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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第三章 ウタガワシキハ
45/239

第一話 はじまり ①


 激しく流れる水の音がする。


 けれども視界は濁っていて見えず、ただ手近にある大きな物体に縋りつく事しか出来ない。


「ぶはッ!?」


 どうにかして水面から顔を出してみれば、月光に照らされて周囲の状況も薄っすら把握できる。


 現状、雨で増水した川に流されているのだ。


 その勢いはすさまじく、川岸へ向かおうにも上手く行く訳もなく、時にはすぐ近くを木石が流れて冷や汗をかいた事も一度や二度ではない。


 打ち付ける水が顔に襲い掛かり、泥水が口だけでなく鼻にも侵入する。


 激しく咳き込み、鼻のツンとする感覚に目からは涙も溢れて来た。


「何でッ、こんな事にぃ!」


 血反吐を吐くように満天の夜空へ向かって吠えるけれど、所詮これはただの悪態。


 救ってくれる神や人など存在する訳もなく。


 ただ生き延びられる事だけを願って、共に流れゆく巨大な物体に縋るのみ。


 その巨大な物体とは、ついほんの少し前に仕留めた巨獣の事である。


 大きく跳躍して降下急襲を掛けて来たこの獣に、どうにか反応して迎撃し、白弾(テルム)で頭部を吹き飛ばしたまでは良かった。


 だが、それだけでは降下によって得られる勢いを止められなかったのだ。


 その結果、ただでさえ重い巨体に更なる力が加わったそれは、雨で脆くなった地盤を崩落せしめていた。


 丁度、北極や南極で氷河が海に崩れ落ちる様に、喧しい音を立てて土砂共々川に投げ出された結果、今に至るという訳である。


 この巨獣にはどういう訳か毛皮が少なく、その多くが鱗で覆われているのでしがみ付ける場所は多くない。


 しかし、幸いな事に巨獣の胸部にはある程度の毛皮と、何より胸へと突き立てた槍がある。


 深々と突き刺さったそれは簡単には抜けず、しがみ付くには最適であった。


 だが、そうやっていつまでもしがみ付いている訳にもいかない。体力や精神力は無尽蔵ではないのだ。


「何とか……どうにかしねえと!」


 岸に辿り着けやしないものかと流れの中で左右のそれを眺めるけれども、この腕ではそこまで全く届かない。


 このままでは埒が明かないと、巨獣の死体を蹴っ飛ばした推進力で岸まで泳いで渡ろうと何度思った事か。


 しかしその度に、すぐ横を流されていく倒木などが思い出され、直撃する危険を恐れて動き出せない。


 そうやって愚図愚図している間にも濁流は体力と体温を奪い続け、思考を阻害する。


 ジリ貧である事はもはや明白であった。


 どすん、と振動が手に伝わる。恐らく巨獣の死体に流木か何かが衝突したのだろう。


 生身で漂流して居たら、仮に生きていたとしても漂流物に押し潰されて御陀仏。


 かと言ってここでずっと待機していてもいずれ体力を無くして御陀仏。


 にっちにもさっちにも行かない状況に、何度目か分からない溜息が漏れた。


 そんな中でふと視線を上げた先に映っていたものに、背筋が凍った。


 それは、滝。


 轟々として轟く音と、やや遠くに見える虚空。少し行った先には流れが見えず、忽然と途切れている。


 高さはどれだけか分からないものの、少なくともあの辺りはただの川の流れではない。


「嘘だろぉぉぉおっ!」


 頭を過るのは、滝を下る際の危険性。


 前世ではテレビ番組などで散々取り上げられているのを見て来た。


 滝壺辺りの水流が云々という話を聞いた覚えがあるのだが、それは果たして何だっただろうか。


 自分の身にはまず起こり得ないと思って、話半分に流し見してしまった事が悔やまれる。


 どうにか、どうにかならないものか――。


 心なしか流れが加速していくような感覚に襲われながら、焦る思考の中であちこちを見回しても打つ手は無し。


 縋りつく手により一層の力を籠め、目と口を強く結んで衝撃に備える事しか出来なかった。






◆◇◆






狩猟者(ウェナトル)として登録したいんで、手続きを頼みます」


 やや閑散とした建物――狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)の中で、受付にそう切り出す。


 外套を羽織った子供にしか見えない人物が、たった一人で窓口に来たところに驚いたらしい。受付に立っていた男性は面食らったように軽くどもった。


「と、登録、ですか? あの、一人で?」


「一人です。登録料は五百T(タレト)でしたっけ?」


 ちゃりん、と大銅貨(デュポンディウス)を一枚カウンターに乗せる。


 するとこの申し出が冗談ではないと悟ったのか、彼は返事をすると慌てて業務へと取り掛かっていた。


「では、こちらの二つの認識票に名前を書いて下さい。本名でなくとも構いません。因みに文字が書けないのであれば言って下さい、見本を書きますのでそれを書写して貰います」


