モンスターエフェクト③
◆◇◆
「……しっかし、この前の森の騒がしさはどこ行ったんだ?」
「確かに。矮猿が群れで逃げ回ってたから、何か異変が起きたんじゃねえかと思ってたんだけどな」
「ま、何も無いならそれに越したこたぁねえぜ。それよりほら、警戒怠るんじゃねえぞ」
緊張感のない会話をするコンラドゥスとアドルフスを咎めつつ、アロイシウスは森の中を見渡す。
実際、今日受注した依頼は中々に厳しいと言える。
その内容は、『剛爪熊一頭の狩猟』。
グラヌム村から逃げ出す際にも、そしてこの間と、何度か遭遇した大型の熊である。
生半可な攻撃は痛撃足り得ず、あの時の俺は魔法を使ってどうにか斃せた相手であった。
それなのに、アロイシウス達は「クィントゥスが居れば大丈夫」と勝手に受注していたのだ。
危険すぎると反対したのだが、今朝寝坊してしまった以上拒否権は無く、連れられて森に入る羽目になっていた。
因みに、一番危険な点は俺以外の三人に単独でそれを狩猟した経験がない事。
勿論、大人数で狩った事はあるそうだが、少数での狩猟は今日が初めてらしい。
貰いたくもないハジメテを貰ってこちらとしては気分が重い事この上ないが、果たして当の彼らは重大さをどこまで理解しているのか。もはや不安しかない。
不安しかないので、結局それを紛らわす為に彼らへ話を振っていた。
「……そう言えば、お前らってどうして狩猟者になったんだ?」
「俺は賭けに熱中して金が無くなったから、だな」
「クズじゃねーか」
弓の弦を確認しながら答えたアドルフスの理由に、思わず一瞬でツッコミを返す。
するとそれを見てコンラドゥスが噴き出し、堪らずアドルフスがむっとした顔をする。
「おっ、お前笑ってるけど人の事言えねえだろ!? この娼館狂いが!」
「うるせえ! 一山当てるとか叶いっこねえ夢見てるお前の方が馬鹿だろ!」
「あぁ!? じゃあお前はお気に入りの娘に一体幾らつぎ込んだ!? 言ってみろってんだ! その結果どうなるかなんて分かり切ってんだろ!?」
「うわぁ……」
まさにどっちもどっち、両者譲らないクズっぷりに思わず呆れと幻滅の入り混じった声が漏れてしまう。
二人共、ある意味生産的ではあるものの、長期的な目で見ればあまり意味があるとは言い難いだろう。
そんな彼らの言い合いを尻目に、アロイシウスにも水を向けてみる、と。
「俺は最初出稼ぎの為に村を逃げてな」
「えっ、てことは逃散……?」
「ああ、まぁ。で、この二人と出会ってから賭けと女に嵌っちまった。今じゃドップリだ」
「オイ出稼ぎどこ行った」
クズである。三人揃って清々しいまでのクズである。
特に真面目な就職理由を持っていて、三人の中心的存在であるアロイシウスが両方に嵌っているという事実が、幻滅ポイントを爆上げしている。
しかもそうやって遊び惚けているせいで狩猟者としてイマイチうだつが上がらず、もう既に二年以上も下級狩猟者として活動しているそうだ。
「昇級した方が割のいい仕事も回って来るんだろ? ちゃんと腕磨いとけよ……」
「死なない程度にやっとけば別に下級狩猟者でも飢え死にはしねえよ。老後は知らん」
「良いのかそれで……」
多分良くない。というか絶対良くない。この世界は福利厚生がそれなりにしっかりしていた日本や欧米のような先進国家とは違うのだ。
当然保険など無いし、年金も無い。
これくらいの文明水準であれば、貧しい農村の重病人や老人は躊躇なく棄てられる場合だってある。
流石に心配になって来るほどだが、今居るここは危険な森の中である。余り喋っていては不意討ちを受けかねないと、やや疎かになっていた警戒を強める――が。
それは、もはや遅かった。
「……おい、今ここで仁王立ちしてる毛むくじゃらって」
「ひょっとしなくても剛爪熊??」
先頭を歩いていたコンラドゥスとアドルフスが、ぎこちない動作でこちらへ首を巡らせ、一方で前方を指差す。
そんな彼らの指さす方向、その十五Mほど先には、二本の後脚でどっしりと直立した巨大な熊の姿があった。
その高さは凡そ三Mは超えており、低い唸り声を鋭牙の隙間から漏らしながら俺達四人を睥睨している。
