第四話 ロトカ・ヴォルテラ①
狩猟者六人の、死体が見つかった。
この話自体は別に珍しい話じゃない。
寧ろ良くあると言えるくらいだ。自分の身の丈に合わない依頼を受けた、不意の襲撃を受けた――そんな事例は枚挙に暇がないし、それは行商人などでも起こり得る事だからだ。
しかも犯人は人間である事さえザラなのだ。人に生き死になどで大事云々を一々言う人間など、この世界には殆ど何処にも居ないだろう。
しかし、今回は違った。
まず発見された死体が類を見ない程に無残であった事。これは四肢や上下半身を引き千切られた事からも分かる様に、まるで人間を弄んだような殺し方であったのだ。
それこそ、人間では不可能な怪力によってなされた、力任せな殺し方。その上、捕食痕は見当たらない。
発見したのは森を探索していた同業である狩猟者だが、死後数日が経っていた事もあり、その無残さは言葉に出来ない程だったらしい。
次に、殺された六人がいずれも中級狩猟者であった事。この事実が、話を聞いて居た誰をも震撼させたのだ。
何故なら、この階級は下級狩猟者と訳が違う。
実力に見える程の下積みを重ね、それが一定以上の水準に達して初めて昇級が認められるものなのだ。
無論、同階級の中でも実力差はあるものの、そうであろうと中級狩猟者の実力はその辺に居るような雑兵の実力を超えているとされる。
事実、この付近では中級狩猟者でありながら盗賊行為を働いていた僅か四人だけで、六十人もの討伐隊を撃退した事例が数年前に発生しているくらいである。
但し、後に盗賊討伐依頼を受注した“上級狩猟者”ガイウス・ミヌキウスによって四人は捕縛されたらしい。
前々から思っていたが、やはりミヌキウスの技量は相当に高かったみたいだ。
他者の耳から自分の知る人物の名を聞くと嬉しさを覚えずには居られないが、しかし彼が今どうしているのかまでは知る事が出来なかった。
アロイシウスは、そもそもここ数年彼を見かけていないそうなのだ。今何をしているのか等、知る術もないのだろう。
せめて彼らが生きてさえいてくれればと、思わずには居られない。
「――で、急にミヌキウスの事を訊いてどうすんだ?」
「や、別に深い意味はないよ。それよりもどうする、今日も狩猟依頼受ける?」
「……悩みどころだな。少なくとも、六人の死体が見つかった辺りは避けよう。この辺の森は広い、取り敢えず丁度良い依頼を探そうぜ」
さっきまで俺の質問に答えていたアロイシウスが、真剣な表情を見せながら依頼の貼られた板を眺めていた。
他の二人も彼に続いて依頼書を眺めているが、その表情は真剣そのもの、それは自分の命が掛かって居れば当然かもしれないが、だったら最初からやって欲しいものである。
それこそ五日前はいきなり剛爪熊の狩猟とか言う大仕事を受注され、危うく死に掛けたのは記憶に新しい、いや、新しいと言うか出来立てホヤホヤの過去である。
ただ、それを彼らに何度言ったところで無駄であろう事は、短いながらも濃い付き合いで分かっていたので、徒労に終わる事は言わない。
これで真剣な場面でも軽い態度だったら早々に彼らから離れていたところだが、この場面では真面目なので見切りも付けられないのが質の悪い所である。
もっとも、だからこそ彼らといて楽しいと思うし、このまま互いに良い関係で居たいと思えるのだが。
「それで、どう? 良い依頼あった?」
「いや、すまん。実は俺ら三人とも文字が読めない」
「じゃあさっきまで何見てたんだよ!!?」
真面目腐った顔をしたまま、間の抜けた発言をするアロイシウスに、思わず場所も忘れて掴み掛ってしまう。