「大丈夫です、一人で書けますんで」


 差し出された筆記用具を受け取り、認識票へと書き込んでいく。


 受付の男性は子供がスラスラと文字を書いている事に大層驚いた顔をしていたが、誇らしい気持ちなど起こりやしなかった。


「随分と書き慣れていますね。どこで習ったんです?」


「……友人から。これで良いですか?」


 言いながら受け渡した二つの認識票にはしっかりと名前が書かれ、まるで石碑のように文字がへこんでいた。


 特殊な素材を使っているらしいが、こうする事で経年劣化による文字が掠れる心配が無い。


 そう得意気に語っていたのは、あの時自らの手で殺めた下級狩猟者(インフェルス)の彼だった。


 そんな回想を知る由もない受付の男性は、刻まれた文字を確認すると両方ともを返してくる。


 二つあるので、依頼を受注する際には契約金と認識票の一つを預ける。


 そうする事で身元の照合が出来るのだ。


「以上で登録手続きは終了です。尚、当然ですが階級は下級狩猟者(インフェルス)から始まりますよ」


「ええ、分かってます」


 対を成す割符を受け取り、そこに書かれている階級印を確認する。


「では御武運を祈っています、ケイジ・ナガサキさん」


「ありがとうございます」


 微笑んで見送ってくれる受付に手を振り返して応じながら、その場を後にする。


 周囲に居た少数の狩猟者は旅人然とした子供が珍しいのか、興味深そうに目を向けて来る者がいたけれど、無視する。


 面倒事になど関わり合いになりたくないのだ。


 このまま居座っていては絡まれかねないと判断して、依頼掲示板から適当な依頼を取ると、今度は依頼受付口へ直行。


 早々に受注手続きを済ませると足早に建物内から出ていく。


 あともう少し出るのが遅かったら絡まれていたと思うと、事前に回避できたというのに溜息が零れる。


 この様子では、今後ともあの組合支部を利用する際、長居は出来ない。少しくらいはゆっくりしたいと思わなくもないが、例え口に出したところで状況は変わらないだろう。


 折角滝での危地を潜り抜けたというのに、踏んだり蹴ったりである。


 あの日、濁流に為すすべなく押し流されて滝へと落とされ、それでもどうにか堪え。


 偶然岸に近付けた瞬間を狙って、川辺の木にしがみ付く事で九死に一生を得たのだ。


 しかし水に流された結果、濡れ鼠となり、頭髪を染めていた紅い染料も全て落ちてしまった。


 幸いなのはミヌキウスから貰った魔拡袋、その中身が一切水に濡れていなかった事である。


 中身は常時真空状態な上に、幾ら口を縛っているとは言え浸水しないと言うのは一体どんな構造をしていると言うのだろう。


 袋そのものが非常に高価な物品である事が容易に想像出来てしまって、最近はこれを触る際には手が震える。


 既に川の濁流から脱出して五日、その間に泥水に汚れた衣服を整え、頭髪を染め直し、居場所の把握に努めて現在に至る。


 今居る都市の名はワレンティオ。


 ボニシアカよりも更に人口が多く、栄えている様な気がする都市である。


 場所は川に流されて随分と移動し、ボニシアカよりも北東。怪我の功名と言うべきか、目的地であるハットゥシャまで近付いていた。


 それに、川の流れに従ったので人の足による移動の制約を受けず、遥かに速い速度でこの場所に至っている。


 ただし、近道だからと言って単身で再び川下りをしたいとは微塵も思わない。


 残りは地道に路銀を稼いで陸路でハットゥシャを目指すのみである。


 とっとと依頼を達成して貯蓄に更なる余裕が出来たら、この街にもう用はないのだ。


 幾らすぐ気づかれないとは言え、ボニシアカで殺人犯かつ白儿(エトルスキ)であると発覚してしまった「クィントゥス」の認識票を使う訳にはいかず、今日改めて登録し直している。