大きさは然程でもない。けど、大きく見えた。大きく感じられた。
以前遭遇した剛爪熊の方が比較にならないほど凶悪で強大な図体をしていたのだが、持っている武器と味方の心許なさのせいか脅威に映る。
そんな思考が読まれたのかアロイシウスが睨み付けて来るものの、無視。今はそんな事に一々反応している余裕もない。
代わりに何故気付かなかったのかと、アドルフスとコンラドゥスを叱責したい気分だが、この辺は割と木が密集している。発見が遅れてしまっても仕方がないと思う事にした。
少なくとも今は、怒鳴り付けたりしている余裕すらもまた無いのだ。
「で……でかっ……」
余りにも突然の、不意の遭遇過ぎて誰もが即応できない中、硬直していたアロイシウスが辛うじて口だけを動かす。
しかしそれっきり、その場の空気はピクリとも動かず、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
だがそんな空気を察せるのは人間様だけであったようで……。
こちらと同様意図せぬ遭遇であった筈の巨熊は、ひと際大きな咆哮を上げると、一気に襲い掛かって来ていたのだった。
「「「「のわぁぁぁぁぁあっ!!?」」」」
間髪入れず全員が一様に悲鳴を上げ、踵を返すとそれぞれバラバラの方向に逃げていく。
本来ならばある程度纏まって逃げるのが良いのだろうが、互いに意思疎通の図る余裕が無かった以上、どうしようもない。
そしてこうなった時に最も困るのが、敵から狙いを定められた人間――つまり今の状況なら、俺である。
足音、鼻息、殺意。
着実に、確実に、そして圧倒的な速度で、それは逃げ回る俺の背中へと近付いて来ていた。
「前にもこんな事があった様な!?」
飛び込み緊急回避の勢いが殺せず、頭から土を被りながら、思わず自分の身の上を呪い、叫んだ。
またも死闘を演じなければいけないと言うのか。全くついてない事この上ないではないか、と。
ましてや、今は人の目を気にして魔法を迂闊に使えない。
逃げ回るにも限界があるというのに、これでは完全にジリ貧だ。
右手に持つ槍を強く握り締め、歯を食い縛って駆ける、走る、逃げる。
いい加減誰か助けに来いよと思うのだが、どれだけ巨熊の追撃を避けても誰かが助けに来る気配が無い。
いいや、そもそも散り散りになって互いが何処に居るのか分からないのだろう。あちこちを見渡しても、彼らの影は疎か、声すらも聞こえて来ないのだから。
「……っ!」
荒い呼吸の中で思い切り舌打ちをしていたが、しかし一方でこれは好機であるとも言えた。
――己の魔法を、使う上で。
判断するや否や左手に魔力を集め、振り向きざまに白弾を撃ち放つ。
先程まで逃げ回っていたお陰か、巨熊はその攻撃に意表を衝かれた様で、頭に直撃を受けてくぐもった悲鳴を漏らしていた。
だがこの程度では仕留めるに至らず、より強い殺意を宿らせた双眸が十M先から見据えてくる。
対してそれに怯まぬよう、負けじと振り返って足を止めて睨み返す。
同時進行で脚部に、腕部に、魔力を充満させていく。
――身体強化術。
咄嗟に魔法を使いそうになった時、慌ててそれを取り止めたところで発見できた、新たな魔法の使い方である。
発見できたのは偶然の産物であり、その切っ掛けが今の危機を生んだアロイシウス達であるのは、何の因果だろうか。
そう言えばあの時も生きるか死ぬかに追い込まれたなと、彼ら三人からやられた仕打ちを思い返さずには居られない。
だが、彼らが居なければ、彼らと出会わなければ、魔力で筋力や骨を強化出来るなど気付けなかっただろう。
これをする事で、少なくとも体外へ魔力を出さなくて済む。つまり特徴的な白い魔力を見せずに済むので、人目がある状況でも使う事が出来るのだ。
もっとも未完成であるし、強化を終えるとその分だけ反動もある。工夫次第ではその反動も軽く出来そうだが、今は研究段階だ。こんな危険だらけの森の中で使いたくはない。
だが今は持てる力を払わねば、死ぬ。何せ目の前の熊を駆除するには、この手に持つ槍のみを使わなくてはならないのだから。