けど、ここで怒っても悪くない筈だ、多分。いや絶対に。
他の二人もアロイシウス同様の阿呆面を晒しており、こっちにも掴み掛ってやろうかと思いかけた、丁度その時。
「もしもーし、アンタら文字が未だよく読めないんなら、俺が代読してやるぜ?」
「……サルティヌス!」
聞き慣れた声に振り返ってみれば、そこにはやはり見慣れた顔立ちの少年の姿があった。
どうやら今日も今日で仕事に勤しんでいるらしく、その左手には今し方受け取ったばかりらしい硬貨が握られていた。
「困ってるんならどう? お安くしとくぜ?」
「マジか! じゃあ頼むわ」
如何にも颯爽と登場してやったぜ、と言わんばかりの顔をする彼の言葉に、アロイシウスが渡りに船だと喰い付く。
そのまま、サルティヌスの言う割引き価格を支払うその背中に、自然と頬が緩んでいた。
「どうしたクィントゥス、顔がにやけてるぞ」
「いやぁ、こういうのは良いもんだなって改めて思ってさ」
「はぁ? 何当たり前のこと言ってんだ、俺だってお前らと喋ってて楽しいんだぜ? そうじゃなきゃ、一緒には居ねえよ」
当たり前だろとアドルフスが破顔し、それと同時にこの紅く染めた頭髪を乱暴に撫でる。
反射的にそれを避けようとしたのも一瞬、いつぞや誰かに撫でられたように温かく大きなその手に、俺は為されるがままになっていた。
「よし、今日はコイツにしよう。アドルフスの怪我も治ったばかりだし、久し振りにやるなら丁度良いだろ」
不意にがさりと音がしたと思えば、良い笑顔を浮かべながらアロイシウスがこちらを見て居た。
しかしその手に握られた一枚の紙に何が書いてあるのか分からない。なので、内容を彼に問おうと思ったところ、先読みしたらしいサルティヌスがそれを説明してくれた。
『黄狼十頭の狩猟』
依頼内容は、つい昨日の時点で急にボニシアカ南東を通る道に黄狼が居ついてしまい、通過に差し障りが出ているので駆除して欲しい、との事だった。
尚且つ、最近最近森の様子がおかしいので何かしら痕跡らしいものを発見したら、組合が別口の報酬をもうける、とも。
「……やっぱり、止めた方が良いんじゃね?」
「何言ってんだ、六人の死体が見つかったのはこことは真逆だぜ、少なくともそこまで用心するほどじゃねえ」
「そうそう、それに稼げるときは稼がねえと、俺達が干乾びちまう。アドルフスの怪我の治療費と療養で、たった五日と言えどそれなりに金が掛かっちまったからな」
言いながら参った参ったと頭を掻くコンラドゥスに、他の二人も誤魔化すような笑顔を浮かべていた。
おかしい。少し前にゲヌキウス商店の買取師を脅して分捕った金は相当な筈だったのだ。それをこの短期間で一体に何に使ったのだろう。
俺は必要最低限の出費以外は極力抑えて、というか使い道がないのもあって潤沢に溜まりつつある。なので、彼らの姿を見て絶対にこうはなるまいと思わずには居られなかった。
「……あのさぁ、少しは節約しろよ」
「「「断るっ!」」」
「お前ら三人に危機感はねえの!?」
彼ら揃いも揃ってキリリとした顔で異口同音の返答を貰い、打てば響くようなツッコミを入れてしまう。
見下げる程のクズ根性は相変わらずだが、しかしアロイシウスの依頼を受注した主張にも、ある程度の筋は通っているのも事実。
危険度で言えば惨殺体が見つかった方角と真逆、つまり森の中へ入ったとしても普段と大して変わらない可能性の方が高いのだから。
「ってなわけで受注手続きして来る」
「はいはい……」
もう勝手にしてくれと思いつつ、この手に持つ槍の調子を確かめていたのだった。