 一番の目的は達成できているし、本来なら依頼も受けずに出立したとて問題はない。


 けれど、今はそんな気はなかった。


 サルティヌスの例があるのだ、もしかすれば他にも同郷(・・)の人間が居るかもしれない。


 そう考えて登録名を「ケイジ・ナガサキ」にした。


 前世の記憶と人格を持つ人なら反応しない訳がないだろう。だからこそこの名にしたのだが、反応する人は今のところ皆無。


 念のためあと数日は滞在する予定だが、何かあればすぐにでも出立できる準備だけはしておこうと、心に決めていた。






◆◇◆





 なだらかな道と景色が続き、斜め左前方にはガリア地域とラティウム地域を隔てるアルプ山脈が望める。


 ややきつい日差しが照り付ける中で、外套を脱ぎ一人道を行く。


 結局特に何も無かったワレンティオを出立して一路、ハットゥシャを目指し。


 時折地図を開いて方角と現在の位置を推測するが、文字を教わっていたお陰でそのどちらも容易であった。


 擦れ違う人の服装などを眺めつつ漫然と歩いていると、やがて二股に分かれた道が見え始め、改めて地図を確認する。


 大きな街道を歩いているので当然ながら地図にもそのルートが記されていて、その引かれた線の先を見る。


 左へ行けばアルプ山脈へ至り、右へ行けば目的地の方角とくれば選ぶ道はただ一つ。


 無言で右の道を選択し、黙々と歩く。


 だが。


「……ん?」


 進路の先で濛々とした砂埃が上がっていて、不穏な気配に眉を顰めずには居られない。


 外れているのが一番だが、面倒事な予感がして街道の端へと避けながら尚も歩いていた。


 出来る事ならば身を隠せれば良いのだが、残念ながら隠れる場所がない。縦しんば隠れる場所があったとして、既に双方認識出来る距離にあって意味など在りはしなかった。


 そしてその距離も、更に相手の状況が良く分かる程に縮まっていく。


 結果として明らかになったのは、騎馬が二騎追われているという事実だった。


 それも、追う側は二十騎ほど。両集団とも、追い追われる立場にあるのかいずれも軽装である。


 どう見ても只事ではない事態に、土埃を視認した時点で遁走すべきだったと後悔しても後の祭り。


 取り敢えず少しでも厄介事から逃れる為に、街道の流れからは垂直に距離を取っていた。


 後は無人の街道を合わせて二十余騎の騎馬が、何事もなく駆け抜けてくれるのを待つだけ。


 だったのだが、話は早々美味しく運んではくれなかった。


 最初の二騎は良かった。余裕がないのか、こちらを一瞥だけして一気に駆け抜けていったのだ。


 しかし、追手らしい二十騎程の内、五騎ばかりが隊列を離れて向かって来た。


 この辺りには自分以外に人の姿はない。ついでに言えば彼らの視線はここへ固定されたまま動かない。


「……」


「どうもこんにちは。僕みたいなしがない旅人に、一体何の要件でしょうか?」


「……」


 何かの間違いであって欲しいと素知らぬ顔で、かつ善良そうな旅人を装って訊ねてみるのだが、呆気なく黙殺された。


 もしかすると騎馬を駆る音で聞こえないのかと、再度大きな声で訊ねてみるも、それも黙殺。


 その間に逃げ場を塞ぐようにして囲んで来たかと思えば、その内の一騎が馬上槍の穂先を向けて言う。


「小僧、運が無かったな」


 何の脈絡もなくその言葉が放たれた直後、先程まで己の胸があった場所を槍が貫いていた。


 ただし、そこはもう既に虚空なのだが。


「……何でこうなる!?」