「この熊、何年生きてやがる……!?」
相対して初めて分かった、足音と巻き上がる土砂の量に、背中どころか全身の体温が急激に下がっている様な感覚に襲われる。
体の内部が何かに満たされていくような、力が湧いて来る慣れない感覚すらも、恐怖の前には簡単に塗り潰されていた。出来る事なら、今すぐ踵を返して、尻尾を撒いて逃げてしまいたい。
だが、そんな事をしても逃げ切れる訳が無い。以前遭遇した同種でもその確信があったのだ、輪を掛けて当たり前であろう。
震え、今にも逃げようと動いてしまいそうな脚を叱咤し、強く地面を踏み締める。
強化術の為とは言え、脚部へ余り多くの魔力を流し込み過ぎないよう注意し、適当なところで魔力を止め。
――地面を蹴る。
「うっ……!」
想像していたよりも脚力が高い。そのせいか上半身が置いて行かれそうになり、体勢が崩れる前に慌てて腹筋に力を入れる。
既に剛爪熊はすぐそこにまで迫っており、しかしここでも虚を衝かれたのか、対応できずにただこちらを見て居た。
言うまでも無く、これは好機。
両手でしっかりと掴んだ槍の柄をより一層握り込み、渾身の刺突を放つ。
だが、その刺突はそれの頭部に深々と刺さる事は無かった。ガリ、という耳障りな音と共に頭蓋骨を貫く前に止まってしまったのだ。
堅い。長い年月を生きて来たからだろうか。毛皮すらも柔らかい手応えは寄越さず、分厚く発達した頭蓋骨が致命傷を作らせない。
「……っ!」
着地して動きが止まってしまったところを、剛爪熊の鋭い目が捉える。
直後、その隙を狙ったかのように、右爪による薙ぎ払いが襲い掛かって来た。
咄嗟に地面を蹴り、普段から想像できない程に高く垂直に跳躍すると、眼下で攻撃を空振らせた格好の熊を視界に収めていた。
どうやら奴はこちらを見失ったらしく、忙しなく首を左右に巡らせ、獲物の姿を探している。
「……いける」
隙だらけだ。これなら、命には届かなくとも傷は付けられる。
無防備な格好のままでいるところへ、自由落下と共に短剣を引き抜き――――その右目を切り裂いていた。
『――ッ!?』
一拍遅れて鮮血が噴き出し、同時に痛々しい悲鳴がこの鼓膜を揺らす。
その痛みに悶える様子を見て一気に畳みかけてしまおうかと思ったが、滅茶苦茶に暴れ出した姿にこれ以上は危険と判断。強化した脚力でそこから一気に離脱していた。
しかしあれの左目は、確かに俺の姿を映し、捉えて放さなかった。
散り散りになった仲間と合流するために強化した脚力で森の中を駆け巡るが、どこまで行っても追跡を振り切れた気がしないのだ。
「おおいクィントゥス、ココだ!」
「……アロイシウス!?」
不意に声を掛けられた方へ目を向ければ、そこにはあの三人が纏まって手を振ってくれていた。
すぐに脚の身体強化を解き、いつも通りの身体能力で彼らへ駆けよる。
「どこ行ってたんだよ!? こっちは大変だったんだぞ!」
「悪い。俺らも合流に手間取った。それより、さっき悲鳴が聞こえたんだが、何だったんだ?」
「ヤツのだ。さっき片目を潰して来たけど、そのせいで目を付けられた」
証拠として返り血の付いた左手を見せれば、三人が三人とも呆れた様な顔を見せ、次いで笑った。
「流石だな。あんな奴に傷を負わせるなんて早々できるモンじゃねえ。けど手負いは好機であるが危険もある、気を引き締めてくぞ!」
「「おう!!」」
気合入れていくぞ、と士気も高い彼ら。だが、先程一合も打ち合わずに逃げ去った事実に、調子のいい奴らと思わずには居られなかった。
◆◇◆
咆哮が大地を揺らし、豪脚が大地を抉る。
こちらの放つ攻撃はその悉くが厚い脂肪と堅骨に阻まれ、致命傷どころか痛撃足り得ない。
唯一、この中で遠距離武器である弓を持つアドルフスが剛爪熊の急所を狙撃するが、己の右目を失って学んだのか全く射抜かせなかった。
こんな時、ユニウスなら容易く目を射抜けそうだとほんの少し感傷に浸るが、それはコンラドゥスの怒声によって打ち消される。
「何やってんだ下手糞! ちゃんと狙え!」