「一応言っとくけど、危険だと思ったらすぐ帰って来いよ。俺ら孤児を最初に助けてくれた兄貴分も、欲をかいたばかりに牙猪の突進で腹に風穴開けられて死んだ。気を付けろ」
「気にすんな、大丈夫だって。俺達は五日前には剛爪熊を狩ったんだぜ? そんな簡単に死ぬわけねえだろ」
気遣う素振りを見せてくれたサルティヌスに、コンラドゥスがその不安を吹き飛ばさんばかりの笑顔を浮かべる。
それにつられたのだろう、サルティヌスもまた笑みを浮かべて一度頷いていた。
「アンタらは俺の仲間を病気から救ってくれたんだ、恩返す前に死ぬんじゃねえぞ」
「任せろ! 伊達に俺らだって何年も狩猟者やってねえよ」
ドン、と己の胸を軽く叩いたアロイシウスに続き、俺達はサルティヌスに背を向けてその場を後にしていたのだった。
◆◇◆
黄狼。それは別に全身が黄色の体毛を持つわけでは無く、灰色をした体毛の部分部分に模様の如く生えている黄毛に由来し、もっと言えばそれの持つ魔法に由来する。
その生態は他の狼種と同じで群れを作り、集団で狩りをし、仕留めた獲物をまずは上位個体から捕食する習性がある。
「――くっ」
何度か狩った事があるというアロイシウスの語っていた情報を反芻しながら、俺は咄嗟に身を屈めた。
直後、バチと静電気を何倍も強くしたような音が鼓膜を揺らし、灰色の影が頭上を跳び越えて行く。
だがそこでただやり過ごすような真似はせず、すぐに振り返ると手首を捻って回転を加えた刺突を放つ。
直後に短い悲鳴と、この両手両腕に肉を破る生々しい確かな手応えが伝わり、一拍置いて引き抜く。
丁度着地するところであった為に反応できなかった個体は、背から胸部までを貫かれ、大きな悲鳴を上げる間もなく絶命していた。
「お! 流石はクィントゥス!」
「無駄口叩いて無いで手を動かせ! このままじゃマズいぞ!」
ここはいつも入っている森とは違う、ボニシアカ南東の街道沿い。舗装はされておらず、少し広い道幅の両脇は木々が生い茂っていた。
そこで俺達は三十頭にもなろうかという黄狼の群れに襲撃を受けていたのだ。
「何だってこんな所にこれだけの数、狼どもが居やがるんだ……!」
「やっぱり森の異常って奴が関係してんじゃねえのか!? こりゃいよいよおかしいだろ……っと!」
確かに聞こえる静電気のような音と共に襲い掛かる、黄狼の歯牙。
それに噛み付かれたら最後、牙より電流が流され獲物は感電して動けなくなってしまうのだ。
アロイシウスだけでなく、アドルフスもコンラドゥスもそれを警戒して碌に反撃が出来なかった。
「ジリ貧って奴だな……五日前に引き続き結構やべぇ! 折を見て撤退する!」
ようやく一頭を斬り伏せたアロイシウスが周囲へ目を走らせながらそう言うものの、狼の群れはそれを簡単に赦してはくれなそうだった。
その事実に彼が思わずと言った様子で舌打ちするのを見て、二頭目の眉間へ突き刺した槍を引き抜きながら叫んでいた。
「一旦俺が引きつける! 三人は先に後退しろ、あとはどうにかするから!」
「クィントゥス!?」
「良いから任せろ! 後で落ち合おう!」
驚きの声を上げるアロイシウスを無視しながら四肢へと魔力を巡らせ、その力を強化。
やはり何度かやっても慣れない、体内を内側から魔力が満たしていく感覚だが、今はそれを気にしている余裕もない。
緊急事態なのだ、今ここは。
「そらァっ!!」
踏み込みと共に三頭目を一突き、そして腹に力を込めて死体ごと槍を振り回し、他の二頭を纏めて弾き飛ばす。
「お前……その腕力はどうなってんだ?」
「話は後だ! それよりも早く行けってんだろ!!」