 ワレンティオ市で買っておいた短槍の柄を長く握り直しながら、膝をつく事で相手の刺突を躱したのだ。


 十五にも見えない子供に躱された事が意外だったのか、瞠目したその騎士。その隙を逃さず踏み込み、右手に持った槍に手首の回転を加えながら突き返す。


「がっ……!?」


 上手く体重が乗った事と、軽装鎧であった事が良かったのだろう、無防備であった騎士の首に突き刺さり呆気なく命を奪う。


 今度は後ろに体重を乗せて槍を引き抜きながら、背後へ目を向ける。


 残る四騎はいずれも目の前の出来事が信じられなかったのか、呆然として注視しているばかりでまだ反撃してくる気配がない。


 ――遅い。エクバソスよりも。あの巨獣よりも尚、弱い。


 槍の柄に左手を添え、振り向きざまに四騎の内一騎、その馬へと刺突。


 攻撃を受けた事で馬は途端に暴れ出し、騎士は馬上で見っとも無く狼狽える。


 その結果、統御出来なくなった馬は隣の騎馬へと衝突し、混乱が伝播していく。


「馬鹿野郎、何をやって……っ!?」


 真面な反撃も無い間に、槍の柄を両手で長く持って、穂先に体重を乗せる様にして振り被る。


 そうやって振り下ろされた槍、その穂先には勢いが乗り、重さが乗る。


 不意を衝かれた騎士は馬上槍で防ぐ間もなく頭を兜越しにカチ割られ、辺りに脳漿をぶちまけた。


「これで二騎」


 残っているのは、混乱している二騎と狼狽えている一騎。


 その練度は、実力は、軍隊と言うものを良く知らない身からしても稚拙にしか映らなかった。


 それでも数的不利であり、いつ混乱から立ち直るか分からないので、念のため身体強化術(フォルティオル)を施す。


 最初の頃は体を強化する度に反動で体に力が入らなくなったものだが、今や精々体が(だる)くなる程度。


 それに、魔力を使っているというのに白儿(エトルスキ)である事が露見する可能性が低い。使わないでいる訳がなかった。


「殺しに来た奴は……殺す!」


 三騎とも真面な反撃をさせる事を許さず、混乱の渦中にいるまま、討ち果たすのだった。


 その結果として転がる五つの死骸。五頭いた馬の内一頭も突かれた事で怪我を負い、行動不能となっているが、特に興味も湧かなかった。


 人だろうと動物だろうと、邪魔しに掛かって来た以上はその生き死にに興味はない。


 周囲にもう人影がない事を確認すると、槍に着いた血糊を払い、頬に飛んだ鮮血を拭う。


 もっとも、槍にべっとりと付いてしまった血は振り払う程度ではどうにもならず、一先ず地面に突き刺して放置。


 血を拭き取る上で手頃なものでもないかと死体を漁ってみれば、それぞれからは幾らかの金と携帯食料らしきものが見つかった。


 槍の血糊は剥ぎ取った騎士の衣服で入念に拭き取り、錆の素にならないように注意を払う。


 陽光を反射し、鈍色に光る穂先に満足すると、今度は改めて集めた貨幣を確認する。


 だが、それら貨幣はいずれも見覚えのない装飾の施された代物。価値は分かるし文字自体は読めるものの、どうやら流通地域が違うらしい。


 現在いるサリ王国及び、ついこの間まで居たシアグリウス王国に多く流通している貨幣は既に十分手元にある。


 それと一致しないという事はつまり、他国の人間であるという事が明らかなのだ。


 一応、書いてある文字は読めるので価値は分かるが、中には見聞きした覚えの無い硬貨も見られる。

貨幣価値が地域ごとに違うのかもしれないが、だとすれば今後の旅をしていく上で非常に面倒臭い。


 その辺について情報を集める必要があると認識し、収奪した荷物をしまって槍を担ぎ直す。