「ほざけっ! お前らが上手く隙作らねえからだろ!」
向こうは幾ら攻撃を受けても損害は微々たるものだが、人間は違う。
あの体格の持つ力と、全身の鋭い凶器を真面に喰らえば一撃で致命傷を負うこと間違いないのだから。
故に近接武器を持つ俺、アロイシウス、コンラドゥスは三M以上もの躯を持つ熊と至近距離でギリギリの攻防を演じなくてはならなかった。
だが、下級狩猟者であるアロイシウスとコンラドゥスの動きは余りにもぎこちなく、技量も高いように見えない。
今のところは攻撃を躱せてはいるものの、反撃は逃げ腰のせいで軽いし、まざまざとミヌキウス達との実力差を見せつけられている気分だった。
そんな時、一向に攻撃が当たらない事に苛つきが頂点に達したらしいそれは、一際大きな咆哮を上げるとアロイシウス――ひいてはその更に先に居るアドルフスへと突進を始めた。
前者はまだ即応出来たものの、後者は運悪く丁度矢を番えるところであった為、どうやら反応が遅れたらしい。
彼は咄嗟に右前脚の引っ掻きを手甲で往なそうとしたが、その強烈な力を流す能わず、吹き飛ばされてしまっていた。
「アドルフス!?」
「大丈夫だっ……けど、肩をやられた! 悪いが一旦後退するぜ!」
そう言う彼は左肩から止めどなく血を流しており、その怪我の度合いから見るにすぐ弓を引く事は不可能そうであった。
しかも傷を負った事で弱っていると判断されたのか、剛爪熊はそこから執拗に彼へと攻撃を続ける様子を見せる。
「させるかよっ!」
即座にその左目を狙って刺突を放てば、素早く反応した剛爪熊は標的を変え、こちら目掛けて襲い掛かる。
しかし、いい加減疲労も溜まって来たのだろうか。荒い息と共に当初の勢いは無くなっていき、段々とその動きも単調で非常に読み易くなっていた。
狙いが見え見えの攻撃を伏せて躱し、捩って躱しを繰り返しながら、着実に傷を与えていく。
だが、その状況をみて早々に勝ちを確信してしまったのがいけなかったのだろう。
「……あっ!?」
余裕余裕と、楽々攻撃を躱していた足が、顔を覗かせていた木の根に引っ掛かってしまったのだ。
予想していなかった事態に対処が遅れ、そのまま無様にも、そして無防備にも尻餅をついてしまい、そこへ更に剛爪熊が圧し掛かる。
何とかして抜け出そうと抵抗を試みるが、そもそも体格差が圧倒的すぎて焼け石に水程度の意味しかなさない。槍を使おうにも、ここまでの至近距離では真面に取り回す事すら難しかった。
「クィントゥス!」
「こっ、ん……のぉ……!」
一気に頭を噛み千切ろうとでも言うのだろうか、大口を開けて迫って来るそれを、身を捩って躱す。
一方、そいつの背後では他の三人が何とかして俺を救おうと、めいめいの武器を振るっていたが、痛痒を感じていないかの如く反応しない。
周囲にはどうする事も出来そうにないという事実に、歯を食い縛る。
熊の口からは唾液が垂れ、生臭いそれが己の頬に掛かるが、そんな事はもはや些事と注意を捨てる。今集中すべきは、自力でどのように逃げ出すか、なのだ。
汚いとか、臭いとかは全てを終えてから好きなだけ気にすれば良い。
「……食われてなんざやらねえよ!」
両手も塞がって、腰から下も圧し掛かられて碌に使えない今、これをどうやって解決できるのか分からないが、それでもやるしかない。
まだ、死にたくないのだから。
死ぬわけにはいかない。やりたい事だってまだまだある。特に、グラヌム村でいきなり別れる事になってしまった皆や、満足の行く礼の出来なかったミヌキウス。
会う事は無理かもしれないけれど、死んでしまえばそれこそ絶対に叶わないのだから。
「う……ぉぉぉぉぉおっ!」
腹筋に渾身の力を込めて絶叫し、頭部に魔力を流し込んで強化術を施す。そして、頭が割れるのも構わずに、それの鼻っ面に頭突きをかました。
『!?』
まさかここまで来て反撃を受けると思わなかったのだろうか。それとも痛みのせいかは分からないが、それが仰け反った隙に素早く脱出する。放棄した槍はそのままに、素手で挑みかかり――懐にあった、もう一本の短剣を引き抜いていた。
間髪入れずそれを熊の左目に突き刺し、素早く離脱。