振り回し、十分に遠心力を乗せた槍の振り下ろしが狼の頭蓋骨を叩き割り、一瞬だけ赤い華を咲かす。
息を呑む気配が背後に感じられたが、それらは足音と一緒になって段々と遠ざかり、そして。
「死ぬんじゃねえぞ!!」
最後に特大の声量でそれだけ残すと、三つの影は群れの囲いを完全に突破して行った。
それを確認して一度息を吐きだすと、大きく空気を取りんで、腹に力を込める。
そして、力強く地面を蹴っていた。
――突き、叩き付け、殴り、蹴り、時には体当たりすら繰り出して、倒す、斃す、殺す。
それから群れの半数近くを狩ったくらいだろうか。
ようやく群れの長が諦めたのか、ひと際大きく長い遠吠えがしたと思えば、十七頭ほどに数を減らしたそれらが一斉に撤退を始めていたのだった。
「……何だ?」
一気に襲い掛かって来たかと思えば、波のように引いていくその様子に、肩透かしを食らったような気になってしまう。
狼側からすればまだ余裕はあるだろうし、殿としてたった一人しか残って居なかったのだ。数に任せて飲み込む事だって出来た筈である。
自分としては何かしら傷を負うか、もしくは命を失うかもしれないと覚悟したのだが、こうもあっさりと退いていかれては反応も出来なかった。
呆然とそれらの背中を見送り、偽退却の可能性も考えて更にもう少し用心しよう――そう思った時。
「クィントゥス、無事か!?」
「アロイシウス! ああ、平気だ!」
木の影から飛び出してくる、三つの人影。
後退しろと言ったのに、どうやら途中で立ち止まっていたらしい。狼たちがそちらへ向かって居たらどうするつもりだったのか、少し真剣に説教を垂れたかったけれども、しかし思い留まる。
嬉しそうに顔を綻ばせる人に、一喝する気など到底起きなかったのだ。
彼らのその表情にはいずれも安堵の表情が見て取れ、俺が致命傷を負った風に見えない事に安心して居るようだ。
だからこそ、何か小言を言ってやりたくても出掛かった喉の所で言葉が止まってしまう。
一方、こちらの気持ちなど彼らは知る由もないのだろう。安心の次は訊きたい事に意識が向いたのか、アロイシウスが真面目な顔で質問を投げて来る。
「お前、身体強化術が使えんのか? だったら早く言てくれりゃ良かったのに」
「身体強化術……ああ、さっきのヤツ? 」
「しらばっくれんなよ。別に責める気はねえさ。寧ろ助けて貰って感謝してるくらいだ。しっかし、それが使えるんなら黄狼を単独で十頭以上も狩れる訳だ」
呆れた様に笑みを浮かべ、街道のあちこちに斃れている狼を見下ろす彼の目は、素直な称賛の色が見えていた。
実際、その口の言う通り責める色など一切なく、彼らの様子に内心ではホッと安心して居た。
黙っていたのに気づかれたので、ひょっとすれば怒られるかもしれないと思っていたのだ。
だが、その懸念も今ある様に杞憂でしかなかった。
「お前、どうやって身体強化術を身につけたんだ? コツとかあるんだろ?」
「いや……ひ、秘密だ」
当然である。喋れる訳が無い。危うく人前で白魔法を使いかけ、それを慌てて引っ込めた時に発見できたなんて口が裂けても言える訳ないのだ。
だがそんなこちらの思考など知る由もないアロイシウスは、不満そうに口を尖らせる。
「何だよ、ケチ。じゃあ、お前って強化術以外に魔法が使えるくらい、魔力が多かったりする?」
「全然。俺はこれが精一杯かな」
これは、嘘。グラヌム村から逃げる際に、大型の熊を簡単に吹き飛ばす程度の白弾を撃つ事が出来たのだから。
しかし、それを彼らへ言う訳が無かった。
言えば多分、壊れてしまうかも知れないから。信頼が、信用が、全部なくなってしまうかも知れないから。今まで見て来た人たちのように。