 余計な時間と手間を食ってしまったが、その分収入もあったので採算的には黒字かも知れない。


 降って湧いた臨時収入にウハウハな気持ちになりながら歩みを再開するが、その時に離れた森の中から飛び出してくる二騎の騎馬を認めてしまう。


 そしてそれは向こうも一緒だったようで。


 遠目にしか見えず表情も分からないけれど、先頭を走る騎馬が確かに笑ったような気がした。


 一直線にこちらへ向かって二騎は駆け出し、それを追って森の中から二十騎が湧き出て来る。


 言うまでもなく先程街道を通り過ぎた追われる側と追う側であり、それらがここを目指して駆けているのだ。


 ぼうっとそれを眺めていたが、気付けば漏れ出る渇いた笑い。


「ああ、畜生! 俺に何の怨みがあるってんだ!?」


 人の足と馬の足。


 その速度は比べるまでもない。


 しかしそれでも、少しでも面倒事から逃げ切れる可能性があるのならばと、悪態を吐きながら遁走を開始していた。




◆◇◆




「……観念したか? 手間かけさせる」


 ぐるりと周りを取り囲んでいるのは都合十八騎の騎馬。


 そして取り囲まれているのは自分の他に騎馬が二騎。


 今更言うまでもないが、案の定逃げ切れなかった。


 幾ら強化術を足に施したとて馬の走力には敵わなかったのだ。


「おいアンタ、何て事をしてくれたんだ」


「悪いな、こうする他になかったんだ。そうじゃ無けりゃ俺らは生き残れない」


「俺が生き残れねえだろうが!?」


 全ての元凶たる二騎の内一騎、飄々とした態度を崩さない男に、ともすれば掴み掛ってしまいそうだ。


 状況が許さないので実際には出来ないけれど、舌打ちをしながらもう一方の騎馬を見遣れば、そこには天色の髪を後頭部で縛って纏めた少女の姿が映る。


 包囲している者たちの視線もそちらへ向けられていて、その中には色々な欲望が見え隠れしているが、恐らく彼女が標的なのだろう。


 そちらを時折見つめながら、嫌らしい笑みを貼り付けた隊長らしき男が前へ進み出る。


「ようやく追い詰めたぞ。それなりに犠牲を払ったんだ、ある程度の対価を支払って貰うぞ?」


「阿呆抜かせ、払うのはお前らの方だ」


 彼ら二人を、特に少女の方を捕らえて何をするのかは、その視線だけで分かり切った事だった。


 まだ彼女の顔はしっかり見てないので分からないが、周囲の騎士の反応から考えるに整っているのだろ

う。

 隊長らしき男は顎髭を撫でながら余裕そうに笑う。


「威勢が良いな、アグリッパ。だが、たった二人でそこの娘を守り切れるのか? ましてやお前、消耗していない訳じゃねえんだろ」


「おい、俺を数に入れるな」


 サラリと二人の戦力に数えられている事実に抗議の声を上げるが、それは双方の人間から黙殺される。


 何となくでなくとも不愉快だったので、もう一度言ってやろうと思ったところで邪魔が入る。


「――隊長、先程の場所で五人の死体が確認されました。恐らく、そこのガキがやったのかと」


「そうか。戻り遅いからまさかとは思ったが、ただのガキでは無さそうだ」


「いえ、ただのガキですよ? 人畜無害な旅人です。ここで見聞きした事は一切口外しませんので、解放してくれません?」


 様子見から戻って来たらしい二騎を加え、男はこちらを油断なく睨みつけて来る。


 無論、抗議はまたも黙殺された。


「我々も無駄な損害は被りたくない。アグリッパ、そこの娘を引き渡せ。そうであれば楽に殺してやろう。そこのガキもだ。悶え苦しんで死にたくは無いだろ?」


