 もう二度と会う事はないだろうと思っていたのに。


「……何の冗談だよ?」


 見覚えのある彼ら二人の姿を目にして、紅に染め上げた己の頭を抱えずには居られなかった。





◆◇◆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