『――――ッ!!!?』
一方、これによって完全に失明した剛爪熊は狂ったように暴れ出した。
右目、左目の両方から短剣を生やし、全身のあちこちに傷を刻まれたその体はまさに満身創痍。
それでも尚、生きる為に力を振り絞るその生命力には驚嘆する他無いが、しかしここはそれだけで終わりにしていい様な世界ではない。
俺だけじゃなく、アロイシウスやコンラドゥス、アドルフスまでもが武器を構え、時機を窺う。そうして、暴れ回って体力の無くなった頃を見計らって、剛爪熊の首へと四つの刃物を突き立てていたのだった。
「……いやぁ、危なかったなぁ」
「だから俺は止めた方が良いって言ったんだ。まぁ、寝坊した俺が言うのも何だけど」
ふぅ、と腰に手を当て一息ついているアロイシウスに、嫌味を言わずには居られない。
実際、コイツの狩猟は四人だと荷が重かった。
死人こそ出なかったものの、アドルフスはその左肩に酷い裂傷を負ってしまった程だ。
もっとも、癒傷薬によってすぐに大きな傷口は塞がったのだが、あの爪があともう少し奥まで届いて居れば左腕を失っていた事だろう。
終わってみれば犠牲はゼロだけれども、それは本当に運が良かっただけ。命綱無しの綱渡りを偶然四人とも達成できたに過ぎないのだ。
「……」
既に息を引き取り、ピクリとも動かない死体。その前脚が持つ途轍もなく鋭い爪に、もしも自分が引っ掛かれていたらと思うと瞬間的に背中が粟立つ。
「それにしたってクィントゥス、お前今日も頑張ったよなぁ」
「そうそう、流石にさっきのはもう駄目かも知れねえと思ったけど、良く生きてた! 頭突きで怯ませるとか中々出来るもんじゃねえぞ。どんな石頭だよ!」
「いや、まぁ……あれ以外に選択肢無かったからな」
笑顔を浮かべて話し掛けてくれる彼らに、適当な笑みを返して誤魔化す。何となく、身体強化術の事を話すのは気が引けたのだ。
この技術は確かに見た目的には変化が無いし、人前で使っても大丈夫だろうが、魔法が使えると公表すれば目立つ事に繋がってしまう。
目立つという事は、それだけ白儿だと気付かれてしまう危険が上がってしまうのだ。
だから、彼らには何も明かさず誤魔化す。
因みに、結果として切り抜けられたから良かったが、その代償として額にたん瘤を作るどころか切り傷をこさえてしまった。
こちらも癒傷薬のお陰ですぐに塞がってくれたが、それでも触ればまだ少し痛い。多分、まだ赤く腫れているのだろう。
「はいはい、じゃあ今日もお疲れさん! ちゃっちゃと剥ぎ取って街へ帰ろうぜ。これだけの大物だ、そこそこ良い金にもなるだろうよ。あ、それとクィントゥスも剥ぎ取り手伝えよ。もうある程度出来るようになったとはいえ、まだまだだからな?」
二、三度手を叩き、弛緩していた空気を引き締めたのは、アロイシウス。
こう言う時、伊達に纏め役をなってないのだなと思う。だが一方で、普段からこんな風に出来ていれば、さっさと狩猟者として更なる高みを目指せたのではないかと考えずには居られない。
「……何だよ?」
「いやいや、別に何でも」
何かを察したのか、不満そうな目を向けて来る彼から、目を逸らしながらも込み上げて来る笑いを堪え切れない。
こんな会話をするのは何時ぶりだろうかと、懐かしみを持つ意味でも口端が緩んでしまっていたのだ。
「あっ、お前いま俺に呆れたろ!? この二人も偶にそんな顔するから分かるんだよ!」
「さぁ? 何の事でしょうかね?」
もしかすればコイツなら、コイツらなら、かつてのミヌキウスのように理解を示してくれるかもしれない。
仲良く、変わらない態度を取ってくれるかもしれない。いや、取って欲しい。
そうすれば、この秘密も明かす事が出来るだろう。そうすれば、この心も安らぐ事が出来るだろう。
今や俺にとって彼らとの関係は、気付けば失いたくないものの一つになっていたのだ。
「まぁいい、お前ら早く撤収するぞ。少し雲行きが怪しい。雨に濡れたくはねえだろ?」
遂に小言を諦めたのか、溜息を吐くアロイシウスの言葉に、笑みを浮かべながら頷き返すのだった。