「何を馬鹿な事を。それじゃあ今までに死んじまった奴に顔向け出来ねえだろうが。欲しいモンがあるなら俺をぶっ殺してからにしな」


「あくまでも抵抗を選ぶ……馬鹿だな」


 アグリッパと呼ばれた人物は、顔は見えないが不敵に笑ったような気配を纏う。


 それに対して男は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、槍を構え始めた。


 だが当然、そこには抗議の声を上げさせてもらう。


「……いや、勝手に話進めないでくれる? 俺は何も見ていない、何も聞いていない、そしてそもそもここには居なかった。そういう事で良いでしょ?」


「煩いね。いい加減腹括ったら?」


「はぁ!? 巻き込んどいて何ほざきやがる!?」


 今の今まで黙っていた少女からの言葉に、思わず叫び返す。だが、彼女はそれっきり無視を決め込んで反応を寄越してくれなかった。


 この場に居る全員に聞こえる様、わざとらしく大きな溜息を一つ吐くと、槍を構える。


「お前ら、覚えてろよ」


「そう言うのは生き残ってから言えば?」


 苦々しさを滲ませながら呟いた言葉に、今度は彼女から返答がくる。思っても見なかったそれに対する言葉は見つからず、小馬鹿にする様に鼻を鳴らして返事とした。


 既に敵はいずれも武器を構え、いつでも戦闘へ移行できるように気合を充実させている。




(かか)れ!」




 指揮官である男の号令一下、彼を含めた二十騎の騎馬が襲い掛かっていた。


 絶体絶命。少なくとも自分一人ではこの数をどうするのはかなり難しい。逃げの一手ならば或いは、と言ったところである。


 だが、アグリッパは笑っていた。


 馬上槍を投擲して一人を殺し、一瞬で馬上から消えたかと思えば、敵方の一騎に飛び乗って背後から剣を一撃。


 たったそれだけで首を飛ばし、死体から槍を奪い取るとそれもまた投擲。


 過たず敵兵の胸を貫き、落馬せしめる。


「……何だアイツ」


 あっという間に三人を殺してしまった。


 おまけに、義経の八艘跳びの如く、乗り主の居なくなった馬の上を跳ねて次へと斬りかかっている。


 その技術は勿論、身軽さは驚嘆に値するものだった。


 だが驚くのも程々に、こちらも突き出された槍を横から掴んで、騎士を引き倒す。


「うぉっ!?」


 まさか馬上に居て見た目以上の力で引っ張られると思わなかったのか、その騎士は驚きに目を瞠っていた。


 おまけに、驚いているだけで反撃もして来ない。


 易々と突き殺すと、奪い取った馬上槍を適当に放り投げる。


 特に狙いもしなかったのだが、敵が密集していたからか馬に直撃して暴れ出し、隊列に綻びが生じる。


「おっ、ラッキー」


 運良く生じた隙である。その綻びを衝いて包囲を抜け出すが、それでも四騎程が追って来る。


 全然ラッキーでは無かったと屈託した表情になるが、瞬時に強化術を施して応戦した。


 突き出される刺突を後退して躱し、腰に下げていた短剣を引き抜くと投擲。


 先頭を走っていた騎士の額を直撃し、その結果を確認せずに地面を蹴って肉薄する。


 槍の柄に左手を添え、後続の一人を串刺しにして討ち取ると槍を手放した。


 勢いが付き過ぎてしまったせいで深く刺さり過ぎ、瞬時に抜けなかったのだ。


 代わって斃れ行く死体から剣を抜き取り、これもまた投擲。


 本当なら扱えた方が良いのだが、槍の習熟を優先したために碌な研鑽を積んでいない。