そんな思いはもう、したくなかった。
彼らなら受け入れてくれるかもしれないとは、確かに何度も考えたけれども、それでも踏み出す気になれなかったのだ。
だから、彼らに嘘を吐く。
「ごめんな、力になれなくて」
「マジかぁー、でもお前が気にすんな。もしかしたらッて思っただけだし。こーゆーのは俺らが自分で見つけた方が良いだろ?」
そう言って、アロイシウスを始めとした三人は笑う。
やはり、彼らと居るのは心地が良い。
こんな気持ちの良い奴ら相手に嘘を吐いているのは後ろめたいし、スッキリとしない。
やはりいつか、打ち明ける日を作るべきなのだろう。
だとしたら、早い方が良いのかも。
「なぁ皆……」
「ん、どうした?」
「……いや、何でもない」
「何だよ、気になるじゃねーか」
もう少し、もう少しだけ。心の準備をする時間が欲しい。
面白そうに破顔する彼らの表情を見ながら、俺はそんな事を思っていた。
だが、そんな思考を打ち切る様にアロイシウスが真剣な表情で一つ、指摘する。
「それにしても、コイツらは一体何だってんだ? 十頭とかそんな次元じゃ無かったぞ」
言いながら彼が蹴飛ばすのは、既に事切れた黄狼の頭部。
彼の指摘には他の二人も思うところがあったのか、頻りに頷きながら追従していた。
「まるで何かの大移動みたいだったな。ああも大群となると中々見られないぜ」
「森の様子がおかしいとは聞いてたけどなぁ。まさかここまでの異常事態だとは」
剥ぎ取りを始めながら顔を顰める彼らに、俺もまた同様の気持ちを抱きながら手伝いをしていく。
彼らから剥ぎ取りを教わっているが、未だに納得の行く手際にはなっていないらしい。今後の為にももっと精進せねば。
会話の片手間にテキパキと解体していく彼らの手際を真似しながら、妖石などの素材を剥ぎ取っていると、そこへアロイシウスが話を振って来る。
「クィントゥス、お前は黄狼の大群をどう見た? やっぱ不自然だよな?」
「だな。あんまり黄狼の習性には詳しくないけど、この前の矮猿の大群と併せて考えれば怪しい」
質問に自分の考えを述べてみれば、彼もまた同様に思っていたのか「だよなぁ」と零すと、考え込む様に剥ぎ取りの手を止めていた。
何を考えているのかは分からないが、天を見上げて暫く黙り込んでいたところで、不意に言葉を漏らす。
「組合に今日の事、報告しとくか……」
ここ最近、ボニシアカ近くの森では狩猟者の惨殺体が発見されるなど、不自然な事が続いているのだ。
けれど、今回の事を報告したとして、“何かしらおかしいもの”の痕跡を発見できていない。
強いて言えばノルマより多くの黄狼が狩れたことくらいだが、果たしてこれを“痕跡”と見てくれるだろうか。
正直なところ情報料として報酬が出るかは、望み薄だとは思う。
それでも、報告を上げないよりは良い筈だ。
「気のせいとか済めば良いんだけど……」
ここ最近だけでも、二つの妖魎の大群と遭遇しているのだ。この街に着くまでの道程ではあの規模の群れと遭遇した事が無い事を考えても、普通では無い。
何かが居る、何かが起こっている、もしくは起ころうとしている可能性が極めて高いと言えるだろう。
だが、この場に居る誰もが何も言わない。
決定的証拠が無いし、出来る事なら何かがこの森の中にあると口にして、認めたくはないのだ。
「……剥ぎ取りは終わった、撤収するぞ。ほら、クィントゥス」
「ん、ああ、悪い」
疲労のせいだけではない、言葉の少ないアロイシウスに思考の海から引き戻され、剥ぎ取り終わった妖石をしまう。