 騎兵との戦い初めてだし、ここは確実性と安全性を取って三人目を討ち取る事にしたのだ。


「……馬鹿な!?」


「馬鹿はお前らだけだ」


 予備として持って行った、もう一つの短剣。それを投擲し、四人目も仕留める。


 だが、お陰で持てる武装は全て使ってしまった。


 今襲われると中々面倒な事態になってしまう――と思って武器の回収に取り掛かるが、ふともう一つの戦場を見遣る。


 そこには九騎の騎馬がアグリッパと少女を追い詰めていて、その外で負傷兵らしい二騎が戦闘を見守っていた。


 どうやら彼が消耗していたのは本当らしい。もしもあの守られている少女が戦えないのならば、早晩彼は力尽きるだろう。


 もっとも、自分には関係ない事だと思っていると視線を感じた。ついでに言えば、近付いて来る騎馬の足音も。


「貰ったぜ!」


「仲間の仇ッ!」


 迫って来るのは、傷を負って後退していた二騎。奮闘している彼よりは仕留めやすいと思ったのか、手負いの身で肉薄していた。


 しかし、幾ら手負いでも相手は騎馬で槍を持っている。片や何の武装も持たない子供。


 状況は(すこぶ)る悪かった。


 ただし、やれない手が無い訳ではない。


 時間的余裕からして武器の回収を諦めると、再々度強化術を施して応戦する。


「武器も持たねえで!」


「そんなん()りゃいいんだろ!?」


「やってみろ!」


 拳を振り被って距離を詰めるが、牽制にくり出される槍が邪魔で迂闊に近寄れない。


 それでも諦め悪く、再度接近。


「そこだっ!」


「……っと!」


 突き出されるそれの狙いを看破して、槍の柄を素手で捌く。そうやって至近距離にまで至り、跳躍しながら右拳で一撃。


 敵もどうにかして反応しようとしたようだが、右手に槍、左手に手綱を握っている以上はどうする事も出来なかった。特に、手傷を負っていた事もあるだろう。


「ぅぐぁ!?」


 ごきり、と鈍い音がしたと思えば敵兵は吹き飛び、無様に地面へと倒れる。


 その倒れ伏す音を耳にしながら地面を蹴り、更にもう一騎へ。


「そう簡単にやられてやるかよ!?」


「……言ってろ!」


 右手に槍を持ち突撃を掛けて来る兵に対し直進、途中で進路を変更して左側面へ回り込む。


 当然ながらそちらは手綱を握っている左手があるだけで無防備も同然。


 急な事態に騎士は対応できず、その左頬に拳を叩き込まれていたのだった。


 それだけで戦闘不能に追い込まれた騎士は右足が鐙に引っ掛かって外れず、意識のないまま引き摺られていった。


 途中で聞こえて来た音からするに馬の蹄に蹂躙されている様だが、彼がどうなろうが知った事ではない。


 早々に思考を切り替えて、今度は周囲をすばやく確認し手早く武器の回収に取り掛かる。


 突き刺さった短剣二本を回収し、中々抜けない槍に悪戦苦闘していると、不意に肌を撫でる不思議な感覚。


「……魔力?」


 ハッとして尚も戦闘の続いている場所を見れば、件の少女が何やら始めている。


 彼女の周囲に形成される、無数の小さな固まり。


 まるで白弾(テルム)のようだと思っていると、それが彼女の掛け声と共に動き出す。


 それらは一つ一つが氷柱(つらら)のようにとがっており、急所に直撃した騎士を落馬させていた。


 だが、倒せたその数は僅かに二騎。


 未だあと七騎も残っていた。


 しかし少女は疲労のせいか連続して魔法の行使が出来ないようで、接近してくる敵に対応できていない。せめてもの抵抗と言うべきか、慌てて剣を引き抜いているがそれも果たして――。