その場には価値の無い狼の死体だけが一カ所に纏められて残り、柔らかな風が辺りを撫でていくのみ。
だがそこで不意に、足を止めた。
「どうした?」
「……いや、何でもない。多分気のせいだ」
空耳だろうか。遠くで誰かの悲鳴が二つ、聞こえた気が、した。
◆◇◆
「一度に六人ってのは、ちと派手に殺し過ぎたか……?」
周囲に人っ子一人どころか、小動物の一つすら見当たらない森の中で、男は歩きながら困った様に呟きを漏らした。
そんな彼の背後には荒い鼻息で待機しているらしい巨大な怪物の姿があり、その姿はさながら調教師の様であった。
少し前に遠くに狼の遠吠えが聞こえ、それに反応した彼は、聞こえて来た方へと足を向けていたのだ。
しかし距離が遠かったのか、行けども行けども影すら見えず、そろそろ潮時かと思い始めた、そんな時。
「おっと、やっぱり居るところには居るらしい。流石は人間どもだ。狩猟者なら尚のこと丁度良い」
まだまだ距離はあるが、木々の隙間から見えた妖魎らしい死骸と、それを剥ぎ取る二つの人影を認め、男は口端を吊り上げる。
丁度良いという呟きと一緒になって、彼の口からは小さな笑いが漏れて居た。
「さあさ、餌だぞ二十六番。行け」
『……!』
直後、男の横を凄まじい風切り音を引き連れた巨獣が、弾かれたように駆け抜けていた。
◆◇◆
「――これにて依頼は完了ですね、お疲れ様です。こちらが報酬金と契約金、合わせて一万一千Tです」
「おう、ありがとさん」
狩猟者組合の一階、そのカウンターにて俺達は今回の依頼達成を報告していた。
同時に黄狼の大群についても報告しておいたが、やはり情報料は提供されなかった。痕跡とその証拠が無い限りはどうしようもないらしい。
折角の情報提供でも申し訳ない、と受付の男性に謝られてはアロイシウスも無闇に抗議できなかった。
その後、剥ぎ取った素材の売却を終え、四人で最寄りの居酒屋へと足を運ぶ。
「……やれやれ、案の定報告しても意味は無かったな」
「仕方ねえさ、証拠がねえんじゃ俺らにはどうしようもないんだ。下手にごねて組合の上層部に目を付けられるのは御免だぜ」
持って来られる料理や酒などが配膳されると同時に、毎度毎度会計をして手を付ける。
前世の日本のように纏めて会計出来れば一番楽なのだが、ここは価値観とか道徳とかが違うどころか、世界線すら違うのだ。
食い逃げ等々を防ぐためにも、この辺では面倒臭くても常識らしい。
百Tほどで買った度数の低いエールを飲みながら、大皿に盛り付けられた料理に手を付ける。
喉が渇かせれば良いのだが、この街ではただの水が酒より高いし、一方エールはただの水より断然苦い。
アルコールは然程感じられないが、下手にアロイシウス達と合わせず、自分で蒸留した水を飲めば良かったとちょっぴり後悔している。
「情報料とか、貰えなかった物は仕方ないとして、今後の予定はどうする? 三、四日は休みにしてくれると有難いんだけど。結構な数の黄狼を狩ったから、皆懐に余裕はあるんだろ?」
「……まぁ、そうだな。そう言えばクィントゥスはあの孤児から文字を教わってるんだっけか? 確かに、読み書き出来た方が便利だしなぁ」
愚痴を交えて豪快に飲み食いしていたアロイシウス達に要望を口にすれば、彼らは頷きながら水を向けて来る。
「そういやお前、文字の読み書きは出来ねえけど計算は出来てたな。どうにもちぐはぐな気がするんだけど、商人とか貴族の縁者だったりしねえの?」
「まさか、そんな訳ねえだろ。本当にただの根無し草だ」
ただし、前世の記憶持ちではあるが。
内心で思っている事は口にせず留めて、努めて嘘も言わず彼らの質問に答えていく。
お互いに酒が入っていたのと、興が乗ったからだろう、その会話はどんどんと脱線して行き、更に盛り上がっていく。
娼館での衝撃的な出来事、賭博場での乱闘騒ぎ、強力な妖魎と出くわして命からがら逃げ延びた話、等々。
暴露話なども含めて話は留まるところを知らず、長居する事によって飲み物などの注文がどんどんと重なって行った。
そうして、気付けばたっぷり三時間も話し込んでいた頃。
大方の話題が出尽くし、何という事もない時間がただ過ぎていく中で、「そう言えば」とアドルフスが口を開いた。
「昨日、顔馴染みから聞いたんだが、グラヌム領ってところで白儿が出たらしい」
「冗談だろ? ってか仮に本当に聞いたとして、大方根拠もないんじゃねえの?」
「いや、それがどうも違うみてえだ」
怪訝そうな顔を見せるコンラドゥスに、彼は首を横に振った。
それに興味を魅かれたのか、眉を動かしたアロイシウスも耳目をそちらに傾けていたが、一方で俺は頬杖を突いたまま動く事が出来ない。
遂にこの話が流れて来たのかと、心臓を一際強く拍動させながら耳だけに注意を集中させたのだ。
「グラヌム子爵って御貴族さんが、白儿を捕まえようとして返り討ちに遭ったって専らの噂だ。何でも、配下の傭兵団共々大怪我をしたらしい」
「傭兵団? って事は結構な数が居たんじゃねえか? それが返り討ちとか、白儿はかなりヤベェんだな。御伽話も強ち嘘じゃねえって事か」
「だな。実際、その情報を得て周辺の領主とかは関所に厳重な警備を置いて、白髪で紅い眼をした奴を探し回ってるってさ。ま、今のところ誰も捕まえてないみたいだけどな」
へえ、と感心した様にアロイシウスが声を漏らし、酒を煽る。
「捕まえられたら正に一攫千金、値千金って奴だな。そりゃ領主様たちも血眼になって探そうとするわけだ。けど、それ以外に何か特徴はねえの?」
「さあね。これと言ってその辺の情報は回ってこないな。因みに、この辺の領主様も一応探してはいるみたいだぞ。もしかしたら居るかもしれないってな」
「もしかしたらって……ここはシアグリウス王国じゃねえか。グラヌム領ってのは確かサリ王国じゃなかったか?」
呆れたようにげっぷをするアロイシウスは、飲み物のお替りを頼む。
それにつられて他の二人も続くが、俺は先程から同じ姿勢のまま、ただ黙って話を聞いていた。
例え噂話であれ、話の続きが気になって仕方ないのだ。
「領主様からすれば、捕まえられれば大金が手に入るんだ。望みが薄くてもやってみる価値があるんだろうな。あ、そうそう。それとこの噂にはまだ続きがあるんだ」
「……続き? まだあんのかよ?」
「まぁまぁ、聞いてみろって。結構面白いぞ。何せ、あの上級狩猟者であるガイウス・ミヌキウスが白儿を巡って御貴族様と争ったらしいからな」
早く喋れと急かすアロイシウスの視線を受け、アドルフスは肩を竦めながら得意気に語れば、彼を除いた二人が目を剥く。
「何だその馬鹿げた話は?」
「冗談きついぜ。あのミヌキウスが、お貴族さん……ええっと、グラヌム子爵だったか? に歯向かったっての?」
余程信じられなかったのだろう。ミヌキウスの他にも更に二人、上級狩猟者の仲間が従っていたと聞いてアロイシウスとコンラドゥスは更に目を剥いていた。
だが、それは彼らだけではない。俺もまた、例外では無かったのだ。
「……アドルフス、その話をもっと詳しく聞かせてくれ。頼む」
もしかすれば、命の恩人の消息が分かるかもしれない。
そんな一縷の望みを賭けて彼へと中銅貨を一枚、百Tを投げ渡していたのだった。
 