「あ?」


 間抜けな声が、唐突に辺りへ響いた。


 それから数秒後、やはり間抜けな顔をした生首が地面へ転がり、頭部を無くした騎士が落馬する。


 一体何事がと思ったが、少女を庇うように馬を出している、一人の男の姿を見て合点がいった。


「まだやるってのか? 良いぜ、相手になってやる。残り六騎程度、俺に殺せないとでも思ったか?」


「焦り過ぎ……(こだわ)り過ぎたか。もう少し追い立て弱らせるべきだったな。止むを得ん、撤退だ!」


 血に濡れた顔に笑みを浮かべるアグリッパに、隊長の男は苦虫を嚙み潰したような顔をして残り五騎となった配下に指示を下す。


 同時に辺り一帯に転がっていた、まだ助かる望みのある負傷者を回収し、撤退していくのだった。


 後に立ったまま残ったのは、主を失った無数の馬と三人の人間だけ。転がっている人型はいずれも、既に骸と化していた。


「……」


 不意に吹いた風が血生臭い空気を別の場所へと攫って行く。


 すっかり血の匂いに慣れてしまった自分に驚くような事もせず、転がる骸から剥ぎ取れるものを剥ぎ取っていく。


 そしてそれを、件の二人はじっと眺めていた。


 流石に居心地が悪いので何度か視線で立ち去る様に促すが、一向に従う気配もない。


「……まだ何か用でも?」


「どうして助けてくれなかったの?」


「は?」


 思っても見なかった少女の言葉に、声が漏れた。


 呆気にとられたまま彼女に目を向ければ、その顔には憤りが見て取れる。


 しかし憤られる覚えがない身としては、それには困惑するばかりでどうにも分からない。


「貴方、私達よりも先に敵を倒し終わってたのに、どうしてこっちに加勢しないの? そうすれば連中も、もっと早く撤退するか、全滅したのに」


「どうして俺が加勢しなくちゃならない? 巻き込まれただけなんだぞ? 義理も何もないだろうが」


「はいはい、お互いに落ち着いて! 一先ず一息つける状況になったんだ、お嬢も冷静になって下さい!」


 このまま口論に発展しそうな空気になった時、割って入ったのはアグリッパだった。


 彼はそのまま険悪な雰囲気を振り払うと自分の後について来るように告げ、馬に乗る。


 当然だが、その後を徒歩で付いていくわけで。


「お前、歩きでいのか?」


「良いんだよ。馬になんて乗った事もねえ」


「……分かった、ゆっくり行こう。俺も馬も既に疲れてるから、丁度良いだろ」


 そう言って彼が歩き出す先は、元来た道を戻るものだった。


 つまりハットゥシャに行きたいのに、逆行されているのだ。


「おい待て、俺はあっちに行きたいんだ。悪いが元来た道を戻るつもりはないぞ」


「ん? あー、止めとけ。さっきの戦闘でお前も目を付けられたんだ、この先に行ったら連中に攻撃される」


「は!? 冗談じゃねえ、誰のせいだと思ってんだよ!?」


 関わり合いになんてなりたくなかったのに、無理矢理巻き込まれて、挙句の果てには目を付けられた?


 そんなふざけた、理不尽な事があろうか。


「どうせ出任せだろ。適当なこと言いやがって……!」


「嘘だと思うなら行けばいい。だが、俺らについて行った方が安全だと思うぞ。お前だって、何となく一筋縄に行かない状況へ巻き込まれた事に気付いてんだろ?」


「気付くに決まってんだろ!? 大体街道の向こうから大所帯に追われてる時点できな臭さしかねえよ!」


 不満をぶつけつつも結局先導されるがまま、アグリッパの後に続いて元来た道を戻っていく。


 無駄な時間と手間を食わされた事にうんざりした気持ちで、疲労とそれ以外の理由で重く感じる脚を引き摺るのだ。


「……で、アンタらは何処に行くんだよ?」


「具体的には決まってないな。取り敢えず、連中を撒ければ文句はない。そう言う訳でアルプ山脈に向かうつもりだ」


「……アルプ山脈? おい嘘だろ、アレを越えるつもり?」


 半ば信じられない気持ちで、嘘であって欲しいと思う気持ちで、(そび)え立つ山脈を指差す。


 地図に乗っていた道も、どれだって険しい道と注意書きされていたものばかりだった。


 筆跡からして元の持ち主であったミヌキウスのものらしいが、その彼が険しいと言っているのだ。想像しただけで背筋が凍る。


「なぁ、止めた方が良いんじゃねえの?」


「何言ってんだ、だからこそ行くんだろ。そうじゃなくちゃすぐに追手に見つかっちまう」


「おいおい何でこうなるんだ……」


 もう人と関わらないと決めたのに。人と関わりたくないと思ったのに。どうしてまた人と出会ってしまうのだろう。


 幾らか金は手に入ったが、最終的には赤字なのかもしれないと、晴れ渡る空を仰いで苦笑するのだった。




◆◇◆


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